第4話『哭き女狩り』
泣くことが、罪になった。
“哭き女狩り”――
朝廷の布告により、哭く者は祈りを禁じられ、涙は「穢れ」として焼かれるようになった。
それでも哭き女・沙耶は歩き続ける。涙が人を救い、魂を鎮めると信じて。
だが、その涙はいつしか“国を揺るがす力”と呼ばれ始めていた。
第4話『哭き女狩り』では、祈りが罪とされる時代の中で、沙耶が“哭く意味”を試される。
焼かれた祈り、消された歌、奪われた涙。それでも沙耶は、炎の中で哭く。
それは、誰かのためではなく――
自分がまだ人であることを確かめるために。
涙が消える夜、風は哭き、祈りは蘇る。そして国は、ひとりの哭き女に震え始める。
風が変わった。
春の気配を運ぶはずの風が、冷たく、刃のようだった。
峠を下りた沙耶は、集落の入口で足を止めた。
壁に、何枚もの布告が打ちつけられている。
墨で太く書かれた文字が、風に揺れてははためく。
「哭き女を禁ず。哭く者、祈る者、神を穢す者は斬る。」
沙耶の胸が、ぎゅっと締めつけられた。
「……穢す、ですって?」
鹿音が隣で低く唸った。
「都からの勅命だ。“哭き女狩り”が始まった。」
「泣くことまで、罪にするなんて……」
「涙が真実を映すようになった。
支配者にとって、それは神を脅かす力だ。」
沙耶は顔を上げ、曇天の空を見つめる。
(神が怖いのではなく、人が怖がっている――)
その時、遠くの山から“哭くような鐘の音”が響いた。
風が鳴っていた。まるでこの国全体が、泣いているように。
その夜、小さな村に入った沙耶たちは、異様な光景を見た。
広場の中央に積まれた灰の山。その中には、黒焦げの仮面があった。
「……これは、哭き女の面?」
村人が恐怖を押し殺して答える。
「……あの方は“祟り”を起こしたのです。夜に泣き、火が起こり、子が死にました……。だから、焼かねばならなかったのです」
沙耶は灰の中に膝をつく。指先に触れたのは、まだ温もりを残す灰。
『泣かせて……まだ……逝けない……』
かすかな声が耳に届いた。死者の哭き女の魂が、まだこの世に留まっている。
鹿音が背を向け、低く言う。
「哭き女の力を恐れたのは、村ではなく“都”だ。泣くことが人を動かすと知った者が、恐怖を広めている。」
沙耶は拳を握った。
「泣いたら、殺される。でも――泣かないで、どうやって救えばいいの?」
火の粉が風に舞い上がる。それは、焼かれた哭き女たちの祈りのように見えた。
夜の森で沙耶と鹿音は、都の追っ手から逃れていた。
山道を駆け抜け、月明かりの中を息を潜める。
鹿音が言う。
「哭き女・沙耶――お前は今、“祟りの象徴”として追われている。」
「私が……祟り?」
「哭きで死者を呼び戻す。その力を“神への反逆”とみなしたのだ。朝廷は哭き女をすべて処刑するつもりだ。」
沙耶の目が揺れる。
「死者の声を聴いただけなのに……真実を知ろうとしただけなのに……」
鹿音は黙っていた。風が吹く。
林の奥に、哭き女の墓があった。だが、その墓は――掘り返されていた。
「……骨まで奪って……」
『泣いて……私たちを……忘れないで……』
風が囁く。沙耶の目に涙が滲む。
だが泣けば、哭きの音が風に乗り、位置が知られる。
(泣けない……今、泣いたら皆が死ぬ)
唇を噛み、涙を飲み込んだ。その苦さが、胸に刺さった。
夜明け前、沙耶は捕らえられ、村の広場に引きずり出された。
縄で縛られた腕。焚刑台。
周囲を囲む村人たちは、恐怖と混乱の目で見つめている。
「哭き女が祟りを招いた! 焼け!」
誰かが叫ぶ。火が灯される。
鹿音は捕縛され、離れた場所で見ていることしかできない。
