誓い
今回でようやく文通パート終了です。
【作中の表記につきまして】
物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。
・距離や長さの表現はメートル法
・重量はキログラム法
また、時間の長さも現実世界のものとしております。
・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日
但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日弱という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。
・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年
・4年に1回、閏年として12月31日を導入
以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくおねがいします。
日付が10月5日へ変わってから、既に何時間が経過したのか。
ただ、未だ空が白み始める様子は無い。朝までにはまだ十分時間があるだろう。ユーキさんは朝になったら様子を見に来ると言っていた。恐らく彼は俺の為に、祖父の為に今この時間も眠る事なく動き回っているのだろう。
彼の悲しみと苦労は察して余りある。俺がもし彼の立場なら……
ただ真実も碌に知らぬままに家族を立て続けに喪っていたならば、俺は正気を保っていられたのか見当もつかない。
リューンは俺の祖母を評し「気持ちが弱かった」と言っていたが、その兄のユーキさんは違うだろう。あれだけ強靭な精神を持っている人が他に居るだろうか。僅か五年やそこらで自分の肉親やその家族が次々と亡くなって行くのだ。
考えてみるとこれ程恐ろしい事は無い。これが呪いで無くして何なのであろうか。
俺はリューンから最後の話を聞く。そしてこの後の自分の行動を決める。但し行動の一番最初はもう決まっている。下で安らか……ではないだろうが……眠る祖父に対して誓いを立てる。
もう決して泣かないと誓いを立てる事。
それが俺が最初にやると決めた事だ。
(リューン、話してくれ。最近の事を)
『分かった。私がお前の代りに見て来た事。知り得た事で封印の制約に触れない範囲で話せるだけの事を話そう』
そう。厄介な事に俺に掛けられている封印にリューンも影響されている。
(その封印の制約なんだけどさ、もしかしてお前の見護りが俺に移ったあとに食らったから、お前にも制約が掛けられてしまってるんじゃないのか?)
『うむ。私も恐らくそうであると推測する。私が以前のように自由に実体を出せないのも、これが原因であるのかもしれない』
この封印は非常に厄介だ。俺の力を抑え込んでいるだけならまだいい。俺は自分でも時々忘れてしまうくらいだがまだ5歳の幼児なのだ。その5歳の幼児がこれだけの知性を持っている状態なのだから普通の幼児よりは、よっぽど恵まれているだろう。
しかしそのせいで、理不尽な扱いを受けた過去を……過去の真実までをも覆い隠されてしまっていては、俺も納得が出来ない。
『ユーキの父が亡くなってからは、それこそほんの数年だがな……お前の周りにそれ程大きな事件など起きる事もなく時は過ぎたように思えた。お前も凡そ大人しい、それこそ不気味なくらいに大人しい赤子であり幼児であった』
『両親を次々に喪っても、妻と二人でレストランを切り盛りし、成長した息子を王都の店に修行に出したユーキも、過去を嘆く暇もないくらいであった』
『お前も祖父に連れられて海鳥亭には何度も食事に出かけていたし、食べ物の好き嫌いなく黙々と出された料理を減らしていくお前を見て、伯祖父夫婦も目を細めて喜んでいた』
『そして何より、お前は近所の住民全てに愛されていた。私もこう見えてこれまで、人には言い尽くせぬ程の長きに渡り色々な人々の成長を見守り続けてきたが、お前程に周囲の人々に愛されて育つ者を見た事がない程、何か見えないものがそれを操っているのかと思うくらいにお前は人々の愛の中で育てられていたのだ』
(そうか。それは嬉しいな……俺は近所の皆さんに大きな恩を受けてしまっているようだな)
『あれだけの出来事があったにもかかわらず、そのような穏やかな時が流れ……そしてまた波が立ち始めた』
(また何か……奴等がやらかしたのか)
『まぁ、結果としてはそうなんだが前回とは全く逆の話でな。9月25日だったか。今から2旬程前の事だな。あの公爵の屋敷から馬車がやって来た』
(一角亭のネイラ婆さんが言っていた「あの黒い馬車」の事か?「悪魔の遣い」としておなじみの?)
