決意
【作中の表記につきまして】
アラビア数字と漢数字の表記揺れについて……今後は可能な限りアラビア数字による表記を優先します。但し四字熟語等に含まれる漢数字表記についてはその限りではありません。
士官学校のパートでは、主人公の表記を変名「マルクス・ヘンリッシュ」で統一します。
物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。
・距離や長さの表現はメートル法
・重量はキログラム(メートル)法
また、時間の長さも現実世界のものとしております。
・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日
但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。
・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年
・4年に1回、閏年として12月31日を導入
作中世界で出回っている貨幣は三種類で
・主要通貨は銀貨
・補助貨幣として金貨と銅貨が存在
・銅貨1000枚=銀貨10枚=金貨1枚
平均的な物価の指標としては
・一般的な労働者階級の日収が銀貨2枚程度。年収換算で金貨60枚前後。
・平均的な外食での一人前の価格が銅貨20枚。屋台の売り物が銅貨10枚前後。
以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくお願いします。
今年最後の戦技授業……槍技授業において、マルクスが入っている班にはその後も3回順番が回って来て、彼はその後いずれも「囲む側」となり、正面、右後方、左後方と、全てのポジションをローテンションし、その都度「囲まれる側」の班員をあっさりと転ばせた。
彼の「仕掛け」はあくまでも「転ばせて無力化」が基本で、模造槍とは言え……直接加撃を狙うと何らかの「事故」で大怪我をする者が出てしまう可能性があったので、終始そのような「手を抜きまくった」動作にならざるを得なかった。
「よし……では最後に思い切って槍術経験者……それと棒術経験者も含めた者達で『囲み役』をやってもらおうか……。すまんがヘンリッシュ、もう一度『囲まれる役』をやってくれないか?」
「はい……教官殿のご命令であればお引き受け致しますが……」
マルクスは苦笑しながら再び台上に上がる。
「よし。棒術をやっていた者で得物を換えたい者は交換してこい!ヘンリッシュも使いやすい得物を使っていいぞっ!」
1年1組には槍術経験者が2人、棒術経験者が1人だけ居た。一応はこれで「囲む側」は3人になるが、ショーツ教官は意を決したように口を開いた。
「では、私も包囲に参加しよう。この際……君のその『凄まじい技』を後学の為に……受けておきたい」
槍技教官の思い切った宣言に生徒達は驚いた。彼等教官はその「腕前」を評価され……戦技教官として、この「エリートコース」と呼ばれる王立士官学校へと赴任して来ているはずだ。故に彼らにとっても「1人の武術家」としてのプライドがありそうなものである。本日の授業の担当では無い「若き達人」エル・ホルプ教官などはその典型だろう。
それだけに、これ程の「腕前」を見せ付けられた後にそれに対して挑戦を表明したショーツ教官に対して、生徒一同は尊敬の念を抱いた。「武術家としてのプライド」よりも「その向上心」が上回ったのであろうか。
彼らの担任も勤める、剣技担当のドライト・ヨーグ教官や補助戦技……格闘と短剣術を担当するソリス・ヤード教官も同様の精神の持ち主である。彼らも本日のショーツ教官同様に自らが担当する授業の内容を一早く「本来の戦技授業」に近付けようと努力し、その授業の中では自らもマルクスに手合わせを願って毎度転がされている。
彼等にとって「武術家のプライド」だけでは、この先……マーズ主任教官が提唱する「戦技教育改革」が実現した場合に、「それを知らない」自分達が教官職から排除されてしまうので無いか……という不安や焦りもあるのだろう。
今回はマルクス1人をショーツ教官も含めた4人で包囲する形となるので、正面にはショーツ教官、マルクスの右側をジュシュ・ロネールという槍術経験4年の生徒、左側を棒術経験6年のロハン・ハルベル、そして後方をセイン・マグビットが担当する事になった。
「教官殿。このようにただ包囲するだけでは……これまでと同じような結果になるだけです。包囲する側の方々は事前にお互いの動きをしっかりと把握し、役割を決めるなどの作戦を立ててから臨む事をお奨めします」
