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黒き賢者の血脈  作者: うずめ
第四章 戦乱の大陸
83/129

思わぬ成り行き

暫くぶりの連載再開です。


【作中の表記につきまして】


アラビア数字と漢数字の表記揺れについて……今後は可能な限りアラビア数字による表記を優先します。但し四字熟語等に含まれる漢数字表記についてはその限りではありません。


士官学校のパートでは、主人公の表記を変名「マルクス・ヘンリッシュ」で統一します。


物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。

・距離や長さの表現はメートル法

・重量はキログラム(メートル)法


また、時間の長さも現実世界のものとしております。

・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日 


但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。

・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年

・4年に1回、閏年として12月31日を導入


作中世界で出回っている貨幣は三種類で

・主要通貨は銀貨

・補助貨幣として金貨と銅貨が存在

・銅貨1000枚=銀貨10枚=金貨1枚


平均的な物価の指標としては

・一般的な労働者階級の日収が銀貨2枚程度。年収換算で金貨60枚前後。

・平均的な外食での一人前の価格が銅貨20枚。屋台の売り物が銅貨10枚前後。


以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくお願いします。

 12月16日。王立士官学校では3048年度の第2回席次考査が終了した。ひとまず翌17日は試験休み、18日は通常の休暇として連休となるので今旬4日間……もっと言えばその数旬前から、この考査へ取り組んで来た生徒達は煮え切った頭を冷やす事が出来、当然ながら教室内は浮足立っていた。


1年1組の生徒一同は、今回も提供された「あの御方のノート」によって早い段階から効果的な試験勉強を実施出来たので、他の学級の生徒に比べれば気が軽い。

特に難関だと思われていた「絵画」の試験も「あの御方のアドバイス」に従って、各々それなりに写実的描画を心掛けた結果、概ね満足行く出来栄えになったようだ。


「ヘンリッシュ()……今回もお世話になりました」


マルクスの右隣の席に座るニルダ・マオが頭を下げる。それを見た他の級友も次々と彼の席の前を訪れて同様に礼を述べた。


「俺は別に試験の解答を教えたわけではない。お前達に『試験対策のヒント』を提示しただけだ。実際にその手掛かりを基に勉強をしたのはお前達自身だろう?俺に礼を言う必要は無い。次の考査も頑張れよ」


首席生徒は苦笑いを浮かべながら席を立って教室を後にした。


 本日はこの席次考査が終了するのを待ちわびたかのように、フレッチャー元第一師団長邸において「戦技授業改革派」の会合が行われる事になっていた。

どうやらマルクスが考査期間に入ってから、士官学校教官メンバーの間で何事か懸案が持ち上がっていたのはマルクス当人にも何とは無くだが感じ取れていた。


何しろ、軍務省に単身で赴いて「難問」を押し付けて来たのはマルクス当人であるから、その後何かと「騒ぎ」が起きるのは当然予想は出来ていた。

彼はあの時、法務部次長であるジェック・アラム大佐を脅し付けた際に「軍務卿に相談してみろ」と焚き付けてさえいたのだ。


(さて。あの軍務卿がどのような出方をするかだが……)


 マルクス……ルゥテウスは現軍務卿の為人(ひととなり)は知らない。ここ10年に渡って王都に詰めているドロスからの情報によれば……元王都防衛軍司令官で、図体が大きく……貴族階級出身者では無いという程度の認識である。


勿論、彼が若い頃に王立士官学校で槍技教官を務めていたという事は知られておらず、ルゥテウス個人としてのヨハン・シエルグに対する評価は


『軍務省の人事を順送りにした無能』


と言う……ある意味でタレンやフレッチャーと似たような印象しか持っていなかった。アラム法務官に、ああは言ったが……彼個人は軍務卿の働きに何ら期待はしていなかったのだ。


 いつもの近衛師団本部側から大きく迂回するかのようにフレッチャー邸に向かって独り歩きながら、ルゥテウスは今後の展開について考えていた。


実際、士官学校卒業後に軍への任官を希望していない彼にとっては、今回の白兵戦技授業改革の成否そのものに興味はそれ程無い。

これからも程度の低い授業が続く事で新任官者……特に陸軍の地方部隊において「無駄死に」する者が量産されようと、それは軍政府の責任である。


 しかし彼は同時にこの国の将来に対して胸騒ぎがするのだ。この国は近い将来必ずや大きな混乱とぶつかる事になる。そう思わせる「不安要素」がいくつか存在する。


エルダ(公爵夫人)の不義が発覚した時……あのタレンも当然ながら巻き込まれる。シニョルの思惑通り……現在のエルダは「難民の救済者」としての名声を得ており、大貴族の正夫人としてその名は、この王都の宮廷社会にも届いている。そんな彼女がある日突然……不義の汚名を受けて社会的制裁を蒙る側に立たされることになる)


