念話という技術
【作中の表記につきまして】
アラビア数字と漢数字の表記揺れについて……今後は可能な限りアラビア数字による表記を優先します。但し四字熟語等に含まれる漢数字表記についてはその限りではありません。
士官学校のパートでは、主人公の表記を変名「マルクス・ヘンリッシュ」で統一します。
物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。
・距離や長さの表現はメートル法
・重量はキログラム(メートル)法
また、時間の長さも現実世界のものとしております。
・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日
但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。
・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年
・4年に1回、閏年として12月31日を導入
作中世界で出回っている貨幣は三種類で
・主要通貨は銀貨
・補助貨幣として金貨と銅貨が存在
・銅貨1000枚=銀貨10枚=金貨1枚
平均的な物価の指標としては
・一般的な労働者階級の日収が銀貨2枚程度。年収換算で金貨60枚前後。
・平均的な外食での一人前の価格が銅貨20枚。屋台の売り物が銅貨10枚前後。
以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくお願いします。
1月も3旬目に入った。サクロで工事が続いている鉄道敷設現場では、サクロ中央駅と鉱山駅に設置される転車台の部品の製作が大詰めを迎えているが、既に生産を終えている火室と基盤部の組立ては始まっており、後は回転駆動部分とレールが備え付けられた天板部分が出来上がれば転車機構は完成となる。これにあと数日で終わると思われる上り側の線路敷設と併せて、鉄道運営業務が漸く開始の運びとなりそうだ。
イモールやラロカ、更には工事関係者であるロム達も加わり、中間に設置される2つの駅の名称を決める会議の結果……サクロ側の駅は「エラル」、鉱山側の駅は「アイナ」と命名された。命名の由来は2人の女性……エラルは戦乱の逃避行の最中に海上で病に斃れたロムの母の名から、アイナは35年前……赤の民の下に最初に暗殺術修行に送り込まれた5人の中で唯一、女性だった人物の名から採られた。アイナは当時14歳……5人の中では最年長だったラロカの半分程の年齢でしかない少女であった。
身体能力が非常に高く、容姿も優れていた少女は「皆さんのお役に立てるなら」と修行者として選抜された事を喜んで了承し、ラロカをリーダーとする5人の選抜者達はそれだけで苦行となる事が予想される……隣の大陸の中央山地に向かって旅立って行った。
アイナは5人の中で最も若い修行者であったが、赤の民の下で修行生活を始めてから4年目に病でこの世を去った。修行で受けた傷口からの破傷風が原因だったと言う。彼女を妹のように可愛がっていたドロスの悲嘆は殊の外激しかったようで、彼は以後……口数も少なくなり、修行に精進を重ねる事3年……暗殺者としてではなく諜報員として帰国して行った。恐らくアイナの死はその後のドロスの死生観に大きな影響を与えたと思われる。
ラロカは「最初の駅」の名を考える時、東に聳える中央山地で過ごした頃の記憶にあった志半ばでこの世を去った少女の面影を思い出し……命名の候補に少女の名を挙げた。ドロスはその会議の場には居なかったが、駅名が「アイナ」に決定した事を後で聞いた彼は「そうですか……」と短く呟いただけであったという。
「ドロスは恐らく……アイナを妹としてよりも……一人の女性として見ていたのではないでしょうかね……」
老市長はイモールに当時抱いていた考えを口にすると
「そうか……監督がこれまで女に対して見向きもせずに冷徹な諜報員として生きて来たのも……あの娘の死が今でも心の中にあるのかもしれん……な」
35年前に自ら少女を選抜したイモール……今はトーンズ国を纏める首相となった男もしみじみと思いを口にした。
