6 あんた、誰?
【平安】
屋敷に戻ったミチナガ(光)は、中庭の松の木を眺めながら、ぼんやりしていた。
「どうしよう……夢じゃないなんて」
見た目は藤原道長。でも、心は、今どきの女の子。
どうにも覚めない夢なのか、異世界への転生なのか、分からないことだらけ。
考えることに疲れ切ってしまった。
そのとき、突如「わ!」と、後ろで大きな声がして驚いた。
「だ、誰っ!?」と、ミチナガ(光)が振り返りながら立ち上がる。
すると、そこには少女が居て、腰をかがめて、こっちを見ていた。
「誰……あれ? 紫……式部?」
ミチナガ(光)の言葉を聞いて、少女が不思議そうな顔を見せる。
「むらさき?」
「いや、式部……ちゃん。だよね?」
「そうだけど……どうしたの? みっちー?」
しばらく互いの顔を見つめあう。
そして沈黙を破るかのように式部が光を睨む。
「あんた、誰?」
背の低い式部に下から睨みつけられて光がたじろぐ。
「え、え? あ、あの……その……」
「みっちーじゃない。本物なら、お尻を撫でながら『式部、元気か?』って聞くはずよ?」
「え、あ、あの……マジで?」
目がクリッとした式部のジト目。圧力が半端ない。
意を決したミチナガ(光)が、超ぎこちなく、勇気を振り絞って式部の尻を撫であげる。
「は、は、はぁい! 式部ぅ、元気~?」
頬を染めながらビクンと反応した式部が睨む。
「やっぱり偽物! 本物の道長は、お尻を触りながら『式部、元気?』なんて言わないわ!」
「ちょちょちょっ! 待って! これには訳があるの!」
式部は目を凝らしてミチナガ(光)の顔を見る。
「よく似た別人? 偽者?」
「や、本物……だと思う。外見は。でも、中身は……」
「やっぱり偽者なのね! 死罪よ!」
「それは困る! てか、歴史が……変わっちゃうかも?」
「はあ?」
「そっか……意味、分かんないよね。平安、だもんね……」
式部はミチナガ(光)を牽制する。
「貴族の身分を乗っ取るなんて、確実に死罪ね」
「ちょ、ちょっと、それは困る! この身体の人のせいじゃないと思うし……気が付いたらこんな風に中身が別人になっちゃったの」
ミチナガ(光)の様子に何かを察したのか、式部が声を潜める。
「それって、昏睡してたことと関係あるの?」
「た、たぶん」
「なんか雰囲気が違うというか、別人みたいだとは思ってたのよ。もしかして、中身だけが他の人になっちゃったということ?」
「うう……そういうこと。たぶん、信じてもらえないと思うけど」
そう前置きしてミチナガ(光)は一生懸命、言葉を選びながら説明した。
もし、ここが平安時代だったなら、自分は千年以上先の時代に生きていて、何かの拍子に気を失って、気が付いたら藤原道長になっていたと。
ミチナガ(光)の話を真剣に聞いていた式部が首を竦める。
「うーん。なんだか、さっぱり理解できなかったけど……信じるわ」
それを聞いてミチナガ(光)が涙ぐむ。そして感極まって式部に抱き着く。
「ヴぁあああん! シキブちゃああん!」
「え? あ、ちょ、ちょっと!?」
男に抱き着かれて、式部は慌てた。
しかし、そのうち仕方ないわねという風に柔和な表情を見せる。
そして、泣きじゃくるミチナガ(光)の背中をポンポンと叩いて落ち着かせた。
まるで母親が幼い子を安心させようとするみたいに……。
泣き疲れたミチナガ(光)が「うぇっく、ゴメン」と、式部から離れる。
「抱き着いちゃってゴメン。わたし、今は男だった……」
それを聞いて式部がキョトンとする。
そして「ええええ! 女?」と、驚愕する。
「そう。ひかる。九条光って名前。17歳」
式部は、しげしげとミチナガ(光)の顔を眺める。
「な、中身は女の子……なの?」
