外は明るく中は暗く
今更書くまでも無い事だと思いますが……この作品に登場する機器や乗り物等は、あくまでも「この世界線」での物になります。現代社会で同様に存在する物と比較してツッコミを入れないようお願い申し上げます……。
【作中の表記につきまして】
アラビア数字と漢数字の表記揺れについて……今後は可能な限りアラビア数字による表記を優先します。但し四字熟語等に含まれる漢数字表記についてはその限りではありません。
士官学校のパートでは、主人公の表記を変名「マルクス・ヘンリッシュ」で統一します。
物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。
・距離や長さの表現はメートル法
・重量はキログラム(メートル)法
また、時間の長さも現実世界のものとしております。
・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日
但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。
・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年
・4年に1回、閏年として12月31日を導入
作中世界で出回っている貨幣は三種類で
・主要通貨は銀貨
・補助貨幣として金貨と銅貨が存在
・銅貨1000枚=銀貨10枚=金貨1枚
平均的な物価の指標としては
・一般的な労働者階級の日収が銀貨2枚程度。年収換算で金貨60枚前後。
・平均的な外食での一人前の価格が銅貨20枚。屋台の売り物が銅貨10枚前後。
以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくお願いします。
3049年の最初の朝が訪れた。時差の関係でサクロの朝はキャンプよりも5時間早く、雲ひとつ無い快晴に恵まれて蒸気機関車の試走2日目を迎えた。
前日にルゥテウスが予想していた通り、「黒鉄の塊が凄まじい速さでサクロと鉱山の間に敷かれた鉄道線路の上を轟音と共に駆け抜けた」という噂は既にサクロ市民と沿線住民に伝わっており……駅周辺を含めた沿道各地にもかなりの見物人が訪れているようだ。
但し、前述の通りこの事態を店主は予測していたので沿線各地の工事拠点に資材を届けた際にも、繰り返し沿線の警備を徹底するように申し伝えており、軍の責任者であるロダル将軍にも念話で警備支援を要請していたので、沿線には大勢の見物人と共に警備を担当する兵士も配置されており、彼等が線路に立ち入るような事態にはならないだろう。
「工場長。昨夜あれからちょっと考えたんだけどな」
「え?この車両についてですか?」
試走出発前の点検をしているキッタにルゥテウスが話を切り出した。
「うむ。あれから『これ』の図面と実際に走行中の動きを照らし合わせてな」
「ほぅ……。走行そのものには特に異常は見受けられませんでしたよね?設計想定内の走行だったと思いましたが……」
「いや、設計性能に問題があるわけじゃない。むしろその逆だ」
「逆?」
「昨日の時点で話が出たが……車輪が小さ過ぎて機関の性能を十分に引き出せていないのは、やはり問題なのではないかと」
「しかし、運用上は特に問題が無いという結論に至りませんでしたっけ?」
「うむ。運用上はな。しかし車輪の回転数があれだけ高いと駆動系部品の耐久性に問題が出てくるかもしれん」
「耐久性……?つまり『部品としての寿命』という事でしょうか?」
「その通りだ。車輪の回転が速過ぎる……いや、何に対して速過ぎるのかは別として、機関の出力があれだけ勝っている状態だと、駆動系……特に伝達部分に相当な負荷が掛かっているのでは無いかと思うのだ」
「なるほど……言われてみれば……。つまり無理な力が掛かり続けていると……?」
「うむ。やはり車輪の直径を大きくして回転数を落とすべきだと改めて思ったわけだ」
「左様ですか……。では台車を作り直しますか?」
「いや、もうこいつはこれで結果を出しているんだ。今更こいつ自体をお前が作り直す必要は無い。こいつの『改造』は俺がやる。お前は俺が施した改造の結果を見て次の試作機にそれを反映させてくれればいい」
「なっ……!?て、店主様がご自身で改造をして頂けるのですか?」
「ああ。今から適正なサイズを求めて何回もこいつの車輪や台車自体を作り直すのも面倒だろ?今日の走行中に俺が徐々に動輪の直径を大きくしてみる。これで機関の性能との釣り合いを図ってみよう」
「えっ!?走行中に!?」
「そうだな。こういうのは最高速度が出ている時にやった方が結果がダイレクトに判るから面倒が少なくて良いじゃないか」
「いっ、いや……仰る事は分かりますが……走行中にそれをやるのですか?」
笑いながら話す店主に対してキッタは上手く言葉が出ないでいる。時速100キロで走るこの機関車の様子は、それを運転していたこの男が一番良く解っている。
そのキッタにしてみれば、周囲の風景が前から後ろに吹っ飛んでいくような状況の中で、その走行車両の車輪を「徐々に大きくする」と言われているのだ。言うまでも無くそのような思考には普通及ばないわけで、その範疇の外へ思い切り飛び出している店主の発想には正直なところ付いて行けそうに無い。
明らかにその顔に「心配と不安」を浮かべている工場長の肩をポンポンと叩きながら
「まぁ、そう心配するな。たかが100キロじゃねぇか。車輪とレールの状態を見ながら無理が掛からないようにやるさ」
相変わらずニヤニヤしている店主に対して「そ、そうですか……」としか返す言葉の無いキッタは
「しかし……今日はどうも沿線の見物人が多そうですが……大丈夫ですか?」
と、別の不安要素を一つ挙げてみた。
