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黒き賢者の血脈  作者: うずめ
第四章 戦乱の大陸
99/129

崩れ去る常識

【作中の表記につきまして】


アラビア数字と漢数字の表記揺れについて……今後は可能な限りアラビア数字による表記を優先します。但し四字熟語等に含まれる漢数字表記についてはその限りではありません。


士官学校のパートでは、主人公の表記を変名「マルクス・ヘンリッシュ」で統一します。


物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。

・距離や長さの表現はメートル法

・重量はキログラム(メートル)法


また、時間の長さも現実世界のものとしております。

・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日 


但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。

・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年

・4年に1回、閏年として12月31日を導入


作中世界で出回っている貨幣は三種類で

・主要通貨は銀貨

・補助貨幣として金貨と銅貨が存在

・銅貨1000枚=銀貨10枚=金貨1枚


平均的な物価の指標としては

・一般的な労働者階級の日収が銀貨2枚程度。年収換算で金貨60枚前後。

・平均的な外食での一人前の価格が銅貨20枚。屋台の売り物が銅貨10枚前後。


以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくお願いします。

 国王陛下の御許しが出た。ロデール・エイチ学校長は言葉を多少選びつつ……先日の観覧で自らも目にした「本来の白兵戦技授業」に対して国王に説明を始めた。


「恐れながら陛下も御存知の白兵戦技……これまでも御上覧の戦技授業とは、建国の昔に創立された当時の我が校にて実施されていたものと比べ、大きく変質しているとされております。マルクス・ヘンリッシュはその変質した戦技授業に対して文献の内容等を根拠に異存を唱えたのでございます」


学校長の説明を聞いた国王は興味を見せる姿勢を崩さない様子だ。


「ほぅ……異存とな?()の者は文献を根拠に今の学校教育に不服を申したと?」


「はい。彼の言い分は確かに小官も頷けるところが多々ございまして……小官も一応は実戦を経験した者として、現在実施されております白兵戦技授業には疑念を抱かざるを得ないと愚考しておりました。事実……このような申し上げ様は軍務省の方針とは異なるものですが、チュークスの分校では近年の伝統として海軍科三回生に本校(ここ)とは全く違う内容の戦技授業を施しておりますので……」


「こことは違う……?それはつまり定められた教育方針には従っていないという事か?」


「誠に申し上げにくいのですが……海軍と致しましては実戦機会が多うございます故……士官候補生にも実戦的な戦闘技能を身に着けさせる必要を感じているかと……。小官は現職(学校長)に奉職している立場ではありますが、分校の方針に対して口を差し挟まないようにしております。それは小官自身も海軍科出身者として分校の戦技教育は必要であると、小官自身の経験において判断しているからであります」


「ふむ……。そうなのか。しかしそれではまるで提督はこの……本校か。()()で実施されている戦闘訓練は実戦的では無いと言っているように聞こえるぞ?」


決して学校長の言い分を咎めているという様子では無く……国王陛下は何やら面白そうな顔で指摘してくる。


「はっ……申し上げにくい事ではございますが……陛下(おかみ)の仰られる通りにございます」


 エイチ校長の言葉は国王の向こう側に控える教育部長を前にして相当に突っ込んだ内容と言える。何しろ、この発言は教育現場の責任者である士官学校長が本省の教育部が定めた学習指導要領を否定している事に等しい。

本来であれば当然これは「僭越的行為」であり、学校長以下の教職員が同様の考えを公言しようものならば、懲戒対象にすらなり得る話である。


しかしエイチ校長は勅命によって任じられた職位にあり、その任命責任は当然ながら国王に帰するものである為……このような発言に対し、教育部長によって後難を蒙る心配も無い。

しかしそれでも、名目上は最高司令官である目の前の国王に直言するのはそれなりにリスクを伴う内容には変わりないので、彼の隣に控えるタレンは気が気で無い様子を見せた。


(校長閣下も随分と思い切った事を申し上げている……。軍に対して疎遠とされる陛下が……これを聞いてどう思われるか……)


 しかしロムロス王の反応は、この主任教官の懸念とは違ったものであった。


「それでは彼の生徒も提督と似た考えを持っていると言う事か?文献……なるほどな。(しか)してその……本来の戦技か?それは文献上にて確認できると申すが、実際の内容に対する『再現』は叶っておるのか?」


「はい……(まこと)に汗顔の至りではございますが、小官も当初はその具体的な『形』について不明なる部分が多うございましたが……。彼のマルクス・ヘンリッシュが存じておりました故……幸運にも先日この目で()()を見分する機会に浴しました。その内容は至極合理的で……先程申し上げました分校にて独自に実施されております授業内容に通ずるものがございます。恐らく……分校のものは、古来より本校においても実施されておりました『本来の戦技授業』を継承しているものであると愚考致します」


「ほう……?つまりは、提督の言うその『本来の戦技授業』というものが、本校では廃れて変質しているが……分校では今でも継承されていると?」


「はっ。御賢察の通りにございます」


 明敏なロムロス王は学校長の説明で、粗方その事情を把握したようだ。すると俄然その……「本来の戦技授業」というものに対して興味が尽きなくなる。


彼はこの王都で3年毎に開催される「闘技大会」において「達人同士の立ち合い」というものを何度も見ている。それはこの「国王の上覧」となる対戦が、王城内に舞台を移して実施される準決勝戦及び決勝戦を勝ち抜いた精鋭同士によるものだからだ。

これに関しては個人戦も団体戦も同様であり、伝統の祭典に即位前の王太子時代から臨席を続けているロムロス王は、それなりに武術というものに対して「目の肥えている」存在であると言えよう。


そしてその「形式」は、この士官学校において実施されているこれまでの戦技授業も同様であり、王にとっては王城で目にする「一対一の立ち合い」こそが戦場における「戦技」であると認識していたのだ。


 しかし今、目の前の剣技台の縁に佇む「首席生徒」……学校長曰く「100年に1人の逸材」である若者が主張している……この学校で現在教えている「戦技」とは、(国王)がこれまで見て来たようなものとは違うと言う。

