旅の後先、そして空へ
戦後75年以上にもなると言うのに、まだ戦って居る人達がいる。暗号・引っ付掛け・誤魔化し・。証拠がなくて、訴えられない方法で、日頃から人は理不尽な事をするのかな。何の為に?大勢の人と時間をかけてする必要があるのか。人生の目標、意味、取り違えていますよね。権力も地位も財産もいつか消えてなくなります。ずっと消えないもの・・。例えば植物を育てる恵みの雨のように。次につながる人を育てたりする言葉、行為、心を差し上げるのは如何でしょうか・・。
①
「お父さん・・・フェリーで太平洋クルーズとフルムーンパス利用鉄道の旅・七日間という旅がある。GOTOトラベルの割引が効いてね、二人で23万5千円であるんだけど・・・如何?二人でなんよ!」朝食後、百合は新聞折り込みチラシを見ながら言った。「うん、行ってもえぇのー」「えぇっ!」夫、薫は偉いあっさり行くというのである。驚きである。これ程素直に何処かに行くという事は、今迄に無かった。いつもすったもんだと言い、決まり文句のように、金が無い・・・から始まって、やれ!計画書を出せと言い出すのである。一泊二日位の近場の旅でも、なかなか行くとは言わない。私も面倒になって「じゃあ止めにしましょう」と、あっさりいうのであった。子供達が小さい時は思い出作りに、無理矢理に引っ張り出していたのである。が、今は違う無理に行かなくても良い・・・その間色々と用事が出来るから寧ろ私、百合は嬉しい。日頃からあれやこれやと忙しくしている。付け加えて置きたいのであるが、いつも旅先で一番喜んでいたのは夫、薫なのである。あの言葉は何!と言いたい処である。まぁいいか、そういう病気もあるのかも知れない。そんな風に思っては忘れたものである。
お父さんとは夫、薫の事である。我が家では末の子葉子の立場で、何時しかこう呼び合って居る。気持ちは、子供達が幼い頃の家族の儘なのである。お父さん、お母さん、お兄ちゃんという風に・・。従って私達夫婦は息子元太郎の事を、お兄ちゃんと呼んでいる。今、外孫の立場で呼び合う事になると・・お祖父さん、お祖母さん、伯父ちゃんになるけれど・・今少し待って頂きたい。覚悟が出来ていない。それに夫から、お祖母さんと呼ばれた時には、気絶しそうである。しかし一緒に住む孫が出来たならば話は別になる。覚悟はしていて、お祖父さん、お祖母さんと呼び合って、孫の事でメロメロになっている事であろう。
②
今回申し込んだ旅は、九州本土最南端佐多岬から、稚内宗谷岬迄・・フルムーン七日間の旅である。「大丈夫?そんなに素直に・・」逆に心配になる。命の限界を感じて居るのだろうか・・。一昨年春、二回目の脳梗塞で入院。夏には人工血管置換術で一カ月入院。同時に小さな胃癌が見つかり、内視鏡手術をして頂いた。入院、退院の繰り返し・・気が付けばその年はもう、秋深くなっていた。「体のリセット出来たみたいね。悪い所の部品は取り換えて貰ったから、長生き出来ますよ。お父さん良かったね。胃癌は本当に小さかった。よく見つけて下さった。お蔭様なんよ!解っとる?リハビリをしっかりしてね」と言って励ましたものだった。経過観察期間も過ぎて、少しの痴呆症はあるものの、只今小康状態という処・・・。三回目の脳梗塞は命取り、と聞いた事がある。気を付けなければならない。国内旅行は言葉が通じる事で、医師とも信頼関係が築けるので、先ず安心できると思って居る。今の内にと思った。夫も多分そう思って居たのであろう。人生最後の思い出作りになるのだろう。そしてこのカップル、此のまま持つかどうか・・・七日間の旅が終わる頃には決まっている事になる。
③
「キャリーケース半額セールしていたよ、この際に買いませんか・・私はマイナポイントで買いますよ。持っているキャリーは古臭いから、見に行きませんか」「うん・・むにむに」薫は何だかはっきりしない。「葉子の家に行く時に使う、小さいキャリーケースも買ったらいいよ。お父さん用にね」「・・・・・」「紺か黒、シルバーを‥私には赤でもいいかな。ピンク、ブルーとかもいいと思っている。大きいサイズと小さいサイズ、見に行きませんか。ねぇー」「午前中に買い物を済ませて、お昼からは花壇の花を植え替えたいから・・一人で行きますよ。お父さん用は、自分で買ってね」「早く行って来い」と薫は言った。「何ねー」旅の支度も楽しみの一つなのに。つまらない(面白くない)人よと思った。「お昼までには帰るから、昼ご飯は帰ってからでいいよね。じゃあね。マスクマスク忘れるところだった。あぁ忙しい!」そう云う事で、一人でキャリーケースを見立てて買ったのである。シルバーで大きさは中間、割とメーカー品で、良い品に出会えて満足であった。一階で二、三日分の食品の買い物を済ませて、急いで家に帰る。お昼ご飯は何にしようかな・・すぐ出来るのは、スパゲッティ・・焼きそば・・ソーメン・・焼きお結び・・が出来るけど。昨日のお昼は・えぇとー鍋焼きうどん!・・簡単で御馳走じゃないなぁ・・思案しながら家に着くと・・・。な、何とまぁ・・お萩と赤飯の折箱が届いて居るではありませんか。「何?これ何で?」「町内会から・・敬老の日のお祝いという事で、七五才に(後期高齢者)なった人に町内会から。町内会長の奥さんが二人の家来を連れて、(お手伝いして貰って)配ってくれたよ」「ふぅんー、じゃぁ・・すぐ頂いてもいいかな。お湯・熱い?インスタントのお吸い物で、頂きましょう・・。わぉ!大きなお萩を六個それに赤飯迄、有難い事ですね。お兄ちゃんお昼にしますよ!お父さんが後期高齢者の仲間入りしたから、町内会からお祝いに貰ったよ」
④
「ところで、そのお手伝いで来た人は誰?・・Fさんでしょう」「副会長のFさんと会計のYさんじゃ・・」「態と私を留守にさせたね。来ることは決まっていたでしょうに!小細工されると無性に腹が立つ。面倒くさい!この前の町内の役員会で聞いて来た筈よ!私はFさんに言いたい事がある。Fさん達の考え方・・可笑しいよと言いたい。何に対して、何を戦っているのかと・・」態と出会わない様にさせた事が気に入らない。プンプン!仲間の多いグループであろう。発端はボランティアをしている施設の花壇の花に被害がある事。少しして家の花壇の同じ種類の花に被害がある。六年も前から、毎年春と秋の花壇の植え替え時期に被害がある。施設の花壇のパンジーが枯れると、家の花壇のパンジーも枯れる。日日草が枯れると、家の花壇の日日草が枯れる。証拠は無いが可笑しい、不自然であった。近くに住む人と施設の誰かが繋がって居るのであろうか。最初の頃は施設のボランティア担当者に訴え、警察にも届けるのであるが証拠が無い。「貴方が憎いのであれば、除草剤を辺りかまわず撒くでしょうね。日日草だけですか。可笑しいですね。交番は今一人ですから、交代時に見て置きます」と言って貰った。ビンカ(和名・日日草)は夏の暑い盛りにも次々と花を咲かせる。和名、日日草の由来である。日本では寒さに弱い為、一年草として扱われている。マダガスカル、インドネシアなど熱帯では多年草。半低木状に茂っているという。夏には強い植物なのである。夾竹桃科である。その強い花が今年も枯れた。最初の頃の犯行は、通行人とか近所の子供、近所の人であろうか。しかしこの二年は、夫薫の仕業だと思っている。(最終的に犯人は家の中に持って来る風習であろう)施設の花壇と我が家の花壇・・枯れた日から二週間遡れば、町内役員会があった頃になる。薫はその日にFさんに暗号で指図されたのである。人前でもあの人達は暗号で伝える。施設の花壇は別の人の仕業であろう。施設と我が家、同時に同じ種類の植物に被害という事に意味があるのかも知れない。只、その人達にとっては意味を持たせて居るのだろうが、こちらには、てんで解らない。手間が掛かるだけである。
⑤
もう何年前になるだろうか、勤めていた時に暗号を聞いた事がある。四十五歳で百合は就職したのである。その時は訳が分からなかった。ましてや若い頃のOL以来、二〇数年振りの会社勤めである。世間とはこうしたものなのか?後になって思うのである。証拠はない。というより証拠になるような事はしない・・。
その暗号というのは、百合の担当するお客様で銀行員Mさんは、その家で集金したお金を忘れたという事件が起きた。そのニ三日前の事である。百合が事務所に帰った処、上司Tは電話の相手と普通の話をしていた。(信頼もし、住宅営業の仕事を教えて貰って居た人である)突然に「U銀行の外交員は成績よいそうな、給料一千万以上有るらしい」と言うのである。そしてまた四方山話をし出して、また突然にO支店のMさんの名前を告げていた。証拠は無いが不自然な会話であった。相手とは上司と高校の同級生のやくざであろう。そのやくざからMさんに、貯金をするからと電話があったという。帰り際の事・・・荷物が多いからと、その家で集金してお金を入れた鞄を、その家の奥さんが玄関まで持って上げると言った。そしてそのまま玄関を出たのだという。Mさんの奥さんから聞いた話である。事件である・・しかし証拠は無い。その後Mさんは取り調べの後、弁償されたのである。家を買う為の頭金が無くなったとの連絡である。
別の上司であるが、営業件数を横取りされる事もあった。百合がその月の売り上げ請求を出す前に自分の成績として会社に請求していた。上司なのにできる?不服に思っていた百合は、家のローンを抱えて(後20年の)会社に辞表を書く羽目になった。上司のメンツもあるのだろうか・・。普通の人は大人しく泣き寝入りするのだろうか。娘の最後の学費を納めた処だった。この処、体もきついと思っていた。退職の挨拶をして回って居る処へ、親会社の社長さんも声を掛けて下さった。「ありがとうございます。街の不動産屋の仕事をして見たいと思いまして」「そうですか、いつでも内の女性に相談に来てください」と迄言って下さった。有難いと思いながら、会社を後にしてしまった。高いビルが秋空に映えて、より高く見えていた。家のローン、夫の給料で払えるだろうか不安ばかりである。しかし・・そこまでに営業件数気になるものだろうか。私、百合は・・その行為(事件沙汰、横取り)の方が気になる。人それぞれ考え方が違うのであろうか。その後、上司Tは部長に昇進したと聞いている。後で聞いた話であるが、その時(暗号で事件の折)百合は営業成績、件数では上司Tを抜く処だったそうである。新米、女性営業には負けられないのか。建売より、注文住宅の方が利益は良いであろうに、事件沙汰迄する必要あるのかな。引っ掛かった方が悪い?で気が済むのか!百合は今でも、銀行員Mさんに如何して上げたら良かったのかと思う時がある。お子さんはもう社会人になられたかな・・。
