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黒き賢者の血脈  作者: うずめ
第四章 戦乱の大陸
82/129

術式付与品

【作中の表記につきまして】


アラビア数字と漢数字の表記揺れについて……今後は可能な限りアラビア数字による表記を優先します。但し四字熟語等に含まれる漢数字表記についてはその限りではありません。


士官学校のパートでは、主人公の表記を変名「マルクス・ヘンリッシュ」で統一します。


物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。

・距離や長さの表現はメートル法

・重量はキログラム(メートル)法


また、時間の長さも現実世界のものとしております。

・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日 


但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。

・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年

・4年に1回、閏年として12月31日を導入


作中世界で出回っている貨幣は三種類で

・主要通貨は銀貨

・補助貨幣として金貨と銅貨が存在

・銅貨1000枚=銀貨10枚=金貨1枚


平均的な物価の指標としては

・一般的な労働者階級の日収が銀貨2枚程度。年収換算で金貨60枚前後。

・平均的な外食での一人前の価格が銅貨20枚。屋台の売り物が銅貨10枚前後。


以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくお願いします。

 闇夜のエスター大陸から、ルゥテウスとノンがキャンプに帰ると、こちらの時計ではまだ17時05分を指していた。それでも緯度の高い領都周辺で、あと2旬もすれば冬至を迎えるこの時期はもうとっくに日も沈んでいる。


「とりあえず……お前が監督に頼まれた『暗い所を見る』とか『遠くを見る』という言葉の意味は理解したな?」


「はい……。まさか本当にあんなに真っ暗なのに、はっきり見えるようになるとは思いませんでしたが……」


「あの『明視』と『暗視』のうち……暗視に関しては超古代文明の頃は、科学技術の発展によって『機械』として再現出来ていたんだがな」


「え……?機械?」


「そうだ。『常人の視神経では捉えられない波長を映像化する』という技術は、古代の科学者によってその仕組みが解明されていてな。『暗視装置(ノクトビジョン)』として機械化されていた。

最初は持ち運べるような大きさでは無かったのだが……そのうち技術が進化してこれくらいの大きさの小箱になって……覗き込む感じのものだった。

更に時代が進むと、工場長が掛けているメガネのような形状に装置が集約されて、それこそメガネを掛けるように装着するものになっていたぞ」


 店主は両手を使って高さ5センチ、幅15センチ程の箱状の形を形容しながら説明した。ノンは最初、「そういう機械があった」という話の内容の意味が解らなかったが、その説明を聞いているうちに、段々と話が飲み込めて来たので驚いた。


「えっ!?それでは昔の人は……あのような真っ暗な場所でも、周りが見えていたのですか?」


「いや……まぁ、その機械はそれ程古代文明の社会でも普及していたわけでは無い。そのような機器を保有していたのは、やはり軍隊だとか……監督のような諜報機関の者だとか……そういう類の連中であって、一般人には別にそれを利用する必要性も無かったからな」


「でも……暗い場所が見えるのは便利ですよね。普通の人も欲しがるのではないでしょうか」


「普通の人ならば、暗ければ明かりを灯すのではないか?何もわざわざあんなに見え辛い緑色をした視界で暗がりを見る必要は無いだろう」


店主が笑うとノンは考え込む顔をしたが


「そもそも『暗がりでも見えるようにしたい』と考える奴は『相手から見つからないようにしたい』と考えている奴等が大半で、そういう……それこそ『後ろ暗い』思考を持つ事の無い普通の人々は『暗ければ明るくして見る』という考え方がまともだろう」


「あ……そ、そうですね……」


「監督達は『相手に気付かれる事無く偵察活動がしたい』から『暗い所でも見えるもの』をお前に発注したのだろう?そうじゃなければ、強烈な照明装置(サーチライト)でも作って上空から照らし付けてやればいいだけなんだからな」


「なるほど……そう言えばそうですよね」


「もしお前ならどうする?夜、家に帰って来たら部屋の中が真っ暗だった。そこでお前なら……明かりを灯すか?それとも暗視薬を使うのか?」


店主はからかうようにクックックと笑いながら尋ねる。


「そ……そうですね……。私ならば明かりを灯しますね……その壁のボタンで……」


「そうだろう?普通の人はそう考えるものだ。しかし明かりを()ければ、当然ながら相手にも気付かれる。気付かれたく無ければ暗いまま……相手も暗くて見えない状況で、自分だけが見えるようになれば……どうなる?」


「あ……相手に気付かれる事無く観察できますね」


「つまり監督達や……もっと言ってしまえば古代文明の頃の軍隊や諜報組織の奴等は、そう考えていたからこそ『暗い場所でも見えるようになるもの』を望むんだよ。そしてお前達一般人には、それを望むような機会は殆ど無い。そういう事だ」


「なっ、なるほど……私も今までそういう事は考えた事もありませんでした」


「そうだろうな。お前は夜の暗い時間に外を出歩くような真似はしなさそうだからな」


店主は大笑いした。


「わっ、私も昔は……まだこのキャンプの夜道が暗かった頃に……薄暗い道を通って夜の配給を貰いに行ってましたよ……」


ノンが珍しく口答えをした。ルゥテウスと出会う前の少女時代……まだこのキャンプに街灯など置かれる前は、夜の長屋から洩れて来る頼りない明かりの中、彼女は病気の母の分まで集会所に夜の配給を貰いに行っていたのだ。


「そうかそうか。昔のキャンプ(ここ)の夜は暗かったからな。お前と手を繋いで夜道を歩いたなぁ」


 店主は笑いを引っ込めて……しみじみとした顔で昔の思い出を語った。


「そ、そうでしたね……」


ノンも僅かに気分を害していたが、そのような事も忘れ……まだ幼児であった店主と手を繋ぎながら集会所までの道を歩いた事を思い出し、顔を赤らめた。


「まぁ……どちらにしろ機械的な技術で暗視術を再現するのは、現代文明では不可能な事で、文字通り『魔法頼み』となる。しかし『遠くを見るもの』についてはその限りでは無い」


「えっ……?」


「遠くを見る……という目的だけであれば光学的な技術で実現は可能だ。その良い例が工場長のメガネだな」


「キッタさんの……メガネですか?」


「そうだ。あのメガネはレンズによって通常とは違う光の屈折を作り出して、彼の目が抱えている屈折異常を補正している。その結果として彼はメガネを掛けることで普通の人々と同じようにものが見えるようになっているわけだな」


 ルゥテウスはそう説明しながら、右手を振って直径5センチ程で持ち手の付いた拡大鏡(ルーペ)を取り出した。


レンズそのものに関しては現代社会においても過去からの光学的知識が継承されており、別に珍しいものでは無い。但し、あくまでもその利用は眼鏡レベルのものに留まっており、複数のレンズを組み合わせて焦点を調整するようなものは極一部であり、精密な加工が施せる職人によって造られる限定的なもので、技術そのものは未だ発展途上にあった。


