ホウキと母の記憶
春の陽気が村に満ちていた。
ライルの家の縁側には、いつの間にかエリナの靴が転がっている。例によって今日も、彼女は勝手に上がり込んでいた。
「ねぇ、ライルさん、これ……直せる?」
エリナは少し緊張した面持ちで、抱えていた細長い布包みをそっと差し出した。
ライルが受け取って包みを解くと、そこにあったのは――一本の壊れた飛行ホウキだった。
柄の部分は擦り切れ、魔法回路があちこちで断線している。浮遊石も砕け、完全に機能停止している状態だった。
「ずいぶん古いな。……しかも、これは」
ライルの目が細くなる。
彼はその構造に、見覚えがあった。
「この魔導配線……空界式だ。今じゃ滅んだ飛行技術。まだ使っていたとは……」
「それ、ママのなんだよ」
エリナの声は、どこか誇らしげだった。
「昔、ママは空を飛べたの。村の外れの丘で、風に乗ってね。今はもう……思い出しかないけど」
「お母さんの形見……か」
ライルはしばしホウキを見つめ、頷いた。
「直してみよう。ただし、普通の修理じゃ無理だ。部品は特殊だし、回路設計も独特だ――少し、協力してくれ」
「うん!」
その日から、二人の修復作業が始まった。
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「この浮遊石、完全に砕けてる……」
ライルは部屋の棚を物色しながら、いくつかの古い魔道具を取り出す。
かつて使われた反重力装置の残骸、低出力の風石、そして――使い道のわからない共鳴結晶。
「これらを組み合わせれば、近い性能が出せるかもしれない」
「すごいね……まるでパズルだね!」
「パズルか。まあ、似たようなものだ。道具のかけらから、本来の姿を再構成する。これが修復の醍醐味さ」
「……ママもね、こうやって作ってたのかな」
ぽつりとつぶやいたその言葉に、ライルは手を止めた。
「……お母さんのこと、少し話してくれるか?」
「うん」
エリナは頷き、昔のことを語り始めた。
――小さいころ、母がホウキで空を舞っていたこと。
――風の流れを読むのが得意で、「飛ぶことは風と踊ること」と言っていたこと。
「村の中じゃ、あんまり魔法を使う人いなかったから、みんなちょっと不思議な人って言ってた。でも、私はママのこと、大好きだった」
エリナの目が少し潤む。
「だから……直したいんだ。ママのホウキ。空を飛べなくてもいい。風に乗る感覚だけでも、もう一度……感じてみたい」
「……わかった」
ライルは静かに言った。
「なら、風に訊こう。――共鳴の出番だ」
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組み上がったホウキに、ライルは手をかざした。
細かな魔素調整を終え、あとは起動の鍵を探すのみだった。
「このホウキには、使用者の魔力波形が登録されていたはずだ。それが起動の条件になる」
「でも、ママの魔力はもう……」
「君が、似ていれば起動するかもしれない。家族の波形は、完全には途絶えない」
「……やってみる」
エリナはホウキを両手で持ち、静かに目を閉じた。
次の瞬間――
ホウキの先端が、ふわりと浮き上がった。
「……!」
空中でわずかに揺れたそれは、まるで息をしているかのように、エリナの手の中で応えた。
「共鳴してる……君の魔素に、反応したんだ」
「……ママのホウキが、私を覚えててくれたんだね」
エリナの目から、一粒の涙がこぼれた。
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夕暮れ。
村の外れの丘にて――
「危なくない範囲で、少しだけ浮かせてみよう。風の流れに合わせて、魔素を微調整するんだ」
「う、うん。こ、こう……?」
エリナの足元が、ふわっと浮いた。
数十センチ程度だったが、確かに空に足を離した。
「わあ……!」
「成功だ。あとは感覚を掴めば、もっと安定する」
エリナは何度も小さく浮いては着地し、笑った。
それは、嬉しさと誇らしさが混じった、子どもらしい笑顔だった。
「ありがとう、ライルさん!」
「……礼を言うのは、僕の方かもしれない」
「え?」
「道具の記憶をたどる作業は、ただの修理じゃない。想いに触れる行為なんだ。今日は……少し、初心に帰れた気がするよ」
風が吹いた。
どこか懐かしい香りを運ぶ春風。
フィーリがその風に乗って、くるくると舞う。
「ボクも飛べるけどさー、こうやって人間が空を目指すのって、やっぱ好きかも~!」
「うん、わかる気がする!」
エリナとフィーリが、風と遊ぶように走り出した。
ライルは、手に持った修復済みのホウキを見つめる。
道具の物語を掘り起こすこと――それは、誰かの過去と、誰かの未来をつなぐ橋なのだと。
空の色が、ゆっくりと茜色に染まっていった。