33 書棚の影にて
午後の陽はまだ高く、街の屋根を金に染めていた。
王都の目抜き通りから少し外れた小路――古書店“リヴァース&サンズ”の扉を押くと、鈴が小さく鳴る。
紙とインクの匂い。
整然と積まれた書物の山が、静かな迷路のように並んでいる。
エドガーは帽子を手に取り、いつもの棚へ向かった。
古法学書と裁定記録を扱う一角。
この時間帯は客が少なく、ほとんどの人は新聞や詩集を求めに来る。
指先で革装丁の背表紙をなぞり、ふと視線を上げる。
光の粒が、棚の向こうから差し込んでいた。
夕映えをすくったような、淡い輝き。
その中に、見慣れぬ水色が揺れた。
通路の奥、窓際の棚の前に――
一人の令嬢が立っていた。
ペールブルーのオーガンジーのドレス。
白い手袋をした指先で、一冊の詩集を摘み、そっと頁を繰る。
柔らかな布が光を透かし、金の髪が肩に流れ落ちた。
……セレーナ・ウィンダム。
エドガーは思わず目を細めた。
――令嬢が、こんな時間に、こんな場所で。
彼女は何も言わず、ただ静かに本を閉じると、顔を上げ、まっすぐこちらを見た。
青い瞳が午後の光を宿している。
その瞬間、書店のざらついた空気が少しだけ澄んだように感じた。
エドガーは本を棚に戻し、穏やかな微笑みを浮かべて軽く会釈する。
「こんにちは。これは奇遇ですね、お嬢さん」
「奇遇ではありませんわ。――作られた運命、と言えばよいかしら」
淡い笑み。涼しい声。
彼女は扇子を閉じたまま指先で軽く回し、言葉を継ぐ。
エドガーは少しだけ目を見開いた。
「あなたがこの曜日、この時間にここへいらっしゃること、存じておりましたの」
「……そうですか」
「まぁ、驚いてくださらないのね」
棚の影に光が揺れ、ドレスの裾がわずかに波打つ。
エドガーは眉をわずかに上げ、目を細めて穏やかに笑んだ。
「ふふ。驚きましたよ」
「そう」
彼女は詩集を胸の前で静かに抱いた。
「――ねぇ、モートン侯爵令息様にお会いしたいの。整えてくださる?」
光の粒が舞い落ちる。
書店の外では、夕陽が街を金色に染め始めていた。
その中で彼女だけが、ひどく静かに、そして美しく立っている。
群青の瞳と青の瞳が交わる。
「――それでは、例のカフェで」
セレーナは一度だけ目を伏せると、そのままエドガーに背を向けて去っていった。
書店の外で待っていた侍女が彼女に日傘を差す。
淡い影の中、セレーナは一度だけ振り返った。
少女のような、いたずらっ子のような笑み。
口角を少しだけ上げて微笑むと、すぐにすました表情に戻る。
エドガーは穏やかに微笑み、それを見送った。
そしてまた本棚に目を向ける。
橙の陽が、彼の手元を柔らかく染めていた。