(彼女の実家であるノルト家にも少なからず影響を与えるだろう。現在の財務卿はエルダの父であるニーレン・ノルトから間に2人挟んで一昨年から再びニーレンの長男……つまりエルダにとっては実弟であるオリマ・ノルトが53歳の若さで就任した事で再びノルト家に実権が戻った。

今や宰相すら差し置いて内閣の中核を担うノルト家の……財務卿の実姉が公爵家の嫡出を偽っている事が公に晒される事態になる……そして肝心のジヨームの「実子」……つまり本物の血脈後継者である俺は行方を晦ませているわけだ……)


 このエルダの不義を知る……知っていると思われる魔法ギルドと救世主教が実際どう出て来るのか。これに関してはルゥテウスさえも読めない。


その結果……最悪の場合、貴族社会の分裂をきっかけに国内が大混乱に陥る可能性は十分に考えられる。そして、そんな状況で更なる不安要素として彼の頭の中にあるのは……北方の「帝国」を僭称しているニケの存在である。


 ドロスの報告によれば現在の「ニケ帝国」の第4代皇帝であるドゥエイル・オルグは、なかなか小賢しい若者らしく、8年前……16歳で即位してから、様々な政策によって帝都イノルタスを急速に発展させているらしい。


更に彼は5年前の「北方大飢饉」の際に、その状況を逆手に取って飢えた国民を流賊として王国との国境側に誘導して王国北方への揺さぶりに利用したと言う。当時その地において治安維持に努めていたタレンの話では、その数は数万に達していたそうだ。


明らかにレインズ王国に対して「負の行動」を執っているニケ皇帝が、混乱に陥った王国をそのまま傍観するとは思えないのだ。

ルゥテウスは既にレインズ王国自体に対しては「見切り」を付けている。その理由としては公爵家……厳密には公爵夫妻による母の一族に対する仕打ちもあるが、その後に知った王国政府による「大北東地方の放棄」が最も大きな失望の位置を占めている。


 建国以来3000年に渡って、ヴァルフェリウス公爵家……つまり賢者の血脈を伝えるヴェサリオの一族は特に「黒い公爵さま」によって公爵領の東方に位置する大北東地方へはそれなりに肩入れをして来た歴史があった。


恐らくそれは北サラドス大陸平定事業において、「後回し」にしてしまった当該地域に対するヴェサリオなりに憐憫のような感情が残っており、その記憶を受け継いだ以後の発現者達が自然と彼の地に見せた気遣いに現われていたのかもしれない。


そのような「先祖達の記憶」がルゥテウスにもあった。そして大北東地域の放棄を実行した王国政府、その王を「王国中興の祖」と讃えた国民……そして自領の2割を同時に放棄して同調した当時の無能な公爵家に対する不満が、この700年振りに現われた「最強の賢者」に、隔意と憤懣を鬱積させているのかもしれない。


そう遠くない将来に起こるであろう混乱に「北の帝国」が乗じた場合……この国は建国以来初めて「国の有事」に直面する事になるかもしれない。その時……この王都周辺の部隊は全く役に立たないだろう。


これまで450年近くに渡って北や西で繰り返された若者への悲劇が、今度はこの国中で起こる……かもしれないのだ。


(せめて今の士官学生達には無駄死にをさせたくないわな)


そういう思いが、今のルゥテウス……マルクスにはあるのだ。


****


「久しぶりだな。ヘンリッシュ君」


「白兵戦技改革派」の会合場所となっている屋敷の主であるエイデル・フレッチャー元師団長は「命の恩人」であるこの士官学校生を笑顔で迎えた。


「ご無沙汰しておりました。その後お身体の具合はいかがでしょうか?」


「うむ。お陰様でな。今日も午前中に孫の顔を見て来たよ」


 王都の北地区5層目にあるフレッチャー邸から彼の孫が住まう南地区の5層目にあるタニル家の邸宅まで徒歩で1時間程度を要するのだが、すっかりと体調が回復した元将軍は軽い散歩のような足取りで馬車も使わずに訪れ、孫のみならず嫁いだ娘からも不思議がられながら……最近では毎旬1度は顔を見せるようにしている。