「うむ。それが問題だ。なるべく人気の少ない区間で行うとするか。……よし。お前は機関の始動作業を続けていろ。俺はちょっと路線全体を見て来る」
そう言うと、ルゥテウスは右手を軽く振ってその場から姿を消した。余りにも無警戒に姿を消したので、却って心配になったキッタは辺りを見回したが、幸いにしてサクロ駅の関係者と作業員は皆、牽引する貨車の点検に従事していたようで、今の出来事を目撃した者は居なかったようだ。
「キッタ様。給水作業を終えました」
「そうか。ご苦労」
報告に来た作業員を労い、運転席に乗り込んだキッタが計器の最終点検をしていると、その隣に店主が不意に姿を現したので、驚いたキッタは仰け反った勢いで運転席の窓枠に頭をぶつけてしまい、あまりの痛みでその場に蹲ってしまった。
「おお。驚かせて済まんな工場長」
店主は、キッタが強打した部分を覆っている彼の両手の上に右手を当てると、痛みが一気に引いたのか……驚いた顔をしているキッタに
「どうやら途中の駅間部分には見物客も余り集まっていないようだ。何しろあの区間は一面の畑だからな。見物人達も駅の建設予定地に集まっているようだ。大半が地元の農民達だな」
小さく笑いながら偵察結果を報告した。
「そ、そうですか。では先程仰られた『車輪の改造』はその地点で行うとして、最初の走行では荷を下ろさずに最初から全速で走り抜けますか?」
「ふむ。そうしてみるか。では俺はちょっと各駅の責任者に通過を通告してくる。ボイラーの蒸気は、あとどれくらいで貯まりそうだ?」
「そうですね……あと20分くらいかと」
圧力計を確認したキッタが答えると
「分かった。では定刻で出発は出来るな。それまでには戻る」
そう言って店主は再び姿を消した。キッタも店主を見送ってから運転席から降りて、再び後方の機関部分と駆動部分を外側から見回り、最終的な動作チェックをし始めた。
ちなみに今回、キッタが設計したこの機関車は……ルゥテウスの記憶にある前文明時代初期に活躍していた蒸気機関車とは根本的に構造が異なっており、当時のような機関部分の後方に運転席を設けているような形状をしていない。構造的にはむしろ逆で、運転席が最前部にあり、機関動力部はその後方に位置している。
これは走行中の投炭を必要としない「錬成石炭」を燃料としている事もあるが、運転席を最前方に設ける事で前方の視界をしっかりと確保するという「往時の形状を知らない」キッタがごく自然に考え付いた設計形状になった為だ。
当初この設計図を見たルゥテウスは、自らの記憶にあった古代の蒸気機関車とは運転席と機関部分の位置が逆になっている事に違和感を感じたが、機関部からの排煙に前方視界が妨げられない良好なその形状の合理性を認めたので、前文明時代当時の機関車形状について特にキッタには説明せずにいた。
暫くすると店主が戻って来て
「よし。各駅には最初の下り走行による通過を通告しておいた。出発後は後方の貨車の挙動に注意しながら速度を可能な限り上げて行こう」
キッタに伝えると
「承知しました。圧力もそろそろ適正値に達します。定刻まであと10分です」
「そうか。了解だ」
ルゥテウスは最後に後方の機関動力部を《透視》でひと撫でして、特におかしな所が認められない事を確認した上で
「おいロム。今日も定刻で出発する。こっちからの荷物の搬出は今回だけだ。作業員を解散させて構わんぞ」
と、出発を見送りに来ていた工事総責任者に告げた。
「承知しました。お戻りにはなるのですよね?」
「そうだな。今日は全部で3往復を予定しているが……最後の1往復は夜間走行……日が落ちてから行う予定だから、それ程過密じゃないな」
「く、暗くなってからも走るのですか……?」
「当たり前だろう。その為に前照灯も設置してあるんだ。だからそうだな……上り線側の敷設も終わったら、全線に渡って外柵を設けた方がいいな。部外者が無暗に線路に立ち入るのは危険だ。親方とも相談するが、今後は『線路を横断出来る地点』を限定する必要がある。首相にも話して線路に立ち入る事を禁じる法整備も必要になるな。そうしないと列車に轢かれて死ぬ者が後を絶たなくなってしまうからな」
「なっ、なるほど……」
「店主様。間もなく定刻です」
キッタが運転席に備え付けられた時計を見て時間を告げる。本日もサクロ発は10時が定刻で、隣の大陸にあるキャンプでは……まだ皆が寝静まっている時間帯だ。
ルゥテウスは運転席に乗り込んで右側の席に座ると、キッタは左側の窓から顔を出して
「では出発する。多分……昼過ぎに戻って来ると思う」
と、見送る者達に帰還予定を告げた。
「行ってらっしゃいませ。お気を付けて」
ロム達関係者と作業員は列車から離れて手を振った。
「では定刻ですので……」
そう言ってキッタがクラッチレバーを引き下げると、シュゴーという音を発てて機関車の下部から白い蒸気を吐き出した。続けて天井から垂れ下がっている左側の紐を引いて出発のカーン、カーンという鐘を鳴らす。
「出発進行!」
ブレーキを解除してノッチを入れると、蒸気を吐き出しながら機関車が動き出した。後ろには6輌の貨車が連結されており……この貨車を「引っ張る」のは今回が初めてである。機関車が前進を始めると、それに牽かれる貨車も連結部でガチン、ガチャッと小さな音を発てたが、そのまま一緒に引っ張られて動き出す。
「どうやら牽引は問題無いようだな」
後ろの様子を右側の出入り口から半身を乗り出して観察していた店主がそう告げると
「加速に対して特に支障は無いようですね。只今30キロです」
と、キッタも応じた。列車はまだサクロ市内から出ていないので、沿線にはそれなりに見物客がおり、この黒鉄の塊に引っ張られた長蛇の貨車を観て、それを警備している兵士と警察官も物珍しそうにしながら
「凄い……あんな大きな車を……」
