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黒き賢者の血脈  作者: うずめ
第四章 戦乱の大陸
79/129

多数派工作

【作中の表記につきまして】


アラビア数字と漢数字の表記揺れについて……今後は可能な限りアラビア数字による表記を優先します。但し四字熟語等に含まれる漢数字表記についてはその限りではありません。


士官学校のパートでは、主人公の表記を変名「マルクス・ヘンリッシュ」で統一します。


物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。

・距離や長さの表現はメートル法

・重量はキログラム(メートル)法


また、時間の長さも現実世界のものとしております。

・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日 


但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。

・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年

・4年に1回、閏年として12月31日を導入


作中世界で出回っている貨幣は三種類で

・主要通貨は銀貨

・補助貨幣として金貨と銅貨が存在

・銅貨1000枚=銀貨10枚=金貨1枚


平均的な物価の指標としては

・一般的な労働者階級の日収が銀貨2枚程度。年収換算で金貨60枚前後。

・平均的な外食での一人前の価格が銅貨20枚。屋台の売り物が銅貨10枚前後。


以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくお願いします。

 マルクスに和解破棄を宣告されたジェック・アラム法務官が進退窮まってヨハン・シエルグ軍務卿へと「泣き付いた」翌日……11月26日の午前から要求された「条件」を達成する為、法務官は精力的に動き始めた。


既に軍務卿からは全面的な協力を「決意表明」という形で受けている法務官がまず向かったのは、自身の直接の上司である法務部長の部屋であった。

法務部長であるホレス少将は今年58歳、定年まで残り2年を切っている……アラム次長と気質の似ている温厚な老人である。


 法務部の部長及び次長は「法務官であること」が条件という……軍務省内でも一風変わった職位(ポスト)であり、それが理由で次長就任に対して最も他部署からの転入が起きやすく……その逆に次長就任までの「順送り」が最もおきにくい。


何故なら、法務部長及び次長の職位に「空き」が出来ても、他部署のような課長からの「順送り」にする為にはその対象である課長職の者が勅任官たる法務官でなければならない。


法務官という地位は法務関係の部署に勤めていれば良いというわけでは無く……普段の勤務態度や経歴、上司や部下からの人望等も鑑みられた結果……既任の法務官5名の推薦を受けて宰相と諸卿の集う閣議で了承される必要がある事は以前にも書いた。


なのでどうしても順序としては「法務部次長に昇進して法務官に任じられる」のでは無く、「法務官に任じられた者が法務部次長候補となる」と言うものになる。


しかしアラム大佐はそういった事情であるにもかかわらず、任官以来……法務畑一筋で通して来ており、法務課長であった44歳の時に法務官へと勅任されて、その後に次長へと順送りで昇進した稀有な存在で、言わば「法務部生え抜き」という存在である。


その穏やか且つ明敏、情に囚われない考え方をする事で法務官の先達からも高い評価を得ている「軍務省の良心」と呼ばれるエリート官僚なのだ。


他の部署の者にアラム大佐が「《法務部次長》のアラム大佐です」と名乗ると相手が「あぁ、法務官の……」と即座に認識するのは、「法務部次長=法務官でないと就けない職位」という共通認識が持たれているからである。


 アラム大佐はホレス法務部長に昨夕から晩にかけての出来事を報告すると、驚きつつも法務部長は協力を約束してくれた。

更に部長は、他の「部署」に協力を要請するよりも「法務官という繋がり」で、まずは連携を図ってみてはどうかと提案してくれた。


「なるほど。確かに我々法務官であれば人事局の権限の外に居りますな」


「うむ。恐らく人事局……いや教育族の連中にも怪しまれずに済むだろう」


「妙案を授けて頂き、感謝致します。それではまず本省内の法務官と連絡を取ってみます」


「よし。では私はキレアス局長殿とカノン副局長殿のご意向を伺っておこう」


「お手数をお掛け致します」


「なに。そんなに気にする事では無い。教育部(やつら)のせいでここ数年の本省内の人事が滞っているのは確かな事だ。私も結局……部長止まりだったしな」


寂しそうな顔に苦笑を浮かべる法務部長に対してアラム次長は居た堪れない気持ちになった。人事局の上層部を教育部が独占してしまっているので以下の職位の人事が「先任順」で動かなくなってしまったのだ。