「なっ……そうか。なるほどな。4人がそれぞれ好き勝手に得物を振るっても最悪……同士討ちが発生してしまうというわけか」
「左様です。それと、この授業……と言うよりもこの訓練の目的として、『囲まれる私』はあくまでも『死なないように立ち回る』事が挙げられます。私はある意味……自分の身を守りながら、最終的には周囲の味方や部下に包囲側を排除してもらう……これを目指せばいいわけです」
「ふむ……なるほどな」
「逆に包囲する側……教官側の皆さんは最終的に『私を討ち取る』事が目的となりますが、そこに到達するまでの『過程』が重要となります。闇雲に囲んで掛かって来るだけでは、『死なない』事に徹して動く私を破る事はそう簡単では無いでしょう」
「そうだな。極端な話として、お前はひたすら守っていればいいだけだからな」
「左様です。教官殿はお解りになっていらっしゃる」
マルクスはこの授業で初めて笑顔を見せた。
「そのようにお考え頂ければ、自ずと『4人の役割』も決まって来るでしょう」
「よし。分かった。ちょっと時間をくれ。おい!お前達っ!ちょっとこっちに集合だっ!」
ショーツ教官は苦笑しながら「包囲担当」の生徒3人を呼び寄せて剣技台の南東隅に集まって何やら相談し始めた。包囲側の役割分担と作戦を考える事によって、漸くこの「授業」が有機的に動き始めたようだ。
この様子を観ていた観覧席の一同も感心しきりで
「なるほど……これが『連携』というやつですな……」
ロウ大佐が感想を漏らすと
「うむ。これは戦術の良し悪しで技量の差を埋められる可能性が出て来るな」
軍務卿も……すっかり「観戦者」の気分になっている。
「これは……分校の戦闘訓練に近い形になってきましたな」
学校長が呟くと
「ほぅ……チュークスの分校ではこのような『やり方』を?」
軍務卿が振り向いて興味深々に学校長へと尋ねる。
「左様ですな。但し分校の場合はこのやり方を港に係留されている訓練用の船上で行うわけですが……。なのでこの剣技台のような広い場所では行いませんし、生徒達の得物もあのような『長物』ではありませんがな」
「係留……揺れる船上で?」
「はい。最近はどうだか判らないですが、私が学生の頃は訓練船の甲板で段差を使った高所からの斬り付けやマストなどの艤装を盾にしたり……色々とやらされました。但し……今のように1人を数人で囲む……という事は無く……それ以前に『1人で囲まれるな』という教わり方を徹底的に受けます。なので最低でも仲間と背中合わせになって戦う事が多いですな」
校長は当時を思い出しながら笑い出した。
「なるほど……海軍科の三回生は分校で『全く違う訓練』をやっているとは、私も聞いておりましたが……そうですか」
2人が感心しながら、お互いの学生時代の体験談で思い出話を咲かせているうちに、「囲む側」の作戦会議は終了したらしく、元の配置に戻った。どうやらマルクスを中心に前後左右の配置で包囲するのは変えないらしい。
マルクスは得物を換える事無く、模造槍をやはり床面に突き立てながら特に構え型も見せずに佇んでいる。尤も……得物を換えなかったのはただひたすら「面倒臭い」だけだったのだが……。
「よしっ!始める。級長っ!開始の合図をしてくれっ!」
リイナに向かってそのような指示を出し、ショーツ教官は槍を構えた。他の生徒もそれに倣う。マルクスだけが……いつものように佇んでいた。
開始の合図担当を突然命じられたリイナは驚きつつも……緊張した面持ちで
「ではっ……!始めっ!」
いつもの鋭い発声で「本日最後」の……そして「本年最後」の訓練が始まった。
「いくぞっ!」
ショーツ教官は先制とばかりに単突きを繰り出して来た。狙って来たのはマルクスの左太腿近辺……所謂「下段突き」だ。そして……それと呼応するかのように少し遅れたタイミングでマルクスの左側の位置を担当していたロハンも左肩目掛けて棒による突きを送って来た。
どうやらマルクスの左側に刺突の壁を作って進路を塞ぎ、そちらの防御へ得物を使わせた上で右方向からの攻撃による勝負に出たようだ。教官の次に手練れであるだろうセインも後方からの牽制だけに置いていると思われる。
つまり前後左でマルクスの意識を釘付けにしながら、右に配置した最も槍術経験の浅いジュシュによって「一突き」を見舞う作戦のようだ。
(ふむ……なかなかやるではないか。俺の正面のショーツ教官は俺を他の方向に向かせない事に専念している。後方も同様に攻撃では無く「退路を塞ぐ」事だけを考えているようだな……。よし。せっかく戦術を捻り出して来たんだ。少し付き合ってやるか)
