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自惚れ公爵はその一言を待っている

作者: 望月ソウ

 あの時すぐに謝ることが出来たら、彼女はいま隣にいてくれただろうか──


 男は、広いだけの空虚な屋敷から街を見下ろし、何度目か分からない問いを自らに投げかけた。


 ***


 ニーナは、物心ついたときには親はすでになく、孤児院で育った。

 不幸中の幸いかその施設は比較的まともなところで、子ども達を自立出来るよう教育を施した上で世間に送り出した。

 貴族や裕福な商人の屋敷の使用人になる者が多かったが、ニーナは計算が得意で物覚えも良かったことから薬草の調合師の道に進むことが出来た。

 薬草の香りは、顔も覚えていない母を微かに思い起こさせた。

 もしかしたら野原かどこかに自分を連れて行ってくれたことがあったのかもしれないと、心が温かくなる。


 孤児院の子供の中には、兄弟同士や、貧しくとも親類が外にいる者も少なくは無い。

 そんな中でニーナは本当に一人きりだったから、彼らを羨ましく思いつつ、必死で生き抜いてきた。

 同様の境遇の者の中では恵まれていることは分かっていたが、寂しさだけはどうしようもなかった。


 それでも一人で生きていくため、今でも常に知識を貪欲に求め、慈善で庶民にも解放されている図書館に通っては薬草の機序や効能を研究している。


 ***


 その日、薬屋の客が途切れたところでニーナは図書館に出かけた。

 店は孤児院の支援者が経営しており、孤児院を出たあとはそこで働かせてもらっていた。


 借りていた薬草学の本の上巻を返却し、下巻を取りに行ったところ生憎(あいにく)それは貸出中であった。

 まだ本と本の間に隙間が残っていたことから、誰かに借りられたばかりなのだろう。


(仕方ないな。今日は他の本を借りよう。下巻から借りて面白いのかしら?)


 ため息をつきながら別の書棚に移動しようとしたとき、まさにその目当ての下巻を手にした男性が立っていた。

 ニーナの視線に気づいたのか、その男性が小さな声で言った。


「何か?」


「あ、いえ、実はあなたが持っている本を借りようと思っていて。じろじろ不躾に見てごめんなさい」


「そうでしたか。良かったらお先にどうぞ」


 そう言って手元の本を差し出す。


「それは悪いわ。順番だもの。あなたが読み終わるのを待つわ」


「いや、本当は上巻を借りたかったんだが無くてね。仕方なくこちらを取ったんだ。遠慮なく」


 そう言って改めてニーナに渡す。


「そうだったの。いま上巻は私が返したばかりだから受付に行けばあると思うわ」


「この本に興味を持つ同志がいるなんて珍しい。良かったらこの後隣のカフェで話せないかな?もちろん奢らせて欲しい」


「ごめんなさい。店が暇な時間に少しだけ抜けさせてもらってるの。もう帰らなくちゃ」


 そう言うとニーナは本を譲ってもらったお礼を伝え、手渡された本を抱えて受付の方に歩いて行った。


 名乗り合いもしなかったが、長身に黒髪の明らかに上流階級の出と分かる印象的な青年だった。

 この図書館は全ての身分の人間に解放されている。

 しかし、文字を読めない人間は出入りすることはほとんど無く、また貴族でも上位になると屋敷に自前の図書室があるため、出入りする人間は限られている。


(よく見ると無料図書館(ここ)には少し似つかわしくない人だったわね。何か珍しい本でも置いてあったのかしら。敬語も使わず不快にさせたかしらね。)


 そんなことを考えながらニーナは図書館を後にした。


 ***


 ニーナはいつも夕暮れまでの少しの時間、店からの帰り道にある公園の池のほとりのベンチで本を読む。

 仕事が時間通りに終わらず、日が落ちてしまえばその日の読書は無し。


 その日は、閉店と同時に店を出ることが出来、上機嫌で公園に向かった。


 今日は先客がいるようだ。

 池に映る夕日が美しく見える場所は別のところにあるため、この時間にそのベンチに人がいることは珍しい。


(どうしよう。端に座っているけど、同じベンチに座られるのは嫌かしら。)