 軍務省は軍務卿直属の「総務部」を除き、7つの部局で構成されている。その人員規模から、憲兵本部、参謀本部、情報局、兵器局、施設局、人事局、そして法務局である。


この中でも憲兵本部は本省とは別に庁舎を保有しているし、参謀本部は外部……各方面軍に出向している者が多く、更にはその長が「王国軍参謀総長」という三長官の一角を占めて他の「事務方」とは違う人事系統の扱いとなるので、実質的に「昇進競争の対象」となるのは残りの5部局という事になる。


その中でも人員規模で下から2番目となる人事局……しかも、その中の「支流」に過ぎない教育部から次官を輩出し、その後も上層人事を独占している今の状況は確かに法務部長が言うように「停滞」していると言えるだろう。


 現状、本省内で法務官に任じられているのは7名で、そのうちの4名が法務局長以下の法務局幹部である。これは前述の通り法務官という条件を伴って法務部次長となり、その後はこれまでとは逆に順送りとなるのでそのまま「4人が法務官である」という状況になっている。


「部長及び次長職の者は法務官でなければならない」という規定は元々、軍事法廷が開廷される場合に、法曹官(判事役、検事役、弁護人役)のうちの一人を裁判記録の保管等の関係で……

《法務部長か次長の一方を必ず任命しなければならない》

という「慣習」が存在する為である。


 この慣習のおかげで、本省で開廷される全ての軍事法廷に対して法廷運営を掌握している法務部が、必ず管理職を一名送り込める仕組みとなっており、法務部という部署がその本来の存在意義を発揮する重要な根拠になっているのだ。


つまり法務局という部署においては本来、「法務部次長」という条件付きの「狭き門」を通った後は順当に法務部長までは昇進が望めるはず……なのである。


 但し、中将への進級を伴った副局長級の職位……となった法務官は「軍法会議の法曹官就任」の指名対象からは外される。


理由としては中将となることで検事役や弁護人役となる法曹官が


「判事役となる師団長クラスの者よりも高位になってしまう」


という可能性が生じるので、判事側権威の維持の為に軍法会議の構成員からは除外されるのだ。


これは逆に言えば……「法務局長と法務副局長は法務官である必要が無い」という事でもある。長い軍務省の歴史において法務部長に対して昇進人事が発生する場合、その上位である法務副局長へと「順送り」になるケースはむしろ少ない……と言うよりもほぼ無かった。


それはどういう事かと言えば、他の部署の局長や副局長人事の後任選考も含めて、大袈裟に言えば「管轄部署の総入替え(シャッフル)」を行う事で


「長期間、特定の部署一筋で同一人物が副局長や局長まで登り詰める事による、特定人物への局内集権化」


を阻止する狙いもあるとされるからだ。


 この軍務省独自の慣習は地方部隊における「軍閥化防止」と意味合いが似ており、軍務省が建国以来……特定の人物や貴族家によって壟断されにくい環境の維持に貢献して来たと言える。


「教育族」の上層……つまり局長級人事の独占・停滞は、こう言った「省内の自浄作用」をも奪いつつあるのだ。


ホレス部長は、この「人事の停滞」によって法務官のまま法務局長及び副局長へと順送りとなっている、上位2名の法務官への「繋ぎ」を引き受けると言っているのである。


 残りの3名は施設局王都方面部長のアミ・トカラ少将、人事局人事部次長のゼダス・ロウ大佐、そして最年少法務官の兵器局工廠部工廠整備課長のオリク・イルエス中佐である。


この中で、トカラ部長は現在の王国陸海軍の中で階級が最上位の女性将官である。そして彼女は法務官でもある為、王国において「最も忙しい女性軍人」であるとも言えよう。


実際、施設局の王都方面部というのは陸海軍施設が最も多い王都及びその周辺を担当しているので、元々が激務である部署なのだが、彼女はその長である事に加えて法務官としての職務もこなさなければならないのだ。


 アラム法務官は、この日の午前中から精力的に他の法務官と面会し、明後日の11月28日に臨時の法務官会合を実施する事で……各法務官達からの了解を取り付けた。


法務官同士であれば、その地位は軍務省の人事体系の外にあるので本省内の上層部から怪しまれる事が無い。


更にアラム法務官はこの日の最後に憲兵課長であるサムス・エラ中佐とも連絡を取って、28日の会合に参加するように依頼した。ネル家騒動における「執行委員会」のメンバーであるエラ課長は多忙である上に会合の開催目的が不明ながら……法務官からの要請を受けて会合参加を承諾した。