そうなるとこの生徒だけでなく、海の上での実戦経験が豊富であるはずの学校長までもがその意見に賛意を示している「本来の戦技」というものが具体的にどのような内容であるのか……それを目にしたいという欲求は当然の事であろう。


だがここで……ロムロス王はふと気付いた。今自分に対して「本来の白兵戦技」とやらを説く歴戦の海軍提督である学校長……彼の言い分では彼自身はチュークスの分校で「それに近い内容の授業を受けていた」との事だが……。


「実戦経験を持つ者」がもう一人……学校長の隣に居るではないか。


そう……。「北部軍の()公子」と呼ばれ、王国北方の国境地帯において長年その治安維持に務めてきた勇者……「王国の守護神」であるタレン・ヴァルフェリウス、いやマーズ卿はこの学校長の言い様に対してどう思っているのか。ロムロス王はこの事に気付き、学校長の左側で頭を垂れているタレンに声を掛けた。


「マーズ卿。其の方は今の提督の話を聞いてどう思ったのだ?其の方は陸軍士官として、本校で戦技の教育を受けた身であろう?その後……北の領域で実戦を経験したであろう其の方の目に、この戦技の授業はどう映っておるのだ?」


国王陛下からの御下問を受けたタレンはゆっくりと視線を上げ、それでも自分より一段高い段席に腰を下ろす国王を直視せずに目を伏せながら落ち着いた態度で言葉を返す。


「はっ……小官如き小身の者が……畏れ多くも軍務省のお歴々が定められました授業方針に対して意見を申し述べますのは僭越の極みにございますれば……」


「構わん。余が許す。其の方の忌憚の無い意見を述べてみよ」


 またしても国王陛下からの許しが出た為……自分の頭越しにされたデヴォン教育部長は顔色を変えた。実戦経験者としてのタレン・マーズは、王都に在する現役陸軍士官の中でも……今回の件に対して最も説得力を持つ経歴を有した人物であると言える。


彼同様にこの場に控える警護責任者であるエリオ・シュテーデル近衛大佐は「剣術の達人」であり、その実力は王都の中でも屈指の存在として知られているが……それはあくまでもマルクスが鼻で笑っている「道場武術」の範疇であり、所詮は「定められたルールの中で行われる立ち合い」の巧者に過ぎない。


タレンのように長年に渡って北方の治安維持で「生命のやり取り」を繰り返して来た者からするとそれは「貴族の決闘ごっこ」であり、昨年退役となった前第一師団長リック・ブレア退役中将のように、「軍中央」の将兵を指して「実戦知らずの役立たず」と揶揄する者すら居た。


北部方面軍に属して北方の国境地帯の治安維持を委ねられている第一、第三師団の猛者達は、それだけ他の部隊との考え方が違うのだ。この2つの師団関係者は……同じ北部方面軍に属してはいるが、その管轄が方面軍本部があるドレフェス周辺である第七師団に対してすら「ぬるま湯仕事」と見下す傾向がある。


「それでは……大変恐縮ながら言上致します。小官も嘗てはこの士官学校において戦技教育を3年に渡って受けましたが、卒業後に任官致しました北部の戦場では全く役に立ちませんでした。むしろ……今のような戦技教育を受けた事で、危うく初陣で生命を落としかける次第でございました……」


目を伏せたまま思い切ったようにタレンは語り……その内容を聞いた国王だけでなく、近衛大佐は勿論の事……国王の背後を警護していた2人の儀仗兵に対しても衝撃を与えた。この主任教官を「戦技授業改革の首魁」と認識していた教育部長だけは苦虫を嚙み潰したような表情になっている。彼はこの「北部軍の鬼公子が初陣で危うく生命を落としかけた」という話を先日……学校長が本省を訪れて戦技授業改革の具申を行った際に聞いている。


「そっ、其の方は……この学校における戦技授業が原因で……その……初陣において生命を落としかけたと申すか!?」


「はっ……。北部方面軍第一師団に配属されました小官は、新士官考査期間に伴い10騎程で構成された分隊を預けられました。その後、左様……一月も経たないうちに匪賊討伐を拝命致しまして……。それが小官の初陣と相成りました」


タレンは新任官当時を思い出すかのように目を細めた。


「小官が初陣として率いた分隊は程無くして50人程度の賊軍との戦闘となりました……。小官はそこでこの学校にて習い覚えた『槍術』を以って彼らの迎撃に当たったのですが……その教えは全く役に立ちませんでした。『一対一』で相対する事に固執した小官は、いつのまにか賊軍に包囲され、騎乗していた馬からも引き摺り下ろされまして……」


 自らの不名誉な記憶を掘り起こし、それを国王に説明するタレンは何時の間にか小さく震えていた。この時に喪った2人の部下の事が同時に脳内に蘇ったのだ。


「賊に包囲された小官は……それでも手にしておりました槍を振るい……彼らに立ち向かったのですが、側面や背後からも襲い掛かる賊どもに嬲り殺しに遭いそうになりました。2人の部下がその生命を投げ出して盾となって貰わなければ……小官は今こうして陛下の御前に(まみ)える事も叶わなかったでしょう……」


「このような……自らの恥を申し上げる事に対し、些か心苦しいところではございますが……あの日のあの経験を経て小官は……『白兵戦技授業』で習い覚えたものを捨て去り、戦場で生き延びて参りました」


最後はそれでも顔を上げ、目の前の国王に対して目線を合わせるように……タレンはハッキリと「この白兵戦技授業は役に立たない」旨を公言した。国王の後ろに控える教育部長に対してもしっかり聞こえるようにである。この一件で後日、軍務省側から自分に対して処罰が加えられるとしても……国王陛下(最高司令官)に自らが戦場で味わった悲哀を伝える事にしたのだ。


