記録の中の彼女
雨が降っていた。
春の終わりを告げるような、しとしととした静かな雨だった。
ライルは古民家の奥の作業机に向かい、古びた黒鉄の筐体を慎重に解体していた。
これは、王都時代に流通していた記録媒体――「声紡」と呼ばれる音声保存型魔道具。
先日、クロードの荷物の中に紛れていたガラクタの山から、なぜか「これだけは気になる」と手に取っていたものだ。
「記録回路は生きてる。けど、再生用の共鳴石が欠けてるな……」
ライルは眉間に皺を寄せると、引き出しから修復用の水晶片を取り出し、魔力で微細な導線を繋ぎ直す。
「フィーリ、少し静かにしてくれ。共鳴を乱されるとノイズが入る」
「はーい……って、何それ? 音が入ってるの?」
掌サイズの風の精霊が、興味津々でライルの肩に乗る。
「昔、研究や記録の補助に使われてたものだよ。学術会議や私信にも使われた」
「へえー。じゃあ、ラブレターとかも?」
「……あるかもしれないな」
何気なく返したその言葉に、微かに胸がざわついた。
====
再生の準備が整うと、ライルは深呼吸してから、静かに指を触れた。
水晶が淡く発光し、装置の内部から、女性の声が流れ出す。
《――ライル。これを聞いてるってことは、やっぱりあなたは、まだ探してるのね》
その瞬間、時が止まった。
声を発したのは、ライルの記憶の奥に眠る人物――
王都時代の同僚であり、魔道具開発の研究者、「セラ・リィフェン」だった。
《私は、あの研究所の第三区画に異常を感じて、調査に入ったわ。でも、それが、本当に失われた技術だとは思ってなかった。あれは……止めなきゃいけない》
声の奥に、強い覚悟と微かな震えがあった。
《もし、私が戻らなかったら――あなたにこれを託す。お願い、動力核の在処を探って。あれは……あの装置は、もう目覚めさせてはいけない》
装置がピッ、と音を立てて停止した。
「……セラ」
呟いたその名に、雨音だけが応えた。
====
あの日の記憶が、ぼんやりと蘇る。
王都の魔導研究所――研究者としてのセラは、常に冷静で、理論に厳しく、どこか孤高な存在だった。
だが、たまに見せる無邪気な笑顔や、壊れた道具に黙々と向き合う姿が、どこかライルに似ていて。
お互い、不器用に、距離を縮めようとしてははぐらかしていた。
「なに、それ。元カノ?」
不意に、エリナの声が背中から飛んできた。
「……どうして部屋に入る前にノックしないんだ?」
「ドア開いてたし。ていうか、すっごく気になる感じだったし!」
エリナは悪びれず、装置をじっと見つめていた。
「……誰なの、その人。すごく……大事な人だった?」
ライルは少し黙ってから、ぽつりと答えた。
「今も大事な人だ。彼女が残した記録には……見過ごせない情報があった」
「動力核……って、前にセインさんが言ってたのと関係ある?」
「多分、同じものだ。だけど、セラは、それを目覚めさせてはいけないと警告していた。理由はまだ分からないが……」
ライルは立ち上がり、棚から古い地図を引っ張り出す。
「行くぞ、エリナ。セインを追って、研究所跡に向かう。過去に踏み込むのは、気が進まないが……今は、それが必要だ」
「うん。わたしも一緒に行くよ!」
その背で、フィーリがふわりと舞い上がる。
「また冒険だね! 今回も面白いもの、見つけようねっ!」
====
その夜、ライルは一人、記録装置に手を置いた。
もう一度、彼女の声を聞きたくて――
けれど、装置はもう沈黙したまま、何も語らなかった。
「セラ……」
その名をもう一度、胸の奥で呟いた。
失った時間は戻らない。それでも――彼女の残した物語は、まだ続いている。




