21 出立の朝
初夏の陽が、鉄と硝子でできた巨大なアーチ天井を透かしていた。
オルドン中央駅。
白い蒸気と人々のざわめきが混じり合い、遠くで汽笛が響く。
旅の帽子を被った婦人たち、書類を抱えた商人、行商の少年――
誰もがそれぞれの目的を胸に、光る石畳を行き交っていた。
エドガー・レイブンズは、駅構内の喫茶室の隅に座っていた。
丸い真鍮のテーブルには紅茶と新聞。
壁際の時計の針は、九時を少し過ぎている。
人の流れを遮らず全体を見渡せるその席で、彼は穏やかに時を待っていた。
硝子越しに差し込む光が、群青の瞳を淡く照らす。
通り過ぎる蒸気の白が一瞬、その横顔を包み、また消えていった。
紅茶を一口、静かに含む。
それは裁定院での厳しい朝とは違う、少しだけ柔らかな表情だった。
ほどなくして、喫茶室の扉が開く。
鈴の音が軽やかに響いた。
入ってきたのはピップ――そして、その後ろに、淡い灰青のワンピースに身を包んだ少女が立っていた。
まだ靴の革が固いのか、ぎこちなく歩いている。
けれど、目だけはまっすぐにエドガーを見ていた。
エドガーは微笑み、椅子を引いた。
「おはよう、二人とも。間に合ったね」
ピップとエルザはエドガーの前に並んで座る。
ピップはにこにこと笑い、エルザは緊張で顔をこわばらせていた。
ピップは兼ねてからのエルザの知り合いということで、彼は世話係として同行する予定だ。
「サー、おはようございます」
「……おはようございます」
エルザはエドガーと目が合うと、頬を染めて視線を逸らす。
「エルザ、会うのは初めてだね」
「……はい。服も靴も、いろいろとありがとうございます」
「とても似合ってる。エルザは素敵なレディだ。その服にしてよかった」
エドガーが目を細めて微笑むと、エルザの顔は真っ赤に染まり、ピップの肩を叩いた。
「痛いよ、何?」
エルザは声を潜めて、ピップにだけ聞こえるように囁く。
「かっこよすぎない!?」
「えっ!?」
ピップはちらとエドガーを見た。確かに街の人々が、彼の容姿を褒めていたのを思い出す。
「アラン兄ちゃんも綺麗な顔だったと思うけど?」
「でもアラン兄ちゃんは、ちょっとぼんやりしてるじゃない」
「単純にエルザの好みだろ? 一緒に旅できて良かったな」
エルザはもう一度、ピップの肩を強く叩いた。
「痛いって!」
エドガーは、そんな二人を微笑ましく眺めていた。
あらかじめ注文していた紅茶と菓子が、給仕の青年によって二人の前に並べられる。
それは貧民街の子どもであるエルザにとって、初めて見るようなご馳走だった。
「どうぞ召し上がれ」
エルザは皿に乗ったパイと、ピップとエドガーを交互に見比べた。
エドガーが小さく頷くと、彼女は恐る恐るフォークを手に取り、隣のピップを真似しながら一生懸命食べ始める。
黒い瞳に、じわりと涙が溜まっていった。
「美味しいかい?」
エドガーが優しく尋ねると、エルザは小さく頷いた。
黙々と食べる二人を横目に、エドガーは窓の外へ視線を移す。
黒い機関車が蒸気を吐き、白煙が陽の光を受けて淡く揺れていた。
旅支度の人々が行き交い、駅員の笛が遠くで鳴る。
その光景を眺めながら、彼は静かに紅茶を口に運んだ。
やがて食事を終え、三人はホームへ向かう。
ピップがエルザの手を引き、エドガーが彼女の背をそっと支えた。
ピップもエルザも、汽車に乗るのは初めてだった。
座席に着くと、二人はそっと手で布張りの椅子を撫でた。
エドガーが窓を開けてやると、二人は身を乗り出すように外を見つめる。
汽車が走り出した。
騒がないように気をつけているが、二人とも声にならない声を漏らしている。
エドガーはその健気さに、思わず笑みをこぼした。
やがて霧の街を離れ、車窓の外に緑が広がる。
街が見えなくなると、エルザはピップの手を取った。
少し震えるその手を、ピップは反対の手で軽く叩いた。
「大丈夫」
「あの街を離れるのは、初めてなの」
「俺だってそうだよ」
「初めてって、怖い」
「うん。でもきっと大丈夫さ」
エドガーは読んでいた本から顔を上げ、二人を眺めた。
何も言わず、少しだけ笑って、また本へ視線を落とす。
手を取り合う二人の瞳には、不安だけでなく、それを乗り越えようとする強さと、未来への小さな期待が星のように瞬いていた。