俺は多少皮肉を交えて言った。
『悪魔の遣いかどうかは分からないが、確かに宿屋の女将が言っていた黒い馬車だ』
『馬車から、表情を消して冷たい視線を送る男がな、お前達二人を公爵屋敷に招くと言い、一方的に連れ去ろうとした』
(何だそりゃ?ひどい話だな)
『ローレンは抵抗してな。連れて行くなら仕方なく従いはするが、店をこのままにする事は承服出来ないと主張して、結局一日だけ店を閉める時間が与えられた』
(あぁ、だから初めてこの店に入った時に中が綺麗に片付いていたのか)
『結局、藍滴堂の戸締りをしてここを出発したのが翌26日の昼頃か。店の前の馬車を下町の近所の人々が睨み付けるように遠巻きに見ていたのを覚えているぞ』
(そりゃ悪魔の遣いだからだろ。嫌厭されて当然だ)
『この町から領都オーデルまでは馬車で5日の旅程だ。途中で人と馬を休ませる宿駅と呼ばれる村々が路線として結ばれていてな。
片道4泊しながら5日目に到着すると言う馬車路線網が領法で定められているのだよ』
まぁ、田舎町とは言え……そこそこの人数が住むダイレムのような地方の町と領都のような大きな都市をそのような路線網で結びながら、途中の宿駅村にもお金を落とすような経済システムが一応出来上がっているのだろうな。わざわざ法律で定められているのもそう言う事なんだろう。
『お前を懐妊して間もない頃にこの旅程で馬車に揺らされ過ぎて体を一時壊したお前の母親と違い、お前は全く体調を崩す素振りも無くてな、むしろ同行したローレンや公爵屋敷からの男ですら顔色が悪くなるくらいだったのが見ていて滑稽だったな』
『ローレンは自家製の酔い止めのような物をお前と自分だけこっそり飲んでからはケロリとしていたが。やはり凄腕薬剤師の作る酔い止めは抜群の効果を発揮したようだ』
リューンは祖父の薬剤師としての手腕を誉めそやした。
『やがて5日後の9月30日午前早目の時間に領都オーデルにあるヴァルフェリウス公爵家の屋敷に到着したお前達は、碌に休憩も与えらぬままに待ちわびる公爵の前に引き出された。どうやらジヨームはお前達の到着を相当に待ち望んでいた様子であった』
(えーっと……つまり俺と公爵が初めて対面したって事か?)
俺はリューンから色々と公爵の話を聞かされていたので、最早彼とはその前から付き合いがあったかのように錯覚していたが、この時が父子の初対面であったはずだ。
『そうだな。お前達父子が対面したのはこの時が初めてであった。本来ならばここで血脈の感知がお互い働いて、少しは何か違和感でも感じるような事があるのかと思ったが、私から観察した分には、お前達父子の間にそのような反応があったようには見えなかった』
『やはりお前の側で封印によって感知が妨害されていたのかもしれないな。私自身はジヨームの中に血脈を感じていたが、ジヨームは私の存在にも気付かなかったように見えた。
まぁ姿は見えないわけであるしな。アリシアに移る前に40年以上見守ったが、元々彼の近くで見護っていたわけではないので私と言う存在には結局気付かず終いであったのだろう』
(ふぅん……そんなもんなのかね)
『恐らくだが、彼の先代……第106代の父シアールとの間には血脈を感じていたと思われる。そしてシアールとの死別以降はそう言う感覚が働かないまま過ごしているのかもれない。何しろ彼の「息子達」に血脈は存在しないからな』
(あぁ……そういえばそうか)
『とにかく父子の対面は果たされたわけだ。実は私にも今更何故お前達二人がジヨームに呼び付けられたのか理由が分からないままなのだ』
(え?リューンにも分からないの?)
『最初は遅まきながらジヨームがアリシアの死を知って、その遺児を認知するのが目的かと思っていたのだがな』
(いや……俺は何かそんな感じで聞いてたけど違ったの?)
『うむ。ジヨームはローレンから聞いたお前の名を何度か呼びかけたのだ。名前をローレンに聞くまで知らなかったと言うのもおかしな話なんだがな』
(初対面に続いての初対話か。本来ならば感動的な場面だな)
『いや……そこからはもう、ちょっとした修羅場だ』
(え……?なんで修羅場なの?感動的な父子の初対面でしょ?)
『いや、生憎だがそんな上等なものでは無かった。お前はジヨームを全く無視していた。まぁ、その頃はまだ封印が全開で作用していたからな。
お前の知性も人格も全て封印されていたように私ですら日々のお前を観察しながら思っていたくらいだから、ジヨーム如き無能力者が封印を破れるわけがない』
(お前は40年も見守っておきながら、公爵には結構容赦ない評価を下してるよね)
『それはそうだ。40年以上も観察してきたからこそ、あの男の無能と無気力を誰よりも理解しているつもりだ。一時期は血脈の断絶を本気で心配していた程なのだからな』
(あぁ……そうか。お前は結構焦ってたみたいだったからな。さっき聞いた話でも45歳になったら結構な「エグい方法」で強制的に子作りをさせるような予告をしていたしな)
『そう言ってくれるな。私にも33000年と言う長きに渡る時間を積み重ねてきた《責任感》と言うものがあるのだ』
(いや、結構カッコいい感じで言ってるけど手段の内容がエグいのは否定出来ないからね?
