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黒き賢者の血脈  作者: うずめ
第四章 戦乱の大陸
86/129

良い薬と悪い薬

【作中の表記につきまして】


アラビア数字と漢数字の表記揺れについて……今後は可能な限りアラビア数字による表記を優先します。但し四字熟語等に含まれる漢数字表記についてはその限りではありません。


士官学校のパートでは、主人公の表記を変名「マルクス・ヘンリッシュ」で統一します。


物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。

・距離や長さの表現はメートル法

・重量はキログラム(メートル)法


また、時間の長さも現実世界のものとしております。

・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日 


但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。

・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年

・4年に1回、閏年として12月31日を導入


作中世界で出回っている貨幣は三種類で

・主要通貨は銀貨

・補助貨幣として金貨と銅貨が存在

・銅貨1000枚=銀貨10枚=金貨1枚


平均的な物価の指標としては

・一般的な労働者階級の日収が銀貨2枚程度。年収換算で金貨60枚前後。

・平均的な外食での一人前の価格が銅貨20枚。屋台の売り物が銅貨10枚前後。


以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくお願いします。

 士官学校は年末年始の長期休暇に入った。学生寮に入っている者達にも「可能であるならば」という条件付きではあるが帰省が許される……が、元々が14日間という期間で故郷と往復が叶うような場所から上京して寮住まいとなっている者はそれ程居ない。


この帰省の可否という部分を1年1組の入寮者を例で話すと……サイデルの南にある「赤い屋根の町」ヨハル出身のアン・ポーラの場合、14日という期間では恐らくギリギリで間に合わない。王都からの乗合定期馬車でサイデルまで7日が定着なのでどう頑張ってもサイデルを往復するのが精一杯である。


同じ寮生であるナラン・セリルの場合は実家のあるドレフェスとは何とか往復が適う距離だ。ドレフェスと王都レイドスは国道2号線という古来より幅が広く舗装が徹底された主要幹線道路で結ばれているので約800キロという距離を片道5日を定通として乗合馬車が運行されている。しかしドレフェスから先……例えばオーデル方面となるとその舗装率は落ちるので600キロという距離で5日掛かる。つまり王都からオーデルまで都合10日掛かるわけだ。


 ナランはそれでも帰省せずに王都に残るらしく……休暇中はアンやミリダと寮の談話室で次回の考査に備えてこれまでの総復習をやったり……12月31日……今年は閏年なので12月が31日まであり、この4年に1度だけ訪れる「最後の日」……そして翌日の1月1日。この日に掛けての月齢は計算上、「本物の新月」となる為……各地で「漆黒の闇夜」を祭る風習がある。


これは「この国をお造り下された《黒き福音さま》に感謝を捧げる日」であり、最初にこの祭事を始めたのは黒き福音の恋人であった《国母》ことユミナ・レイドスである……という言い伝えが残っている。


建国から4年目……つまり「王国歴4年」は復興した文明の下で定められた「最初の閏年」であり、ヴェサリオはこの年の7月に大陸北東沖に在ったリルセット島に《天の拳》を落として大陸統一事業を完了させた。


そしてその後……彼は一度だけ王都レイドスに凱旋したが、結局王都帰還から2日後……忽然と人々の前から姿を消した。恋人の腹の中に『命』を残して……。


 ヴェサリオが姿を消したのが7月30日。それから5ヵ月後の12月25日。ユミナは男子を出産した。後の初代ヴァルフェリウス公爵となるフェリクスである。

この王国歴4年、最初に定められた閏年の12月31日。アリストス大王は「盟友」の立てた大功へ報いる為に、ユミナの産んだ男子に「ヴァルフェリウス」の姓と公爵位を贈った。


そして生まれて間も無い王国政府は公式に「黒き福音が国を去った」事を発表したのだった。

王国民はこの発表を以て、建国の英雄が巨大な功績と伝説的名声を残したまま人々の前から姿を消した事を知って驚愕し……後世の詩人達は世界を股に掛けた「新たな英雄譚の始まり」としたのだ。


つまり閏年の12月31日は「ヴァルフェリウス公爵家」の創設日でもある。この日は国中の家で《黒き福音さま》に感謝の気持ちを捧げると共に、国中のあちらこちらで「黒き福音の寓話劇」が催される。レインズ国民の子供達は、この4年に一度上演される「黒き福音さまの劇」を観て育つのだ。


そして夜には一切の街灯の類の使用は禁止され、季節柄……町中の窓も閉ざされて文字通りの「闇夜」となる。これは黒き福音の髪と瞳の色を讃える為のものらしい。

時代が下って、民家においてもガラス製の窓が使われるようになり、家屋の中から灯りが漏れるようになった現代においても……人々はこの夜に限っては窓に分厚いカーテンを引いて、敢えて「闇夜」を作り出すのだ。


 しかし市中を出歩く事に対しては特に規制はされていないので、年末年始の休業をしていない飲食店は通常通り営業している。


何しろ「31日」なので救世主教の社会通念である「6の日だから休む」という「教え」には当て嵌まらないし、何よりこの祭りの起源とされる「国母ユミナ」は救世主教に建国当時はまだ残っていた「黒は悪魔の色」という「失った恋人を愚弄するかのような」教義に激しく反発し、大王死後に国の実権を握って以降、その生涯を閉じるまで救世主教徒が国内に存在する事を一切許すことが無かった。

そのような経緯があって……現代でもこの12月31日は救世主教でも「宗教行事を一切執り行わない」ようにしている。


人々は4年に一度の閏年最後の晩にこの年最後の日を見送り、新たな年を迎える為に家の中でささやかなパーティを行ったり酒場で騒いだりする。そして吟遊詩人や歌い手はもちろん「黒き福音を讃える(うた)」を高らかに歌い上げるのである。


 ナランとアン、そしてミリダは12月31日はリイナとケーナも合流して昼間は「黒き福音さま」の演劇を鑑賞し、夜はリイナの屋敷でパーティを行う予定にしている。


リイナの勉強会仲間であるエバ・ハルツも参加したかったようだが、彼女の実家は王都でもそれなりに知られた商会であるので、そちらのパーティに参加しなければならず……泣く泣く友人たちとは別の時間を過ごす事になったようだ。


 マルクス……ルゥテウスからしてみれば、随分とこっ恥ずかしい「記念日」ではあるが、元々……彼は自身曰く「そのような因習」に付き合うつもりもないし、何より休暇初日からトーンズ国のサクロから東の鉱山地帯にかけての鉄道敷設を一気に終わらせるべく現地に詰めていた。