娘夫婦も元将軍の快気を喜び……今度は迎えの馬車を寄越すと言っているが、彼自身は「これはリハビリだから」とそれを断って徒歩での訪問を続けているのだ。


 マルクスが念の為と称してフレッチャーの脈を診たりしていると、「改革派」のメンバーがぼちぼちと屋敷に集まり出した。


マルクスの他のメンバーは何しろ士官学校教員であり、つい最近になってこのメンバーに加入することになったベルガ・オーガスも士官学校常駐憲兵士官である為に、17時以降にならないとこの場所を訪れる事が出来ない。

なので自然とこの会合にはマルクスが先に到着する事になるのだ。


「漸くこうしてまた君と話が出来るな」


タレンが笑いながら言うその横で


「ヘンリッシュ殿。小官もこちらの集まりに加えて頂く事になりまして……」


「金柑亭」でタレンと待ち合わせて同道して来たベルガが苦笑しながら報告するのへ


「左様でしたか。憲兵中尉殿もそういえば実戦経験者でいらっしゃいましたな……」


「まぁ、小官は1年も経たずに騎兵としての任に耐えられなくなってしまったのですが……」


「君の場合は戦場における名誉の負傷だ。気にする事はあるまい」


「はっ。そう仰って頂けると……」


元師団長に言われてベルガは恐縮したような表情になる。


 そうこうしているうちに、イメル・シーガも考査の事後処理を終えてから屋敷に現われた。彼女は主任教官に昇格してから初めての考査であった為に慣れない事務処理をこなして遅くなったようだ。


「一回生は全員同じ科目で考査を受けるからな。処理に時間が掛かるのは仕方ないさ」


「そうですわね……」


「私の担当する三回生の場合は海軍科が分校で受けているからな。本日の時点では陸軍科の者達だけの答案処理で済んだよ」


海軍科三回生の2クラス……「航海科」と「戦闘科」は10月始めにチュークスの海軍本部内にある王立士官学校の分校に場所を移して訓練航海を中心とした授業に入っている為、原則として翌年の4月中旬までは王都の本校には戻って来ない。


当然ながらその間の席次考査は分校にて行われる。訓練航海は長い時で8旬に渡って実施される事もある為、時期によっては考査終了後に出航し、訓練終了による帰港後に間を置かずに次の考査となる場合もある。


 マルクスがクラスの一同に説明した「考査問題作成期間」には、この考査問題を本校から分校へと運搬する期間も含まれる。

この問題用紙の運搬には海軍本部から派遣された急行連絡艦が動員され、彼らは両都市を結ぶ「大イリア運河」を使用して450キロの距離を僅か2日足らずで結ぶ。そして考査終了後、同様の手段にて分校から本校へと答案用紙と実技の「考査評価」が送り返される。


これによって翌旬中頃には分校からの考査結果も本校に届くので、そこから最終的な採点と席次審査が行われて、結果が月末に総合職員室の廊下掲示板に張り出される……という仕組みだ。

当然ながらこの掲示内容……三回生の分だけであるが、これは分校側でも同様に掲示されて海軍科三回生の生徒も自身の考査結果と席次を知らされる事になる。


海軍科三回生の生徒は本校で席次考査を受ける事が無く、どうしても遠隔地での考査実施となるので何かと不利な部分が多いのだが……


「遅れて済まんな」


 最後にこの会合場所へ姿を現した現在の王立士官学校長である前第四艦隊司令官、ロデール・エイチ海軍大将はそのようなハンデをものともせず、金時計を授受されて首席での卒業を果たしている。