「賢者の武」を以ってすれば、この程度の包囲網はいとも簡単に崩せるだろうが、マルクスは敢えて強引な真似をせずに前後左側の攻撃を全て持っている槍で受け切った。その事だけでも観覧席の軍務卿を仰天させるには十分なのだが、そこから更に右側にも間断無く突きを送る。ジュシュは時折鋭く飛んでくるマルクスの槍先を回避するのが精一杯で思うように攻撃へ参加出来ない。
4対1の模擬戦闘は白熱し始め……牽制役の3人がマルクスを攻め続け、それをマルクスが悉く受け切っている。そして時折攻撃役のジュシュに対して逆に牽制の一撃を送るという光景が続いた。
今や剣技台を囲む生徒達だけで無く、観覧席に居る大人達もこの攻防を固唾を飲んで見守っており……1秒が1分にも2分にも感じるようになっている。
これは偏に……これまでのマルクスの戦技実習や考査試験で見られる立ち回りがほぼ一瞬のうちに勝敗を決するような状況だったのが、ここに来て漸く「攻防」が見られるような成り行きになっている為で……それでもマルクスは暴風の如き包囲網の猛撃を全て涼しい顔で受け流している。それに比べて必死の形相で攻撃を繰り返している包囲側の4人とは対照的な印象を観る者に与えていた。
これまでの彼が見せてきた「瞬決を求める攻防一体の動き」とは違った常識を超える防御技術に武術の経験が多少なりともある者達は驚愕せざるを得なかった。
攻防が始まって3分程経過しただろうか。それでも決着はやはり「一瞬」であった。マルクスは故意にジュシュに対して隙を作ってみせ、彼がまんまとそこに突き込んで来る直前に反対側のロハンの棒に対して強めの打ち返しを見舞った。棒を跳ね上げられた彼が怯んだタイミングでジュシュが突き入れて来た槍先を絡めるように石突側を螺旋の如く送り……先程と同じく「しごき突き」によって得物の握りが甘くなっていたその模造槍を、何と巻き取り上げてしまったのだ。
「なっ!?」
得物を「奪われて」驚くジュシュを余所に……自分の得物ごと、その巻き取り上げた槍先を薙ぎ払うように右方のセインに叩き付ける。予想外の方向からジュシュの槍が飛んできたセインは仰天し、かなり無理な体勢でそれを回避しかけたところにマルクスの足払いが決まって転倒してしまった。
驚くべき事に、マルクスは体勢を崩して転倒しかけるセインに対して更に石突を螺旋を描くように送り込んで彼の得物をも巻き上げ、先程強めに打ち込んで得物の棒が跳ね上がってしまっているロハンに叩き付けた。
「うわぁっ!」
ロハンが堪らずに体を捩るように倒れ込む瞬間、跳ね上げていた棒に対してマルクスの薙ぎ払った槍が再度ぶつかり、その棒はロハンの手を離れ……ショーツ教官の右側頭部を襲った。
「うおっ!」
ショーツ教官はそれでも辛うじて引手側に余っていた槍の石突側の柄でそれを防いだが、そのせいで左脇が空いてしまった為に、そこへ急反転したマルクスの右回し蹴りが凄まじい勢いで迫った。
(いかんっ……!これは躱せんっ!)
思わずショーツ教官が動きを止めて左脇の辺りに力を入れてその蹴撃を受けようとしたが、マルクスはその蹴り足を寸前で引き戻して、再度の急反転でショーツ教官が意識を離してしまった自ら持つ得物を叩き落した。
凄まじい旋風の「一往復半」によって包囲側全員の得物が一気に手を離れてしまい、2人が転倒していた。マルクスの槍先はショーツ教官の眉間の辺りに突き付けられ、ただジュシュだけが呆然と立ち尽くしている。
4人に包囲されたマルクスの「対応」は4人を2人2組に分割し、まずは「技量の甘い」ロハン-ジュシュのラインを封じた上で、残り一組のうちセイン-ショーツの順で処理した恰好だ。包囲側の4人が繰り出して来た「戦術」に対して彼なりの「戦術」を以って対応した結果と言える。
「そっ……そこまで……!」
ショーツ教官が両手を上げて攻防の終了を告げた。ジュシュはその場にヘタり込んでしまい、他の3人……教官も含めて息が完全に上がっている。
ただ1人……首席生徒だけが得物を持ったまま座り込んでいる4人の輪から外れて剣技台の中央に戻り、お馴染みの姿勢で佇んでいる。その様子には全く疲労も見受けられず……息すら上がっていなかった。
「このような言い様は僭越ではございますが……只今の連携は良い戦術だと思いました。包囲側は相手に逃走を許さず牽制を続け、攻撃は同士討ちを避けて1人だけが行う。手堅く効果的なやり方であると感じました」
息を乱す事も無く、冷静にショーツ教官の立てた「即席の戦術」に対して高評価を下す「いつも通りの」首席生徒の声で周囲の「観客」も緊張が一気に解けて、あちこちから大きな溜息が聞こえて来た。
「そっ……そうか……?私の作戦も悪く無かったと?」
