おじぃとの別れ
作中に登場する儀式、様式については完全にフィクションです。現実世界の風習等とは一切関係ありません。完全に筆者の創作として描いておりますのでご了承下さい。
また作中の宗教宗派、宗教施設についても同様です。予めご理解の上でお読み頂きますよう、宜しくお願い申し上げます。
【作中の表記につきまして】
物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。
・距離や長さの表現はメートル法
・重量はキログラム法
また、時間の長さも現実世界のものとしております。
・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日
但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日弱という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。
・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年
・4年に1回、閏年として12月31日を導入
以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくおねがいします。
ユーキさんが大量に作ったお手製サンドイッチを二人で食べる。量が多いので食べ切れるのかと不安になったが、味は素晴らしく、ユーキさんも朝なのに結構な勢いで食べる為、それ程苦労する事無く丁度いい具合に食べ終える事が出来た。
恐らくこの人も昨晩は寝ていないだろうし、食事も摂って無かったと思われる。まぁ、俺も同じ条件なのだが。
ユーキさんは手際よくテーブルの上を片付けると
「さて……店の前を掃き清めておくか」
と裏口から出て行った。
俺もそのままボーっと座っているのもアレだし、満腹だが眠気は起きなかったので、部屋を出て祖父の遺体が安置された作業台の横を通り、カウンターの脇を抜けて一枚だけ開いている鎧戸から外の通りに出てみた。
外の通りはすっかり朝になっており、何かの配達の人であろうか大きなカバンを肩から下げて何か小さな帳面を見ながら辺りを見回している人や、藍滴堂の並びや向かい側の家からも人が出てきて家の前をホウキで掃き始めた人も居る。
しばらく藍滴堂の前に立っていると、向かいの一角亭から息子さんの嫁さん……リンさんだっけか。がやはりホウキを持って出て来た。
「あら。ルゥちゃん。おはよう」
「おはようございます」
俺が挨拶を返すと、相変わらず少し驚かれている。俺はどれだけ挨拶の出来ない子だったのか。
「オジさんは?もう来ているんでしょう?」
リンさんが再び話しかけてきた。
「そうじするって。おみせのまえ」
俺が答えるのと同時に店の中からユーキさんがホウキとチリトリを持って出てきた。
「オジさん、おはようございます」
「やぁ、リン。おはよう」
ユーキさんとリンさんが挨拶を交わす。
「ルゥ。外に出てたのか。部屋に居ないから上に行ったと思ってたのに」
「おそうじ」
「え!?」
「おそうじします」
「お前……掃除やった事があるのか?」
「うん」
「そうか。ローレンは掃除を教えていたのか?」
「私、ルゥちゃんが掃除するのは初めて見ますねぇ……」
ユーキさんが俺の申し出に驚き、リンさんが首をかしげている。
俺だって掃除くらいしますよ。
「じゃ、やってみるか?」
「はい」
ユーキさんは試しにとばかりに俺にホウキを渡してきた。ホウキは長い柄の物で、俺のような幼児が扱うには長いかもしれない。
「さて、ルゥに上手くやれるかな?」
「ですね……」
二人は「お手並み拝見」とばかりに並んでこちらを見ているので、俺は何気に掃き掃除を始めた。建物側から徐々に通りの真ん中側にゴミや埃を掃き進め、こまめにチリトリを使ってゴミを取っておく。
俺自身、自分で掃除の経験があるのかは不明だが野外清掃のコツとして、ゴミは掃き溜めると風で舞ってしまうのでこまめに取り除くと言う、どこで習ったのか分からない知識で長いホウキを目一杯使って掃除を続けた。
『おい。ルゥテウス。いいのか?相当驚かれているぞ?』
突然リューンの出す文字が目の前に浮かび上がり俺は驚いて手を止めてしまった。文字を読んでから振り向くと、ユーキさんとリンさんが揃って仰天したような顔でこちらを見ていた。
「お前……どこでそんなやり方を覚えたんだ……」
「ですね……私よりも上手いかもしれません……」
俺は慌てて弁解するように言った。
「おじぃ……におそわった」
「ローレン……こんな小さな子に掃除を仕込んでいたのか……」
ユーキさんが呆れて言った。
「でも私はルゥちゃんが掃除しているところなんて今日初めて見ましたよ?さっきも言いましたけど。いつ練習したんですかね。大人よりも上手いじゃないですか……」
意外にもリンさんだけが納得していない表情だ。
……なんかもう弁解するのも面倒臭いのでこのまま掃除を続ける事にした。すると、暫くして一角亭から柄杓の入った手提げ桶を持ったマーサさんが出てきていて、やはり俺の掃除を見て驚愕していた。どうやら彼女は掃き掃除の後に水を撒くのだろう。
この時期は海からの風が石畳の埃を巻き上げて洗濯物を汚すので水撒きは意外と重要のようだ。宿屋はシーツやカバーなど洗濯物を多く出す商売なので埃対策には意外に気を遣う……と言うのが俺のどうでもいい知識に収められていた。
「ちょっと……ユーキ。なんでルゥちゃんが掃除してるんだい?それに……なんであんなに上手いの……?」
「いや……それがわからんのですよ。ローレンが仕込んだみたいなんですがね……」
このユーキさんとマーサさんと祖父の関係が俺にもよく分からない。と言うのも、ユーキさんはマーサさんを「さん付け」で呼んで敬語で話す。マーサさんは祖父を「ローレンさん」と敬語で話す。
ところがユーキさんは「ローレン」と呼び捨てにしている。年齢では祖父が一番上のはずで、ユーキさんとマーサさんは同年代に見える。ユーキさんと祖父は義理の兄弟と言う間柄だから敬語を使わないのだろうか。
どうでもいい事なのだが、こうも口数の少ない魯鈍な幼児を演じていると、口を動かさなくても良い分、耳から入って来る皆さんの人間関係にも興味が湧いてくるのだ。
「だってアンタ……あんな建物べりで丁寧に小さく掃いて通り側でしっかり掃いてって……一本のホウキを上手く使い分けているじゃない……おかしいわよ」
「ですよね……」
俺が藍滴堂の両隣の前と通りの反対側の方まで掃き清めてしまったので、リンさんが掃く場所が殆ど無くなり、俺が長いホウキを引き摺りながら戻ってくると集まっていた三人から口々に褒められた。
マーサさんが柄杓で通りに水を撒きながら
「ルゥちゃん凄いわね!こんなに上手く掃除出来たの!エラいわねぇ!」
「おはようございます」
「はいおはよう!オバさん驚いちゃったわよ。全く。昨日からルゥちゃんには驚かされてばかりだわ」
俺はユーキさんにホウキとチリトリを返すと、少し疲れを感じたので欠伸をしながら
「ねむい」
「お。そうか。じゃ部屋で寝てきな。時間になったら起こしてやるから」
「あら……ルゥちゃん。眠たいの?」
「こいつ、昨夜はずっとローレンのそばで起きていたみたいなんですよ。朝になって飯持って行ったら、あの机の前にずっと座っていやがって。夜中にそっちに行ってないでしょう?」
「あら……そうだったの……ウチには来なかったみたいだねぇ。どうせ棺なんかまだ来ないんでしょ?ならば寝かせておいてあげればいいじゃない。
アンタだって寝てないんだろ?ルゥちゃんが掃除やってくれたんだから、アンタも少し寝なさいよ?」
マーサさんがそう言うと、ユーキさんは頭を掻いて苦笑いした。
「この服脱ぐのが面倒なんですよね……じゃ、少し椅子で寝ようかな。あまり熟睡したくないし」
「うん。そうしなさい。戸は開けておきな。私らが見てるから」
そんな会話を背後に聞きながら俺は店の中に戻った。
(リューン。俺の部屋ってどこにあるんだ?)