 全ての法務官と執行委員会のメンバーに対して連絡を取り終えたアラム法務官が自室に戻って一息ついていると、法務部の若い女性士官がノックの後に入室して来た。


「何だい?」


法務官が入室理由を尋ねると


「はい。先程からカンタス情報局長殿が次長殿のお帰りをお待ちになられております」


「え!?情報局長殿が?」


法務官が驚いた拍子に、寛いでいた椅子から発条(バネ)仕掛けのように立ち上がると


「カンタス閣下は30分程前から応接室にてお待ちになられておりますが……」


法務官が驚く様子を見て笑いを堪えるように……女性士官がもう一度その対応を尋ね直す。


「閣下は次長殿と是非ご面談されたいと仰られまして……本日は朝から多忙につき外出が多い旨をお伝えしたのですが……お戻りになられるまでお待ちすると……」


「そ、そうでしたか……それではすぐにお通し下さい」


慌てた法務官が指示すると、女性士官は「畏まりました」と一旦部屋の外に引き上げて行った。


(情報局長が……?勿論これは昨晩の件に関する事なのだろうが……)


昨晩……あの情報部長を激昂した軍務卿が床に叩き付けるという荒事があった翌日だけに、何か苦情でも入れに来たのかと不安になっていると、再び扉をノックする音の後に


「カンタス閣下をお連れ致しました」


と、女性士官が再び入室してきた。その後ろから小柄な老人が続いて入って来たので法務官は慌て気味に挙手礼を実施した。


「閣下、申し訳ございません。お待たせしてしまいまして……」


「いやいや。気にしないでくれ。私が勝手にこうやって押し掛けているのだからな」


 老人はすっかり髪も無くなっており、人当たりの良い笑顔で応える。法務官は彼にソファーを勧め、自らも向かい側に腰を下ろした。


暫くすると先程の女性士官が茶を運んで来て引き上げて行った。法務官は姿(かたち)を改めて


「このようにお待ち頂く程の急用でも生ぜられたのでしょうか……?」


と、恐る恐る切り出してみた。情報局長は法務官の緊張した様子を見ると表情に笑いを浮かべ


「いやいや法務官殿。そう警戒しないでくれ給え。今日は貴官にも詫びを言いに来たのだ」


「え……?閣下が小官に……でしょうか?」


「うむ。此度は我が配下が何やら多大なる迷惑を掛けたと聞いた。昨夜の情報部にな。軍務卿閣下と貴官が訪れたとか。私は既に帰宅していたので、その場には居合わせる事が出来なかったが、今朝になってヘダレス部長が報告に来てな」


「さ、左様でございましたか……こちらこそ却ってご迷惑を……」


「何を言っておる。状況も把握できぬまま、空気も読まず本省を危地に陥れたのはこちらの方だ。ヘダレスの報告を聞いて私も慌てて軍務卿閣下にお詫び申し上げにお伺いしたところ、償いがてら……貴官に協力せよと諭されてな」


「なるほど……では軍務卿閣下に事情は伺われたのでしょうか」


「うむ。教育族の者達を一掃するのだろう?私だってあの連中が本省の上層を独占している事については忌々しいと思っておった。しかしな……」


「これまで次官殿の人事案を当の軍務卿閣下が全てご承認されていたから……?」


「む……そうだな……」


法務官が小さく笑いながら尋ねると、情報局長も苦笑でそれに応じた。


「私はこれまで軍務卿閣下もあの教育族に肩入れをされておいでだと思っておったのだ」


まさかその軍務卿閣下が提出された人事案を碌に確認もせずに右から左へ閣議に回していたとは思っても居なかった。


彼の知る謹厳実直……冗談(ユーモア)も通じないような不機嫌な顔を常にしていた巨体の老人が、よもやそこまで適当に業務を流していたとは思ってもいなかったのである。


「はぁ……左様でございましたか」


「私……いや情報局の他に今回の『計画』へ参加している者は如何程居るのだ?」


「いえ……まだ具体的な話はどこにも持って行っておりません。何しろ昨日の今日ですので……」


法務官は用心の為か……既に他の法務官達と連絡を取り合った事実を情報局長には伏せた。まだこの目の前の老人が本当に「反教育族」に加担するのか確証が持てなかったからである。