「はい。そしてこれが私の知っている『本来の戦技授業』です。囲む側も囲まれる側も『戦場で生き抜く為』に知恵を尽くして考える。ただ闇雲に1対1で得物を使って殴り合うような状況は、戦場の乱戦ではなかなか発生しません。相手も人間なのです。生き抜く為に『あらゆるやり方』でこちらに抵抗するでしょう。そのような『必死の者達』に道場武術が通用するかは……」
苦笑するマルクスに対して、ショーツ教官は感動したのか……迂闊にも涙を浮かべて
「ありがとう……私がもし士官学校の教官という立場で無ければ君に弟子入りしていたかもしれない……」
感激のあまり涙を流す教官を見て生徒一同は驚いたが、やがてあちこちから
「俺も……こんな凄い授業をもっと受けたい……!」
「うん。凄いよ!俺もあのような戦技を習いたい!」
という声が上がり始めた。
あの剣術に長けたアマリエル・ロイドも
「こ、こんな……こんな『武術』があったなんて……凄い……」
と……素直に感動して言葉を詰まらせているようだ。
この様子はもちろん……観覧席の大人達にも伝わっており
「素晴らしい……これが……これが大昔に行われていた戦技授業ですか……」
ロウ大佐も相当に感情を揺さぶられたようで、涙声になっている。アラム法務官も自身が目にした光景について未だに信じられないと言ったように言葉を失ったままだ。
「むぅ……素晴らしい……あの若者……このような素晴らしい……これが『本物の白兵戦技授業』か……」
軍務卿は自嘲するかのように
「これは……これでは……私が取り組んできた槍の技など……なるほどな……『貴族の決闘ごっこ』か……」
それでいて素直な感動を覚えながら振り向いて
「校長殿……素晴らしい……素晴らしい若者ですな……あのような若者が居るのならば……我が軍の未来も……」
その気持ちを伝えたが、それを聞いた学校長は無念の表情で首を左右に振りながら
「閣下……このような事を申し上げるのは誠に残念なのですが……あの若者は……あれだけの力を持ちながら……軍への任官を望んではいないのですよ……」
元々この事実を知っていたとは言え……今日の午前中にはあの若者が前回に引き続いて考査で満点を叩き出した報告を受け……今またこのような圧倒的な『才能』を見せ付けられて、改めて「軍人になるつもりは無い」と表明しているあの若者の事を思い……無念さを表情に滲ませた。
軍務卿は……学校長の言葉の意味が分からなかったが、その内容を咀嚼して理解すると驚愕の表情となり……驚きの余り
「なっ……何ですと!?」
声を高め改めて剣技台の方を見やった。しかし余りにも我を忘れて大きな声を出してしまった為に、剣技台側の生徒達やショーツ教官の注目を集めてしまった。
剣技台の一同は、北側の観覧席に学校長が居る事に今更ながらに気付き……慌てて挙手礼をした。前回の観覧時に「敬礼は不要」と言われていたが、実際に気付いた上で何もしないのは無礼であると皆思ってしまっていたのか、そのような経緯も忘れて皆一斉に直立して敬礼をする。ただ1人を除いて……。
その「1人」は前回同様に観覧席に目も呉れる事無くその場に佇んでいる。その様子を見て学校長は右手を上げながら立ち上がり
「では私は先に失礼致します。彼等の手前……目立つご挨拶も出来ないご無礼をお許しあれ。皆様も早々にお引上げになられる方が……授業終了後は校門付近が下校する生徒達で賑わいます故……そのお姿を不特定多数の前に晒されるのは宜しくないのでは?」
そう言い残して観覧席の出入口に向かって歩き始めた。
「閣下。エイチ提督の仰る通りです。我らもそろそろ引き上げましょう」
アラム法務官も「撤収」を具申したので
「そうだな……ふっ……。今日はここまで足を運んだ甲斐があったわ。諸君らの手配に感謝する。特にトカラ部長には世話になったな」
「い、いえ……そのように仰られるとは……恐れ入ります」
「元担任」から柔らかな口調で感謝の意を受けたトカラ少将は慌てて返礼を述べた。
「では提督の助言に従い……我らも引き上げよう」
そう言って軍務卿も立ち上がった。やはりその巨躯は立ち上がると目立つらしく、学校長の退場を見送っていた生徒達は正体は判らないまでも、その巨体を見てザワついていた。
(なるほど……あの若者……実に只者では無いな。軍務省にあのような要求を突き付ける度胸も納得出来る。こちらには一度も目を向けなんだわ……)
観覧席の出口から歩き出ながら軍務卿は苦笑した。「彼」との会談は実現しなかったが、その姿を見……そしてその「実力」と「主張の根拠」を目にする事は出来た。
しかしそれと同時に……
(私がこれまで打ち込んできた槍術……口惜しいが……「あれ」には比ぶべくも無い……)
