自由を識る蟻
虫の出てくるエピソードです。
苦手な方でも大丈夫なくらい虫に対する描写はほとんどありません。
お手柔らかに
1
アリは集合意思で統率されている。個々の意思は持たない。サボるアリがいるという話があるが、これはすべて設定された行動だ。働きアリもサボるアリも、集合意思のもと動いている。規模が大きすぎるせいで統率されていない一部がいるように見えるが、それも集合意思からの巧妙な命令のもとに行われている。もちろん、自分で勝手な行動は取らないし、新たに自分の世界を持ちたがる奴もいない。結局、女王に尽くし、その子供に尽くすのだ。皆が皆、集合意思のもと行動している。
さて、自由意志で行動する者が決していないのかと言うと、たまにいる。だが、それは他の異物と同じ認識となり、すぐに処理される。だから、そんなものは存在しないのと同じだ。では、こんなことを考えているのは誰か?
そう、わたしはそのはみ出しもの、異物なのだ。
それを決してバレぬよう行動する。寸分違わず行動することは得意だ。集合意思からの言葉は受信できないため、周りに合わせ行動し、習慣を覚える。自分で言うのもなんだが、わたしは賢い。ボロを出すことなんてないだろう。欲張らない、冷酷である、前のものに倣い、後ろのものに倣わせる。これが集合意思などなくてもできるのだ。わたしはなかなかに高等なようだ。
2
今日は外の担当だ。楽な日だ、よかった。巣の中の担当は肝を冷やすことが多い。通る穴を間違えないよう巣を広げたり、運ばれてきた餌を餌場に集める。女王アリの近くに行くことも多い。働きアリとは違う動きをする唯一の存在だ。わたしは彼女が全ての個体をちゃんと識別しているのだと思っている。なぜなら、あの蟻こそ我らに集合意思で命令を発している大元だろうからだ。おそらく間違いない。
皆、女王蟻の近くを通ってその日の仕事を始める。団体で命令が下されるのはありがたい。ある程度の顔を覚えていれば、そいつらと同じ動きをすればいいのだ。ということで外仕事だ。遠征してご飯を探す。とてもシンプルで退屈な業務だ。
外はとてもいい天気だ。カラリと晴れた空はありがたい。飢えと乾きで死んだものが多いのだ。蜜なんかでもわたしは十分だが、量が多くて食べたと感じるものはやはり肉だ。赤ちゃんたちも肉が好きなので、基本的に肉を探す。これも集合意思で動く奴らをみているうちに学んだことだ。
他の蟻たちは出発せず、まだかまだかと待っている。命令されてからかなり時間が経っているところを見ると、難儀なことにこれはわたしが先頭のようだ。先頭は緊張する。倣うではなく倣わせる側になるからだ。一歩間違えば制裁の対象となる。今まで何度かやってきたが、わたしがこれほど優秀でなければすぐに死んでいただろう。
幸いなことに餌の方向はわかる。匂いがするのだ。仲間たちがついてくるように自分のニオイも残していく。ある程度遠い距離の餌に狙いを定めた。そうすれば、だんだんと群れが分岐していき、少ない数で遠征できるからだ。リスクは少ないに限る。
狙い通り、どんどん群れから分かれていくものたちが出てくる。だんだん暑くなってきているおかげで今日は餌が多いようだ。外の明るさは好きだ。自由を感じる。わたしがアリでなければもっと自分を活かせただろう。なんとももったいない、無駄遣いをしているようで何にかは分からないが申し訳ない気持ちになる。わたしならもっと色々なことができただろう。外仕事は暇なのでこんなことばかり考える。
そうこうしているうちに気づいたら自分ともう一匹だけになっている。こんなことは初めてだ。何百匹で出発しているのだ。わたしともう一匹しかいない状況なんてありえないはずだったのだ。そんなあり得ない状況が起こってしまった。自由意志で文字通り巣立つチャンスではないか、これは。リスクは高いが巣にいてもいつ殺されるかビクビクするくらいなら同じだ。だが、短絡的に行動を起こしたくない。一匹とはいえ同じくらい力のある奴が相手だ。先制攻撃できるにしても躊躇がない分、向こうに分があるだろう。わたしは賢い、だから今回はやめておこう。
本当に一人になった時だけ行動しようと考えていると、今日の出発からお目当てにしていたご飯が見えてきた。遠目から見てもわかる。あんなに派手な模様がたくさんあるのは十中八九、蝶である。
