表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/8

プロローグ「入学説明会」

 闇に包まれた空を、血のように紅い炎が切り裂いた。その向こうで三日月が笑っている。

 高層ビルの屋上は灼熱の坩堝と化し、アスファルトは粘つく泥のように溶け、剥き出しになった鉄骨は飴細工のように歪んでねじれている。その業火の中心に立つ少年は、炎を纏った剣を握りしめていた。吐く息は熱を帯び、彼の周囲の空気さえも陽炎のように歪ませる。


 対峙するのは漆黒の異形──人の形を模してはいるものの、それは粘つく肉の塊としか言いようがない。いくつもの目が無秩序に瞬き、口らしき裂け目からは絶えず粘液が滴り落ちる。それは、見る者の精神を直接蝕むかのようなどす黒い悪意を、周囲の空気ごと撒き散らしていた。その場にいるだけで、肌を粟立たせるような不快感が全身を這い上がる。

 少年は肩で息をする。額に滲むのは汗──否、それは黒い汗だった。まるで墨を流したかのように漆黒の液体が、ぽたり、ぽたりと足元に滴り落ち、熱いアスファルトに水溜まりを作っていく。

 少年は剣を構えたまま動けない。


(まずい……!)


 その汗が何を意味するのか、少年自身が一番よくわかっていた。それは能力者にとって忌まわしい兆候だ。

 それを自覚した瞬間、少年の呼吸は激しく乱れ、視界が歪み、異形の姿さえもぼやけて見え始める。


『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛……ッ!』


 異形が耳をつんざくような咆哮を上げた。その声と共に、全身から迸る黒い瘴気が爆発的に広がった。


(の、みこまれる……!)


 少年の頭の中でリフレインする嫌な記憶。


『自分だけがどうして?』

『なんでわかってくれないの?』

『同じ思いをすればいいのに』


 屋上の床はみるみるうちに腐食し、ひび割れ、深淵へと誘うかのような亀裂が走る。

 少年は奥歯を噛み締め、剣に炎を凝縮させる。燃え盛る炎が剣の切っ先から迸り、熱気を帯びた声を絞り出す。刀身に走る炎は、もはや揺らぎではなかった。焼き尽くすことしか知らぬ意思そのものが、刃に形を与えていた。

 足元の空間が歪み、熱で空気が震える。


 呼吸を整え、少年は静かに声を絞り出す。


「ッ赫炎(かくえん)!」


 記憶を断ち切るように炎を纏った刀で一閃すると、その刃が熱波となって異形の腕に深々と突き刺さる──だが、焼かれた部位はすぐに再生し、傷跡一つ残らない。焦りからきた無謀な一撃の直後、焦げ付くような強烈な匂いが風に乗って鼻腔を激しく刺激し、少年は地面に膝をつく。


(ダメだ……このままじゃ、また……!)


 心の奥底で、再び“何か”が禍々しい形を得ようとしている。


「――おい」


 焦りで熱くなった体に氷のように冷たい声が響いた。


「熱くなるな。見境なく暴れるのは、向こうだけで十分だろ」


 ビルの縁に、もう一人の少年が立っていた。彼は静かに腕を振りかざす。

 その瞬間、凍てつく冷気が奔流となって屋上全体を覆い尽くした。

 業火が巻き起こす灼熱の熱風は、音もなく白い霜へと変わり、パチパチと音を立てていた炎の猛威はあっという間に消え失せる。その激しい熱を、冷気が根こそぎ容赦なく奪っていった。

 黒い塊の動きが鈍る。

 氷塊が異形の体を突き刺し、パキパキと音を立てながら凍らせていく。

 わずかな隙が生まれた。

 少年は呼吸を整え、心の奥に渦巻く熱を──今度こそ、制御する。


(焦るな。僕は、大丈夫だ)

 

 熱のように魘され、ぼやけていた思考がクリアになる。黒い汗が止まった。

 炎の少年は乱れていた呼吸をゆっくりと整え、心の奥に渦巻く制御不能になりかけていた熱を──完全に理性で掌握した。

 その刃に、少年の決意が宿る。


赫炎(かくえん)ッ!」


 その瞬間、重く沈んだ空気を裂いて、炎が闇を貫いた。剣先から迸った劫火が、異形の身をごと氷の檻を焼き砕く。砕けた氷は細かな結晶となって宙を漂い、星屑のように夜空に散った。

 その煌めきの中で、ひときわ強く瞬いたひとつが――まるで闇に差し込む道しるべのように、少年たちが今どこにいるのかを教えてくれているようだった。

 炎の少年は、熱とともに胸の奥にこびりついていた焦燥を吐き出すように「ふぅ……」と息をつく。そして顔を上げ、ビルの縁に佇むもう一人の少年と視線を交わした。


「ありがとう。助かったよ」

「気をつけろ」

「ごめん。ちょっと、取り乱した」

「そういうのが一番危ないんだからな」


 静かに告げられたその声には、叱責でも怒気でもない。ただ乾いた、しかし深い理解だけが滲んでいた。

 彼らは知っている。

 この世界のどこかで、日々のストレスに押し潰され、心の均衡を失った“誰か”が、いまも心の奥で呻いていることを。その絶望が、形を持ち、現実を侵しはじめていることを。

 灰殻(ストレッサー)──それは、誰かの“心が壊れた証”。

 だが、それと対峙する者たちもまた、自らの闇を背負い、その力で死に抗っている。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