軍務卿は、その巨体を縮めるように背中を丸めながら……随行員を引き連れて無言で士官学校を後にした。
****
「いや、今日は流石に儂も驚いた。マーズ君から話は聞いていたが……前回は見れなんだしな」
この日の夕刻。今年最後となる「改革派」の会合で学校長は興奮気味に午後の戦技授業を観覧した感想を語った。
「そうですか……。ショーツ教官は授業改革に理解を持っていると見込んでおりました故……シーガ君に頼んで特別に担当を替えてもらった甲斐がありました」
タレンは笑いながら応える。1年1組の午後の戦技授業を軍務卿が観覧すると聞き……「旧来の授業」に固執するきらいのあったホルプ教官と、逆に「本来の戦技授業」を再現しようと独自に取り組んでいるショーツ教官の担当を入れ替えるようにシーガ主任に指示し、二回生のアーバイン主任にも許可を得て本日午前中に二回生の授業担当を予定していたショーツ教官を午後の1年1組の担当に回ってもらったのである。
アーバイン主任は元々、参謀本部から士官学校に赴任してきた女性で、担当は戦術科である。戦技実習授業についてはあまり詳しく無い為に、タレンとシーガから依頼された槍技担当教官の交代については、その真意に気付く事無く応じた。
「目の前であれだけの光景を見せ付けられれば……軍務卿も認めざるを得ないだろう。ヘンリッシュ君の腕前を見て素直に感嘆していたようだ。
あれならばマーズ君が言っていた『この学校に在籍する全ての戦技教官を同時に相手にしても圧倒出来る』という評価も当然と言えるだろうな」
「少々差し出がましいとは思いましたが、本日は『本来の戦技授業』に理解をお持ちでいらっしゃるショーツ教官殿が担当されるとの事でしたので……具体的に『その内容』に近いものになるよう意識して立ち回ってみました」
「ショーツ君も……感激の余り最後は泣いているように見えたが……?」
「それは本当ですか……!?」
タレンは流石に驚く。彼もマルクスの戦技授業での立ち回りを何度か見学していたが、それは従来の「一瞬で片が付く」というような内容であったので、彼の技量が際立って見える事はあっても、それが直ちに「本来の戦技」に直結するかと言えば、それはそれで微妙であった。
「特に最後の包囲戦の攻防は素晴らしかった。あの囲んでいた者達……ショーツ君も含めて全員が武術経験者だろう?」
「まぁ……そのようですな」
「あの攻防は観る者を沸き立たせたが、私には君が全く本気を出していないようにも見えた。実際のところ……大袈裟では無く海軍で育った私にとっても君の伎倆は嘗て見た事も無い程に冴え渡っているように見えた」
この剛毅な前艦隊司令官の手放しの賛辞には流石にシーガ教官もフレッチャー元将軍ですら興味を掻き立てられた。シーガ教官も実際にマルクスの立ち回りを2度見ている。やはりその桁外れの戦闘能力は……実家の道場ですら見た事の無いレベルであった。
「まぁ……私の事はそれ程お気になさらずに……」
いつものように苦笑しながらマルクスは自分の事から話をはぐらかした。
「まぁ、今日は本来の白兵戦技授業がどういうものかを具体的にお見せしたわけですが……」
「うむ。おかしな話だが……今日初めて儂は自身が提唱に参加している『回帰すべき本来の白兵戦技授業』を実際……目にしたわけだな。くくく……」
学校長は遂に笑い出した。彼自身が言っているが、これは随分と「おかしな話」である。こうして「白兵戦技授業の改革」を唱えて同志が集まり始めて2ヵ月になるわけだが、これまで同志の中でも誰一人として「その目指す授業の姿」を目にしていなかったのだ。唯一人、この若者を除いて……。
しかし、実際に見た「その授業」の内容は衝撃的であった。学生時代の最後の1年弱という期間に分校での「実戦的な戦技授業」を受けた学校長に対しても圧倒的な「説得力」を以って知らしめたのである。そしてその場には軍務省の頂点に君臨するヨハン・シエルグ卿も同席していた。
「非公式」であったにせよ、その光景はあの巨漢の軍務卿の目にも入ったのだ。これ程効果的な「アピール」は無いだろう。
「あの……そう言えば、この事はご存じでしたでしょうか……。軍務卿閣下は若かりし頃に槍技教官のご経験がおありだったとか……」
ベルガがつい先日、上司から聞かされた軍務卿閣下の意外な経歴について話すと、一同は揃って驚愕の声を上げた。
「教官……とは、士官学校の教官ということかい!?」
タレンの問いに対して
「え、ええ……。私も正確な時期などは存じませんが、確かにシエルグ卿は士官学校の槍技教官の職をお若い頃に数年勤められていたそうです」
「で、では……軍務卿ご自身も槍技に対して一廉の見識はお持ちであると言うことかな?」