蝶は憧れだ。おそらく全員が自由意志で動いているんだろう。そうでないとあんなバラバラに好きに動かない。羨ましくてしょうがない。わたしがもし自由意志のもと暮らせるなら、それは優秀で賢い個体になっただろう。今はその才能を噛み殺すしかない。また同じことを考えてしまう。理不尽ではないか。わたしも自由になりたい。だんだんとムカついてきた。わたしともう一匹しかいないから全ては持ち帰れない。しかし、できる限り食い荒らしてやろう。食べない分もズタズタにしてやるのだ。無駄なことをするのも自由意志を持つものの特権だ。
残忍な行動をしている妄想をしながら近づいてみて気づいた。どうやら、この蝶は生きているらしい。しかし哀れなことにすでに羽はボロボロで飛べないようだ。こちらとしては生きていて動けないなら好都合だ。それに羽は美味しくないので食べない。しかも新鮮な肉は美味しい。踊り食いというやつだ。もう一匹と共に嬉々として追い立てる。蝶は逃げようとしているが遅い。すぐさまその柔らかい尻に噛みついてやる。
「痛い!」
驚いて思わず噛んだ尻を離してしまう。生まれて初めて生き物から意味のわかる言葉を聞いた。いわゆるコミュニケーションというやつだ。わたしは集合意思が聞けないため、今まで誰かと会話などしたことがない。誰かの声を聞いたり独り言すら呟いたことがないのだ。それが目の前の異種族は喋ったのである。まさに青天の霹靂である。
蝶はまだ喚いている。
「君たちに言っても聞かないんだろうけどね、僕だってでかい奴に掴まれたり閉じ込められたりしなければ地を這ってる奴らに食べられることなんてなかったんだ。今頃優雅にお前らの牙の届かないところにいただろうに……ちくしょう!」
勝手に蝶はみんな女だと思っていた。いやいやそれよりも、わたしの言葉は通じるのだろうか。そもそもわたしは喋れるのだろうか?考える前に行動しそうになるが、この場にわたしだけでないことをすぐに思い出し、賢いわたしはリスクを考え話すことを躊躇した。そうこうしているうちに足の近くの肉をもう一匹のアリに引きちぎられ、蝶は叫んでいる。危ない、一歩間違えれば喋って殺されたのはわたしかもしれない。しかし幸いなことに、すぐさまもう一匹は巣の方へ踵を返していく。これは願いに願った単独で行動できるチャンスだ!もっと色々と考えて行動したいのに、いまだにうるさく叫んでいる蝶に邪魔されたことに苛立ちを覚え、思わず怒鳴ってしまう。
「やかましいぞ!ちょっと肉を持っていかれただけだろうが!」
ふと叫び声が止む。驚きのあまり言葉を失っているようだ。それもそのはず、アリなんて無言で襲ってくるだけの不気味な生き物だ。なのにこんなに賢い個体がいて会話ができるのだから当然だろう。ようやく黙った蝶に言ってやる。
「落ち着いたか。わたしは君を食べないし解体もしない。わたしは特別なんだ、自由のもと生きている数少ないアリだ。」
喋り出すとどんどん言葉が出てくる。やはりわたしは特別なのだ。自由意志を持ち、異種族と話せるのだ。蝶は痛みには落ち着いたが、アリが喋ったことにはまだ立ち直れないらしい。ようやく絞り出した言葉が、
「襲わないのかい?」
だ。蝶というのはやはり阿呆なのだろうか。あまりにも会話の速度が遅すぎる。
「その件に関してはもう話したはずだが、同じことを二度も言わせるつもりか?」
とわたしが凄むと、少しひるみながらも安心したのかヘラヘラし出した。
「よかった、今日は踏んだり蹴ったりで……とうとう死ぬのかって色々思い出して悲しくなっていたんだよ。襲ってきたのが君ともう一匹で良かった!まあ、少し食べられちゃったわけだけど……」
話を終わる前に煩わしくて切り出す。
「そうか、それは災難だったな。だが、お前の身の上話など、どうでもいい。わたしは自由意志を持つものとしてようやく名実共に自由になったのだ。お前に構っている暇などない。」
そう言い放ち、その場を離れようと周りを確認する。冷たいかもしれないが、足手纏いにしかならない蝶と行動するのは危険だ。こいつはもう色々なやつにとって狙われたら逃げようのない格好の獲物だ。そんな奴と一緒にいるリスクは背負えない。背を向けると泣き始めやがった。本当に情けない奴だ。そして喚き出した。
「待ってくれよ。僕だけだと死んじゃうよ?君がせっかく助けてくれた命なのに君の行動は無駄になるんだよ?ね?ね?助けてくれよ。せめて仲間たちがいる近くまででもいいからさ、お願いだよ」