その後百合は、ハローワークから紹介されて町の不動産屋に就職したのである・・。繁華街の入り口に小さな店を構えていた。主に繁華街の店舗を仲介する仕事であった。新米ながら、そこそこ契約出来たものだった。従業員は社長と、社長の友達という男性。女性は百合を含めて五人になった。只・・その中の女性三人と社長は関係あるらしかった。百合は幼馴染の千絵ちゃんに相談すると・・「そりゃぁー場所からして。あんた知らんの?半分やくざよね」「えぇっ!」そんな訳で二ケ月で辞める事になった。その半分やくざという社長が言うのである。「独立して不動産屋になっても、女一人では出来ない。夫婦で経営するなら出来るかも知れんが・・。騙されて、持って居る家なんか吹っ飛ぶよ(一文無しになる)それに仕事は有るだろうが、金は回って来ない」と忠告して貰ったのである。「有難うございます」この時私、百合には不動産の仕事は無理なのだと思った。
その後新聞広告で探して、宅建主任を求めている店に決まったのであるが。ここも主に、事務所を仲介する仕事をしていた。宅建主任手当だけ貰って、仕事は契約の時に立ち会う事である。最初の月に契約に立ち会っただけである。月一回位は事務所の掃除をしますよと言った。机は六セット並んでいた。以前は大きく仕事をしていたと聞いた・・廿日市市の駐車場を仲介したとか。その後(六ケ月位して)主任手当は出来高払いになって、売れた時だけ頂ける事になった。仕事が無いのか又はしないのか・・・。百合の営業の信念は、渦巻きなのである。出来なくても何か探して働いていると渦巻きになる。だから時たまする仕事は消えてしまうと思った。最後に友達が郷里に帰ると云うので、マンションを仲介させて貰って、その店とは終わりになった。宅建協会に主任資格を返納した。その後は名前を使われているとか聞いた事があるが・・・。不動産の仕事は百合には向いていない事が分かった。
それからは好きだった洋裁の仕事をパートでしたのである。「お母さんは五十八才にしてデパガール!」就職し、結婚もしていた娘葉子が言った。高級生地を売り、仕立てをするお店であった。デザインの勉強もしたいと思っていた。一応は縫う事も出来たけれども、仕立て代を戴けるほど上手では無い。そこで休みの日にオーダーの先生の教室に通ったのである。只、二年もしない内に、お店を畳まれる事になった。時代の波というか、今の内に(黒字の内に)と思われたのであろう。そんな訳で高級生地を安く買うことが出来、縫う事も出来るようになったのである。人に聞かれると、オーダーよ。後からオーダーコピーよ。と言ったものである。オーダーの先生の型紙で自分で縫ったよ、と言う意味である。洋服のデザインを考える時はちょっとしたオアシスのような寛いだ気分になれる時だった。
⑥
以前勤めていた会社の件であるが・・。
上司Tは女性2~3人とも関係を持って居た。愛とか恋とか云うものでは無い。その女性の将来の為の、汚点を作って居るのであろう。その関係はグループの帳簿に乗り、共有されるのである。暗号で広まるのであろう。その情報は自分達が躍進する時の為に利用するのであろうか。精力もあり、見た目穏やかなTは、汚点を作る役目を担っているらしい。世間にはこういう可笑しな考え方がある事を、特に若い女性は知って置くべきである。愛とか恋とか云うものでは無い、不自然な行為に溺れてはいけない。証拠が無いから、小さい事だから、犯罪にはならないかも知れない・・でも、やはり自分が一番に知っている筈。今その部は営業成績上がらず、縮小されている。
何故に此処まで言うのかと云うと・・・。中学、高校の同級生、仲良しだった光子ちゃんが自刃しているからである。光子ちゃんはその前夜、電話をかけて来て苦しかったこれ迄の事を吐き出すのである。この頃病院で睡眠剤も処方されている事を言った。精神的に疲れていたのである。「OLの頃・・事務所で・・。コーヒに睡眠薬を入れられて!寝ている間にゥゥ・・」所長にレイプされたのだと言った。「所長と二人だけの出張所だったね。何で酷い事を!若い娘を!」二十年経っても、悔やまれると言った。そして噂となり伝わるらしい。夫にも伝わり・・最近夫は浮気をしていると云うのだった。如何して上げて良いか分からない!私に何が出来るのか。子供さんの話をした・・「さやかちゃん、本当に可愛いね。今、三年生かね?何が得意?・・今度ガラスの里でビーズのバザーがあるから、一緒行こう。約束よ」「そうね行こう行こう、約束よ」なのに・・次の日朝早く光子ちゃんは逝ってしまいました。あれ程約束していたのに。子供の頃からずっとずっと一緒だったのに・・。今生きていたなら、お互いに相談出来るのにと思っている。うぅ?私がもうすぐ行くから。あの世とやらで会いましょう。
もう一つ書いて置かなければならない事がある。今は、そういう事は無いかも知れないが、30年前の昔の事・四五才で就職をして、住宅展示場の案内を主にしていた。展示場の掃除、お客様にお茶の接待などもあった。一年後、宅建主任資格を持って居る事でもあるし、営業も出来そうだという事になったのである。娘の学費と月々の仕送りと家のローンが始まるのである。頑張らなければならない。女性が外回りの営業をするに当たって、男たちが何か事を企てた様である。本社住宅営業部長Hの命令かも知れない。本社の営業会議から帰った上司Tが聞くのである。「生理はあるのか」「えぇっ!ありますよ。如何してそんな事を聞かれますか?」「・・・・」展示場二階の一室を事務所にしていた。この事務所には、営業職として独身男性が二人と、上司Tと百合・・四人であった。独身男性二人ともニヤニヤしていた。そしてTは何度も電話をかけていた。無言で留守電を6~7回入れていた。何か緊急に用事があるのかと思った。「何しとるん?」男性営業Dが聞いた。Tは「うん」とだけ言っていた。その日我が家に帰ると、無言の留守電が6~7回入っていたのである。何か意味があるのだろう・・・分からない。何の為に・・・我が家に電話を掛けなくても、目の前の机に座っていたのに。これが暗号と云うものなのか・・。ずっと後になって解かるのである。隣の県に単身赴任していた夫薫は、その週土日は帰らなかった。それから2~3日後、午後・・。男性営業Yは珍しくコーヒーを入れてくれた。そして二人とも営業に出掛けて、事務所は上司Tと二人きりになったのである。少しすると・・ちょっと眠い気がして来た。「何かする仕事ありますか。コピーとかしますよ」仕事の話も無いらしい。ちょっと眠いけど・・・何だか変な臭いがして来た・・。変な事もあるものよ・・ここは展示場。眠る訳には行かない。お客様が来られたので展示場を案内した後に、外にあるトイレに行った。若い頃勤めた会社の先輩に電話してみようか・・とも思った。臭いだけでは証拠にならない。そうしてまた事務所に帰り机に着いた。後ろにあるコピー機にTは近づいて来て図面をコピーしている。手でも出して来たら、捕まえよう。証拠になる。上司Tにはまた違う目論見があった。又は成り行きか?お互い腹の探り合いである。(どう対処するか)2時間位経っただろうか、一本の電話が設計課から入り可笑しな目論見は終わった。その様な試練をくぐり、女性住宅営業は誕生したのであるが、蟠りは残って居る。この時もしも、崩れていたなら、我が家の汚点となり、噂は広まるのであろう。部長Hの言う「営業に出ると、事故があるかも知れん。生理を終わらせて置こう・・夫には会社に電話して承諾、協力して貰う」とかであろう。訴えられないようになっている。この人達は仕事をしているのか、と聞きたい!生理は少しして終わりました。自然の事です。夫薫にはもっと仕事に打ち込んで欲しかった。私は仕事が出来る人に憧れるんです。と言いたい。昔から人の口車に直ぐ乗る人であった。まぁ仕方ないかな?『ブルータス、お前もか!』と言って凶刃に倒れたあの、カエサル・シーザー(身内の裏切りにあった)百合も同じ星回りと云う、ある占いを聞いた事がある。それならそれで、いいけれど・・・。もうちょっと良い人生歩める筈・・割が合わない!!まぁ此処まで生きているのだから、何よりも勝る筈である。黙って置こうかな。