「そのように見て問題無いでしょう」
「うーむ……。その『遣い手』から見て……本日のヘンリッシュ君のあの立ち回りはどう映ったのだろうか」
「校長閣下の仰るようなものであれば、軍務卿閣下の御心にもそれなりに響かれたのではないでしょうか」
「そうであって欲しいものだがな……」
「しかし今日は、返す返す思った。我らが目指す『本来の戦技授業』は間違っていない。『古き良き時代』の戦技授業の姿を取り戻す事が出来れば……先日ヘンリッシュ君が我らに見せた『戦場で無駄に生命を散らせる若者』は確実に減る。あの資料にあったように……700年前だったか……?あの頃の数字に戻すことも夢では無いと思うぞ」
力強く断言する学校長に対して
「閣下。現代の我が国では北東地域における『反乱』は起こり得なくなっております。450年前の『領土放棄』の後、この国の陸地では実戦の機会は限定的になっているのです。本来であれば700年前の頃よりも数は減少しているはずなのです」
マルクスが無表情で説明する。
「おぉ……。君の言う通りだ。その一事を考えただけでも本省の教育官僚達の罪深さが知れると言うものだ……」
先程からの笑顔を引っ込めて、学校長の表情は険しくなった。
「いずれにせよ……今回の授業観覧を契機に、軍務卿閣下の『ご心境』が変わって頂けると我らにとってもやり易くなるのですが……」
タレンの言葉に一同は心から頷くのであった。
****
「まさか……あれ程の遣い手とは……」
「はい……私もあれ程の技量を持つ者を見たのは初めてでございます……あの腕前ならば……闘技大会を制するのも左程難しくないようには思えますが……」
軍務卿の口にした感想に対して、ロウ大佐が肯定する。ここは施設整備部内の応接室である。軍務卿一行は、王城防御施設点検の作業員と称して士官学校構内に赴いた後、1年1組の槍技授業を観覧した上で本省に戻り、そのまま作業着姿のままこの応接室に入ったのである。
ロウ大佐が口にした「闘技大会」というのは、3年に一度……王都市内で開催される「武芸の祭典」である。王都の南6層地区にある「大闘技場」と「小闘技場」を使って行われるこのイベントには、王都だけでなく……国内各都市、各地域で看板を掲げる武術各派の道場主、高弟や元軍人など……「腕に覚えのある」者達が集結する。
個人・団体による参加者は前回実施された3046年の大会で、延べ4000人に達しており12日間(2旬)の開催期間中、昼夜を問わず予選が実施され、最終的に個人・団体共に16組が本選に残る。個人・団体共に、準決勝2試合と決勝の計3試合を王城の中にある闘技場で行われ、この際には国王も臨席するのが通例となっている。
上位3戦は王城内で実施される為に、どうしても観戦者の数が限られてくる。毎回の準決勝・決勝の入場券は市中で一般向けに販売されるが、当然の如く抽選となり、当選者による転売も横行する為……特に決勝戦の観戦チケットは1枚で金貨50枚もの値段が付く場合もある。
ちなみに……「団体戦」というのは「複数人同士の一斉参加」では無く、5人対5人の「勝ち抜き戦方式」で実施されるチーム戦で、内容はあくまでも「1対1の戦い」である。全国各地の道場門派で「多対一」の戦いを想定した稽古を行っていないのでこれはある意味当然であるのと……大会創設期に複数人同士による「混戦方式」で実施した際に、当時はまだ殺伐としていた門派同士の対戦で……死者が多数出てしまった為に廃止とされた歴史があるのだ。
実はこの行事……「最後の黒い公爵さま」こと、71代レアン・ヴァルフェリウスが存命していた700年前の時代には開かれていなかった。
このような「武芸」の祭典が始まったのは大北東地域を放棄した後の時代である。領土放棄によって反乱が激減し、世の中が平和になってきたと国民が実感し始めた頃から、王国各地に武術を教える道場が開かれるようになり、それに伴って門派間で対立が起き始め……時には王都の市街地で抗争にまで発展する事さえあった。
新たな社会不安の登場に悩んだ第107代……「中興の祖」ことケイノクス王の孫に中る109代オクタヴィア女王の発案によって王国歴2624年に最初の大会が開かれ、女王の予想を遥かに上回る盛況を博した事から、開催を3年毎として恒例化しているのである。
マルクス……ルゥテウスからすれば、非常に馬鹿げたイベントなのだが……「本選出場」を果たすだけでも武術家として、そして道場の知名度も得られる為に各門派共に必死になって代表を送り込んで来る。
そしてこのイベントが開かれるようになったおかげで、門派間における「無駄な争い」が沈静化したのも一つの事実であった。