お前は……信じがたいが女性だから理解出来ないかもしれないが、そんな無能・無気力な中年男にエグい方法でプレッシャーをかけたら逆に男性機能が喪失してしまうかもな)
『いい加減、私が女性である事に納得してくれ。確かに……お前の言う通り、逆効果になっていた可能性はあるな。これは今後の反省点としておく』
(ぜひお願いしますよ。俺も含めてね)
『自分を無視し続けるジヨームはお前の聴覚や閉じられた右目の機能についてローレンを詰問していたな。当のローレンもジヨームを憎み切っていたから不遜な態度で答えていたが』
(おじぃも肝が据わっているな。腐っても相手は公爵であり、領主様なのにな)
『ローレンもそうだが、ユーキの肝の太さも凄まじいぞ。彼は父親の葬儀の後にアリシアを公爵に売り渡したと思い込んでいたガルロ商会に包丁二本を両手に持って突撃しようとしていたからな』
(うぉっ!ユーキさん、そんな無茶しようとしてたの?)
『夜中に独りで商会本館に向かっていたユーキを妻のラミアからの通報を受けてローレンが追いかけて止めに行く騒ぎを起こしていた。私はお前の周りから動けなかったから確認出来なかったが、ユーキが今も生きていると言う事は未遂に終わったのだろうな』
(うーん……。うん?そう言えば、お前は何で俺の周りから動けないんだ?お前の能力の一つに好き勝手な場所に移動出来る能力があるんだろ?昔、月までお気軽に行ってたような)
『封印だよ。封印されて実体化出来ないのだ。お前と音声で交信出来ないのも、姿を見せられないのも、自由な範囲で移動出来ないのも封印が原因だ。私の転移には実体化が不可欠なのだ』
(うわ。やはりそうなのか。つまり俺の封印が完全に解けない限り、俺の気付かぬ間もお前が近くに居ると言うこの鬱陶しい状況は改善されないのか)
『くくく……』
(ムカつくわ……)
『話を続けよう。もう少しだ。ローレンから耳はともかく右目の話を聞いたジヨームはかなり狼狽していた。そしてお前の右目の状態を強引に確認しようとしたのだろうな。屈み込んでお前の顔に手を伸ばしたのだが』
(え。黒い目がバレたの?)
『いやいや。その時点でお前はまだ封印が全く解けていない。封印が解ける前のお前の右目を私は何度も見ているが、瞳すら無かったのだ。その頃のお前の瞼の奥にはただの白目だけの眼球が入っているだけであった。いいか?虹彩や瞳孔から色が抜けていたと言うような話ではない。「瞳そのものが存在していなかった」のだ』
(え?)
なんかちょっと怖い話が始まったぞ。
『私は初めてお前の右目を確認した時、誰かが自分の知らない間にこの子の右眼球と白い玉でも入れ替えたのかと思ったくらい驚いた記憶があるぞ。
何しろお前は封印されていたとは言え、完全な発現者なのだ。
封印で賢者の知が発現していないとはいえ、瞳すら無いのは私から見ても明らかに異常に思えたのだ』
『そうだな……。適切な表現かは分からないが、当時は瞳の部分を眼球から綺麗に剥がされていたと言う印象を受けたものだ』
なっ……なんだそれ……怖っ。
(なんと……それで俺の目はどうなったの?)
『いや……どうもこうも。知りたいなら、ほら。そこの姿見で好きなだけ確認しろ。但しまた賢者の黒を見て騒ぐなよ』
(あっ……なんだよ……本気で心配して損したわ)
『お前は時々面白い反応をする事があるな』
クソっ……本当にムカつくわ。
『続けるぞ?ジヨームがお前の右目に手を伸ばしたのだが……それまで全く彼を無視……と言うよりも何事にも無反応に虚空を見つめていたお前が突然その手を払ったのだ。
結構乾いた音が鳴って、私もローレンも、ジヨーム本人も驚いていた』
いくら魯鈍な幼児で、自分の息子とはいえ公爵ともあろう者がパシっと手を叩かれれば普通は怒りそうなものだが。
まぁ、無遠慮に他人の顔に手を伸ばす事自体、褒められた事ではないかな。
『更にお前はそこで初めて父親に対して感情を見せたのだが……それは正常な左目で父親である公爵を睨み付けると言うようなものであった。ユーキが見ていたら痛快に思ったかもしれないな』
(あはは……当時の俺もちょっとヤンチャだったのかな)
『いや、当時ってまだ6日前だからな?お前に睨まれたジヨームは突然立ち上がって怒り狂った様子だった」
(あら。怒らせちまったのか)
『何かお前の事を「使えない」だの「役立たず」だの罵っていたのは分かった。そしてお前をさっさと連れて帰るようにローレンにも喚き散らしていた』
(そりゃひどいな。俺の今までに聞いた公爵に対する印象は無能そうだけど大人しいイメージだったのに)
『私も彼があのように激する程に感情を露わにするのは久しくなかった。私も元々彼をずっと近くで見護っていたわけではないが、あれだけ声を荒げて悪態をつくのは高慢な態度が目に余った幼少時の「偽長男」に対して叱った時くらいしか思い出せないな』
偽長男とは……軽い感じで辛辣な呼び方をするね
(なるほどなぁ。で、祖父はどうしたの?)
