昭和63年8月16日 3.
「ねえ伸二くん、、ほんとうに就職でいいの??」
「よかねえし、、腑に落ちないというか解せない点は何点かあるのだけどねぇ~まあ学費とか生活費とか、、恵さんとのおつきあい・・その先かんがえるとなぁ~んだかなぁ~だねぇ~」
、、、、辛いよね。。せっかくがんばったのにさあ、、
「ねえ、、まあいいや。。アップルパイ食べちゃおうか?」
「おねえちゃんにおこられますよ?」
朱美がなにを言おうとしたのか、、、わからなくはないけども。。
恵さんが帰ってきて、今日あったことを話した。
「結局まあ。。そうなるのよねぇ、、いろんなことを考えると、、無理に大学行くより就職して学位取った方がいいかもしれないわね。。大丈夫だよ、、わたししんじくんのことまもるからね」
「恵さん、、」
「恵でしょ?ちゅっ! あしたお休みだから、、泊まっていく?」
うん
「ひさし、、ぶり、、だよね、、にゃあ~」
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8月16日に就職にて牧田精機製作所を受けるという願書を提出。
不本意とはいえ、現実的にこれしか選択肢がないというのが痛い、、
昨日、恵の家で遅くまでこれをだすかどうか?実の頃悩んではいたのだ。
「しょうがないよ、、、就職して、学位取って再起をはかろうよ。。しんじくんは1次試験だけなら宅建だってあるじゃんか。ね、、わたしがあなたのことまもるから、、大丈夫だよぉ~」
「う、、恵、、」
「泣いていいよぉ、、」
しばらく恵の膝の上に顔を埋めて泣いていた、、ねこのちいちゃんもそばに来てくれたよ。
なんでこんなことになっちまったんだ?
なにがしたかったんだ自分??
中学の時、陸上はまあそこそこ足が速かったから・・という軽い気持ちでやったけど、あんなことさえなければな、、運がないんだな。
ここに来てこれだ。
自分には・・年上の恵さんしかいないと、、いうのか?
まだなにかあるはずだ・・
いまは無理でも、、
そして、、その34年後。。
早期退職者リストに載り、その後、、守ってくれるはずの恵と離婚した。
いや
恵のことを、、守れなかった結果だろう・・・・たぶん。
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「ねえ、、しんじ・・・目が腐っているよ、、どうしちゃったの?またいや~なこと思い出したんでしょ?めぐみおねえちゃんのことでしょ?だめだよぉ~」
「しんじ、、きょうは練習ないからね、、おうちでゆっくりしようね、、」
「お義姉ちゃん、あたしもだよ?」
「わかっているわよ、、いもうとちゃん」
こちらの昭和63年8月16日においては、なにも書類を提出することはなかった。
あの、牧田精機にだした書類は一種の降伏文章へのサインだったのだろう。
もしあのとき、恵の膝の上で泣かずに徹底抗戦を叫べばどうだったのだろうか?
昭和20年8月15日の玉音放送で"停戦"となったわけだが、一部の部隊では特に裏切り者のソ連との戦にはげんでいたわけで、そのおかげで北海道占領というスターリンとルーズベルトの密約通りにはならなかったのだが。
まあおそらく、、、
あれ以上の酷い展開になっていたのかもしれん、、
すなわち、、本土決戦か
それがどんなものかはわからないけど、おそらくは恵と結婚することは出来なかったと思われる。
それにより心の支えをうしない、、、
最悪かつ最善策 だったのかもしれないな、、
わからんものだ。
「しんじぃ~ やさしくしてあげるからぁ~」
「ねっ! あたしはしんじのおねえちゃんだからぁ~のーかんだしぃ~」
「ねっ!じゃねえよぉ~!」
あうっ!
恵さんやい、、しんじくんはへんに拗らしているけども元気でやっていますんで、、こっちのあけみちゃんはそっち同様にお義姉ちゃん、、かってに主張、、だけども、元気にやっていますよ。
よんでくださってありがとうございました。
進学がムリ、、とわかったのが昭和63年4月ぐらいのことでして。。
諸悪の根源は母親の無駄遣いなんですけどね、、化粧品に3ヶ月で10万とか
月に1回夫婦でゴルフ もちろん19番ホールで宴会あり 多いときは月2回だえ?
パブリックで安いところとか言い張っていましたが、休日2万はしたんじゃないかな?
で、8月15日の晩にもめたんですがね、、
恵さんはそこにはいませんよもちろん。
ちゃんと恵さんに相談していれば、、まだなにかあったのかもしれないけどさ。
運がなかったんですよ
ただ、8月15日以降に徹底抗戦≒進学を行うとした場合、最悪あの母親のことなので退学させられた
可能性もあったのですよ。
ソ連の北海道侵攻作戦ですわな。
どうなのやら、、
では 次回は昭和63年度南高祭編です。
DE JI1QAU ex KJ7HHH "MICHI"