ルクロイ・マキタ シンシナティ オハイオ州 合衆国 3.
スマホがとうとうダメになり、、5年超え タッチパネルの20%がイカれた、、のでau行って機種変更を、、
XPERIA SOG06 ですが、ストレージが220GB ってその辺のノーパとタメはれるやん、、
カメラヘッドはカールツァイスT*だし、、
近々これにスマホ版のFT8アプリいれてFT232RLをうまく認識してくれれば、、、FT817NDにて。。
タッチパネルで操作って、、めんどくさいね画面が小さいし。
フィンランドのOH8STNがそういうことよくやっているんですけどね。最近そのようつべみていない、、
百均でUSB Aのアダプタとイヤフォンジャックアダプターですね。
ルクロイマキタ とは、、
もともとシンシナティ界隈で旋盤を製造していたルクロイ鉄工所に牧田精機が1984年に資本参加したのがそもそもの始まり。
というのは、工作機械の対米輸出枠確保が難しくなりその迂回策として出たのが現地生産であるけども、猫屋敷が例の一件で渋り・・・
その渋った猫屋敷はぼろもうけしたんだがな・・土地転がしするわ牧田精機から賠償金巻き上げるわ、、、それをやったのが、千石陽子のじいさまで牧田技研の取締役までやったお方だ、、、まあそのウラで千石通商という、、うさんくさい商売を・・・土地転がしとカネを巻き上げたのは通商ではないというんだけどさ、、
脱線、、
シンシナティ郊外にある老舗の旋盤メーカールクロイ鉄工と交渉し合弁会社を設立。
それが1984年のお話。
1986年から88年まで牧田俊介氏がルクロイマキタの社長としており、あちらでは任期がおわって帰ってきた牧田専務と英語とドイツ語で面接してしまったという経緯がある。。。うんそんな事実もありましたね、、マシニングセンタ等については89年まで完成機の供給をおこない、90年からはノックダウン生産96年から現地生産開始。
このノックダウン生産および現地生産により、アメリカの軍需産業にmade in USAということで堂々と入っていくことができるようになったのだ。それが目的だったのかどうなのかはしらないんだけどね・・1992年試験的に上田製作所に導入したR77 2機構成のマシニングコンプレックスの結果がよく いろいろ改良点はあったんだが・・ 1998年にボーイングに対してR100M2 4機構成のマシニングコンプレックスを納入。ボーイングといっても、、元のマクドネルダグラスの方だけどね、、おもにF/A-18のパーツですね。
その頃になると創業家から会社の売却話がでて、合弁解消の後買収ということになってマキタセイキアメリカとなった。
ルクロイという元のブランドで旋盤の製造販売は引き続き行われることとなった。
で、そのあたりで家族で赴任するわけだ。
まあ、、朱美の離婚話やらありましたが・・・
この8年後ですか、、、あけみちゃん・・いいのみつけてほしいね。。。
というか、、宏美さんに脅迫されましたが。。う~ん、、高校生ならいいのがおみうちに、、
・・
シンシナティ・ノーザンケンタッキー国際空港からまあどんぐらいだ、、
なんだが・・いきなり移動はなんですので空港近くのターミナルホテルに泊まる手はずになっているという。
到着ロビーには現地駐在員がいる手はずだけどさ、とりあえず大学の関係者ということで話が通っているというのだ。
まてや、、こちらの時間ではまだ土曜日ですよね?*土曜日の明日は日曜日なんですよ。なにをせえというのですかね?
ターンテーブルから荷物を。。。は坂崎さんだけで自分は手荷物で機内に持ち込めるていどだったんで。。ピックアップし、到着ロビーに向かうと、鈴木という現地駐在員がいた。歳の頃合いは28歳ぐらいか?
みたことあるな・・
「坂崎主任と、、静岡大学の丸山さんですね。お待ちしておりました」
さくらさんって主任なんですね、、、って早くないですかね?本当にこの人・・短大卒で地元枠新卒採用なんですかね?
歳さばよんでねぇか?このおねえさまは?
「羽根田くん? くだらないこと考えたでしょ?恵にかわってぶち殺すわよ?」
これだもんなあ、、、
ということで、鈴木さんが車を取りに行きその車で5分ぐらい走ったホテルにチェックイン。
お代は鈴木さんのカードではらったのだが、あとで千石通商にまわされるんでしょう・・しらんけど。
チェックインし、10分後にロビー集合で食事となり、、あすの予定となった。。明日は日曜日やで?
「9時にお迎えにあがります。そこからルクロイマキタに行きます」
あんだって?日曜日やでえ?