「煙が凄いね……」
などと、低速で走り始めた列車を見て口々に感想を漏らしている。10年前まで、キャンプにおいても配給を貰うだけの生活だったり、戦乱で荒廃した祖国での底辺層の暮らしを強いられてきたトーンズ国民にとって、このような巨大な黒鉄の塊が大量の蒸気を吐き出しながら、これまた巨大な貨車を何輛も牽引して馬すら及ばない速度で走り去っていく光景は、まさに隔世の思いであろう。
「よし。工場長。ここから更に加速だ。最初の駅を通過するまでに最高速度まで達するくらいにだ」
「了解ですっ!」
速度が上がるにつれて大きくなる騒音の為に、会話も大声になってくる。今日のキッタは、個別念話に備えて予め店主の名前が書かれたカードを運転台に貼り付けている。
店主の指示でキッタは更にノッチを入れて列車の速度を上げて行った。店主は相変わらず運転席右側から半身を乗り出して後方の貨車の様子を見守っている。
『60キロです。まだまだ加速します』
『今のところ、貨車には全く動揺は見受けられないな』
『75キロっ!』
『90キロですっ!』
列車は更に速度を上げて、最初の駅に向かって突っ走り……サクロの郊外まで見物に来ていた沿線の人々の度肝を轢き潰しながら疾走して行く。
『最初の駅まで3キロです』
『よし。1キロ手前から警笛を鳴らせ。沿線の見物人も大分少なくなったな』
『そうですね。流石にこの辺りは農家の人達や鉄道作業員くらいしか居ないのでは?』
『そうだな』
店主が応える合間に、キッタは天井から下がっている右側の紐を引いて警笛を鳴らした。
ボォォォォォッ! ボォォォォォッ!
一面畑だけが見える平坦な農場地帯に機関車から発せられた警笛が鳴り響き、僅かながらにこの「巨大な蛇」を見物に来ていた当地の農民達を驚かせながら列車は最初の駅を通過すべくホームに差し掛かった。
この駅にはやはり噂を聞いていたキッタの弟であるロダルと、よせばいいのに一緒に付いてきた妻で臨月を迎えているシュンも来ており、作業員や工兵達と共にホーム上で空気を震わせながら猛スピードで通過して行く列車を右から左へ見送る形になって
「す、凄いな……お、お前……だ、大丈夫か……?」
将軍はその凄まじい空気の振動と大質量の物質通過に言葉を失い掛けながら、隣で自分の腕にしがみついている妻を見ると
「驚き過ぎて……この場で産み落としちゃうかと思ったわ……」
普段から肝が据わっていると評判の将軍夫人も流石にこの光景を見て唖然としていた。
『今……ロダルとシュンがホームに居ましたよ……』
『あ……?あいつら、夫婦揃ってか?』
『ええ……2人とも驚いてましたが……』
『おいおい……シュンは身重だろう?もう産まれるんじゃねぇのか?』
『はい……私もそう聞いてましたが……』
『あいつはこの前の飛行船の試乗にも来てたな……大丈夫なのかよ』
『まぁ……引っくり返っている様子は無かったので……』
キッタは苦笑した。店主も呆れて首を振っている。職場には自分の妻でシュンにとっては年下の義姉であり、既に出産を二度経験しているサビオネも居るので、キッタ自身は彼女の初産については心配していないのだが……。
『まぁいい。もうこれ以上は速度が出なさそうか?』
『はい。少し前から速度計では100キロにちょっと足りないくらいで止まってますね』
『つまり6輌牽いて昨日と同じくらいの速度は出せているわけだな?』
『はい。そのようですね』
『やはり機関性能ではなく駆動性能で限界なんだな』
『なるほど』
『よし。周囲に見物人も居なくなっているようだから、そろそろ車輪の改造を始めるぞ』
『は、はい……お願いします』
キッタはシリンダーの圧力計と速度計、それと回転計へ交互に視線を向けながら不測の事態に備えて窓枠に掴まった。
やがて……速度計の針が再び動き始めて、どうやらこの列車は加速を始めたようだ。速度は増しているようだが、その他の計器に変化は見られない。
『ひゃ、110キロ……加速しています!』
『今……動輪の半径を5センチ広げてみた。つまり機関車の重心は軸高換算で5センチ上がったわけだが、揺れや振動は出てないか?』
『あ、あまり……感じませんね……。音の変化もです。速度も計器上でしか実感できません』
『そうか。ではここから更に動輪を大きくしてみるから、乗り味に不安を感じたら教えてくれ』
ルゥテウスは既に運転席から外に出て列車と並走するように宙に浮いており、側面から動輪を含めた駆動系全体を見ながら、少しずつ車輪の直径を広げる事にした。
『120キロ出てます!機関の音は……異常ありません!』
『130キロ!』
『140キロ!』
『150キロ!』
『160キロです!速度計を振り切ります!』
『うーん。圧力計はどうなんだ?』
『圧力には変化が見られません!16と17の間くらいで安定してます』
『見たところ、機関部分には特に異常は見られんな。まだ余裕すら窺えるんだが……』
『あっ……!ちょっと振動が強くなってきたような……』
『なるほど。これ以上の動輪拡張は重心的に危ないか。よし。これくらいにしておくか。ちなみに、俺の感覚では現在185キロ出ているな』
『えええっ!?そ、そんなに出ている……あっ!?次の駅まで2キロを切ってます!』
『よし。しょうがない。重心位置の安定を考えてこれくらいにしておこう。警笛を鳴らせ』
キッタが慌てて警笛を鳴らす横で店主は運転席に戻り、自らも各種計器を確認し……速度計を右手でひと撫ですると、160キロまで刻まれていた速度計の表示部分が200キロまでのものに変わり、その針は180キロを指していた。
キッタがそれを見て仰天するのと、列車が昨日の倍以上の速度で2つ目の駅を通過するのが同時であった。
ガタンカタン!ガタンカタン!シュァン!シュァン!シュァン!シャァァァァァァ!