 そう考えて逡巡していると、先客がこちらの気配に気づいたのか振り向いた。

 ほんの少しの間見つめ合った後、先客が口を開いた。


「図書館の」


「ああ!先日はありがとうございました。おかげ様でとても勉強になりました」


 貸し出しの順番を譲ってもらった礼を改めて伝えると、男はベンチの隣の席を促してきた。


「失礼いたします」

 そう言って、ニーナは男が座っているのと反対の端におずおずと座った。


「楽にどうぞ。敬語もやめてください。ただの本好きの同志ですから」


「じゃああなたも」


「あ、そうです…そうだね」


 男が言い直すと顔を合わせて二人で笑った。


「いつもここで読書を?」


「うん。季節によっては仕事の前に来るの。灯り代もバカにならないから」


「しかし、暗くなると危ないのでは?人通りが少ない時もあるし」


(あなたが危ない人間じゃないとは限らないんだけど…)


 ニーナの考えを読み取ったかのように男は

「ああ、失礼。私はグレイ。書類仕事が多いから、たまに街に息抜きに来るんだ。怪しい者じゃないよ」


「私はニーナ。街の薬屋で調合師をしているの。怪しい者に限って自分ではそうじゃないって言うのよね?」


 ニーナがそう言うと今度は二人して声を立てて笑った。


 グレイが食事でもと誘ったがそれをニーナが固辞し、ではせめてと人通りの多い道まで送って二人は別れた。


 見送ったあと、公爵の顔にはどこか苦い表情が浮かんでいた。

 偶然の再会を素直に喜んでくれているように見えるニーナに、何故かグレイの胸が痛んだが、愚かにもその理由にはその時は辿り着かなかった。

 また、声を立てて笑うほど楽しいひとときを過ごした自分にも、その時は気づかなかったのだった。


 ***


(今日は会えるかしら。)


 最近は仕事終わりの少しの時間、池のほとりのベンチで共に本を読むのが習慣となりつつあった。

 読書の合間にはお互いのことやたわいないことを語り合い、会話が無い時も隣り合って本を読む時間は不思議とどこか幸福を感じた。

 もちろんニーナの仕事が時間通りに終わらない日もあったし、グレイが来られない日もあったが、彼の方も楽しみにしてくれているように見えた。


(私の思い上がりかもしれないけど。)


 そんなことを考えながらニーナが薬草をすり潰しているところに、グレイがやって来た。


「えっ偶然ね。ここが私の勤め先なの」


「いい店だ。しかし君ほどの勉強家ならもっと大きな店でも働けるだろう。君さえ良ければ紹介しよう。貴族とも知り合えるよ」


 唐突な申し出に戸惑いつつ、ニーナはそれを丁重に断った。

 小さくとも稀少な薬草から日常の傷薬まで取り揃えるこの店をニーナは誇りに思っている。


 グレイはニーナの対応に満足したように、自信と喜びに満ちた笑みを浮かべる。


「合格だ。これなら君のお祖母様も喜んでくれる」


 図書館で誘ったカフェはお茶をするだけで庶民の二週間分の食費くらいの金額なのは有名だったし、公園で夕食をと誘った店は一月分の食費でも足りないことは街の誰でも知っている。

 読書の合間の雑談で知ったニーナの誕生日に、グレイが贈り物をさせて欲しいと言って返ってきた答えはたった一輪の花だった。


 その他にも、裏で調べさせた孤児院での生育歴や生活態度、店での評判、すべてが好ましいものだった。


 一方で、ニーナはグレイの言っていることが、何ひとつ理解できなかった。


「どういうこと?合格って?前も言ったけど私には家族はいないわ」


 グレイは、ニーナが知らないニーナの生い立ちについて説明した。


 ニーナの母はグレイの大叔母の子供であること。

 平民であるニーナの父との結婚を大叔母が許さず、二人は駆け落ちをしてニーナが生まれたこと。

 大叔母は二人を許さなかったことを後悔しており、ずっと二人を探していたこと。

 居場所が分かったときには二人は亡くなっており、その子供であるニーナの行方が最近やっと分かったこと。

 そして、大叔母は自分の元にニーナを迎えたいと思っていること。


 それを聞いてニーナは怒りのあまり、声が出なかった。


 それをどう取ったのか、グレイは言い重ねる。


「うちの図書室にも自由に来たらいい。君の気に入る本もたくさんあると思う」


 満面の笑みでニーナの方を見る。


「……馬鹿にしているの?」


 ニーナは震える声でやっと絞り出した。


「え?」


 グレイは、全く想定していなかったニーナの反応に戸惑った。

 自分が貴族の娘であり、貴族の屋敷の図書室にいつでも出入りしていいと言われれば、喜ぶに違いないと思い込んでいたから。


「平民の女だからと侮っているの」


「そんなことはっ…!」


「じゃあ例えば伯爵家の女性を同じように扱えた?」


 その問いに咄嗟に答えを返せなかったことは、グレイを後々まで苦しめた。


「さあ、もう帰って。あなたは知らないと思うけど、平民にだってプライドがあるのよ」


 早く伝えたくて焦ってしまった。

 自分と同じ“貴族”なのだと伝えて、それから?