「お疲れ様でございます」


「エッセル閣下も後程いらっしゃると先触れが入っております」


老将軍の言葉に学校長が軽く驚きながら


「おぉ。エッセル卿がいらっしゃるのであれば、今回の件について改めてご相談するかの」


「はい。私もそのつもりで閣下にご連絡を差し上げてみたところです」


どうやらベルガの口から伝わった「軍務卿がタレンとマルクスに会いたい」という意向を示している件を受けてフレッチャーも色々と対応策を講じているようだ。


「ヘンリッシュ。実はな……君にはまだ伝えて居なかったのだが、軍務卿……シエルグ侯が私と君に会いたいと希望されているようなのだ」


タレンがベルガの方に視線を投げながら話すと、ベルガも


「小官は……上司である憲兵課長殿から軍務卿閣下がマーズ主任殿とヘンリッシュ殿のお二方と会見を御希望されているので、それを仲介してくれないかと依頼を受けたのです」


「私にも……ですか?」


 マルクスはベルガからの告知を聞き、特に驚く様子も見せずに無表情で尋ね返した。


「はい……。更に軍務卿閣下はヘンリッシュ殿が白兵戦技の授業で時折披露されている『あの武術』を直接ご自身の眼で観覧されたいと……」


「武術って……私は武術など知りませんがね……。私が授業で見せたのはあくまでも『本来の白兵戦技』であって武術ではありません」


「なるほど……とにかくそのヘンリッシュ殿の『戦技』をご覧になりたいと……」


「あの軍務卿閣下がですか……」


「ヘンリッシュ……君の事だから軍務卿閣下の為人(ひととなり)も勿論把握しているのだろう?」


タレンの問いに対しては


「いや……私が()る軍務卿閣下……ヨハン・シエルグ氏についての認識は、恐らく皆様とそう変わらないと思います。確か今年で65歳……本来であれば諸卿の定年に達せられているはずが、今上陛下の御希望によって延長になっているとか……。そして元……ですかね。王都防衛軍司令官をお勤めになられていたと。その程度でしょうか。あぁ……そういえば随分と大柄な方だともお聞きしておりますな」


最後の部分は小さく笑いながら首席生徒は彼なりの軍務卿に対しての知識を述べた。


「他はそうですね……御子息が1人。確か財務省にお勤めでしたか。財務省主計局……司計部の会計監査官でしたかね。オリエル・シエルグ会計監査官が御長男だったかと」


マルクスの毎度ながら精密な情報開陳に対して、反応したのはシーガ主任であった。


「あら……司計部ですか?私の夫と同じ部署ですわね」


特に漏らすような情報では無かったのだが、突然夫の勤める部署の名称が出て来たので思わず口にしてしまったという感じだ。


「おや?シーガ君の御主人は財務官僚だったのかね?」


学校長が小さく笑いながら尋ねるのへ


「あっ……申し訳ございません。私的な話をしてしまいました」


「いやいや。構わんよ。しかし何だな……。儂もシエルグ卿には典型的な『剛毅な武人』というイメージを抱いていたのだが……御子息は軍人では無く財務省にお勤めなのか……」