『いや、ローレンもなかなかの硬骨で二度と来ないと言うような言葉を吐いてお前を連れて辞去していたぞ』
(おじぃも凄いな……)
『ローレンはこの時点で相当頭にきていたようで、帰りの馬車の手配も一切無視して公爵と屋敷の連中に当てこするように無言でお前の手を引いて屋敷を出ていた。
但し、いつものんびり歩くお前の歩調に合わせるのを忘れずにな』
(おじぃ……かっこいいな)
『ローレンはいつもそうであった。お前はいつも無表情でどこを見ているか分からないような視線でのんびり歩くので、彼はいつもそんなお前の手を引いて一緒にゆっくりと歩いていた。一見凄く不愛想な職人気質の者に見えて、ローレンはそう言う男だったのだ』
『近所の人々はそんなお前達を微笑ましく見ていたが、お前はローレン以外の人間には決して手を引かせなかった。
ユーキもそうだし、近所の人々もそれをちゃんと分かっていたようだからな』
(おじぃ……そうだったのか……)
そしてこの近所の人々は本当に温かい心を持った方々だ。ここは俺の生まれ故郷であり、こんな障害を抱えて孤児になってしまった俺をこれからも受け入れてくれるのだろう。
俺は確かにリューンの言う通り、賢者の血脈の発現者なんて言う突拍子もない存在なのかもしれない。
しかしその前に俺は一人の人間としてこの町に、この人々に受けた恩を忘れるわけにはいかない。
そして……そんな俺をこのような境遇に堕とした何かを俺は絶対に許さない。
『結局、お前達二人は突然領都に引っ立てられた挙句にそのまま30分もしないうちに追い返されたのだ。
私は……多分ローレンもだろうが、公爵がお前を認知するのではないかと思っていたので、ローレンはともかく私は拍子抜けしたな』
(何だそれ……随分と失敬な話だな。勝手に5日もかけて呼び出しておいて30分って……)
『認知するつもりが、お前が思わぬ障害を抱えている事が分かり追い返したと見るのが私の推測だが、それにしてもジヨームがお前に吐いた「使えない」だの「役立たず」と言うのが何か引っかかるな。言葉だけをそのまま取ればお前を何かに利用しようとしていた節がある』
(無能・無気力でおなじみの公爵様が何か碌でもない事でも考えていたのかね?)
『経過だけを先に説明する。ローレンはお前の手を引き、時には抱えながら長距離馬車の乗り場からダイレムに帰る事になった。
但し、お前達はダイレムから荷物を全く持たないまま連れてこられていて、道中の着替え等は途中の宿駅に全て用意されていたのだ』
『この事からも、私はジヨームがお前との対面を急いでいたと推測したのだ。認知の件に関しても同様の推測から思考を伸ばしただけだ』
(とにかく急いで呼び出してみたが、右目が潰れた魯鈍な幼児が現われて失望したのかな。それで怒鳴り散らしたと)
そう思って俺は自分の着ている服を見てみた。姿見でも少し確認したが、帰りの道程も等しく5日あったにしては服は汚れていないように見える。これは祖父の様子も同じだった。
(俺の記憶が正しければ、おじぃが斃れて俺の封印が一部壊れたあの時、俺達は荷物なんか持って無かったぞ。着替えとかどうしたのかな?)
『お前達の帰りの道中の服に関しては、途中の宿駅に用意がしてあったのだ』
(え?どう言う事?それってちょっと怖くない?)
『いや、私が観察していた限りでは、帰り道の宿駅で厳密にはローレンだけの準備が整えられていて、食事も睡眠の部屋も着替えも用意されていたのだ。
そしてダイレム側に一番近い最後に泊まった宿駅には、ローレンとお前がダイレムを出る時に着ていた……今着ているその服だ。その服が洗われた状態で用意されていたのだ。
なので結局お前達二人はダイレムから出発した時と同じ服装でまたダイレムに戻ってきた事になる。しかも手ぶらでだ』
(うん?益々わからん。そんなサービス旺盛なシステムだった?)
