第3話『骨占の祭』
北の山に沈む村――骨占。
そこでは、人の骨を割り、火に投じて未来を占うという。
死者の声を「神託」と呼び、骨の形を「予言」と崇める。
だが、哭き女・沙耶は感じていた。
その骨の一つひとつに、まだ“生きたい”と願う声が宿っていることを。
第3話『骨占の祭』では、
“死者を使う者”と“死者を鎮める者”――
二つの祈りが衝突する。
涙が鎮魂をもたらすのか、
それとも、封印を破るのか。
祈りと信仰の境界が崩れるとき、
沙耶の涙は初めて「記憶」を呼び覚ます。
そして彼女は知る。
“哭くこと”は、終わりではなく、
“忘れられた魂を再び生かすこと”なのだと。
骨の鳴る夜、風が哭き、涙が光る。
それは、死者と生者の境をつなぐ――
一筋の祈りの物語。
北の山を抜けると、風が変わった。
冷たく乾いた風が、沙耶の頬を撫でる。
空には灰色の雲。
地には、白く細かい粒――骨を砕いた灰が降っていた。
「……ここが、骨占の村」
呟いた沙耶の声が霧に溶ける。
足元には、白い粉を混ぜた道。
その粉が陽の光を受けて、まるで雪のように輝いていた。
「この村は“死を見通す”と言われている」
鹿音の声が背後から響く。
陰陽師の男は、いつもと違い、表情が硬い。
「骨で未来を占う……それが“骨占”の所以だ」
沙耶は眉をひそめた。
「……未来を、死者に頼るの?」
鹿音は短く笑った。
「人は皆、未来が怖い。
だから、死者を縛りつけて“未来”を見ようとするのさ。」
村の入口には札が立っていた。
墨で書かれた言葉が、風に揺れる。
――『死者は語る、骨は嘘をつかぬ』
(……骨が語る? なら、生きてる者は何を隠してるの?)
沙耶の胸に、冷たい疑念が落ちた。
村の中心には大きな祭壇があった。
炎の中で骨が割られ、灰が舞う。
人々はその骨の形、割れ目の向きを見ては「未来」を占っている。
「哭き女様、ようこそ」
現れたのは村長の忌代。
白装束に身を包み、笑顔を浮かべていた。
「あなたの涙で、この村の死者を鎮めてほしい」
沙耶は静かに頷いたが、胸の奥がざらついた。
祭壇の傍に置かれた“供物の骨壺”の中で、
何かがかすかに“呻いている”ように聞こえたのだ。
夜、火を囲む人々の会話が耳に届く。
「骨が笑った夜は雨が降る」
「骨が鳴いたら、子が死ぬ」
「骨を割る音は、神の呼吸」
彼らは笑っている。
だが、火の奥で、確かに呻き声がした。
沙耶の胸が締め付けられる。
(……この村では、死者が“材料”になってる……)
翌朝。
沙耶は祈祷場の裏に立つ古びた祠を見つけた。
誰も近づかないようで、扉は封じられている。
その壁一面に――白骨が埋め込まれていた。
「これは……何?」
背後から声がした。
「昔の供養場さ」
鹿音が言う。
「村の“初代占師”たちは、死者の骨を神体にしていた。
今は禁忌だが、誰も壊せぬまま放置されたんだ」
沙耶はその骨に手を伸ばした。
冷たい感触――だが次の瞬間、視界が白く弾けた。
*
血の匂い。炎の色。
女が祈りながら、骨を砕かれている。
『未来を、見せてください……!』
『それがあなたの役目です、哭き女――』
沙耶は息を呑んだ。
(……この村、哭き女を占いに使っていた?)
視界が戻ると、骨の奥から声がした。
『……かえして……わたしの骨を……』
沙耶の手が震える。
涙が一滴、骨に落ちた。
すると微かに、光が走った。
夜。
寝床の外で、風鈴が鳴る。
沙耶が目を開けると、闇の中に小さな影が立っていた。
白い着物。黒い髪。
腕は骨のように細く、透けている。
『……返して……あの人に……私の声を……』
「あなたは……誰?」
『……忌代の……娘……』
沙耶の心臓が跳ねた。
村長の娘――その名は、咲。
彼女は三年前、疫病で死んだと聞いていた。
『……父は……私の骨を……占いに使ってる……
“未来を読む”ために……ずっと、火にくべて……』
沙耶は絶句した。
(自分の娘の魂を、道具に……?)