「ふむ……結構順調だな」


ルゥテウスは総合指令所としても使用される事が予定されているサクロ市内の「大通り」の中間地点から東に200メートル程ズラして作られたコンクリート造りの3階建て駅舎を擁する「サクロ中央駅」の1階部分で巨大な工事予定図に書き込まれた進捗状況を眺めながら感想を口にした。


「左様ですな。既にサクロ側からは12キロ地点まで敷設が完了しており、鉱山側からも18キロ……この辺りですな。最初の停車駅予定地まで工事は進んでいますぞ」


 ラロカが指し棒を使って敷設状況を説明する。


「そうなると鉱山とサクロの区間は残り19キロ余り……と言う事になるな。思ったよりも開通は早そうじゃないか」


「ええ。キッタが開発した例の『足漕ぎ式』のトロッコが威力を発揮していますな。あれが入ったおかげでレールや他の部材の搬出がかなり楽になりました。今回は複線……でしたか?同時に2組の線路を敷いてますが、開通はほぼ同時になるかと思います」


キッタが開発した足漕ぎ式のトロッコは、2人が並んでペダルを漕いでレールの上を移動する貨車で、定格で20メートルのレールを積んだラック貨車の前後に1台ずつ接続され、合計4人でペダルを漕いで動力としている。最初の漕ぎ出しはなかなかに力が必要なので、送り出す側で別の作業員達が一緒に押し出したりするのだが、ある程度勢いが付くと、そこは鉄道だけに4人だけで力行出来る。


このトロッコが導入されてから部材の運搬が劇的に改善された為に敷設作業が一気に進んだ。ルゥテウスとラロカの想定では敷設完了は来年の4月頃まで掛かるかと思われたが、このペースでルゥテウスが更に加われば年内にはレールの敷設は完了しそうである。


レールさえ敷き終えてしまえば……あとは「土締め」がてら試作の機関車を走らせながらレールの沈み込みを調整するのと同時進行で、途中に設置予定の2ヵ所の駅舎を建てるだけだ。


 今回……施工そのものを指揮しているのはキャンプ時代からラロカの下で建築工事に参加していたロムという男で、第一世代の難民として故郷で大工をやっていた者である。


やはり大工をやっていた父親と、母親も一緒に20年前に祖国から脱出したのだが……両親を共にアデン海を渡る船上で亡くした。オルト医師の時もそうだったが、着の身着のままの状態で即製の小舟に他の避難民を満載して漕ぎ出される船上では病気が蔓延する事が多く、食料も不足する中で体力が落ちた高齢者から生命を落とす事が多かった。


ロムも半死半生の状態でドンの南側に漂着したが……幸運にも日を置かずして、当時イモールがドンに配置していた連絡員に保護されてキャンプに辿り着けたのだ。


その後はイモールの依頼でキャンプの長屋建設を請けたり、ルゥテウスのキャンプ入り後は藍玉堂の建設にも加わり、ラロカの片腕として建国後の公共施設の建設を指揮している。

新生サクロ建設中の事故で石材の下敷きとなり両足と右手を潰すという瀕死の重傷を負ったが、少年時代のルゥテウスに治療して貰って以来……彼を生神様のように慕っている。……尤も、ルゥテウス本人は神の様に拝まれたり、崇められたりするのが大嫌いなのだが……。


「既に駅舎建設予定地に必要な資材の大半は搬入済です。周辺に暮らす者達も進んで手伝ってくれますよ」


ロムが日焼けした顔でニッカリと笑いながら報告してきた。


「ほぅ……。よっぽど物珍しいのだろうか」


店主の疑問に


「いえ、やはり収穫物の運搬や町との行き来に便利になるという事で開通を心待ちにしているようですね」


「なるほどな。確かに運搬は楽になるだろうな。しかも流通鮮度も良くなるわけだ」


「そうですな……。新鮮な野菜を大量に町へ供給出来るというのはかなり大きいと思います」


市長も店主の話に頷く。


「新鮮な野菜を、それ程労力も要せず大量に市街地に送れるとなると……野菜農家が増えるかもな」


「あ、なるほど……。それは考えられますね。果物栽培も盛んになるかもしれないです」


「そうだな。しかし野菜や果物を運搬するとなると、梱包方法にも工夫が必要になる。ただ闇雲に箱に詰めて貨車に載せたんじゃ、道中の振動もあるから到着した頃にはあちこち傷みが出る可能性がある」


「へぇ……色々と考える事はあるんですな」


「そうだな……。私もそこまでは気が回らなかった。そうか……振動か。レールは真っ直ぐに見えても振動は起きるんですな」


ラロカが苦笑する。


「うむ。一見すると真っ直ぐに見えるレールも、季節や昼夜の気温差に晒されると伸縮がどうしても出る。まぁ、脱線する程のものではないが……それでも、それなりに歪むからな。そこから振動がどうしても発生するし、その歪みはレールの『継ぎ目』に最も寄ってくるからな」


 ラロカとロムが店主が絵を描きながらの説明に感心していると、キッタが何やら丸めた図面らしき大判の紙を何本か抱えてやって来た。

彼はこの事業と飛行船製造が始まってから、店主の命令で藍玉堂の工場の指揮を義妹のシュンに任せている。

しかしそのシュンも年明け早々に出産予定なので、その代わりを更に彼の妻であるサビオネが務める手筈になっている。


「店主様。ご苦労様です」


「おぉ。工場長……お前……顔色が悪いな。ちゃんと寝てるか?」


「ええ……ちょっと昨夜はこれを仕上げていたので……徹夜してしまいました」


そう言って、キッタは持ってきた図面を机に広げた。


「しょうがねぇな……これを飲んでおけ」


店主は右手を振ると、その手にはコップが握られている。まるで手品のようにコップが出てきたのでロムが目を瞠っている。しかし、彼もその昔……半死半生になった状態をあっさりこの店主に完治させられたので今更大袈裟に驚く事は無い。


キッタはコップの中身を一瞥してから、一気に飲み干し……激しく咳き込んだ。


「ゲェッホ!ゲホッ!……こ、これは……!?」


「それか?ロムの娘が作った『特製回復薬』だ。モニに飲ませて泣かせてたやつだな。しかし効果はちゃんとあるようだぞ」


店主が大笑いすると、キッタが


「うわ……エヌが作った薬ですか……」


と、まだ渋い顔をしている。そう……ノンの弟子三人娘の1人であるエヌは、このロムの娘……三人兄妹の末妹だ。ロムはキャンプに流れ着いてから妻を娶り、子供を3人儲けた。長男は19歳。3年前に工兵に入隊して、今日はサクロ側のレール施設地点で作業をしている。次男は16歳となった今年になって家具職人をやっている母方の祖父に弟子入りし、今も市街地の西側にある祖父の工房で家具造りの修行中だ。


