記憶の散策 佐藤朱美 昭和63年11月23日 早川 小田原市
昭和63年のこの日は、塔ノ峰に行っていました。
恵さんのことはなるべく考えないようにしていたんですよ、、
追いかけていればよかったんですかね?
こじらせてgo!
「しんじ、、、あなたここの燃料タンクのところでめぐみおねえちゃんに告白したでしょ?」
ちょ!
「はあ?しるかぼけ!んなとこで告白するアホおるかいっ!」
「だって!あなたが小学生の時に、、中学生のめぐみおねえちゃんにこの!この燃料タンクの前でこくはくして、、あたし泣いたんだからぁ~」
ううううう、、、、しらねえもんはしらねえよ、、、
「しんじ、、あなたって人は。。。」
目つきわるくして見ないで欲しいよ、、あやのぉ~~~
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ヨシフ・スターリンは、
『たった一つの死は悲劇だが、100万の死は統計に過ぎない』
と言ったそうだけど・・
それはさておきとして、、
なにを言っているんだあたしは??
*普通の女子高校生はヨシフ・スターリンの言葉は引用しません。
西園寺まりいの愛読書は以下略。
どうもひっかかるのよね。。
まえに早川の小田原漁港行ったときだけど、燃料タンクとアパート。
あれはいったい・・・
しんじにあとで聞いたけど、
なんのこと??
と言われて終わってしまったのよね。。。
しんじの話だとさ、小田原漁港すなわち早川で記憶が二つあってね
ひとつは、ここ早川で溺れかけて恵さんとやらに助けられた
もうひとつは、あのあやのと溺れかけ、近くの大人にたすけられた。。
というのだ。
だがしかし、、、燃料タンクとアパートについては、あるのは知っているけどもなにがあったかはしらん!とういうのだ。
いまここにいるしんじが知っているというか奥さんだった恵さんと、わたしの姉だっためぐみおねえちゃんとは別人??というか、、ズレ??
で、ここのしんじは、ろりっこと溺れかけたあとに近所の釣船屋さんで一緒に風呂入ったというのだ。
え、、あのふたりって・・小学生のときにすでにいっしょに風呂入っていたと、、
まさか・・ふだんからいっしょに風呂入っていた??
じゃあなにかい?あたし最初から勝ち目なかったの??
でもあれだよね? あやのちゃんって、、小学校4年から南足柄で、、、
まさか・・中学生のとき??
ってことはさ、、もう中学の時にえっちしちゃった??
いんや、、本人曰く、、高校入ってからって、、
しんじ、、、あのメイクして迫ってみればなにかいろんなことおもいだすかも??
わたしのこと。その恵さんだと思ったみたいだし・・
ただ・・その"めぐみおねえちゃん"とイメージ違うのよね、、
風呂の話はさておき、、
「ねえ、、しんじ "あけみお義姉ちゃん"からおねがいがあるんですけども」
なにやらやばそうな言い方するよな、、、
”あけみお義姉ちゃん”ときたか。。
そういう言い方されるのは実のところはじめてではあるんだよ。
「な、、なにあけみお義姉ちゃん??」
ま~たなんか変なことはじめたわねぇ、、あけみちゃんよ?
ついでに、あやのちゃんはあなたの義姉じゃないからね?
あなたもいっしょにおしおきしないといけないかも?
「あやのちゃんもいっしょでいいけどさ、、ちょっと行きたいところあるのよ、、」
ということで、どういうわけか根府川まで来た。
よんでくださってありがとうございました。
筋子買いに行く予定があったので、南鴨宮に2週間連続で行きました。
西湘高校周辺の散策ですが、鴨宮周辺の引き込み線跡もみられました。
西湘高校付近にもあったんですね引き込み線が。
筋子買ったスーパーの目の前にあるアパートというのが、、ほんとうに好きだった人が結婚して
住んでいた場所なんだよな、、
せつないわ。。
ではまた DE JI1QAU ex KJ7HHH