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日日草の花が枯れだした日・・今年も枯れるのかと思った。もういい加減にして!と云いたい。誰の仕業か察しは付いている。「お父さん弱みがあるんじゃない?脅されて居るん?この花に何を掛けたん?しなくてはならない訳?家のお父さんがするとはね。深い訳があるん?私には考えられないよ。近所の人と組んで、我が奥さんを騙す。何の為に!奥さんと云うより、お母さんには一部始終分かるんよ!真面目に仕事とか役目を果たしていると、不自然であることが解る。それにお父さんも近所の人も、笑いながら(可笑しな笑い方)対処しとるよ。そこから考えて誰が、とか解かってくる。家のお父さん、馬鹿で阿呆でやりきれないね。去年で終わったと思っていたよ」去年綺麗に咲き誇って居たバーベナピーチ・・急に枯れたのである。鉢の土を反して見ると、大きな夜盗虫が6匹出て来て・・この小さな鉢に6匹もいるのでは、花も枯れるよね。通行人の仕業かと思っていた。まさか家のお父さんとは思いたくなかった。その後、家の南側の鉢に夜盗虫を投げ入れて居る薫を目撃したのであった。脳梗塞をしているので、なるべく運転はさせないでいる。殆ど私、百合が運転している。それ程気を付けて居るのに、米を買いに八本松の先輩の処まで行くと云って聴かなかった。それにこの暑さ、心配であった。薫の目的は他にあったのである。その帰りに農協で籾殻を買ってFさんの畑に届けるのである。そして車の中で話をするのであろう。「内の主人は脳梗塞で半身不随でね・・」とFさん。「わしも脳梗塞・出来んのんじゃ」薫が後に言った言葉で大体想像がつく・・そうして「Fさんに会うと、いつも知らん間に(夜盗虫がポケットに)入っとる」と言った。何の為に?害虫を育てて、ポケットに入れる為?二年位前から可笑しいと思っていた。珍しい品種のダリアを掘り起こしてそのままにしていた。旅行の記念に買って大事に育てていたダリアである。施設の花壇に植えて、切り花にして貰え!と云うのだろうか?それならそう言えばいい事である。車の中で、Fさんの身の上話に同情したのが始まりで、少しずつFさんベースに嵌まり、弱みを握られて暗号で指図されるようになった。(上司Tと同じくFさんは汚点を作る役目なのであろう)目的は家の花壇に夜盗虫を入れる事??いや・・目的は施設の花壇に自分達の為に花を植えよと云うのであろう。仲間になれと云うか、下請けをせよと云うのか。自分達より上手に作るな!とか、訳の分からない行動である。いう事を聞かないなら、家庭が破滅すると云うのだろう。沢山の人が加担していた。仕事を貰える業者であろうか?薫のように弱みを握られている人達迄動くのであろう。良識ある大人なら、普通は訳を説明する筈である。話し合いの場を持つとかも一切無かった。上から目線というか、役職ある人の奥さんかも知れないが、ここでは関係ない筈。考え方の違いを実感したのである。私、百合はこういう考え方に、無性に腹が立つのである。倍返し!!(自分担当の花壇に種を蒔く、差し芽をする。沢山の花を植えた。倍返しである)花も種も土迄も持ち込んでのボランティア・・ボランティアをして迄、手下にはなりたく無いものである。戦国時代では無いと云うのに、何の為に、何を戦って居るのか問いたいのである。そして自分達の思い通りにならないから、連携してやり込める。その硬い仲間意識を断ち切り、一人として成長しなければならないと思う。夫薫は老人会の役員も脳梗塞後に辞めているし、公園ゴルフも辞めた。Fさんと会わなくなって先ずは落ち着いている。薫も理解していた。我が家ならまだいい、他の家に悪さを指図されるようになると困る事になる・・。Fさん達は、今回施設の花壇ボランティアさんを仲間で庇い合う為のものでろう。しかし庇う事は、その一人が育たない。と言って上げたい。その為の6年間だったのかも知れない。(可笑しな考え方ですよと伝える為)
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Fさんペースに嵌まった経緯・・・老人会の公園ゴルフ仲間の話・10人位居る・ゴルフの中休み、お茶しながら「あんたの奥さん強いから、少し浮気をして懲らしめてやったら如何じゃろか。優しくなるよ」「そうじゃのぉ」「夜もすぐ寝るんでしょ」「そうなんじゃ。昼にハーブや花の世話をして、疲れてコテンキュウと寝るし、わしはほっとらかしよぉ」「浮気をしたら、奥さん優しくなるよ。寄って来てくれるよ。小説にもあるよ」「そうかのぉー」薫は田舎育ちの世間知らずである。若い時から人の口車に直ぐ乗る人であった。「内の畑見て呉れる?奥さんに場所を教えて置くのよ。迎えに来るかどうか?」「面白くなるよーウフフ・・」「フフ」「誰の何という小説か忘れたけど、時代物でね家事も稼業も完璧に、軽々遣りこなすおかみさんが居てね。これでは亭主の立場が無いと、奉行所に訴えたと云うお話。そこで奉行は、ちょっとの間その亭主を匿って奥さんに心配させたのだというよ・・ウフフ」「そぉうまい具合に行くかの?・・」薫はだんだん分からなくなって行ったのである。脳梗塞をしていると、やはり頭の回転が悪いと云うか、可笑しいというか。そこを利用されたのである。何の為に?Fさんはお金持ちで社長夫人だと聞いて居る。社長とは、婦人共々いろんな事迄して会社を大きくするのだろうか。私、百合には考えられない事である。世間では如何なのであろうか?この1年、薫は口臭がとても強かった。夫なりに悩んだのであろう。「お父さんが言えばいいのよ。その考え方可笑しいよと。まぁ相手は巧みよね。笑われてお終いかね」「如何いう事?と言うよ。Fさんの決まり文句よ!」「言動に責任を持たないで済むグループよね。大勢で胡麻化し合うから・・気付かないとでも思って居るんでしょ。こちらから見れば誤魔化す事は、それを証明して居ると受け止めたけどね。思う事が違う人達よ。思う事が違うと、その人の言う事が違う。行動が違う。結果が違う。住む世界が違うという事になる。住む世界は自分で選んだ世界というらしい。未だ諺にはなってないかな」「お父さんは引っ掛けられたんよ。弱みを握られて、操られているんでしょ?まぁ日日草が枯れる位は、また買えばいいけどね。面倒な事よ。それに我が家でなく、他の家に夜盗虫を入れろ!除草剤を撒け!と言われると困るよ。それは絶対やめてよ。何度も言ったよ。口が酸っぱくなった感じがするよ。我が家はお金ないけど、人に訳の分からない迷惑な事はしないよ。人柄を大切にしているからね。いう事を聞かなくていいからね。それこそ栄養満点の大きな夜盗虫を育てて、何の為に夫のポケット入れるん?ご主人に訴えると言うよ!逆に脅して上げるからね。そうしてFさんの目の前で、お父さんを叩くね。Fさんを叩くのではなく、内のお父さんを叩くのだからいいよね。可笑しいよ!可笑しいよ!と言いながら叩くよ!このままでは、この社会もFさん達も困る事になる」
只・・老人会のお萩の弁当以来、Fさんとは会わないで済んでいる。従って、Fさんに何も言っていない。家まで行って言う程でもない。百合は今まで以上に忙しくしている。夫薫に対して、優しく接するという事も無く、寧ろ厳しく手足を動かせ!道路の落ち葉を掃いて下さい!と用事を言いつけるのであった。
⑨
施設の花壇では、百合も何度か引っ掛けられていた。最初は(6年前)百合担当の花壇にダンゴ虫をいっぱい入れて置いて、そこへ自分達のマスコット人形を置いておく。百合はその人形を何時もの場所返して置き、ダンゴ虫はビニール袋に入れて捨てた。今思えば隣りの花壇担当のSさん自らの仕業であった。これが最初のSさんグループの引っ掛けなのである。解るように置く。70才近くにもなって、それらの風習を知らなかった。只真面目に仕事をするものと思って、この年まで生きて来た百合なのである。もしも、そのダンゴ虫を人形の持ち主Sさん担当の花壇に返したならば・・やり込められ、手下にされたのであろう。Sさん本人が置いたとは、その時は解らなかった。それで、後日百合はSさんを叱ったのである。「人が教えて下さったよ。人形を置いてね。(プンプン)貴女、ダンゴ虫を沢山この花壇に入れたでしょう。貴女が帰った直ぐ後、入れ替わり位に私来ているんよ。悪い事は出来ないよ。人が教えて下さった(罰に)向こうの雑草、大きい草だけ抜いたら如何ですか!そこは私、抜かないよ。私はこっち側、大きい草だけ抜いているんよ。人に花だけ見て下さいとは言えないからね。周囲の草も目に入るから。いい!」と言った。「ふぅんー」Sさんは抜ける筈無いと言う感じの、意味深の返事をした。こっち側は随分広いからである。それともその意味深い「ふぅんー」は皆にやられるよ。どうせ手下になる運命よ。という事なのかもしれない。その後からであった。植えたばかりのビオラが全部切られる(虫に食われた感じにして)それで何度も植えるのである。次は夜盗虫をいれる。除草剤を撒く、ジュースを掛ける、次から次へと悪知恵は働くのであった。一言付け加えるならば、その人達は70歳前後の、お祖母さんと云う立場の人達である。入れ代わり立ち代わり、沢山の人がかかわるのであろう。であるならば、花壇の中に当分の間鉢植えのビオラを置く事にした。除草剤の効力が消えるまで・・時々、簡単に芽を出すコリアンダーの種を蒔いてみた。そして芽が出て来るのを待つのである。芽が出て来れば、鉢から降ろしてビオラを植えても大丈夫という事になる。6年間同じような事がある。こんな事で参るような百合ではない事、分かるであろうに。年により指揮する人が違うのかも知れない。それにしても意味が解らない事ばかりである。何の為にこれ程するのか?何の為のボランティアなのかとも思った。取った夜盗虫は五年間で1千匹以上にもなる。(1年で230匹位は取ったものだ)花壇の世話に手を取られていると、草は抜かないの?という意味であろうか・・・2~3本の草が何度か目に付くところに抜いて置いてあった。花壇の花が一段落して根を張り出すと、周りの草を抜くのである。大きい草だけでも抜くと、屋上ガーデンは随分綺麗に見えるのである。Sさんは向こうの小さな一角の草を抜く気は、更々無いらしい。意地でも抜かないのか、草ぼうぼうである。こうして5年過ぎて、6年目になる。百合は暗号に引っ掛からなかった。そして手下にならなくて済んでいる。この様な考え方は、他の県には在るのだろうか。それにこの習慣を仕事に持ち込まれると効率悪いだろうと思った。
⑩
家族三人で二泊三日の旅をする事になった。息子元太郎の発案である。宿の予約も済んで居た。COTOトラベルのお蔭で安く済むと言う。それに貯まっていたカードのポイントで払ったようである。(親には人数分お金を請求)奢ってくれるような甲斐性はまだ無いらしい。まぁ誘って貰っただけでもありがたい事である。「車で行けて、中国地方で・・何処にする?」「近場でね・見て置きたい処・・えぇとーある!足立美術館・・鳥取砂丘・・天空の城も絶対よ。これで見納め、心置きなくあの世へと旅立ちます。中国地方は大体は行っているかな」と言う感じで、すんなり決まったのである。世界が認めた日本一の庭園・足立美術館に行きたいと常々思って居た。それが急に叶う事になったのである。いよいよ人生最終章かな?
