児嶋淑子とのお話 昭和62年8月31日 3.
尊徳記念館行ってきました。
昭和63年ぶりですね、、34年前かあ~~~
34年前の2月13日にもどって恵さんに告白したい。。
結ばれる可能性は最近の分析だとかなり低いのですが。。。
こじらせてGO!
そんなこんながあって、夏休みも終わりの日
児嶋さんよ、、あなたなにをかんがえているんですかね?
なにゆえ・・中学のときの制服なんですかね?
まあ、、あやのもおかしいときあるんですが、中学の時の制服着てそのへんうろつくことはないよ? 夜は、、別ですがね。
お胸のあたりがきつそうで。。。やばいですよ?
あなたについては、、もうあきらめたよ、、、もうお手上げ
というか、その制服で原付乗ってきたんかあ?
おま、、通報されるぞ?
うちの学校は、原付については申請さえすればすんなりと通るんだよね。
中型となると、まあかなり書類書かされ独自の適性検査まで受けないととと、、
しかし、今回なんでふつうの格好してこなかったんですかね?
ここ尊徳記念館は、場所的に小田急線栢山駅と富水駅の中間点ぐらいにある小田原市の施設である。
じつはこの報徳記念館だけど北工の3年時に生徒会やっていた関係で、ここの泊まったことあるのよ。
生徒会長はあの高橋洋介だ。
それが向こうの時間でいうところの昭和63年6月初頭。
じつはこの頃まで進学について模索していた。
国立の長岡もしくは豊橋なのだけど、どうにかならないか?と恵ふくめて模索したのだけど、、学費についてはどうにかなったのだが、問題は住むところだ。
雑念が、、、
昭和30年に二宮尊徳の生家付近であるこの地に建てられ、二宮尊徳に関する資料等を展示しまた一般教育の場として活用されている。
なのですが、現在新しい施設を建設中につき・・出来るのは来年じゃねえかよ!
そそ、生徒会の合宿会議が開かれたのはあたらしい尊徳記念館だよ。
できたてのな。。
「おい淑子ちゃんよ、、、」
「なっなんでせうか?」
「おまいさん、、、1年間違えてねえかぁ?」
ぎくぎく、、、
「なっなんのことかしらぁああ~~~」
なんで間違えたのかしら、、あ・・
「ねえ?なんでかなぁ?淑子ちゃん、おこらないからね、、」
えっちにいじめてほしいからわざとなの?ん ふぅ~
「ひゃううう~ 1年まちがえたんですぅ~ その、、生家の方はみられますからぁあ~」
まったくこの中身おばはんの変態JKは。。
この二宮尊徳生家というのは、昭和35年に復元され小田原市に寄贈されたという。
茅葺き屋根で『広間型三間取り』といわれる間取り。
江戸中期における足柄平野の中流農家の典型的な住宅とされている。
現在の開成町にある"瀬戸屋敷"さんはかなりの豪農というわけですね。
この二宮尊徳宅というのは16歳の時に売り払われたという。
本来ならば・・ここの資料館というか会議・宿泊施設があるのだがね。。
この、中学の制服着た中身おばはんJKが1年間違えてくれたおかげで、残暑厳しい中お外にいるわけだ。
ただ、この掟破りJKが間違えたのだけど、ここの内容物は大方覚えている。
ありゃたしか。。北米に行くちょっと前にここの資料館に来たことがあるんだけども。
それと、、離婚直後だな。
県道沿い、栢山方面からだと左手にあり二宮尊徳の生家は無料で入れるが、資料館は200円払って入る事になる。
生家の方は定期的にボランティアによって燻蒸処理、、いろりで薪をもやして燻す、、がされている。そうしないと、かやぶき屋根というかそういう建物はカビがはえたり、虫の巣になってしまうのである。
さて、、30数年前。。北工在校中に生徒会の関係でこの宿泊可能な研修施設で役員会議という研修をうけた施設の1階に二宮尊徳に関する資料展示室がある。
入るのに200円払うのだ。
話を聞くと、二宮駅から尊徳記念館はどういったらいいのか?と年に数回問い合わせが来るというのだ。。
あの”二宮”というのは相模国二ノ宮という意味で、現在の小田原市栢山近辺出身の四宮尊徳とは関係のない話ですので。。
ちなみに一ノ宮は寒川神社のことです。
本来ならば、、館内をみてから・・なんだが、1年間違えてくれたおかげで生家の方にて児嶋さんのお話を聞くことになったんやけど。。
勘違いしちゃいますよ?
読んでくださってありがとうございました。
尊徳記念館にてボランティア説明員の方に
戦後GHQ民政局によって金治郎の銅像が撤去されたがあれはどういう意味で?
と聞いたら、むしろGHQは二宮尊徳を日本民主主義の第一人者で、このようでなければならないと
していたぐらいだけど、戦時中に間違った思想を植え付けられたのが問題であって
GHQ民政局は関係ないというのだ。
占領下の日本において、1円札に二宮尊徳を許可している点ですかね。
ということでではまた DE JI1QAU ex KJ7HHH