ルゥテウスは取り出した拡大鏡を使って光の屈折を利用した「ものを拡大して見る」と言う説明を行ったが、ノンにはあまり理解出来無かったようだ。


「しかしこれを使えば小さな文字でも大きく見えるだろう?」


「はい……不思議ですね」


 薬剤師としてだけでなく、薬学の研究者でもあったルゥテウスの祖父ローレンや、その助手として晩年の極めて短期間を過ごした母アリシアはその研究において顕微鏡まで使用していたのだが、この時代に顕微鏡という光学機器自体が世界の最先端であり、王都の学術機関においても漸く普及し始めていたという代物であった。


この一事だけを見ても祖父ローレンが薬学者としても異能の力を持っていた事が判るのだが、それは同時に「顕微鏡という道具を通して光学的な理解を持っていた」という事にもなる。


しかし、薬学者では無く……腕は良くても一介の薬剤師に過ぎないノンには残念ながらそのような素養は無かった。ルゥテウスは生まれて初めて見た拡大鏡を不思議がって覗き込むノンを見て苦笑しながら


「まぁいい……とにかく、このレンズを通して見ると『ものが大きく見える』という事は理解したな?」


「はい……。大きく見えますね」


「これは魔法ではないよな?」


「そ、そうですね……。魔法では無いですよね」


「つまりこの技術を突き詰めて行くと……遠くの『小さなもの』が大きく見えるようになる……と思わないか?」


「え……?」


「遠くのものと言うのは『小さく』見えるよな?だったらこれで『大きく』見えるように出来る……とは思わないか?」


「あぁ……そ、そうですね。『遠くのもの』では無くて『小さなもの』として考えるのですね?」


「そういう事だ。そう考えると、このレンズを使って『遠くのもの』でも大きく……つまり『近くで見ている』ようになるよな?」


「え、ええ……。まさかそのような考え方をするとは思いもよりませんでしたが……」


「つまり、遠くのものが近くに見えるようになる……というのは魔法でなくても可能であると言うことさ」


「そうなりますね。でも……実際に出来るのですか?」


「古代文明の頃は普通に確立した技術だった。あの頃はその技術によって夜空の星の観測もやっていたからな」


「え……?そんな遠くのものまで!?」


「そうだ。現代の技術でもそこまで精密では無いが遠くのものを見る道具を作る事は可能だ」


「そ、そうなのですね……」


「つまり、お前が監督から依頼された『暗い所を見るもの』と『遠くを見るもの』のうち、遠くを見る方に関しては魔法では無く、道具で実現可能と言う事だよな」


「あっ、そうですね」


「ならばお前が取り組むのは『暗い所が見えるもの』だけで良いはずだ」


「なるほど。暗視薬……でしたっけ?それを作ればいいのですね?」


「しかし高貴薬にはさっきも話したが、欠点があるよな」


「あ、そうですね。あの真っ白になって何も見えなくなるのは、真っ暗な事よりも怖かったです」


「ならば考え方を変えてみてはどうだろう」


 店主からの突然の提案に、ノンは戸惑った。


「考え方を……ですか?」


「『遠くを見るもの』を薬では無く道具として用意出来るのならば……その道具を使っている時だけ『暗い所も見える』ようにすればいいのではないか?」


「そんな……どうやってそのような……?」


「お前はちょっと忘れているな。錬金術……まぁ、お前の場合は錬金魔導だが……それは別に薬を作るだけの力では無いのだぞ」


「え……?薬だけじゃない……?」


「お前……もう忘れているのか?お前が初めて作った錬成品は何だった?」


店主から尋ねられたノンは眉間に皺を寄せながら考え込んだ。


「さ、最初ですか……?確か……ここで……ロウソクの火を……」


「そうだ。お前はここで……俺の目の前でロウソクに火を灯す『付け木』を作ったよな?」


「はい……確か、不思議な色をした付け木でした。その後、導符?も作りました」


「よく憶えていたじゃねぇか。お前の錬金魔導はむしろ高貴薬よりも先に『付術品』を造る事から始まったんだ」


「付術品……ですか?」


「錬金業界では『術式付与品』とも言うな……というか、そっちが正式な名称のようだな」


「そうなのですか?じゅ、じゅつしき……」


「術式付与品だ。つまり目の前の物体に魔法を込める。これまでの魔法世界においては錬金術だけしか無かったから『術式』を込める……だから術式付与品、通称『付術品』だ」


「術符や魔導符も当然だが付術品の一つだ。お前はあの時、最初に付け木にロウソクの火……と言うか、『着火』の魔導を込めたな?あの付け木は俺と確か……モニが使って効果が消えた。つまりロウソクに炎を2回灯せたわけだ」


「はい……確かそうでした」


「あの時、2回の使用で術付与が『剥がれた』のは、あの時のお前はまだ『イメージを具現化する』という事象に対して理解が浅かったのと……俺の推測では付与対象に使った『付け木』という物質の品質が低かったものではないかと思われる」


「えっ……?それでは作ろうと思えば何度でも使える付け木も出来るという事ですか?」


「多分そうじゃないかなぁ。本来であれば1回使って付与が剥がれるって事ならともかく……2回使えたからな。『1回で消えるか』と『2回以上使える』とでは全く違う『可能性』の話になるからな」


「そうなのですか……?」


「術符や導符は1回使えば消えてしまうだろ?」


「はい……そうですね。そう言えば何故あの導符は1回しか使えないのですか?」


「術符や導符の場合は『右手に握り込む』という動作を行う事で発動効果を安定させる事が出来る……と言われている。正直、その仕組みがハッキリと解明されているわけでは無いんだ」


「えっ?そうなのですか?」


「うーん。そうだな……お前にはまずしっかりと理解して欲しいのは、何度も言うがお前のその『錬金魔導』……まぁ、これ自体も俺の命名だが、魔法世界においては前例の無い能力であると言う事だ」


 店主の顔は真剣そのものだ。ノンはその表情に多少怯みながらも


「は、はい……」


「つまり錬金術が誕生したショテルの時代……11000年近い前の時代から、錬金術というのは、魔導師には手に負える分野では無かったわけだ。だからその研鑽は総じて錬金術師だけの間で行われてきた歴史がある」


「錬金術の研究を始めたのはショテルの娘であるミオなのだが、彼女自身は魔術師であった。俺自身、先祖であるミオが錬金術の解明にどれだけ貢献したのかを詳細に知る事は無いのだが……どうやら『投射力』という術使用能力を発見、命名したのは彼女らしい」


