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13 名もなき救い

「アラン兄ちゃん!!」

「エルザ!?」


 路地裏に響いた声と同時に、アラン・モートンは霧の中を駆け込んできた。

 エルザを担いでいた男の腕を、パン屋の厨房から持ち出した麺棒で思い切り殴りつける。

 鈍い音。男がよろめいた。


 だが、もう一人の従者が背後からアランの服を掴み、力任せに横へ投げ飛ばす。

 石畳に叩きつけられた衝撃が骨まで響く。


「その子を離せ!」

 喉の奥から絞り出すような声。

 アランは腕や脚を擦りむきながらも、ふらつく足で立ち上がった。


 男が鼻で笑い、エルザを後ろに放り投げる。

 次の瞬間、アランの胸ぐらを掴み、間を置かず拳を振り下ろした。

「兄ちゃん!」


「おや?」

 奥から悠々と歩いてくるのは、シルクハットの男。

 光沢のある靴が霧の水膜を踏みしだき、冷たい音を立てた。

 彼は倒れたアランの髪を掴み、顔を無理やり上げさせる。


「君は……モートンの倅か?」

「モートンなんか知らない!」


 アランは男の手を叩き落とし、転がりながら立ち上がってエルザへ駆け寄ろうとした。

 しかし従者の蹴りが腹にめり込み、息を詰まらせて再び地面に崩れる。


「そんな汚らしい格好で……まさか娼館帰りか?」

 貴族の男が冷笑を浮かべ、手を払うようにして言った。

「好きにしていい」


 従者二人が一斉に動いた。

 アランは押し倒され、容赦なく蹴りつけられる。


「やめてよ!!」

 エルザが泣きながら二人を引き剥がそうとするが、手を振り払われ、そのまま地面に転がる。


 血と泥の匂い。霧の冷たさが肌に刺さる。


「貴様ら、何をしている!」


 鋭い声が響いた。

 石畳を蹴る足音が近づく。


「特別調査官だ!!」


 ルシアンの声。黒い外套がはためき、霧の中にオリーブグリーンの制服が覗く。

 従者たちは顔色を変え、互いに目を見合わせると、音も立てずに逃げ出した。

 シルクハットの男も、霧に溶けるように姿を消す。


 残されたのは、血をにじませながらうずくまるアランと、泣きじゃくるエルザ。


 ルシアンは駆け寄った。

 だがアランはふらつく体を支えながら、まずエルザに向かって膝をついた。


「……エルザ、怪我は?」

 掠れた声。震える手で、彼女の両手に触れる。

 エルザは涙に濡れた顔を上げ、首を横に振った。


「擦り傷だけだよ……。アラン兄ちゃんの方が酷い」


 アランの顔は血と埃にまみれ、頬も目元も腫れ上がっている。

 鼻血が止まらず、額から垂れる血が目に入り、まともに見えていない。

 服は破れ、指も震えていた。


「おい……大丈夫か?」

 ルシアンが膝をつき、その顔を覗き込む。

 その痛ましさに眉を寄せた。


「お前の家、すぐ近くだったな。手当てしよう。行けるか?」

 アランは首を振った。乱れたミルクティー色の髪が解け、肩に落ちる。


「まだ仕事中なんだ。戻らなくちゃ……」

「そんな状態で働けるか。メアリーさんのパン屋だろ。俺が説明してくる。

 お前は家に帰れ。――エルザ、ついててやってくれるか? お前の手当てもする」


 エルザは小さく頷いた。

 アランはルシアンに支えられ、ゆっくりと立ち上がる。

 骨折はないようだが、足取りはおぼつかない。


 エルザがその腕を取る。

 小さな肩に彼の体重を預けながら、二人は霧の向こうへと歩き出した。


 ルシアンはその背を見送り、深く息を吐いた。

 腸が煮えくり返るほどの怒りが、胸の奥でじりじりと燃え続けている。


 ――貴族が、子どもに手を上げた。


 拳を握り、石畳を蹴って駆け出す。

 霧が、彼の足跡をすぐに飲み込んでいった。

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