小さく震える「北部軍の鬼公子」の、強い視線を受けてロムロス王はその目から彼の……「哀しみ」を感じ取って小さく溜息をついた。


「そうか……其の方にはそのような体験があるのか……なるほどのう……。この授業は……役に立たなんだか……」


 この主従のやり取りを、国王の背後で聞いていたデヴォン教育部長は、タレンの強い視線がまるで……国王の身体を突き抜けて自分自身に注がれているような錯覚を受けた。そして彼は、国王のようにその視線を受け止める事が出来ず……精神的な「怯み」を感じて、タレンから目を逸らした。


「では其の方も提督の意見を肯定するのだな?」


「はっ……。左様にございます。学校長閣下が仰られたように現代の本校で実施される戦技授業は実際の戦場……特に非正規軍である匪賊や海賊に対しては殆ど通用しないと断言しても宜しいかと思われます」


タレンの言い様は、エイチ学校長よりもむしろ強い表現で……彼の初陣とその後の「鬼公子」として覚醒するまでの期間に味わった哀しい記憶は、彼に士官学校の授業に対して「憎悪」とも言える感情を抱かせた。


そして……タレンとエイチ学校長はマルクスが示した「新任官者の死者数」の恐るべき数字を知っている。その中で「本来の戦技授業」が実施されていた700年前と……現代の「貴族の決闘ごっこ」に成り下がった100年前からの数字を裏付けるかのように、士官学校を卒業して間も無い新士官達が「役に立たない」その戦技に呆然としたまま戦場で散って行く体験を……タレン自身も、そして分校で幾分マシな授業を受けたエイチ提督ですらその「洗礼」を(あまね)く受けたのである。


つまりタレンは自分の苦い初陣と、それに対する「憎悪の理由」……その根拠をマルクスの示した数字によって明確に認識したのである。

先人が苦労と失敗を重ね、千年単位の悠久の時を経て洗練させた「士官戦技」を、国土放棄を経て「貴族の決闘ごっこ(ちゃんばら遊び)」にまで貶めた……そして今般、その過ちを正す具申を「官僚の論理」によって握り潰した「愚昧な軍務省」への憤り……この感情が国王への畏敬を忘れ、強い視線となって現してしまったのだ。


「そうか……。其の方までもが今の戦技に疑義を抱くのであるならば……やはり余も()()を見せて貰いたいものだな」


「マーズ主任、陛下の御召しである。御覧頂けるようにすべきだ」


学校長からの「命令」を受けたタレンは「はっ!」と鋭く応じて段席を降り……観覧席の最前列から、剣技台で緊張気味に授業を続けているドライト・ヨーグ教官に声を掛ける。


「ヨーグ教官、ちょっといいかな?」


背後から声を掛けられたヨーグ教官はハッとしたように振り向き


「はっ……なっ、何か……?」


強張った表情で上官に応えた。


「君は今でも『あの取り組み』を続けているのだろう?この後、それを披露して貰えないかな」


「えっ……しっ、しかし……デヴォン閣下もいらっしゃる場でよっ、宜しいのでしょうか……?」


今年で教官就任4年目となるヨーグ教官は、やはり本省の教育部に遠慮がある。概ね6年程度の勤務で転属となる際に進級となるのが慣例となっている士官学校教官職に就いている身として、彼もこの「出世コース」から外れたくないという気持ちはある。


2年後に進級の上で原隊である王都方面軍に戻れば大尉の階級で大隊長クラスの職位に就くか……勤務評価によっては士官学校内で昇格して主任教官となる道もある。そういう彼としては「教育部に睨まれたくない」という本音があるし、更には国王陛下(最高司令官)を前にして「学習指導要領に沿わない授業を実施してもいいのか……?」という王国軍人としては至極まともな考えの下に、主任教官の命令に対して躊躇する表情を見せた。


タレンはそのような相手の心情を汲み取ったのか


「陛下の御召しだ。教育部長殿の事は気にする事は無いので、いつも通りの『君の取り組み』を見せて欲しい」


「は……ははっ!」


タレンからの指示を受けたヨーグ教官は1年1組の生徒を一旦集め……改めて5人1組で人数割をしてから「最近取り組み始めた授業」を実施する旨を伝える。先程まで剣技台の縁に独りで立っていたマルクスも苦笑しながら教室の席順で横列ごとの組み分けに加わり、教室では一番後ろの席である彼は4番目の組に入った。


 4つの組に分かれた生徒達は再び剣技台の四隅に分かれ、更に2人と3人に分かれた。そして2人組の方が背中を合わせ、それを残りの3人で囲んで対峙する配置となって撃ち込み訓練が開始される。


この様子を見た観覧席の国王陛下が早速疑問を口にした。


「これは……何をしているのだ?」


「これは敵に包囲される想定で自らの身を護る為の訓練……であると思われます」


学校長がすかさず説明申し上げる。


「古来より戦場において、我が国の陸海軍が主敵討伐対象としてきた「非正規()」軍集団は……我が軍の指揮官を優先して標的にする戦術を好んで使い、それは現代においても同様なのです。指揮官を排除する事……我が軍の指揮系統を断絶させる事こそが賊側の常套戦術である為に、それらの敵戦力から自身の身体生命を護る技術を養う事こそが……創立の昔から我が校において実施されていた『本来の戦技授業』であるとされております」


国王一行が居る段席に戻って来たタレンが学校長の説明を補足する。


「何時の頃からか……御覧頂いております内容の戦技授業が変質し……恐らくは陛下おかれましても、過去に御観覧頂いたと思われる『一対一での立ち合い形式』へと……それは実際の戦場における状況とはまるで乖離したものとなり……結果として小官もそのような授業を受けたままに初陣の場で何人もの賊軍に包囲され、生命を落としかけたのでございます……」


「只今御覧頂いております生徒達の訓練は、そうした将来の彼等自身でもある前線指揮官が、敵から包囲を受けた事態を想定したものございます。

本来であれば『包囲される側』を1人の生徒が務めるのですが……1人では全周囲から攻撃を受ける包囲状態に慣れておらず、訓練を受けられる水準では無いので……最初はあのように2人が背中合わせとなって、まずは正面及び側面からの攻撃に対処する訓練から実施させております」