「ちょーとちょっと!日曜日なんですけどさ?どゆこと?」
じつは、、自分はあくまでも連絡員のたちばでしかないのでよくわかりません、、が、ルクロイマキタに牧田社長がいます。
とまあ説明を聞き流し、、、たあとで、
なにか質問とか?というので。。おもむろに
「あの、、鈴木さん、以前お目にかかったことありませんかね?」
歳がおかしいんだがよ、、たしか自分より2歳ぐらい下のはず、、
ぼこっ!
いてえ、、 おねえさま、、にらまないで、、こわい!
「あ、、お二人、仲がいいんですね。。丸山さん、、いえ、、羽根田課長ご無沙汰しております、、北米のときなんども助けて頂いたのに、、そのご恩に報えませんでした、、陽子お嬢様にはそのことで怒鳴られましたよ、、」
あ~あ~やだもう・・このあとさくらさんに正座させられるんだぜ?
娘さん、、美人でやさしいのにな、、千春ちゃん。。
「羽根田くん? いらんこと考えた?? 千春ちゃんのこととか? ううう、、千春ちゃん~」
なんなんだこいつ・・たしかに千春ちゃんかわいかったね、、北米にいかず上田にいて。。この人とかといっしょに、、、それはムリだったか、、
というか、、この人いつ結婚したんですかね?
上田にいたときはすでに宮坂姓でして、千春ちゃんいたのよね。3才ぐらいでしたっけね?
4月生まれだからそうつけたとか言ってましたが。
お相手さんは牧田精機上田製作所管理部の方でして、、
「上田かあ、、、」
「羽根田君、、どおしたんですかね?」
「さくらさんのお子さんのことを、、、怒らないでくださいな、、有希ちゃんと仲良かったんですよね・・あと内田優美子ちゃんね」
あ、、そうだったわね、、
1年近く会えなかったけどさ、、
・・
翌日 鈴木さんの車でなつかしのアメリカ現地法人、、いやこの場合は合弁か、、ルクロイマキタを訪問。。
とりあえず、大学の研究員みたいな肩書きになっているんだけど、、年齢的におかしいだろ?保安上パスポート見せるからさ。
休日ということでエントランス付近に車をとめ、来客用玄関からはいると・・・
あれまあ、、自らお出迎えとは、、いやいや、、恐縮ですわ。。
そういうのってさ、、、 JIMTOF1992のあとに開かれたアフターJIMTOF以来ですね、、
まあこの世界じゃそういう公な場面はまずないので・・
そのときにでたタウン誌がある界隈で騒ぎになったとかいうウワサをきいたんだけどさ、、
京香さんも変なこと言っていた記憶が、、
なんですかね? なんだとおもいます?
さておき
「はじめまして、、、というべきか。。どっちの名前で言えばいいんですかね、、」
「いろいろ通り名とかあるので、、牧田社長のお好きなので。。」
まあこれぐらい言わないとな、、いきなりオハイオくんだりまで連行されたんだ・・
「では、、ごぶさたしております 羽根田伸二課長 それと、、坂崎主任ご苦労様です」
そおきたかよ、、 まあ最終所属が広報室で課長だかんね、、、
広報室っちゃあ聞こえはいいが、やっていることは株主総会の準備とかさね。超閑職ですわね。
おかげさまで定時にて帰ることができました。
ごちそうさまです。
上海で自殺一歩手前までいったしな、、あれはいったい。。。なんだったんですかね?
「牧田社長、そのタイトルはいまはなしでお願いします。3月24日にあの猫屋敷でお話いたしますので、、」
こくりとうなずき
ええ、、わかっております と一言、、、
と応接室に自ら案内、、、このへんはかわらないね、、まあ工場内は自分がいたのはここから約8年後ぐらいだしね。
この本館はほぼ同じだし。
つんつん
"あい?"
"言葉選びなさいよね?"
”わかってますよ、、、、、千春ちゃんのママっ!”
あ?
ぱかっ~ん
「あでっ、、なにするんやっ!」
「だれが千春ちゃんのママですってええ?? このくそがき!綾乃ちゃんには悪いけど、やっぱ恵にかわって天誅をくだしたるっ!かくごせえ!」
や~めぇ~てぇ~かんにんやぁ~
それを見ていた牧田三郎、、、、
「仲がよろしいんですね、、姉弟みたいですね二人とも」
はっ?
あっ!
「もうしわけございません、、、」
「おとなげないことを、、、」 またやっちったわ、、、
あ~ほんとに、、、なにをやっているんだか、、
「では、、本題にはいりましょうか、、、単刀直入にですが・・羽根田伸二さん、、猫屋敷にある例のものですが、、」
お~お~最初から爆弾投下かよぉ~
*某構文 Twitter現ポスト界隈のツンズロー構文