駅付近で上り線側の線路敷設工事をしていた工兵や駅舎建築作業員達も、警笛を聞いて退避していたが……昨日と比べて警笛が聞こえてから間を置かずして昨日の速度を遥かに上回る速度……しかも後方に6輌の貨車を連ねたままに煙を吐き散らしながら通過して行く黒鉄の機関車は、最早それが「文明の利器」と言うよりも、何か恐ろしい「悪魔の遣い」でもあるかのような印象を彼らに与えた。
店主の動輪改造が終わったようなので、キッタは制動を掛けて速度を80キロにまで落とした。昨日の試験と同程度にまで速度を落としてみると、昨日と比べて意外にも乗り味が良くなったような気がするのは不思議である。騒音も随分と抑えられている印象で
「やはり駆動系に余裕が生まれたようだな」
と、店主は念話を使わずに通常の会話に戻してキッタが感じた機関車への印象を同じような感覚で口にした。
「はい……。私もそのように感じます」
「但し、目線は随分と上がったな。結局、半径を30センチ増やした。つまり単純に車体が30センチ高くなった事になる」
「そ、そんなに広げたのですか!?」
「うむ。実際はまだ大きく出来る余地はあるが、この機関車の構造だとこれ以上軸高が上がってしまうのは安定性の問題が出るようだな」
「はい……今は落ち着いてますが、先程の185キロですか……あそこまで速度を上げると危険を感じました」
キッタという男は普段気弱な印象を周囲に与えるが、実際はこのような未知の乗り物や機械による試験や実験においても滅多に怖気付く事は無い。そのような怯懦とは無縁の彼が「危険を感じる」と発言した事を重んじた店主は
「ふむ。お前がそう言うのであれば、車体的にもあれが限界なのだろう。次の試験車両では動輪を支える部分以外の低重心化が課題になるな」
「そうですね」
「車輪の配置はこのままで問題無いと思う。この路線は線形が一直線だからだ。しかし今後、山側に延伸を図る場合は当然ながら線形を曲げる事になるし、勾配も出て来る。カーブや坂道での走行性を維持するには車輪の数と配置を変える必要があるな」
そのような改良点について話をしている間に、鉱山駅まで3キロの標杭が見えたのでキッタは列車に制動を掛け始めた。昨日と比べて速度が出ている他に本日は後方に6輌の貨車を牽いており、列車の総重量も格段に増している。結局、昨日よりも早めに……そして慎重に制動操作を行ったので、鉱山駅への入線は昨日と同じような速度で行われたが、サクロからの所要時間は昨日の43分から、27分にまで縮まっていた。
「お早いお着きですな」
昨日と同様に出迎えたベナン所長に対して店主は笑いながら
「昨日よりも更に速度を上げたのでな。サクロからここまで30分を切ったようだ」
「なっ……!?た、確かに……まだ10時30分ですな……」
ベナンも驚いているが、運転席を降りたキッタはもっと驚いていた。
「ど、動輪が……こんなに大きく……」
2軸4輪で構成される動輪部分と動輪を挟むように配置された各2軸4輪……計6軸12輪は元々、キッタが設計・製作を行った時……つまり本日サクロを出発するまでは全て直径150センチであった。
しかし今……彼の目の前にある動輪だけが彼の背丈すら軽く超え……もっと言えば彼が思い切り腕を伸ばしながら背伸びしても届かないくらいの大きさになっていた。先程の店主の話では「半径30センチ広げた」という事なので都合直径で60センチ……つまり総直径は210センチ程度という事になる。
そしてこの「30センチ」という軸高(レール面から動輪軸までの高さ)増加は、彼が数か月前から散々見て来たこの機関車の印象を著しく変えていた。軌間1500ミリに対して明らかに重心が高過ぎて不安定に見える。
「どうだ?やはり見てくれが随分変わっただろう?」
動輪の前で唖然としているキッタの横に店主もやって来て苦笑しながら尋ねてくるのへ
「そ、そうですね……しかし変な話ですが……この動輪の直径が本来『機関性能に釣り合う大きさ』なわけですよね?」
「まぁ……釣り合うという意味ではもっと大きく出来るがな。実際に180キロも出れば十分だろう。蒸気機関の場合、どうしても往復運動を行うピストンとシリンダーの性能に限界がある為に、生み出せる回転数に上限がある。これはボイラーの性能とは関係無くだ」
「なるほど」
「内燃機関であれば、その限界はもっと高いのだが……アレの場合は燃料の問題がある。この蒸気機関と同等の性能を発揮するには、それなりの量の燃料が必要になるからな。サナが作った錬成石炭で動かせるコイツにはどうしても経済性で敵わないんだ」
「分かりました。今回お教え頂いた部分を考えて、次の試験車両の設計をやり直してみます。この動輪の大きさを維持しつつ全体的にもっと低い重心の車輛ですね」
「そういう事だな。今日の試験で120キロ程度の速度であれば問題無く走らせる事は可能なようだから、今後はこの速度を軸に車輛設計に取り掛かってくれ。判らない事があれば俺の記憶の中にある知識の範囲の中でなら相談に乗るぞ」