そして末の娘として生まれたのが13歳のエヌで、一昨年からノンに弟子入りしているわけだ。


「す、すみません……工場長……。ウチの娘が作った変な薬を飲ませちまったみたいで……」


「い、いや……苦かっただけだ。うん……気分がスッキリしてきた……」


「あいつはモニの怒りを買ってから、自分が作った薬の味を考慮しなかった事に気付いてな。これでは子供には飲ませられんわな。『大人向け』の味だ。わははは」


 笑い続ける店主を見て、コップの中の臭いを嗅いだラロカまでゲラゲラ笑い始めた。他人事のように笑っているが、ノンにエヌを紹介したのは他でも無いこの老市長だ。


「ところで、漸くこのように全体の機構を纏めてみました。但しこのやり方ですと……直径20メートル、深さ7メートル程の穴を掘る必要があります」


キッタが4枚の図面に分割して描いて来たのは「転車台」の構造図である。


「随分とデカいな。あの機関車よりもかなり大きいようだ」


市長の疑問に対して


「はい。蒸気機関の動力を重量物が載る転車台本体に伝える為に地中部分に大規模な駆動部分を構築する必要がありますので……」


「そうだな。ただ単純に機械を収めるだけじゃダメだ。それを点検したりする為のスペースも必要となる。維持と言う観点で、工場長の算出した容積は妥当な数字だと俺は思う」


「ご理解頂きありがとうございます」


「よし。その『穴』は俺に任せろ。今夜中に掘っておく」


 毎度お馴染み「店主の夜間施工」を宣言され、他の3人は震えた。この人の夜間施工が実施された翌日に、他の作業員に目の前の光景を説明して納得させるのに骨が折れるのだ。その点、土木普請を率いていたロダルはこの手の説明が巧かったな……と、市長は苦笑した。


「では試作品の部品製造に取り掛かります。親方様、製鉄所側の工場をお借りできますでしょうか」


「ああ、構わんぞ。鋼材も必要か?」


「いや、材料は俺が調達する。多分……精密な加工が必要だから特殊な鋼材が必要となる」


「承知致しました。それでは転車台の方は店主様とキッタにお任せして宜しいでしょうか?」


「そうだな。俺達はそちらを引き受けよう。それと明日中に機関車をそこの線路上に載せておくぞ」


「おぉ……いよいよですか……」


「うむ。どうしても最初の試走前の調整があるからな。なので『下り側』の線路から優先的に開通まで漕ぎ着けてくれ」


「承知しました。それではひとまず下り側に施工を集中致します」


「うむ。頼んだぞ」


こうして作業は「下り線の開通」と「サクロ側での転車台設置」に絞って進められる事になった。


****


 ルゥテウスが一旦キャンプに戻ると「被害者」と「加害者」がまだ争っていた。つまり……いつも通り作業場が喧しいだけなのだが……。


「エヌはヒドいのでありますっ!患者の事を全く考えていない毒薬のようなモノを飲まされましたっ!小生は本日一度死に申したっ!」


モニが2階から降りてきた店主に泣きついて来た。


「そっ、そ、そんなコトは、なっ、無いですっ!ちゃ、ちゃんと効果のある薬を造りましたっ!」


店主はお手上げの表情になりながら


「ま、まぁ……工場長は咳き込んでいたがちゃんと飲んでたし……寝不足の疲れも取れていたようだぞ……」


「効果などあって当然なのでありますっ!効果の……更にその向こう側……万民に愛される飲み味こそが肝要なのでありますっ!」


 モニの珍奇な言葉遣いに辟易しながら……店主は最早騒ぎを無視して双子に文字を教えているノンに対して


「サナは来ていないのか?」


「はい。今日は店長さんの飛行船を手伝っているのでは……」


「あぁ、そうか。そう言えば『外装パネルの量産に入る』とかって店長から連絡があったな」


「そうなのですか?」


「お前は今回、内側気嚢の製作はやらないのか?」


「はい。一応前回作った時に配合表は作って渡してありますので……」


「なるほどな。じゃ、気嚢造りはサナがやっているのかな?」


「サナちゃんは燃料を造っているのではないかと」


「あぁ……そう言えば、工場長に頼まれて植物由来の発酵アルコールを開発したとか言ってたな……」


「はい。麦や豆の茎や根から作れるようになったって……」


「うーむ。まさかそこまでやれるとは俺も思ってなかったが……大したもんだな」


「サナちゃんは昔から勉強熱心でした」


 目の前で掴み合いになっているモニとエヌを引き剥がしながら感心する店主を見て、苦笑しながらもノンもサナの勤勉さを褒め称える。

事実……化石燃料がほぼ枯渇しているこの世界において、酒造とは違うアプローチで液体燃料の工業的な生産に踏み込んできたサナの業績は、このままだと後世にその名を残す程のものになるだろう。


灰色の塔(魔法ギルド本部)で修行している魔術師や錬金術師と違って、最初から「人々の生活に寄り添った」物品を作り出す事で研鑽を重ねているサナは、夫同様に錬金術の歴史において重要な役割を果たすかもしれない。


