風の精霊と「うたうランプ」
翌朝、ライルの家はすでに騒がしかった。
「ねぇねぇ、これ、何に使う道具?こっちは?こっちは?こっちは!?ねぇってばー!」
「フィーリ。せめて一つずつ聞いてくれ……」
朝食のパンにかじりつきながら、風の精霊フィーリが部屋中を飛び回っていた。彼は風の名に恥じないほどの好奇心の塊で、目に入るものすべてを知りたがった。
「うーん、だってさー、ずっと壺の中で寝てたんだよ?何百年って!今の時代の道具、ぜんっぜん知らないし!」
「じゃあ落ち着いて見ていけばいい。あれもこれもと手を出すから……」
そのとき、棚の上に置いてあったランプが倒れ、ガシャーンと音を立てて床に落ちた。
「あっ……」
慌てて振り返ったエリナの足元に、それは転がった。
――一見ただのランプだった。
だが、ライルの目がそれに釘付けになる。
「……これは、うたうランプ」
「うたう……?」
エリナが拾い上げると、ランプの金属部分に薄く装飾が浮かび上がった。蔦のような模様の中に、小さな譜面のような記号が織り込まれている。
「精霊の言葉で、声の記録とある。これは……かつて王国の北にあった音の街で使われていた道具だ」
「へぇ~、そんな街があったんだ!」
「……数百年前に滅んだよ。火山の噴火でな」
「あ、うん……」
気まずい沈黙が流れる。だがライルは、ゆっくりとそのランプを手に取った。
そして、ランプの底面に指をかざす。
「記録再生式だ。精霊の魔素を媒体として、過去の音を呼び出す……今、動力が残っていれば、の話だが」
「ふふーん。なら、ボクの出番だね!」
ぴょん、とフィーリが飛び上がり、ランプの上に着地する。
「ちょちょいっと、風の魔素、注入~!」
彼の手がふわりと輝いた瞬間、ランプがぼうっと淡い光を放ち始めた。
そして――音が鳴った。
それは、まるで小さな鐘の音から始まる、美しい旋律だった。
澄んだ声が、部屋の中にゆっくりと広がる。
――きこえる? 風がうたってる
だれかのことばを こっそりつれてきたの――
「……うた、だ」
エリナが、ぽつりとつぶやいた。
旋律は短く、すぐに終わった。
しかしその余韻は、静かな空間に長く残っていた。
「記録……されてたんだ、このランプに」
「そうみたいだね。けっこう綺麗な声だったし」
ライルはランプを覗き込み、眉を寄せた。
「でも、これはただの歌じゃない。魔素の波形が、不自然に揺れていた。何か、隠されてる」
「隠されてる……?」
「音の街では、歌に魔法式を隠す技術が使われていた。旋律にまぎれて、封印や契約の呪文が仕込まれていたんだ」
「……じゃあ、これも?」
ライルはランプを調べ始めた。
机にランプを置き、いくつかの音叉と共鳴石を並べて、魔力の反応を確認する。
その作業は、数時間にも及んだ。
「……やっぱりある。封印だ。しかも、双方向の」
「封印って、一方的なものじゃないの?」
「普通はそうだ。でもこれは、記録する者と聞く者を結ぶ双方向式。つまり、これを再び聞く者が、現れることを前提にしている。……誰かが、誰かに届けようとしている」
その言葉に、エリナの目がわずかに潤んだ。
「……ロマンチック」
「そうは言っても、歌の中に魔法が仕込まれてる以上、軽々しく触れられない。下手に解けば、何かが……」
そのとき。
「じゃ、解くねー!」
「待てフィーリ、話を……!」
フィーリの手がランプに触れた瞬間、光が強まる。
そして、部屋全体に――声が響いた。
「――あなたがこれを聞いているなら、私はもうこの世にいないのでしょう」
それは、先ほどの歌とは違う。記録者の言葉だった。
「私は、風に歌を乗せました。誰かが、再び風を信じてくれるその日まで、私の想いが届くようにと――」
声が震えている。悲しみを隠すように、柔らかく、けれど切実に。
「この歌は、我が子への祈り。どうか、歌を忘れないで。風を、感じて……」
そして、声はふっと消えた。
「……これは、遺言だ」
ライルは静かに言った。
「過去の誰かが、大切な人へ送った、最後の言葉」
「……でも、届いたよ。今、届いた」
エリナが、微笑む。
「私が聞いた。ライルさんも、フィーリも。これで、忘れられないよね」
「うんっ!ちゃんと聞いた!だから、伝わったよ!」
ランプの光が、やわらかく瞬いた。
まるで、「ありがとう」と言っているかのように。
その日、ライルの『がらくた箱』に、一つの記録が加わった。
「うたうランプ」――歌に込められた、時を超える祈りの魔法。
そしてその夜、ライルはふと思った。
――自分が集めてきた『ガラクタ』は、ただの不要品じゃない。
誰かの願い、記憶、祈りが詰まった、物語そのものなのだと。
静かな部屋に、再び風が吹いた。
それはフィーリの悪戯か、あるいは……また何かが目覚めようとしているのか。