残された4人の修行者達によって葬られたアイナの墓は、今でも中央山地の赤の民が遊牧によって暮らしている地域にあるらしく……イモールは将来、彼女の遺骨の一部を新しく建てられる「アイナ駅」の駅舎の一角に移すつもりであると言う。
将来……この駅を中心として、この農場地帯が発展した時……「アイナ」という少女の名前はその町の名前として残っていくかもしれない。
キッタはソン村に住む「新国民」を中心として選抜された10名の見習い運転手達に交代で運転の教習を実施していたが、サクロ中央駅の指令所では車掌候補に選抜された20名の若者も車掌業務に関する研修を受けている。また、鉄道保安員として50名、列車検査員として30名も既に選抜済みとなっていてそれぞれ別の施設で訓練が始まっている。
サクロ中央駅では既に「二期工事」の準備が始まっており、駅から西側……つまりサクロ市内に向かって掘割工事の測量が始まっている。掘割はスロープ部を含め、全長300メートル程度の計画でサクロ市内……特にメインストリートである「ランド通り」を横断し、町の西側にある工業地帯まで延伸される予定となっている。
また、中央駅を基点として南北にも鉄道の敷設は決定されており、第三期工事でまずは北方の「ルシ」まで、その次の第四期工事では南の「テト」まで路線を伸ばす予定になっている。
但し、テトへの鉄道敷設については……現在も懸案となっている南方のテラキア王国との関係が問題となっており、かの国との本格的な軍事衝突が現実的になって来た現在、その最前線となる可能性が高いテトとの連絡を確保する為に着工を前倒しにする可能性もある。
この計画自体は既に首相府とサクロ市役所の連名で公表されており、ソン村からも含めて作業員の募集も行われ、志願者がかなり出ているようだ。将来的にはここで雇用した者の中から更にトーンズ国軍の工兵も募る予定となっている。
南北両線共に路線計画の要である線形検討と測量は既に完了しており、用地の確保も終わっている。測量については数年前にルゥテウスが空中から実施しており、この藍玉堂店主によってトーンズ政府は非常に精密な国土地図を有している。
今後更に拡大していくと思われる国土領域については《青の子》が飛行船によってこの任を引き継ぐ事になっており、その為の測量技術をキャンプの訓練所で教えているようだ。
****
「よし。そろそろお前達の本格的な修行を始める事にしよう。飛行船の製造も大分落ち着いて来たからサナの手が空いたようだ。明日の夜からやるとしよう」
夜の配給を集会所で食べながら、店主が突然そのように言い出した。双子の方は最近習い覚えた「焼き魚の食べ方」を色々と苦労しながら実践中だったようで、店主の話を半分くらいしか聞いていない。
姉弟ではやや手先が器用なアトが木を削って作られたナイフを操って、竈でこんがり焼かれたオトメマスを中々小綺麗に切り開いており、その隣では逆に切り損なって身をグシャグシャにしていた姉が泣きそうな顔になっていた。
「ふむ……アトは幸いにして錬金術向きの器用さを持ち合わせているようだな……」
姉弟の様子を眺めていた店主が呟くと、隣に座っていたノンがそれを聞いて尋ねる。
「あの……向き不向きがあるのですか?」
「うーん。あるだろうな。まぁ、俺は錬金術師じゃないから何とも言えんが……魔術と違って錬金術は色々と準備があるからな。準備の周到さが結果に結び付くだけに手先の器用さと我慢強さはある程度求められる資質だと言えよう」
「そうなのですね……。そういえば確かにサナちゃんは手先が器用な印象がありますし、『あの子達』よりも辛抱強く薬を作り続けている感じはしますね」
「まぁ、サナは特にキャンプで使われる炭を独りでずっと作り続けてきた実績があるからな。辛抱強くなくては続けられんだろう」
「あぁ……そうですよね……」
三人娘の中のエヌは、前述したサクロ寄りの鉄道駅の名称が自分の祖母の名を冠する話を聞いて何か期するものがあったのか
「将来はエラルの駅の近くで薬屋をやりたい」
と言い出した。今は駅の周辺も農場が広がる何も無い場所だが、鉄道の開通によって駅周辺はそれなりに発展が見込まれるし、利便性を考えると駅周辺にも何らかの店舗が立ち並ぶ事になるだろう。
その中に薬屋があっても当然おかしくないわけで、むしろサクロ総合病院の分院なども開かれるだろうからエヌの「夢」は別におかしな話ではない。