「ふむぅ……『囲まれる者』としての訓練か」


タレンの説明を聞いたロムロス王も、漸く目の前で行われている……今まで見た事も無いような戦技授業の内容について理解し始めた様子だ。これは国王の周囲を固めている警護の者達……シュテーデル近衛大佐を始めとして2人の儀仗兵も目を瞠りながらこの授業に見入っている。貴族出身の彼等3人は元より、国王の警護要員として抜擢されている程に武術の腕前に長けた者達であり、幼少時から王都市中の剣術道場に通いながら腕を磨いて来た。


しかし彼らは実際の戦場……人間相手に文字通り「生命の奪い合い」を経験した事が無く、この目の前に居る「北部で名高い元戦闘指揮官」の言葉に耳を傾けながら、自分達がこれまで打ち込んで来た武術が戦場では通用しないというタレンの言葉に戸惑いを覚えていた。


 国王が説明を受けている間にも、目の前では2人を3人で囲む撃ち込み訓練は続けられており、マルクスもニルダ・マオと背中合わせになりながら3人の男子生徒からの撃ち込みを受け流し続けている。このグループには剣術経験4年のショーン・パーチが入っているが、彼はダーレ・アキトという……普段はマルクスの左隣の席に座っている男子生徒と二人懸かりで、マルクスに対して全く撃ち込めそうにない。


それでも囲む側の3人は一応の「打合せ」を行った上でこの鍛錬に臨んでいるのだが、マルクスは背後でハリマ・オイゲルに対しているニルダを庇いながらも尚……3人の撃ち込みをまるで寄せ付けずに受け流し続けていた。その動きは観覧席に居る大人達が見ても驚異的に見える。他の不慣れな訓練を続けるグループの者達がまるでグダグダな状態になっている光景が尚更に、首席生徒が囲まれているグループの見栄えを際立たせている。


「囲む側、囲まれる側双方が連携を意識して動くように教えております。囲む側は同士討ちにならぬように『牽制する役』と『攻撃を行う』と言うような役割分担を予め決めたり、相手の2人を分断するような動きを採ると言ったような作戦を自主的に立てさせております」


「そうか。生徒達自身に考えさせているのか。指揮官としての素養を伸ばす目的もあるのだな?」


「御賢察の通りでございます。囲む側、囲まれる側……それぞれに目的を強く意識させるのが、この『本来の戦技授業』の要諦にございます」


 暫くの間、5人各組は担当を入れ替えながら2対3の包囲訓練を続け、始めはぎこちない動きをしていた生徒達も段々とこの「新しい授業のやり方」に慣れてきたのか、囲まれる側の2人がただ一方的に撃ち込まれるというような光景は少なくなってきた。

各組にはそれぞれ剣術や他の武術経験者が入っていて、彼等も最初は「囲まれる」というこれまでの道場鍛錬では未体験の授業を強いられて戸惑っていたが、やはり武術未経験者の生徒よりも基礎鍛錬は出来ているので順応は早かった。


それでもやはり国王を始めとする観覧席に居た大人達の目を引いたのは、囲む側、囲まれる側どちらに回っても全く慌てる事無く木剣を振るっている首席生徒の際立った動きであった。


「あの生徒の動きには全く乱れが見受けられないな」


 国王陛下の目にも首席生徒の動きには何か感じるものがあったようだ。彼を護衛している近衛大佐や儀仗兵達もこのような包囲戦想定の鍛錬を見るのは初めてではあったが、武芸を嗜む者達の視点でも同様に映ったようで、国王の言葉に大きく頷いている。


「小官もこれまで幾度か彼の『立ち回り』を見ておりますが……敢えて『武術』という表現を使わせて頂きますと小官は……いや、これは恐れながら陛下がこれまで御覧になられた『武術の大家』と呼ばれる方々とも一線を画す実力を有していると愚考致します」


「何!?それは実か!?其の方程の者がそこまで言うのか?」


国王陛下は「北部軍の鬼公子」が真剣な表情で断言するように言上した、目の前で木剣を振るう若者への評価に驚きの声を上げる。


同時に……この話を聞いた「剣術の達人」と呼ばれるシュテーデル近衛大佐が穏やかならぬ口調で


「マーズ卿。それは流石に誇張が過ぎるのでは……?」


と口を挟んで来た。幼少時から武芸に打ち込んで来た彼はタレンの言葉を聞いて国王の御前であるにも関わらず思わず声が出てしまった。


 大佐は言葉を発してから、慌てて自らの僭越に気付き


「もっ、申し訳ございませんっ!」


と……膝を着いて頭を下げる。国王はそれには鷹揚に手を振って


「余も同じ考えだシュテーデル。気にするでない。いくらマーズ卿の話ではあるが俄かに信じ難い」


「陛下……小官もマーズ主任教官と同様の考えであります。あの若者の『業』はこれまで見て来た『我々の常識』と隔絶しております」


しかしここで更に横からエイチ校長が意見を口にした。学校長は昨年末の槍術の授業において、彼自身が持つこれまでの見識を覆される程の場面を目にしている。何しろマルクス・ヘンリッシュは、接近戦に不向きとされる槍術で、まるで本気を出した様子を見せずに長物経験者4人による包囲を軽々と破っている。()()を実際に目撃した衝撃を学校長は今でも忘れていない。


学校長までもが目を据えて真剣に話す様子を見た国王陛下は


「よかろう……。では其の方らがそこまで言うのであるならば……余にも見せて貰おうではないか」


と、マルクス・ヘンリッシュの「業」を御所望になられた。元より、国王にマルクスの腕前を見せる狙いのあったタレンはしめたとばかりに


「畏まりました。それでは授業終了の時間も近付いてきております故……担当教官に申し付ける事と致します。少々お待ち頂けますでしょうか」


そのように言上し、再び段席を降りて観覧席の最前列にある壁越しにヨーグ教官へ声を掛けた。


「教官。陛下がヘンリッシュの腕前を御覧になりたいとの御召しだ。ヘンリッシュを呼んでくれ」


「え……?ヘンリッシュの……ですか?ど、どのように……その……御見せするおつもりですか?」


「そうだな……やはり何人かの『手練れ』で彼を包囲して貰うか。年末の授業では槍術の授業であったがショーツ教官と経験者の生徒で取り囲んで全く歯が立たなかったそうだが……」


