32 赤い髪の少女
昼下がりの柔らかな光が、修道院の中庭から廊下を照らしていた。
鐘の音が遠くで鳴り終える頃、エルザが自室で昼食を食べ終えると、扉をノックする音がした。
「はーい」
扉を開けると、サミュエル・ローク司祭が立っていた。
「エルザさん、お客様です」
「お客?」
開いた扉の向こうから、ミルクティー色の髪がふわりと揺れる。
現れたのは――アラン・モートンだった。
「え!? アラン兄ちゃん!」
エルザが駆け寄ると、サミュエルは一礼して去ろうとする。
「ありがとうございました」
アランが慌てて礼を言えば、司祭は穏やかに微笑んで、もう一度丁寧に頭を下げた後、静かに廊下の奥へと消えていった。
「エルザ、入ってもいい?」
「どうぞ!」
アランはミルクティー色の髪を小さく束ね、平民には少し上等な白いシャツを着ていた。
窓から射す昼の光が生地に反射し、彼の白い肌をいっそう儚げに見せている。
「エルザ……」
アランはそっと彼女の額に指先を触れた。
「傷が綺麗に消えてる。よかった」
人の良さがにじむ笑顔に、エルザは少しだけ複雑に笑う。
ベッドの縁に腰を下ろすと、アランも椅子を引き、彼女の前に座った。
「元気にしてた?」
「うん」
「寂しくて泣いてない?」
「泣いてないよ。ピップもいるし」
「そっか」
エルザの赤い髪は束ねられておらず、素直に背中へと流れている。
以前は荒れていた髪も、修道院での穏やかな生活のおかげで柔らかく整い、陽の光を受けて金の縁を描いていた。
彼女の大きな黒い瞳を見つめながら、アランは膝の上で指を強く組んだ。
「……エルザ。俺とアンナは、今回の件が落ち着いたら国を出るつもりなんだ」
「え? 駆け落ち!?」
「あぁ……まぁ、そんなものかもな。
それで、よかったら君も一緒に来ないか?」
エルザは眉を寄せ、アランの瞳をじっと見つめる。
「モートンの娘かもしれない――その疑いは、この先も君の人生に影を落とすかもしれない。
だから、新しい国、新しい場所で……一緒に生き直さないか?」
エルザは小さく息を吐き、苦く笑った。
まだ子どもなのに、どこか大人びた、諦めを含んだその表情に、アランの胸が締めつけられる。
「私、邪魔でしょ」
「邪魔なわけないじゃないか。
エルザ……俺の妹にならないか。アンナも、ぜひ君を連れていきたいと言ってる」
「でも……」
アランはエルザの手を取り、両手で包み込んだ。
まるで壊れ物を扱うように、丁寧に。
「パン屋のメアリーさんには事情を全部話してある。
しばらくは休みを多めにくれるってさ。
だから、またすぐに会いに来る。……いっぱい話そう、エルザ」
エルザは視線を落としたまま黙っていた。
不安になったアランが、きゅっと手に力を込める。
「……迷惑だったかな」
エルザが小さく首を振ると、赤い髪がさらりと揺れた。
「迷惑じゃないよ。アラン兄ちゃんは、よくパンをくれたし、助けてくれたし、優しいし……好き。アンナさんも大好き。
でも、すぐには決められない。母さんのこともあるし」
アランは苦く笑い、頷いた。
「そうだよな。俺がちょっと急ぎすぎた。……また来るよ」
窓の外では、陽が傾き始めていた。
淡い光が二人の手を照らし、その影をゆっくりと重ねていく。