むしろそういった「将来の目標」をしっかりと持つ事で今後の彼女の励みにもなるだろうし、これを期に行動に落ち着きが出るかもしれない……と師であるノンは期待もしている。
「チラちゃんはどうなのですか……?魔術師としては何かそういう素養は必要なのでしょうか」
「うーん。どうだろうな。魔術師としては手先の器用さなんかよりも、マナを操るセンスというか……『閃き』みたいなものが求められるんじゃないかな。俺も良く解らんが……」
「え……?閃き……というのは?」
「何と言うか……。咄嗟に行動を切り替えられる判断力と言えばいいのかな。錬金術師と違って瞬時の判断力と言うものは大分求められるとは思う。勿論……集中力も重要だろうがな」
「はぁ……そういうものなのですね」
「俺自身は魔術師という連中とはあまり接してないからな。魔法ギルドに所属している奴を何人か捕まえて尋問に掛けたくらいだし」
「そ、そうなのですか」
「ただ……俺の先祖の中には一応だが、魔術師を育てた者が何人か居る。俺はその記憶を頼りにチラを育ててみるつもりだが……」
そうは言っているが、ルゥテウスの「ご先祖様達」は、それぞれ当代の魔術師育成現場ではずば抜けた実績を残している。
この世界に《魔術》を創り出した《漆黒の魔女》ショテルは自身の娘を含めて16人の魔術師を育て、そのいずれもが特級術師として大成した。この「16大弟子」はそれぞれ第二期の暗黒時代に世界各地に散って自身の「学派」を形成し、その得意分野の魔術を後世に伝えた。現代の魔法世界には錬金術系も含め概ね50に近い「魔法学派」が存在すると見られるが、その全てを辿ると一部の「例外」を除き概ねこの「漆黒の魔女16大弟子」の誰かに行き付く。
その「例外」……後世に出現した《賢者の知》を持つ「黒い公爵様」も多くの魔術師を育てたが、やはりその内容はショテルの記憶を基にして行われたとされ、彼らが知覚感能として持ち難い「マナ制御に対する感覚」に対しては先祖であるショテルが遺した「鍛錬テキスト」を血脈の記憶で辿り、それを使用して基礎教育を実施したので、結果的にショテルの16大弟子の影響を受ける事は無かった。
また、ルゥテウスが持っているような「素養を持つ者の投射力を見抜く」能力は、こうした歴代のご先祖様が魔術師を育成した経験の蓄積によって得られたものと思われる。
その一方で……彼ら「血脈関係者」に限らず、その時々に出現した「秩序派」の魔導師達は魔法行使の感覚による違いからか、「魔術師の育成」そのものは苦手としたが、「素養を持つ者を見出す」という一点においてはギルドに所属していた高位の魔術師よりも優れており、彼らが魔法ギルドの運営に関わった時期は例外無くギルド所属の魔術師の数が大きく増加する時期と一致している。
更に彼等は錬金術の世界にも大きな影響を与えており、マナの制御方法などにそれが見られる。ショテルの血を引いた《賢者の知》を持った者の中で魔術師の育成に関わらなかったのは、後半生において魔導の使用を放棄したヴェサリオだけである。
但し……青年期に「沈黙の旬」を起こしたタラス・ヴァルフェリウス公爵は魔法ギルドを生涯信用する事無く、領都において独自に8人の魔術師を育て、この8人はタラス死後もギルドに帰順せずに領都オーデルに留まった為に彼等8名は「オーデル学派の祖」と呼ばれる。
オーデル学派はその後数百年かけて魔法ギルドと和解し……その運営にも参画した為、オーデルに居住していた魔術師達は各々王都に移った他、一部の者は世界各地に散ったとされる。
魔法ギルドが未だに無能当主を輩出し続ける公爵家に対して遜った態度を見せるのは、こうした経緯が影響しているからだろう。
タラスの時代から、約800年後に出現した公爵家2人目の「賢者の知」を持つオルテモ・ヴァルフェリウスは当代の国王オリゲルからの信頼が非常に篤く、彼からの要請もあって王都に滞在する機会が多かった為か魔法ギルドへの干渉も頻繁に行われ、この時代の実質的な「魔法ギルド総帥」として振舞った。
彼はギルドを通して7人の魔術師を育て、彼の死後この7人の系統が暫くギルドの経営に重きを成した。また、この時代の魔法ギルドは王国史上でも建国初期を除いて、最も王国政府との距離が近かった時期だと言われている。