タレンが苦笑すると、ヨーグ教官は真面目な顔で


「実は……私の授業におきましても、ヘンリッシュを私とクラスの武術経験者全員で取り囲んだ事がございまして……」


「武術経験者……君のような剣術経験者ではなく?他の武術……槍や棒も含めてかね?」


「はい……。お恥ずかしい話ですがまるで歯が立ちませんでした。私がこの授業内容に対して主任殿にご相談申し上げるきっかけとなった出来事なのですが……」


「そりゃまた随分と前の話ではないか。そうか……この学級の武術経験者総出で囲んでも歯が立たんのか……まぁ、そうだろうとは思うが……」


苦笑したままタレンはその場で腕を組んで考え込む。彼の後方の段席では首席生徒の腕前を観たいと所望する国王陛下が待っている。あまりお待たせするわけにはいかない。


「分かった。それでは『腕利きの方々』にもご協力を仰ごう。彼等と……君にも入って貰い……うぅむ……仕方ない。私も参加しよう」


「えっ!?しゅ、主任殿も……?」


ヨーグ教官は驚いた。まさか軍中央でもその驍名が轟いている「北部軍の鬼公子」が実戦形式に近いこの授業に参加すると言うのだ。一人の軍人として非常に胸が踊る話である。


「君はヘンリッシュに伝えてくれ。私は『彼等』に参加を要請してくる」


そう言い残してタレンは国王一行が居る場所まで戻って行った。ヨーグ教官は慌てて生徒達に訓練の中断を言い渡し、マルクスを呼び止めて事情を説明した。


「陛下が君の腕前を御覧になられたいと御所望されている。済まんが『囲まれ役』を引き受けてくれないか?」


「陛下が……でございますか?私如きを?」


謙遜したような言い方であるが、マルクスの表情には苦笑いが浮かんでいる。その様子に緊張や戸惑いは一切感じられない。ただ「面倒そうだ」という様子が見え隠れしている。


「陛下に君の腕前と、この授業による成果の片鱗を御覧になって頂きたいのだ。陛下の御理解を得られれば……今後この授業を本格的に採り入れられるかもしれない。頼む……協力してくれ」


ここが正念場とばかりに、ヨーグ教官は真剣な表情で頭を下げた。本来であれば上官に当たる士官学校教官が一生徒に頭を下げるなどと……有り得ない話だ。しかし昨年来、この「本来の戦技授業」に一人の白兵戦技教官、そして一人の剣術家として共鳴してきたヨーグ教官は、教官としての面子(メンツ)をかなぐり捨てて目の前の首席生徒に頭を下げたのだ。


 担任教官の真剣な眼差しと真摯な態度を見たマルクスは、「フッ」と軽く息を突いて


「承知致しました。それでは教官殿の面目を潰さないように力を尽くしましょう」


と、小さく笑いながら承諾した。


 ……一方で、国王一行の下に戻ったタレンは、これも真剣な面持ちで


「近衛大佐殿、そしてお付きの方々にお願いがございます。何卒そのお力を以ってあの生徒を『包囲する側』の役にお加り頂けませんでしょうか。任務中であり、達人でもある皆様には失礼の段、重々承知しておりますが……枉げてお願い申し上げます」


訓練への参加を要請しながら深々と頭を下げた。国王陛下の御召しを受けて、その段取りを指向するタレンとしてみれば「武術経験者の生徒が総出で包囲してもまるで歯が立たなかった」というヨーグ教官の証言、そして昨年末の授業内容を観覧し、その驚愕の光景を目にした学校長の再三に渡る賞賛、そして何よりも昨年来何度か自分自身で目にした首席生徒の「業」を思うと、彼を包囲する陣容をこの場における最高戦力で固め……尚且つ自分自身もそれに加わるしか、国王の期待に応える事は難しいと判断した。


結果は最早……目に見えている。そして……それによってこの「達人の方々」の面目を潰す事になるだろう。しかしそれが結果的にそれを目にする国王陛下に「圧倒的な説得力」を与える事になる。


 タレンからの申し出を受けたシュテーデル近衛大佐は困惑の表情となった。何しろ彼は「国王陛下の護衛警護」という大役を担ってこの場に居る。本日は既に王妃陛下の不例まで発生しており、自身としては引き連れた2名の儀仗兵と共に任務に一層力を入れるべきところである。


「マーズ卿……誠に申し訳ございませんが、私には陛下を御護り仕るという使命がございます。陛下がこの場におわす限り、私もこの場を離れるわけには参りません」


音に聞こえた驍将からの要請ではあるが、自身の任務に確固たる責任を持っている近衛大佐は固辞した。国王の背後の段席に立つ2人の儀仗兵……実際、彼らは「兵」では無く、各々が王宮警護の一隊を率いる「士官」であるが、タレンの申し入れにも、それに応える上官の近衛大佐の返答を聞いても無言で見下ろしている。


しかしタレンの必死な表情を見て、その意図を汲み取ったロムロス王は表情を柔らかくして


「良い。シュテーデル。マーズ卿の頼みを聞いてやるがよい。ここには提督も居てくれるし、そこの……デヴォン卿も控えておる。ひとまず余はこの場に座しておる故、2人と共にその……囲みに参加せよ」


タレンの要請に口添えをしてくれた。ちなみに、国王が教育部長を「デヴォン卿」と呼んだのは彼が男爵家の当主だからである。士官学校の同期であるゼダス・ロウ人事部次長も同様に男爵家の当主であり、彼等は学生時代からお互いに男爵家嫡男として何かと比べられていた。結果的に卒業席次ではモンテ・デヴォンが上回ったが、任官後の出世競争では近年まで法務官にも勅任されたロウが圧倒していた。