『これはな。一応ちゃんと理由があって、服や食事や部屋の用意そのものは元々しっかりと公爵家から通達がされていたのであろう。そして往路は二人分の、そして復路はローレンだけに用意がされていたのだ。
つまりお前は領都に残って、ローレンだけがさっさと返される予定だったと言う事だ。思いがけずお前も帰ってきたので宿駅では慌ててお前の分まで食事や服が用意されていた』
(なるほど。事情は何となく分かったけど何故おじぃだけが?)
『それだからだ。私はお前のへの認知が既定となっていて、そのままお前だけが屋敷に留め置かれる予定だったのだと推測したのだ』
『しかし予想に反してお前は認知されなかった。恐らくその障害を負っていたと思われた右目がネックになったのだろう。それが原因でお前の「利用価値」が失くなったと言うわけだ。
つまりお前を認知して引き取るのはジヨームの善意なんかではなく、何事かの打算によって行われようとしていた事なのだろう』
(そう聞くと、なんかムカつくな。「使えないからやっぱりいいや、さっさと帰れ」みたいな感じで)
『今こうして私から又聞きしているお前ですら感情を害しているのだ。ローレンの心情はいかばかりか?大切な孫を欠陥品のように扱われたんだぞ?』
(あぁ……あぁぁぁぁぁ!思い出したわ!うん。思い出した)
俺は祖父と歩き出す前に「ずっと何かに揺られていた」時の事を思い出し、その時に見た祖父の顔が非常に険しかったと言う微かな記憶を頭から引っ張り出した。
(おじぃ、なんか凄い怖い顔をしてたんだよ。ずっと。で、俺はなんか怖くてさ……)
『思い出したか。お前は帰りの馬車の中でも宿駅での食事中も、睡眠を摂る前の寝台の上でも、時折ローレンの顔を見て怯えているような素振りを見せていた。
当のローレンは恐らく繰り返し押し寄せる怒りを抑えるのに必死だったのだろう。お前の怯える素振りを「知らない土地で不安になっている」程度にしか見て無かったのかもしれない』
(そうか……そうだったのか……)
俺は何かずっと頭の片隅に引っかかっていたものが漸く外れたような気分になった。
俺は多分、生前……それ程前でもない時間に見た祖父の怖い顔は、もしや俺に何か落ち度があって怒らせていたのかもしれないと言う思い込みをしていたのかもしれない。
(そうか……祖父は公爵家の……いや公爵の振る舞いに対して怒っていたのか……俺が怒らせていたのでは無いんだな)
『ローレンはな。死の直前……本当に直前だ。数分前に漸くお前が自分の表情を見て怯えている事に気付いたのだよ』
(数分前……そうなのか……もう本当に寸前だな)
『あの時、二人はダイレムの馬車乗り場で馬車から降りていつものように二人で手を繋いで歩き出していた。いつものようにゆっくりとな。
そして下町のこの家に向かって。ローレンは狭い馬車の中で揺られながらずっと怒りを堪えていた。5日間もだぞ』
『馬車乗り場からの帰り道に、あのガルロ商会の建物があってな。ローレンはそこで一度立ち止まって珍しく悪態を突いていた。
恐らくお前はそれも見て一層怯えたのかもしれないな』
『町の中心部と下町との間に流れている川の橋を渡って暫くしてからローレンはお前が怯えている様子に初めて気付いたのだ。自分が孫を怯えさせていたと言う事に』
『そうだ。お前が覚醒した、あの場所だ』
(そうなのか……おじぃ)
『そしてあの時……だ。ローレンはお前の態度に気付いて立ち止まり、お前の前にしゃがみこんでお前と顔を突き合わせながら……』
―――どうした。そんな顔するな。
これからもお祖父ちゃんと一緒じゃ。
大丈夫じゃよ。
お前はなーんも気にしないでいい。
今度、町の外まで一緒に薬草を摘みに行こうな―――
『それがローレンのお前に遺した最期の言葉だ』
そうか……それが祖父の最期の言葉か……。
(おじぃは最期まで俺に優しかったんだな……)
『お前が安心したのを見てローレンが立ち上がった時だ。彼に異変が起きたのは』
『私は長年に渡って多くの人の死を見てきた経験から話すが、恐らくローレンは強烈な怒りを押し殺しながら狭い馬車の中に座り、何日も過ごしているうちに激しい血圧の上下を繰り返していたのではないだろうか。
そして馬車の狭さから解放され、お前と二人で帰路に付き、途中でお前を安心させる為にしゃがみ込んだ。
そしてその後立ち上がった時に心臓と肺に対して瞬間的に大きな負担がかかって心臓発作に繋がったと思われる』
(なっ……!)