『お前の部屋は二階に上った廊下の突き当りだ。昨日の部屋の真下がお前の部屋だ』
(ありがとう。助かるわ)
考えてみると、俺は覚醒してから自分の部屋に入ってない。階段で二階に上り、一番奥の部屋……昨夜ずっと居た母の部屋の真下の部屋に入った。
部屋の広さは母の部屋と全く同じだ。窓の位置も同じだが、少し違うのは左側のベッドが子供用の小さな物である事と、入って正面に小さな箪笥が置かれていたくらいだ。
机が置かれていないという事は以前の俺は部屋で勉強等の文字を書くような事をやっていなかったらしい……まぁ5歳の障害を持つ幼児なら当然か。
天井からランプは吊り下げられているが、やはり上の部屋と同様で床から170センチ程の高さにあり、どうもこれは俺自身が操作する前提にない。保護者……祖父がランプの操作は行っていたと思われる。やはり幼児……それも鈍い子に火の扱いはさせたくないと言う配慮もあるのだろう。
振り向くと、扉とベッドの間には壁にフックが3つ付いており、うち2つに空のハンガーが掛かっていた。高さはそれ程でもなく140センチくらいの所だろうか。今の俺だと背伸びをすれば自分で掛けられる高さだ。
俺は一通り自分の部屋の細かい部分をチェックし、箪笥の中にはパジャマや下着、恐らく普段着ているシャツやズボンが洗われた状態で入っている事を確認した上で、パジャマに着替えながら今後の予定を考えた。
俺の記憶と知識ではこの後のこの家の予定として、まず葬儀屋のサムさんが祖父の為に棺を運んでくるはずだ。そして棺の中に祖父の遺体を納めた後、親しい人達で故人に最後の別れをしてから棺の蓋を閉めて、慣例に従うならばこの家から墓場まで棺を運ぶ。
運び方には色々なスタイルがあるが、身内が多ければ話し合いの結果で複数の者で棺を担ぐ事が多い。男性の身内が少なく担ぎ手が足りなければ、葬儀屋によって黒い荷車(霊柩車)が用意されて、その車で運ぶ事になる。
担ぎ手が多少足りない状態でも無理はせず車を使う事が一般的だ。棺を落としたら元も子もないからである。可能であれば棺を担ぐスタイルの方が故人の徳に篤く報いると言う点で尊重されるようだが、遺体の安置場所と墓場の距離が離れている場合は大変だし、今の季節はまだマシだが……真夏の炎天下で担ぐ場合は猛暑と遺体の腐敗による悪臭等に担ぐ側が苛まれると言う現実もある。
なので季節や墓場までの距離によっては、いくら故人の徳が高く身内の数が多くても霊柩車が使用されるようだ。何しろ《棺担ぎ》は葬列の先頭を占める主役だ。
主役には休憩が許されないので、担ぎ手が倒れて遺体と棺が路上に散乱するという事故防止は図るべきだ。
俺自身は宗教に興味が無いので故人の弔い方にもそれ程拘りが無い。なので少ない労力で済むなら車で牽くのが合理的だと思ってしまう。
棺を運ぶのは基本的に身内だけで行うので、今回の場合は俺とユーキさんがその任に当たる事になる。
車を牽くのは遺族の中で直系卑属の長が優先されるので本来ならば、これに中るのは俺になる。
しかし、俺は魯鈍な幼児なので、恐らく車を牽くのはユーキさん、押すのが俺になるのではないだろうか。
また、棺の運搬に女性は参加しない。なのでユーキさんの奥さんが居ても車に寄り添って歩くだけだし、彼には息子さんがいるようだが王都で修行中だそうなので今回の急な葬儀には間に合わないだろう。
まぁ、あの体格であるユーキさんなら一人だけでも車を牽くのは可能だろう。恐らく俺も車を押す位置で実際にはそのまま歩くと言う感じになるのではないだろうか。
他に葬儀に参加する身内以外の人々はその棺の後に続いて、いわゆる《葬列》が組まれるわけだ。
俺は墓場までの流れを想像したが、ふと自分自身の葬儀に対する知識量の豊富さに気付き今更ながらに驚いた。
(俺の知識のモデルになっているのは葬儀屋か聖職者か……?)
『なに?どうしたんだ急に』
(いや、何か自分に葬儀の形式に詳しい知識がある事が分かって驚いているんだ)
『はぁ?お前は疲れているんだ。少し仮眠しておけ。ローレンは下町のこの辺では名士であった人物だ。葬儀の参列者はそれなりに多いぞ。
多分ここや墓場での故人との別れで長丁場になる。お前は親族代表なのだから体力は温存しておいた方がいい』
(そうなのか……?)