「俺は今晩、夜飯を食ったらサクロで穴を掘ってくるからな」


エヌとモニの頭を掴みながら店主が今夜の予定を話す。二人は頭を締め上げられてギャアギャアと悲鳴を上げている。


「えっ!?穴掘りをするのですか……?」


「この前工場長が話してただろう?あの機関車の向きを変える機械を設置しないといけないんだ。その為に穴を掘る必要があるのさ」


「あの円盤みたいな絵のやつですか?」


「そうだ。行き止まりまで走ってきたら、機関車の向きを変えて折り返せるようにしなきゃならんのだ。機関車は後ろ向きで走るのは苦手だからな」


「なるほど……そういうものなのですね。……私に何かお手伝い出来る事はございますか?」


「俺はただ穴を掘るだけだから必要無いな」


「そうですか……」


「あ、そうだ。作業員さん達にも回復薬を作ってやれないかな。ウチの工場で作っているような瓶詰めじゃなくてコップで飲めればいいんだ」


「てっ、手伝いますっ!……もう一度チャンスをっ!」


頭を掴まれて呻いていたエヌが汚名返上の機会を欲して訴えてきた。


「小生もっ!小生もやらせて頂きますっ!エヌの毒薬モドキとは違うモノを必ずやっ!」


モニも対抗するかのようにヤル気をアピールしてくる。店主は苦笑しながら2人を解き放った。


「承知しました。それでは大鍋で作っておきます」


 ノンは掴み合いをしていた2人とは違い、真面目な表情で菓子売りのご婦人方に配る回復薬を瓶詰めしていたパテルに


「それが終わったら、もう一度大鍋に水を汲んでおいてちょうだい」


と、回復薬の再生産の準備を言い渡した。


「はーい」


パテルは師に応えながら


「ほらっ!アンタ達も手伝ってよっ!」


と……頭を擦っているエヌとモニに声を掛ける。2人はこれ以上争っても、店主から再び制裁を浴びるだけだと悟り、不承不承残りの瓶詰めを手伝い始めた。


「そうだ。せっかくだから高貴薬で作ってみてはどうだ?」


店主から提案を受けたノンは


「え……?高貴薬……ですか?」


と、首を傾げながら応える。彼女はこれまで、その「特殊な才能」が開花してから高貴薬の作成にはまだ手を出していなかった。


「この前話したろ。俺は水だけを使って回復薬を作り出してるって。お前にも出来ると思っている。水だけで作れれば手間は随分と省けるだろう?」


「あのお話は……本当なのですか?お水だけで薬が……高貴薬が出来るなんて……」


なまじ薬学に精通しているだけにノンには先日ルゥテウスから説明を受けた、「魔導を錬金に応用すれば薬材も触媒も必要とせずに高貴薬が作成出来る」という話が尚更に信じられないのである。


「信じられないならば、自分で作ってみりゃいいだろ。『薬効』に対してならお前の場合は今更何か体験が必要なんて事も無いだろ」


 面倒臭そうに語る店主の言葉を聞いて、ノンは「ある事」に気付いて衝撃を受けた。


「あ、あの……もしかして……。ルゥテウス様のお言葉をそのまま受け取らせて頂くと……ルゥテウス様はいつも「ただのお水」にお好きな薬効をふ、付与?されているという事になるのですか……?」


「もしかしなくても、そういう意味のつもりで言っているが?」


「そ、そんな……そんな事が本当に……」


ノンはこの世界の薬事に関する常識が大きく崩れて行くのを感じながら


「そ、そんな事が出来るのであれば……な、何でも……た、例えば……不老長寿の薬とか……」


「お前、不老長寿というのがどういう状態になるのか、理解出来ているのか?」


「え……?」


「不老不死を考えるのであれば、その前に『老い』の原因を知らないとそれを『止める』事は出来ないんじゃないか?」


「あ……言われてみれば……」


店主の逆説的な言い様にノンは驚きつつも納得する。


「ただ闇雲に『老化が止まりますように』とかイメージしたって老化を止める薬は作れないと思うぞ」


店主は笑いながら


「これまで作って来た付与物……特にこの前作った『明視』の付与などは『空間制御術』という一応は制御が可能なレベルのものだったが……老化を止めるとなると『時間制御術』が必要になるかもしれんな」


「じ、時間……?」


「今のところ、『理論』だけが存在している魔法分野だ。『今のところ』などと言っているが……これは33000年前の大導師の時代から研究されている分野だな」


「えっ……?さ、33000年前から……?」


「まぁ、お前に説明しても難しいかもしれんが……俺の先祖の中にはこの分野の研究に生涯を懸けた奴も居た。簡単に言えば『時の流れに干渉・制御』するという分野だな」


「と……時の流れ……」


「つまり、時間を遡ったり……逆に時間を進めたりというような事象を起こす事を中心とした話だな。もしこれが可能となれば、事故で命を落とした者が事故に遭遇する前まで戻って救えたり……お前が言っていた不老不死も、その対象の体内に起こる『老い』を止めてしまう事だって出来るかもしれない……これはあくまでも仮定の話だがな」


「そ、そんな……」


「しかし問題もある。この時間制御による『過去への遡行』が実現した場合に、その時間に存在しているはずの『自分』との整合性がどうなるか。その時間の自分と『未来から遡ってきた自分』が同じ時間帯に存在するとどうなるのか……もっと言ってしまえば自分をこの世に産み出した両親の『出会い』を妨害した場合……その後に産まれるはずの自身の存在はどうなるのか。全く想定出来ない事ばかりだ」


苦笑しながら主が小難しい事を延々と話し出したのでノンの頭は混乱しそうになっている。どうやら主は「時間への干渉の実現」に対しては否定的であるという事なのだろう。


「な、なるほど……そんなに上手い事にはならないのですね」


「そうだな。この世界にも一応は誰が定めたのか『(ことわり)』というものがちゃんと存在していて、『時間に対する干渉』はそれを色んな意味で逸脱するものなのかもしれんな」


「まぁ、魔導にも限界は存在するということだ。『何が出来る』という事を追い求めるのも重要だが『何が出来ない』という事を知る事はもっと重要だ。『出来ない事を求め続ける』という無駄な努力を犯す事が防げるからな」


「は、はい……」


 回復薬の瓶詰めに三人娘や双子まで手伝っている横で、店主とノンは常人には理解出来ない会話を交わしている。


「よし。では高貴薬を作ってみるか。おい、お前らは瓶詰めの手伝いを続けていろ。俺とノンはちょっと地下に行ってくる」


「は、はい……」


漏斗を挿した瓶に鍋の中の液体を注いでいたアトは集中しているので、振り向く余裕も無かったが、一応は瓶詰めの手伝いを命じた上でルゥテウスとノンは地下の錬金部屋に移動した。


 ルゥテウスは右手を振って水の入ったビーカーを出し


「まずはこれくらいの量でやってみよう。そうだな……まぁ、いつもの回復薬を作ってみようか」


そう言っているそばから彼はビーカーの水に付与を施したらしく、ビーカーの水はあっという間に鮮やかな青色に変わった。ノンは驚いて


「こっ、これはもう……薬になっているのですか?」


「そうだな。俺がいつも作る回復薬がこれだな。薬効としては睡眠不足の解消と体力回復。そして造血増進と代謝促進に伴う吸収力増加と言うところか」


「なるほど。飲めば疲れも取れて病後の体力回復にも効くという感じでしょうか」


流石に薬学に精通しているノンは主の作り出した高貴薬の効能をすぐに理解した。主からビーカーを受け取ってその匂いを嗅ぎ、主の許可を得て一口飲んでみる。明らかな回復を感じて驚きながら


