中二病炸裂!風雲小田原幕府 昭和62年6月 1.
あぶないヤツがメインです、、
いや~さなん!
例のとんでもねえ社会科見学のあと進路指導室から謎の呼び出しを喰らい、中間テストがあってそれも無事終わり。。
6月である。
その放課後、自分たちの巣である部室・・といってもだ物置として使用されている
空き教室なんだけども。。
そこに騒々しいわけのわかんないのがやってきた。
「いやぁ~さなん!丸山氏はいるでござるかぁ~!」
来たなみちる君よ、、
いつも思うのだが・・その、”いやぁ~さなん”というのはどこの言葉なんだい?
たしか中学の時の社会科教師がそおいう言い方していて、それをこいつがおもしろがって使い始めた・・んだよな。
ありゃあたしか・・1年の1学期だったな。
その社会科教師は学年主任でな、
最初の社会科授業の時に教室に入ってきたときの一言がこの
いやぁ~さなん!
なんだよな。。。
それにすごく反応したのが・・みちるくん。。君だっ!
それからだよ、、
小田原幕府がど~のとか言い出したのは。。
で、その教師なんだが・・
どういうわけか南足柄の方にいたんだな、、
なんとご都合主義な!
まあそうよ、、河口がこっちにいるぐらいだ。
あやのに聞くまでもなく前の世界の"伸二くん"の記憶を使うとだな、
戦国武将河口は実は小学校の頃からその手の病気があり、、、
すなわち中二病
おいおいすでに小学生にして中二病とはこれいかに?
いや、、まえの世界のおいらは小学生ですでに大人レベルでしたがね、、
あの姉妹とおつきあいして中和していったようなもんだが、、
出自の悪さはどうもこうも・・
最期まで引きずったよ。
この身体の"伸二くん"は中学になって戦国武将と知り合うのだけど、どうもいっしょにバカなことをしていたそうだ。。
なにせ、、開明墨汁だぞ、、
あれはたまたま立ち寄った書道部で、なんか書いてみたら?と軽い気持ちで書いたのが
開明墨汁・・
いつぞや・・ありゃ中学2年の時だ。
雨で練習が中止となり書道部で書いているときだけど、
「おぬしにのぼりを書いて欲しいのだが なんでもよい勇ましいの」
というので書きましたよ なんでもいいって言うからさ、、
"風林火山"
「おぬし!それは甲斐武田であるぞっ!」
なんでもいいって言ったのはあんただろ?
じゃあ、、
"柳沢慎吾"
「いい夢見ろよぉ~あばよっ! って小田原なのは確かじゃが ちがうっそうじゃない!」
いいじゃんよ、、
あ~あ~注文が多いヤツだなぁ~とおもい、、
あ、、
"風雲小田原幕府"
「おお!それじゃあ~~!でかしたぞっ!」
どういうわけか、書道部に印鑑つくらされたんよ。
そこそこな値段したんだぞ、、
で、それに署名して捺印しろと・・
「やだよはずかしい、、」
「やぁ~そこをなんとかでござる」
むちゃいうなよ・・
で、最初に書いた風林火山は出来がいいので市の大会にだしたら入賞したし。
とまあ、、なんだかな~だよ。。
その都度"綾乃お姉ちゃん"につっこみを入れられていたそうだが。
「あ、戦国武将・・・何の用かしら?」
いっきなりそれですかあけみちゃんよ、、
よんでくださってありがとうございました。
台湾から油圧式プレス入れたのですが。。取説が英文+中文やん、、
翻訳しています。。
社内に大連出身者いますが、技術的な文章なので珍訳のおそれあるので。。
それで酷い目にあったことがあるんですわ。。
ということで では
DE JI1QAU ex KJ7HHH "MICHI"