 本当に伝えたかったことは別にあったはずなのに──



 ***



 グレイは自分が大きな間違いをしたことにすぐ気がついたものの、戸惑ってもいた。

 貴族、それも平民でも聞いたことがあるだろう高位貴族である大叔母に認められたとなれば、名誉以外の何物でもないはずだと思い込んでいたからだ。

 それまでそれが当たり前の世界で生きてきた。

 身分目当ての女に言い寄られて不快だった癖に、自分も結局同じような行動を取ってしまった。

 羞恥や自己嫌悪、自責の念にかられ、動けずにいるうちに3ヶ月が経過してしまった。


 意を決してニーナに会いに行ったところ、店主から衝撃的な返事が返ってきた。


「ニーナなら結婚してしばらく店を休んでいます。新しい生活に慣れたらまた来てもらう予定ですがね」


「結婚?何かの間違いでは?」


 以前調査した時には、そんな相手の情報は一切無かった。

 仕事がある日は職場である薬屋と家との往復で、休みの日は日用品の買い物と無料図書館。


「急なことだったんですが、うちの店の常連さんでね。この一、二ヶ月であっという間に決まったんですよ。あの子もこうと決めたら早いですからねぇ」


 グレイはふらふらと店を出た。


 ***


 それからのグレイは後悔にまみれて暮らした。


 貴族の庶子であることを奇貨として大叔母を食い物にするような欲深い女で無いことを確認するために、事前に調査したり、自ら”テスト”したくせに、なぜ貴族であると告げられて喜ぶに違いないと考えたのか。

 時が経てば経つほど、己の傲慢さと愚かさに呆れるばかりであった。

 その結果、彼女を傷つけ、怒らせ、二度と会えなくなってしまった。


 しかも、彼女に惹かれている自分に気づかないばかりか、大叔母が孫に会う機会を潰してしまった。

 ニーナには使いをやったり、手紙を送ったりして大叔母には会ってやって欲しいと訴えたが、一切応じてくれなかった。


 これ以上嫌われることは無いと分かりつつ、それでもニーナに直接会いに行く勇気は無かった。


 しかし、そうも言っていられない状況になった。

 大叔母の体調が思わしくない。

 意を決して、グレイはニーナの夫レオンに連絡を取った。

 恥を忍んで正直に事情を洗いざらい話し、レオン同席の下で構わないので、ニーナと話す機会を作って欲しいと依頼した。


 レオンがニーナにどう説明してくれたのかは分からないが、ニーナは依頼に応じてくれた。


 ***


 グレイは緊張した面持ちで、ニーナが住む屋敷の門をくぐった。

 連絡を取るために最低限の情報は耳に入れていたが、彼女の夫のことなどについて詳しい話は意図的に避けてきた。

 しかし結局、よりにもよって彼女と夫が暮らす屋敷で、彼女と夫が並び座る前に対峙することになってしまった。


「本日はお時間を取っていただき、ありがとうございます」


 グレイがレオンに感謝の意を伝える。


「いいえ。妻もずっと気になっていたでしょうから」


 妻という単語に、改めて胸がズキリと痛む。

 しかしその後レオンから発されたのは意外な言葉だった。


「私は席を外そうか?」


(自分の妻がいわくつきの男と二人きりになってもいいというのか?)