『心臓の痛みは尋常では無いと思う。今だから話すが……実はまだ人間の発現者だった頃の私の死因も心臓の発作であったのだよ。私は76歳まで生きれたがな』
『胸をな……細い刃物で繰り返しえぐられるような痛みが繰り返されるのだ。ローレンの表情もそのような感じに見えた。私はそれを見ている事しか出来なかった』
『お前は……あれ程魯鈍なお前は……あの時だけ、何かに気付いたかのように、必死でローレンに呼びかけていた』
『ローレンの命が尽きた時にな……お前の頭上に《封印の布陣》が一瞬出現して、ヒビが入ったかのように見えた。奥義級の巨大な布陣だ。魔法陣が消えた直後にお前が急に右目を抑えて喚きながら屈んだ様子を見て私は「封印が解けた」のかと思ったのだ』
『お前が右目から手を放して、これまでに見た事も無いような我に返った表情を見て私はお前の目に賢者の黒が顕れたのではないかと直感して「右目を人前で開けないよう」に慌ててお前に呼びかけたのだ』
『お前にあんな形で私が直接接触するのは初めてであったが、お前はよく踏み留まってくれたな。今更だが改めて礼を言う』
(何を……何を言ってるんだ……あの時、お前が俺に忠告してくれなければ、俺は今頃化け物扱いで近所の人々との関係も終わっていたかもしれない……俺の方こそ礼を言う。ありがとう。俺を独りにしないでくれてありがとう)
俺は今、全ての話を聞き終わり自然な気持ちでリューンに礼を言った。リューンの返事は無く、ただ無言でベッドに腰をかけたまま暫く時が流れた。
ランプの油が切れる「プシッ」と言う音と共にランプの灯りが消えて部屋が暗くなり、俺は我に返った。
カーテン越しの窓の外は少し白んできているように見えた。
(さて……そろそろおじぃにお別れを言わないとな)
俺は灯りが消え、油も切れて軽くなったランプを持ち、暗くなった足元に注意しながら急な階段を一階に向かって下りた。
一階の作業台の上に吊ってあるランプは大きいので、まだ暫く油が切れないのだろう。
一階の灯りを目指して階段を無事に下り切り、俺は持っていたランプをカウンターの上に置いて、祖父の遺体の横に立った。
昨日の昼間、祖父を囲んで祈りを捧げた皆さんやユーキさんは祈りの言葉を胸の内で唱えていたのだろうが、生憎俺はそんな祈りなど信じない。
だから声を出して祖父に別れを告げる事にした。それでも夜中の通りに響かないように抑えた声で。
「おじぃ、お別れの挨拶が遅くなってごめんなさい。おじぃには一杯お世話になったから、独りだけになって改めてちゃんとお礼が言いたかったんだ」
「おじぃ、今日まで俺を育ててくれてありがとう。俺を独りにしないでいてくれてありがとう」
「そして……最後に薬草摘みに誘ってくれてありがとう」
そこまで言って……俺はあれだけ決心したのに声が詰まってしまった。
「おじぃ……今日、俺は独りになった。まだユーキさんも、近所の皆さんも居てくれるけど……本当の家族はおじぃだけでした……」
「だから……もう俺は……ひ、独りになってしまったけど……うぅぅ……」
クソっ!ここで泣いてどうする!もう少しだ。もう少し頑張れよ俺っ……!
「だから……独りになったけど……おじぃが安心して眠れるように……俺はもう、泣いたりしない。おじぃの事も、おばぁの事も、……母さんの事を思い出しても……もう泣かないよ……」
「おじぃや、おばぁや、母さんが今どこで見ているのか……俺には分からないけどさ、俺は約束するよ……」
「もう泣かないし……俺達に……これだけの悪さをした奴等を……俺が絶対に償わせる……」
「おじぃの無念を……おばぁの悲しみを……母さんの苦しみを……必ず俺は……償わせてやる」
「だから、安心して眠って下さい。そして……見ていて下さい」
俺は最後の別れを告げ、泣くのをやめた。これで俺はもう泣けなくなった。償わせるまでな……。
『ルゥテウスよ……聞こえるか』
(なんだ……?)
