八月三十一日 台風
八月三十一日 月曜日 晴
台風十号が発生した。昨日あたりから週末に巨大台風が関西に直撃するという話が出ており、その大きさは伊勢湾台風クラスとも言われている。まだ一週間近く先とはいえ、また豪雨災害が起こるのかと思うと心穏やかには過ごせない。
朝から妻が会社のIDカードを亡くしたと大騒ぎだ。気づいたのは家を出る二十分ほど前。衣服もかばんも探してみたようだが見つからず、かなり殺気立っている。その殺意は周りにも向けられ声を掛けづらい状況だ。
独り言をぶつぶつ言いながら探す様に心配はするのだが、殺気がダダ漏れで下手に声は掛けられない。声を掛ければ刃を纏った言葉や態度が瞬く間に襲いかかって来て私を傷つけていく。
「かばんには入ってなかったし、出すことも無かったし……」
廊下と部屋とを何度も往復しながら呟いている。
「会社のどこかに置き忘れたくらいか。心ある人が拾ってくれれば良いが、悪意ある人ならそのままゴミ箱へ……」
なんとIDカードを拾ってもゴミ箱へ捨てる人なんているのかと驚く。
「佐藤さん(仮)は喧嘩しているから捨てるかもしれないけど、鈴木さん(仮)は真面目な人だから……」
などとあまり耳にしたくない個人的事情を口にしていく。社内の人間関係はどうも複雑だ。
「入り口は守衛さんのところで……あとは始末書を書けば……」
既に遺失したことは決定で、事後対応について考えているらしい。しかし失くしたショックと、まだカードがどうなっているかわからない不安とが混ざり合い、さらに焦りも交わって不穏な空気が醸し出されている。息子はそんな状況も我関せずとEテレと向き合い、時間になると妻に言われるがまま登校していった。このまま強い子に育ってほしいものだ。
一方、私はそんな妻の気に当てられ、一日中気分が上がらないでいた。そんな妻も笑顔で帰宅した。そして開口一番報告があった。
「IDカードが机のペンスタンドに突っ込んであったよ。誰かが拾って入れていてくれたみたい。」
台風一過とはよく言ったものだ。




