閑話 現場教育はいじめとちゃうんやで? 2005年 牧田精機
フライト予定日。。だったんですがね?
奥州市にいるし・・
こじらせてGO!
このものづくり業界、、平成も半ばぐらいになるとコンプライアンス的にパワハラとかセクハラとかで、いろいろある意味でやりにくくなったとかいわれていたのかは・・定かではない。
はい?
セクハラ関係ないやん、、、
おおありだよ、、現場のとくにオッサンが若い事務員にセクハラ行為を働くとか実際あってな、、オッサンに限らずなんだが。
とくに組立や加工現場で今まで通り新入りに対して、「おいこらコノヤロウ!これ片付けておけ!」
がパワハラ認定されて最悪始末書沙汰に発展する。
「それ片付けといてぇ」は問題ないのだが、必要最小限の礼儀作法すら教えないので部活のノリでこういうことが昭和から横行したのだった。
まあ、、自分が前の世界で入ったのが平成元年の4月なのだが、、、
まあ・・世はまさに世紀末!と、千葉繁の叫び声が聞こえそうな現場だったことは懐かしい。
1989年だからそもそもが世紀末なんだけどもさ、、
そこに世紀末救世主は現れなかったんだな、、
現れていたら、、どうだったんですかね?
いやまじで、、
ここだけ、、昭和40年代の町工場ですかね?って感じでさあ、、
侍ジャイアンツをいうか、アパッチ野球軍なありさま。
まあ北斗の拳なヒャッハー!なヤツはさすがに、、だけども、昭和40年代スポ根マンガバリなキャラがもうね、、、
重複してますね・・すんません。
総務の連中も、そのあたりはアンタッチャブルゾーンとして隔離施設にしているらしい、、
だめだろ、、零戦黒雲一家とか兵隊やくざとかそういうノリは、、
まあそこに運悪く新人で配属されたのが、、北工機械科の加藤君だ。
のちに総務の*山口めぐみさんと結婚するんだけど、、それは別の話。
ものづくり現場における一般常識的に。。。
基本的に物事は教えない
教えても必要最小限 一回しか言わない等
それだけ真剣にやれ!という意味なのだけどもさ。。
山本五十六のお言葉に
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」
というのがある。
ちなみに山本 高野五十六は、おとうちゃんが56歳のときの、、だそうで。。
まあ、近代化された生産現場におけるものづくり教育とはまさに山本五十六がいうその通りなんだけどな、、それに科学的管理手法を混ぜればほぼOKや。
なにゆえそういう当たり前のことが、当たり前のごとくできなかったんですかね?
科学的管理手法を取り入れたところ 自動車メーカーとか はまあよいのですが、
工作機械となると、職人技の世界だ。
いわゆるクラフトマンシップという世界
これを間違った解釈をして横柄な態度をとりだすのが出てくる。
技能は先輩を見てワザを盗め
一回しか言わないに通じる物だが、キサゲに関して言うと基本的なことしかまず教えてもらえない。あとは見よう見まねでワザを磨け、、、
なんだけど、
これがまたなお話。
先輩のワザを盗み、ズボンのポケットにウエス布を何枚か突っ込み腰でキサゲをかけていると
「おまえ!なにポケットにウエス入れてんだぁごるぁ!ち○ちん腫れるまでやらにゃわからんだろうがぁ!」
とむさ苦しい髭ずらにごるあ!されるのだ。
ここで、「中村さんのマネをしただけですっ!」
というと、「なにいってんだあごるあ!」となるのだ。
血の気の多いヤツだと
「ちょっとまてや、、おまえどこ中の野球部やごるあ!」
となるので要注意なのだが、、
中途半端な先輩のワザを盗むと、やはり劣化コピーするのでほんとよろしくないのだ。
そもそもだ、物事教えるというのは自分がしっかりわかっていていないと教えることが出来ない
のだけども、教わる相手がしっかりわかってないやつに聞いて、そうなんだ~と理解してしまい、
「○○これってどういう意味かわかるかぁ~」ときかれあやふやな内容で答えると・・・
「おまえなに教わったんだあ?」となる
いやいやいや、、あの先輩にそう教えてもらったのですけど?
とは言えず、、すんません、、と萎縮するのだ。
さすがに、「じゃああの先輩はバカなんですかっ!」とはいえないよね、、
あとでなにされるかわからんし。
21世紀になり、コンプライアンスとかが叫ばれてとくに機械加工部門は自動化され
新人は箒もってたったまま立って寝るワザを習得する必要はなくなったんだが、さすがの組立もこの頃になるとバブル崩壊後の高卒新人を採用しなかったツケと、それ以前の問題で中途半端なものしか残らなかったため、穴埋めは派遣業者から という事態が発生。
なるべくキサゲを使わない、現場で手直しをしない方向になったにはなった。
じゃあ、、それにあわせた設計を。。無駄を排除したという意味なら正しいんだが、、
とまあ、創業者の牧田定吉が土に還ったあたりでどうにかしないと。。
ということで、生産性向上委員会ならものが立ち上がったのだ。
それにどういうわけか北米から帰ってきたばかりのわてくしが参加することになったんよ。
通常業務やりながらですがね。
そこで、自分は最初の配属がこうであり当時はこんなでどうなのよ?ということから始まり、戦前戦中戦後のやり方を21世紀にもなってひきずっているのはどうか?と。
案の定、、なにいってんだこいつ? という目で見られたよ。
なにについて、、、かは?
