30 黄金の部屋にて
陽の光を正面から受ける大窓には、厚手の深緑のベルベットのカーテン。
その光が、ウィンダム侯爵家当主チャールズ・ウィンダムと、その娘セレーナの影を淡く床に落としていた。
チャールズは執務机の奥に座り、背後からの陽光がその肩を照らす。
一方、セレーナは机の前の客用椅子に静かに腰を下ろしていた。
黒檀に金縁をあしらった大型の執務机の上には、古い真鍮のスタンドランプと黒いインク壺、羽根ペン。
――どれも使い込まれているのに、ひとつの埃もない。
棚の一角には王家主催の晩餐会で贈られた金の杯、外交儀礼で得た翡翠の小像。
品は多くないが、そのどれもが“選ばれた本物”だった。
陽光が部屋を黄金色に染め、二人の間に沈黙が満ちる。
「お父様。法務官のレイブンズ様にお会いしましたわ」
チャールズは机を軽く指で叩いた。
「――それで、彼は何と言った?」
「“モートン家の橋はすでに堀に落ちている。あとは火を射るだけ”と」
セレーナは父を見ず、壁に掛けられた先代侯爵の肖像画を見上げた。
その冷ややかな視線は、彼女によく似ている。
チャールズは低く笑った。
「ははは……思っていたよりもあの家は脆かったか。いや、相手が悪かったな。
あのレイブンズという男、裁定院の中でも有数のやり手と聞く」
金の髪が陽を弾き、彼の笑みが深まる。
「……お前は、どうしたい」
「わたくしはウィンダム家の娘です」
当主は満足げに頷いた。
「分かった。モートン家を切ろう。もはや足手まといだ」
セレーナは、まっすぐに父を見た。
「ですが、一つだけ――ウィンダム家当主のお力をお借りしたいのです」
チャールズは肘をつき、顎に手を添える。
口角が、愉快そうにわずかに上がった。
「……レイブンズがそう言ったか」
「はい」
「良かろう。潮流が変わったのなら、我がウィンダム家はその流れに乗るまで。
――健気に、法務官殿の指示に従おうではないか」
当主が足を組み替えると、ほのかに煙草の香りが舞った。
古書と革の匂いに混ざり、黄金の部屋に静かに溶けていく。
「お父様なら、そう言うと思いましたわ」
「貴族とは、そういうものだ」
◇◇◇
「お、また悪い顔してるな」
ノックもなく扉が開く。
法務官室で一通の手紙を読んでいたエドガーが顔を上げると、ルシアンが金の髪に霧の露をつけたまま、無造作に入ってきた。
手紙を丁寧に畳んで引き出しにしまうと、エドガーは立ち上がり、無言で手を差し出す。ルシアンはそこに調査書類をのせた。
「進展は?」
「なし。淡々と監視を続けている。定期報告にすぎない」
エドガーは素早く書類の文字に目を走らせ、それも鍵付きの引き出しにしまうと、静かに言った。
「すまないが、僕は少し出てくるよ」
フロックコートを羽織り、杖を取る。
ルシアンは片眉を上げて笑った。
「デートか? 花束を忘れるなよ」
エドガーは小さく肩をすくめ、口角をわずかに上げる。
「抜かりはないさ。特別なものを用意してある」
軽く手を振って、ダークブルーのコートの裾を翻し、部屋を出ていく。
「……うちの獅子は、動き出すと怖い」
ルシアンはそう呟いて窓の外を見た。
オルドンの霧に、黒髪の男の靴音が遠ざかり、やがて消えていく。
革の書類鞄を抱え、ルシアンもまた、霧の中に帰っていった。