咲の影は微笑んだ。
『……泣いて……哭き女……泣くとき、私を見て……』
沙耶の瞳に光が宿る。
涙が一筋、頬を伝い、空気が震えた。
咲の姿が炎のように揺らぎ、消えた。
翌晩。
祠の前に村人たちが集められた。
忌代は高台に立ち、叫ぶ。
「この村は骨により導かれる!
神は我らの中にあり、未来は死者の声から授かる!」
その声を遮るように、沙耶が歩み出る。
白衣の裾が風に舞い、鈴が鳴る。
「それは導きではなく――囚われです」
忌代が怒りの声を上げた。
「哭き女ごときが、神を語るな!」
沙耶は骨壺を抱き、静かに膝をつく。
涙がこぼれ、骨に落ちた。
その瞬間、骨が鳴った。
「カラ……カラ……」
風が巻き起こり、祠の扉が破れる。
中から白い骨が一斉に浮かび上がる。
『……未来なんて、見なくていい……
生きて、笑って……』
咲の声だった。
骨が光り、村人たちの目に涙が滲む。
祠が崩れ、骨は光の粒となって空へ。
忌代は膝をつき、呟いた。
「……咲……私は……何をしてきたのだ……」
沙耶は涙を拭わずに言った。
「死者を利用した者は、未来を失います。
未来は、生きる者が作るものです」
風が静まり、骨の粉が雪のように舞った。
翌朝。
村は一夜にして白く覆われていた。
それは雪ではなく、祠の崩れた灰。
村人たちは黙って空を見上げていた。
誰もが“未来”を見ることをやめ、
ただ“今”を見つめているようだった。
鹿音が沙耶の横に立つ。
「お前の涙は、記憶を呼び起こす。
死者だけでなく、生者までも目覚めさせる」
沙耶は呟く。
「涙は、鎮めるためにあると思っていたけど……
今はわからない。赦すためなのか、暴くためなのか。」
鹿音は微笑む。
「それを知るために、お前は哭くんだろう」
沙耶も笑みを返す。
「ええ。まだ、泣けるうちはね」
風が吹き、灰の雪が舞う。
それはまるで、骨が静かに眠りにつく合図のようだった。
骨占の里を離れた峠の上で、沙耶は立ち止まった。
雪に埋もれた地から、細い草が一本伸びている。
まるで白い骨のような草。
「……人は、何をもって未来と呼ぶのかしら」
遠くで雷鳴が轟く。
鹿音が空を見上げた。
「都が騒がしい。哭き女を“穢れ”とする噂が立っている」
沙耶は静かに目を閉じた。
「……また、泣く理由が増えたわね」
風が吹く。鈴が鳴る。
沙耶の涙が頬を滑り、白い雪に落ちた。
その瞬間――雪の下で、かすかに鈴の音が応えた気がした。
――泣くことは、終わりではない。
それは、記憶を呼び覚ます始まり。
霧の彼方へ、哭き女は歩き出した。
涙を携え、祈りを背に。
お読みいただき、ありがとうございます。
第3話『骨占の祭』では、
「死者を利用する信仰」と「涙が映す記憶」を描きました。
人はなぜ、未来を知りたがるのか。
それは、恐れるから。
そして――恐れを“信仰”の名で飾るから。
骨占の村人たちは、死者を“未来を知るための道具”として使い、
生きる者が死者を支配するという歪んだ祈りを続けていました。
けれど、沙耶の涙はその祈りを壊し、
骨に宿った“少女の記憶”を呼び覚まします。
その瞬間、死者はようやく“生”を取り戻した。
祈りとは、鎮めることではなく、
赦し、思い出すこと――。
今回、沙耶の涙は「記憶を映す」新たな力を見せました。
死者だけでなく、生者の“罪と過去”にも届く涙。
それはやがて、権力にとって恐ろしい存在となっていきます。
次回、第4話『哭き女狩り』。
哭き女は“祟りを呼ぶ存在”として狩られ、
沙耶は初めて“生きながら死を宣告される”側に立つ。
それでも、彼女は哭くでしょう。
涙を、恐れではなく、祈りとして流すために。
――風が哭く夜、再びその鈴が鳴る。