『何しろこの町では名医として高名なモートンがローレンの薬剤師としての技量に全幅の信頼を寄せていたから、彼の処方はほぼ全て藍滴堂が指定されていたはずだ。
それこそ難病等に対する高貴薬は錬金術師に依頼していただろうが、通常の医薬生産を担っていたローレンがお前と共に半月近く前から領都に連れ去られていたから町の医療体制に支障が出ている可能性がある』
『そして結局ローレンは帰らぬ人となって無言の帰宅をする破目になったから、ローレンの薬で命を救われた人々が押し寄せてくるかもしれん。葬列も相当長くなる事が予想されるぞ』
俺はリューンの話にゲンナリしながらも、祖父が斃れた昨日の光景を思い出していた。
そういえば、祖父の倒れた場所に大勢の人が集まっていた。泣いている人も多かったし、死亡確認の医師……彼がモートン氏か?も、祖父と同年輩に見えたのに駆けつけてきたと言うような様子に見えた。
その後も祖父の遺体を大勢の人で運んでくれたし、やはり祖父はこの辺りではそれなりに有名な人物だったのかもしれない。と言う事は俺が魯鈍な事も知れ渡っているのだろう……。
(なんか面倒臭ぇな。身内だけで済ませて速やかに、安らかに土の下で眠って欲しいよ。おじぃには)
こんな事を言う俺だが、恐らく俺は無意識で苦悶の表情を浮かべた祖父の死顔を衆視に晒したくないと言う気持ちが働いているのかもしれない。
心臓発作という不意の出来事で生涯を終えた祖父を悼んでくれたり、残された俺を憐れんでくれるのは別に悪い事ではないし、むしろありがたいくらいだ。
しかし魯鈍な障害児として同情されるのは、衆人環視の下で可能な限り独りで行動したい俺にとっては足枷になる。
なるべくやんわりと、俺にはちゃんと知恵が足りていると言う事をアピールして行く必要がある。そこが面倒臭い。
俺はベッドに上がって横になり、羊毛製と思われる掛け布を被って目を閉じた。昨日は色々あった。「今の自分」として気が付くと目の前で祖父が亡くなっており、頭の中がスッキリすると同時に右目の激痛に苛まれた。
その後……痛みの治まった右目の裏辺りに文字を浮かべてくるおかしな奴の存在を知る事になり、更にそいつから自分の存在の秘密や一家の不幸について教わった。
そうだ……。祖父の命が尽きた瞬間から、もうダイレムの下町の人々が愛した「ちょっと鈍くて右目が潰れた小僧」は「記憶と知識が中途半端で知恵だけは回る小僧」に変貌してしまったのだ。
この小僧は一族の報復を企んでおり、その為の手段を講じる人生に向かって歩き出した。
下町の人々はそれに巻き込まれてしまうのか。いや……。
俺はこの大恩ある人々と、この町を俺の個人的な報復劇に巻き込んではいけない。その事だけはしっかりと「二つ目の約束」として後で祖父に誓っておこうと改めて思ったところで眠りに落ちて行った。
―――きて……ルゥちゃん起きて。ルゥちゃん!
眠っていた俺は何者かに体を揺すられていた。
『ルゥテウス起きろ。ユーキの妻がお前を起こしに来ているぞ。右目を閉じたまま左目だけを開くのだぞ。お前も驚く賢者の黒で相手が腰を抜かしてしまわないようにな』
両目を閉じていた暗闇に、突如白っぽい緑色の文字が浮かび上がり、俺は驚いて飛び起きそうになった。辛うじて文字の指示に従って左目だけをそっと開ける。実際やってみるとそれ程難しい芸当ではないようだ。恐らく俺のこれまでの短い人生でずっと繰り返されてきた行為だからか。
左目を開けると、俺の顔を赤い髪の顔立ちは綺麗だが活力のある勝ち気な目をした中年女性が覗き込んでおり、俺が目覚めたのを知って優しい声をかけてきた。
「ごめんね。ルゥちゃん。まだ眠いかもしれないけど下に人が集まりそうだから、服を着替えましょうね」
俺は身を起こして
「はい。おはようございます」
と改めて相手に挨拶をすると
「ふふっ……おはよう。これ、うちのジョーが子供の頃作ったやつをルゥちゃんに合わせて直しておいたから着てみて」
俺が持つ、「人の名前を一度聴いたらキッチリ覚えるが、自分の事になると途端にポンコツになる」と言う特殊な記憶力によるとユーキさんの奥さんの名前はラミアさんである。リューンの情報経由になるが息子のジョルジュさんは王都の名店にコックの修行に行っている。
ラミアさんは若く見えるユーキさんよりも更に若いように見える。恐らく少し勝ち気な顔立ちの印象と引き締まった体形だからか。
女性にしては目立つくらい長身で、恐らく俺が昨日から見ているどの女性よりも背が高い。170センチ半ばくらいはありそうだ。
ユーキさんも185センチくらいはありそうなのでラミアさんだけなら長身が目立つかもしれないが、夫婦で並べば普通に見えるかもしれない。
ちなみに、昨日遺体のサイズを測られていた祖父ローレンはサムさんのメモでは170センチと書かれていた。将来の俺もそれくらいの身長で止まるのだろうか。
(大きい人だな。おじぃよりも大きいよな。俺はおじぃくらいまでしか背が伸びないのかな)
『いやそれはわからないぞルゥテウス。お前の家族でローレンは一番背が低い。祖母のミムはローレンよりも背が高かったし、アリシアに至っては目の前のラミアと同じか更に背が高かった。
あの美貌で目立つ長身であった為に町でも評判になったのだし、公爵の目にも止まったのではないだろうか』
(うぉ……そうなのか。そういえば……母さんの部屋のベッドは部屋の左側の奥行き一杯にある大きさだったな……)
今は亡き母の姿を想像し、俺はなぜか震えた。俺は前にも言ったが人間の外見の美醜には興味が無い。しかし背が低いと初見で侮られる可能性があると言う面倒臭い事が嫌なだけである。
ラミアさんは既にユーキさんと同じような黒に近いくらいの濃い紺色のワンピースで赤い髪が更に映えるような喪服を着ており、俺にも着替えろと言う。昨晩のランプの灯りの下では黒く見えたユーキさんのスーツも日の光の下で見るとそれが濃い紺色である事が分かった。喪服が濃い紺色であると言う事を俺は今更になって思い出した。
ベッドの上の足の辺りに畳まれた同じような濃紺の服が置かれており、これが恐らくジョルジュさんが子供の頃に作ったと言う喪服のお下がりなのだろう。
ラミアさんが俺のパジャマを脱がそうとボタンに手を掛けてきたので
「じぶんでやる」
と自分でさっさとボタンを外して上衣を脱ぎ、ズボンも脱いだ。そして用意されているシャツを着てズボンを穿き、サスペンダーを肩に掛ける。ジャケットも用意されていたが壁のハンガーに掛けられていたので、それは外出時に着る事にして靴下を履いた。
ラミアさんは、俺が一人でテキパキと服を着替え、パジャマまで畳んだ姿を見て驚きを隠せず
「る、ルゥちゃんはいつの間にか自分でお着換え出来るようになったのねぇ。オバさんちょっとビックリしちゃったわ……」
と、俺の髪をブラシで梳かし始めた。
「おじぃにおそわった」
「そ、そうなのね……」
(もう、こうなれば相手に驚かれたら全ておじぃに習った事にすればいいや。言葉は悪いが「死人に口無し」だ。
面倒な事は全ておじぃに負ってもらおう。生前のおじぃが俺に施した《躾》について賞賛されるならそれでいいではないか)
『お前、相当に思い切って開き直ったな』
(いや……もう一々驚かれてたら面倒臭ぇんだよ。幸いにして俺はおじぃ以外に心を開いて無かったんだろ?