「ショテル様のお嬢様が……」


「どうやら、俺の記憶に残るその後の錬金術の発展はミオの頃からそれ程変わっていない。まぁ……投射力の解明がされた事で錬金術に対する研究はほぼ完結しているんだがな」


ルゥテウスは苦笑いを浮かべた。


「錬金術自体は、魔術と触媒が共通だからな。魔術で可能としている事象は基本的に錬金術によって錬成が可能とされている」


「そうなのですね」


「但し、今も言ったが……錬金術自体の研究はミオの時代から10000年以上に渡って大きな発展を遂げていない。一生を知的好奇心の追求に捧げる事の多い魔導師が介在しない事もその原因の一つだな」


「魔導師様は錬金術が使えないから……ですか?」


「そうだな。歴代の魔法ギルドの総帥を務めた……今の奴も含めた魔導師は、錬金術師の育成には殆ど関わらない。奴等には錬金術の理屈は分かっても実際に錬成が出来ないからな。

奴等の場合……生まれ付いて持ち合わせている投射力が強大過ぎて、変成して投影した魔素やマナを物質に込めようとすると、対象へぶつけるだけになってしまうようだな」


「なるほど……投射力の問題なのですね。でも……ルゥテウス様は錬金術を使えますよね……?」


「そうだな。俺の場合はお前と同じで錬金魔導と呼ばれるものになるんだろうがな。俺の先祖でショテル以降に魔導を使えた者は俺を除いて4人……『黒き福音』と呼ばれたヴェサリオと、この国の歴史の中にちょくちょく出て来る5人の『黒い公爵さま』のうちの3人だ。彼らも錬金魔導は使えた。

彼らの錬金魔導の産物で最も有名なのは恐らく灰色の塔の入口に置かれている『一対の女神像』だろう」


「あっ……!あの……綺麗な像ですね……。赤い服と黄緑の服の……」


「あれも錬金魔導による錬成品……付術品だな。像そのものがヴェサリオの魔導によって製作されているが、その上にリューン像……赤服の方には《魔法探知》が付与されているし、黄緑の服……ショテルの像には《術式解除》が付与されている。更にはあの塔そのものにも《構造強化》が付与されているから、付術品と言ってもいいだろうな」


「あ、あの塔まで……」


 ノンはあまりのスケールの大きな話に呆然としている。


「で……話を戻すとだ。遠くを見る道具に『暗い所を見る』という効果を付与してしまえば監督の要求に応えられるのではないか?」


「付与……ふ、付術品ですね?」


「そうだな。まずは遠くを見る道具……望遠鏡が必要になるな」


「ぼ……?」


「さっきのレンズを組み合わせて遠くを見る道具だ。仕方ない……」


 そう言うと、ルゥテウスは目を閉じた。どうやら何か瞑想している様子で、幼少時に時折見せた「真顔で考え込む」表情だ。

やがて彼が右手を振るとその場に現われたのは短い筒状の物体が並列にくっ付いたような形状の「何か」であった。


ノンは突然現れた……見た事も無いその「何か」に驚いている。外見としては黒い筒……直径5センチ、長さ15センチ程度の不格好な筒が2本……合わさったように見える。


「こっ……これは何ですか……?」


 ノンが尋ねるそばから、ルゥテウスは更に右手を一振りして今度は直径4センチ、長さ20センチ程のやはり黒い筒を1本取り出した。


「これが『望遠鏡』だ。現代でも既に一部の工房で造られているようだな。主に軍隊で使用されていると思われる。と言っても……基本は熟練した職人の手による手作り(ハンドメイド)品だから非常に貴重な物のようだ」


「そ、そうなのですか……?」


 先に出した「黒い何か」を脇に置いて、ルゥテウスは望遠鏡の使い方をノンに説明し始めた。


「この筒はな……このように……この部分が引き出せるようになっている。ほら。こっち側から覗き込んでみろ」


「向う側が……見えますね……ハッキリとは見えませんけど……」


「焦点が合ってないんだ。部屋の向う側の壁を見ながら、さっきの部分を伸ばしたり縮めたりしてみろ。ゆっくりとだぞ」


 ノンは藍玉堂2階の大部屋……大机のある場所から、部屋の隅にある自室の方に望遠鏡を向けながらゆっくりと接眼筒を動かしていたが、不意に「ええっ!?」と声を上げた。どうやらピントが合って、離れた場所が急に明瞭に鏡像に映り込んで来たのだろう。


「すっ、凄いですっ!私の部屋の……あれはドアノブが……あんなに大きく……!」


驚きながら声を上げるノンを見ながら苦笑したルゥテウスは


「どうだ?これが望遠鏡だ。遠くを見る道具だな。今お前が見て驚いているのは、たかだか10メートル先の辺りだが、実際は……まぁ、その望遠鏡なら500メートル先くらいまでならハッキリと見えるだろうな。それ以上だと手ブレと集光率のせいで見えにくくなるから固定する必要があるだろうが……」


「500メートル……」


「ここからだと……間に遮蔽物さえなければ北の貯水池辺りまでなら見えるな」


「そっ……そんなに遠くまで見えるのですか?」


「今お前が覗いているのが単眼鏡。そしてこっちが双眼鏡だ。こっち側から覗き込んで……この部分を回して焦点を調整するんだ」


ルゥテウスは「黒い何か」……双眼鏡を今度はノンに渡して使用法を説明した。覗き込んだノンは、またしても驚いている。


「こ、こちらの方が……見やすいですね……凄い。ハッキリと見えます。私の部屋のドアノブが……」


 普段は無意識に捻っている自分の部屋のドアノブを双眼鏡越しにまざまざと見て驚いているノンの姿が滑稽に見えてルゥテウスは笑いながら


「まぁ、ちょっと俺の記憶の中にある物を適当に作ったから、それ程性能が良いというわけでは無いがな。しっかりと図面を作って、測定機械を使って製作すればもっと良く見える物が作れるはずだ。まぁ、最終的にはどれだけ精密にレンズを磨けるかに懸かっているのだが……」


「えっ……これよりも見える物がですか?」


「そうだ。お前はそれに『暗い所でも見える』付与を施せばいいんだ」


「なっ、なるほど……」


「よし。では飯を食ってから付与について考えてみようか」


「あっ、もうこんな時間ですね……」


 時間は何時の間にか17時50分になっていた。2人は階段を降りて1階の作業場に入りまだ帰宅を伝えていなかったサナや三人娘と双子に挨拶をし、改めてサナと双子を伴って夜の配給を貰いに集会所に向かった。


三人娘は後片付けをして地下通路から役場の食堂へと向かう。アトに言わせると、「もうすぐアイバンバッタが静かになる」時間帯なのだ。


 集会所で夕食を済ませた5人は薬屋へと戻り、同じく食事を終え、薬屋の地下転送陣から隣の大陸へと帰って行くお菓子売りのご婦人方へノンが日中に三人娘やサナが作った回復薬を渡す。


