26 閑話 ― 霧の街の休日 ―
「あら? ……あぁ、そうだったわ」
休日の朝。
マッケンジー夫人の小さなつぶやきに、エドガーは目を覚ました。
目をこすりながらベッドから身を起こす。
「……マッケンジー夫人、おはようございます」
「レイブンズさん、おはようございます。起こしてしまったかしら」
夫人はいつものように穏やかに笑い、盆を手にしていた。
エドガーの休日の朝は遅い。普段なら、この時間に彼の朝食はまだ用意されない。
「……ピップの分ですか?」
「そうなの。いつも休日はここにいるでしょう? うっかりして彼の分まで用意してしまったの。
……ピップはまだ修道院よね」
「ええ、そうです」
エドガーはベッドの縁に腰を下ろし、ぼんやりと窓を見上げた。
夫人がカーテンをめくり、窓を開けると、霧の中に淡い朝の光が散った。
初夏の湿った香りが部屋の中に流れ込む。
夫人が掃除をしている様子を眺めていると、ふっと笑い声がした。
「相変わらず散らかった部屋ね」
「そうですか?」
「ピップがいないと、散らかるのよ」
「……はい」
夫人は苦笑して、盆を机に置いた。
ついでに机の上の紙束を軽く整える。
「せっかくだから召し上がってくださいな。ミルクにはハチミツを入れてしまったの。レイブンズさんは甘いものがお好きじゃなかったわよね?」
「あ……いえ。今日は、それをいただきます」
「あら、そう?」
「はい」
エドガーが穏やかに笑うと、夫人はほっとしたように息を吐いた。
「ピップがいないと、静かね」
「はい」
外を馬車が通り過ぎ、石畳の音が遠くに響いた。
「ピップがいないと……少し寂しいわね」
「はい……」
二人はしばらく黙って、窓の外を見ていた。
霧の向こうで、教会の鐘が小さく鳴っている。
その時、扉がガチャリと音を立てて開いた。
「おはよう、エドガー」
ズカズカと入ってきたルシアンを見て、夫人は目を見開いた。
まだ寝起きのエドガーは、ゆっくりと彼の方へ視線を向ける。
「ちょっと! ルシアンさん!」
「マッケンジー夫人、おはようございます」
「あなたね、人の部屋に入る時はノックをするのよ! まったくお行儀が悪い!」
「え……あ、はい。すみません」
たじたじになるルシアンを見て、エドガーは小さく笑った。
「まったくもう。レイブンズさんの周りの人は、賑やかな人ばかりね!」
「マッケンジー夫人も、その一人ですよ」
「あら、レイブンズさん、言うじゃないの」
夫人が声を上げて笑うと、エドガーも笑い、ルシアンは苦笑した。
――ピップは、今頃何をしているだろう。
エドガーは、ぼんやりと霧の街オルドンの空を見上げた。
灰色の光が、静かな部屋を淡く包んでいた。