 グレイは思わぬ申し出に戸惑ったものの、ニーナ自身がそれを断ったため、不要な心配となったが。


 改めてグレイはニーナに向き直った。

 屋敷やレオンの様子からするとかなり裕福な部類の商人であることが分かったが、ニーナ自身は大きく変わったところは無いように思えた。

 公園のベンチで過ごした穏やかな時間と池に映る夕陽の美しさを思い出し、また胸が痛む。


「一年ぶりだね。元気そうで良かった」

 グレイがそう声をかけると、こちらの目を見ること無く「あなたも」とだけ返ってきた。


 温かく迎え入れられるなどとは思っていなかったが、改めて自分のしでかしたことの結果を突きつけられて、後悔がさらに深まった。

 事前にレオンから“過去の話はせず、大叔母の話だけを伝える”という条件を示されていたため、それに従うしかなかった。


「今日席を設けてもらったのは大叔母のことだ」


「…」


「大叔母の調子が良くないんだ。すぐにどうと言うものでは無いが年齢も年齢だし。どうか会ってやってくれないだろうか」


「自分の孫にふさわしいかテストするような人に会う気にはなれないわ」


「あれは私が勝手にやったことなんだ。大叔母はそんな人じゃ無い。特に子供が―君のお母さんが出て行ってからは、貴族社会とは一線を引いて暮らしておられる」


「自分の子供を追い出さざるを得ないような貴族の世界とは関わりたくないの」


 ニーナがそう言ったところで、ドアがノックされ、入室してきた使用人がニーナに小声で何かを報告した。


「子供のことがあるから今日はもう失礼させていただくわね。あなたの大叔母様のことは…少し考えさせてください」


 ”お祖母様”と呼ぶには抵抗があったが、その場で切り捨てるほど冷淡にもなれなかったため、いったんその場を切り上げたのだった。


 グレイが帰った後、夫レオンがニーナに言った。

「いいの?」


「……」



 ***



 ニーナと夫とグレイの鼎談の一週間後、ニーナは祖母の屋敷に来ていた。


「来てくれてありがとう。初めて会うのにこんな格好でごめんなさいね」


 祖母がカウチソファに横になったまま、ニーナを迎える。

 初めて会う身内にどのような感情を抱いたらいいのかよく分からなかったが、想像していたより優しそうな老婦人だった。


「いいえ。ご無理なさらないでください」


 祖母の人柄については誤解していたところも大きく、レオンの後押しもあり、葛藤はあったが会いに来ることにしたのだった。

 過去の事情や、ニーナのこれまでのことなどを話すのかと何となく考えていたが、祖母が出した話題は想定外のものであった。


「ねえ。グレアム…あなたにはグレイと名乗っていたのかしら。彼には会った?」


「はい。先日、こちらに伺う前にお祖母様のお体のことなどを説明に来られました」


「ああそうでは無くて。

 私がもっとしっかりしていればあなたを傷つけることも無かったのにごめんなさいね」


「そんなことは。彼とは住む世界が違いますから」


「違うの。以前、孫と偽る女性に私が騙されかけたことがあって…あの子とは血はつながっていないんだけど、見かねてあなたを探すのを手伝ってくれるようになったの」


「あなたにはさらに不快な思いをさせてしまうかもしれないけど、あなたの結婚のいきさつを調べさせてもらったの」


 結局またそんな話かとニーナは一瞬カッとなる。


「あちらは裕福なお家と言っても平民でしょう?それに後妻だと言うし。あなたの血筋がどこからか漏れて、結婚相手に利用されるのでは無いかと心配だったの」


「彼は私を」


 ──家族として受け入れてくれて、この上なく大切にしてくれている。それに──


 そう説明しようとしたが祖母が言葉を重ねる。


「でも誠実で優しい方のようね。穏やかな温かい家庭が築けると思うわ」


 ニーナの選択に口出しをしようとしているのでは無い。

 ニーナを本当に心配してくれているのだと、この短いやりとりの間にも祖母の人柄が伝わってきた。


 あまり長居して祖母の体に障ってもいけない、とその場を辞そうとしたとき──


「そうそう。あの子、ここ一年は本当に反省していて、それ以上にすごく落ち込んでいたんだけど、あなたとのやりとりの報告に来てくれた一週間前は一番酷かったわ。『ニーナに子供が産まれていたんだ』ってブツブツ言ってた。あなたの状況は、怖くて詳しく聞いていないみたい」


「?」


「『その子はもうすぐ15歳だそうよ』とは言ってやらなかったわ」

 祖母はイタズラっぽく笑った。


 ***



「一回くらいチャンスをあげてもいいんじゃない?」


 ニーナは“夫”の顔を見る。


「マーガレットの闘病中は君に本当に励まされたし、君の薬が彼女の痛みを和らげてくれたことは僕の救いだった。恩返しにこの結婚という同盟を提案させてもらった。でも、それが逆にいま君の足かせになるなら僕は喜んでそれを解消させてもらうよ」