ノンが独りで数年を費やして開発したこの回復薬は、まさに「看板娘の究極回復薬」とも呼ぶべき代物で……副作用をほぼ出さずに快適な睡眠を実現しつつ、疲労を全て吹っ飛ばすという、嘗て藍玉堂が領都に進出する際にルゥテウスが与えた製薬レシピを大幅に更新するものとなっている。


サナはこの回復薬の製造を通して「錬金術師として副作用との向き合い方」を学んだのだ。サナにとってノンは親友でもあり、偉大なる薬学の師でもある。そして最近では……とてつもない力を秘めた「錬金導師」という、共に研鑽しながらその力を引き出す「研究対象」にもなっているのだ。


「ノン様、暗視薬は作れそうですか?」


ご婦人方に回復薬を配り終えてから錬金部屋に入り、サナがノンに尋ねた。


「うーん……どうでしょうね」


「暗視は体験されたのでしょう?」


「ええ。ルゥテウス様に魔導を掛けて貰いました。暗視と……『明視』でしたっけ?」


「え……?『明視』……?」


「ええ。明視……でよかったんですよね?」


 ノンが隣の椅子に座って双子の修行成果を見守っていた店主に尋ねると


「あぁ。明視で間違い無いが……サナは知らないと思うぞ。言っただろう?『あれ』は触媒が発見されていないから魔導でのみ可能なものだと」


「あ……そういえば……」


「店主様。『明視』というのは魔導なのですか?」


「ああ。空間制御系の魔導だな。俺の知る限り、今言ったように触媒が未発見であるはずだ」


「そうなのですか……。どのような魔導なのでしょう」


「うーん。術対象者の視界に投影される空間に干渉して『明るく見える』ようにするというものだな」


「明るく見える……?」


首を傾げるサナの様子を見て店主は苦笑して


「しょうがねぇな……ノン、部屋の照明を切れ」


「えっ……あ、はい」


ノンが椅子から立ち上がって壁に設置されている照明のボタンに手を掛けて


「では消します」


という声と共にボタンを押して室内の照明を落とした。地下にあって、特に火器も使用していない錬金部屋は真っ暗になり、双子が小さく悲鳴を上げた。


「いいか?順に明視を掛けるぞ?」


そう言うと、ルゥテウスは4人に対して次々と『明視』の魔導を掛けた。言うまでも無くその前には自身にまず使っている。


 魔導を掛けられた者達は一様に……「ん?」という感じで辺りを見回している。この錬金部屋に設置されている照明はランプの炎の色とは違う白色光なのだが、彼女らが今目にしている視界は先程までのそれとは違う昼間日照下に居るような明るさとなり、違和感を覚えた。


「判るか?今お前らが目にしているのはこの部屋の照明では無いぞ?『明視』によってお前らが見ている空間から『暗闇』を取り除いている……と理解すればよい」


「えっ!?これが……明視……魔導なのですか?」


サナは店主の説明を聞いて仰天している。彼女がこれまで錬金術師として見知っていた「暗所での視力確保」である「暗視」という魔法とは全く違い、明らかにこれは「昼間の日光」と同じような見え方をしている。


「そうだな。「明るく」見えるだろう?しかしこれは逆に「暗さ」を取り除いているからそう見えているんだ。これが空間制御による調光だ」


驚くサナの隣に居る双子は……この魔導の意味が解っていないようだ。


「ふむ。この部屋の中では実感が湧かないか……よし。このまま外に出てみろ」


「え……はい」


 アトが立ち上がり、部屋の外に向かうとチラも続く。サナも既にこの魔導の効果を実感しているが、興味に負けて双子を追いかけるように廊下に出て階段を上って行った。


既に明視による効果を体験して来ているノンと、最後に苦笑しながら店主が階段を上り、作業場からカウンターを通って店の外に出ると、先に出ていたサナと双子はキャンプの「夜空」を見回しながら呆然としてた。


「なんで……?さっきまで夜だったのに……」


チラが当然にして湧き上がる疑問を口すると


「昼になった……?」


アトもわけが解らずに空を見上げるだけだ


「あ、あの……。街灯の光が全く眩しくないのですが……暗視だとこうは行かないはずなのですが……」


「そうだな。暗視のように視神経を増幅するわけでは無いから、街灯の照明は全く影響を及ぼさない」


「そ、そうなのですか……これが……導師様はこの魔導が使えると……?」


 まだ僅かながらにキャンプに住み暮らしている他の難民が、この時間になっても街灯で明るいメインストリートを歩いているのだが、その中心地である藍玉堂の店先で夜空を見上げて呆然としている3人を見て不審に思い、「何事か」と自分達も空を見上げている。

彼らの目に映っているのは当然だが街灯の光越しに星明りも見えなくなっている真っ暗な夜空のはずである。


その様子を見た店主が「やれやれ……」と苦笑と共に右手を小さく振ると、各人に掛かっていた「明視」の魔導が切れて、彼女達の視界もまた……見上げる通行人達と同様に暗い夜空に戻った。


「あっ」という声を上げて双子が目をパチパチさせながら我に返る。サナも文字通り「魔法が解けた」ような顔をして辺りを見回している。


「どうだ?自分達に掛かっていた魔導の効果を実感出来たか?」


「う……うん……」

「すごい……お昼のようでした」


 漸く「明視」の効果を理解した双子に「よし。部屋に戻るぞ」と言って店主が再び薬屋の中に入って行く。他の者達もそれを見て後に続き、ノンが最後に店の鎧戸を閉めた。


地下の錬金部屋に戻ったサナは


「いやぁ……あのような魔法……魔導があるとは……。お恥ずかしながら知りませんでした」


と、苦笑しながら初めて体験した魔導について興奮気味に語った。


「まぁ、そうだろうな。さっきも言ったが、これは魔導でのみ実現可能な現象だからな」


「空間制御術……と言う事は、瞬間移動や転送などと同じ系統ですか?」


流石に上級錬金術師であるサナは魔法の系統知識を持っていた。


「そう言う事だ。俺の感覚ではよく分からんが……空間制御術は総じて難易度が高いとされているな」


「はい。私も先生からそう聞いてます。では店主様以外の導師様では難しいという可能性はあるのでしょうか」


「そうかもしれんな。俺は割とこの『明視』自体は昔から使っている。夜間に空から測量する時とかな」


「あぁ……なるほど。そのような使い道が考えられますね……と言う事は、今回の監督様のご依頼に対しては、当初の『暗視薬』よりもこの明視を利用したものの方が適していませんか?……飛行船を使った上空からの観察……偵察でしたっけ?」


