第5話:彼にだけ、贈るもの
二月の風は冷たく、
だけど心の中では、何かが静かに、温かく膨らんでいた。
バレンタインデーが近づいてきた。
私と友人は、テニス部の男子たちにお菓子を配ろうと話し合っていた。
「どうせやるなら、全員にあげよ!」
友人の明るい声に押されて、私たちは休日、友人の家のキッチンでクッキー作りに取りかかった。
材料を並べ、生地をこねて、型で抜いていく。
オーブンの前に並んでしゃがみこみ、焼き上がるのを見つめる時間は、なんだか小さな儀式のようだった。
キッチンに広がる甘い香り。
溶けていくバターの音と、くすくすと笑う声。
「ねえ、あんた、あの人にだけ特別なやつ渡すんでしょ?」
友人にからかわれて、私はうつむいたまま、笑った。
言葉にはしなかったけれど、図星だった。
一枚ずつ、クッキーを袋に詰めていく。
小さなカードに、全員の名前と軽いメッセージを添えた。
ただひとつ。
彼のカードだけには、こっそりこう書いた。
「今日、〇時に、あの公園で待ってます」
渡すとき、胸の鼓動が耳に届くほど大きくて、
彼の目を見られないまま手渡した。
けれど、彼は私の顔を見て、
ほんの一瞬だけ頷いた……ような気がした。
そして放課後。
私はひとりで、公園に向かった。
冬の夕暮れ。
太陽はもう背中のほうに傾いていて、風が冷たく指先を刺すようだった。
ベンチに座って、手を握りしめて待つ。
10分。15分。
やっぱり、来ないのかもしれない――
そんな不安が、心の中で小さな声をあげはじめたころ。
ポケットの中の携帯が震えた。
「……まだ、あのメッセージ開けてなかった。今、行く」
短い一言だった。
でも、その声には少しだけ息が混ざっていて、
走っているような気配がにじんでいた。
数分後。
自転車のブレーキが雪をかくような音を立てて止まった。
彼が、息を切らしながら現れた。
私は、そっとポケットからチョコを取り出した。
彼にだけ、手作りのチョコを。
手渡したその瞬間、彼の瞳が、ほんのわずかに熱を帯びたように見えた。
目が合った。
ほんの一秒。
何も言わなかったけれど――
どちらからともなく、ふっと笑い合った。
あのときの彼の眼差しには、
たしかに私を“ひとりの女の子”として見る光が宿っていた。
はじめて、そう思った。