現在の王国の歴史において「最後の黒い公爵さま」と呼ばれているレアン・ヴァルフェリウスも魔法ギルドとは特に距離を置く事をせずに当時の総帥であった老魔導師ハデル・モーゼスとも友好を保ち、その死後は総帥の地位を引き継いで11人の魔術師を育てた。彼が育てた魔術師は皆非常に優秀であり、現在の魔法ギルドの中核を成す序列上位の魔術師の大半はこの「レアン学派系」の者達である。
ルゥテウスは今回、チラを魔術師として育成するに当たり……その参考として、このレアンと魔術の太祖であるショテルの記憶を利用するつもりである。
ショテルの教え方は、彼女自身が現在でも使用されている「マナ制御法」のテキストを著しただけに、魔術初心者に対しても非常に解り易く、彼女の教えを受けて歴史上初めて魔術の行使を成功させた16大弟子筆頭であるスターツが更に次代の弟子達に施した教え方が、結果的に後世のレアンが弟子に施した教育法にも影響を与えており、「彼女のやり方」であれば……まだ9歳という赤い民の少女にも飲み込ませられるのではないかと思ったのだ。
「まぁ、アトの方が最初は楽かもしれんな。何しろ『炭作り』は本格の錬金術に比べて非常に易しいはずだからな」
「そうなのですか?」
アトはそれでも不安そうに店主へ問い返してきた。
「確か、俺の記憶ではサナは炭作りを始めて3日くらいで最初の施術に成功していたと思う。
サナの才能が高いのはその後の成長を見て納得出来るし、何しろあいつは《魔石》を身に付けているからあれだけの短期間で成功させる事が出来たとは思うが、やはり最初の修行を《遅燃強化》だけに絞った事が大きいのだろうな」
「炭作りが上手く行ったわけですね」
「多分そうだと思う。俺は錬金術には詳しくないから確たる事は言えんがなぁ」
店主は笑いながらそれを認めた。そう言われたノンも……錬金魔導として「魔素の制御」という本来であれば一番ハードルの高い部分を「イメージの投影」という非常識な手順ですっ飛ばしている為に「理論としての錬金術」については全く理解の外だ。
恐ろしい事に……ノン自身は《遅燃強化》の付与における「なぜそうなるのか」という部分が全く理解出来ていない。彼女も今となっては「燃え尽きにくい炭」を相当な品質で錬成する事が出来るが……それはあくまでもサナが作った炭を見て、そして手に取り、更には自分で燃やしてみる事で
「そういう『長く燃え続ける炭』という物体が存在する」
という「経験に基いたイメージ」だけで作り出す事が出来る為に、その「技術」を構成している「遅燃強化の理論」については全く考えていないのだ。
そしてこれがルゥテウスになると、ほぼ無意識で「魔素を使った遅燃状態の付与」という魔素制御と形成投影を行ってしまう為に、自分の感性に任せて「それを説明する」というのが難しい……と言うか、彼に言わせると「面倒臭い」事になってしまうのだ。
なので、彼にとっては「偉大なるご先祖様」であらせられる漆黒の魔女によってマナの制御がテキスト化されている事は大変に有難い事であった。
「では魔法ギルドで使っている教科書?を使うのですか?」
「まぁ、そう表現してもいいのかな。俺はギルドで使っているものではなくて『ショテルが作ったテキスト』をそのまま使うから、ひょっとしたらギルドのものとは内容に多少の誤差はあるかもしれんな」
「やはり何か違っているのでしょうか?」
「どうかなぁ。何しろ、ショテルが魔術を創り出してから魔法ギルドの成立まで8000年くらいの時差があるからなぁ……原本の内容がそのまま伝わっているのか解らんのだ」
「は……8000年……」
毎度の事ながら、この店主の話に出て来る想像する事も難しい「悠久の時流の長さ」に絶句しながらノンは思考が停止した。横で聞いている双子はその会話の内容を半分も理解出来ていないだろう。尤も……彼等は目の前の焼き魚をいかにキレイに食べるかに神経を注いでいるからだが。
やがて双子の前には皿に載った頭と尾と骨だけのオトメマスが残され、彼らは自らのナイフ捌きに満足したらしく、お互いのオトメマスを見比べている。チラに至っては焼き魚の目玉までほじくり出して食べていた。
元々は「山育ち」の彼等にとって、魚……しかも菓子販売員のご婦人達が王国西岸最大の港町であるトウラで仕入れて来た川を遡上する前の生魚は中々に味わえない……そもそもが流通事情の関係でキャンプの外にあるオーデル市内では絶対に味わう事の出来ない「海の幸」なのだ。