「うーん。そうだな……確かにお前の言う通りだなぁ」


 店主とサナのやり取りを聞いていたノンは先程渡された望遠鏡を取り出して


「さっきの……遠くを見るこれに……その明視を掛けるという事でしょうか?」


「えっ……?何ですかこれ?」


ノンが取り出した望遠鏡を見てサナが尋ねた。


「えっと……ぼうえんきょう……でしたよね?」


ノンがまたもや困惑した顔で隣に座る主に助けを求めるように聞き直すと


「あっ!これが望遠鏡ですか?こんな形をしていましたか……」


サナが驚いたような声を上げたので、隣に座っていたチラも驚いて椅子から転げ落ちそうになり、その隣のアトが咄嗟に姉の身体を支えた。


「ご、ごめんね……チラちゃん」


サナはチラに謝りながら


「先生に聞いた事があります。遠くの物体を見る道具ですよね?」


「サナちゃんは、これを知ってるの?」


「いえ、実物を見たのは初めてです。先生が……飛行船を作っていた時に『望遠鏡を備え付けたい』と話しておりまして……その時に『そういうものだ』と聞いたのです」


「なるほど。店長は既にゴンドラ部分に望遠鏡を設置しようと考えていたのか。まぁ、彼は灰色の塔(魔法ギルド)に所属していた頃に……その手の知識は文献で知っていたのだろうな」


文献好きのソンマの姿を想像したルゥテウスは小さく笑った。


「でも……先生も望遠鏡がどのような形状をしているのかはご存知無かったようです」


「ふむ。文字だけの文献では実物の形状までは分からなかったか。しかし、王都市中……とまでは言わないが、上流階級の一部や軍部では所有されていると思うぞ。俺の記憶では1300年前の国王が既に王城の西塔からこれを使って市中の様子を見ていたな」


「せ、1300年前……ですか……」


 毎度……店主の話に出て来る千年単位のスケールに絶句するノンに


「望遠鏡の構造自体は単純なもので、その『遠くに見える』原理も、今の文明復興と共に比較的早い時期に解明されているんだ」


「えっ?そうなのですか?」


「ああ。今お前が持っている物も、構造自体はその頃と殆ど同じだ」


「で、では……何故普及しないのでしょう?先程ルゥテウス様が仰られた暗視装置と違って、この望……遠鏡?は『普通の人』にとっても便利な物だと思うのですが……」


「まぁ、そうだな。お前の言う通り、軍隊や諜報機関だけでなく一般の人々にとっても『遠くが見える』という望遠鏡は用途があるかもしれないな」


「しかしそれでも、この望遠鏡が普及しない……いや、庶民では手が出ない程に高価な物である理由は、このレンズの精度にあるんだ。ちょっと貸してみろ」


 ルゥテウスはノンが持っている望遠鏡を手に取って、解体し始めた。単純な構造ではあるが小さな部品が多用されているので、彼の前の机上には様々な見慣れない部品が並び始めて、双子はそれを興味津々に見ている。


鏡筒の中から対物レンズと接眼レンズを取り出したルゥテウスは


「このレンズを磨く技術というのが、昔から殆ど発展していない……と、言うよりも俺の認識では、このレンズを研磨する技術が民間にもたらされたのは、結構最近の事だと思う。このようなガラスやレンズに関する技術は、長年に渡って救世主教が独占していたからな」


苦笑しながら、望遠鏡が民間に普及しない理由を説明した。


「俺がさっき話した1300年前の国王の話……68代アルヘン王が使っていた望遠鏡も救世主教団から献上されたものだった。奴等は結構最近までガラス製造についての知識と技術を独占していたのだが……ミルラという若者が、その技術を盗み出した……というか、持ち出した事で民間の極一部でガラス製造が始まったとされる」


「そんな事があったのですか……」


「今も言ったが、この望遠鏡は(ひとえ)にレンズの精度が肝なんだ。表面を極限にまで滑らかに……そして2枚のレンズの屈折率と焦点距離が合わないと、覗き込んだ時に映る像がボヤけたり歪んだりしてしまい、使い物にならない。だからレンズの表面を磨く技術が重要なのだが……その発展がほぼ無いと言ってもいいだろう」


「な、何故なのです?」


「まぁ、単純にそういう技術継承の問題なのだろうな。職人がレンズを磨く技術は徒弟制度によって継承されていて、『秘伝』とされているらしい。未だに手作業で磨いて、その指先の感覚だけで仕上げているらしく、その研磨に使う素材なども門外不出らしいぞ」


「そうなのですか……」


「だから民間には全く普及しないし、今でも目が飛び出るくらいに高額な値段で取引されている。金持ちの貴族や軍の一部でしか採用されないのは、そう言った理由があるからだ」


「では……この望遠鏡も相当に貴重な物なのですね……」


ノンが溜息交じりに言うと


「いや、これはさっき俺が自分の記憶を基に適当に作ったものだからな。ははは」


店主が笑い出すと、サナが驚いて


「え!?こ、これは……店主様がお造りになられたのですか?」


「あぁ。俺は一応、あんな救世主教の奴等よりも『これ』に関する知識は持っているからな」


「それに、現代の職人も苦労しているレンズの研磨は錬金術を使えば彼等以上に精密に行える」


「あっ……そうなのですね……」


 ルゥテウスはレンズの縁を持って自分の眼前に掲げ、数秒の間それを睨みつけるような素振りを見せた。


「ふむ。これでかなり補正されただろう」


もう一枚のレンズにも補正を加えた。彼の魔導によって補正を受けた2枚のレンズは例によって淡く青い光を放っている。

ルゥテウスは事も無げな様子で、望遠鏡を再度組み立て直して完成品をノンに渡した。


「さっきは適当に作ったが、これでかなり精度は上がったはずだ。しかし望遠鏡というのは構造上、どうしても『遠くのもの』を見ようとすると鏡像が暗くなる。光を集め切れないんだ。明るくするにはレンズの直径を大きくする必要がある」


しかしここでノンがふと……気付いた事を口にした。


「あの……く、暗くなる……のであれば『明視』が掛かる事で明るく映らないのでしょうか……?」


「ん……?」


店主は暫く考え込み……やがて驚いたように


「そう言えばそうだな!そうかっ!明視を付与する事で光量不足は解消されるのか!」


と声を上げた。彼にしては珍しいリアクションで、ノンやサナも彼とは別の意味で驚く。


「ノン……お前凄ぇな!理解していないようで、ちゃんと理解しているじゃねぇか!よし。早速試してみろ」


「え……?」


「その望遠鏡に『明視』を付与するんだよ。いつものようにイメージだ。あの付け木を作った時もそうだっただろ?」


「い、イメージって……」


困惑するノンに対して店主はいつものように暗示を掛けるようなゆっくりとした言い様で


「いいか……?イメージだ……暗さを取り除く……明るく見えるようになるんだ……その望遠鏡……いや……『筒』だ……その筒を覗き込むと……夜の暗闇から暗さが消えて……昼間のように明るく……」


店主の言葉を聞いて、ノンは両手で望遠鏡を持ったまま目を閉じる。先程、隣の大陸で体験した出来事……主に抱えられて空を飛び見渡した……昼間の様に明るく見えたエスター大陸の大地……。