山間の高速を走って、二時間半で辿り着く所という。途中のパーキングで元太郎も疲れたでしょうと百合と運転を交代したのだが・・走り始めると、また薫の癖が始まるのである。「下手くそ!もっと速く走れ!前の車に付け!トンネルの入り口で速度を落とすな。見えんのか!」言い捲るのであった。「そんなに言わんでも良いものを」という事で元太郎が交代するという。乗せて貰っている身なのに。運転出来ない、負け惜しみであろうか。次のパーキングで運転交代した途端に今度は、もうちょっとゆっくり走れと言い出す。「今度はゆっくりせぇか!」元太郎が呟いていた。いつもの慣れた道ならば百合も運転するのだが、今回少し分かりにくい。息子元太郎にお願いしたのであった。
「あれは何年前になる?宮崎に行ったのは。三年?四年?前になるかね。三人で交代しながら運転して行ったねぇ。皆元気で良かった。東京の葉子の家にも三人で交代しながら運転して行ったよね。軽の車でね。ぅふふ・・奈々ちゃんが産まれた時だから、十年前になるかね。今は東京往復と考えただけでも、気が遠くなるね。人間ガタが来だすと早い・ちょっと横になりたい・・よっこらしょ」
日本海側の空はどんよりとしている。遠くに見える宍道湖の湖面が鉛色に輝いていた。重く鈍く光っている・・。そうこうしながら、どうにか山間の一角にある大きな建物群に辿り着いた。「此処じゃね。お疲れ様、やっと辿り着いたね。お兄ちゃんお疲れ様」美術館前には数件のお土産店とか、お食事処が並んでいた。時間が無いから早く入館しようという事になった。それにお腹も空いていた。
『庭園もまた一服の絵画である』創業者の言葉が、足立美術館の魅力を表している。新型コロナの影響で入館者も間をおいて、そして静かに歩いていた。お腹も空いていたし、鑑賞する前に庭園を見ながら昼食という事になった。只、ここでちょっと時間を取り過ぎてしまった。鑑賞する時間が・・忙しい。新館地下展示室は、建築家安藤忠雄氏の設計である。自然の光を巧みに取り入れた設計と言われ、有名である。・・閉館中であった。工事中とか、展示替えとかであろう。これだけは一つ残念であった。もう、またの機会は無いであろう。入念に下調べをする家族ではない。しかし薫が行くという時に実行しなければ、何処にも行けない我が家でもある・・・。
⑪
「6時までにホテルにチェックインする事になっているから。皆生温泉まで1時間は掛かるらしい」と、これまたゆっくりは出来ないのであった。海岸線を走っていると、穏やかな海、向こうに小さな島が見える。
「この辺りかね・・因幡の白兎の昔話」人影もなく、車が行き交うばかりの風景に誘われて、物語に入り込むのである。「どうじゃったかいね。えぇとー淤岐島に住んでいた白兎が、あの因幡の国まで渡りたいといつも思って居たんじゃと。そこで鰐鮫をあつめて、白兎の仲間と鰐鮫の仲間の数比べをしよう。と持ち掛けたそうな。因幡の国迄並ばせて、数を数えるふりをして1匹~2匹と言いながらピヨンピヨン渡っていた。最後の1匹で気多之前にわたる処、白兎は嬉しくなって嘘だと言ってしまう。それで最後の1匹の鰐が怒って、白兎の皮を剥いでしもうた。白兎が海辺で泣いていると、八十神兄神達が通りかかり、海水を浴びて、山の頂で強い風と日光に当たって横になっていると治ると教えて下さった。(傷が酷くなるなるのは解って居て、業と)その通りにすると、塩水が乾くにつれ、体中の皮がことごとく裂けて来て、痛みに苦しんで泣いていた。そこへ沢山の荷物を背負ってオオナムチの神(後の大国主命。大黒様)が通りかかり、河口に行って真水で身体をきれいに洗って、水門の蒲の穂を取って敷いて、花粉を散らかして、その上に転がって寝て居ると必ず癒える。と教えて下さった。薬草医療という事になるそうな。このお話は日本神話(古事記)にあるという。今も昔も、人も神も、営みは同じかね?オオナムチ神には沢山の兄神が居て、兄神達に集団でいじめをを受けていたという。その日も八十神達の荷物を持たされていじめを受けながら、因幡の国の美しい八上姫に会いに行く処だった。その時でも白兎を可哀そうにと思い、薬草を教えて下さった。白兎は白い毛が生えてきて喜んで・・矢上姫は心の優しい貴方をお婿さんに選びますよと予言したという。・・・穏やかなこの海とあの島を見て居ると、お話は本当にあった事なんだと思うよね。
「元太郎も絵本を読んでいるでしょう」「えぇっ?知らない」「えぇっ!知らない?何とまぁ。全然覚えてないん?」「全然!」「所為の無い事よ、何回も読んで上げてるよ。私ははっきり、ではないけれど覚えてるよ・・。童話は好きよ、その中に大切な事を教えていると思う。いじめは自分の事を認めて欲しいからと云うけれどね・自分達の思い通りならないから、大勢でいじめたり、引っ掛けたりかね。仕事とか役割とか、するべきことはそっちのけで認めて欲しいとは・・意味が解らんよね」そんな会話をしながら、海岸線を行く・・。百合はつい先ごろ迄置かれていた自分を重ねるのである。あれらの事はいじめなのだ・・初めて気が付いたのである。後にスマホで検索すると・・その後オオナムチ神は八十神達に何度も命を狙われながら、出雲の国を治める大国主命になったと云う事である。あの穏やかな風景も、その昔骨肉の残酷な戦いが在っての事なのだと思った。今も昔も、人も神も、多かれ少なかれ争い事があるのであろう。百合は施設の花壇の世話をするボランティアをして六年目になるが、花壇の花を切る、夜盗虫を入れる、除草剤を撒く、ジュースを撒く、あれらの事はみんな、いじめなのかと思った。でも普通・・・植えたばかりの花が枯れると、また同じ花を植えると思う。これ程大勢の人達が関わるのは可笑しい!百合は大国主命のような、国を治めるとかの大きな事は思っていない。その器でもない。時間の無駄、労力の無駄であろうに。施設の花壇に花を植え、花の世話をするボランティアをしていただけである。只のボランティアにいじめをして、何になるのだろうと思った。不思議な考え方である。植えたばかりのビオラの花が切られたり、枯れたりの被害を受ける。枯れた花は侘しいので、なるべく患者様には見せたくないと思った。気付かれない内に、同じ花を植えたものである。でも、色までは同じに出来なかった。患者様が気付いて、慰めの言葉を下さるのである。ご病気で身体を癒して居られる、患者様に労って頂いたのである。有難いと思った。そして心配して頂き誠に申し訳ない事だと思った・・・。
十二月初め、屋上ガーデンの木々に、小さなクリスマスの飾り付けをした。それから2~3日後の事・・施設のボランティア担当者からの電話で・・・「新型コロナの影響で、屋上ガーデンは閉鎖と決まりました。明日、明後日の内に施錠します。大事な物はお持ち帰り下さい」との事だった。驚いたと云うより、コロナだから仕方ないでしょうね。特に施設や病院は新型コロナ対策にピリピリされている。「解りました。明日10時から、台車を貸して頂けないでしょうか。鉢植えの花は枯れますので持ち帰ります」冬の間は、花もハーブもじっとして居て手入れは余り要らない。けれども新型コロナの収束時期が分からない。大体のハーブも抜く事にした。それに百合は、もうすぐ後期高齢者になる。体力の衰えを感じている。夫薫の体力は回復しつつあるものの、痴呆症になりかけて居て、とても手が掛かるのである。今迄のように花壇の世話は出来ないと思っていた。それにSさんグループとは考え方が平行線で、解りあう事は無いと思った。
最初から陰になり日向になり、屋上をそしてSさんと百合を見守って居て下さる施設の方があった。その方の判断かも知れない。これ以上はもういいでしょうと・・それとも神仏の思し召しと云うのだろうか。コロナ感染拡大で、この六年間の苦難の根底が消えたのである。
ホテルは、大山隠岐国立公園のなかの美保湾に面して居て、風景も申し分ない所である。泉質は特に良い。美肌の湯というだけあって、肌はしっとりとしてきた。広い館内にお客様は少ないし、サービスも行届いていた。ホテルでスリッパの代わりに付いていた足袋は、捨てないで持ち帰り・・ウフフ・畑で作業する時に履いている。
次の日は境港でカニなどの買い物。ホテルで貰った、GOTOトラベルのクーポン券はとても嬉しい。今日明日の内に使わなければならない!一度言って見たいセリフである。沢山の買い物が済むと・・次は鳥取砂丘へ・・GO-。
⑫
車を駐車場に置き、昼食とトイレを済ませて高台に立つと・・・砂丘全体が見える。風が吹いていて寒い。一度はこの目で見たいと願っていた砂丘。テレビでドラマやニュースで見ている砂丘。ここがその砂丘・・。馬の背という処を(吹き寄せられた砂が、馬の背骨のように小高くなっている)人々が登って行く‥蟻のように行列を成して登って行く・・。百合は自然に足が進み、砂丘を歩き出していた。人々が居る馬の背の方にグングン歩いていた。砂粒は凄く細かくて柔らかい。富士山の須走とは感触が違うと思った。シューズに砂が入る事の他は歩き易いと思った。後ろを見ると、夫薫が息子に付き添われるようにして登って来ていた。「おぉーい」と手を振ると、答えて手を振っている。大丈夫かな、此処まで登って来れるかなぁと思った。そうだ、今の内にスマホで写真撮っておこう。そうこうしながら、少し待って居ると、二人とも登って来た。息子元太郎は父親を良くホローして、付き添っていてくれる。「早かったね。此処まで来られて良かった!足鍛えられた?」薫は満足そうに頷いていた。「よいしょ、よいしょ、押して上げるね。如何?」腰の辺りを押すと夫は「ええのぉー楽ちん楽ちん」お言葉に甘えて、と言う感じである。「お父さんとお母さんを撮ってあげよう。仲良く並んでください」「ありがとう」元太郎は子供の頃からずっと、こんな感じの親孝行息子なのである。お嫁さんが居ないから・・・。「ありがとう、海をバックに・・したら逆光ですね。もうちょっと角度をこっちに」どんよりとした空であった。日本海側特有の空と云うのか。沖では白波がさざめいている。・・・遠くの方にはラクダの姿も見える。観光客用のラクダであるが、この砂丘の風景にピッタリ似合っている。一幅の絵画と言うべき・・足立美術館、創設者の言葉がここでも蘇る。