 国王からの「お許し」という名の命令に近い申し付けを受けた近衛大佐は、頭を下げて短く「はっ」と応えたが、一時的とは言え任を離れる事に対し不服があるように見えた。しかし国王陛下(最高司令官)の綸言は絶対である。


陛下(おかみ)の御下命とあらば……」という返答の後に「行くぞ」と、2人の儀仗隊長に顎をしゃくって指示を出した。2人は無言で会釈し、それに従うように段席を下りて来た。


「お聞き届け頂きありがとうございます。得物はお好きな物をお使い下さい。不肖ではありますが小官も当然包囲の端に加えさせて頂きます」


タレンの言い様に近衛大佐達も国王も驚いた。特に王国北部の国境地帯で勇名を馳せた彼の立ち回りが観れるとあって国王陛下は軽い興奮を覚えている。


「主任教官も加わるのかね?」とやはり驚きの声で尋ねる学校長に対してもタレンは


「この話を持ち出した小官が参加せず、皆様にだけお願い申し上げるような事は出来ません。剣豪である皆様には到底及ぶべくもありませんが、包囲の一枚となって『彼』に一泡吹かせる一助になれば……」


僅かに笑いながら応えた。彼は元々……騎兵指揮官であり、初陣で乗馬から引き下ろされて袋叩きにあった事からして、「地に足を着けた戦い」は必ずしも得意では無いのだが……国王の警護要員まで巻き込んでいる現状、彼だけ『観客』になるわけには行かない……という責任感が自らの参戦を決意したのだ。


 国王一行を迎えていた戦技場はいよいよ騒然としてきた。マルクス以外の生徒達は剣技台から下りるように指示され、彼等にもこれから起こる立ち合いを後学の為に見分するようにと、国王や学校長が陣取る場所とは剣技台を挟んで反対側となる北側の観覧席に上がるように改めて担任教官から命じられる。


国王に近侍していた金色の線が入った真っ赤な上衣と黒いズボンの近衛士官と、それと対を為すかのような紺色の上衣を纏った儀仗兵と思われる3人が段席を下りて来て、剣技台下の通路に出てから「得物」を選びに行く姿が見られ、主任教官もその後に続いて行くのを認めたナランは驚きつつ声を上げた。


「もしかして……主任教官殿も、ヘンリッシュ君と立ち会うんじゃない?」


「そ、そうかも……」


隣の段席に座ったケーナも目を瞠っている。更にその隣に座ったリイナが


「主任教官殿は去年の春まで北の戦場にいらしたのよね……」


と呟いたが、ナランは別の疑問が浮かんで来た。


「でも……主任教官殿は騎兵隊ご出身じゃなかったっけ……?槍を使うのかしら……」


「馬に乗っていないのに?」


「騎兵で使う槍と歩兵の槍は違うものなんじゃない?」


「そうだな。騎兵槍は上半身だけで操作する事を前提に作られているから細身だし柄も短めに作られている事が多い。道場の先輩に聞いた事があるが、取り回しが違ってくるらしいな」


槍術経験を持つセイン・マグビットが一応の知識を口にした。彼としても軍部において半ば伝説化している主任教官の個人的な戦闘力がどのようなものなのか期待に胸が膨らむばかりだ。


そして今回の主役であるマルクスは……いつも通りに木剣を右手に引っ下げたまま、剣技台の中央付近に佇んでいた。その様子にはまるで緊張感も無さそうに見え、顔付きもいつも通りに無表情だ。


「マーズ主任殿も今回は君への包囲網に参加するそうだぞ。それに近衛師団のシュテーデル大佐殿は……王都ご出身で軍以外にも名が知られた剣の達人でいらっしゃる。俺が剣を習い始めた頃には既に王都市中でも有数の規模であるオベリンガー道場の筆頭と言われていたな」


マルクスの横に立つヨーグ教官が王都の剣術界事情を教えてくれた。それを聞いたマルクスは苦笑しながら


「左様でございますか。生憎私は再三申し上げておりますが剣術には疎いものですから……」


「そうか……。あのお付きの儀仗隊の2人も……テムル・バーンズとエルズ・シーラーだな。バーンズは俺と同期で、やはり剣の達人だ。学生時代、俺は奴から一本も取れなかった。シーラーは1期先輩だが、俺は1年浪人しているからな……歳は同じだ。やはり剣の腕は一級品で、『剣術会』ではバーンズといつも張り合っていた記憶がある。勿論俺などまるで歯が立たなかったが……」


頼んでもいないのに警護要員3人の剣の腕を紹介するヨーグ教官もいつになく興奮気味だ。


「それにマーズ主任殿……あの方が参加されるとはな。よもやあの『北部軍の鬼公子』の武芸が見れるとは……」


「ほぅ……。あの方々と一緒に倉庫へ向かわれたのでもしやと思いましたが……。主任教官殿も加わられるとは。どうやら私と一緒に『囲まれる側』になって頂けるようでは無さそうですね」


軽い冗談を口にしながらマルクスは小さく笑った。あれだけの陣容を見ても冗談を口に出来るだけの余裕があるのか……ヨーグ教官は軽い戦慄を覚えている。


 やがて……倉庫から4人が戻って来た。警護要員の3人はそれぞれ把手含めて長さ115センチ程度の木剣を選んで来ている。その後に続くタレンは他の3人とは違い、長さ140センチ程もある大剣を模した木剣を手にしている。大剣という武器種は、試合形式が主となった現代武術では取り回しと手数に難があるとされ、道場武術ではそれほど好んで使われないものだ。


タレンは元々、騎兵士官として任官した際に……馬上で取り扱う事を前提として200センチ弱の軽馬上槍と、予備兵器(サブウェポン)として刀身の長さが130センチ、柄の部分が30センチ程度ある大剣を背負っていた。当初は馬上戦の最中に槍を離してしまった際の備えとして長尺の大剣を用意していたのだ。


