灰色の枢機卿未来の記憶V6XF 11.2博物館にて 1993年8月 伊勢原市 愛甲石田
どうもどう斜め読みしても、職業指導員と1陸技ならびに短大の学位もちいても工業高校1種は無理みたいでして。
そもそも職業指導員は厚生労働省の管轄だし。
というか、
文科省の免許(教職)で厚労省の免許(指導員)はでるのに、厚労省の免許で文科省の免許でないとはこれ如何に?
しゃあないやん、、そういうアレだし。
縦割り行政万歳!
というか、職業指導員 指導方法のみ受験 の資格って超限られるのよね、、
医師免許とか公認会計士とか、、って そんなすごいんか第一級陸上無線技術士って?
ちなみに、、電験三種だとそういうわけには行かない模様です うそやろ?
この物語で丸山伸二が工業高校電子科を教えてますが、これも1陸技に付与されている臨時助教諭という立場です。なので助手=講師。
さらに、工学部編入でなく一発で工学の修士課程とかチート技やらかしているので、工業の教員免許は付与されないと考える。必要な単位がないのよ、、
すなわち、、専攻課程が設置された際の講師となる。
で、講師をやりながら博士課程にすすみゆくゆくは教授クラスにでしょうけども、
厨二病的態度を悔い改め、社会科の免許用いて教員採用試験を再度受け直すというのもあるんだが。。
岡崎嘉平太と池貝はWiki先生見てもあるんですけどね、同氏は晩年にジャパックスの社長に就任していたんですね。
それと話は違いますが、ドラマハゲタカのNHK放送版ですが、あおぞら電機の下り。
中国がかつての恩を返すためホワイトナイトに名乗りを上げるのですが、これ池貝が破綻したあと上海電気集団総公司の傘下となるわけですが、たぶんそれをベースにして脚本書いたんじゃないですかね?
池貝の件は岡崎嘉平太がかつて日中友好で活動していたこともありその恩返し、、、なんでしょうが、結局のところ台湾資本に ちょっとまて CEOおなじやんけ。
ラタ
「久美ちゃん、、、いんや山崎先生から聞いたとおもうけども、あたし一度工学部行ったんだけども大学3年生のときにミュンヘンのドイツ博物館行ってね、そこで工作機械史に興味がわいて卒論はそっち方面でだしたんだけども、、、」
論文書いていてね、就職するのやめようかなぁ~このまま学士入学で人文行こうかなぁ~
って思うようになってねぇ
そしたら
雨宮、余裕あるのならば人文編入でどう?社会科の教職めざすのはどうだ?
って教授に言われて。
「そういえば、、羽根田先生はなんでまた文系から理系に?しかも学士入学じゃなくいきなり修士課程っておかしくない?」
あーあー汐見さん?いきなり後頭部殴るのは反則ですよ?
しんじぃ、、、ほんとさあ、、工学部じゃ世の中変えられないんだっ!とかいっちゃってたけどさ。
「汐見せんせい理屈じゃあないんですよ、、おたくの関本先生もそうでしょうが。
一度西高入って面白くないから自主退学後にしばらく放浪したあと北工入ったって話じゃないですかぁ~自分の場合は工学部じゃ世の中変えられないって てなわけで、闇を暴くために文系に進み管理で入って頃合いをみてクーデターを起こそうとしていたんですよ。『よげんの書』まで書いてさ。そしたらまあ、、」
ゲホゲホッ!羽根田くんっ!