だったらおじぃと二人暮らしでこの家に引き籠っていた間におじぃから厳しい躾と教育を受けていたって事にすりゃいいじゃねぇか。おじぃだって薬剤師と言う知的職業に就いているくらいなんだから、元々頭脳系なんだろうし)
『まぁ、そのように押し通して行くのもお前の勝手だしな。徐々に周囲に浸透させて行けば問題無いかもしれないが、あまりに突然有能になるような変貌を遂げると変に話が広まる事になり、またあのエルダ辺りの耳に入って変に警戒されるかもしれないぞ。
特に公爵の認知未遂によって確実にお前と言う存在はエルダに認識されただろうからな』
(え。何でそこにあのババァの名前が出て来るんだよ?)
『これは私の推測だがな。アリシアが屋敷から放逐される前まではそれこそ毎日のように何かしらの危害が加えられそうになっていたのだ。そしてここに帰郷してからも、時折怪しい危難が偶然とは思えない回数アリシアに降りかかっていた』
『しかしアリシアがお前を産んで亡くなってからは、それがピタリと止んだのだ。つまりアリシアが死んだという情報だけがエルダに伝わり、お前の誕生は見落とされていた可能性がある』
『しかし先日の公爵に呼ばれた時点でその行動はエルダにも伝わっているはずだから「死んだはずの女が子を産み残していた」と言う新事実として認識されてしまったかもしれない。私はまたお前の為に警戒をしなければならなくなったと思っている』
(なるほど。そう言う事か。ならば俺もちょっと考えて行動するようにしよう)
今の俺にエルダからの刺客が差し向けられたら、実力で防衛するのは不可能だ。まだちゃんと試してはいないが、俺の戦闘能力はそれこそ5歳児並であろう。
こうなると母の頃のようにリューンからの情報で相手を出し抜いて行く方向で難を逃れるしかない。
俺がこれからの危難について真剣に考えていると、不意に声が掛かった。
「ルゥちゃん大丈夫?まだ眠いのかな?」
そういえばラミアさんが目の前に居るんだった。俺は少し焦って
「だいじょうぶ」
と答えた。今日はもうこれ以上余計な事を考えずに葬式というイベントを乗り越えよう。
俺はラミアさんに続いて階段を下りた。一階は既に鎧戸が全て開け放たれ、カウンターも向きを変えて階段とは反対側の壁側に動かされていた。恐らく祖父との別れに訪れる人の為に間口を広げたのだろう。
作業台の上に安置されていた祖父の遺体は既に到着していた棺に納められており、そのまま作業台に置かれていた。棺の色は黒っぽい茶色で、俺の知識によればこれは虫食いを防ぐ防腐塗料だ。埋葬後も数年は棺の状態を保つようにするのが習わしらしい。
階段を下りている間は祖父の遺体がまだ見えたが、一階に下り立ってしまうと最早俺の身長では棺の中を窺う事は出来ない。
作業台の奥にある薬剤棚の前に背もたれ付きの黒い椅子が三脚置かれていた。恐らく遺族が座る場所で、俺とユーキさん夫妻はあそこに座って故人とお別れに来る人々を迎えるのだろう。
棺の蓋は並んだ椅子の後ろ、薬剤棚に立て掛けられており墓場に向かう際に遺族によって閉められるのが一般的だ。
それにしても改めて思うに、俺の葬儀に関する知識は素晴らしい。考えれば考える程に他の葬儀知識も出て来るようだ。
知識獲得のモデルを葬儀屋か聖職者という疑いを持った事は、あながち的外れでは無いように思えてくる。
俺はそのままラミアさんに促され、三脚並んだ椅子の真ん中に座らされた。椅子の座面は高く、俺自身で座るのは苦労しそうだったがラミアさんは俺を軽々と抱き上げて椅子に座らせてくれた。彼女自身は俺の右側の椅子に座った。
間もなく自宅での故人への餞別の儀式が始まるのではないだろうか。店の前には既に近所の方々が、やはり儀式参加の為の服装に着替えて待っているようだ。遺族は濃紺。葬儀屋は黒。参列者は濃いグレー、墓場で待つ聖職者は白というのが一般的なドレスカラーコードで、これはそれぞれを色で見分けられるようにするのが理由らしい。
こんな下町の薬屋の顔馴染みだけの葬式なら特に問題無いが、これが大貴族や王族などになると遺族や参列者だけでも膨大な数になり、しかも互いに見知らぬ事も侭あるので、「色分け」は案外重要なのだ。
この儀式を取り仕切るのは聖職者ではない。聖職者は墓場で待っているのである。この場は葬儀屋が取り仕切り、基本的に遺族は椅子に座って見守るような形になる。遺体に別れを告げた参列者がそのまま遺族に挨拶に来たりするが、その際に遺族は椅子から立つ必要は無い。
そんな事をしていたら足腰をおかしくしてしまうだろうし、場合によっては遺族の男性はこの後に棺を担がなければならないのだ。
老若様々な遺族にそんな過酷な行為を強いるのは死体に鞭打つのと同じようなものなので、葬儀屋サイドとしてはあくまでも遺族に配慮する事を第一義に儀式を執り行う事が求められた。
俺は椅子に座って浮いた足をブラブラさせる事もせず、座像のように身じろぎ一つもせず、己の恐ろしいまでの葬儀知識を脳内から引っ張り出して考察していた。