「匂いや味は感じませんね……」


「そりゃ、元はただの水だからな。魔導で味付けをしているわけじゃないし」


店主は笑いながら水が入ったビーカーをもう1つ取り出して


「よし。こんな感じでやってみろ。まぁ、今くらいの効能を入れておくくらいでいいんじゃないか」


そう言って、ビーカーをノンに渡した。


「いつものようにイメージしろ……イメージだ……お前の知っている薬効成分をこのビーカーの水に込めるようなイメージで……」


 お馴染みの主からの暗示にも似た言葉を耳にしながらノンは目を閉じて頭の中に自分が数年かけて開発した超回復薬の効能をイメージする。

 彼女の場合、毎度最初の付与にはイメージの投影で苦労するのだが……この暗示が混じったような主の誘導によって上手く付与が叶う事が多い。


今回も暫く頭の中で強くイメージをしていると……


「うーむ……どうやら上手くできたようだが……」


主の声を聞いて目を開けると……ビーカーの水は紫に近いピンク色の「液体」に変わっていた。


「相変わらずこの色か……どうもアレだな。流石にこの色で『薬品』とか言われてもなぁ……」


主はいつものように笑いを堪えた表情と困惑の表情が半々の様子だ。


「わ、私は別に……この色にしようと思ってやっているわけでは無いのですが……」


「まぁ……魔導の場合はな……術者の『波動』を帯びた色が施術の結果に反映される事は普通にあるからな……俺の魔導も青色を帯びるのは自覚しているし……」


「俺の先祖もそうだった。大導師の魔導は赤色を帯びていたし……ショテルの波動は、やはり施術対象物をしばしば緑色に変えていたしな」


「そ、そうなのですか?」


「うむ。ヴェサリオも『黒き福音』などと呼ばれている割に、彼の波動は灰色だった。彼の代表的な『付術品』は『灰色の塔』だしな……くくく」


それでも店主にとっては一生懸命に集中するノンが作り出す「ピンク色の品々」が可笑しくて仕方無いようだ。ノンから渡されたビーカーの中に入ったピンク色の液体を眺めて、匂いを嗅ぎ、一口飲んで


「うむ。効果はいつもの回復薬……いや、もう少し強いか……?」


「ほ、本当でございますか?」


「うむ。お前も一口飲んでみろ。こんな『らしくない』色をしていて無味無臭だが効果はしっかりと出ているぞ」


ビーカーを返されたノンも一口飲んでみる。確かに……作った彼女自身も「ピンク色の薬」というのは見た事が無いが……普段、三人娘に作らせている彼女が開発した回復よりも薬効の浸透が早い気がする。


「ちゃ、ちゃんと出来てますね……」


作った本人が首を傾げるピンク色の回復薬の出来は上々のようなので、店主は次のステップと言わんばかりに


「よし。次は付与する量を増やしてみるか」


と、1階の作業場でもよく使われる小鍋を用意して水で満たした。


「こいつに付与してみろ。これで……ざっと薬瓶7、8本分か。さっきと同じくらいの薬効が込められる事を目標にしてみろ」


「は……はい……」


 ノンは目を瞑り、目の前の小鍋に向かって意識を集中した。やはりこれまで同様に一度成功してしまえば二度目以降はアッサリと付与が行われ、銀色の鍋の中には……やはり紫色が多少入ったピンク色の液体に満たされた。


「うーん。見た目は同じだな。匂いがしないから比較が難しいが……」


ルゥテウスは小さな薬匙で鍋の中の液体を掬って、口に入れてみた。


「うん。薬効はあるな。さっき作った物と左程変わらんようだ」


主は小鍋の中の液体にも薬効を認めて


「ふむ……ちょっと上の連中にも飲ませてみるか」


「えっ……?の、飲ませるのですか?」


「ん……?何か拙い事でもあるのか?これは回復薬ではないか」


ノンはいまいち自信が持てないようで、どうもこの液体を他人に服用させる事に消極的な様子だ。


「まぁ、色はアレだが薬効はちゃんと認められるんだ。俺以外の評価を聞いてみるべきだろう?」


そう言うと主は立ち上がり、小鍋を持って錬金部屋を出た。ノンもそれに続く。1階ではそろそろ瓶詰め作業も終わりに近付いており、モニが詰め終わって机に並べられた薬瓶をせっせと木箱に詰めている。


「あ、おかえりなさいっ!」


 小鍋を持って階段を上って来た店主と師を見て挨拶をするモニに対して


「よしモニ。お前にいいものを飲ませてやる」


店主は笑いながら棚からガラスのコップを取り出して鍋の液体を注ぎ入れた。


「先生が作った薬だ。飲んでみろ」


 渡されたコップを目の前に掲げて中身を覗き込んだモニは注意深く匂いを確認している。今日は朝から全く味付けを考慮されていないエヌの作った「素材の味が活かされた」彼女曰く「毒薬」を飲まされただけに、その顔には警戒心がありありと見て取れた。

 

何しろ……見た事もない「ピンク色」をしている液体なのだ。これが何か甘い果実の匂いでもしていれば、それでも美味しそうには見えるのだが……この液体は無臭なのだ。


コップを受け取りながら、キョロキョロと落ち着かない様子のまま……なかなかそれを口にしないモニへ店主が


「どうした。お前らしく無いじゃないないか。遠慮せずに飲め」


と……ニヤニヤしながら勧めたので、何か追い詰められた小動物のような仕草をしながら、モニは目を瞑って思い切ったようにコップを傾けて口に「あの液体」を注ぎ込んで行った。何か決心したかのように一気に「それ」を飲み干した彼女は


「……あれ?この薬っ!味がしないでありますっ!」


驚いた顔で目を見開き


「あれ……?それに何だか……」


 今日は朝からエヌに「毒薬」のような味がする試作薬を飲まされて、のたうち回り……その後もエヌと取っ組み合いをした挙句に店主に頭を掴まれたり、つい今しがたも薬瓶の詰まった木箱を積み上げたり……なかなかのカロリー消費によっていつもよりも早めに「エネルギー切れ」になりそうな感覚だったのが、その疲れが嘘のように取り払われている事に彼女は驚愕した。