しかし、初陣で生命を落としかけてから……「生き延びる」為の戦い方を独学で模索し始めた結果として、これら2つの得物を捨てて「長鞭(チョウベン)」と呼ばれる長さ150センチ程の樫の芯に鉄環を嵌め込んだ打撃武器を愛用する事になった。刃を持たない分、殺傷力には劣るが騎馬の持つ突進力を利用した長兵器による打撃は殊の外有効であり、彼自身は隊列の先頭で敵兵を殴打しつつ血路を開き……(とど)めは続けて踏み込んで来る部下達に任せていた。


 今回の立ち合いに際し、彼は使用に不慣れな片手剣では無く……愛用の長鞭に近い操作性が得られそうな長木剣……つまり彼は木剣を打撃武器として使おうと、この得物を選んで来た。倉庫の奥に仕舞われていた、現代では殆ど使われなくなって埃を被っていた大剣を持って来たのである。


把手含め140センチという長さは身長がマルクスと変わらぬ180センチ近い長身であるタレンにとっても、その背丈の7割弱を占めており、彼はこれを馬の力と高さに頼る事無く2本の足を地に着けた状態で取り回そうとしているのである。


この、現代武術では忘れられかけていた模造武器を持ち出して来たタレンを見て、観覧席でこれを見守る者達にも少なからず驚きを与えていた。勿論、彼と同行して自分達の武器を選んで来た国王警護の3人や、剣技台の中央に首席生徒と一緒に佇んで彼等を待っていたヨーグ教官も同様である。


 剣技台に上がったタレンは、マルクスに対して声を掛けた。


「ヘンリッシュ、済まんがちょっと待っていてくれ。『こちら側』の戦術を相談したいのでな」


「どうぞお好きなように……」


それに対する首席生徒は余裕があるのか、いつも通りの無表情で応える。


「それでは我ら包囲側として、この授業の()()()()に沿って戦術を決める為に打合せを致します。こちらにお集まり下さい」


そう言うと、タレンは剣技台の中央にマルクスを残して東側寄りのスペースに包囲側の4人を集めた。


「大佐殿は既にお気付きかもしれませんが、この5人で彼を包囲した上で一斉に撃ち掛かったところで、一人一人が動ける空間(スペース)に限りがありますので、ここは予め各々の役割を採り決めた上で包囲の効率性を高める必要がございます」


タレンはそのように説明したが、このような包囲戦をこれまで殆ど体験した事の無いシュテーデル大佐と儀仗兵2人には、いまいち想像がしにくいようだ。


「まず申し上げておきますが……5人がこのまま一斉に撃ち掛かったところで、恐らくはものの数秒で我らは全員……床に転がされる事になるでしょう……」


 タレンが苦笑しながら明るくない未来予想図を口にすると、ヨーグ教官が彼とは対照的に渋い表情で頷く。まさに彼が最初の授業で思い知らされた……苦い思い出だ。


「床に転がされる」……それはつまり「目に見えた敗北」を意味する。それを聞いた近衛大佐は驚いた表情で


「わ……我ら全員が……?そのような短時間で、あの若者に苦杯を舐めさせられると?」


尋ね返す。言うまでも無くその声には不服そうな響きが混じっている。


「俄かに信じ難いお気持ちは重々承知しております。しかし……今申し上げた事は冗談でも誇張でもありません。先程から何度も申し上げておりますが、あの若者の戦闘力は常人とは隔絶しております。まずはこの事をしっかりと認識頂いた上で彼と対峙しなければ、本当に数秒で床に転がされます」


「そ、そうですか……」


 タレンとヨーグの余りにも真剣な表情に近衛大佐は押し黙った。幼少時、父親に命じられて個人教師相手に木剣を握って以来35年。10歳になってから市中の道場の門を叩き、王都でも有数の規模を誇るオベリンガー道場において頭角を現し、士官学校在学中においても戦技授業の成績は常にトップであった。


3023年の士官学校卒業と同時に近衛師団に少尉任官となり……個人(プライベート)でも3年後の21歳で道場において皆伝の評価を受けた。25歳で儀仗隊長、30歳で国王の警備要員に抜擢され、同年……初めて国王からの命令で闘技大会優勝者との模擬戦に出場。見事勝利して名を上げる。軍籍に居る者は闘技大会の出場権が無いのだが、国王からの命令は例外だ。


大会優勝者の疲弊が軽微な場合、国王からの命令で「余興がてら」の模擬戦(エキシビジョンマッチ)が実施される場合がある。これに出場するか否かの選択権が優勝者側にあるのだが、本戦で受けた負傷や蓄積された疲労の度合いにもよるが、優勝者は大抵の場合……国王からの模擬戦開催提案を承諾して、国王から指名された者との御前試合に臨む事になる。例え敗北しても「本戦での疲弊で力を発揮出来なかった」という言い訳も出来るし、勝利すれば当然だが得られる名声がより大きくなるのだ。


シュテーデル男爵は以後4大会において7試合の模擬戦へ出場しその全てに勝利した。以後、「近衛師団のエリオ・シュテーデル男爵」の名は国内剣術界において達人の名を欲しいままにしている。ちなみに、大会数よりも模擬戦出場数が多いのは、試合勝利後の彼の疲弊が軽微な事から、団体戦優勝者からも選抜が行われて追加の模擬戦出場を命じられているからだ。特に3040年の大会時には個人戦優勝者と団体戦優勝チームから選抜された2人と立て続けに模擬戦が3戦実施され、その全てに勝利して「近衛師団にシュテーデルあり」という武名を一層高めた。この功績によってシュテーデル男爵は当時35歳で近衛大佐へと進級し、国王親衛隊長へと昇格して儀仗隊から配置換えとなった。


北部方面軍での軍歴が長いタレンは軍中央の事情に疎いので、殆ど認識していなかったのだが……シュテーデル近衛大佐は軍の内外でも非常に知名度が高い人物であった。

……尤も、タレンは国内の武術界隈には殆ど興味は無いし、何よりも北部三叉境界地域に拠を構えるラーナン砦周辺の匪賊を一掃した「北部軍の鬼公子」の驍名は、近衛大佐の知名度を遥かに上回るものである事は言うまでも無い。