 このヘルン・カンタス情報局長も、元はと言えばポール・エルダイス「情報部次長」が追い越し人事によって教育部長へと転出した後に情報課長から「順送り」でその後任に入った者で、考えようによってはその順送りの際に前任者であったエルダイス次長からの推薦を受けた可能性もある。


そうなると彼も「エルダイス次官から恩を受けた者」である可能性もあるし、そもそもその直前まで情報部次長と情報課長という極めて近い上司と部下の関係だったわけだ。


その後の教育族の台頭によって他部署の人事に対する順送りが滞ったとは言え、彼は最早「情報局長」にまで出世しており、軍官僚としては十分に「成功者」と言っても良いくらいの地位に上っている。アラム法務官が警戒するのも無理は無い。


 結局、情報局長には自局内の動きに睨みを利かすようにと依頼するに留まった。


(情報局長殿に「今回の話」をされたのは軍務卿閣下としては早計だったのではないだろうか……)


カンタス局長を部屋から送り出した後になって法務官は急に心中の不安が増して行くのを感じた。シエルグ卿は軍官僚では無く「軍人」の出身である為、本省内の様々な人間関係について理解が薄い可能性がある。


 法務官は再びソファーに腰を下ろし、色々と頭の中で思考を巡らせていると、再びノックが聞こえた。返事をすると先程の女性士官が入って来て


「じっ、次長殿……先程、軍務卿執務室から伝令がございまして……。軍務卿閣下が次長殿をお呼びだそうです」


「そうですか。すぐにお伺いするとお伝えしてくれ」


軍務卿の事を丁度考えているタイミングで呼び出しがあったので、アラム法務官は驚いたが、これを機会に意見を具申してみようと思った。


****


「閣下、本省内に在籍している私以外の法務官殿らへの連絡を終える事が出来ました。今後はまず……彼等に『計画』を打ち明けて省内横断的に『同志』の獲得を目指す事に致します」


 昨日に続いて軍務卿執務室を訪れたアラム法務官から早速の計画進捗状況報告を受けたシエルグ卿は感心しつつこれを聞いた。


「ほぅ……。なるほどな。法務官同士であれば省内の組織とは別枠で動けるのか」


「左様にございます……。それと情報局長の件ですが……」


「おぉ。彼はもう貴官の下を訪ねたのかね?」


「はい。先程いらっしゃいました。閣下が彼に今回の計画について協力を要請したそうですが……」


「うむ。部下の不始末についてな。反省しきりの様子であった故……」


「その件でございますが……恐れながら、いささか早計であった可能性が……」


「うん……?どういう事だ?」


「閣下はカンタス情報局長が……と言うよりもエルダイス次官殿が元は情報部に所属されていた事をご存知でしょうか?」


軍務卿は法務官からの問いに驚いて


「何っ!?エルダイス……彼は教育部の出身なのだろう?教育……族?では無いのか?」


「やはりご存知ではございませんでしたか……申し訳ございません。私の説明不足であったかもしれません……。閣下は元より本省では無く王都の防衛軍ご出身でいらっしゃる故……エルダイス次官殿の経歴を詳しくはご存知で無いのでしょう」


「情報部所属とは……どういう事なのだ?」


「はい。私も当然ではございますが次官殿とは10も年齢が離れております故に、あの方のお若い頃に関しては実際に自分で見て来たわけではございませんが……」


 法務官は困惑の表情で説明を始めた。


「ポール・エルダイス氏が士官学校の軍務科を卒業されたのは3005年です。彼は卒業後の任官先として本省の情報局情報部に配属となりました」


「3005年卒業……つまりは3002年入学か?私と入れ違いなわけだな?」


法務官の説明によって自身が3002年5月に卒業した4ヵ月後の同年9月にエルダイス次官が入学している事実を知って軍務卿はまたもや驚いて思わず声に出た。


「な、なるほど……そうなのですね……。今も申し上げましたように、エルダイス氏は任官先を情報局情報部として、当初は情報分析係に配属されたようです。詳細な部署までは判りませんでしたが、エルダイス氏は入省当初より勤務実績が高く、当時の上司からの評価も高かったそうです」