考察に集中している為に体を動かす事もない。むしろ近所の皆さんが俺に対して本来抱いている姿こそがこれであろう。同じ年頃の子供のように落ち着きなく親に叱られながら座らされている者とは正反対の姿である。
「それでは藍滴堂店主、ローレン・ランド様とのお別れの儀を執り行わせて頂きます」
昨日と同じ黒い喪服がやけに似合うサムさんが厳かに儀式の開始を告げると、外で待っていた人々が、一列に並んで祖父との別離を告げる為に作業台の右側から並んで入って来る。
祖父との別離を終えるとそのまま奥に進んで作業台の反対側に回り左側から外に出るのである。
別離を終えて親族席の方にやってくる者も多く、近所の人々はほぼ全員そのようなルートを採るようだ。
親族席に寄らずにそのまま作業台の反対側に回って出て行く方々は、恐らく祖父の薬石で世話になった方が個人的に礼を述べに来ているのかと思われる。俺が観察したところ後者の方が圧倒的に多く、身なりも下町の者とは思えない程の高級な仕立ての喪服を着ている者も混じっている。
祖父はどうやら下町以外の者にも感謝されるような仕事をしていたらしい。
儀式開始と共に、奥の部屋から出て来たユーキさんが俺の左側の椅子に腰を下ろした。自分と妻の間で石像のように動かない俺に特に声をかける事もない。祖父の遺体に涙ながらに色々と語り終えた近所の方々が我々の場所にも回ってくる。
挨拶の列は我々から向かって左側より入ってくるのでユーキさんから俺、ラミアさんの順に挨拶をした後に作業台からの退場側の列に戻る事になる。
ユーキさんの隣が石像のようになって、今まさにこうして色々と考え事をしている俺なので、元々魯鈍な印象を持っている近所の人々は、俺の姿にそれ程不審を覚える事もなく、むしろ俺をワンクッションとしてラミアさんに挨拶すると言う何か丁度良い状況になっており、俺自身もおかしくて笑いそうになってしまった。
(俺は血脈の事や世界の歴史とか魔法について全く無知なのに葬儀に関してこれ程造詣が深いとは。いや、これはなんと言うか賢者の知ってすごいよね)
俺が恐らく初めてであろう、賢者の知について手放しに賞賛すると
『全く……お前の知識の偏りは私の理解を超えている。私は一度お前の頭の中を詳細に観察してみたいよ』
リューンが応じてきた。
『それにしても私はこれまでの役目柄、人々の死とそれを送り出す儀式に散々付き合ってきたが、お前程落ち着いて儀式に参加している子供も珍しい。眠る赤子ですら、時折泣き声を上げて同席者を困らせるからな。そしてそれを理解している近所の人々も見事でないか』
リューンは俺とはまた違う方向で感心している。
『恐らくお前は葬儀屋にとって「最高の顧客」だと思うぞ。全く騒がず、それでいて居眠りすらしていない子供だからな』
(お前、俺をバカにしてるだろ?俺は普通の5歳児と違って分別があるんだ)
事実、葬儀屋の立場からすると遺族席でこれだけ大人しく座っている子供は非常にありがたいはずだ。騒いだり動き回ったりする子供は儀式の円滑な進行を妨げる事がしばしばあるし、参列者に不快感を与える事もあるからな。
故人の近親であるなら「かわいそうに」と同情が入って許される事もあるが、生前に殆ど付き合いも無いくらいの遠縁の子供が会場で走り回る事程、故人にしんみりと別れを告げたい赤の他人をイラつかせる事は無いだろう。
葬儀についてこれ程詳しいにもかからわず宗教儀式そのものに対しては別段敬意を払う気が無い俺が、向かって左側から祖父の棺に何やら話しかけて涙を流したり、棺に何か餞になるような物を入れる人々を眺めながら
(やっぱりリューンが言うように参列者の数が多いな。いつまで続くんだ?)
『待て。見覚えのある奴が入ってきた』
リューンが突然するどい口調の文字を浮かべてきたので俺が入場者側の列に目を移すと、それは同時に起きた。
突然、ユーキさんが立ち上って怒鳴り声を上げたのだ。
「何をしに来た!?帰れっ!ローレンもお前らから挨拶なんて受けたいと思ってないだろう!お前らはまだ俺達の神経を逆撫でするのか!?」
相当に大きな声だったので、リューンの文字を見て何事か注意していた俺も、突然左側からの大音声にビックリして見上げてしまった。
ラミアさんも驚いた顔をしているようだが、夫の視線を追って怒鳴りつけた相手を確認した後は不思議と夫を窘める様子は無い。
「帰れ」と言われたその男を見ると、随分と素材と仕立ての良い、高級と呼べるような参列用の喪服を着ている眼鏡をかけた年配の男だ。年齢は祖父よりも少し上か……体形は痩せぎすで、それ程体力があるような体つきではない。
俺はユーキさんが怒鳴ったにもかかわらず、他の参列者……それも恐らく下町の人々がユーキさんを批難するどころか、その男に対して同様に嫌悪と軽蔑の視線を投げている事に気付いた。
俺が昨日の昼に覚醒してから、初めて下町の人々が他人に対して見せるマイナスの感情と思って良い。強いて言うなら、俺が昨夕にユーキさんと一角亭から戻って来た後に父親について尋ねた時のユーキさんが見せた表情に似ていると思った。
(誰だ?嫌われ者のようだけど?)