学校長の呟きを聞いてタレンも


「財務省か……意外だな……。あっ、いや……その……シーガ君の御主人の事じゃないぞ。軍務卿閣下のご子息の事さ」


慌てて言い直したタレンの様子に一同は笑い出した。そのシーガ主任は笑いつつも


「現在の財務卿閣下はマーズ主任殿の叔父御様ですから、主人がいつもお世話になっておりますわ」


「いや……まぁ、私はもう実家とは色々とな……関係が切れている。叔父上とも……もう20年近くお会いしていないよ」


「しかしどうしたものかな。軍務卿閣下がまさか君と私に会談を申し込んで来るとは……あっ、そうだ!」


タレンが突然声を高めたので一同は驚いた。


「そういえば、そうだ。ヘンリッシュ。君は軍務省に何か『難題』を持ち込んだそうじゃないか。軍務卿閣下のご下命もどうやらその事に絡んでの事だそうだぞ。なぁ?ベルガ」


「あっ、はい。左様です。私はこの件を私に申し付けられた憲兵課長殿からそのように伺っております」


 タレンから話を振られたベルガも慌てて自分が先月末に上司から命じられた状況を説明する。それを聞いたマルクスは


「『難題』とはまた……随分と大袈裟に取られましたな。確かに私自身、法務部次長のアラム法務官と『話し』はしましたが」


「では……君が軍務省に何か話を持って行ったというのは、本当なのか?」


「ええ。主任教官殿もご存知のように、先月の下旬に校長閣下や主任教官殿、そして私に対して軍務省から尾行が付いたのを憶えていらっしゃいますでしょうか」


「勿論憶えているさ。尾行だけじゃなく自宅まで監視されていたからな」


タレンの応えに学校長も苦笑する。


「いい加減、あの動きが鬱陶しかったので法務官に対して苦情を申し入れたのです」


「苦情?」


「はい。私と法務官殿は先日の『ネル家の一件』で彼からの和解勧告を受ける条件の1つとして『以後、私に対しての干渉と詮索を一切禁ずる』という項目を盛り込みました」


「あ……あぁ、確かそんな事を言っていたな」


「私に対して尾行を付けるのは明らかにその条件に違反しておりましたからな。それを以って『和解の破棄』を申し入れたのです」


「えっ!?」


タレンが驚きの声を上げる。他の者……ネル姉弟の騒動とその和解という結末を知っていた者達も同様に驚愕の表情を見せる。


「そ、そんな事を申し入れて……大丈夫だったのかい?」


「ええ。私を尾行させるという『約定違反』を犯したのは軍務省側ですからな……私はその約定規約に沿って彼等との和解破棄を申し入れただけですよ」


感情の動き一つ見せる事無く淡々と語る首席生徒を前に……周囲の大人達は唖然としていた。


「で……向こうの反応はどうだったのかね?」


「まぁ……慌ててはいましたね」


「しかし……言うのもアレだが相手は所詮、君という『一士官学生』だろう?そこまで君との約定を重く見ているものかね?」


タレンの疑問に対してマルクスは


「まぁ……普通であれば『たかが一士官学生』の物言いなど、それ程受け入れられないでしょうな。普通であればですが」


マルクスはニヤニヤしながらそれ以上は言及せずに


「さて……どうでしょうなぁ」


と、いつもの「お(とぼ)け」を決め込んだ。


「隊長……あ、いや主任教官殿……。結局、軍務省側はこのヘンリッシュ殿の申し出を『ただの士官学生』の物言いなどと捉えていないのでは……。

結果として軍務卿閣下以下……軍務省の上層部のお歴々はヘンリッシュ殿が『難題を持ち込んだ』と受け止めているわけですから……」


この話を傍で聞いていたベルガが恐る恐ると言った態で嘗ての上官に意見する。


「そ、そうだな……現実問題としてヘンリッシュの和解破棄の通告は連中に対して有効に働いているわけだしな」


「あぁ、説明が足りていませんでした。私はこの『和解破棄というカード』はあくまでも『我々に対する詮索の停止』に対してしか切っておりません。結果としてこの申し入れが功を奏したようで……私自身や校長閣下、主任教官殿への情報部による監視が止まったようですので」


「あっ……彼等からの尾行や監視が止まったのは……君の、その『苦情』が効いたのか!」


「なるほどな……そういう事じゃったか」


タレンと学校長が同時に納得の声を上げる。確かに、彼等への監視はある日を境にピタリと止んだのだ。まさかこの首席生徒が単身、軍務省に乗り込んで直接苦情を申し入れていたとは露ほども気付かなかった。


「憲兵中尉殿が仰られている『私が持ち込んだ難題』というものは恐らく今の話とは別の事ですね」


シレっとマルクスが新たな火種を投下すると、今の話に納得して頷いていた一同は再び「えっ!?」と一斉に彼へと視線を集める。


「私は法務官殿に情報部の行為について苦情を申し入れると共に、この資料を提出致しました」


と、制服の内ポケットから折り畳まれた「例の資料」を取り出して机の上に広げた。


「な、何だい……?これは……」


大人達がその紙面を一斉に覗き込む。


「新任官少尉が赴任初年度に戦死する統計……?どういう事だい?」


資料の見出しを声に出して読んだタレンに対して


「お読みになられたままの意味ですよ。士官学校の卒業生を()()()新任少尉が任官初年度に戦死……もしくは任に堪えられないような重傷を負った人数の統計です。ここ100年間と比較対象として700年前の数字を並べてあります」


「なっ!?」


 タレンはこの数字について、マルクスからの説明を受けるまでも無くその意味を正確に把握して仰天した。やや遅れて、やはり北部方面軍で指揮官として軍務に就いていたフレッチャーが同様に驚きの声を上げる。


彼等は同僚や部下の「死」と身近な位置で過ごしていた為に……その数字がリアルに理解出来るのだろう。


そしてこの中に書かれている「任に堪えられない重傷者数」の中には乗馬の横転事故で馬体の下敷きとなって右脚を潰してしまったベルガ・オーガス「少尉」もその数に含まれているのだ。


ベルガ本人もやはり元上官2人と同様に資料の見出しと数字を見て、その意味するところを理解して息を呑む。


「こっ、この数字は……本当なのか?」


漸くにして言葉を吐き出したタレンに対してマルクスは


「はい。まぁ、全てが士官学校卒業者ではありませんが少尉任官初年度に死傷した方々の数字ですな」


 マルクスがアラム法務官に突き付けた「あの文書」の中に記されている戦死者と傷病者の数字は、士官学校卒業直後の新任官者だけでなく、所謂「叩き上げ」の新士官も含まれている。一般の兵士として入営し、その後に昇進を重ねて少尉として任官する者の平均年齢はここ数十年に限って言えば30代前半で、その多くは当然ながら歴戦の強者である。


しかし彼らはそれだけに士官学校出の新任士官よりも最前線に出て指揮を執ることが多い為にやはり死傷率がそれなりに高い。彼らは前述したように歴戦の強者として士官学校で「役に立たない戦技授業」を受けて来た者ではないが、一兵卒から自己流の戦技に頼って成り上がって来た末に、敵側からの「指揮官排除戦術」によってやはり標的にされてしまい命を落としてしまう事が多いのだ。