「ほぅ。まぁ……後に次官まで出世するんだ。『政治力』だけでは上がってこれないだろうしな」


「はい。任官3年で中尉進級、8年目で主任分析官として大尉進級……だ、そうです」


 法務官は持参した資料を確認しながら内容を読み上げる。この時点で彼自身はまだ士官学校に入学したばかりの新入生であった。

逆にシエルグ卿は「士官学校教官職」から王都防衛軍所属の第8師団への栄転を迎えて大尉昇進……つまりこの時点で昇進競争が激しい本省勤務であるにも関わらず……エルダイス「大尉」は制服組のシエルグ「大尉」と3歳差で階級が並んでいた事になる。


法務官からの経歴説明だけではその「階級が並ばれていた」という事実にまで思い当たる事にはならなかった軍務卿は「なるほどな」と軽く頷くだけであった。


「主任昇進後、更に4年で情報課第2分析係長に昇進……つまり本省において30歳で少佐に進級していた事になります。流石に昇進の速度は抜群であったようですな……。

ちなみに、この時に初めて……今の士官学校教頭であるハイネル・アガサを直接の部下としております」


「何だと……そうか。そういえばその教頭も情報課長から士官学校へと転任だったな」


「左様でございます。お気付きかと思いますが、この昇進速度ですからエルダイス『主任』はかなりの先任に対する『追い越し人事』となっております。この時点ではまだ他部署への転出という形にはなっていなかったようですが」


「なるほどな」


「エルダイス情報分析2係長は更に僅か4年で情報課長へと抜擢されます。これは流石に異様な速度での昇進です。恐らくですが当時の情報部内の上級幹部からの支持……まぁ、言い換えれば『寵愛』されていたのかと思われます」


「そうか。上からの『引き』もあったわけだな?」


「はい。そうでなければ、この昇進速度はちょっと説明できません。本省内において35歳で課長職というのは、私自身も聞いた事がございません」


「うーむ。そうだな。35歳……私はまだ歩兵大隊長か……。階級でも追い抜かれているわけか」


苦笑いするシエルグ卿の呟きに対して法務官はどう反応していいのか困ったが、説明を続ける。


「エルダイス殿の昇進速度はそれでも衰える事無く……6年で情報部次長に昇進されます。但しこれは当時の前任者が57歳で急死した事に伴うものでして、外部からの転入者では無く、少壮の情報課長を順送りで昇進させた……というものだったようです」


「何と……それでも41歳……。これは『強運』では説明出来んな。やはりこの時点でもまだ『上からの引き』があったと言うことか」


「そう考えるのが自然でしょうな。57歳の後任に41歳です。普通であれば人事局としてはここぞとばかりに他部署からの先任者を突っ込むところでしょうが……結果は順送りですからな……」


「さて。ここまでが『情報局情報部所属』のエルダイス殿の経歴となります。この時点で彼の後任である情報課長が現情報局長のヘルン・カンタス中佐であり、部下としては第2分析係主任分析官ハイネル・アガサ大尉も居りました。

昨日、服務規定違反で憲兵隊に拘束させましたイゴル・ナラも情報捜査員として情報部に籍を置いております」


 ちなみに、この後「追い越し人事」によってエルダイス「大佐」が少将進級を伴って教育部長として転出した後任の次長に当時のカンタス「課長」が順送りされ、その課長職への後任に入ったのが人事局人事部から転入してきたマグダル・ヘダレス「中佐」であった。この時アガサ大尉は士官学校同期のヘダレス中佐に同部署において2階級の差を付けられる「辛酸」を舐めた。


「なるほどな。つまりエルダイスは情報局長や士官学校教頭、果ては件の「愚かな」情報課長とは同じ部署で上司と部下の関係であったわけだな?」


「左様でございます。そしてエルダイス大佐が7年後に教育部長へと転出された際に、恐らくですが……カンタス中佐を後任の情報部次長へと推薦したのではないでしょうか」


「そうか……そういう関係であるならば……あの情報局長は『危ない』な……」


「お解り頂けたでしょうか……?」


「うむ……。まさか本省の中でそのような人事変動が起こっていたとはな……そうなるとあの情報局長に今回の『動き』について漏らしてしまったのは私の早計だな……。済まない……」


 漸く自らの過ちを軍務卿へ「遠回し」だが自覚させる事に成功した法務官は慌てた素振りで


「いえいえ……閣下にそのような事を仰られては……元はと言えばこの件は私が閣下のお力に縋り付く形でこちらへ持ち込んだ案件でございます。閣下はむしろ我らの事を思って、かの情報局長を諭されたのでしょうから、そのようにご自身をお責めにならないで下さい」