俺はその男に見覚えが無いので、俺自身は特に何の感情も抱いていない。しかしユーキさんの激高ぶりとラミアさんの態度、近所の人々の態度が尋常では無いので思わずリューンなら知っているのではないかと思い聞いてみた。
『私もあまり自信が無いが……恐らくあの男はガルロ商会の頭取の近くで働いていた者ではないだろうか。私もあの男を見たのは、恐らくジヨームを見護っていた頃に彼がこの町の巡回に来た時以来だと思うが』
(ガルロ商会って、公爵に母さんを斡旋した奴だっけ?)
『そうだ。ガルロ商会の頭取であるジノ・ガルロが公爵に《出仕命令書》を発行させてアリシアを領都に召し出させたのだ』
ジノ・ガルロ……母を公爵に売った男。俺は「売った」と言う言葉を用いたが、リューンにとっては血脈継承者問題の突破口になった男だと彼を評価している節もある。
(なるほど。そりゃユーキさんは怒るだろうな。だってガルロ商会に殴り込みをかけようとまでしてたんでしょ?)
『そうだな。皮肉な事にその決行を阻んだのは今そこで眠っているローレンだがな』
(そういえばそうだったな)
「サム!すまんがそいつをつまみ出してくれるか?そうじゃないと俺が少々荒っぽく動かないといけなくなる。周りの人にこれ以上迷惑をかけたくない」
ユーキさんの威嚇するような声を、その男は表情を消して聞いていたが、やにわに口を開いて反論してきた。
「おやおや。これは異な事を。私が本日、主の代理で参りましたのは当商会とお取引をさせて頂いておりましたランド様へお悔やみの言葉を申し上げる為。生前のランド様と藍滴堂とは商会としてお付き合いがございましたゆえでございます」
「じゃあ、そのお付き合いとやらも昨日で終わりだ。もうお前らクズがここに来る理由は無い。さっさと失せろっ!」
「今まで親しくお付き合いして頂いた方に対して我らはそのような無下な態度を取る事はございませんよ。これでも「信用」と言うものを第一に商売を営ませて頂いておりますからねぇ」
「誠に恐れ入りますが、ご遺族の皆様のご気分を害されるような方を当会場にお留まり頂く事は出来ません。申し訳ございませんが本日のところはお引き取り下さい」
サムさんが男に対して店から退去するように促す。しかし男はサムさんにも口答えをしている。
「あなたのお店だって客商売でしょう?ならば当商会に対してその様な態度を取ると今後の御商売に何かしらの支障が生じませんかねぇ」
「生憎、私どもの仕事も信用に負っているところが大きいのでございます。ご遺族様との信頼関係。お身内の方のご生涯の終焉に際して私どもにその差配をお任せ頂くと言う事はこの場におけるご遺族の皆様と故人様に対する責任が私どもにはあるのです」
サムさんは男に対して毅然と言い返し
「私どもの「商売」と申されるのであれば、そちら様方皆さまのご関係される方がご生涯を閉じられた時に改めてお伺い致しましょう」
とトドメを刺した。
「そうだっ!この守銭奴が!俺やここの住民はお前の薄汚い主人がアリシアをケダモノに売り飛ばした事を決して忘れないからなっ!さっさと俺達の前から失せろっ!」
更に入口の方から声が上がった。少し色々な物が間にあって見えにくいのだが、どうやら赤ん坊を抱いたリンさんの後ろで列に並んでいた坊主頭で浅黒い男性が声の主らしい。
(お。なんかユーキさん以外にもブチ切れている人がいるな。遠くてよく見えないが知り合いかな)
『あれは向かいの一角亭の息子でアリシアとは幼馴染のルイスだな。リンの夫だ』
(あぁ、彼がマーサさんの息子さんか。昨日は厨房の奥に居たみたいだったから声しか聞こえなかった)
『彼はアリシアの幼馴染でもあるし、料理人としてユーキを尊敬しているらしいからな。ユーキが怒鳴りつけているなら、彼も同調するのも頷ける』
そう言う事なのか。しかしあのガルロ商会の男も、なかなか肝が太いな。普通ならこの迫力で怒鳴りつけられたら逃げ出したくなるけどな。
ルイスさんの声をきっかけに、会場のあちこちや列からも「帰れ!」とか「悪魔!」だの、彼とガルロ商会への罵声が飛ぶ。どうやらガルロ商会は、この辺りの人々にはあまり好かれてないらしい。
この雰囲気に流石にこれ以上居座る事は出来ないと思ったのか、結局男は故人に対面や餞を置く事すら出来ぬまま
「フン!お前ら覚えておけっ!」
と言う見事なまでの捨て台詞を残し、入口の列をかき分けて立ち去って行った。彼も恐らく商会からの命令で仕方なく来たのではないだろうか。損な役回りだと言える。
男が立ち去るとサムさんが
「ご参列の皆さまにはご不快な思いをおかけし大変申し訳ございません。儀を続けさせて頂きたいと思いますので故人様へのご挨拶をお続け下さい。ユーキ様もどうかご着席下さい」
「あ……すみませんな。お騒がせして申し訳ない。せっかく来て頂いている皆さんを驚かせてしまいました」
そう言って、彼の癖なのだろうか。頭を掻きながらユーキさんは椅子に座り直した。俺の右側からはラミアさんが顔をしかめて
「こんな場所じゃなければ、あたしがあのクズ野郎をブン殴ってやったのにね」
などと小声で夫に同調するように物騒な事を言ってる。恐ろしい夫婦だ。
(しかしガルロ商会って大店なんだろ?怒らせて大丈夫なのか?)
『私の知る限り、この下町の住民であの商会と関わりを持っている者は殆ど居ない。恐らく彼らから見れば下町の住民などは商売の対象外なのだろう。
藍滴堂とは、確か直接の取引相手ではなく、彼らがアリシア斡旋の見返りに《冒険者ギルド》への薬品納入の口利きをしてやったと言う間柄で、その後はギルドからの直接注文になったので、それっきり付き合いは無いはずだ』
(冒険者ギルド?へぇ……どう言うギルドなんだ?)
