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35 沈黙の提案

 王立裁定院の聴取室には、朝の柔らかな光が差し込んでいた。

 法務官席に姿勢を正して座るエドガーの横顔を照らし、その手元にも淡い光が散っている。

 調書の頁をめくる音と、時計の針の音だけが、静謐な空気を切り取るように響いていた。


 ノックの音。

 エドガーが立ち上がって扉を開けると、レイモンド・モートンが悠然と入ってきた。


「おはようございます、モートン閣下」

「おはよう」


 エドガーの案内を待たずに、レイモンドは勝手に椅子へと腰を下ろす。

 足を組み、杖の頭に手を置く。その手には宝石の指輪がいくつも輝いていた。

 紺のツイードのコートには金糸の刺繍。まさしく“貴族”という姿だった。


 エドガーも静かに席に戻り、机の上で指を組む。

「本日はお越しいただき、ありがとうございます」

「いやいや。――そろそろ決着がつくのかね?」


 エドガーは淡く微笑んだ。

「申し訳ありません。裁定には、もう少しお時間をいただくことになります。

 ただ、本日は一つ、閣下にご提案がありまして」


「……提案?」

 レイモンドの眉が動く。


 黒髪の法務官は一度だけ、静かに頷いた。


「閣下。アラン殿は残念ながら、悪評が広まっております。

 ウィンダム家も、これ以上は庇いきれないご様子でした」


 レイモンドは髪を撫でつけ、鼻で笑う。


「そこで、あえて――ウィンダム家からの婚約破棄を受け入れてはいかがでしょうか」


「なに? 向こうからの破棄だと!?」

 レイモンドが声を荒げる。唾が飛ぶ。


 だが、エドガーは微笑を崩さず、穏やかに言葉を継いだ。


「ええ。

 そしてモートン家としては、すぐにアラン殿を廃嫡なさるのです。

 それで立場は一変しますよ。

 “問題児に振り回された哀れな名門”として、世論は貴家に同情するでしょう。

 潔い判断は、社交界でも賞賛されます」


 窓の外では、雲が立ち込め始めていた。

 部屋の光が翳り、静寂が深くなる。


 エドガーは手元の調書に指を重ね、軽く顎を引く。

 モートンは背もたれに身を預け、顎をさすりながら考え込んでいた。


「家同士の繋がりについても、ウィンダム家はアラン殿の放蕩ぶりを十分ご存じです。

 政略結婚という形を取らずとも、両家は“健全な友好関係”を続けられるでしょう」


「……なるほどな。

 先に暴言を吐いたのは、我が家の嫡男だ。

 庇うより、潔く切り捨てた方が理にかなう、か」


 エドガーはゆっくりと目を細め、穏やかに微笑んだ。

 その黒髪が薄暗い室内で、わずかに青を帯びて光る。

 時計の針が、ひとつ、またひとつと時を刻む。


「ご英断かと存じます。――閣下」


「……わかった。向こうからの婚約破棄を受け入れ、アランを廃嫡する」


「かしこまりました。それでは、そのように手続きを進めさせていただきます」


 書記官が立ち上がり、用意していた書類を差し出す。

 レイモンド・モートンはペンを取り、豪快な筆致で署名した。

 書記官がそれをエドガーに渡す。


 群青の瞳が、素早く内容を確認する。

 そのまま小さく頷き、柔らかく笑った。


「……貴方のご寛大に、深く感謝いたします」

「いやいや、これも貴族の務めというものだ」


 数点の確認を終えると、モートンは満足げに立ち上がり、重い扉を押して廊下へと出ていった。


◇◇◇


 裁定院の廊下に残ったエドガーは、窓越しに外を眺めた。

 霧の中を、モートン家の馬車がゆっくりと遠ざかっていく。


 彼は、ほんの一瞬だけ口角を上げた。

 その笑みは、光の消えた蝋燭の残り火のように、淡く、冷たく。


 そして再び無表情に戻ると、静かに法務官室へと歩いていった。

 廊下には、ただ時計の音だけが残された。

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