 この様子を傍から見ていたサナや双子は彼女の集中の邪魔をしないようにか、固唾をのんで見守るような状況になる。

以前も自分達の目の前でノンがこのように集中する様子を見せて導符を作っていた事はあったが、今回は手に持った筒にこの前のような「ロウソクの火」などという初歩的な魔術では無く……魔導師にしか扱えない空間制御術を投影すると言うのだ。


ノンは頭の中でいつもの「緑色のゆらゆら」が暗闇の中……まるでその眼前に広がる闇を洗い流すかのようにイメージし……。


「わあっ!」

「えっ!?」


双子が驚く声で目を開くと、手に持っていた「黒い筒」がピンク色になっていた。


「うん……?成功……か?……しかし、相変わらずこの色になるのか……」


 この発色現象だけは理解出来無い店主が、笑いを堪えつつ……額から汗を流して一息ついているノンから「それ」を受け取って接眼レンズを覗き込む。


「うむ。確かに『明視』が作用しているな。部屋の照明とは違う色で見えているぞ」


ピンク色の望遠鏡を笑いながら覗き込んでいる主は、その笑いのせいで鏡像がブレてしまい……苦労しつつもノンの術式付与の成功を告げた。


「見たい!」

「ぼ、ぼくも……見てみたいです」


好奇心旺盛な双子がせがみ出す。サナも明らかに覗いてみたいという顔をしている。


「しょうがねぇな……よし。ちょっと集まれ」


 ルゥテウスは一同を自身の周囲に集め、右手を振った。その瞬間……視界が一気に暗くなった。どうやら店主は全員を別の場所に自分ごと転送したようだ。チラの顔に冷たい風が当たる。


「いいか?静かにしろよ?怖い連中に気付かれて捕まっちまうぞ」


「あっ……ここは……この前の……」


アトが驚いて店主にしがみ付く。


「ま、また……ここですか……」


サナが周囲を見回しながら小声で呟く。先日この場所を訪れた時は夫も同行していたが、この前よりも少し早い時間である為に、「この場所」から見渡す王都の夜景にはまだまだ光の点が多く浮かび上がっている。


「な、何か……結界を張った方がよろしいのでは……?」


ノンが心配そうに小声で提案するが


「今日は別にここで魔法を使うわけじゃないから必要無いだろ。大声だけは出すなよ。前回来た時よりも()()に居る『総帥』の波動が活発に感じる。瞑想状態では無さそうだ」


 ルゥテウスは特に恐れるでも無く忠告すると、手に持つピンク色の望遠鏡をチラに渡して


「よし。こっち側から覗き込んでな……こっち側の細い筒をゆっくりと動かしてみろ」


 チラは言われた通りに接眼口から覗き込む。すると、筒の中は昼間のように明るい光景がボヤけて見える。

「わあっ」と小さく声を上げながら接眼筒をゆっくりと動かし、やがて……


「見えるっ!すごいっ!」


彼女は元々、高い場所から周囲の光景を見渡すのが好きな性格をしているので、夜の王都を一望出来るこの灰色の塔からの『昼間の眺め』に圧倒され、身体の向きをクルクルと変えながら楽しそうに見ている。他の者達は夢中になってクルクル回っている彼女にぶつからないようにその場に座り込んでいる。


「ほら順番だ。アトに貸してやれ」


高所が苦手なアトは姉からピンク色の望遠鏡を受け取り……暗闇の中で隣に座り込む店主にしがみ付きながら立ち上がり、苦笑する店主に体を支えて貰いながら接眼鏡を覗き込む。


「うわぁ……」


はしゃぐ姉とは違い、苦手な高所とは言え純粋にその昼間のように見える鏡筒内の光景に息を呑みながらアトは周囲を見回す。


 やがて満足したかのように、それを今度はサナに渡した。サナは双子のように立ち上がる事無く、その場で接眼鏡を覗き込みながら


「これは……凄いですね。この望遠鏡にだけ付与が掛かっているのは却って都合が良いのかもしれませんね」


こちらは一応、その実用性についての意見を述べる。


「そうだな。直接本人に明視が掛かっているよりも、使い勝手は良さそうだな。何しろこうして複数の人間で使い回せる」


「はい。それにこの付与そのものは、この時点でもう魔法ギルド……『この下に居る人達』には感知されないわけですよね?」


「ああ。付与を掛ける瞬間は魔導特有の波動を感知される可能性があるが……こうして付術品になってしまえば、もう使用時に何かを感知される恐れは無い。この付術品は『受動的(パッシブ)』な効果を発する物だからな」


「そ……それはどういう事なのですか?」


 サナと店主をやり取りを聞いて首を傾げるノンに対してルゥテウスが説明をする。


「術式付与品……付術品は「能動的(アクティブ)」なものと今言った「受動的」なものに分けられる。能動的な付術品の代表が術符や導符だ。それにお前がこの前作ったロウソクの火を点ける付け木もそうだな」


「はぁ……」


「能動的な付術品は、使用者が念じないと効果を発揮しない。そしてその効果を発揮する際にマナや魔素、波動を動かしたりするから『使用した事』を感知される恐れがある」


「あ……そういう事ですか」


「それに対してこの望遠鏡のような『受動的』な付術品は、お前が付与を施した時点で、その効果を勝手に発揮し始めているから、今更それを使用……つまり望遠鏡を覗き込んだところで魔素やマナが動くような事が無いんだ。だから使用する分には一切それを感知される事は無い」


「そ、それは凄いですね……」


「まぁ、そうだな。付術品としては総じて能動的なものよりも受動的な効力を発揮するものの方が投影が難しい……らしい。サナ、そうだよな?」


「はい……。同じ効果を得られる物として比較しますと、受動的付術品の方が錬成難度は高いです。私もこれまでいくつか練習で作った事がありますが、あまり上手に作れた事がありませんね……」


「サナちゃんは何か作った事があるの?」


 望遠鏡を再びチラに渡したサナは苦笑を浮かべながら


「オルト先生に頼まれて、先生が使っていらっしゃるような聴診器(ステート)を作ってみた事があります。お弟子さんに使わせたいとかで……先生ご自身がお使いになられている物は昔、店主様が贈られたものだそうで……」


「あぁ……そう言えば院長と看護婦長に贈った記憶があるな」


ルゥテウスは子供の頃を思い出して小さく笑った。


「それと同等の物をと……ご依頼を受けたのですが、私にもあの先生がお使いになっている聴診器の構造が理解出来ませんでした」


「まぁ、そうだろうな。あれは魔導で動いているわけじゃないからな」


「あ……やはりそうなのですか?」


 飽きもせずに望遠鏡を覗き込むチラの身体を支えながらサナが驚きの声を上げると


「うむ。あれは確か……前文明時代の技術を使っている。チェストピースの中に音を増幅する機械が入っていてな。その機械の動きを維持する部分だけを魔導に置き換えているだけだ」