当時の生き残り、、、当時の岩崎班長いるけどなんか黙っている。。
そこで、、
「いままで、組立では
基本的に物事は教えない 一回言った二回目は言わねえ
技術は先輩から盗め
が基本だったかと思います。
まあ、、最近ではどうか?というのは・・・わたしも95年頃から上田に行き、一度厚木に戻ってきて北米に5年間にて帰ってきて、、多少は変わったみたいですが。
工程自体もいろいろ変わりましたし」
と、、ちろっと岩崎班長をみると、なんかバツが悪そうな。。
この人には恵との同棲の件で助けてもらったんだよな、、
その節はどうもです、、
「まず、、前近代的な考えをあらためる。。
かの山本五十六のお言葉からですが・・
やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ
これですよ」
なんかうすら笑っているのいるし・・
こまったもんだわ。。
このうすら笑いの意味が後にわかるのだけどもさ、、
「つまり羽根田、、いままでのやり方ではだめだと?」
「そのとおり、、といいますか。。。あの時代でもそうなのですよ、、岩崎さん、、それを組立現場では体育系部活のノリでやっていたわけでして」
なにいってやがる、、
これだからなあ、、
「言いたいことはわかる。変えなければなければならないとはわかっていたのだが、なかなか出来なかった、、というよりも変えることができなかった」
あいさつすらロクに出来ないんだからさあ、、総務主導でやろうとしてダメでしたよねぇ
「この、山本五十六が言った言葉に科学的管理手法がくわわって、精神論とか言う部活なみのまんまいじめがなくなればいいとおもうのです」
そこでまたさわぐ、、
はあ・・加工課からはなにも出てこないが、、組立はだめなのか。。21世紀になって何年だよ?もうかれこれ6年ぐらいだよ?
「じゃあ、、あんたらに聞くが、、いじめにちかいしごきやって中途半端な技能者つくり、新入りやめさせて派遣で穴埋めさせた責任とれるんだろうな? あとそれによって、、機械加工精度でパーツの精度を出す必要になった箇所があるだろ?それによってコストが上がった箇所もあるんだぜ?」
といったらだまっちまったわ、、
たしかにまあ、、いままでキサゲでないとだせなかった精度を機械加工で一発で出せればそれにこしたことはないのだが、その精度をだす場合、、それ以上の精度が必要となる。倍で済めばいいのだけどもそうは行かない場合が出る。
会合が終わり外に出たところで岩崎班長に呼び止められた。
「羽根田、、おまえさんがああいうとは思わなかった」
「いやいや、、組立経験して管理部にいればだれしもがそう思うことですよ。北米で痛烈におもいましたよ、、」
そうか。。
「おまえさん、気をつけた方がいいぞ」
「なにをです?」
「羽根田が北米にいたときに、、ちょっとな、、」
あ~あ~
「平松さんですか? あの件で自分はシロでしょ?上田で、上田設計と家族ぐるみで遊んでいましたけどねぇ 内田君の親戚にはお世話になりましたよ。
昇進のことはしょうがない、、名誉大卒ですからね・・なおかつ教職もちなんて目障りでしかないでしょ?」
「わかっているなら・・羽根田、いまからでもやめて教職になった方が、、」
「むちゃ言わないでくださいな・・教育実習以来教壇に立っていませんし」
その後、全社をまきこんだ職場改革がおこなわれた、、
それにより軍隊並みのイジメや旧態依然の体制がなくなった。
そんなとき。。マレーシア行きの話が舞い込んだ。。
*イメージ的にはリコリスリコイルの、みずき あんな昼間から酒かっくらっている感じではないのだが、普段はおっとりしているけどキレるとやばい感じ。
よんでくださってありがとうございました。
この時期でも現場、、とくに組立は体育系部活並みのところがあったみたいでして、、
そもそも・・現場で全部教えるなんて無理なんですよ。
まずは定年間際あるいは定年後に嘱託の本当の意味でのベテラン=退役軍人 この場合退役職人
から新人にワザを教えるのがまともなことでして、、三井精機や安田工業、静岡鐵工はそんな感じでキサゲを教えているみたいですが、、
いきなり現場ぶちこんだらどうなるか?なんてわかるでしょうに・・
ということでこれを書いてみました
では DE JI1QAU ex KJ7HHH "MICHI"