「ごちそうさまでした」
2人は揃って満足したような声を上げ、食器の載った盆を返却場所へ持って行き、そこに居た配給所員に「ごちそうさま」「うまかった」と、口々に礼を述べている。
ルゥテウスとノンも食器を返し、4人は揃って配給所を後にして藍玉堂に向かって歩き始めた。
「ではアトちゃんは炭作りをするのですよね?チラちゃんは何をやるのですか……?」
2人と手を繋いで歩くノンは疑問を口にした。
「そうだな。今のところ考えているのは《念話》かな」
「え……?念話って……あの……昔ルゥテウス様が私達の持ち物に付与して下さった……?」
主の答えにノンは驚いた。
「そうだな。念話は魔法の中では、極初歩的なものだ。まぁ……遅燃強化には及ばんが難易度はそれ程高く無いと思われる」
「そうなのですか?」
「但しアレだぞ……昔、俺がお前らの持ち物に付与してやったような多人数で交信出来るようなもんじゃないぞ」
「え……?違うのですか?」
「うむ。念話は元々、『1対1』で行うものであって、それも魔法の素養を持つ者だけが使える……まぁ、『超自然技術』とも言うべきものかな」
「1対1ですか……私達はそのように使えるようになるまで大分苦労したような思い出がありますが……」
困惑の表情で話すノンに対して主は苦笑しながら
「まぁ、アレはな……俺も最初はあんな風になるとは思わなかったが……ちょっとした発見だったな」
あの頃を思い出すかのように目を細めた。
「まぁ、あれだ……。念話という技術は本来の『1対1』という使用であれば、素養のある者同士ならそれ程難しいものでは無い……と思う。特にお互い目の前で向かい合って交わす分には魔法の『初歩中の初歩』と言われる程だ」
「まあ!そうなのですか?」
4人は藍玉堂の戸をくぐり、ノンは鎧戸を締めながら店主の説明に驚いた声を上げた。そのまま地下の錬金部屋に入り、作業机を囲んで椅子に腰を下ろしてから店主が話を続けた。
「お前は今まで疑問に思った事は無かったか?『結界も何も張らずに念話を使って不用心では無いか』とな」
ノンは店主の言葉を聞いて暫く考え込み、やがて「あっ!」と声を上げて
「たっ、確かに……そう言えば……。昔から……外に居る時にも普通に念話を使っていました。そ、そうです。しかも……ソンマ店長さんも普通に使ってましたよね?あの方は魔法ギルドに気付かれてはいけない方なのですよね?」
「そうだな。あれから10年経つが、店長は今でも魔法ギルドからすれば『お尋ね者』のはずだ。だから今でも彼は俺が付与した首飾りを身に付けているし、俺かお前の結界が張られていない場所では絶対に錬金術は使わないはずだな。まぁ、それは弟子のサナも同様だが」
「で、では何故……《念話》は大丈夫なのですか?念話とは……『魔法』じゃないのですか?」
「いや、念話も魔法の一種だ。ある意味ではな。ここのところは俺も……いや俺の一族、先祖も詳細な仕組みまでは突き止めていないようだが……恐らく魔法に属す『技術』であると考えられる」
「魔法……なのですね?でもルゥテウス様の仰りようでは普通の魔法とは違うように聞こえますね」
「そうだな。お前達は俺が付与した『付術品』を使っていたから、それ程意識はしていなかったと思うが……」
「《念話》という魔法を本来使用する際には『念話を送る側』が魔素やマナを体内に取り込んで『練る』という動作を行う。そしてその『練る』という動作に伴って話者が持つある種の『感覚』を引き上げた状態で通話を開始する事で、同じく『素養を持つ者』に声が届く……という仕組みのようだ」
「マナを……練る……?」
「まぁ、便宜上そういう表現を使用しているがな。体の外では無く体の内側で魔素やマナを制御する故に話者が意図していない『第三者』にはその動きを感じる事が出来ない」
「あっ……だからその……魔法ギルドの人達には気付かれないのですか?」
「そういう事だな。一応、全容は解明していないが……俺の先祖の中でこの手順について研究した者は存在する。『練る』という表現を中てたのもそいつだ」
「ご先祖様がですか……」