「ありがとうございます」
「よし。ではこのまま昨日と同じく後進走行で物資を届けよう。それとアレだな……」
店主の指差す先には、ボイラーの上部に設置されている箱状の機器があった。
「先程の走行中にはちゃんと機能していたようだ。大丈夫だろう。計器でも確認出来た」
彼が指摘した機器とは発電機である。ボイラーで作られた蒸気でタービンを回して発電を行うもので、現状では機関車の前照灯と運転室内で各種計器類の照明に利用するだけだが、将来的には連結した客車の室内照明にも利用する予定である。
キッタは、この数年間……蒸気機関や内燃機関を製作するに当たり、ルゥテウスからの指導によってこの発電機の部品を製作して、組み立てまで行い……その動作も確認しているのだが、その後に渡された内燃機関の点火プラグや蓄電器と同様に、「電気」についての理解が及んでいない。電気機器については、前時代の滅亡……つまり《大戦争》の直後は残された地下シェルターの中で稼働していたものもあったが、やがて備蓄されていた燃料が切れると共に、全く機能しなくなってしまった。
戦前の人々が予想すら出来なかった……急速に進化した「魔物」という存在の出現と、それらが地上を闊歩するようになった第二紀初頭においても、残された人類の中には電気というエネルギーに対する活用知識を持つ者がまだ存在していたが、既に地上において枯渇した化石燃料を求める事も出来ず……やがて知識は失伝していった。
つまりキッタはルゥテウスの力を借りて、この技術を11000年ぶりに復活させた……のだが、本人はそうとも知らず、店主から与えられたこの「新技術」を残された人生において研究して行く事になる。
「そ、そうですね……は、発電?はされていたようですね……」
錬成石炭の火力によってボイラーは止まっておらず、従って発電機のタービンも回り続けているので、キッタは運転席に上って、前照灯のスイッチを入れてみた。
運転席の前面窓の上に設置された直径50センチの前照灯が点灯したので、前方の車止め付近に居て機関車を見物していた者達は驚いて一斉に声を上げた。
「ああ、大丈夫だ。動作してるぞ」
店主の声を聞いて、キッタは前照灯のスイッチを切った。見物人と同様に仰天していたベナンが
「なっ、な、何ですかい!?今のは?」
と、心底魂消たように店主に問い掛けると
「ん……?あぁ、今のは前照灯……夜間の暗い線路を照らす為の灯りだ」
「あ、あんな眩しいので照らすんですかい?」
「まぁ、そうだな。この列車は結構な速度で走るからな。これくらいの照明で前方を照らさないと夜の暗闇では、かなり先の様子を確かめられないし、逆に列車の接近にも気付けないだろう?」
「あっ……なるほど」
店主の説明にベナンも得心したようだ。
キッタは運転席から降りてきて、再び車輛の点検を始めた。どうやらあれだけの速度で突っ走ったにも関わらず、貨車の積み荷も連結器にも異常は全く無かったようだ。
給水作業が終了したとの報告を受けて、自身も点検を終わらせたキッタが
「では、そろそろ引き返しますか」
と、提案してきたので店主も
「そうだな。このままなら予定通り……昼過ぎにはサクロに戻れるな」
「はい」
「よし。ベナン。次の便でレールの積み込みを頼む。多分15時の鐘が鳴るくらいには戻るんでな」
「承知しやした」
「あ、ベナンさん。転車台と新車輛の製造が終わったら、この駅にこの蒸気機関で動くクレーンを2機……あそこと……あの辺りかな……。設置しようと思っているんで場所を確保しておいて下さい。広さはそうですね……転車台の穴と同じくらいかな」
「えっ!?この機械みたいに動くって事ですかい?」
「ええ。鉄道による運搬が始まれば、一度に取り扱う荷物の量が一気に増えますから……今までのような、人力で動かすクレーンだと時間も労力も大変な事になりますよ」
「そ、そうですが……」
「なので上り線側と下り線側に1台ずつ機械で動かすクレーンを据え付けましょう。そのうち鉱山にも設置しようと思ってます。昇降機も蒸気機関で動かせば、随分と楽になるはずですよ」
「あ、ありがとうごぜえやす……」
「よし。では出発するか」
店主が後進の視認の為に最後尾の貨車に乗り込むと、キッタは大声で見物人達に列車から離れるように指示し、出発の鐘を鳴らして鉱山駅を出発して行った。
後進運転では速度を出せないので、昨日と同じく50キロ程度で巡行して途中にある2つの駅でそれぞれ資材を下ろした。
サクロ側の駅には、まだロダル夫妻が残っており
「兄貴、凄ぇな。さっき通り過ぎた時は本当に驚いたよ。あんなに速いなんてな」
「私もビックリしました」
と、通過列車の様子を興奮気味に語り出して荷下ろしを見守っていたキッタを苦笑させた。
「お前ら……わざわざこんな所まで観に来たのか?」
店主が呆れ気味に尋ねると
