第7話:止まった時間
春。
私は翠ヶ丘高校を卒業し、第一志望ではなかった女子大に入学した。
小さなころから憧れていた共学の大学には届かなかったけれど、
それでも、新しい生活が始まることに、少しだけ胸が弾んでいた。
オリエンテーションの帰り道。
電車の窓にもたれながら、ふと、彼のことを思い出した。
もし、彼があのまま翠ヶ丘に残っていたら――
同じ大学を受けていたかもしれない。
それとも、まったく別の道を選んでいたのかもしれない。
わからないけれど。
それでもきっと、どこかで頑張っている。
そんなふうに、思っていた。
その夜、突然、携帯が鳴った。
表示された名前は、高校時代のテニス部員。
卒業後はほとんど連絡をとっていなかった相手だった。
「……彼、事故で亡くなったんだ」
その言葉の意味を、最初は理解できなかった。
「え……」としか、声が出なかった。
「明日が葬儀で。知らせたほうがいいと思って」
電話の向こうの声が、だんだん遠くなっていった。
私は携帯を握ったまま、その場に崩れ落ちた。
息を吸うことすら、うまくできなかった。
彼は、19歳だった。
バイク事故――即死だったらしい。
上京して、アルバイトをしながら、音楽を続けていたという。
詳しい話は、聞きたくなかった。
知ってしまえば、全部が現実になってしまう気がしたから。
涙はすぐには出なかった。
ただ、体の感覚がすうっと消えていくような、そんな冷たい空気に包まれていた。
翌日、私は葬儀に向かった。
どうやって行ったのかは、覚えていない。
黒い服を着て、電車に揺られていたことだけが、断片のように残っている。
棺の中の彼は、静かに眠っていた。
あのとき、15歳で出会った彼と、ほとんど変わらない顔だった。
でももう、声は聞こえなかった。
笑わなかった。
何も、返ってこなかった。
「……なんで、黙ったまま行くの」
その言葉は、声にならずに、胸の中でゆっくり崩れていった。
こうして、彼の時間は――
19歳で、止まった。
そして、
私の中でも。
あの日から止まったままのものが、たしかに、あった。
*
また、彼の夢を見た。
15歳のときと同じ制服姿で、彼は夕暮れの通学路に立っていた。
背景には、あの頃と同じ、淡い空。
私もまた、あの頃の制服を着ていた。
ふたり並んで、ゆっくりと歩いていた。
言葉はなかった。
やっぱり、彼は一言も発さなかった。
でも、その笑顔が、すべてを語っていた。
「話したら、いけないんだよね」
私は心の中で、そうつぶやいた。
話してしまえば、彼が本当に“いなくなった”ことになってしまう。
だから、私は微笑み返すだけでいい。
このまま、夢の中でだけでも――
会えたら、それでいい。
目が覚めたとき、静かに涙がこぼれた。
彼が、私の第一志望校に合格していたことを知ったのは、葬儀のあとだった。
アルバイトをして、学費を自分でまかないながら、東京で暮らし始めていたという。
共通の友人が、静かに言った。
「彼、自然な形で再会したかったんじゃないかな」
偶然を装って、すれ違ったり。
通学路で声をかけたり。
そんな未来を、彼は、どこかで思い描いていたのかもしれない。
叶わなかったその未来が、何よりも悔しい。
私の時間は、あの日から止まっていたけれど――
彼の時間もまた、
再会のために、静かに動いていたのかもしれない。
きっと、また夢で会える。
制服のままの彼に。
そして、あの頃の私にも。
最終章です。
ご愛読、ありがとうございました。