一足先に帰るね。待ち合わせは車と云う事でね。すみません、ちょっとトイレが忙しいのでと、一目散に砂丘を降りる百合である。途中後ろを振り返ると・・息子も夫も降りて来ていた。「おぉーい」と手を振る・・「富士山の須走で走ったように、ズンズンと大股で降りるといいよ」と大声をかけると、「わしも今言った処じゃ」と夫薫は返して来た・・・。薫と百合、二人とも同じ事を思い、同じ事を言っていた。息子元太郎は小学校五年生であった。
あれから何年?思い出を共有出来るのも家族で居るからである。(最後まで頑張ろう。体の弱った夫を放り出す人はいない)
⑬
「さあ次は天空の城・・竹田城址、ここから距離はちょっとある。急ごう、早めにホテルに入って休もう」元太郎の声に急き立てられて、砂丘そして砂の美術館を後にしたのである。「有難う砂丘、有難うお兄ちゃん、お蔭で念願叶いました。そして運転お願いします.。代わって上げられなくて御免なさい。」この頃はカーナビが有るから助かる。山間の道をくねくね行く・・・。そしていつも思う事がある。里、山、木々、家々のたたずまい、その土地にはその土地の、その土地にしかない趣きがある。ここは兵庫県、源流と云うか、力強い土地柄では無いかと思った。後にレストランのメニューで見たのであるが、但馬牛は松阪牛、近江牛、飛騨牛、日本の名立たる黒毛和牛の原種であるという。丹波の黒豆は品質がとても良い。値が高くて手が出ない年もある。そうそう・・・岡山との県境に赤穂がある。赤穂浪士の一途な人を育てたのもこの土地だと思った。(お父さんのように、近所の人に忖度して、我が家に夜盗虫を入れる人はいないよ。と思った。けれども言わなかった。久々に楽しそうにしていたから)温泉もまた良い・・。近くに城崎温泉がある。秀吉も湯治したという有馬温泉は有名である。生野銀山も近いけれども・・・ゆっくりは出来ない。またと云う機会は無いだろう。カーナビでホテルを探して走っていた。木立越しにブルーの建物が見えて来た。「あの建物じゃ無いん?」「うん・・どうかね?」「あれしか、あの建物しかないね」「わぉー若い人達が喜びそう。チャペルがあるぅ。そこ迄のアプローチもいい…木の葉が散って、風情があるね」「今の風景は結婚式ではなくて、疲れた夫婦が癒しに来るといい。そんな感じがするね」「まぁ勝手に思うて頂きます」「ハイハイ」ちょっと寒いけど露天風呂もあった。温かい内風呂の温泉に入って一泊。
⑭
翌朝・・ホテルで満足してしている場合ではない。ここからまた一時間近く掛かるというのである。山城遺構、国史跡・竹田城へ・・。麓を走って居ると、雲と云うか、霧と云うか山裾を隠している。「あんな感じなんかね?雲海。見たいけどね」「そう簡単に見られる物では無いらしい」「ふぅんーやっぱり、通った位では見る事は出来ないね。山城もベールを脱がないよ」「近場の三次の雲海も見た事が無い、大着者には雲海の方から御免なさいよ」「立雲峡という処からの眺めがいいという。パンフレットに載ってるよ。四季折々の美しい勇姿と・・。実際に見ると幻想的じゃろう。雲海は東麓の円山川から発生する朝霧だという。晩秋の早朝、昼夜の寒暖の差が激しい日に遭遇出来るというよ。うち等はもう来ること無いから、兄ちゃんはまた着たらいい。今回は下調べと思ってね。実行して見なければ分からない事も沢山あるから。我が家は実行が先かな。グズグズ云う人が居て、結局行かない。となる事多いよね」踏切を渡り、側の小学校では運動会をしていた。新型コロナの影響で運動会も遅いのだろうか?そうこうしている間に山城の郷「交流館」に着き、駐車する。そこから歩く人もいるが、バスかタクシーに乗り竹田城跡で降りて徒歩40分・・とある。いよいよ目的地である。料金所でお金を払うのであるが・・「お兄ちゃんちょっと払って呉れない?」「いいけど、どうしたん?」「キャシュコーナー探したけど無くてね」「ぶっ!」「余裕持たなかったら、お金使わないかと思って・・。ハハやっぱり使っていた」「後で返してよ」「えっ!自分の事は大体払ってよ。後で清算よ」
竹田城は播磨、丹波、但馬の交通上要地に築城されている。地図上には312号線で至る富岡。至る姫路とある。9号線では至る鳥取。至る京都とある。嘉吉元年(1441)嘉吉の乱勃発後、山名氏と赤松氏の間に深刻な対立が生じていた。竹田城はこの時、赤松氏に対する山名氏方の最前線基地の一つとして築城されたという。その後の戦いで何代も城主は代わり、築城もされている。
今から約580年前、自動車も電動力も無く、これ程高い山の上に(標高353,7m天守台)山頂部から三方に延びる尾根上に曲輪(城、砦など、一定の区域の周囲に築いた土や石のかこい)を連続的に配置し、堀切や竪堀で防御性を高めていたと思われるという。どうやって、何の為に?と思ってしまう。戦いの最前線基地の一つとして築城されたというのだが・・。人の力、叡智、根性の結集・・。この土地と人々の底力と思う他は無いだろう。平面構成は南北400m、東西100mに及び、完存する石垣遺構としては全国屈指のものである。【情報館「天空の城」資料による】
そして今もなお、私達旅人を感嘆させ、威圧し続けていると思う。北千畳から始まって、ボランティアの人の説明を受けた。三の丸、二の丸、本丸、天守台、平殿、その西に花屋敷、南二の丸、南千畳と続くのである。花屋敷とは(広辞苑によると。多くの花を栽培して人の観覧に供する庭園。旧浅草公園にあったという娯楽場とある。資料館にも問い合わせるが、花屋敷の用途等、はっきりしないという)戦場にも花屋敷を配置していたのである。要所に居られるボランティアの人の説明は有難かった。「春、この桜の木を入れてシャッターを押されてますよ。気を付けて。あちらの南千畳から降りて下さい」「ありがとうございます。お世話になりました」と此処までは良かったのであるが・・・。冷たい風が吹く「ちょっとトイレが忙しい!一足先に降りるね」「えぇっ!また?」息子元太郎はこれだから年寄りは困るよ・・とは、言わなかった。「はーい、早う行きんさい」と言ってくれた。一目散にトイレを探して降りるのである。料金所にトイレがあった筈。それも探せず、一目散に走る走る。意外と速く走れたものだった。「昼食はおきまりですか?・・・屋さんの」勧誘の声は聞いたけれども、こちら忙しい。スタッフ駐車場迄来ていた。そこのトイレを借りて、用を済ませて、ゆっくり出て来ると話声がする。「あれっ?」夫と息子であった。「いつの間に・・走った?」「いいや、普通に歩いて・・さっき電話したよ」「取り込み中に付き聞こえなかった。御免なさい」意外と速く走れたと思ったけれど・・それ程速くも無かったのかも知れない。慌てていたものだ。夫達の歩く速さと余り変わらないではないか。ヤレヤレ・・。
「交流館で昼飯にしょう。但馬牛を食べようか。奢るよ」と息子元太郎が久々に奢るという。「ご馳走になるね。ありがとう。夕飯はこちらが奢りますから。GOTOイートが使える店にしてね。これで大体予算内よ、境港で沢山お土産買えたし、良かった!ありがとうお兄ちゃん」竹田駅近くには、わだやま観光案内所があり、情報館天空の城もある。ホテルもお店もある。もう一泊出来たなら、尚いいのに・・心残りであった。
「次は赤穂に寄るんでしょ。早くせんと赤穂着は夕方になる。今日中に家に着く予定じゃけー」案の定、赤穂に到着した時は、夕方になっていた。だんだん薄暗くなって行った。「これでは街の何処も見て帰れないね。大石内蔵助の家も近い筈、元太郎に見せたいけど無理ですね。又来たらいい彼女とね。近い将来にどうぞ・・。お城だけはちょっと入ろうか‥」お城の基礎部分に板敷がしてあり、部屋名がある。ここが大広間、そして客間、次の間、納戸部屋、縁側・・。様子がよく分かる。それから天守台に登って、沈む夕日を眺めていた。「綺麗じゃね、お父さんお兄ちゃん。何事も無く無事にここに在り、お天気にも恵まれて、有難い事でした」夕日は刻々と山の端に沈んで行く。自然に手を合わせていた。今日無事にここに在る事を感謝したのである。丁寧に・・「お蔭さまです。有難うございます」・・・と、ところがなのである!帰ろうとして、近い第二門の処へ行くと・・・。城門がピタリと閉まって居るではないか!「あれ!うそl」何処か隙間は?勝手口は無いものか?押しても引いても城門はびくともしなかった。お城の門ですもの・・。
第一門もやはりびくともしなかった 困った事になったものです。三人とも慌てふためきました。その時百合がパンフにある、案内所に電話したらと提案して、どうにか城門を開けて貰ったんです。びっくりでした。入門の時、立て札は見たけれど・・5時に施錠と書いてあったらしい。またまた失敗の巻!アハハハ・・
⑮
「ちょっと疲れましたね、今度の旅。二人とも体力随分落ちてるよね。どうする?稚内迄行けるじゃろうか?それに新型コロナの件もあるし。ちょっと新聞、テレビで騒がしくなりだしたよ。予定通りあるん?コース変更とかしてくれるじゃろうか?明日旅行会社に電話して確かめる・・。キャンセルしたら、キャンセル料、割引無しの状態で(政府の処も)払う事になるというよ」「如何する?キャンセルする?行く?」
旅行会社に確認した処、コース変更もありうるとのことで、旅行準備に取り掛かった。買ったばかりの(お萩事件の日)シルバーのキャリーケース。「下着は新しくしておこうね。この機会だから。後は有るもので行きましょう。靴も履きなれた靴で、と書いてあるし」その後、旅行会社のAさんから電話があり「寒いので防寒着と傘、雨ゴート、乗り物酔い止めの薬、体温計を持って来てください。それから行きの札幌泊を取りやめて、函館泊としました。帰りも札幌泊を取りやめて、苫小牧泊となりました」との連絡があった。新型コロナクラスター発生の札幌、旭川は素通りとなって、ひとまず納得したのである。このプランの方がいいかもね。と言いながら準備したのでした。いよいよ明日朝、6時43分発のさくら405号に乗るのである。「お兄ちゃん送ってね。よろしく」「広島駅まで送って行くよ」「ありがとう。留守頼みます」
⑯