「まぁ、その先祖が生きていた頃ってのは……まだ魔術が存在せず、そのような『超自然現象』を操れるのは世の中にほんの僅かに存在した魔導師だけだった。だから、そもそも……そのような時代には《念話》は殆ど使われなかったんだ」
「え……?どうしてです……?」
「どうしてって……その世界に5人くらいしか居ない魔導師じゃないと使えないんだぞ?勿論それは俺の先祖も含めてだ。だから念話を使うにはまず、その5人やそこらしかいない魔導師同士が『お互いの存在』を認識し合った上で交流を図らないといけない」
「あ……そういう事ですか……」
「俺の言ってる事が理解出来たか?つまり俺の先祖ですら念話を使い始めたのはショテル以降の事だ。しかし、さっきの話に出た俺の先祖は……まぁ、今から20000年くらい前の奴だったんだが、自分以外の魔導師に『たまたま』出会って交流する機会があったんだ。
以前にも話したが、魔導師達はその力関係にもよるがお互いの『波動』を感じ合う事が出来る。俺の一族の者ならば他の魔導師の存在を掴む事は容易だが、逆はそうも行かない。実力差が有り過ぎるんだ。
そのような状況の中で相手から『気付いて貰えた』という事は非常に珍しい事だったと言える。だからこそ『彼女』はその相手との交流を望んだのかもな……」
「に……20000年……」
この手の数字にノンが絶句するのはもう毎度の事だ。
「まぁ、交流どころかその先祖……女だったんだがな。その魔導師を夫としたのだ。つまり、その魔導師も俺の先祖って事になるな」
ルゥテウスは笑い出した。ノンは既に頭が混乱しかかっている。それでも彼女はどうにか状況を飲み込んで
「世界中で……5人くらいしか居ないのに……出会えて夫婦になれたのですね……」
と、主の説明とは多少ズレた方向に感動し始めた。主は困惑しつつも苦笑して
「まぁ、その辺はどうでもいい。ところでこの2人……一緒に暮らしているうちに『言葉を口から発音せずとも相手に伝わる』という現象が起きる事に気付いたんだな」
「血脈の発現者」として、この女性……史上12人目、そして7人目となる「賢者の知」だけを持つ発現者であったシュラは、夫となった魔導師レンとこの不思議な……「声を発せずとも言葉が伝わる」という現象について色々と……その大半は「どうすれば確実に使用出来るのか」という研究を始めた。
半年程……夫婦でその研究に従事した結果として「魔素を体内に取り込む」という感覚を突き止め、更に「体内に取り込んだ魔素を循環させるようにして『練る』」という技術を編み出すに至った。
シュラは先祖……リューンからの記憶の蓄積によって魔素の制御も容易で、既に「血脈特有の継承技術」として「無詠唱による魔導の行使」を可能としていたが、夫であるレンはそのような特別な力は持っていなかった。
それでも夫婦で日常を送っているうちに、徐々にレンも「その感覚」に慣れてきたので両者は以後、夫婦だけの時は念話のみで意志の疎通を図るようになり、この「念話」という特殊な技術は「賢者の記憶」に刻み込まれた。
……但しレンは、その生涯で相変わらず魔導の使用には杖の使用が不可欠で終ぞ無詠唱・無動作での魔導使用は叶わなかった。そして夫婦の間に生まれた男子は、残念ながら両親から魔導師としての素養を引き継げなかった為に、「血脈の継承者」ではあったが念話を使用する事は出来なかった。
この「魔導の素養の無い者は例え血脈の継承者であっても念話を使用する事が出来ない」という事実も、夫婦にとっては発見の一つであった。
時は流れてショテルの時代となり、彼女はマナを月から還元させた後に「それが見える者」の存在に気付き……彼らを集めて魔導の訓練を開始した。その頃はまだ「魔術」の発見には至っておらず、「触媒」の存在とその作用すら確認出来ていない時期で、ショテルも手探りの状態で「彼ら」に対しての試行錯誤を始めたのだが、やはり「自力でのマナ制御からの形質変化を投影させる」という壁を破る事が出来ず、ショテルも相当に苦労したのだが……不思議とそんな中でも試しに教えてみた《念話》だけは彼らも使えたのである。
「マナを体内に取り込むような感覚を持ち、取り込んだそれを体内で循環させる」
という行為は、どうやら「マナの投影が出来ない」彼らでも可能だったようで、それは最終的に魔術師になれなかった他の「マナが見える……『素養』のある者」にも高確率で成功させる事が出来た。勿論その者達の中にはショテル自身が「魔術師の出来損ない」と思っていた……後に「錬金術師」と呼ばれる者達も含まれていたのであるが。