『教えてくれ。償わせるとは……具体的にどうするのだ?』
(その時にならないと分からない。しかし俺は、これからはその事だけを考えて生きる。俺達をこんな目に遭わせた奴、奴等に……後悔させた上で同じ量の苦しみで贖わせるつもりだ)
『そうか……私は多分、そんなお前を止める事も出来ないし、止めようとも思わん。それでも、それでも聞いて欲しい事がある』
『お前の封印はいつ解けるのか私にも解らない。いつ解けるのかも、どうすれば解けるのかも。私はお前に教える事が出来ない。もしや私はその答えを持っているのかもしれないが、制約が私を縛るのだ』
(解っている。解っているからもう気にするな)
『そしてもし……お前の封印が全て解けたなら……お前は間違い無く「史上最強の賢者」になるはずだ』
『前にも話したが、血脈の継承と発現には代が下る毎に先達の記憶の蓄積が全て上乗せされるからだ』
『これまで私が見て来た中で最強だと思っていたショテルやヴェサリオ、彼らと比べてもお前は更に巨大な蓄積を得る事になる』
『ショテルですら月を動かしたのだ。ヴェサリオは人間共を庇いながら、空いている片手でこの大陸の魔物を一掃してみせた』
『封印が解けたお前がその気になったら、この惑星ラーですら消滅させてしまうくらいの力を得られるかもしれない』
……。
『だからその《力》を使う前に……「償わせる」前に少しだけ考えて貰いたいのだ。「怒りに身を任せて力を振るうな」と』
『お前が恩を受けたこの町、そこに住む善良な人達。彼らの事を忘れないように……思い出してから力を振るってくれ』
『私からの話は以上だ』
(解った。お前からの《忠告》はいつも正しい。俺がこれから力を振るう機会がある毎にお前の言葉を思い出すようにしよう)
『ありがとう』
俺は祖父への挨拶を終え、作業机の下から三本足の丸椅子を引っ張り出し、そこに座って正面の壁の天井付近に空いている小窓から明るい朝日が差し込むのをボンヤリと眺めていた。
カチャン カタタン ズッッズズッ
突然、入口側から何か小さな音が聞こえてきたかと思ったら、向かって一番左側の鍵が付いている鎧戸が開いた。鎧戸が開くとその隙間から朝の光が室内に入って来た。
あれ?鍵は俺が持ってるのだが?
暫く朝の光を背負って逆光になっていたが、鎧戸を開けて中に入ってきたのは昨夜の喪服のような恰好をしたユーキさんであった。
「おっ?ルゥ?おはよう。お前、ずっとここに居たのか!?」
「うん。おはようございます」
ユーキさんは俺が作業机の横に座っているのを見て驚いていた。
いや、俺は自分が持ってるはずの鍵を開けてきたユーキさんに驚いているけどね。
よく見ると、ユーキさんは何か赤い紐が付いた鍵を持っており、もしかして合鍵を持っていたのかもしれない。
そう言えば、やけに鍵を開ける手際が良いからな。今まで何度も鍵を開け閉めしているのだろう。親戚だから鍵を互いに持ち合っているのかもしれない。
「お前……ちゃんと寝たのか?一晩中ここに居たのか?」
「うん……ごめんなさい」
声に少し咎めるような色を感じたので、俺はすかさず謝った。
「いや、別に謝る事は無いんだけどな。眠いだろ?それとも怖くて眠れなかったのか?」
「だいじょうぶだった」
「そうかそうか。お。そうだ……」
ユーキさんは鍵を自分の喪服のポケットに仕舞い、代わりに肩から下げていたカゴをカウンターの上に置いた。
「ほら。ご飯作って来たから。お前もしかして何も食べてないだろう?お向かいにも行ってなさそうだしよ」
「よし。奥の机で食べような」
「はい」
どうやら俺は今まで確認していなかったが、一階には更に奥の部屋があるようだ。そう言えば明るくなって改めて奥を見ると、右壁の階段の向こう側に通路がある。一角亭の階段の向こう側と造りが何となく似ている。
但し、一角亭では厨房の間口とカウンターがあった入口正面の壁面一杯に小さな引出しが大量に付いた、造り付けかと思われる薬剤棚が設置されていた。この辺はここが薬屋である事を外から見ても一目で解るポイントだろう。
カゴを再びカウンターの上から持ち直したユーキさんが奥に向かったので、俺はその後について行く事にした。
通路はまだ少し薄暗いがその先は少し開けた部屋になっており、窓があるのか、少し明るくなっていた。先程の薬剤棚の裏側は右側の廊下にある扉から入れるようで、少し開けて中を覗くと何の事はない、そこは洗面台とトイレが設置されていた。