広島駅で降りて、エレベーターで二階へ・・エレベーターを降りると直ぐに「丸井さんですか」と声が掛かる。添乗員さん(この頃はツアーディレクターと云うのかな)Aさんであった。二人連れ、荷物、防寒着を着ている。等から判断してすぐ分かるのであろう。「宜しくお願いします」と、Aさんにピッツタリ付いて貰って7日間の旅の始まりである。山口、福岡、小倉で合流される組があるとの事。初めて乗った九州新幹線、あれよあれよと云う間に鹿児島中央駅に着いた。9時33分着。鹿児島は遠いと思っていた。以前車で来た時は遠かった。そして疲れたものだ・・。今回2時間50分で到着。早い到着で驚いた。駅には2台のバスが待って居た。30組60人のツアーである。2席に一人座るという体制である。コロナの影響で旅行会社も儲からないだろう・・。このツアーで初めて出会った人達である。「宜しくお願いします」それぞれが挨拶をしている。人の好さそうな夫婦ばかりである。そして直ぐにお馴染みさんになる。65歳以上の人には、また何か特典があるのだが、何であったか?思い出せない。2号車担当はAさん。ツアーディレクターAさんの案内が始まった。昼食は池田湖。名物の黒豚陶板焼き・さつま揚げ・カツオのたたき他である。美味しかった。その後JR西日本最南端の駅、西大山。小さな無人の駅である。黄色のポスト、黄色のパンジーが咲き誇る・・・。温かな幸せの色が心に残った。開聞岳が形よく、すっと聳えている。そこから山川港へ、バスに乗ったままフェリーで根占港へ。薩摩半島の南端から鹿児島湾(錦江湾)を横断して大隅半島へ渡るのである。フェリーの客室での事「さっきの昼飯・美味しく無かった」夫薫が突然に言うのである。「えぇっ!完食して居たでしょ!だったら美味しかったんよね。何を言うん!」ペラペラ喋る癖がある薫である。自己主張したいのであろうか。後先の事を考えられないのである。他の人達は静かに海を眺めていた。何事も無いよと言う感じで・・・。根占港に着き、そのままバスで佐多岬へ。九州本土最南端・北緯31度線の碑。モニュメントにはカイロ・ニューデリー・ニューオーリンズ・上海・カラチこれらの都市と大体同じ緯度だというのである。エジプトの・・インドの‥パキスタンの・・ふぅんー、そんな都市と同じ緯度・・同じ気候?標高差があるから、一概には言えない。一人佇んで都市の様子を想像していた。「この土地の気候とこの時間の明るさ、覚えて置いて下さい。明後日は稚内ですからね。この時間は真っ暗ですよ。今回の旅の目的が日本列島、最南端と最北端の地に立つと云うのですから」と、ツアーディレクターAさんはいう。志布志港へ・・。バスを降りて、フェリーで一泊して大阪南港着という。フェリーは余り大きくは無く、部屋もこじんまりと整っていた。調度品も小さく、よく考えられたものである。先週までは夕食も朝食も弁当であったそうな。今週はどうにかバイキングになったと、Aさんは言う。(安堵したと云う笑顔)美味しかった。職員さんも少ない人数でテキパキ仕事をし、親切にして頂いた。食堂の窓から太平洋に沈む夕日が見える。燃える太陽が、空と海をオレンジ色に染めながら沈んで行く・・。私達人生の一休みです・・。夫薫の術後、良い方に向かっています。有難うございます。沈む夕日を見ると自然に感謝の言葉が出て来るのは何故だろう・・。釣瓶落としと云う秋の夕日。刻々と沈んで行く・・。元太郎に写メールしよう。如何しているかな。夕飯済んだかな?「今高知県沖に向かっている処、この夕日見て下さい。食事ちゃんとしましたか。鍵を掛けて寝るんよ。歯みが・・・」ああぁ・・心配しなくていい。独身ではあるが一人前の個人事業主であった。
「大浴場あるそうだよ。小さいけど・・」海は穏やかであった。お天気にも恵まれて、幸先良い旅の始まりである。
⑰
新大阪駅からひかり644号で東京駅へ。東京駅で自由昼食。はやぶさ25号で新函館北斗駅17時47分着。新函館北斗泊。羅臼産ほっけの焼き魚の夕食。「昨日のフェリーの部屋は小さかったよね。フェリーだから仕方がないね。今日のホテルは手足伸ばして寝る事ができそう。お風呂に入って、早く寝ようね」
夜中夫が入り込まない様にと思って・・掛け布団を巻き寿司の海苔ように、グルグル巻きになって寝た・。「フフもう寝たよ・・」「此間の事、愚かと云うか・・不審に思っているんよ」「何を!」夫は全然心当たりは無いのであろうか。「Fさんの件。そしてその後、お父さんが言った言葉よ。何事!」「何を!」「失礼も甚だしいよ!」「下の組のRさんの話をして、まだ朝・・夢精するんじゃそうな。とか云う様な話をして・・お前もして貰え!と言ったよ。呆れてものも言わなかった!失礼な話よ。何を心得て居るん!馬鹿にするのも程があるという事よ。そんな程度に思っているん?」「お父さんは引っ掛けられたんよ」「引っ掛けられて、弱みを握られて・・仲間でその弱みを共有するんよ。我が家は台無しになるよ。あの人たちの思うままになる。そう云う考え方の人とは、お父さんも遠ざかって下さい。心を許せる人でないとね。この処、心に鎧を着ていたよ。貴方が夜盗虫を入れたりするのが解っていたから。何の為にと思っていた。でも弱みを握られて、脅されているのも最近、解って来た処よ。食事や家の事はちゃんとするから・・・性を越えた夫婦になろう・・もういい年頃よ。Fさんに貴方が言うべき事だったね。家とは考え方違いますよとね。徐々に引き込まれたんでしょ。車の中で忖度して・・。仲間の為にそこ迄する人達よ。不思議な考え方ですね。三年前になるかね。我が家で猫がリンチされた事件。犯人解って居るけど、人には言っていない。貴方だけには、犯人を見たと言った。貴方は胡麻化してしまう。猫は蔦に絡まって・・。とか言った。自分が処理して区役所に連絡したじゃない!誤魔化せ!とFさんの命令?そんな事じゃ世の中、いつ迄も困る事になる。私犯人見たと言ったよね。貴方にしか言っていない。その後あの家のお祖母さんが、変装して家の前を通って貴方と何時までも立ち話をしていた。不自然な行動で解るんよ。見たんじゃ無い。あの家から出て来た足音を聞いたんよ。ニャーニャ―猫の鳴き声と共にね。何で貴方が加担するん?この事はあの人達も、地域の皆も困るんよ。ここで止めなければならないよ。誤魔化さない。誤魔化してくれるから、平気で無礼をするんよね!それに何の為に内で猫のリンチと思ったよ。普通の付き合いしか出来ないね。これ以上何を望んで誤魔化すんじゃろうか」真っ暗な部屋で、今迄の恨みつらみ、思いを言う事が出来たのである。「別の世界に住め!」「そうします。有難う。信頼できる人達と仲良くします。それに私、没頭出来る世界があるんです。だから他の事は面倒くさいんよ」夫薫はもう寝息を立てて寝ていた。暗号と引っ掛けそして誤魔化し、その人達とは仲良く出来ないよ。誰でも思うよ。考え方は家々で違うであろう、お金や名声を大事にする家とか、人を引っ掛けないで、慎ましくを大事にして居る家。他の家に害虫入れろと暗号で指図されては困るから、自分の責任になるんよ。頼みます。我が家にも大切にしたいものがあるのだから。薫は何事も深く考えない、軽く済まして生きて居るのだろうか。忖度し過ぎると、我が家が潰れる。何の為に人の言いなりになるん?Fさん、Rさんの入れ知恵でしょ。丸め込まれたんでしょ!人は汚点があれば、優しくなるとか何とか言われて、その気になった。「お前もして貰え!」と云う事は、奥さんが強いから差し出すん?認知症が言わせる言葉としても、脅されて居るとしても、一番侘しい言葉でしたよ。私は今迄通り子供や孫、家を守って生きて行きます。貴方に優しくして居たら、我が家の日常の生活は回らないよ。
⑱
翌朝、新函館北斗駅7時57分発、北斗3号で札幌へ。乗り換えて、特急ライラック号で旭川へ。そして特急サロベツ1号で稚内へ。稚内駅17時23分着、強行軍であった。真っ暗な夜道、霜柱をザクザクと踏みしめながら駅隣のホテルへ。これが緯度の差と云うものか。真っ暗そして寒い!明日は零下の寒さに耐えられるだろうかと思った。昨夜熟睡出来なかった事もあり、身体の調子が悪い。自由昼食で食べたカニ弁当が当たったのか・・湿疹が首の辺りに少し出ていた。ライラック号の車内でその弁当を食べようとした時の事、割り箸の袋の中には、割り箸半本しか袋の中に入っていない・・。箸一本では食べる事が出来ない。抄って食べようとしたが無理である。半分に折ればいいけど、短いなと思った。そうこうして居ると、隣の夫が急いで食べて、箸を貸してくれた。落としたのでは無い、箸の袋を破った時から、半膳であった。今思うと、何かの暗示だったのかも知れない。(この処勘ぐる癖が付いている)ご飯がパサついていて美味しく無かった。まさか(湿疹)とは思はないし、止める勇気は無いのであった。同じ弁当を一緒に買った薫は、体調異常なしであるから・・ぐっすり寝ていない百合の体調が影響したのであろう。
夕食はホテル近くの食事処で、消化の良さそうな品だけ食べて後は残した。湿疹の件で はホテル受付の方も、Aさんも心配して下さった。「熱は無いし、病院に行く程でも無いです。有難うございます」と言った。もしも熱とかあれば、皆様に心配かける事になるのだった。入浴後アロマオイルで軽くマッサージして眠りについた。
翌朝はバスで宗谷岬へ(日本最北端の地の碑)ここでこの旅の目的を果たした事になる。宗谷岬は吹雪であった。寒い!北緯45度31分22秒。東経141度56分12秒の地に立って居るのである。記念にスマホでパチリ。「お父さんここよ!ここに来たんよ!最北端の地・・宗谷岬に立っているんよ」夫薫は「寒いのー」と言っただけである。ショップで息子元太郎へお土産・・宗谷岬その緯度がプリントしてあるTシャツを買った。次はノシャップ岬へ、ノサップ岬とは違うのですという。(納沙布岬は根室湾、北海道最東端にある)「知らなかった。ふぅんー」と皆がいう。ノシャップ岬は野寒布岬と書き、アイヌ語で波の砕ける場所。岬が顎のように突き出たところ。二つの意味があるという。夕日の絶景に感動するとパンフにあるのだが、夕日迄は見られない。13時には稚内駅を発つのであるから。次は北防波堤ドームへ。この防波堤を設計したのは大学を卒業して二年か三年の誰々と云うのだが、聞き取れなかった。古代ローマ建築のような高い天井と太い円柱が並ぶ。半アーチ型ドームである。(若い人達と同じ様にスマホでパチリ!)波よけ用に建てられ、上は歩けるのである。昔は若い人達に機会を与え、大きな仕事をさせていたものだと思った。13時01分には稚内駅を発つのであるから、最北端の線路の標識をスマホに撮る。最南端から北へ繋がる線路はここが終点です。と宗谷本線稚内駅にある。(最南端の駅、小さな無人の駅。黄色のポストに黄色のパンジーが咲き誇っていた)ここが終点である。特急サロベツ4号に乗り旭川駅へ。復路である。窓の外は吹雪いていた。鹿や兎が線路内に入って来ると、急停車する事がありますとアナウンスがある。現実は厳しいのである。アニメでは・・・野ウサギの家族や小鹿のバンビ達が手を振って見送って呉れる筈なんだけど・・・無いよね。あれはアニメだからよね。ウフフ・・。
