5 鼻血モノの衝撃
【現代】
病院の隠し施設ともいえる地下室で、来道と拓実は、医師の矢内原と対峙していた。
警察に保護を求めるべきだという来道と拓実。
それに対して矢内原は、ここを出るべきではないと言う。
矢内原が主張する。
「外は危ない。得体のしれない武装集団がいる。だが、ここなら安全だ。」
来道が得体のしれない装置を撫でながら嫌味を言う。
「何が安全なんですかねえ」
矢内原が強調する。
「また襲撃されるかもしれない。見ただろう? 自動小銃を持った外国人。武装ヘリからの攻撃。日本の警察が対処できるとは思えない! ここに籠城する方が安全だ」
そこでヒカルが声を発した。
「お主ら、諍いは構わぬが、我は樋箱を要する」
拓実が「ひばこ?」と、聞き返す。
来道はスマホで「平安 ひばこ」で検索する。
「ああ、おまる。トイレだね」
矢内原が左方向を指さす。
「出て左だ。連れて行ってやれ」
足元がフラつくヒカルを来道と拓実がトイレまでエスコートする。
来道がドアを開けて、病院らしいツヤツヤとしたトイレにヒカルを押し込む。
ヒカル(道長)が目を丸くする。
「な、なんぞ? これは?」
来道が便器を指さして答える。
「トイレ。樋箱だよ。そこにまたがってするんだ」
ヒカル(道長)が唸る。
「う、うーむ……なんとも奇怪な形じゃ……」
「じゃあ、俺たちは外で」と、来道がトイレから出る。
女の子が排泄するのを近くで待つなんて、普通なら嫌がられる。
だが、無理もない。ヒカルの中身は藤原道長なのだ。
戸惑うのは目に見えている。
渋い顔をして腕組みする来道。
拓実は両手で耳を塞ぎ、目までギュッと閉じている。
その時、中でヒカル、もとい道長が叫んだ。
「ぬぉをおおお! これでは出せぬ!」
ドア越しに来道が「どうした?」と、尋ねる。
「布が! 布が腰に、まとわりついて邪魔じゃ!」
一瞬、何のことか分からなかったが、来道が「しまった」と頭を掻く。
「パンツか……」
「ああぁいぃ……出てしもうた! 気持ちが悪い! 濡れた布が張り付いておる!」
騒がしいヒカル(道長)の訴えに来道が、げんなりする。
そして「だったら脱げよ!」と、怒鳴る。
耳を塞いでいる拓実が不安そうに様子を伺う。
「光、終わったの?」
「ああ。やっぱ、うまく出来なかったみたいだ」
「うまく出来なかった? 何が?」
拓実が心配そうに来道に答えを求めようとした時だった。
「ぐぎゃわらわのありゃあああ!」
只ならぬ絶叫がトイレの中から聞こえてきた。
反射的に来道がドアを開ける。
「姉ちゃん! どうした!?」
ドアを開けると、便座の上に下半身丸出しのヒカル(道長)の姿があった。
M字開脚で股間を見せつけながらヒカル(道長)が訴える。
「わらわの『あれ』! 『あれ』が無くなってしもうたでおじゃる!」
それを見た拓実が、盛大に鼻血を出して崩れ落ちた。
だが、無理もない。道長の外見はヒカルなのだ。
来道が疲れ切った表情で、大騒ぎするヒカル(道長)の腕を引く。
そして洗面所の鏡の前に立たせる。
「鏡。ほれ、これが今のアンタ」
ヒカル(道長)は手のひらで顔を撫でまわし、変顔をして、自らの胸を揉み、感激した。
「これは! これが、わらわの姿! まるで、おなごのようじゃ」
来道が「なに喜んでんだ」と、横目で道長を睨む。
「ほっほぉ~ これはこれは」
ヒカル(道長)は自分の胸やら腰回りの触感を楽しんでいる。
だが、股間に手を伸ばしてガックリと項垂れる。
「無い……でおじゃる」
ひとしきり大騒ぎして落ち着いたヒカル(道長)に来道と矢内原が事情を説明する。
鼻血ブゥの拓実はベッドで休んでいる。
矢内原はPCのモニターを見せながら、今が千年後の世界であること、意識が時間を超越するタイムリープの概念を熱心に説いた。