「沙耶! 耐えろ! 泣くな!」
沙耶は炎を見つめた。
「……あなたたちが恐れているのは祟りじゃない。“真実を知ること”なのよ。」
炎が迫る。頬が焼ける。涙がにじむ。
『……泣かないで……泣いたら、消えてしまう……』
過去に救った死者たちの声が聞こえる。だが、次の瞬間――
天から一滴の雨が落ちた。
それは、沙耶の涙だった。火がしゅうっと音を立てて消える。
炎が沈み、煙が消える。村人たちが叫んだ。
「……泣いたら、火が……止まった……!」
雨が強くなる。泣けば泣くほど、火が消えていく。
沙耶は震える声で呟いた。
「……涙が、火を鎮める……?」
鹿音の目が見開かれる。
「哭きの涙――浄火の術。お前は神を越え始めている。」
都の兵が駆けつけた。甲冑の音、火槍の光。
「哭き女・沙耶! 天命を穢す罪で捕縛する!」
沙耶は涙に濡れた顔で彼らを見つめる。
「穢したのは私ではない。死者を利用し、祈りを奪ったあなたたちです。」
兵たちは進む。鹿音が印を切り、結界を張った。
「時間を稼ぐ! 逃げろ、沙耶!」
「……逃げない」
沙耶は立ち上がり、鈴を鳴らした。哭きの声が、夜を裂いた。
「あああぁぁぁぁ――!」
風が巻き起こり、兵の灯が一斉に消える。地が震え、光が弾ける。
『……泣くな……もういい……』
過去に鎮めた魂たちの声が、空から降る。彼らが沙耶を包み込むように光となる。
「……みんな、ありがとう……でも、私はまだ哭くわ」
涙が頬を伝い、地に落ちた瞬間、光が爆ぜ、村全体を覆った。
兵たちは恐怖に逃げ、村人たちは地に伏した。そして夜が、静かに明けた。
朝の光が差す。沙耶は灰色の村を振り返った。
鹿音が隣で息をつく。
「……もうここにはいられない。哭き女は“国敵”だ。」
沙耶は頷いた。
「泣くことが罪なら、その罪を抱えて生きる。」
「お前の涙は、もはや神をも動かす。次に哭けば、国が揺らぐだろう。」
沙耶は小さく笑った。
「それでも哭くわ。死者がまだ泣いているから。」
風が吹き、頬の涙をさらう。それは冷たくも、優しい風だった。
夜の都。玉座の間に、黒衣の男が立っていた。
「哭き女・沙耶、逃亡。哭き女狩りは失敗しました。」
報告を受けた男は、机の上の札を指でなぞる。
札には“沙耶”と刻まれ、その裏に哭き女の紋が彫られていた。
「……“涙の巫女”が目覚めたか。」
彼の目がわずかに笑う。
「捕らえろ。哭く女が、国を滅ぼす前に。」
風が吹き抜け、灯が揺れる。
まるで、遠くで哭き女の鈴が鳴いたようだった。
お読みいただき、ありがとうございます。
第4話『哭き女狩り』は、シリーズ前半の転換点として書かれた章です。
これまで死者を鎮めてきた沙耶が、今度は“生者”に裁かれる。
彼女の涙は癒しではなく、真実を暴く刃となり、ついに“国家にとって危険な存在”とされました。
祈りとは何か。
涙とは誰のために流れるものか。
この物語の沙耶は、その答えを外ではなく、“炎の中”で見つけようとしています。
泣くことは弱さではない。泣くことを禁じる社会こそが、
最も恐ろしい“祟り”を生む――。
この章で生まれた「火を鎮める涙」は、沙耶の中に眠る“真なる哭き女の力”の覚醒でもあります。
彼女の涙は、祈りを超え、神をも揺るがす力へと変わりつつある。
次回、第5話『冥き海のほとり』。
沙耶の涙は、ついに“黄泉”へ届く。
生者と死者の境で、彼女は初めて「自らの祈り」と向き合うことになる。
――泣くことを奪われた時代に、それでも涙を流す女がいた。
その涙こそ、この国が忘れた“真の神”だったのかもしれない。