ただ、俺が我が家ながら感心したのは薬屋であるせいか、それとも祖父の個人的なセンスだったのか、トイレの中には何らかの芳香剤のような物が置かれているのか撒かれていたのか全く癖の無い、それでいて絶妙な濃度でトイレの臭いを消していた。
奥の部屋は四人が座れるテーブルに背もたれ付きの木の椅子が二脚ずつ向かい合わせに置かれていて、ここが恐らく日常的に我が家において飲食を行っていた場所であると思われたが、隣に壁一枚を挟んでトイレがあるにもかかわらず全く気にならなかった。
部屋は意外と奥行きがあり、通路から右壁沿いに入ると右側の壁には掲示板のような物が掛かっていて、何枚か書き付けのような物が留められていた。
反対側の左壁までは6メートルくらいだろうか。それ程広くはないが壁には大きな窓が付いており、既に日が昇り始めている朝の光が眩しいくらいで、この部屋にはもうランプは必要無さそうだ。
奥の壁までは8メートルくらいあり、部屋全体は思っていたよりずっと広かった。奥の壁の正面には台所があり、流し台や竈が並び左端には扉が付いていた。多分裏口と言うか、勝手口だろう。
こうして見ると改めて思わされるが、藍滴堂は恐らく下町のこの辺りにしては裕福な家と言うか、貧しくは無い暮らしを送れていたのではないか。
まぁ、老舗である店構えもそうだし凄腕の薬剤師である祖父が居たのである意味頷けるのだが。
入口の鎧戸にしたって、普通の店には無いくらいに厳重に戸締りが可能な物で、それ程安普請では無さそうだ。
……まぁそもそもがこの時点で俺がそれ程多くの店を見ているわけではないのだが、祖父が斃れた場所から帰宅する範囲で見たところ《藍滴堂》は店構えが立派なのは間違いない。
テーブルにカゴを置き、ユーキさんは入口手前側の椅子を引くと更に奥の台所に俺を呼んで流しで一緒に手を洗った。
そして先程引いた椅子に俺を座らせると、自分は向かい側の椅子に座り、カゴの中からパンやハムや小さな壺のような物を取り出した。どうやらその場でサンドイッチを作ってくれるらしい。手際が恐ろしくいい。パンを綺麗に切り、バターを手早く塗ってレタスを手で千切り……
あぁ、そういえばこの人は喪服を着てるけど料理人だったな。しかもレストランのオーナーシェフか。
俺が感心しながら眺めている間に壺から茹で卵を刻んで何かのソースと和えた物をヘラで塗ったりしながら、あっと言う間に大人と幼児二人で食べ切れるのかと心配するくらいのサンドイッチが並べられた。
更にカゴの中から水差しを取り出し、台所から持ってきたコップを二つ並べ、牛乳を注いで俺の前に一つを置いた。
俺が驚きながらあっけにとられていると、ユーキさんは笑いながら
「おぅ。どうした。どんどん食べろよ。お前、昨日から向かいのシンタのドーナツしか食べて無いだろ?」
と、俺にサンドイッチを勧めてきた。しかしその笑顔にも少し疲れが見て取れる。彼も恐らくは俺と同じで昨晩は寝ていないと思われ、怒りや悲しさで眠れなかったのか、今日の事で忙しかったのか分からなかった。
「はい。いただきます」
「お前はいただきますを言うのが上手くなったな。昨日もお向かいでちゃんとお礼を言ってたしな……」
ユーキさんは俺の挨拶に満足そうに頷きながら自分も食べ始めた。
【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ
ルゥテウス・ランド
主人公。5歳。右目が不自由な幼児。近所の人々には《鈍い子》として愛されているがその正体は史上10人目となる《賢者の血脈の完全なる発現者》。しかし現在は何者かに能力の大半を《封印》されている。
リューン
主人公の右目側に謎の技術で文字を書き込んで来る者。約33000年前に史上初めて《賢者の血脈の完全なる発現者》となり、血脈関係者からは《始祖さま》と呼ばれる。死後、《血脈の管理者》となり《不滅の存在》となる。現代世界においては《大導師》と呼ばれる存在。
ジヨーム・ヴァルフェリウス
第107代ヴァルフェリウス公爵。48歳。主人公の実父。小心者の野心家。公爵として、血脈保持者としては無能と評される。
エルダ・ノルト=ヴァルフェリウス
ジヨームの正妻。50歳。嫉妬と自らの後ろ暗さが原因でアリシアを屋敷から追放する。
ユーキ・ヘンリッシュ
主人公の伯祖父。47歳。ミムの兄。レストラン《海鳥亭》を経営。主人公と同じく多くの家族を喪っている。公爵を心の底から憎んでいる。
ローレン・ランド
主人公の祖父。故人(50歳没)。港町ダイレムの下町で薬屋《藍滴堂》を経営。
一族の悲運が原因で最期は心臓発作で命を落とす。