「なるほど……私はその構造が判らず、普通の聴診器に聴力を増幅させる身体強化術を付与しようとしましたが、結局は満足のいく出来にはなりませんでしたね……」


サナは苦笑した。


「暗視もそうなのだが、身体強化……特に人間の五感を強化する魔術や付与の場合、強化によって感覚が敏感になり過ぎてしまって却って弊害を起こしやすい。ノンも体験しただろう?暗視の効果を得ている最中に、逆に明度の高い物体を見てしまうと光量感度が過剰に働いてしまって視界が真っ白になる」


「あぁ……はい。私はあれが怖くて暗視よりも明視でどうにかならないか考えたのです」


「そうだな。聴覚強化もそうだ。使用中に不必要に大きな音が近くで鳴った場合に鼓膜を傷付ける恐れがある」


「なるほど。確かにそうですね」


「なので俺はあの時……院長に贈った聴診器を作る際には魔導では無く機械式にしたんだったと思う」


「そういうお考えがあったのですね」


「まぁ、この望遠鏡はこれでいいんじゃないか?色がアレだが……」


ルゥテウスはまた小さく笑いながら右手を振って双眼鏡を取り出し


「よし。ついでにこっちにも付与をしてみろ。チラ、ノンが領域を展開するから望遠鏡は使えなくなるぞ」


「はーい」


チラは望遠鏡を覗き込むのを止めて座り込んだ。


「よし、ノン。領域を張れ」


「こっ、ここでやるのですか?」


「効果を確認するのに、またここに戻って来るのか?面倒臭ぇだろ。ここでパパっと付与してしまえ。但し下の奴等にバレる可能性があるから領域を出してからやれ」


「わ……わかりました」


 ノンは目を閉じて念じると、ものの数秒で彼女の周囲に直径5メートル程のピンク色の魔法陣が一瞬現われて、直後に辺りが薄いピンク色の光が溢れる空間に変わった。


「わあぁ……」


チラは感嘆の声を上げているが、ルゥテウスは毎度この空間の色に堪えられず笑い出す。


 ノンが領域を展開したので、「下の連中」への警戒が解けたサナも寛いだ様子で


「この……黒い物は何なのですか?」


と、ルゥテウスが持つ双眼鏡に対して疑問を口にする。


「これは双眼鏡だ。望遠鏡と違って両目を使って視る為に遠近感が得られやすいんだ。そしてそれは長時間覗き込んでいても目が疲れにくいという長所にもなるんだ」


「そうなのですか……つまりこれは望遠鏡を横で繋いでいるわけですね?」


「まぁ、構造的にはそうなるな。但し短所もある。人間の視力は右目と左目で異なっている場合が多い。そうなると左右別に焦点を合わせる必要がある。距離の異なる対象を変える毎にそれぞれ調整する必要があるので慣れないうちは焦点合わせに時間が掛かってしまうのだ」


「なるほど……」


「まぁ、それでも単眼鏡よりも全体的には使いやすいな。もしも《青の子》の偵察に使用するのであれば、俺は双眼鏡の方を勧める」


「よしノン。中身の調整はやっておいたから、後はお前が再びこれに明視の付与をやるだけだ。さっきの単眼鏡でコツは掴んだな?」


「は……はい」


 ノンは主から双眼鏡を受け取ると、再度目を閉じて念じた。今度はあっさりと付与が成功したようで、一同の目の前で黒い双眼鏡があっと言う間にピンク色に変わった。


「凄い……相変わらず無詠唱ですね……」


サナが感心していると、店主が


「まぁ、恐らくは自分の領域の中でやっているからな。さっきの錬金部屋の結界は俺が張っているものだから、むしろこうして自分の領域でやった方が全体的に効果は上がるはずだ」


「あっ、そうか!そういう事ですね」


嘗て店主の張った「青い領域」によって母の病を目の前で治療して貰った経験のあるサナには、その説明が即座に納得出来た。


「よし。領域を解いて、付与の効果を確認してみよう」


「はい」


 ノンが再び目を閉じて念じると、薄いピンク色の空間は即座に消え去り、元の王都上空の夜空が周囲に広がった。時刻は間も無く20時になる頃で、王都のすぐ外側を取り巻く二層目の官庁街の灯が落ち始めている。


「ほら。チラ。覗いてみろ。さっきよりも少し重いから落とさないようにな。覗いてみて上手く見えない時はこの小さな円盤を回すんだ。ゆっくりとだぞ」


「はーい」


 チラはノンから双眼鏡を受け取って立ち上がり、再び王都の夜景を今度は双眼鏡で眺め始めた。


「すごい!よく見える!」


「静かにしろ。今は結界や領域が掛かってないから下の『怖い奴等』に聞こえちまうぞ」


「あうぅ……ご、ごめんなさい」


チラは小声で謝りながら、それでも双眼鏡から目を離す事無く周囲の観察を続けている。


「どうだ?さっきの片目で視るやつよりも見やすいだろう?」


「うん。見やすい」


「よし。ではアトも見てみるか」


「う、うん……」


 正直あまり乗り気で無いアトも、店主につかまりながら恐々と立ち上がり、姉から双眼鏡を受け取って周囲を観察し始めた。


「よ、よく見えます……さっきのよりも見えます……」


高い所が苦手なアトも、覗いて視られる鏡像には左程の高所感覚は無いのか、それほど怖がっている様子は無い。店主が横で体を支えてくれている為にある程度の安心感もあるのだろう。


「ではサナにも貸してやれ」


「はい。どうぞ」


明るい鏡像を見続けていたせいか……接眼鏡から顔を離してから目をパチパチと瞬かせたアトが双眼鏡をサナに渡す。サナもそのまま双眼鏡を両手で持ってそれを覗き視ながら


「あ……なるほど。確かに両眼で視る事で立体視は得られますね。なるほど。距離感もかなりしっかりと掴めます。見やすいです」


「そうだな。それとさっきノンが言っていたように、明視を付与しているおかげで倍率を上げても鏡像の明度を高いままに保てる。普通の望遠鏡や双眼鏡としても、今までこの世界に出回っているものよりも高性能であることは間違い無かろう」


 最後のノンがサナから双眼鏡を受け取り、自分の作り出した付術品の性能を確認した。


「よく見えますね……但し、先程……隣の大陸でルゥテウス様に掛けて貰った魔法で見た時と比べて、この筒の中でしか見えないのが窮屈な感じがしますね」


「まぁ、それは仕方ないだろうな。遠視……『千里眼』の魔導であれば物理的に遮蔽されていない限り自分の意思によってどこまでも遠くまで視る事が可能だからな」


「どこまでも……?」


「地平線の向こうまでは見えないが、その手前であれば見えると言う事だ。術を掛ける者や、付術品であれば錬成者の力にもよるがな」


「そういう事なのですね」


「まぁ、試作機としてはこんなもんだろう。製作としては成功したと言える。これなら監督の要求水準を満たせるんじゃないかな」


「そうですね……これは私が当初想像していた物以上の出来栄えです……」


サナが苦笑している。よもや「明視」などという「無理矢理空間を明るく見せる」などという魔導が存在していた事実を知らなかった彼女は錬金魔導の可能性について改めて驚いていた。