ロウ大佐は、「武術好き」であることが高じて……この闘技大会を毎回欠かさずに観覧している。平日においても大会期間中は勤務終了後に毎日大闘技場に足を運んでいたし、ここ4大会連続して決勝戦を王城内闘技場で観戦している。男爵家当主である彼には「貴族枠」で割り当てられる入場券の入手が比較的容易なのだ。
それだけ「目の肥えている」彼をしても、マルクス・ヘンリッシュの「腕前」は尚圧倒的だった。いや、それどころか……彼の見せた「戦技」はゼダス・ロウがこれまでの人生で見てきたあらゆる「武術」と呼ばれるものとは異質のものに感じたのだ。
「しかしそれでも……『彼』は任官を希望していないと……?」
「はい。それにつきましては、小官も先日の『ネル家事件』の際に耳にした事がございます」
アラム法務官が、エラ憲兵課長から聞いた話を改めて説明する。
「馬鹿な……あの強さだぞ……!軍人に成らずして何になると言うのだ……」
シエルグ卿の言い様は「軍人」という職を選択しない士官学校の首席生徒に向けられた一種の「不安」のようにも聞こえる。
「閣下。彼の若者は確かに任官を希望してはおりませんが……私は先日の事件で彼と接した上で、その性格、気質を多少なりとも分かり得たつもりです。彼は決して王国政府の権威を蔑ろにしているわけでは無く……むしろ王室を尊重し、軍当局に対しても誠実な対応を旨としている印象を強く感じます。
また、古今の歴史にも精通しておりまして……その観点から現在の王国とその将来を憂う心が今回のような行動を採る理由となっているのではないでしょうか」
「つまり彼は……ああ見えて『愛国者』であると……?」
「はい……彼が聞けば鼻で笑うかもしれませんが……彼は確かに愛国者であると、小官は拝察致します」
アラム法務官は先日、マルクスから背筋も凍る「恐怖」を伴った恫喝まがいの要求を受けた当人であるが、よくよく考え直してみると、彼の行動と主張には一貫して「現代において、おかしなものはおかしい」という「筋」が通っている。
確かに法理を逸脱したネル家の軍閥形成行為は「王政統治として」許し難いものであったし、今回の士官学校における戦技授業の変質によって政情不安を抱えていた過去の時代よりも「新士官の死傷数が増えている」という事実は決して看過してはならない事象なのだ。
そしてアラム法務官は、先日の事件でマルクス・ヘンリッシュという若者がネル姉弟を憲兵本部地下の留置施設で教え諭していた姿を未だに忘れられないでいる。あの姉弟を改心させた彼の言葉は、今でも「大人」である法務官の胸に深く刻まれているのだ。
あの15歳にして完成され……老成されているとも言える人格と実力は「軍務省の良心」と言われた彼の根幹を成す「高潔さ」に通ずるものがあると感じていたのである。
「惜しい……あのような傑物が……任官する事無く……」
軍務卿の呟きはまさにロデール・エイチ学校長のそれと全く同質のものであった。
「私は管轄の外に居る者でありますが……越権を承知で申し上げます。私はあの『本来の戦技授業』への回帰に断固賛成致します」
ロウ大佐が意を決したように彼なりの「決意」を宣言した。その顔には覚悟が見て取れる。
「私もロウ次長殿の意見に同意致します。私にとっても士官学校の教育指導は教育部の専権事項であり……法務官としては越権を本来肯んじてはいけないのでしょうが……それでも『私個人』はあの授業内容の実施を支持致します」
「そうだな……。私もあの授業を復活させる事に賛成だ。『あの数字』と『彼の業』をこの目で見てしまった以上……私はもう『軍人』には属していないが……それでも『元軍人』としてこの事実を受け止めねばならぬだろう」
軍務卿も力強く宣言するかのように、そしてそれに続いて再び呟く。
「願わくば……あの若者にはもっと以前に……そうだな……40年昔に出現して欲しかった……私がまだ……士官学校で教えていた頃に……」
「彼が……彼がもっと早くに……現れてくれていたら……私は……私達のヴェルは……死なずに済んだのでしょうか……」
これまで無言で皆のやり取りを聞いていたトカラ部長は俯きながら涙声で心情を吐露していた。
「少将閣下……」
ロウ大佐が声をかけようとして、上手く言葉が出せないでいる。軍人である前に「一人の母」である彼女は、一昨年に北部の匪賊討伐で次男を喪い、夫と長男との関係も崩壊してしまった。
「彼が……もっと早く……くぅぅ……」
「トカラ部長……済まんな……。私が、あの『教育族の怠慢』を……『私自らの怠慢』によって招いてしまったのが原因だ」
シエルグ卿は嘗ての教え子に対して頭を下げた。トカラ部長は涙に濡れた顔を上げて