つまりマルクスが提出した文書に記された「新任士官の死傷者数」というのは多くの新士官が戦場において命を散らしているという事実をそのまま表している事には変わりないのだ。


「で……、この資料を……法務官殿に見せた上で何か要求でもしたのかい?」


「はい。法務官殿は今回の戦技授業改革においては門外漢ではありますが、この資料をご覧頂いた上で彼らが他人事のように感じている『北や南西の戦場でこれだけの若者が命を散らしている』という事実をご説明申し上げました」


「法務官殿に……?」


「ええ。その上で、現在においてもこれだけの殉職者を出している事態を生み出している士官学校の戦技授業の劣悪さを説いた上で、この『元凶』たる者達の処分を要求しました」


「元凶……の者達って?」


「はい。つまりこの戦技授業に関して何も対応策を講じる事無くこれまで放置してきた教育部出身幹部の処分です」


「え……!?」


「教育部長の処分をか!?」


タレンと学校長が一斉に驚きの声を上げた。


「いえ、教育部長だけではありません」


「ど、どういう事じゃ?」


「現教育部長を含む、現役の軍務省上級幹部のうち……過去に教育部に籍を置いていた者達全てです」


「そ、それは……」


「以前にも話題となった軍務省の上層部を牛耳っているエルダイス次官以下、人事局長、人事局副局長、それと教育部長の4人を軍務省から追放するように要求しました」


「なっ!?」


タレンは再び言葉を失った。傍で聞いていた他の者たちも同様である。


「この4人は親補職である教育部長経験者です。連中は自身の教育部責任者として在任中、士官学校で長年に渡って続けられていた『変質して役に立たなくなった戦技授業』の有様を放置して、その後も若き新任士官を多数戦場で散らせた事に対して重大な責任がございます。

私は彼らに責任を取らせるように法務官に要求したのです」


「そっ……そんな要求が……とても通るとは思えないが……」


「次の除目が実施される3ヵ月の間に実行出来なかった場合、エッセル閣下のご子息で在らせられる侍従長殿を介して、今ご覧頂いている資料を今上陛下に直接ご覧頂くと申し入れております」


「えっ……こ、これを……陛下にご覧頂くと……?」


「はい。まぁ、この『数字』をご覧頂ければ……まず間違い無く今上陛下(最高司令官)はお怒りになるでしょうなぁ」


相変わらず無表情で話す首席生徒の言葉に周囲の大人は絶句したままだ。


「そうなれば御勅勘は教育部だけでなく軍務卿を始めとする軍務省全体に及ぶでしょうな」


「しっ……しかし……か、仮にそうだとしても……いや、それなら尚更の事……法務官殿だけの御力では……」


タレンが辛うじて吐き出した疑問に


「ええ。ですから『軍務卿にでも相談しろ』と()()はしましたが」


「あっ!そっ、それでか!それで軍務卿閣下は我々に面談を申し入れられたのか!」


「どうでしょうな……ところで……」


マルクスはベルガの方に向き直り


「憲兵中尉殿には申し訳無いのですが……」


「な、何でしょう……?」


「軍務卿閣下からの面談の申し入れですが、私はお断りさせて頂きます」


全く表情を変える事無く発した言葉にベルガは驚き


「えっ……?軍務卿閣下にはお会いにならないと……?」


「はい。少なくとも私からは軍務卿閣下とお会いして申し上げる事はございません。そうですな……このように申し上げて頂けますでしょうか。『私からの要求が達成されない限りお会いするつもりは無い』と」


「つ、つまり……先程のお話の通りに……その……教育部出身の幹部の方々が追放されない限りお会いにならないと?」


「そういう事になりますな。軍務卿閣下にはご自身で実施された愚かな教育部出身者の『情実人事』の責任を果たして頂くまでは対話には応じたくありません」


「まぁ、それが首尾良く教育部出身の無能な幹部官僚を処分できるか……それとも時間切れで陛下からの勅勘を蒙るのか。どちらになるのかは彼次第です」


「な……なるほど」


「まぁ……私も今の時点ではあまりお会いしたくは無いな……。ここで閣下の口から『授業改革はまかりならん』と言われてしまった場合、我々もそれを突っぱねる事は……甚だ難しくなる」