「なっ……これは……素晴らしいっ!素晴らしいですぞっ!小生の体内から怪しからんモノが消え去って行くでありますっ!」


「そ、そうか……」


薬効を感じて大興奮するモニに若干引きながら店主が


「先生が作った物だぞ。あんな『毒薬』と一緒にしちゃいかんだろう?」


「ヒドいですっ!私は毒薬なんて作ってませんっ!ちゃんと心を込めてお薬を作りましたっ!」


店主の言い様に対し直ちにエヌが猛抗議を加え、珍しく店主を怯ませた。


「あ……いや。これは済まん。モニの奴が毒だ、毒だと騒ぐのでな。そういえば確かに薬効はあった。工場長のお墨付きだ」


 自分の弟子から突き上げを食らっている主を見たノンが慌てて


「そもそも、あなたは何故味を確認しなかったのです?『患者さんが飲みやすくする事を第一に考えなさい』といつも教えているでしょう?」


そのように諭すと、エヌも「ぐぬっ……」と言葉を引っ込めて黙り込んだ。


「まぁ……お前も飲んでみろ」


 店主はそう言うと、コップをもう1つ取り出して小鍋からピンク色の液体を注ぐ。コップを受け取ったエヌはスンスンと匂いを嗅ぎ、首を傾げながら液体を一気に飲み干した。


「い、色水ですか……?」


飲んだ直後は無味無臭で薬らしからぬ色合いの液体に対して再び首を傾げたエヌであったが


「なっ!?」


次の瞬間には絶句しながら空になったコップを目の前に掲げて眺めまわしている。どうやらモニと同じくらいに今日は体力を消耗していた彼女にも薬効が感じられたのだろう。モニ同様に大きく目を見開いて


「こっ、これ……いつも作っている薬よりも……」


と、絶句してしまっている。


「味付けや口当たりの為に犠牲にしていた部分も妥協しない薬効を与えているからな」


「あ……なるほど。確かに誰にでも飲みやすくする為に使用を抑えている材料がありますものね……」


ノンは自分ですら気付かなかったこの「ピンクの薬」の驚くべき薬効に対して、主からの指摘を受けて頷いた。


「あっ!私もっ!私も飲みたいですっ!」


集中力を要する瓶詰め作業を終えたパテルも、道具の片付けを後回しにして棚からコップを取り出して店主に突き付け、「早く注げ」と言わんばかりの顔で店主を急かす。双子もパテルに習ってコップを取り出して店主を取り囲む。


「わかった!わかった!そんなにグイグイ来るな。ちゃんと並べ!」


コップを掲げている3人に押されながら店主が叱ると、ノンは可笑しくなって吹き出した。まるで親鳥から餌を求める雛のようだ。


 店主は苦笑しながら3人のコップにそれぞれ小鍋からピンク色の液体を注ぐ。コップに液体を満たされた3人は同じような動作でコップの中の液体の匂いを嗅ぎ三者三様にそれを飲み始めた。パテルとチラは思い切って一息にグイっとコップを傾ける横で、慎重な性格のアトはチビチビと口に入れている。


「ん……?」

「あれっ?」


先に薬を飲み干したパテルとチラが一斉に声を上げる。どうやら薬効を感じているようだ。遅れて飲み切ったアトも口をポッカリ開けている。やはり何かに驚いているようだ。


「これは、ノンせんせいが?」


ノンを見上げながらチラが尋ねると、作った当人も困惑の表情で


「え、ええ……そうね」


と答える。自分が専門としている薬学の分野でこのような「水だけから作った」回復薬が、何の疑いも無く人々に受け入れられて評価されている事に戸惑いを隠せない様子だ。


「とりあえず効能はちゃんと出ているな。この小鍋程度の量ならば最初のコップで作ったのと比べて遜色無い出来のようだ。ならば次はあの大鍋でやってみるか」


 店主は先程ノンが命じてパテルに用意させていた水が並々と張られた大人1人でも抱えられるかどうか判らないくらい大きな大鍋を指差した。鍋の中には1リットルの「大柄杓」で30杯分……つまり30リットルの水が入っている事になる。


通常の製薬手順では、この鍋の中で刻んだ各種薬材を煮詰めたり更に2回に渡って別の薬材群を投入しながら加熱・攪拌・濾過まで行い、20リットル程度の原薬を仕上げて瓶詰にしている。この鍋1つで最終的には瓶100本程度の回復薬が作れる計算だ。


なので、鍋の8分目まで張られた水をそのまま一気にノンが魔導で薬品に錬成した場合、薬瓶換算で120本分の「ピンク色の液体」が出来上がる事になる。


「ノン、量も多くなるからお前の『領域』の中でやった方がいい。そうすればあの量でも効果を薄めずに出来そうだ」


「そ、そうでしょうか……」


いつもは何気無く見ている大鍋に張られた水を前にして困惑するノンの隣で


「おい、お前ら。予め言っておくぞ」


 製薬作業の後片付けを終えて、何が始まるのか興味津々にしている三人娘と双子に対して店主が言い渡すように

 

「お前らがさっき試した薬は『ノン先生にしか作れない薬』だ。もうこれは何年、何十年修行したとか……そういう話じゃ無いんだ。この世界で唯一人……ノン先生にしか作れない。何しろ、俺でも作れない……あの色はな……」


最後は少し笑いを堪えるような店主の説明にノンも苦笑しているが、三人娘も驚いて


「て、店主様でもダメなんですか!?」

「先生だけ!?」

「何故でありますかっ!?」


口々に、それでも授業の時の癖なのか手を挙げながら質問して来る。


「説明すると話が長くなる。そしてこればかりはお前らに説明しても理解出来ないだろう。とにかくあれだ。『ノン先生にしか作れない』とだけ覚えておけ。作り方を追及しようとするな。時間の無駄だ……。よし、ノン。領域を展開しろ」


これ以上の説明が面倒臭くなったのか、店主は三人娘の質疑に対する応答を打ち切ってノンに作業の開始を命じた。時間もそろそろ16時に差し掛かろうとしている。自分はこの後、「サクロ駅」の構内予定地に穴を堀りに行かなければならないし、三交代で線路敷設を行っている作業員にこの薬を早く飲ませてやりたい。


「は、はい……」


ノンはその場に領域を展開した。藍玉堂の作業場が薄いピンク色の光に満たされた空間に変わる。既にこの光景を1度見た事がある三人娘だが、改めて日常では味わえない不思議な空間に興奮気味となる。一方で、双子はこれまで何度もこの光景を目にしているので左程驚いた様子は見えない。


「よし。いいか……?先生の邪魔をするなよ。静かに見ていろ。お前らがさっき聞いてきた質問の答えが今から見られるはずだ。ノン。落ち着いてやれ。時間を掛けてもいいから……効果を落とさず……この鍋一杯の水をだ……」


 店主の不思議な語り掛けとも言える声を聞きながら師が目を閉じて集中する様を三人娘は興奮を抑えながら固唾を飲んで見守る。ノンは流石に先程の小鍋の時と同じようにはいかないようだ。恐らくは「大鍋の水全体を一気に薬品化する」というイメージに収める事へ苦労しているのだろう。