一方、来道は意識が入れ替わるという現象について理解させようとした。
なにしろ平安時代の人間に意識や脳機能の話をしても通じるはずがない。
ヒカル(道長)は首を傾げるばかり。
「はて、お主らの言うことはさっぱりじゃ。何の説明にもなっておらぬ」
しびれを切らした来道がヤケクソ気味に言う。
「だから、ほれ! こっちの身体から魂が出て、アンタの魂がここに入っちゃったってこと!」
魂という言葉が良かったらしい。
来道の下手くそなイラストでもヒカル(道長)には伝わった。
ヒカル(道長)は言う。
「ふむ。だとしても、お主らの言うことは、出来の悪い作り話じゃのう」
そこで矢内原と来道がシンクロしたようにガックリする。
ヒカル(道長)はマイペースだ。
「つまり、気を失っておる間に、わらわの魂は、遠い場所に連れてこられたのであるな? そして、おなごに生まれ変わったと」
来道が頭を掻く。
「まあ、まるっきり間違えているわけじゃないけど……」
矢内原も溜息まじりに頷く。
「うむ。時間をかけて理解させるしかあるまい」
ヒカルの身体に入っている道長が精神的なショックを受けていなさそうなのが、せめてもの救いだ。
藤原道長は、図太い神経の持ち主なのかもしれない。
矢内原が改めて言う。
「やはり、ここで軟禁するしかないだろう」
来道は反対する。
「軟禁だと? 冗談じゃない! アンタに何の権限が?」
「そ、それは医師として……経過観察が必要と判断したからだ」
「頼んでないが? 中身はともかく、こいつは姉貴の身体だ。俺達家族の同意が無ければ拘束は出来ないんじゃないか?」
「う……だが、この状態で外に出せると思うか? 中身は平安時代の人間なんだぞ?」
「そ、それは心配だけど。これでも姉貴はアイドルなんだ。そんなにファンは多くないかもしれないけど。行方不明になったら騒ぎになるかもしれない」
「それでも、ここに匿うべきだ!」
「先生、アンタ、実験したいだけなんじゃないか? 独占的に」
「そ、それは否定しない。だが、無理に連れ出すというなら……承諾できない!」
「力づくで止めようってか? 先生。アンタ、何者なんだ?」
来道の質問に矢内原は「やれやれ」と、首を振る。
そして内線電話に手を伸ばした。
「駄目だ」と、来道がパーカーのポケットから黒っぽい物を取り出す。
それが拳銃だと分かって矢内原が驚く。
そして両手を挙げながら本物かどうか見極めようとする。
来道はニヤリと笑う。
「分かるよね? なんせ、自分の物だから」
矢内原が、ぎょっとする。
来道は拳銃を見せつけながら告白する。
「処置室を出るときに先生のデスクから拝借してきたんだ」
「ぐ……」と、微かに矢内原が呻く。
来道は銃口を嗅いで尋ねる。
「硝煙の匂い……撃ったのは先生だろ?」
矢内原は手を挙げたまま無言を貫く。
「暗闇の中、あの銃声は室内で聞こえた。それに2発目の時、一瞬だけ先生の顔が照らされたのを見たんだ」
矢内原は来道の視線から目を逸らす。
来道は右手一本で拳銃を構える。
「もう一度、聞く。先生、アンタ何者なんだ? ライブ会場で何をしていた?」
矢内原は、ゆっくり手を下ろす。
そして不敵な笑みを浮かべて嘯く。
「フン。知らなければ良かったと後悔しても遅いぞ?」
「聞いておけば良かったと後悔するよりはマシだ」
「よかろう。私は、とある世界的な組織に所属している」
「へえ……そりゃまた、国際色が豊かだな」
「我々は、ある重要人物の功績、それを再検証する為の活動を行っている。秘密裏に」
来道が困惑する。
「重要人物? 功績? 誰の?」
矢内原は、チラリと中身が道長のヒカルを見てから口角を上げた。
「世界を変える科学者。教えてやろう。その名は……」