「いやぁ……何だか凄いという話を聞いたものですから……」
「しかし……転送陣も無いこんな場所にどうやって来たんだ?特にお前は身重だろう」
「荷馬車に乗せて貰いました。ここのご近所の農家の方が行商に来ていたそうなので……」
トーンズ国軍を率いる将軍夫妻とは思えない物言いに流石に店主も驚いて
「お前ら凄ぇな……帰りの事を考えてないだろう……」
と、唖然としたが
「じゃあ……まぁ……帰りはコレに乗って行くか?」
後ろの機関車を指差した。
「えっ!?のっ、乗せて貰えるんですか!?」
夫を差し置いて目を剥くシュンを見て店主は苦笑しながら
「まぁ……客車は無いが貨車はこれで空になったからな……」
「あっ、あの……私もその……店主様が乗っていらした場所に……」
「お前……臨月なんだろ?あんな風の当たりまくる場所はお奨めできんぞ」
赤道に近い温暖な気候とは言え、北半球の新年最初のこの日はそれでもやや肌寒い季節である。臨月を迎えた婦人が貨車のバルコニー部で涼冷な風を浴び続けるのはいかがなものかと店主が懸念を示したが
「だ、大丈夫です。今日はちゃんと着込んで来てますし……」
店主が呆れ顔で夫の顔を見ると、将軍は苦笑しながら首を横に振っていた。
「しょうがねぇな……おい、工場長。サクロまでは30キロで行け」
「りょ、了解です……」
積み下ろしと軽い点検も終わったので、キッタは運転席に戻って行く。それを見てルゥテウスもロダルと共にシュンを助けてサクロ側の最前部の貨車に設けられているバルコニーに上がらせて、自らも乗り込んだ。
「ここの手摺りにしっかり掴まっておけ。30キロとは言え、乗合馬車よりも速いからな」
「はっ、はい!」
『では出発致します』
運転席のキッタから発車の合図が来たので、貨車のバルコニーに乗り込んだ将軍夫妻を唖然として見上げている作業員や見物人に、店主が後ろに退がるように言ったところで後方から発車の鐘が聞こえてきた。
「おい。動き出すぞ。気を付けろ」
列車がゆっくりと動き出すと、シュンだけではなく夫のロダルまでが「おおっ!」と興奮気味に声を上げた。
「ここからサクロまで約13キロ。まぁ、時速30キロで30分弱だな」
「そ、そんなに早くサクロまで行けるのですか!?」
「いや……これでも相当に『ゆっくり』だぞ。お前らが見たさっきのような試験走行の速度で走れば、ここからサクロなんて5分も掛からんからな」
「えええっ!?」
店主の話を聞いてシュンは仰天している。横で聞いている夫のロダルも口が開いたままだ。
11時44分に発車した列車は店主の言った通り、所要時間25分でサクロ駅に到着した。
サクロ側で出迎えた者達は、列車が思ったよりもずっと早く戻って来た事や、最先頭の貨車バルコニーに将軍夫妻まで便乗して来た事に驚いたが、そもそもその将軍夫妻が隣の駅まで「野次馬」に行っていた事すら知らなかったので、特に臨月に入っている身重の将軍夫人に対して呆れる……と言った印象が強かった。
その将軍夫人……シュンは、彼女自身を慮った低速運行だったにもかかわらず大興奮の態で、行きに便乗させてもらった野菜行商の帰り荷馬車と比べて揺れも少なく、安定した速度を維持した走行にも驚いて、帰宅後は
「開業が先になるのか、この子が産まれるのが先かは分からないけど、一番列車に乗ってみたいわ」
と、感想を述べて夫を困惑させたと言う。
その夫も、軍隊の集団運搬手段としての鉄道の有効性を改めて認識したようで、今後の国内路線網拡充に軍部も積極的に協力して行こうと決意したようだ。
その後も昼食休憩を挟んで午後からは本日2回目の列車形態での試験走行が実施されて、主に制動操作時の牽引貨車の挙動を確認したり、サクロ時間で日の暮れた18時からの夜間走行試験では前照灯の照明範囲の確認等も行い、実用に耐え得る照光距離であると判断された。
全ての試験を終えてサクロまで帰還してから、ルゥテウスとキッタは本日実施した試験の内容について検討に入った。
「俺はまぁ……お前らよりはずっと先の様子が解るが、恐らくお前ら『普通の人間』だと……前方の様子を肉眼で確認出来得る距離は精々500メートル……いや600メートルが限界だな」
「なるほど……しかし100キロ以上の速度だと、500メートルでは止まり切れませんね……」
「まぁ、そうだな……レール上の摩擦力では『すぐに止まる』とは言えないな。先程の前照灯による視界もせいぜい200メートル先を照らすのが関の山か。照明範囲の中に異常が見つかった時点で間に合わんのは確実だ」
「そうなると……夜間走行はやはり危なくないですか?」
キッタから示された懸念を受けたルゥテウスは腕を組んで考え込み……やがて何かに気付いたかのようにハッと顔を上げて
「そうだ……!明視だ!こっちの窓にも《明視》を付与すりゃいいのか!」
と……、彼にしては珍しく興奮気味に思い付いた事を口にした。
