1 プロローグ/雷
【平安時代】
嵐の夜、すだれに映った男女の影が重なる。
「良いではないか、良いではないか」
「あっ! 駄目ですわ!」
高灯台の油の匂いが漂う中、男が小さな帽子を脱いで女に迫る。
「ほれ。烏帽子は取ったぞよ? 意味は分かるな?」
女は着物の胸元に手を差し込まれて身をくねらせる。
「ああ……道長さま……恥ずかしゅうございます」
「恥ずかしいのはお互い様ぞ。男子が頭髪を見せておるのだぞ?」
ふいに稲光が女の白い肌を浮かび上がらせる。
外は暴風雨。時折『ドーン!』という轟音が紛れ込んでくる。
女が「ひっ!」と、男にしがみつく。
「これは……近いのう」
稲光から音が届くまでの時間差が殆ど無かった。
落ち着いた様子で男が頷く。
「ふむ。これでは帰れぬ。仕方あるまいな?」
「さようでございますか……」
戸惑うような口調ではあるが、女は満更でもなさそうだ。
そこで『ズシ-ン! バリバリバリッ!』と、振動に包まれた。
屋敷の柱がビリビリと震え、空気が縮み上がった。
屋外に面した柱に巻き付いた植物の『つる』が、あちこちで帯電している。
雷の余韻は、底の抜けた池の渦巻きにも、つむじ風の渦にも跡を残している。
その時、風ではない何かが生じた。
気配とも熱量ともとれる何らかが、庭から邸内に侵入し、すだれを揺らせた。
そして、見えない何かは男に向かってなだれ込んだ。
「ん?」と、男が異変に気付く。
だが、次の瞬間、目を開けたまま生気を奪われた男が、ころんと転がった。
「み、道長さま!?」
まるで、すれ違いざまに魂を抜かれてしまったかのように男は停止した。
人形のごとく無反応な男の身体を揺すりながら女が叫ぶ。
「いやああ! 道長さまぁ!」
外は嵐。
強風と雨音に時折、雷鳴が轟き、女の悲鳴は飲み込まれていく。
屋敷全体を揺するような風。
暴風は雨を翻弄している。
時折、アクセントのように雷が鳴り、平安の夜は更けていく。
【現代】
開演まで1時間を切ったというのに野外ライブの観客席は閑散としていた。
中堅アイドルグループといえども外では入場待ちの列が出来ているはずだ。
観客席の最後列に陣取る2人の少年がソワソワしている。
白いパーカーの少年が空模様と腕時計を交互に見て肩を竦める。
「ホントに大丈夫かな……」
その隣で、中性的な顔つきの少年が同意する。
「うん。なんか降りそうだね」
短髪に凛々《りり》しい目鼻立ちの少年『九条来道』が答える。
「いや、雨は大丈夫だけど……時間が」
ファッション・モデルのように華奢な『小野宮拓実』が情けない声を出す。
「やだな。降ったら中止になるのかな?」
野外ステージなので雨天中止の可能性はある。
拓実はそれを心配しているのだ。
「開演まで1時間切ったけど……お客さん、まだ入れないんだよね? やっぱ、主催者が中止を考えてるのかも」
来道が周囲を見回す。
「まだ家族と関係者だけか」
拓実が眉を顰める。
「あの人たちも関係者?」
周囲をスマホで撮影している連中がいる。
スピーカーや照明、木に下げられた機械などをチェックしているようだ。
その中心には長身で白衣を着た眼鏡の男がいた。
白衣の男は、手にしたタブレット端末と機械の配置を熱心に見比べている。
来道が怪訝な顔をする。
「医者? 医者が何やってんだ?」
音響機器を点検していた作業服のおじさんが首を捻る。
「あれ? こんな所に取り付けてたっけな?」
確かに変な位置に中型のスピーカーが置いてある。
おじさんは不思議そうな顔で、それに触れようとした。
すると白衣の男が慌てた様子で、「触るなっ!」と、それを制する。
作業服のおじさんは「え? は、はい……」と、手を引込める。
白衣の男は時間を気にしている。
「まずいな。遅れているぞ。何をやっているんだ?」
そこで、まもなく観客を入れるというアナウンスが入った。
全席自由席なので外で並んでいる連中が、一気になだれ込んでくることが予想される。
家族は一番後ろで見守るのが暗黙の了解となっていた。
拓実は落ち着かない様子で言う。
「いいのかな。ボクは家族じゃないのに」
来道は、こともなげに答える。
「いいんじゃない。家族みたいなもんだろ。彼氏なんだから」
拓実の白い肌が真っ赤に染まる。
「ちょ、ちょっ、幼馴染だから! 光が聞いたら本気で怒るから!」
観客を入場させて、結局ライブは7分遅れで始まった。
司会者は遅れた理由を駐車トラブルだと説明した。
「外国人のバンが邪魔して困りましたよぉ! 日本語どころか『ニエット、ニエット』って英語も通じなくて!」
来道はステージ左の辺りをじっと見つめる。
「姉貴の立ち位置はあの辺か……」
MCを挟みながらライブは進行していく。
濃い灰色の雲が南から接近してきた。
そして、4曲目の途中で雷の音が割り込んできた。
フラッシュとほぼ同時に、腹の底を震わせるような雷鳴が響く。
ファンの中で誰かが「近っ!」と、叫んだ。
来道が時計を見て、ステージ右の大木に目をやる。
次の瞬間、『バーン!』と、落雷が直ぐ近くで爆音を発した。
右手の大木に落ちたようだ!