「羽根田先生、、それ闇を暴く、、というよりも墓荒らしですよ。
例の千石の大株主お嬢様ですか。会ったことはないんです 島田家のみなさんともね が、、
あ、鴨宮高校での教育実習、うちでも話題にはなりましたよ。みごとなキサゲができるそうで、、ぜひ見たいものですがそういう場ではないので」
ぐぬぬぬ、、
痛いこというひとだなぁ、、、それでかぁ、あの先輩がニガテとか言っていたのは。
3年間担任だったってさあ。クラス替えのたびにですか、、難儀ですね。
あらら、、羽根田くんたじたじね~
陽子お嬢様、このひとが担任だったらよかったのにねぇ~ まあ県が違うし。
館内を歩く
いちおう雨宮本社のこの施設、、というよりも本社の一部については普段から一般の方も出入りできるようになっていて、本社本館ビル3階までなのだけども
エレベーターも一般用は3階までとなってます。
なにをトチくるったのか、結婚式場まであるんよ、、
わけがわからないよ、、
そこそこ人気あるらしいけども。
あと、レンタル会議室がとある私大通信学部の単位取得試験会場にもなっているのよ。
「よくまあここまで集めましたね、、雨宮さん」
おもにあるのは米国製工作機械
しかも1900年代初頭のものである。
古き良き時代のあめりかんどり~むですか。
「ええ。初代である雨宮幸三の趣味だったそうで、、日米関係がもつれる前に作られた日立精機のターレット旋盤もありますよゴーハム設計の。どう考えてもあれはオーパーツですが、、、
ここからさきは、、、羽根田先生や坂崎さんもご存知かとはおもうのですけどね、
雨宮と牧田の裏歴史、、ちょうど樺太戦争だっけ?紛争だっけ?アメリカ軍に頼んで自軍もろとも核の炎で消毒したやつ
一説だと、、源田実が乗っていたとかで
そのあたりにで、うちの爺様と牧田定吉となにかの行き違いでケンカ別れしたあと、何名か引き連れて越谷の方に出て店開くんだけどもね。
*まあいろいろとねぇ、、、それについてはしょうもないはなしはさておき
ここを回りながら重要と思われるところはお話しましょうか。
あ、わたしもともと小田原の出身だからね」
えと向こう側の場合、大戦末期に牧田定吉が招集され終戦はビルマ戦線で迎え翌年に復員したまではいいんだけども、そこで行き違いがあった とされる。
そこに仲介で入ったのが島田さんなんだけども、結局のところ仲違いしたままで何名か引き連れて越谷の方
正確には鳩ヶ谷に行って店を開いたというのだ。
まあそのあとは朝鮮動乱やらなんやらにのっかり、、あやしい商社活動のようなこともして小田原に凱旋し一時本社工場をそこに設けたのだが、規模拡大で伊勢原の愛甲石田付近に本社を移したという。
朝鮮動乱が樺太紛争の違いはあるが、似たような途を歩んでいるのは確かだ。
ここにあの児嶋さんいたらなんと言うでしょうかね?
聞いた話ではいちおう雨宮さんとはお身内になるそうな。
どういう血筋かはしりませんけどね、、
知りたいとも思わんし。
「汐見先生、牧田家と雨宮家は現在どのように?」
「とくにないわね。いちおう、、挨拶程度にはだけども、いまだに基本出入り禁止だし。
坂崎さんに来ていただいたのは、、、超法規的措置です」
おいおい、、こいつの監視役ですかね、、お姉ちゃん泣いちゃうよ?
*小関智弘『春は鉄までが匂った』を読むと 実名伏せてありますが、おいおいなことが書かれています。
調べたら、「アメリカにそんな会社ないってば!」なこととか、、
それはいまから半世紀前に流行った某飲料メーカーのヨーヨーキャンペーン、
全米ヨーヨーチャンピオンみたいなのか?
一度近所の酒屋に来ていたのを見たことあるぞ。同級生の店ですわ。
あれに書いてあるのはアマダ黒歴史の一部です。
商社的な色合いが強かったのかいろいろとねぇ、、でもさ80年代のアマダさんすごかったよねぇ
テレビ番組のスポンサーとか、アマダ日産でグループC出場とか。
小田原のアマダソノイケがなくなったのは、、、小田原の産業衰退としか思えんし。
まあ、アマダソノイケだけじゃなく、日本電気や日立とかの移転とかまああるんだけどさ。湯浅はAmazon、、
そもそも市政がががあああああ~革新も保守もどうもこうもですわ。
小田原城北工業高校 最後の文化祭 無事に終わりました
https://kj7hhh.fc2.net/blog-entry-432.html
初日に地元の国会議員である佐々木ナオミ議員 西湘高校OG が来校しましてぇ、、
いろいろお話させていただきました、あの資格について。
秘書の方が記念写真取りましたので活動報告に載るかもしれませんわぁ、、