苫小牧泊。予定変更による、駅近くのビジネスホテルであった。次の日は函館駅へ。ロマンの港町を自由散策。特急つがる5号で青森駅へ。18時38分着。青森泊。
⑲
青森駅9時04分発特急つがる2号で秋田へ。11時44分秋田駅着。駅前のホテルで稲庭うどん、名物あきたこまちの昼食。とても美味しい。有難うございました。夫薫は、燻りガッコと稲庭うどんと名物のお菓子を買い求めていた。「また荷物増えましたね。よいしょ!」13時00分発、特急いなほ10号で山形、あつみ温泉駅へ。15時09分駅着。無料送迎バスであつみ温泉宿着。早めの到着で、温泉入浴や温泉街の散策などと・・。寒いから、温泉に入ってゆっくりしよう。食事・・・豪華夕食である。山形県産のワインのサービスも付いて、嬉しい限りであった。福岡のイチゴ農家、中村さんと隣の席であった。ついついオシャベリに花が咲いて、コロナ禍と云う事を忘れてしまう。名前は聞いたのだが・・忘れて、中村雅俊に似た感じがするので、中村さんと云う事にした。小倉から来られ、技術者という山岡さんとは遠くて、話が出来なかった。テーブルの間隔があいているので、大声になってしまう。静かに食事を頂きましよう。部屋に帰り、スマホを充電しなければならない。ところが充電器が無いのである。一昨日のホテルで朝、充電すると言い出しそのままチェックアウトしていた。失敗の事は余り言わないようにして居るのだが・・また・。Aさんに相談すると、直ぐに手配して下さった。「えぇーと・・一昨日と云うと、苫小牧・・404号室」直ぐにホテルに電話・・「ありました。ご自宅に着払いで送らせますから」Aさんは仕事の手際がとても良い。「ありがとうございます。お蔭様です。助かります」人生にツァーデレクーさん居て呉れたらいいだろうな。アタフタしなくて済むし、相談出来るし、頼れるし・・。朝、クーポン券を全部使ってお土産を買い求めた。夫薫はと云うと、使わないで、無駄遣いしないで?クーポン券は家まで持って帰る・・只の紙切れになって居たのである。判断が可笑しい。日頃の貧乏根性からか?病気なのか?(まぁ数枚の事だから、気にしない・気にしない)
送迎バスであつみ温泉駅へ。9時43分発特急いなほ6号で新潟駅へ、11時09分着。駅近くの食事処で、新潟産コシヒカリ、のっぺい汁、南蛮エビの刺身の和食膳の昼食。これもまた、とても美味しかった。只夫薫は一人、焼酎を注文していた。(地物では無い)ゆっくりも出来ないのに、人の目はどうだろう。病気と思って下さるだろうか。(気にしない、気にしない。どおどお、どおどお・・自分で制御)「日本海側、美味しいものが続くよね。この旅行参加出来て良かった。お父さんが元気になって呉れたから・・ありがとうね」
13時06分発、特急しらゆき6号上越妙高駅着、15時06分着。15時17分発、はくたか565号金沢着16時20分。「この間に金沢駅を外から、ちょっとだけ見られますよ」とツアーディレクターAさんの提案で、ちょっと見て、お菓子とヨーグルトを買う。金沢駅発16時55分発、特急サンダーバード38号で新大阪駅へ。19時33分着。旅の終わりにツアーディレクターAさんに、「お世話になりました。お疲れ様です」と言うと「ありがとうございます。私は鉄道が好きなのです。ですから疲れないです」「そうしたものでしょうね。お蔭さまで鉄道旅満喫しました。準備や下調べから、細部にわたり心配りありがとうございました。またお会い出来るといいですね。お元気で・・」鉄道マニアAさんの企画のお蔭で、出不精な私達夫婦も九州本土最南端、佐多岬から、日本列島最北端の地、宗谷岬までを経験できた旅であった。お蔭様と云うか、嘘かと思う程の不思議な巡り合わせである・・。ずっと願っていた訳では無いからである。たまたまコロナで旅行代金が安くなったから。薫の体調も、今なら良いかなと思った事。新型コロナ禍、第三次感染拡大の前であった。条件が都合よく揃っていたのである。
孫に写メールしたという中村さんは、いなほ、しらゆき、サンダーバードと写メールで送る度に、孫がとても喜んでいると目を細めていた。幸せ家族の風景を見た感じがした。私、百合もハーブマニアかも知れない。種蒔き時期、刈り取り時期、ちょっと?真っ黒黒に日焼けして頑張るのである。そしてグッズが出来て差し上げる時は嬉しい。喜んで頂くと猶更嬉しくなってしまう。幸せの分かち合いと云う処かな。ハーブに携わっていて良かったと思う・・・。ツアーディレクターAさん、疲れないのも(幸せの分かち合い。知識の分かち合い)そこを言うのであろう。続いて「皆さん無事に、何事も無く旅の終わりが嬉しい」ほっとする時だという。Aさんの仕事に対する姿勢である。「今日はごゆっくり休んで下さい。有難うございました」20時18分発さくら73号で広島へ。握手は出来ないから、肘タッチ。「皆さま有難うございました。お元気で・・」脳梗塞後の夫薫も無事帰る事が出来た旅・・喜びもひとしおであった。人生の旅路もまた、人との出会いであろうか・・。何処を、どう受け止めるか、どう進むのかを自ら選ぶ旅ではないだろうか。
7日間の旅が終わって・・このカップル持ちこたえていますよ。そして二人の人生・・最後まで頑張るつもりです。同じ事ならしっかりしますよ。
⑳
お土産を少し配るのだが、何だかご近所がよそよそしい。夫薫が言ったあの言葉、伝わったのかな・・。「別の世界に住め!」「そうします。私には没頭出来る世界があるんです。毎日する事が多くて、忙しくて、息をするのも忘れる位・・とはオオバ―だけれども」引っ掛け、暗号、誤魔化し、下心・・・後になって見れば全てわかる事である。この頃,世の中は皆、暗号や引っ掛けで事が済むのであろうか?その上戦う必要があるのかな?何の為に?(薫も幾つか加担している)だから信頼はない、私は心に鎧を着ている。今迄と同様のお付き合いで良いではないか。これ以上何を望んで居るのかな。他所の家の人だから、それはそれでいいではないか!関係無いのに、何の為に誤魔化すのかな。夫薫から、この二年間の可笑しな行動の説明はない。普通・・夫婦ならば、何らかの言葉とか、説明は有っても良いと思う。恥ずかしくて言えないのかな?・・やはり脳梗塞の後遺症か・・認知症になる前兆なのだろうか。
「今日のごはんは凄く美味しい!あっ・は・では無く・・今日も!」薫はこの頃こんなお世辞を言うのである。「美味しいね。お米、お父さんのお蔭よ。故郷からの秋田こまちと先輩の田圃で収穫されたアキサカリありがとうね」百合も負けずに感謝の意を述べる。加えて旅行から帰って、薫は少し元気になった気がする。体力に自信が付いたのかも知れない。強行軍に体が耐えられるかなと思案したものだった。口臭も気にならなくなっている。百合に対して非難の言葉を吐かなくなった。何故かな?家の用事が済んで、夜の10時から12時過ぎ迄パソコンに向かう百合の姿を見て‥この集中力に驚いて、目が眩んだのかな?(ひと儲け出来そうだ)そんな訳ないな?・・暗号で指図、そして脅し!Fさん達の考え方に嫌気がさして、我が家が一番いいという事になったのだろう。先ごろ迄は「運転が下手くそ!見えんのか!」助手席に座っていながら、いちいち文句を言う。歌など口ずさむと「人迷惑な、音程が解らんのか!」決まり文句であった。百合は薫がいう文句も、何時しか気にしなくなっていた。どこ吹く風・・こういう病気もあるのであろう・頼りにしなければいい。自分がしっかりすればいいのである。大事な事は最初の段階では話さなくなった。十分下調べをして、これで良し!となってから相談するのである。最初に言うと、何も前に進まないからである。その様なお母さんとも言うべき、奥さんが居る家であるから、今回のFさんの件も・・愚かな事として処理されただけである・・。「古本屋に白秋作詞の童謡のCDがあった。買って来たヨ」「まぁ!嬉しい。この頃よお気が付くようになった!畑の行き帰りに聞こう・・ありがとう。元気になれそうね」
㉑
林芙美子氏は食べて行く為に、空腹でひもじさ故に、腹の底から叫ぶように文学が産まれた。樋口一葉氏は、16歳で家督を継ぎ、19歳で小説家になろうと決意した『かれ尾花一もと』を執筆。師であり、思う人ともいう、半井桃水に借金を申し込む様な境遇。22歳『大つごもり』を、23歳『たけくらべ』を発表した。24歳で奔馬性結核にて死去。芥川龍之介氏は・35歳の若さで・・・。太宰治氏は・39歳で、珠の作品を残しながら、自ら命を絶つのである。私、百合はひもじいと云う事も無く、もう若くも無く、此処まで生きて居るのだから・・。暗号、引っ掛け、誤魔化し、夜盗虫等、大勢で連携しての行為・・これ位の苦難は受けなければならないだろう。この事が無かったならば、書こうとは思は無かった。証拠が無ければ何をしてもいい、硬い絆がある。この絆を断ち切って頂きたいのである。習慣をあからさまにすれば、皆が知って居るのならと・・正しく修正されると思う。そう願って居るのである。お互いの出会いは、双方幸せになる為であると思いたい。百合は小説の題材を頂いたと思った。有難うございます。今迄の苦難を、これからの糧にしたいと思うのである。それとも、それともなのであるが・・・。文豪を誕生させる為に・・大勢で打った大芝居?そうでなければ、いい大人が馬鹿馬鹿しい事はしないですよね。そうとしか思えないですね。そこまでして、私百合を育てて頂ける。大大感謝です。まことに有難うございました。文章はこれから勉強します。アハハハ・・お芝居だったのですかと、会って御礼申し上げたいです。Fさんではなく、役職トップの方に・・一人に御礼を言えば全体に影響ある人がいい。
夫薫は脳内回線を遠回りする為(私見)何かに付けて作業が進まない。そこで、出来るものを頼むのである。野菜のスライス。ゴマダレの調合。さや豆の筋取り等々を上手く作って貰って居る。力量が解ると多くは望まない。カーテンの開け閉めは未だ時々しか出来ていない。そしてなのですが、この旅行の副産物として、一番嬉しい事がありました。息子元太郎が、お嫁さんを探す気になったんです。ようやく私百合も、肩の荷を下ろせそうです・・・。かな?