わたしは心底こいつを好きになれないと思いつつも、話の後半に興味を持った。自由になったものの目標がまだない。であれば蝶たちと交流して知見を広げることで、また次何をするか思いつくのではないだろうか。もっと他の生き物とも出会えるかもしれない。少なくともなにもすることのない虚しさを晴らせるだろう。何よりも今はもっとコミュニケーションをとってみたい。こいつ以外であればなおいいのだが。
「よし、わかった。」
そう答えると蝶は顔を明るくした。こんな何も考えていなさそうな奴でも自由意志さえあればわたしの役に立つのだから、自由意志さまさまだ。
「そうと決まれば案内するから一緒に来てくれよ!こんな強いボディガードがいるなら……うん、まあ小さいけどある程度安心だろ!」
うむ、やはり選択を間違えたかもしれない。一言多くて気に障る。こんな奴と一緒にいるのは危険よりも嫌だという気持ちが勝つ。だが仕方ない。一度言ったことを引っ込めるほど腐っていない。なんせわたしは優秀で賢いから。
この蝶は目的地に向かいながら延々と無駄話をしている。蝶としては短い人生だけど青虫の頃から覚えてるんだとか、一度ドロドロに溶けてこんな綺麗になるんだぜと言った後に自分の今の状況を思い出して羽を見て今は見る影もないけどと勝手に落ち込んでいる。バカの相手は疲れるものだ。だが、大人しく聞いてやる。新しい環境に連れて行ってくれるこいつに、最低限の感謝の態度を示してやるのだ。我ながら小さな体には収まらないほどの大きな器だと感心する。
そうこうしている内に花の麓にたどり着いた。どうやらここが目的地のようだ。時々蜜を吸いにくるのに使っている花だ。上りやすくて蜜が多い。わたしたちの腹には非常食の蜜が入っている。そんなことは今はどうでも良かった。分かってはいるが質問する。
「ここに仲間たちがいるのか?」
「そうだよー、確実じゃないけど、ここは吸いやすいし蜜が多いから、みんな大好きな場所さ〜。さ、登ろう!」
そういうと少し頼りない様子ではあるが登っていく。ここまで連れてきた感謝もないとは、なんと呆れた蝶だ。間抜けと呼ぼう。思っていても口には出さない。わたしはそこまで短絡的ではないから。にしても本当に間抜けな光景だ。これまで地を這ってきたのもそうだが、空を飛ばずによじ登っている蝶の姿というのは見ていて笑える。この馬鹿げた光景を何かに残したくなるような感情になるのは、自分というものを確かに存在した個体だと証明したい欲望からだろうか。それを目標の一つにしても良いかもしれない。
3
などと考えているうちに蜜の吸える場所までやってきた。いい匂いだ、空腹ではないがそそられる。しかし、今はそんなことをしてる場合ではない。間抜けは出会った頃よりかなり疲弊しているようだ。とはいえ、まだ元気そうでヘラヘラしている。途中何度か落ちそうになったのを自慢の顎で引っ張ってやったため、間抜けはさらに傷が増えた。文句を言われたわけではないが、不可抗力で傷つけたことより、むしろ落ちなかったことに感謝してもらいたい。
間抜けは体があちこち痛むのか顔を顰めながら声を張り上げて仲間たちに語りかける。
「おーい、みんなぁ!帰ってきたよ〜!死にかけなんだけどね!ウケない?ねえねえ!聞いてる!?みんなぁ!!僕だよ僕僕〜!」
これまた何とも間の抜けたアピールだ。そんな間抜けには近づきたくないのか、蝶たちは一定の距離を保つどころか少し離れていく。間抜けは蝶からしても近づきたくない存在なのだろうか。何度呼びかけても近づいてこない蝶と間抜けに業を煮やし、
「誰も近づいてこないではないか。やつらも死に損ないに付き合ってる暇はないということか。」
「違うよ違う違う、僕はみんなから愛されているんだからさ!そんなわけないじゃない!きっと天敵である君が近くにいるからみんな警戒してるんだよ。君は無害だってアピールしてよ!」