「うん。もしかしたら入れ替わっちゃったのかも」
「入れ替わる? どういうこと?」
「あのね、漫画とかで良くある設定なんだけど、男の子と女の子が頭をゴチンとぶつけた拍子にね、中身が入れ替わっちゃうんだ」
式部が「入れ替わる? 中身が?」と、首を傾げる。
そして、ハッとした。
「てことは!?」
「え?」と、ミチナガ(光)が動揺する式部の顔を覗き込む。
式部は、突如、ミチナガ(光)の頭をワッシと両手で挟んで揺さぶった。
「で、本人はどこなのよう!」
「あばばば、わ、わかんないよぅ!」
手を止め、呼吸を整えながら式部が呟く。
「いや、混乱しちゃって……ごめん」
ミチナガ(光)自身も確信が無かった。
「で、で、でも、入れ替わるっていうのはフィクションで、本当に入れ替わっちゃったかどうかは分からないの」
「ふぃっくしょん? なにそれ?」
「あ、ああ……お話、ていうか作り話」
もし、光と道長が入れ替わってしまったというなら千年もの時間差がある。
物理的な接触によって意識が入れ替わるというのが仮にあり得たとしても、この時間差はとてつもなく大きい。
式部は動揺しながら尋ねる。
「まさか、みっちーは千年先に行っちゃったってこと?」
「分からない。わたしの身体がどうなっちゃったのかは分からないの」
一瞬、式部は思案する素振りを見せる。
そして少し複雑な笑みを見せた。
「たぶん、誰も信じないと思う」
ミチナガ(光)が力なく頷く。
「だよね……こんな話、誰も信じてくれないだろうし、ましてや平安時代の人にはチンプンカンプンだと思う」
式部が、ふぅと息を吐く。
「でもね。道長じゃないってことが、ばれたら死罪だよ?」
「ひっ! 死罪って、死刑ってこと!?」
恐れおののくミチナガ(光)のリアクションを見て式部が、いたずらっ子のような笑顔で「たぶん、ね」と、付け足す。
ミチナガ(光)は内心、式部の態度にカチンときた。
人が絶望しているというのに……。
式部は明るい表情で言う。
「アタシに任せて! 明日、いいもの持ってくるから」
「いいもの?」
「うん。大陸の古い書を持ってくるね。読んだことがあるんだ。突然、人が変わったような振る舞いをする人の話。まるで一人の身体に何人かの『魂』が同居してるみたいな人の話とか」
式部が言っているのは、おそらく人格障害や多重人格のことだと思われる。
この時代にも、そのような事例があるのかもしれない。
「あ、ありがと。式部ちゃん。それって多重人格の話だよね」
「たじゅう何?」
「多重人格。未来ではそう呼んでるの」
「その未来というのが理解できない。ねえ、千年後の世の中ってどんな感じなの?」
「うーん。そうだなぁ……何が一番違うかっていうと……電気、かな?」
「でんき、って何?」
「うん。エネルギー……じゃ伝わんないか。力だね。見えない力」
「力? 見えない力……」
「まったく見れないわけじゃないよ。この時代なら……そうだ! 雷は電気で出来てるよ」
「雷! じゃあ、千年後は雷を操ることができるの?」
「や、それは無理だけど。雷をうんと小さくした電気という力はね、色んなものを動かすことができるの」
「うーん。色んなものを動かす?」と、式部が考え込む。
「そう。蝋燭よりずっと明るくできるし、色んな道具を動かすの。車とかの乗り物も」
「え? 乗り物? 牛車や馬車も?」
「うん。電気とか電波とか、この時代では考えられない色んな便利なものが使えるよ」
式部は驚きと感心の両方で「はえええええ」と、奇声を発した。
幸いなことに、少女時代の紫式部は柔軟な思考の持ち主のようだ。
彼女は、ミチナガ(光)の言う未来の話を頭ごなしに否定したり、笑い飛ばしたりはしない。
ミチナガ(光)は、ちょっとだけ元気が出てきた。