㉒
「羽衣・見つかったよ・・」「えっ!何?なに?」息子元太郎は、また冗談をというニュアンスで言う。「は・ご・ろ・も・フフッ探していた物よ」「? ??」「私のやりたい仕事。向いている仕事を見つけた!何年掛かって探し当てた事か。私にも天職、何か有る筈と、ずっと思って探していた。洋裁でしょ、和裁も、子供達が小さい時は家に居て内職してたでしょう。肩が凝って続かなかった。葉子が大学生の時は学費の足しに、宅建主任資格を取って住宅営業をしたけれども、続かなかった。今は畑でハーブを育てて、ボランティア活動をしている。ハーブは人の為に役立つし、私も好きだから・・かれこれ十年続いている。気が付けばもう人生最終章になっている。これまでの経験を全部ひっくるめて書いて見るつもり。異色の作家と言われるかな?最後の挑戦よ!只・・、途方もなく難しい仕事になるんよ。何万人も作家さん、居られるし」「何で羽衣なん?」「それは・・私が生まれ落ちた処はね・・竹林という名の小さな村だった・・」「竹林・・・それだけの関係で羽衣?」「ほうよ、いけんじゃろか?フフッ・・それ以上の理由要る?あっ・・もう一つあった。ありました。近くに可愛川が流れていて・・可愛小学校に入学してね・・。絵のような田園風景が広がっていたんよ。・・懐かしい所よ。江の川の上流を可愛川と云ってね。思い出はいっぱいある・・。そして10歳の時、家は倒産してね。市内に出て育ったんよ。10歳の子供目線では、納得の出来ない倒産だったよ。戦後のドサクサ時期だから仕方無いんかね。皆そうするんかね。家も金仏壇も安く差し出したらしいけどね。あれって、箱よね・・。箱を取っても古くなるだけ。中身は此処に在るのにと思っている。『心まで貧乏になったらいけんよ。幸せは考え方一つよ』母の言葉が蘇る、私の故郷よ・・・」
「題名は『名前だけのかぐや姫』は如何じゃろうか?『名前だけの帰還』というのも如何?」「書くのは勝手に書いて下さい。どうせ徒労に終わるんでしょ」「えっ!そこを何とか・・」息子はお世辞も言って呉れない。いえいえ、ここから厳しい世界が始まって居るのである。「宗谷岬でお土産に買ったTシャツに緯度、経度がプリントしてあったでしょ。ちょっと見せて。見るだけでいいから・・」「そ・そんな事迄小説にかくの?」「ちょっとね・・」「読まされる方が可哀そうじゃ!フフッ・・」「まぁ!はっきりいうね・・アハハハ」「アハハハ・・」「世の中の為になるから、私が死んでから世に出るかもしれん・・アハハ・・」
「はーい、了解しました」「よろしくお願い致します。有難うございます」息子元太郎とは冗談を言いながら、気持ちを話すのである。いや・・やっぱり冗談だと思っているのだろう。
㉓
そうだ・空から見てみよう!小鳥のように青空へ・・・。分水嶺から可愛川を下って少しすると、大きな造り酒屋の煙突が見えて来る筈・・。白壁に・・少しお酒の香りも風に乗って来るでしょ。その大きな酒蔵の前に小さな私の家があったけど、今は畑になって居る。他の家々は位置はそのままで、みんな以前より二回り位大きくなって、景気好さそうに見える・・。小学校入学当時、我が家は運送業を始めていた・・。バタンコでね、景気良かったらしいけど。父は直ぐ女の人を囲って、家に帰らなくなった。そこから母の苦労が始まるのである。まだ三〇代前半、健気な母の姿が目に浮かびます。・・「この花の名前はなぁに?」私は春になると庭の隅に毎年咲く花の名を聞くのである。母は畑仕事の手はそのままに・・「マーガレットよ!」そして決まって付け加えるんです。「イギリスの王女様と同じ名前よ・・」「ふぅんー王女さま・・どんな方?何時も白いお洋服きているのかなぁ。お城でどんな遊びをするのかなぁ。お人形遊びもするのかな。どんな方?お城に住めていいなぁ。いつか写真見せてね」子供達を卑屈にさせたくない、母の魔法の言葉だったかもしれない。私はその花、マーガレットの周りをスキップして遊んだのである。少しして、新聞に載っている、小さな顔写真を見せて貰った。「これでは小さすぎて分からんよ」「ウフフ・・」戦後まだ、写真集とか週刊誌とかテレビも無い頃の話である。母は、姉と私の為だけの耐えて生きた人生だった。「心まで貧乏になったらいけんよ。金は天下の回りもの・・私が子供の頃は、お祖父ちゃん村長さんでね・・」母の子供の頃の華やかな話をするのでした。7歳年上の姉とは、この頃行き来しなくなった。同じ親で同じ環境で育ったけれども、思う事が違っていたのだろう。その後姉は、夫と会社を経営してお金持ちになっている。良くして貰うけれども、やはり暗号、引っ掛けがある。自分ベースに引き込もうとするのか。妹だから、従うのが当たり前と思って居るのか?我が家の事を守りたいから、行かなくなった。
20年位前になるかな・・・家の外が偉い騒がしい。ペチャクチャ、ペチャクチャ、チッチ!バタバタ・・なに?何事?急いで玄関先に出て見ると・・斜向かいの家の南天の実を、群れのスズメが啄んで居る処だった。アノー、他所の家の南天の実を泥棒する時は、静かに頂くのが道理よ・・と呟いたものだった。柔らかな夕日に包まれていて、忘れられない光景であった。そしてその冬・・鳥インフルエンザが猛威を振るった年でもありました。何年も後に・・薬草の本を読んだ時、この光景が蘇りました。南天の実や葉には咳止め、喘息、解熱の効果があり・・スズメが知っているのか?小さな体で感じているのか?予知能力があるのであろう。生きて行く事だけが大事なんだから、その能力は有るであろう。空から地上の小さな食べ物、薬を見つけている。昔の人も南天の木を難転として、難を転ずる木といい、敷地の鬼門に植えるように私達に教えている。この事も薬効ありと言うのである。小鳥のように、生きている事だけを楽しみ、喜べばいいのかも知れない。持ち物の良い悪いではない。大きい小さいでもない。お金の有る無しでもない。生きている事が・・万に一つの奇遇として、大切に考えなければならないと思った。
そうだ雲に・・・地上の水分が水蒸気となって上昇し、凝結して微細な水滴又は氷晶の群となり、高く空に浮いている・・雲。地上の生き物達と調和して恵みの雨を降らせる。雨は大地、海、川、植物、動物、魚すべての生き物達に恵みの雨なのである・・。
そうだ皆で雲になろう。地上の愚かな風習・人々の小競り合い・誤魔化し・・を物語にしてあからさまにすれば、上昇して空に・・雲になるであろうう。空から見れば、何もかも小さな事。地位も名誉も消えている。生きている意味・目的を間違えていた。可笑しい・・と思って頂ける。飽和状態になり、雨のように地上に降り注ぐのである。その時は、植物を育てる恵みの雨のように・・人を育てる、言葉とか、行為とかを心がけて見ましょう。人を貶める引っ掛け等出来ないかも知れない・・。その雲は・・いつかきっと、よろこびの雲となる事を念じています。
以上
いつか楽しいお話を書きたいと思います。ついつい言って置こう、書いて置こうと思ってしまいます。