『お前は……葬儀の事には精通しているのに冒険者ギルドを知らないのか?まったく……』
『冒険者ギルドと言うのは、国に認められた「職業斡旋所」で魔物の討伐や商隊の護衛などの人材派遣を手掛ける職能団体だ』
『商売柄、怪我人が出やすいので仕事の報酬や備品で薬品の需要が高いのだ。藍滴堂はガルロ商会の口利きで冒険者ギルドのダイレム支部と薬品納入契約を結んだのだが、今は商会を通さずに直接納品の契約を結んでいたと思う。
藍滴堂の薬品の質が高いからガルロ商会の中抜きを排除して直接契約にしたのだろうな。
リンの父親のオグルスも冒険者ギルドに所属するベテラン冒険者だ』
(リンさんの父親って、昨日一角亭で見かけた厳つい体格のオジさんか。それにしても藍滴堂は色んな大きい仕事を請け負っていたんだな。モートン医師の処方や冒険者ギルドの納入に、普通の小売りもしてたんでしょ?おじぃ一人で?)
『だからローレンは「凄腕」と呼ばれていたのだ。私は実際にローレンの研究を手伝うアリシアを通して彼の仕事ぶりを見ていたが、私から見ても彼の薬剤師としての腕は見事なものであった。
普通ならば町の中心部にでも店を移して何人も弟子を使いながら大きく商売を広げられたのに、結局先祖伝来でこの下町から動かずに薬屋を続けた。
その結果がこの大勢の参列者だ』
(なるほどな……)
俺はあいかわらず石像のように身動き一つせずに椅子に座りながらリューンとの文通を続けているうちに、漸く参列の最後尾が見えてきた。
どうやら棺には溢れるくらいの餞が入れられたらしく、サムさんが急遽別の入れ物を用意して、後の参列者はそちらに入れていた。
これは、今回の祖父の葬儀にこういった下町の住民レベルのそれにそぐわないくらいの参列者が訪れた事が原因である。
参列者が持参した餞別を直接棺に入れるのは庶民の葬儀の慣習だ。町の有力者や王侯貴族レベルの大きな会場での儀式ではそもそもこのように直接故人の遺体に挨拶をする者は限られるし、餞別の類は会場の受付に預けるというのが社会的地位が高い者の葬儀だ。
今回の場合、式場の規模が故人の名声に対して小さ過ぎるのが原因なのであろう。
全ての参列者による故人への挨拶が済むとサムさんがこちらにやって来てユーキさんに
「それでは棺に蓋をお願い致します」
と言ってきたので俺はどうしようかと思ったが、どうやらユーキさんとラミアさんの二人で閉めてくれるらしい。
椅子の後ろの薬剤棚に立てかけられていた棺の蓋はそこそこ重そうな無垢材で出来た物であり、二人で大丈夫なのかと思ったが俺はひとまず椅子から下りて場所を空け、二人を見守った。
恐らく今回の喪主になっている俺も手伝わなければ……と言うか主体となって行わないといけないのだろうが、何しろ俺は5歳の幼児だし、しかもただの幼児ではない。椅子に座って石像のように身動き一つしない鈍い子なのである。始めから戦力として期待されているわけがない。
参列者からすると、この式が始まってから初めて動く俺の姿だろう。「おっ。ルゥが動いたぞ」などと言う声すら聞こえる。
ごめんね役立たずで。
ユーキさんが椅子を脇に寄せて、立てかけてある蓋を「フンッ!」と言う一声で持ち上げ、その端をラミアさんが支える。俺が一応
「てつだう」
と声をかけたが
「うん。ありがとな。でもルゥはそこで見てていいぞ」
とユーキさんに言われたので、俺はそのまま成り行きを見守った。そこそこ重そうな蓋だが、夫婦はそれを軽々と棺まで運び
「ローレンさん、また墓場で会いましょうね」
とラミアさんが話しかけて蓋は閉じられた。
この場所ではまだ蓋に釘は打たれない。ちょっと怖い話だが、この時点で死亡していたはずの故人が蘇生する可能性があるからだ。
しかし実際は蘇生など有り得ないのだが、蘇生してもちゃんと開きますから戻ってきてもいいんですよという故人への配慮が大切なのだ。
棺の蓋は墓場まで運ばれて墓穴に入れられた際にもう一度開けられて、聖職者の喪唱の間に再び閉じられて土を被される前に釘を打たれる。
釘を打つのは遺族の仕事で、多分これは俺も参加するはずだ。会場である藍滴堂の前に黒に塗装された霊柩車と言う名の荷車が付けられて、棺が葬儀屋スタッフの手で乗せられた。
餞別が故人の体を埋め尽くす程入っている為、少し重そうに見えた。
こういった行事に世界の歴史よりも詳しいくせに、儀式そのものに対して敬意を払う気が無い俺は、葬儀屋スタッフが足をよろめかせながら棺を車に積む姿を笑いを堪えながら見ていた。
今まで恐ろしく無表情で椅子に座っていた喪主の幼児がここで吹き出したりしたら会場に余計な騒擾を撒き散らす事になる。
「じゃ、ルゥは車の後ろからついて来いよな」
とユーキさんが車に向かいながら声を掛けてきたので
「わかりました」
と答えた。
ユーキさんが車の前のハンドル部分を持って牽き始めた。俺は歩いているだけいいと言われていたが、一応車に乗った棺を押えるように後ろから手を添えて歩く事にした。その姿を見て一緒に葬列に加わっている近所の人達から
「ルゥちゃんは偉いわねぇ」
などと声が上がり「そうだなぁ」と同意するような相槌も聞こえる。中には
「健気で見てて可哀相になってくるよ……」
と涙混じりの声を出している人もいる。俺は何か晒され者になっているような気分になった。俺自身はこの葬列も面倒臭いと思っているだけに、同情されていると何とも微妙な気分になるのだ。
儀は結構時間がかかったが、葬列そのものは特に何も起きる事も無く、ユーキさんも全くペースを落とす事なく墓場まで車を牽き切った。
(こんな餞別でパンパンになった棺が載った車をよくも一人で何事も無く牽けたもんだな。凄い人だ)
『まぁ、餞別と言っても花が大半だろう?』