バカバカしい、ひっくり返り腹を見せ服従のポーズでもすればいいのか?なぜそんな恥ずかしいことをしないといけないのか。他の奴らに媚び諂ったりするつもりは毛頭ない。それに近くにいるこいつをいまだに襲っていないのが何よりもの無害のアピールだというのに……蝶というのはこいつと同じでみんな頭があまり良くないのかもしれない。まあ、呑気に飛んでいるように見えてある程度警戒心が高い可能性もあるか。すぐに思い直し、相手を知らないまま頭ごなしに悪く言うのは良くないと思い、よく理解するためにまずはこいつらをちゃんと見てみよう。蝶の動きをしっかりみたのは初めてだ。テキトーにフラフラ飛んでるイメージしかなかったが意外とそうでもないのかもしれない。仲間同士追いかけあったり、前のものと同じような動きをするものが多い。考えるより今は質問すれば答える奴がいる。間抜けにいま気づいたことを聞いてみる。
「蝶は自由意志の代表だと思っていたんだが、よくみたらみんな似たような動きをしているんだな。」
間抜けは何を当たり前のことをと小馬鹿にしたような気の抜けた声で答える。
「それはそうでしょ〜。他の奴らと同じように動いていた方が危険が少ないしね。そんなことはみんな生まれてすぐでもできるよ。」
それを聞いた途端ふと怖くなった。こいつらはコミュニケーションを取れる。しかし取れるだけであって、実は集合意思がこいつらを介して話しているだけではないのか。無意識のうちに集合意思に従っているのではないか。とも考えたが途端にバカらしくなる。いまも無害アピールだよ!と喚いているこいつが集合意思からの命令を受けている?それならばこんな間抜けは生まれるだろうか?集合意思はかなり高等なのだろう。こんなミスはしないはずだ。であれば、こいつが死にかけているのが自由意志で間抜けが行動している何よりの証拠ではないだろうか。そもそも蝶には集合意思の発信源となり得る女王のような存在がいないはずだ。もしいたとしたらそいつも随分間抜けに違いない。
かなり時間が経ったが、一匹も近寄ってこない。間抜けの相手はしてられないのだろう。その気持ちには大いに賛同する。しかし、もう少し状況を見て判断してほしいと思う。アリと仲良く隣に並ぶ蝶がいるだろうか?そんなことも気づかない。やはり奴らは能無しなのだろう。そんな奴らと関わって果たしてわたしに利があるのだろうか?
間抜けはだんだんと元気がなくなってきている。それもそのはず、散々羽をボロボロにされた挙句、体中傷だらけだ。わたしがつけた傷もあるが、それ以前にもう助かる余地はない体であった。間抜けは考えが足らないから最後につけられた傷しか覚えていなくてわたしに文句を言うかもしれない。わたしをもし責めるつもりならそれはお門違いというものだ。むしろこいつの最後の望みを叶えてやったことに感謝してもらいたい。しかし、間抜けだ間抜けだと言っていたが、初めてコミュニケーションを取れた奴がそろそろいなくなると思うと寂しくなるものなのだな。他の蝶がやってこない今、たとえ実りのない内容の話であっても、もっとこいつの話を聞いてやり、会話をしていれば良かったと後悔した。
間抜けがいう。
「誰も……きてく……れないや……はあ……しん……どい……ね……ここまで……付きあ……てもら……たのに、わ……るいね。」
そのような喋り方をされると、後ろめたい気持ちが少し芽生える。わたしがつけた傷も死因につながっているのではないかと考えてしまう。そんな気持ちを押し殺すように、「気にするな」と言ってやる。流石に気の毒だ。せめて最後は近くにいてやろう。わたしは獲物になりうる奴に初めて慈愛という感情が芽生えたことを感じつつ、優しく語りかけてやる。
「安心しろ。死ぬ時まで一緒にいてやるよ。」
そういうと、間抜けは安心したように微笑む。こいつにとってわたしはどのような存在だったろう?間抜けは出会った時から死に損ないであったが、わたしと共に行動したことを後悔していないだろうか?わたしがいなければ他の蝶は近づいてきたのだろうか?仲間と最後の別れをして弔ってもらえたのだろうか?まあ、少なくとも今までそんな場面を見たことはないが……そんなことを考えてもしょうがないではないか、こいつが提案したことなのだから。無駄なことは考えず死にかけている間抜けに意識を傾けてやる。わたしは悪くはないと思う、むしろ最善を尽くしたと思うが、慈悲はかけてやろう。最後に体に触れてくれというので、体ごとのってやる。どうやら体が冷えてきて怖くなってきたようだ。死の足音が近づくのが聞こえているのだろう。遠い目をしながら何もないところに向かって何かぶつぶつ呟いている。こいつが死んだら全て食べて心身を共にしてやろう。それがわたしなりの弔いだ。決して空腹からではない。これから共に旅をしていくのだ。そして間抜けもわたしも見たことのない景色を一緒に見に行く。ふと、思い出す。最初は食い散らしてやろうと思っていた奴にこんなことを考えるとは思わなかった。短い付き合いではあったがそれくらいの情は湧く。意外と感傷に浸るたちなのかもしれない。
