いつからうちの同好会は鉄道研究会になったの? 昭和62年2月11日 5.
切り出してきた青竹が変形し始めたので油抜きしました。
もう一回煮ないとだめかな?
拗らせてGO!
さて、、あのお二人はどうやら奥の院・本殿間の通信後におつきあいはじめたそうで。。
高橋に
「この間、去年の11月ごろだけどねなんかすごい通信があったみたいなんだけど知っているかな?」
と言われたんだけど、適当にとぼけましたよ。
「いやいや~アシガラAB11というコールサインが聞こえたと震生湖移動の山中さん言ってたんだけどなぁ~」
さすが大山主・・この世界でもいるんだ、、
たしかあれだろ?東海大学の学生、、いまはまだ高校生だったか?
どうだっけ?
「そのあとは、かながわDK38だし。じぶんは無線機貸しただけだよ」
「それならあれか、、あれね・・よく飛んだみたいよ。秩父で受信できたみたいだよ。
相手さんの方もねぇ~それもまたなあぁ、、"かんとう広域"の宮下さんが受信しちゃったんだよなぁ~おれもライターの一人だけどさぁ~」
「まじかよ・・・やばす」
理論上・・あの位置からだと直接波で半径80km圏内だし、スポラディックE層発生していればどういう落ち方するかはわからんけどな・・それと、電離層様が活発ならあれだ・・赤道越えて*オーストラリアまで飛んでいくぞ、、
ちなみに、この数年後に解放されてとある**市民無線愛好家によってその特性が見抜かれて広まったというわれるのが、特定小電力無線 10mWで場所次第ではえらくとぶ。
なので、、
・アマチュア無線や市民無線はみんなが聴いている。他人に聴かれても恥ずかしくない話をすること!
・特に、猥談(すけべな話)は電波法違反。
守ろうなっ!
「ん~なんか、市民無線で愛を叫ぶ!とかいうタイトルで書くとか。。
なので、当事者様に聞いてくんないかあ?」
おいおいおいおい!
とまあ、数日前に聞いたのよね。。市民無線でのお話で。
「ということですお二方、、、あの会話・・秩父山中で受信されたそうです。で、記事にするそうですが・・・まあ、"かんとう広域"はミニコミ誌ですけどそこそこ発行部数あるのでね、、北工の高橋がそのライターの一人ですが、編集部から確認して欲しいと。。どおしますか?」
と、大雄山駅で聞いたんですよ。
両名とも顔真っ赤だし・・
「えらいことやらかしたなぁ~たまげたわぁ~ まあ覚悟はしていたけどさぁ~」
まああの位置じゃ理論上そうなるわねぇ、、
「ねえ、、勇、、どうしようかぁ?」
ちょっとかんがえさせて、、、
とまそういうことで、塚原-相模沼田間の"ふたえきさんぽ"というなんとも・・なことになったのよね。
でだ、高橋のやつ・・なんであの場所でやってんだか、、
ということで、相模沼田で乗って飯田岡駅まで来ました。
ここから10分ぐらい歩いたところにある神社 北ノ窪天神社にお参りすることにした。
理由ですか、、、
理香さんいわく・・
地図にかいてあった!
千石家とは??
あの陽子ちゃんも大概なんだがさあ、、
*例として1980年に藤沢海岸-ブリスベン間2-WAYS成功している。
当時の電波法では"簡易な無線業務"という縛りがあったため、海外との交信はおおっぴらには出来なかったという。
その解釈だと・・アマ無線的交信はあかん、、となるのだけども・・
免許制度廃止で"簡易な無線業務"の一文は抹消されたのですがね。
市民無線でアマ的交信はじめたのはアマ無線の人たちで決して故皆川隆行氏ではないのです。
この辺はたまにフリラ界隈で沸いてくるんですよね・・・
ちなみに、アメリカにてCB裁判というのが過去にあり、結果的にアマ無線的交信を認める判決がでておりまして、、
https://sites.google.com/site/cb465mhz/ このあたり。
**だれとは言わないが、、むかし板橋区に住んでいた人とだけ言っておこう!
よんでくださってありがとうございました。
青竹煮ましたが、5分ぐらい熱湯で煮て引き上げると さーーーーーっと
色が変わりますね。。
油抜きしないと竹の水分で腐るとかで。
変形してしまったので光源をどおするか?? 悩むわ・・
では DE JI1QAU ex KJ7HHH "MICHI"




