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2 裁定院の沈黙

 エドガーは青のウェストコートのポケットから金の懐中時計を取り出した。

 金鎖が静まり返った聴取室の中で、しゃらりと小さく鳴る。


 法務官席の机を指先で一度だけ軽く叩く。

 群青の瞳で室内を見渡すと、薄いカーテンを閉ざした部屋の奥で書記官が壁に向かい、書類と筆を整えて待機していた。

 予備の机や椅子も整然と並び、部屋の中央には磨き上げられた貴族用の椅子が一脚だけ。


 指定の時刻はとうに過ぎていたが、貴族相手ではよくあることだ。

 エドガーは小さく息を吐き、慣れた手つきで事前調査書類に目を落とした。


 やがて扉が開く。


「お待たせしてしまいましたかな」


 エドガーは静かに立ち上がる。

 チャールズ・ウィンダム侯爵――仕立ての良いグレーのツイードのウェストコートに身を包み、金の髪を丁寧に撫でつけた男が、杖を軽く突きながら入室した。

 いかにも貴族然としたその姿は、柔らかな微笑みとともに、部屋の空気まで自分のものにしていくようだった。


「お待ちしておりました。どうぞお掛けください」


 エドガーの手の合図に従い、チャールズはゆったりと腰を下ろす。

 従者は扉の脇で控え、後ろから現れたセレーナ・ウィンダム侯爵令嬢が父の背後に静かに立った。

 金の髪を半ば結い上げ、水色のドレスの裾が床をかすめる。

 彼女は一礼し、それきり表情を変えなかった。


「チャールズ・ウィンダムだ。よろしく頼むよ、法務官殿」


「はい。担当させていただきます、エドガー・レイブンズです」


 エドガーは対面の席に腰を下ろす。

 薄い霧のような静寂の中、時計の針が一度だけ音を立てた。


「ご存じの通り、裁定院は貴族間の契約・紛争を裁定・調停いたします。

 まずは証拠と証言を整理させていただきたい。お時間を頂戴しますが、よろしいですね」


「もちろんだ」


「では――この度の訴え、“公の場における名誉の侵害”および“婚約関係の不当な破棄”について、被申立人に何を求められますか?」


 ウィンダムは杖に両手を重ね、群青の瞳を真っすぐ見据えた。

 その口元に、薄い笑みが浮かぶ。


「名誉の回復などという言葉は、もはや空疎だが……これは教育の問題だよ、法務官殿」


 エドガーは無言で頷き、続きを促す。


「誠意を見せてくれればそれで良い。

 アラン殿も若い。だが、やっていいことと悪いことの区別は、教えておかねばならない」


「承知しました」


 エドガーは静かに返し、背後に控えるセレーナへと一瞬だけ視線を移した。

 彼女はその意図を察したように、微かに顎を引き、青い瞳でまっすぐ見返してくる。

 言葉はない。だが、その沈黙には意志があった。


 その後、いくつかの質疑応答をし、エドガーは静かに告げた。

「被申立人との聴取を終え次第、正式な審議に入ります。

 本日はこれまでといたします。お時間をいただき、ありがとうございました。

 おってこちらからご連絡を差し上げます」


 エドガーが立ち上がって扉に向かうと、チャールズも悠然と立ち上がり、従者を従えて部屋を出た。

 その直前、セレーナが一歩だけ立ち止まり、法務官の前に向き直る。


「レイブンズ法務官殿……どうか、貴方にお任せしますわね」


「はい」


 穏やかに微笑んで応じると、セレーナはわずかに口元を緩め、父の後を追って去っていった。


 聴取室に再び静寂が満ちる。

 書記官のペン先が紙を滑る音が、淡く響いた。


 エドガーは小さく息を吐き、書類を脇に抱える。

 群青の瞳に、霧の朝の光が揺れた。


「午後はモートン家です。準備を」


「かしこまりました、法務官殿」


 書記官が一礼する。

 裁定院の一日は、静かに、しかし確実に動き出していた。

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