それでも集中を始めてから30秒程だろうか。鍋を覗き込んでいた三人娘が一斉に驚愕の声を上げたのでノンは目を開けた。やはり今回はイメージ投影に「何かしらの力」を使う必要があったのか、額に汗が滲み出ている。


「ふむ……色は変わったな……ただ少し薄いか……?」


「あの……。やはり難しいと思いました。これだけの量のお水全体に薬の効果を反映……とでも言えばいいのでしょうか。均等に薬効を行き渡らせるという想像がどうしても……」


「なるほど。つまりあれか?『慣れれば何とかなる』という事なのかな?」


そう言う店主はつい先程、パテルが洗い終わった本日の製薬に使用していた同じ大きさの鍋を作業机の上に置いて右手を振った。すると空っぽだった鍋に水が満たされて、三人娘は仰天した。


「ちょっと俺もやってみる」


そう言うと、店主はノンのように目を瞑って集中するというような素振りも見せずに鍋の上で再び右手を振った。すると鍋の中の水は「青い液体」に変わった。これを見て三人娘だけでは無く……双子やノンまで驚きの声を上げる。


「これが俺の作る薬だ。やはりまぁ……色は出るな」


「青色の薬品」も珍しくはあるが、全く出回っていないわけでは無い。特に解毒系の薬品は「青い色を付ける」という製薬業界の「慣習」のようなものがあり、「青は無害」というような社会イメージを一般的に持っている。


逆に「ピンク色の薬品」は殆ど市中には出回っておらず……魔法ギルドで把握している錬金術由来の「高貴薬」の中にも見られないものである。

先程試飲をしたモニやエヌが本能的に飲用を躊躇したのは、そう言った事情もあったからだろう。なまじっか、製薬を学んでいるだけに「ピンク色の液体」は彼女達にとって「製薬の常識の外」に存在しているものなのである。


「俺はお前と違って、『イメージを基にした投影』を行っているわけでは無いので操る魔素の許容内であれば、恐らくは効能を均一に保てるはずだ。そう考えると、お前のその『イメージ投影で付与を行う』というやり方にも短所が存在するようだな」


「まぁ、いい。お前はこれから暫くの間……付与の練習も兼ねてこの大鍋で5杯分程度の薬を作れ。『あっち』の線路敷設が突貫作業に入ったからな。作業員の皆さんに疲れを取って貰うために配給しようと思っている」


「なるほど。承知しました」


 ノンの返事を待たずに店主は右手を振って作業机に、更に大鍋を3つ取り出した。


「コップも必要だな」


更に手を振って50個程のコップを取り出して


「よし。お前達も配給を手伝え」


と、三人娘に命じた。


「わっかりましたぁ!」

「はいっ!」

「お任せあれっ!」


彼女達も承諾したところで、ノンに命じて更に大鍋に薬を作らせた。先程の物と比べ、今度は色が多少濃いものが出来上がる。やはり慣れの問題なのか。回数を重ねる事で「イメージ投影」に補正が掛けられるようだ。


 最終的に都合大鍋で5杯。ピンク色の薬品が4杯と店主が試作した青色の薬品が1杯用意され、彼女らは二手に分かれて……それをサクロ側から敷設を伸ばしている現場事務所……2つある途中駅のサクロ側に設置される予定の駅舎建設予定地に建てられた作業員詰所に大鍋2つ、鉱山側から同様に伸ばされている隣の駅舎建設予定地の詰所に大鍋3つを持ち込み、既に作業を終わらせて夕飯の配給に訪れていた作業員達に回復薬を振舞った。


「何だこの色の付いた水は……?」


サクロ時間で21時過ぎ。今日の作業が終わって夜間作業の者達と交代し、詰所に戻って夕飯を支給される配膳台の最後尾に大鍋を置いて立っている妹の姿を見付けて、ロムの長男であるデドは鍋を覗き込みながらエヌに尋ねた。


「あっ、兄貴!お疲れさんっ!」


ここに来る前に「ピンクの回復薬」を試飲していたエヌは元気一杯に兄に労いの言葉を掛けながら


「お酒飲まないなら、この『お薬』をあげるよっ!」


と、飲酒の習慣が無い事を知っている兄に……大鍋からお玉を使ってコップに「ピンク色の液体」を注いで差し出した。


「何だこれは……?」


「先生が作った薬だよ。疲れが吹っ飛ぶよっ!でも、お酒を飲む人には効くか判らないから飲ませてはいけないって言われた」


「先生って……ノン様が!?」


「ノンが作った」というエヌの言葉を聞いて、他の作業員達も色めき立った。「藍玉堂の女店長ノン」の知名度は、ここトーンズ国でも極めて高い。ノンの美貌に憧れている若者も多いので、普段は晩酌を行う者もこの夜は酒を飲むのを控えてコップに入った「ピンク色の液体」を受け取った。


「あ、ご飯を食べた後に飲んでね」


 エヌは店主から言われた注意事項を慌てて付け加えた。この回復薬は食前に飲んでも特に問題は無いのだが、やはり食物が胃に入り活発に動いている後に服用した方が吸収効果が高くなる……と三人娘に店主は説明していた。


30分程経つと、用意していた大鍋2杯分の薬は無くなってしまいそれを配っていたエヌは


「どうしよう……もう無くなっちゃった……」


と困惑の表情を浮かべた。今この場には薬を配布している自分と、裏で手伝いとしてコップを洗っている双子しか居ない。パテルとモニは鉱山側の詰所を担当しているのだ。


エヌが薬が無くなって狼狽えていると、双子がコップを洗っているはずの調理場の入口から、穴を掘り終えて様子を見に来た店主が現れた。


「あっ!店主様っ!お薬が無くなりまして……」


「ん……?お前、全員に配ったのか?酒を飲む奴には与えてはいかんと言っただろう?」


「え……いや、あの……ノン先生が作った薬だって言ったら、みんなお酒を飲まずにこっちを飲むって……」


 この詰所には午後から敷設工事に参加していた作業員が300人以上来ており、一般の作業員の他にも軍から派遣されて来た工兵達もここで夕飯を支給されていた。普段は結構な割合の者達がビールの支給も受け取っていると聞いていたので大鍋2杯……200人分強もあれば足りるとルゥテウスは算段していたのだ。


