森の奥に響く音
異変は、夜の静寂を裂く「音」から始まった。
それは、まるで遠くの鐘の音のように、微かに、しかし規則性もなく繰り返される。
村人の間では「森に幽霊が出る」「古い鐘楼が共鳴してる」など、さまざまな噂が飛び交った。
ライルはその噂話を聞きながら、静かに椅子から立ち上がる。
「セイン、少し付き合ってくれないか。あの音……ただの風の通り道じゃない」
セインは頷いた。
「音」が鳴る方角――村の北にある、鬱蒼とした森の奥。二人は魔導灯と最低限の装備を持ち、夜の探索に出た。
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「なあ、ライル。お前、本当にこれが、魔道具の仕業だと思ってるのか?」
「正直、確証はない。でも……この耳に馴染みすぎるんだ。規則性のない反復音――記録装置か、古い反響装置か……いずれにせよ、人為的なものだよ」
「まったく、相変わらずのオタク気質だな」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
そんなやり取りをしていると、不意に前方の闇が開けた。
月明かりに照らされた空間に、半壊したドーム状の構造物が現れる。
ライルの目が輝く。
「……やっぱり、あったんだ。森に沈んだ反響殿」
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中は静かだったが、空気には微かに魔素の粒が漂っていた。
音は、今もどこかで鳴っている。だが、どこからかは分からない。
ライルは一歩ずつ足を進め、中央の石盤に近づく。
「これは……共鳴式記録装置。触媒に感応して、音と記憶を再現する装置だ。古代の演奏殿や学術研究所に使われていた形式だよ」
「つまり、これは――」
「誰かが、ここで何かを残そうとした……ということだ」
そのとき――。
「わわっ! なにこれ、くすぐったいーっ!」
突然、フィーリが叫びながら上空から降ってきた。
その体が装置の石盤に触れた瞬間、空間が一変する。
ぶおん、と空気が震え、ドームの中に音が溢れ出した。
それは、旋律のような、さざめく波のような、言葉にならない調べだった。
同時に、空中に映像が浮かび上がる。
『記録起動――再生対象:研究記録第27次波形分析。担当:セラ・ノルディス』
映像の中、白衣姿の若い女性が淡々と語っている。
『この装置は、魔素による情動を音波に変換することで、過去の記録を再生・保存するもの。あくまで仮説段階だが、精霊との接触データに大きな可能性を感じている』
セインが息をのむ。
「やっぱり……セラさんの研究だ」
ライルも、黙って頷いた。
画面の中のセラは、次の瞬間、ふとカメラの向こう――つまり未来の視聴者に目を向ける。
『ライル、もし見ているなら、私はあなたの耳を借りたい。誰よりも繊細に、道具の声を聴ける人だから』
記録は、そこで唐突に終わった。
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空気が静まり、再び夜の音だけが残った。
「……セラは、生きてるのか?」
セインがぽつりと呟く。
「それは……わからない。でも、こうして記録が導いてくれる。次の手がかりへ」
ライルは、装置の周囲を丁寧に調べ始める。
フィーリは浮かびながら、不思議そうに首をかしげていた。
「でも、音って不思議だね。見えないのに、心の奥に届く感じ」
「ああ、まさにそれが彼女の研究テーマだった。感情と記録の境界線――それを越えようとしていた」
「ライル、それで……この装置、持ち帰るのか?」
「構造上、持ち出しは難しい。でも記録の転写はできる。何より、ここが、生きていることを証明できた。十分な成果だよ」
帰り道。夜風が森を撫で、どこかでまた、遠くの鐘のような音が鳴った。
それはまるで、忘れ去られた誰かの心が、いまも誰かに届こうとしているかのようだった。
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帰還後、ライルは手帳にこう記した。
『森の反響殿にて、古代音響記録装置を確認。精霊反応による起動を確認。セラ・ノルディスの記録データあり。今後の探索方針に重大な影響を及ぼす可能性あり。』
その手帳の端には、フィーリがこっそり描いた「ふわふわした音の精霊のラクガキ」が残されていた。