「いえ……!閣下の責任ではございません。ヴェルは……あの子は……例え学校でしっかりとした授業を受けていたとしても……その運命には抗えなかったかもしれません……どうか、どうかご自分をお責めにならないで下さいまし」
「私には……私には、今の地位に就いてからの行動に責任がある。6年前……この地位に就いてから……戦場で無駄に死なせてしまった若者達の無念に対して……自らの身命を賭してでも……刺し違えても果たさねばならない責任がある……」
ヨハン・シエルグ卿の巨躯に闘志が漲り始め……同席していた者達……悲嘆していたトカラ部長をも瞠目させた。
「『奴ら』を……奴らにも必ずや責任を取らせる……!例えこの件が王宮に伝わろうとも……陛下のご叱責を賜る事があろうとも……奴らだけは許せぬ……私は……刺し違えてでも奴らを叩き潰す。そして……未来の新士官達に……あの『本来の戦技授業』を……もう……若者が何も知らぬ未熟なままに戦場で散って行くのを止めねばならん……」
静かに決意を述べた上で
「貴官らにも協力して欲しい。これは私の戦いである!私はこの職を賭して『奴ら』と戦う。私に……力を貸してくれい!」
今一度、この場に居る者達に頭を下げた。
アラム法務官が2人の同僚に代わって
「承知致しました。この場に居ない者達を含め、我ら7人の法務官は閣下のご決意に賛同し、ご助力させて頂きます」
彼は立ち上がると、他の2人もそれに続き一斉に深々と頭を下げた。
「ありがとう……よもや私が諸君らのような信頼出来る軍官僚の助力を得られるとはな……ありがとう……」
軍務卿は俯いて小さく震えた。アラム法務官には彼が泣いているように見え、実際……彼は涙を流していた。
この「戦い」はマルクスの恫喝混じりの要求を受けたアラム法務官から、何時の間にか軍務卿閣下当人のものに変わって行った。
【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ
ルゥテウス・ランド(マルクス・ヘンリッシュ)
主人公。15歳。黒き賢者の血脈を完全発現させた賢者。
戦時難民の国「トーンズ」の発展に力を尽くすことになる。
難民幹部からは《店主》と呼ばれ、シニョルには《青の子》とも呼ばれる。
王立士官学校入学に際し変名を使う。1年1組所属で一回生首席。
ヨハン・シエルグ
65歳。第377代軍務卿(軍務卿就任に伴って侯爵叙任)。元陸軍大将。元王都防衛軍司令官。
軍務省の頂点に居る人物であるが、軍務省を動かしている軍官僚達を嫌悪している。自らが与り知らぬところで起きる騒動に対して頭を痛めている。身長190センチを超える長身。
ジェック・アラム
51歳。軍務省(法務局)法務部次長。陸軍大佐。法務官。
軍務省に所属する勅任法務官の一人で、ネル姉弟の軍法会議の際には検察官を担当する予定であった。事件の和解後には粛清人事を実施する「執行委員会」の中心となる。
主人公から、ネル家騒動の和解約定違反を問われる。
ゼダス・ロウ
54歳。軍務省人事局人事部次長。陸軍大佐。法務官。
軍務省に所属する法務官のうちの一人で、ネル姉弟の軍法会議の際には判事の一人を担当する予定であった。
アミ・トカラ
56歳。軍務省施設局施設整備部長。陸軍少将。法務官。
王国陸海軍の中では最上位の女性軍人であり法務官。本職が激務である為に法務官としての公務機会が少ない。
北部方面軍の新任仕官であった次男を匪賊討伐の実戦で喪くしている。
タレン・マーズ
35歳。王立士官学校三回生主任教官。陸軍少佐。
ヴァルフェリウス家の次男。母はエルダ。士官学校卒業後、マーズ子爵家の一人娘と結婚して子爵家に婿入りし、家督を相続して子爵となる。
主人公によって「本来の白兵戦技」を知り、白兵戦技授業の改革に乗り出す。
ロデール・エイチ
61歳。前第四艦隊司令官。海軍大将。第534代王立士官学校長。勲爵士。
剛毅な性格として有名。タレンの戦技授業改革に賛同して協力者となる。
ベルガ・オーガス
30歳。軍務省憲兵本部所属の王都第三憲兵隊長。陸軍中尉。独身。
タレンの元部下で北部方面軍第一師団第二騎兵大隊第一中隊第三小隊長を務めていたが戦闘中の事故で右足に重傷を負い憲兵隊に転属。主人公による治療で右足が完治した後は士官学校常駐士官に就任。
嘗ての戦場経験者として白兵戦技授業改革派に加入する。
ハウル・ショーツ
30歳。王立士官学校教官。陸軍中尉。担当科目は白兵戦技(槍技)。二回生陸軍科2組担任。
通常の槍術よりも、むしろ騎兵槍術を得意とする戦技教官。本来の一回生槍技担当のホルプ教官の代わりに1年1組の最初の槍技授業を行った。騎兵出身のマーズ主任教官を尊敬している。