「は……?何か妙案を思い付かれましたか……?」
怪訝そうな顔で店主を見るキッタに対して
「明視だ!この運転席の前面窓に明視を付与すれば夜の視界問題も片付く。俺は何故こんな事に気が付かなかったのか……。この後ノンを店長の工場に連れて行くつもりだったのに、だ……」
尚も一人で頷いている店主は、キッタの掛けた言葉に
「ほら。それだ」
と、キッタが首から下げている双眼鏡を指さした。この双眼鏡は以前ノンに《明視付与》を行わせた物を更に量産すべくルゥテウスが彼に筐体製造を相談した際に「完成見本品」として与えた物だ。キッタはこれを覗き込んでその性能に驚き、以後はどういうわけか常に首から下げて実際に使用しているのである。
この日も後ろの貨車への貨物積み込み、積み下ろし作業を確認する為に使用していたし、点検にも使用している。どうやらこの双眼鏡という道具はドロスら諜報員にとっても重宝するものだが、キッタのような技術者にとってもその活動に対して非常に役立つアイテムらしい。
特にキッタ自身は若い頃から父の形見であるメガネを愛用している事でも判るように、元来視力が近視に寄っていて遠くのものを見るのが苦手であった。
「これ……双眼鏡?ですか?これがどうされました?」
「この前説明しただろう?監督達がこの双眼鏡にノンの付与を施したもの……あぁ、説明が面倒だな。ちょっとその双眼鏡をこっちに寄越せ」
「え……はい」
キッタは首を傾げながらも首から下げていた双眼鏡を外して店主に渡した。外装が薄いアルミ製とは言え、400グラム程ある双眼鏡を外すと首から肩の辺りが軽くなった気がして……キッタは首や肩に手を当てながらグリグリと回している。
「ちょっと結界を強めに張るぞ」
店主はそんなキッタにはお構い無しに結界の展開を告げると、右手を小さく振って運転席内に結界……彼が魔導制御を高める為の全体的に魔素濃度を高めた青っぽい領域を展開した。
普段このような種類の結界に慣れていないキッタは突然自身の体が重くなったような感覚に陥ってビックリしている。
「な……何を……?」
ルゥテウスはキッタの呻くような声を無視して双眼鏡を覗き込み、すぐに結界を解除する。
「よし。これでいいだろう」
と、双眼鏡をキッタに返しながら
「ほら。覗いてみろ」
と言い、言われたキッタは渡された双眼鏡を覗き込んで仰天していた。
「なっ!?えっ!?」
覗いては驚いて接眼鏡から目を離し、また驚いては覗き込むという動作を繰り返している。
「どっ、どっ、ど……どういう事なのですか……?覗くと昼間……?」
これまで、この明視付与を施した双眼鏡を覗いた者達に輪を掛けて不審な行動を執るキッタの様子に店主は吹き出しながら
「覗いたお前の視界から『暗さ』だけを取り除く魔導付与を行ったのだ。覗いた『お前の視界』だけのな」
「え……?私の見ている……?」
「そうだ。そしてこの魔導を……」
ルゥテウスは再び右手を振って、今度は運転席からはみ出すくらいの範囲で領域結界を展開する。青く明るい結界の中でキッタの身体は再び負荷が掛かったような感覚になった。
展開された領域の中でルゥテウスが更に右手を振ると、今まで真っ暗な夜の闇間を前照灯で照らしていた視界から暗闇が取り除かれ、まさしく「昼間の情景」に変化してキッタは思わず驚きの余り声を上げてしまった。
「なっ!こっ、これは……!」
絶句しているキッタに対して、領域を解除したルゥテウスが満足した顔で
「ふむ。思った通りだな。工場長、前方の視界は明るいだろ?」
「え……ええ……。こっ、これは……どういうわけなのです……か……?」
キッタはまだ驚いたまま言葉を上手く発せられないでいる。
「窓の外は明るく見える。ではこの運転席の中はどうだ?」
ニヤニヤしながら話す店主の言葉が耳に入ったキッタは窓から目を離して運転席内を見渡し、更に驚いている。
「なっ……!?く、暗い……。えっ……何故です!?何故……窓から光が入って来ない……!」
運転席の中は発電機から供給された電力によって計器類を裏側から灯している小さな灯りだけがあちこちで頼りない光を放っている。
「分かるか?これが《明視》という魔導だ。明視の魔導がこの前面窓の『内側』にだけ付与されている状態なんだ。だから、お前がこの付与を施された室内側からこの窓を『見た時』だけ、お前の視界から暗闇が取り除かれたように明るく見える」
尚も呆然としているキッタに
「暗闇が取り除かれているのは、あくまでもお前の視界が『この窓を通している時』だけだ。外が明るくなっているわけじゃねぇんだよ。だから『外の光』で中が照らされるという現象は発生しない。室内……運転席の中は暗いままだ。どうだ?理解出来たか?」
それでも目を瞠ったまま、体が硬直しているキッタを見たルゥテウスは苦笑して
「そうだな……では運転席から降りて、機関車の前方から運転席の中を見てみろ」
「は……はい……」