一寸、伴奏が乱れ、スピーカーは苦しげに音を捻り出した。
放電の影響なのか、照明が狼狽したように瞬き、あちこちで『バチバチッ!』と、色んなものが一瞬だけ帯電したように見えた。
音や照明が乱れたのは一瞬で、ステージ上の踊りも直ぐに持ち直した。
だが、突然、ステージ上で演者の一人が倒れた。
「光姉ちゃん!」
「ひ、光!?」
倒れたのは客席から向かって左手で踊っていた『九条光』だった。
ヒカルの周りで踊っていた子たちは直ぐに動きを止めた。
しばらくして音楽が止み、何が起こったかわからない演者たちがステージ上で戸惑う。
拓実が来道のパーカーを引っ張る。
「さっきの雷のせいだ! 電気が『髪さし』に流れたからだよ」
来道は「まさか」と、信じていない。
だが拓実は、オロオロしながら続ける。
「雷は金属に落ちやすいから……頭に電気って大丈夫かなぁ」
混乱するステージに駆け上がった白衣の男が叫ぶ。
「医師の矢内原です! みんな下がって!」
白衣の男を見て来道が気付く。
「あれ? あの医者……さっきの医者だ」
矢内原が連れてきた連中が、次々とステージに上がり、なぜか見慣れぬ機械で倒れたヒカルの周囲を測定している。
騒然とする中、ライブは中断してしまった。
だが、十数分後に仕切り直しで4曲目から、やり直しとなった。
結局、救急車は呼ばず、ヒカルは近くの病院に搬送されることになった。
* * *
ライブ中に気を失った九条光が担ぎこまれた病院。
彼女の弟である少年『九条来道』と幼馴染の『小野宮拓実』が検査結果を待っていた。
待合用の椅子に腰かけながら拓実が尋ねる。
「おばさんは、まだ?」
来道がスマホを見ながら答える。
「さっき会社を出たとこだってさ」
拓実は、指を組みながら呟く。
「けど、ついてたよね。あの先生がこの病院の先生だったなんて」
「矢内原だっけ?」と、来道が苦々しそうに言う。
拓実は、指を組みながら頷く。
「うん。おかげでスムーズに検査が受けられた」
来道は首を傾げながら言う。
「たまたまにしては上手く行き過ぎのような気もする」
楽天家の拓実は呑気に笑う。
「ツイてたんだって! たまたま空いてたんだよ。CTもMRIも」
看護師が処置室の入口から顔を出す。
「ご家族のかたですか?」
来道が「ええ、弟です」と、肯く。
女性看護師が二人を室内に招き入れようとする。
「意識を取り戻しましたわ。どうぞ中へ」
来道と拓実は恐る恐る処置室に入った。
室内ではベッドで上半身を起こしたヒカルが眼を瞬かせている。
「光姉ちゃん」「光!」
ヒカルは、ゆっくり周囲を見回しながら首を傾げる。
「ここは……」
デスクでPC画面をチェックしていた矢内原が声をかける。
「今のところ、異常はありません」
彼は椅子から立ち上がるとベッドに近づいてヒカルの顔を覗き込む。
「大丈夫ですか? お名前は言えますか?」
「名前……」と、ヒカルが力なく呟く。
そして、少し考えてから答えた。
「道長。藤原道長じゃ。藤原の兼家の五男であるぞ」
藤原道長と名乗ったヒカル。
それを囲む面々が言葉を失った。
医師の矢内原が、じっとヒカルの顔を覗き込みながら尋ねる。
「ヒカルさん。自分の名前……本当に間違いありませんか?」
ヒカルは不思議そうに答える。
「何を言っておる? 我は藤原道長であるぞ?」
矢内原が脱力したときのような複雑な笑みをみせる。
「ほ、本当にそんなことが有り得るなんて……」
来道がヒカルに顔を近づける。
「ヒカル姉ちゃん、俺のこと分かる?」
ヒカルは首を傾げる。
「はて? 見覚えがあるような、無いような……」
来道は戸惑いながら尋ねる。
「本当に平安時代から? 信じられない……」
来道の隣で唖然としていた拓実が我に返る。
「ひ、光? 冗談だろ?」
来道が目を見開きながら呟く。
「タイムリープ……」