「確かにな。タレンの言う通りだ。突っぱねた場合、逆に君達が更迭されてしまう恐れがある」


タレンが口にした懸念をフレッチャーも肯定する。やはり彼らの頭の中には「シエルグ卿は教育部側」という印象がどうしても拭い去れない。


「で、では……お2人共に軍務卿閣下との面談には応じられないと……?」


「応じない……と言うわけでは無く、『その必要が無い』という事ですね」


マルクスのアッサリとした言い様にベルガが、やや狼狽えるように尋ね直す。


「私も同感だな」


タレンまでもマルクスの意思を肯定したので、この返答を上司に持ち帰らないといけないベルガはゲンナリした顔になる。


「ヘンリッシュは正直なところ……シエルグ卿に対してはどのような印象を持っているんだい?」


「そうですな……このように率直に申し上げるのは些か気が引けますが……」


マルクスは苦笑しながら


「皆様もご存じのように……そもそも無能な教育部出身者達が軍務省の上層部の席を占めているのは、それを承認した軍務卿の責任です。特に昨年に実施された連中の一斉昇進……その前の人事移動から僅か2年で彼らは1階級の進級と昇進を果たしております。

言ってしまえば、今の軍務省内の人事的な『歪み』を創出してしまった元凶はヨハン・シエルグ氏にあるわけです」


と……軍務卿の過去の行為を指摘し、更には


「今回、校長閣下の上申を突っぱねた教育部長の愚行の責任……彼ら無能な連中を処分して頂かない限り、私は彼と顔を合わせるつもりはありません」


「そ、そうか……そう考えるとやはり軍務卿は我らからすると『あちら側』と見て然るべきか……」


「しかし、彼は今上陛下からの御信任を受けております。なので正面切って彼と対立するのは避けた方が宜しいでしょう」


「あぁ……そうじゃな。そう言えば定年を延長しているんだったな」


 学校長が思い出したように苦笑を浮かべたところで、フレッチャー邸の執事がノックの後に会合部屋に現れ


「エッセル閣下がいらっしゃいました」


と、告げる後ろから元北部方面軍司令官が相変わらず血色の良さそうな顔で入って来た。


「遅くなってすまんな」


一同は立ち上がり、代表して元部下であったフレッチャーが


「お出迎えもせずに失礼致しました」


と頭を下げる。現役から退いてそろそろ10年になる。元上官に対して挙手礼をする歳でも無くなったのだろうか。


「閣下……ご到着頂いた所を早速で恐縮ですが、こちらの資料をご覧頂けますでしょうか」


マルクスは再び制服の内ポケットから先程取り出して、今は机の上に置かれている「例の資料」と同じ書面をエッセル卿に渡した。


「何じゃこれは?」


エッセル卿は今年72歳なのだが視力はそれ程衰えていない様子で、老眼鏡も掛けずにマルクスの渡した書面を黙って読み始めた。


「随分と色々な数字が記されておるの……」


それでも眉間に皺を寄せる表情で細かい数字を見ている元司令官に、マルクスは先程同様に資料の内容を説明すると、やはり彼は絶句した様子となり……暫くしてから


「おっ、お主の言っている事は……ほ、本当なのか……!」


顔色を変えて怒り始めた。北部方面軍に司令官として勤めていた頃……毎月殉職者を弔う為にドレフェス郊外にある英霊墓地へ出向いて祈りを捧げた…… その頃の悲しい……無念の思いが……若者の失われた生命を悼む思いが……彼の中に再び蘇り、その「原因」の一つであろうこの事実を聞かされて、エッセル卿は今や少なくなった頭髪が怒りで天を衝くような様子で震え始めた。


「『その資料』を、ご子息の侍従長殿にお託し頂けませんでしょうか。侍従長殿から陛下の御目に留まるように……」


 マルクスの依頼を最後まで聞く事も無くエッセル卿は


「おのれっ!あの役立たず共めっ!役に立たないどころか……これはっ!犯罪ではないかっ!これは数百年に渡る無能な官僚共が犯した犯罪では無いかっ!」


とうとう部屋の中に響き渡る程に激昂した声で怒鳴り散らし、顔を真っ赤に染めながら軍務官僚が長年に渡って犯し続けた失態を糾弾し始めた。


今すぐこれからでも宮内省に出向き、息子(侍従長)に資料を渡して国王に上奏させると息巻く元司令官に対して、それを思い止まらせるようにマルクスは現在、軍務省に要求している内容を説明した。


「私も彼らに3ヵ月の猶予を与えたからには、一応はその期日を守る必要はあると思うのです。どうせあの軍務卿では無能官僚共の追放実施は紙一重でしょうから……」


 新任官から北部方面軍一筋で軍人生活を全うしたエッセル卿としては、軍務省関係者そのものに対して、格別に憎悪を抱いた事は無い。敢えて言うならば「中央から派遣されて来る小生意気な参謀」や部下達の装備費用等の予算獲得に対して何度か癇に触る事はあったが、人事局……更に言えば教育部に対しては殆ど無縁の存在であった。