 レオンは2年前に妻を亡くし、再婚までは子供と二人暮らしていた。


 レオン親子はニーナに、この一年温かい家族を経験させてくれた。

 グレイに傷つけられた自尊心も癒えたと思う。

 いや、そもそもニーナは誇りを持ってこれまで生きてきた。ニーナについた傷など一つも無かった。


 過去と、グレイと向き合うときが来たのかもしれない。


 ***


 とある日の昼下がり、ニーナとグレイは、祖母の屋敷の庭園で相対することとなった。


「会ってくれてありがとう」

 グレイがこらえきれないといった様子で眩しそうにニーナを見つめながら、心からの気持ちを伝える。


 そのどこまでも優しい声音(こわね)に、出会った頃の出来事や思いが一気に湧き上がる。

 同時に、“審査”されていたに過ぎなかったという悔しさも噴き出し、心が冷える。


「いいえ。夫の言う通り、気になっていたことは事実だから」


 グレイは“夫”という単語にいちいちショックを受けつつ、何とか謝罪の気持ちと、まとまらないままの率直な思いをポツリポツリと伝える。


「あの時は本当に失礼なことを言ってすまなかった。大叔母を守らなくてはと空回って、結局君を傷つけただけだった」


「早く大叔母に孫を会わせてあげたいというのが一番なんだけど、それだけじゃなくて…君が…貴族の女性なら結婚が申し込めると焦ってしまって」


「君のことが好きになってしまったから」


「………子供が……産まれたと聞いた」


 グレイの勘違いにニーナが思わずクスリと笑う。


「子供はいま14歳よ。亡くなった奥様の子供なの。私がもうあなた達貴族に関わり合いたくないと言っていたら、店の常連だったレオンが契約結婚を申し出てくれたの」


「契約?」


「彼は亡くなった奥様を心から愛してたから。私は、再婚を勧める煩い親戚たちの防波堤に。彼は、私が貴族社会と関わらないためのシェルターに。彼は大切な友人だけど、夫婦ではないわ」


 すべてのわだかまり解消とまではいかなかったが、その日は久しぶりに穏やかに話すことが出来た。



 ***



「うーんニーナがいなくなるのは寂しいけど、ママとは違うから。元々お姉さんみたいなもんでしょ」


 レオンが息子にニーナがこの家を出ていくかもしれない、という話をしたところ、彼からは意外に冷静な答えが返ってきた。


「そうだな…」

 年が近いだけに二人の関係が気がかりだったが、この一年、姉弟のように仲良くやってくれていた。

 親が思う以上に子供の成長は早い。

 そうは言っても環境が頻繁に変わるのは息子にとって良くないし、最優先は彼の気持ちだ。


「人のことよりさぁ。


 パパはどうするの」


「えっ?」


「エリナだよ。僕だってもう何も分からない子供じゃ無いんだからさ」


 エリナとはレオンの幼馴染みで、最近夫と離婚して子供を連れてこの街に帰ってきた女性だ。

 レオンはそれを聞き、幼馴染みの気安さで慰労の意を込めて家族の夕食に誘ったりしていたのであった。


 もちろんニーナと結婚している以上二人に失礼に当たるようなことをするつもりは無いし、エリナ達親子と会うのもニーナが同席している時だけだった。


 しかし、息子に指摘されたことで、レオンは自分でも気づかなかった気持ちの変化に気付かされた。



 ***



「まだもらえないの?」


 グレイが体調を持ち直した大叔母に呆れた声をかけられる。


「せっかく私が取りなしてあげたのに。あなたの屋敷の図書室にも来てくれてるそうじゃない。それでなんで進展しないのよ」


「そう言われても…僕のしたことは余りにも失礼なことだし…でも、恋人はいないと言っていた!」


 ニーナはレオンとの契約結婚を終わらせ、薬屋に戻ってきていた。

 祖母のところにもよく顔を出し、グレイの屋敷の図書室にも頻繁に通っている。

 出会いはグレイが仕組んだものではあったが、グレイが本好きなのは嘘ではなく、屋敷の図書室は王都一の蔵書を誇っているのだ。


 かつてのように怒ってはいないように見えるニーナだが、以前と同じで豪華な食事や贈り物は断られるし、あまり距離は縮められていない。


 街から少し離れたある場所に珍しい薬草の自生地があるということを伝えた時は、喜んでもらえたと思う。

 治安の悪い所を通ることを口実に、護衛として随行させてもらえないかとニーナに頼むつもりだ。



「まあ先は長そうだけど、合格をもらえるようにがんばりなさいな」






【登場人物年齢一覧】

ニーナ(21)

グレイ(27)

ニーナの“夫”レオン(31)

レオンの息子(14)

エリナ(35)

レオンの亡妻マーガレット(享年38)

祖母/大叔母(?)



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