そしてこの過程でショテルは先祖であるシュラの時代には解らなかった「ある事実」に気付いた。
「術者が魔素やマナを取り込んで体内で『練って』いる動作は他の者には全く感じる事が出来ない」
魔導が使えない(この時点でまだ魔術は生まれていない)彼らは目で見る事が出来るマナを体内に取り込み、それを体内で循環させながら練り合わせ……念話として相手に声を飛ばしている「その動き」がショテルにすら感知出来ない事に気付いたのだ。
どうやら彼らはショテルが気付かない間も念話を交わしている。そしてその行動を重ねているうちに、疎通距離はどんどん伸び、更にはお互いに見えない場所に居ても《念話》は通じると証言しているのだ。
ショテルは彼ら「弟子」達からの証言に基き、この先祖が編み出した技術は彼女がこれまで無意識に使用し、更に彼らへと伝えようとしている《魔導》とは「全く違う技術」では無いかと考察し始めた。つまり……
「大導師が発見した魔導だけが起こす事が出来ると思われていた『超自然現象』は、また『別の手段』で起こせるものなのではないか」
一見して「念話の使用条件」とは関係の無さそうなこの事象が彼女にとっての「発想の転換」となった。
結局、彼女はその後「マナが見える者はマナを操る事が出来る」という確証を「念話使用」によって得る事で……魔導とは違う手順でそれに類する「結果を発生させる『手段』」の研究へと進み……ある日偶然にも、解毒薬を作る目的で机の上に置いていた「ヒタンタケ」の近くで、弟子の一人がロウソクに火を灯そうと必死にマナを操る鍛錬をしていた時に……着火には至らなかったが僅かながらヒタンタケが反応して、「一部が欠けるように消えた(消費された)」という現象を目撃し……この僅かな体験から「触媒」という新しい魔法要素に辿り着いた。
漆黒の魔女による「魔術の発明」には《念話》という魔導とも魔術とも違った「技術」が大いに関与していたのである。
この話を主の口から長々と聞いていたノンは
「念話にはそのような逸話があったのですね……」
と、感心したような様子を見せ
「では……もしかしてサナちゃんや……ソンマ店長さんもルゥテウス様のふ、付術品が無くても念話が使えるのでしょうか?」
という疑問を口にした。
「多分使えるだろうし、お前だって魔素を体内に取り込む感覚さえ覚えれば使えるかもしれんな」
「そ、そうなのですか……?」
「但し、普通の念話だと複数の相手へ一斉に声を届けるのは難しいかもな」
「あ……そう言えば……そういう事ですね。なるほど……」
「まぁ、あの『集団念話』に関しては俺も最初は驚いたけどな。しかし、念話は確かに魔法だと思う。外から感知出来ずともな」
「私には何とも申し上げられませんが、ルゥテウス様はそのように確信なされているのですね?」
「まあな。俺がそう確信している理由は《念話》も『付与出来る』からだ。つまり錬金術としての錬成対象になっている。だからこれは魔法だろうな」
「あ!なるほど。そういう見方が出来るのですね」
「但し、さっきも言ったが……本来《念話》とは『1対1』で行うものだ。そして使用者の素質によってその伝達範囲に制限が生じる。これも一応はショテルが色々試していて……彼女自身は『投射力』という個人の素養については発見出来無かったが、その記憶を基に考察してみると念話の伝達範囲は投射力とはまた違った能力に影響されているようだな」
「えっと、つまり……念話という魔法は魔導師様や魔術師様の魔法のように投射するものでは無いという事でしょうか?」
ノンは眉根を寄せながら難しい事を考える時の表情で考えを口にした。
「ほう。お前にしては良く考えたな。その通りだ。念話は相手に向かって投射するようなものでは無い。つまり投射力の乏しい錬金術師であっても……使える奴はそれこそキャンプと王都の間でも話は出来るだろう」
ルゥテウスはニヤニヤしながら
「それに俺の記憶の中には、天才的な才能を見せた魔術師が遠距離念話だけは苦手だったというケースもあった」
「そんな人が居たのですか……?」