言われるがままに危ない足取りで動輪拡大によって位置が高くなってしまっている運転席から降りたキッタが、店主が前照灯を消した列車の前方から運転席を仰ぎ見て「ああっ!」と声を上げている。
本日の最終試走を終えた列車の周囲には、まだ関係者が残っており……既に資材の積込みを行う作業員は午前中に解散させていたが、明日予定している資材の運搬量を工事進捗報告を聞いて全体図を睨みながら相談していた工事総責任者のロムと、工兵団長のナグルがキッタの驚声を聞いて駆け付けて来た。
「工場長!どうかされましたか!?」
駆け寄ってきた2人はキッタが見上げて驚いている様子を見て、同様に運転席を列車前方から見上げる。2人の目には前照灯が消えている以外は、特に異常は見受けられない……と言うか、元々この2人は余程何か大きな衝突痕でも無い限り、自分たちの手には余るこの最先端技術の塊から異常を見分ける事など出来ないだろう。
「何か異常が?」
心配したロムから尋ねられたキッタは我に帰り、慌てた様子で
「い、いや……な、何でも無い。すまん……」
動揺を隠して言い繕う様子で2人に詫びを入れた。
「済まんな。俺が今いきなり前照灯を消したから工場長を驚かせてしまったようだ」
3人の頭上……運転席から店主が顔を出して重ねて詫びてきたので
「そ、そうでしたか。いや、何も無ければそれで宜しいのですが……」
ロムもナグルも店主を見上げて、軽く笑いながら持ち場に戻って行った。「今日の改造」によって運転席が更に高い位置になってしまっている為に、彼等の立つ位置からは最早運転席の内部を窺い知る事は出来ないのだ。
列車前方の窓から運転席の内部は、計器に付いていると思われる小さな灯りがチョボチョボと弱い光を放っているようだが、それでも内部の様子は見えない。
サクロ駅の駅舎、およびホームに照明設備が入ったのはほんの先旬の話で、漸く設置された街灯と同様のアルコール燃焼式の照明によって、煌々と照らされたホーム上では日が暮れた後に作業が可能となったのだ。
未だ混乱から戻らぬ表情で運転席に戻ってきたキッタへ店主が
「どうだ?この魔導付与の仕組みが理解出来たか?」
と、尋ねると
「な、何となくですが……」
キッタはやはりまだ混乱気味だ。
「とにかく、この窓から外を見ている時だけ暗闇が取り払われて明るく見える。ただそれだけだ。それだけ覚えておけ。仕組みとかを深く考えるな。これは魔導……魔法だ。門外漢のお前が考えても無駄だ」
「な、なるほど……この現象が魔法によって起こされている……と理解すれば納得出来なくはありませんな……」
漸く……キッタが「これは魔法なんだ」と自分に言い聞かせて無理やり納得した様子を見たルゥテウスは
「ふむ。思ったよりもややこしい仕様だが、目的効果はしっかりと果たしているな。後はこれをノンにやらせるだけか……」
そう呟いてから
「よし。俺はキャンプに帰る。こっちの時間で22時になったら飛行船工場に行くから、お前はここの後始末をしておいてくれ。明日からは『弟子』をこの運転席に乗せるんだろ?」
「え……?あ、はい。今日の走行が順調でしたので……明日から運転技術習得訓練を始めるつもりです」
「よし。では気を付けろよ。この窓については……そうだな……『特殊な技術』とでも教えておけ。ソンマ店長の力を借りたって事にしとけば良かろう」
随分と雑な説明を指示する店主に困惑しながらもキッタは
「わ、分かりました」
と応えた。
「ではな。何かあったら念話で連絡しろ。俺は多分、学校が始まるまで飛行船の方に掛かり切りになりそうだ」
そう言って姿を消した。
「こ、これが……魔法なのか……確かにこれは……普通では理解できん……」
前方の窓から広がる真昼のような景色を呆然と見つめながらキッタは「魔法の力」を改めて認識するのであった。
【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ
ルゥテウス・ランド
主人公。15歳。《黒き賢者の血脈》を完全発現させた賢者。
戦時難民の国「トーンズ」の発展に力を尽くすことになる。
難民幹部からは《店主》と呼ばれ、シニョルには《青の子》とも呼ばれる。
キッタ
42歳。アイサの息子で三兄妹の長兄。
トーンズ国における先端技術を一身に背負う男で独特の感性を持ち合わせる。
サクロの先住五人娘の一人、サビオネと結婚して子供を二人儲ける。
ロダル
38歳。アイサの息子で三兄妹の次兄。キッタの弟。現在はトーンズ国防軍を率いる将軍。
嘗てのサクロ村住人の生き残りであるシュンを妻とする。
シュン
30歳。ロダルの妻で、旧サクロ村で生き残った五人娘の中では最年長であった女性。
現在はキャンプに残る藍玉堂の工場だけでなく、キッタに代わってトーンズ国側の工場長代理も務める。
現在は妊娠中で臨月を迎えている。
ロム
41歳。トーンズ国における鉄道建設総責任者。ノンの弟子であるエヌの父でもある。