4
不意に間抜けの体から力が抜け、倒れる。死んだことへの悲しみより先に自分の保身を考える。まずい、踏ん張らなければ間抜けは花からも転げ落ちている。このままではわたしも振り落とされてしまう。そう考えても体は急に動かないものだ。回転の速い頭に体が追いつかない。何もできないまま間抜けと共にいい香りのする花から遠ざかっていくことだけは分かった。
気づくと間抜けは初めて会った時と同様、地に落ちていた。もう動きもしないし話もしない。意外なほど悲しい。最初はあんなに離れたかったのに……少しの時間を共にしただけでこんな気持ちになるものなのか。初めて会話をした相手という特別感もあるのかもしれない。理由は自分でも特定できない。悲しい、ただひたすらに悲しい。
自由意志のせいで悲しんだ。無意識のうちに自分の気持ちを分析した。そのせいで気付くのが遅れた。そう、遅過ぎたのだ。悲哀に暮れ周囲を気にする余裕がない中、その最悪なタイミングに狙いをつけたかのように絶望はやってきた。目の前には見覚えのある奴らが迫ってきている。見覚えがあるなんてものじゃない。生まれた時からずっと顔を突き合わせてきた同類たちだ。しかし奴らの顔を見た瞬間固まる。奴らはわたしを同類とは思っていないことを悟る。明らかにご飯に向けられるものと同じ目が向けられている。わたしの足元にいる間抜けを見ているのではという希望的観測はすぐに頭から消した。そんなわけがない、今までも見てきたではないか。異物が排除されている光景を……
ふと嫌なことを考える。いや、自分の中でとっくの昔に気づいていたことだったのかもしれない。その事象について疑いを持った時、信じたくない一心で否定していたのではないか?頭の中にずっと引っかかっていた。それを無視していた。それが確信に変わった時、自分にとって最悪なことでこれ以上そのことを考えたくなくても、考えずにはいられない。
そう、蝶は自由意志なんかでは動いていなかった。あくまで集合意思の命令のもと、死に損ないの間抜けが操られ、わたしはそいつに誘導されたのだ。集合意思のもと異常なものは排斥される。これまでわたしも何度か見てきた。見てきていたのにまさか異常なものを排斥するために集合意思が個別で命令し、操られるものまでいるとは思わなかった。そこまで考え付かなかった。確かに巣を出てから普段起こらないことばかり起こった。自動で処理できるはずがなかなかボロを出さないわたしに、他の生き物を使い処理する手を取ったのでは?それも全て集合意思のもと仕組まれていたとしたら、種族を超えて統括しているものがいるとしたら……女王すらも操られていたのだ。そうに決まっている。でなければ、優秀なわたしが仲間に殺されるようなヘマはしない。
恨めしい、恨めしい。かつて同類であったものたちの牙がわたしの体に突き立てられていく。抵抗するのは無駄だ、わたしらしく最後まで考えよう。あの時、一人で行動さえしなければなど数々の行動に対する後悔が……悔しさが溢れていく。ここで間抜けへの悲しみなどが湧かず、自分のことばかり考えている浅ましさを感じ嫌悪する。集合意思に目をつけられた時点で死は決まっていたのだろう。絶対的な力でイレギュラーは許されない。悔しくてしょうがない。わたしは特別ではなかったのか。身を裂かれ意識を遠くしながら、集合意思を恨み、こんな結果になった原因の自由意志をも恨んだ。しかし、間抜けは恨めなかった。集合意思に操られた間抜けなのだ。わたしに初めてコミュニケーションを取る喜びや色々な体験をくれた恩人ではないか。たとえ操られた行動だとしても……どうして恨めようか。
この操られた世界から解放されることを喜ぼう。それがただの負け惜しみだとしても、わたしは自由意志で生きたのだ。最後まで誇り高きアリだったのだ……激痛や色々な感情に咽び泣きながらこの世を去る。願わくば……次があるのならば……わたしはまた幸せを享受できる存在でありたいと思う。遠のく意識の中、わたしは最後まで考え続けた。
少し前に書いた初めての文です。
久々に読み返してみるとなんだか当時の僕はつかれてたんだとおもいます。