「よし。部屋に戻ろう」


そう言うとルゥテウスは一同を両手で抱えるようにして藍玉堂の錬金部屋に瞬間移動した。部屋に帰ってきた安心感か、双子……特にアトは大きく息を吐き出した。


 双子の修養をサナに任せて、ルゥテウスとノンは2階に上がり……念話でドロスを呼び出した。


依頼していた「暗い場所でも遠くが見えるもの」という、今までの常識であれば有り得ないような要望を僅か1日で応えられたドロスは驚きながらイバンを連れて藍玉堂の2階に現われ、ノンからピンク色の単眼望遠鏡と双眼鏡を渡されて困惑した。


「こ……これは……?」


「まぁ、あれだ。色は随分と面白いが気にするな。そこの窓からそれを使って外を見てみろ」


 笑いながら話す店主の指示に従い、イバンは単眼鏡を、ドロスは双眼鏡を持ってそれぞれコンロのある窓際に立って接眼鏡を覗き込み、同時に驚きの声を上げる。特にイバンは相当に度肝を抜かれたようで


「なっ!?なっ!?何でっ!何で昼なんですか!?」


慌てて接眼鏡から目を離して、手に持ったピンク色の望遠鏡を眺め回している。突然このような文明と魔導の利器に触れて何が何だか分からなくなっているようだ。


 一方のドロスも言葉を失いながら、やはり手にしているピンクの双眼鏡に目をやっている。大の大人2人が驚愕の表情で手にしたピンク色の物体を眺めている光景は店主の笑いを誘った。


「ま、まぁ……あれだ。お前達の要求はそれで満たせているのか?」


笑いながら店主に問われたドロスは尚も驚きの表情を崩さないままに


「こっ……これは……一体……私の想像した以上の物ですが……」


 そもそも彼は望遠鏡の存在すら知らなかったのだ。諜報の世界に足を踏み入れて修行時代からかれこれ35年になるが、このように遠くの物が目の前に……しかもその視界に存在するはずの夜空は映っておらず……いくら街灯で明るくなっているとは言え、店の目の前を通るキャンプの大通りが昼間のように見えるのだ。


双眼鏡から目を離して改めて同じ方向に目をやると、今まで表情までハッキリと見えていた大通りの通行人がその目で捉えるのが難しいくらいに遠くを歩いているのだ。


特にこの藍玉堂はその店舗を挟むかのように大通り(メインストリート)が南北に通っている為……目の前にある東向きの窓を開けて身を乗り出してみると、通りの南北がキャンプの端まで続いているのが見えるのだ。


 窓を閉めて大机に戻って来たドロスとイバンはまだ上手く言葉が発せられない様子で椅子に座り、相変わらず手にしているピンクの物体をあらゆる方向から観察している。


「俺は監督の持っている両目で視るタイプのやつの方が見やすいと思うんだが、どう思うね?」


「た、確かに……こ、この……両目の……そ、そうがんきょう?でしたか。こちらの方が安定して……見えますな……」


 この滅多な事で動じない「最も肝の据わったトーンズ人」と称される男が、未だ信じられないと言った様子になっているのを、ノンまでが笑いを堪えて見ている。


「こ、これは……両方ともノン様がお造りに……?」


イバンが恐る恐ると言った様子で尋ねる。


「見りゃ判るだろ。そんな色した物はこいつ以外に作れないぞ。わははは」


ついに堪え切れずに店主が腹を抱えて笑い始めた。ノンはその隣で苦笑いをしている。


「す、凄い……このような物を……」


「まぁ、筐体を造るのが面倒なんだ。とりあえずそれは試作品として持っておけ。俺はその双眼鏡を図面に起こして、工場長に量産が可能か相談してみる」


「そ、そうですか……お手数をお掛けします」


「但し……生憎だが完成品は全てその色になるからな。そこだけは了承してくれ」


尚も笑い続ける店主の言葉に


「しょ、承知しました。い、色など……問題ありません……」


 2人は立ち上がって、恐縮するノンに深々と頭を下げて礼を述べると、何かおもちゃを与えられた子供のようにはしゃいだ足取りで階段を降りて行った。その様子をまだ笑いながら見ていたルゥテウスは


「どうだノン。今回の事で少しは自信が持てたか?お前は経験さえ積めばもっと色々な事が出来ると思うぞ」


そう言って、ノンの頭をポンポンと優しく叩いた。ノンは顔を赤くしながら俯いて


「わ、私はまだまだです……また……色々と教えて下さいませ……」


消え入りそうな声で応えた。


「そうだな。今後は時間がある時に昔2人で薬草摘みに出かけたように、あちこち回ってみよう」


「はいっ」


嬉しそうにノンは答え、2人はまた地下の錬金部屋に戻った。

【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ


ルゥテウス・ランド

主人公。15歳。黒き賢者の血脈を完全発現させた賢者。

戦時難民の国「トーンズ」の発展に力を尽くすことになる。

難民幹部からは《店主》と呼ばれ、シニョルには《青の子》とも呼ばれる。


ノン

25歳。キャンプに残った《藍玉堂》の女主人を務め、主人公の偽装上の姉となる美貌の女性。主人公から薬学を学び、現在では自分の弟子にその技術を教える。

肉眼で魔素が目視できる事が判明した為、「錬金導師」として修行を始める。


サナ・リジ

25歳。ソンマの弟子で妻でもある。上級錬金術師。錬金術の修養と絡めてエネルギー工学を研究している。

最近はノンに薬学を学びながら、高貴薬作成を得意としているが最近はもっぱら夫であるソンマの手伝いをしている事が多い。


チラ

9歳。《赤の民》の子でアトとは一卵性双生児で彼女が姉とされる。

不思議な力を感じた最長老の相談を受けた後、サクロに連れて来られて魔術の素養を見い出されたので、弟と共に《藍玉堂》で修行を始める事となる。


アト

9歳。《赤の民》の子でチラとは一卵性双生児。彼は弟として育つ。

姉同様に術師の素養を持ち、主人公から錬金術の素養を見い出されたので姉と共にキャンプに通って来るサナの下で修行を始める。高い場所が苦手。


ドロス

54歳。難民キャンプで諜報組織《青の子》を統括する諜報一筋の男。

難民関係者からは《監督》と呼ばれている。シニョルに対する畏怖が強い。


イバン

27歳。《青の子》の指揮官の一人でラロカの甥。

王都の諜報で忙しいドロスに代わってトーンズ国側の諜報部隊を指揮する。

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