24 霧の午後、白い月の夜
午後の陽が、白いレースのカーテン越しに柔らかく差していた。
セント・アシュウェル修道院の図書館は、礼拝堂に隣接した小さな書庫だ。
古びた机と本棚の間に、煉瓦の香りと紙の匂いが漂う。
外からは、鐘楼の影がゆらゆらと差し込んでいた。
窓辺の机で、ピップとエルザが並んで座っている。
机の上には、紙とペンとインク壺。
ピップはゆっくりとペンを取り、優しく声をかけた。
「これで、“エルザ”って読むんだ。書いてみよう?」
「うん」
エ・ル・ザ。
緊張した面持ちで書き終えた文字を、エルザが見つめる。
「……変じゃない?」
「上手だよ」
「そう?」
ピップが笑うと、エルザは頬をかいて照れた。
通りがかったシスターがその様子を見て、口元に静かな笑みを浮かべた。
穏やかな午後。
外の霧は薄れ、鳥の声が遠くで響いている。
エルザがインクを拭きながら呟いた。
「……エドガーさんて、少し怖い人だよね」
「サーが? あんなに穏やかで優しい人を、俺は他に知らないよ」
「それは、あんたが優秀だからよ」
ピップは言葉に詰まった。
「……」
「でも顔がいい」
「え? またそれ?」
「顔が良ければ、性格が悪くても怖くても許されるのよ。女の常識」
「……へぇ」
ピップが目を瞬かせる。
エルザはペンを回しながら、ふっと小さく笑った。
「バカみたいでしょ?」
「え?」
「……なんでもない。ねえ、“ピップ”ってどうやって書くの?」
「うん、ええとね……」
インクのかすかな香り。
ページをめくる音。
静かな時間が流れ、光が少しずつ傾いていった。
◇◇◇
夜。
白い月が霧にぼやけ、窓の外は淡い光に包まれていた。
エルザはベッドの上で寝返りを打ち、静まり返った部屋の天井を見つめる。
静かすぎる。
時計もなく、母の怒鳴り声も、下町のざわめきも聞こえない。
瞼を閉じると、あのときの感覚が蘇った。
腕を掴まれたときの、乱暴な指の圧。
腰に食い込んだ手の熱。
呼吸が荒くなり、喉が苦しくなる。
耐えきれず、エルザはベッドを降りた。
裸足の足音を忍ばせて、隣の部屋の前まで行く。
小さく拳を握り、扉を叩いた。
――こんこん。
中から布の擦れる音がして、戸が開いた。
「……エルザ、どうしたの? 眠れないの?」
「うん。部屋に入れて」
「え?」
戸惑うピップの前を、エルザはずかずかと通り抜けて中へ入った。
部屋の隅の椅子に腰を下ろすと、膝を抱えて小さく丸まる。
ピップは寝間着のまま立ち尽くし、息を呑んだ。
「……どうしたの?」
「なんでもない。ただ、静かすぎて。……怖くなっただけ」
エルザは顔を上げないまま答える。
霧の向こうで、鐘がひとつだけ鳴った。
ピップはそっと窓を閉め、ランプを灯した。
柔らかい橙の光が、二人を包む。