(それにしてはさっき葬儀屋が重そうに運んでたぞ)
『そうだな。塵も積もれば何とかって事なのかな』
(お前も何だかんだでこの葬儀に敬意を払って無いよな)
『私が元々生きていた時代には、こんな儀式めいた事をしていなかったからな。私の時代……と言うか超古代文明の時代は火葬が主流だ。伝染病を防ぐと言う意味でな』
(なるほど。そう言う経緯は俺の知識の中に無いな。と言う事は俺の葬儀への熱い知識は現代向きって事なのか)
『どうもそのようだな。全く不可解な事だが』
俺達が古今の葬儀事情について話している間に、棺は葬儀屋の手により車から既に掘られている墓穴へと納められ、再び蓋が開けられた。今度こそ本当に祖父と最後のお別れである。
「ルゥ、おじぃに何か言う事は残っているか?もう最後だぞ?」
ユーキさんに促されたが、俺は声に出さず心の中で祖父に声を掛けた。
(おじぃ。これで本当にお別れです。もう一つだけ約束します。俺は下町の皆さんと、ついでにこの町を俺の「戦い」に巻き込むような事はしません。この恩を忘れずに生きていこうと思います。なので安心して眠って下さい)
図らずも俺の態度は黙祷するような形となり、周囲の人々もそれに倣うように頭を垂れた。
俺達が黙祷を続けていると、その場に立ち会っていた救世主教と思われる聖職者が故人の棺に対して何か葬句を述べていたが、俺の耳には入ってこなかった。
やがて棺の蓋が閉じられ、ユーキさんとラミアさんがそれぞれ4本ずつ釘を打つ。通常、四隅の他に長辺に各2本、短辺に各1本の計10本打たれる。頭側の左隅から左回りの順に釘を打ち、最後に短辺の頭側に打って終わる。
ユーキさんが持っていた5本目の釘を頭側の右隅に打ち、ラミアさんが持っていた最後の1本を
「最後はルゥちゃんが打ってローレンさんにお別れしなさい」
と、俺に何か文字が刻まれた柄の金槌と長さ10センチ程の釘を渡してきた。こんな小さな幼児に片手では扱えないような重い金槌を扱えと言うのも無茶な話ではある。釘を打ち損ねて指を怪我すると言うケースも十分あり得るのだが。
「ルゥ、分かるか……ここに……打ってやれ」
ユーキさんは下穴に釘を立てながら涙声になっていた。葬儀場でガルロ商会の男に怒鳴りつけたりしていたが、彼なりに最近起きた一族の悲劇を共に耐え抜いてきた「戦友」の死への悲しみを堪えていたのだろう。
気が付くとラミアさんも、周りの人も鼻をすすったりしている。棺が収まる墓穴の頭上にはダンベルトンと言う名前の司教が立っており、彼はずっと喪唱を続けている。
彼の穏やかな声に何となく俺は好感を覚えた。どう言う経緯でそうなったのか頭の中で救世主教なんて俗人の集まりだと思うようになっている俺は自分の思い込みを少し改める事にした。
そして釘を打つ為にダンベルトン司教の足下の穴の中に立ち
「おじぃ、さようなら。いままでありがとう」
と声に出して金槌で予め開けられていた下穴に数ミリ程度入っていた釘を打ちつけた。釘は絶妙な力加減で
―――カィィィーンッ!
と言う大きく鋭い音を立てて10センチ程の釘が俺の金槌の一振りで根元まで一気に打ち込まれた。これにはユーキさんも、ラミアさんも、見守っていた葬儀屋のサムさんも医師のモートンさんも仰天していた。
ダンベルトン司教の喪唱すら一時止まった程だ。
俺はまだ驚きから回復していないモートン医師に手を引かれて穴から出ると、そのまま無言で墓穴の上から蓋の閉じられた棺を見下ろした。
ダンベルトン司教が喪唱を止め、一言呟いた。
「この子の振り上げた槌が……輝いて見えた」
俺はもう泣かない。
おじぃと約束したのだ。
俺達をこんな目に遭わせた「奴等」に償わせるまで。
【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ
ルゥテウス・ランド
主人公。5歳。右目が不自由な幼児。近所の人々には《鈍い子》として愛されているがその正体は史上10人目となる《賢者の血脈の完全なる発現者》。しかし現在は何者かに能力の大半を《封印》されている。
リューン
主人公の右目側に謎の技術で文字を書き込んで来る者。約33000年前に史上初めて《賢者の血脈の完全なる発現者》となり、血脈関係者からは《始祖さま》と呼ばれる。死後、《血脈の管理者》となり《不滅の存在》となる。現代世界においては《大導師》と呼ばれる存在。
ユーキ・ヘンリッシュ
主人公の伯祖父。47歳。ミムの兄。レストラン《海鳥亭》を経営。主人公と同じく多くの家族を喪っている。公爵を心の底から憎んでいる。
ラミア・ヘンリッシュ
ユーキの妻。主人公からは義伯祖母に当たる。夫と二人でレストラン《海鳥亭》を切り回す。気が強いが主人公を溺愛している。
ジョルジュ・ヘンリッシュ
ユーキとラミアの息子。一流の料理人を目指して王都の店で修行中。
モートン
医師。ローレンの死亡を確認する。薬剤師としてのローレンに絶大なる信頼を置いていた。
マーサ
宿屋《一角亭》の若女将。
ネイラ
宿屋《一角亭》の女将でマーサの母。
シンタ
マーサの夫。厨房で料理を担当。
ルイス
マーサとシンタの息子。宿屋《一角亭》にて厨房担当。
リン
ルイスの妻。24歳。シンタの妻でオグルスの娘。宿屋《一角亭》で働く。ルイスとの間に子供がいるアリシアとは同年齢で幼馴染だった。
オグルス
リンの父でベテラン冒険者。《藍滴堂》の得意客だった。
ダンベルトン
《救世主教》の聖職者。ローレンの葬儀を主宰する穏やかな男性。
サム
葬儀屋の若主人。言葉遣いが丁寧な若者。
ローレン・ランド
主人公の祖父。故人(50歳没)。港町ダイレムの下町で薬屋《藍滴堂》を経営。一族の悲運が原因で最期は心臓発作で命を落とす。