「まぁ、今から1000年くらい前の話だがな。魔法ギルドにそういう奴は居た。領都と王都を数時間で移動出来る程の速度で《飛翔》の魔術が使えるのに《灰色の塔》の中ですら1層上との念話が出来なかった奴だった」
主は先祖の記憶を掘り起こして笑い出した。
「機動力はあるのに伝達能力が乏しい。そんな奴に同情した俺の先祖は、そいつの指輪に《念話》の付与をしてやったのさ。そいつは死ぬまでその指輪を大切に身に付けて、自分が死ぬ間際に後世の悪用を恐れたのか……残された力を使って、その指輪を毀して力尽きたらしい」
「そ、そんな……」
「俺も結構な数の連中に念話付与をしてやったがな……俺が死んだ後も残るのかなぁ。ただ、今の話に出て来た奴の指輪もそうだし、俺がお前達に施した念話付与の対象にしたのは『いつも身に付けている物』だったはずだ」
「そ、そうですね……私もこの……すっかり見た目は変わってしまいましたが……子供の頃に母から貰ったリボンでした」
ノンは自分の髪を留めている赤い蝶結びの装飾が施されたヘアクリップを外して手に持った。
「持ち主本人以外の者がそれを手にしても……付与は発動しないと思うのだが……。何しろ、俺が『紐付け』してやった奴ら以外にはそれの力は見えないはずなんだ」
「た、確かに……そう言えば私はこの髪飾りを作って頂くまで、先に作って頂いていた方々の品物に掛かっているこの……青い光が見えませんでした」
ノンは自身の体験を思い出して主の話に納得の表情を見せた。そして今でも淡く青い光を放つヘアクリップの装飾部分に触れながら
「私はこの髪留めを……ルゥテウス様に頂いたこれを一生大切にします」
ニコニコしながら、それを主に見せた。横でそれを見ていたチラは
「ノンせんせいのそれ……凄くキレイね」
と、羨ましそうに話す。
「そうか。まぁ……お前も欲しいならアトに造って貰えばいい。アトは修行すればこれに近い物が作れるはずだ」
主がいつものようにニヤニヤしながら説明すると
「ほっ、ほんとう!?」
チラは目を瞠るように驚き、アトも
「えっ……!僕もこういうものが作れるんですか!?」
彼にしては珍しく興奮した様子で尋ね返してきた。
「ああ、本当だ。お前の持つ『力』はこのような物品を作り出せる可能性があるんだ。修行を頑張ればな」
相変わらずニヤニヤしながら子供を言い包める主を見てノンは思わず吹き出した。
【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ
ルゥテウス・ランド
主人公。15歳。黒き賢者の血脈を完全発現させた賢者。
戦時難民の国「トーンズ」の発展に力を尽くすことになる。
難民幹部からは《店主》と呼ばれ、シニョルには《青の子》とも呼ばれる。
ノン
25歳。キャンプに残った《藍玉堂》の女主人を務め、主人公の偽装上の姉となる美貌の女性。
主人公から薬学を学び極め、現在では自分の弟子にその技術を教える。
肉眼で魔素を目視する事が出来、魔導による錬成を可能とする「錬金魔導」という才能を開花させる。
チラ
9歳。《赤の民》の子でアトとは一卵性双生児で彼女が姉とされる。
不思議な力を感じた最長老の相談を受けた後、サクロに連れて来られて魔術の素養を見い出されたので、弟と共に《藍玉堂》で修行を始める事となる。
アト
9歳。《赤の民》の子でチラとは一卵性双生児。彼は弟として育つ。
姉同様に術師の素養を持ち、主人公から錬金術の素養を見い出されたので姉と共にキャンプに通って来るサナの下で修行を始める。高い場所が苦手。
イモール・セデス
59歳。シニョルの提案で難民キャンプを創設した男。
トーンズ建国に際してシニョルから首相に任命され、新国家の発展に心を砕く。
難民になる前は教師をしていた。最近涙もろい。
ラロカ
62歳。エスター大陸から暗殺術を持ち帰った元凄腕の暗殺者で《親方》と呼ばれる。
新国家建国後、首都サクロの市長となり変わらずイモールを補佐する。
羊を飼うのが巧いという特技を持ち、時折主人公に妙案を進言して驚嘆させる。
ドロス
54歳。難民キャンプで諜報組織《青の子》を統括する諜報一筋の男。
難民関係者からは《監督》と呼ばれている。シニョルに対する畏怖が強い。
内務省と魔法ギルドの対立工作の陣頭指揮を執りながら、ナトスがエリンに魅了された一件について再調査を行う。