 近衛大佐はやはりこの点を大いに意識してか


「マーズ卿……それではこの包囲戦の戦術立案と作戦指揮をあなたにお任せします。何なりと指示を下され」


と、タレンに全てを委ねる言葉を口にした。階級が2つも上の王室警備の第一人者に対してタレンは恐縮しつつ


「では……まず、役割を決めさせて頂きます。私の得物はご覧のように、皆様よりも長いので包囲の外側からの牽制に専念致します。ヨーグ教官と儀仗隊のお二人は三方向からの攻撃。大佐殿は可能な限り『彼』の正面に回り込む事を重視して頂き、彼の手数を封じて頂く事に専念して頂きます」


「なるほど。私は攻撃には参加しないのですな?」


「いえ、私と同様に攻勢の気配は見せて頂きます。そうしませんと、恐らくは彼は攻撃役の3人を真っ先に潰してきます。要は彼の方から3人を攻撃させないように正面方向に彼の注意を固定して頂きたいのです」


「ふむ……なるほど」


「彼は我らの包囲に対して、この訓練の本来の目的である『防御に専念する』という行動にある程度は重心を置くはずです。彼はあくまでもこの訓練の『意義』を我々に示すつもりだからです。この訓練における『包囲される側』の主な目的は『士官である自分の身を護りつつ包囲側の攻撃を躱し続ける』事で……自分の健在を維持しつつ、敵の排除は周囲の部下や同僚に任せるのが指揮官の役割となります。前線の戦場ではそのように自らの身を護り、自分を狙って来る敵兵からの攻撃を凌ぎながら指揮系統の維持に務める事の繰り返しとなります」


タレンから改めてこの「本来の戦技授業」の要諦を説明された近衛大佐と儀仗隊の2人はそれぞれ理解したのか大きく頷いている。この説明に、この授業形態を去年来何度か繰り返してきたヨーグ教官も改めてその目的と意義を認識した。実戦の戦場を知らない彼等にとって「指揮官」とは部下を率い、戦術を駆使して華々しく敵を撃滅する……そんな甘い幻想を抱いているようだが、実際は部下の戦力を適所に投入しつつ自身の生命を狙って来る敵兵集団を躱しまくる……タレンはそうやって北の前線を生き残って来たのだ。


 打合せを終えたタレンは改めて剣技台中央に歩み寄り、その場に佇んでいたマルクスに


「待たせたな。今回は私も含めて5人で囲ませて貰う。全力で行くぞ」


そのように声を掛け、苦笑する首席生徒の背後に位置取りして大木剣を構えた。その得物の持ち方は少し特殊で……左手で把手を持ち、右手は刀身の根本に近い部分を掴んでいる。本来であれば刃の付けられている剣身の部分を握るこの構えは、最早大剣を想定した持ち方では無く……彼が戦場で愛用していた長鞭のそれを意識したものだろう。


包囲配置はマルクスの正面にシュテーデル近衛大佐、右側面にシーラー近衛中尉、背後がヨーグ教官、左側面にはバーンズ近衛中尉とし、タレンはシーラー中尉とヨーグ教官の後方に立って、長いリーチを利した遊撃牽制に回るようだ。


「陛下……。どうやら彼等も準備が整ったようでございます。訓練開始の合図を賜りますよう……」


「ふむ、そうか……。マーズ卿の手腕、楽しみではあるな」


「マーズ主任もそうですが、小官としてはあの若者の動きに御注目頂ければと」


エイチ学校長は小さく笑いながら国王陛下に開始の命令を下すように具申した。


「それでは……始めろっ!」


やにわに立ち上がった国王陛下の張りのある鋭い号令によって、この御前授業の最後を飾る「本来の戦技授業」が始まった。

【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ


ルゥテウス・ランド(マルクス・ヘンリッシュ)

主人公。15歳。黒き賢者の血脈を完全発現させた賢者。

王立士官学校入学に際し変名を使う。1年1組所属で一回生首席。

面倒な事が嫌いで、不本意ながらも「士官学校白兵戦技改革派」に力を貸す事となる。


タレン・マーズ

35歳。王立士官学校三回生主任教官。陸軍少佐。

ヴァルフェリウス家の次男。母はエルダ。士官学校卒業後、マーズ子爵家の一人娘と結婚して子爵家に婿入りし、家督を相続して子爵となる。

主人公によって「本来の白兵戦技」を知り、白兵戦技授業の改革に乗り出す。


ロデール・エイチ

61歳。前第四艦隊司令官。海軍大将。第534代王立士官学校長。勲爵士。

剛毅な性格として有名。タレンの戦技授業改革に賛同して協力者となる。


ドライト・ヨーグ

28歳。王立士官学校教官。陸軍中尉。担当科目は白兵戦技(剣技)。1年1組担任。

若き熱血系教官。剣技においては卓越した技量を持つが長距離走は苦手な模様。


ロムロス・レイドス

47歳。第132代レインズ国王。(在位3025~)

名君の誉高い現国王。近代王室では珍しくの王立官僚学校を卒業しているせいか、軍部に対して疎遠であると言われている。


エリオ・シュテーデル

43歳。近衛師団国王親衛隊長。近衛大佐。男爵。

国王の身辺警護を務める親衛隊の隊長で随行責任者。国王の信頼篤く、剣術の腕前に関して全国区で名声を得ている。

新任官時当時の上官がジヨーム・ヴァルフェリウス公爵であった過去を持つ。


テムル・バーンズ

27歳。近衛師団第二儀仗隊長。近衛中尉。

ヨーグとは士官学校同期であり、准男爵家次男。剣技に優れ、学生時代は同級生のヨーグよりも剣技の成績が上であった。


エルズ・シーラー

28歳。近衛師団第三儀仗隊長。近衛中尉。准男爵。

剣技に優れた儀仗隊長。ヨーグが入試で1年浪人しているので同年齢であるが一期上に当たる。

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