奥から突然現れた藍玉堂の店主の姿を見て、周辺の作業員は一斉にそちらに注目した。前述した工兵は一斉に敬礼をしている。


「あぁ、俺の事は気にするな。この薬が飲みたい奴はまだ居るのか?」


苦笑する店主が見回すと、あちこちから「欲しいですっ!」とか「頂けますでしょうかっ!」などと言う声と共に並んでいる者達が一斉に手を挙げる。


「言っておくが……酒とは一緒に飲めんぞ。アルコールの吸収が促進されちまうからな。ぶっ倒れて、最悪……意識不明になるぞ」


店主が脅かすように言うと、作業員達はザワついたが


「こ、今夜は飲みません!」

「薬だけを頂きます」


それでも薬の配給を希望するので


「分かった。ちょっと待ってろ」


と店主は空の大鍋を持って再び奥に引っ込んでしまった。


「て、店主様が……いらっしゃるとは……」


 デド達、若い作業員や工兵にとって「藍玉堂の店主」は滅多に姿を見る事は無いが、この国の「偉い人達」ですら丁重に接している「大物中の大物」だ。特にデド個人にとっては父が平素から「命の恩人だ」と崇めている人物でもある。


嘗ては「藍玉堂に不思議な少年店主が居る」という噂だけが広まり、ラロカ市長やロダル将軍も「あの御方は少々特殊な方なのだ」と説明するだけで、その正体は一切謎のままだったが……。


 暫くすると、再び奥から店主が大鍋を持って出てきた。軽々と持つその大鍋の中には「青い液体」が満たされている。見た目で優に30キロ以上はありそうな大鍋を店主はその細い体で特に気にする事も無さそうにエヌの前に置かれた配膳台の上へ静かに置いて


「よし。色は()()()()変わっちまったが、効果は同じ物だ。遠慮せずに飲め」


と言って、エヌに再びコップに注いで配るように指示した。丁度そのタイミングで奥から洗い終わったコップの載った盆をアトが持って来る。


 結局、この日の晩から鉄道敷設の現場詰所では飲酒する者が殆ど居なくなり、その代わりに毎日の食後に無味無臭の「色水のような」薬を飲んだ者達はすっかり疲れを吹き飛ばして、翌日の作業に臨むようになった。

このような経緯もあって鉄道敷設は急速に進み、12月29日……僅か5日後には下り線だけであったが、残り19キロの区間を敷き終わったのである。


ルゥテウスはその間にもサクロ中央駅側と鉱山側の駅端に転車台の為の穴を掘り、更にサクロ側のレールに人知れず機関車の台車と機関部を組み立てて据え付けた。


サクロ中央駅舎付近は既に三交代の作業対象では無かったので、事情を知らない人々は朝になって突然……駅舎前のレールに機関車が出現したので仰天したが、そんな声を気にする事無くキッタは機関車の試運転を始める為に蒸気機関の起動作業に入った。


「転車台に関しては現在部品を製造中です。『新工場』の者達が取り組んでますので年明け……1月の2旬目くらいには仕上がるかと」


 鉱山側の製鉄所の中に臨時に作られた部品工場には、「新国民」が暮らすソン村から主に集められたキッタが指導する「技術者見習い」の者達が、彼の描いた図面を基にキャンプ時代からの鍛冶職人の指導を受けながら転車台の部品を製造していた。


この職人達はキャンプの街灯や不銹鋼(ステンレス)製の地下水汲み上げポンプを作った経験もある者達で、サクロの西側に作られた工業地域から出張で指導に訪れている。


「そうか。では転車台が設置されるまでは前後進での走行試験になるな」


「はい。後進に関しては視界の問題で速度はそれ程出せませんが……それでも『地締め』には使えるでしょう」


「そうだな。後は残っている上り側の線路資材と駅舎工事の残存資材を運ぶ貨車を一両繋いでみるか」


「そうですね。牽引試験も同時に行えますから一石二鳥でしょう」


こうしていよいよ……トーンズの地に鉄道……機関車が走る日が訪れるのである。

【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ


ルゥテウス・ランド

主人公。15歳。《黒き賢者の血脈》を完全発現させた賢者。

戦時難民の国「トーンズ」の発展に力を尽くすことになる。

難民幹部からは《店主》と呼ばれ、シニョルには《青の子》とも呼ばれる。


ノン

25歳。キャンプに残った《藍玉堂》の女主人を務め、主人公の偽装上の姉となる美貌の女性。

主人公から薬学を学び、現在では自分の弟子にその技術を教える。

肉眼で魔素が目視できる事が判明した為、「錬金導師」として修行を始める。


ラロカ

62歳。エスター大陸から暗殺術を持ち帰った元凄腕の暗殺者で《親方》と呼ばれる。

新国家建国後、首都サクロの市長となり変わらずイモールを補佐する。

羊を飼うのが巧いという特技を持ち、時折主人公に妙案を進言して驚愕させる。


キッタ

42歳。アイサの息子で三兄妹の長兄。

難民関係者の中で随一の事務処理能力を持つが、同時に工学的素養も持ち合わせており、藍玉堂の製薬工場で工場長を務める。

サクロの先住五人娘の一人、サビオネと結婚して子供を二人儲ける。


チラ

9歳。《赤の民》の子でアトとは一卵性双生児で彼女が姉とされる。

不思議な力を感じた最長老の相談を受けた後、サクロに連れて来られて魔術の素養を見い出されたので、弟と共に《藍玉堂》で修行を始める事となる。高い場所から景色を眺めるのを好む。


アト

9歳。《赤の民》の子でチラとは一卵性双生児。彼は弟として育つ。

姉同様に術師の素養を持ち、主人公から錬金術の素養を見い出されたので姉と共にキャンプに通って来るサナの下で修行を始める。姉よりも慎重な性格だが高い場所が苦手。


パテル

14歳。ノンの下で薬学について学ぶ少女。同じくノンの弟子となったエヌ、モニよりも一年早く弟子入りした、言わば一番弟子のような存在。

しかし精神年齢は他の二人と変わらず、三人集まるとやかましい。


エヌ

13歳。ノンの下で薬学について学ぶ少女。パテルが弟子入りした次の年にモニと共にノンの弟子入りをした。ノンの事を両親よりも尊敬しているが、やはり他の二人と一緒になるとやかましい。


モニ

13歳。ノンの下で薬学について学ぶ少女。エヌと同じ年にノンに弟子入りした。

サクロにある藍玉堂本店への遣いを命じられる事が多く、そこを訪れる患者に影響されてしまい、珍妙な言葉遣いを覚える。


ロム

41歳。ラロカが率いる建築部隊で指揮を執っている大工。エヌやバドの父。主人公に命を救われた事があり、それ以来彼を生き神のように崇める。


バド

19歳。ロムの長男でエヌの兄。トーンズ国軍に入って工兵に所属している。

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