しかし今……その教育部関係者が放置してきた「クソの役にも立たない戦技授業」によって命を散らした若者達の事を……これ程「リアルな数字」として見せ付けられて、自身すらも新任官時代にやはり戦場で生命を落としそうになった思い出がある元司令官はマルクスの説明を聞いても納得しかねる表情をしている。


「私も期限を切って要求を出したからには、却ってその期限を守らねばフェアでは無いと思うのです。次の除目までのご辛抱です。どうかお聞き届け頂けませんでしょうか」


その鳶色の瞳をじっと向けられ、エッセル卿は徐々に昂憤が収まってきた。


「よかろう……お主の言葉に免じて……奴らには次の除目まで猶予をやろう……。そうか……儂は……これ程多くの若者達を……死地に向かわせてしまっていたのか……何も知らぬまま……未熟な腕で……」


 あれだけの怒りをブチ撒けた元司令官は、今度は俯いたまま……小さく震えている。


「閣下……それを仰るのであれば……私も同罪です……。私もこのタレンを初陣で失いかけましたし……オーガスに至っては片足を失うところだったのです……」


フレッチャー元師団長が嘗ての上官の手を取って一緒に俯いている。この場に居る4人の北部方面軍出身者が同様に……あの「北の戦場」に思いを馳せて沈黙してしまった。


その様子を見たシーガ主任も堪え切れずに涙を流し始めた。彼女は士官学校時代の親友を……やはり卒業翌年に北部の戦場で喪していた。


「間違っている……やはり間違っておるのだ……あの授業は……」


この場に居る唯一の海軍出身者であるエイチ学校長が陸海軍で明暗を分けた数字を目にしてショックを受けている陸軍出身者達を見て呟くのであった。

【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ


ルゥテウス・ランド(マルクス・ヘンリッシュ)

主人公。15歳。黒き賢者の血脈を完全発現させた賢者。

戦時難民の国「トーンズ」の発展に力を尽くすことになる。

難民幹部からは《店主》と呼ばれ、シニョルには《青の子》とも呼ばれる。

王立士官学校入学に際し変名を使う。1年1組所属で一回生首席。


タレン・マーズ

35歳。王立士官学校三回生主任教官。陸軍大佐。

ヴァルフェリウス家の次男。母はエルダ。士官学校卒業後、マーズ子爵家の一人娘と結婚して子爵家に婿入りし、家督を相続して子爵となる。

主人公によって「本来の白兵戦技」を知り、白兵戦技授業の改革に乗り出す。


ロデール・エイチ

61歳。前第四艦隊司令官。海軍大将。第534代王立士官学校長。勲爵士。

剛毅な性格として有名。タレンの戦技授業改革に賛同して協力者となる。


イメル・シーガ

31歳。陸軍中尉。王立士官学校一回生主任教官。担当科目は白兵戦技で専門は短剣術と格闘技。既婚。

猛獣のような目と短く刈り込まれた黒髪が特徴の、厳つい体格を持つ女性教官。

タレンが三回生主任教官へ昇格したのに伴い、後任の一回生主任教官に就任。タレンを軍人として尊敬しており、彼の進める戦技授業改革に賛同して協力者となる。


エイデル・フレッチャー

69歳。元王国陸軍第一師団長。退役陸軍中将。勲爵士。

タレンが新任仕官当時の第一師団長。現役時代は一旦士官学校教官へと転属になったタレンを再度呼び戻した。

退役後に罹患した死の病を治療した影響で寝たきりになっていたが主人公の投薬で全快し、以後は自らの屋敷を白兵戦技授業改革派の会合場所として提供する。


マイネル・エッセル

72歳。元北部方面軍司令官。退役陸軍大将。子爵。

タレンが新任仕官当時の北部方面軍司令官。匪賊討伐一筋の人生だった為に老いて尚血気盛ん。退役後は一人息子に家督を譲って王都で楽隠居暮らしをしていたが、退役軍人会の繋がりでフレッチャー師団長に誘われて、タレンらに協力する。

家督を譲った嫡男ニクルは宮内省侍従局長で2代に渡る国王の側近を勤めている。


ベルガ・オーガス

30歳。軍務省憲兵本部所属の王都第三憲兵隊長。陸軍中尉。独身。

タレンの元部下で北部方面軍第一師団第二騎兵大隊第一中隊第三小隊長を務めていたが戦闘中の事故で右足に重傷を負い憲兵隊に転属。主人公による治療で右足が完治した後は士官学校常駐士官に就任。

嘗ての戦場経験者として白兵戦技授業改革派に加入する。


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