「ぐっ……そうか……しかし本省の事情に対してここまで疎い私が動いては今後も貴官らの足を引きそうだな。私は人事に関する動きを控えた方が良いな」


「さ……左様でございますな……。特に人事局内においても教育部と他の……特に人事部とは水面下で対立しているとも言われております」


本日の昼下がり……同じ法務官であるロウ人事部次長と会見した際に、何とは無しに聞いた話を伝えると軍務卿も驚いた。


「何と……そうであったか」


「はい。私にもまだまだ他の部局の様子を細部において把握出来ておりませんので、明後日の会合で今回の計画を他の法務官方に打ち明けた後に改めて伺って参ります」


「そうか。では頼んだぞ。ところで……」


 軍務卿は話題を変えて来た。


「貴官を呼んだのはな……頼みがあるのだ」


軍務卿が改まって話し始めたので法務官は怪訝に思いながらも耳を傾けた。


「実はな……昨日あれから独りとなった後にまた考えたのだ。例の……『白兵戦技の授業』についてな……」


「はぁ……?」


「貴官にも言ったが、私は若い頃に士官学校で槍技を教えていた。6年もの間な」


「はい……私もお聞きした時は驚きました」


「私が6年間で……一回生を3年間、二回生を2年間。最後の1年は三回生を担当した……と記憶している。その間に私が槍技を教えた生徒は400人程だったかと思う」


「なるほど……私の学生時代も槍技は選択を希望する学生が多うございました。何分……騎兵科には必修でしたので……」


「そうだな。私は騎兵槍技については専門外であったが……それでも歩兵科に進んだ者達にも槍技を選択する者は居た。その中の何人が一体……卒業後に実戦部隊に……北部や西部に配属されたのか……」


「閣下……」


「私から『役にも立たない』槍技を習い、その結果として戦場で無駄に散って行った若者が何人居た事か……私には……私には考える事だに恐ろく……昨晩も寝付けずに居た」


「そ、そんな……」


「貴官はマーズ殿とは面識があるのかね?」


「いえ……『先日の件』でもマーズ少佐とは直接面識を持ってはおりません」


「そうか……。もし出来る事ならマーズ殿と……そのヘンリッシュだったか?……その生徒と直接会って話を聞いてみたいのだ。そして見せて欲しい……。彼らの主張する『本来の白兵戦技』とやらをな……」


「な……何ですと……?お会いになる……マーズ少佐とヘンリッシュ殿にですか?」


 軍務卿の申し出に対して法務官は当然のように困惑した。仮に2人との面談を実施するにも、現在の彼等は教育部に睨まれている。情報部からの詮索は既に止められているが、前述のように情報局長の動静が不明なのでまだまだ油断は出来無い。


「あの3人」の監視を再開せずとも、本省内で自分や軍務卿の監視を始める可能性がある。そのような状況で無暗にマーズ少佐やヘンリッシュと接触するのは好ましく無い……法務官はそのように考えた。


「あの2人にお会いになられるのは……現状リスクがありすぎませんでしょうか……」


「うぬ……確かにな。貴官の言い分を聞くと何も考えずに会いに行くのは危ないようだな……。我々の計画が奴等に知られているのならばな……」


「はい。今後は暫くの間、我々自身が目立つ行動を控えるべきかと」


「しかしやはりだな……。『彼等』とはいずれ会見を持つ必要はあると思うのだ。私自身の『けじめ』の問題でもある。教育族の連中を除いたからと言って、その授業内容が本当に『あの数字』を昔の如く戻せるのか……それをこの目で見極めねばな……」


そう語る軍務卿の表情が何か……思い詰めたようなものになっている。ここまで言い張られてしまうと法務官としてもそれを諫めるのはいささか困難であると感じた。


「しょ、承知しました……。それでは明後日の『会合』で他の法務官方のお知恵を拝借しましょう。何しろ私は閣下よりも士官学校に対しての見識が薄いので……」


「ふむ。分かった。私もやはりそこまでリスクを冒して無理を通すつもりは無い。先に教育族の奴等を葬ってから改めて白兵戦技の授業改革に取り組めばいいのだからな」


「はい。まずはヘンリッシュ殿からの要求通り……教育部出身の者達に『責任を取らせる』のが先決かと」


「そうだな。分かった。ではまずそちらの方に注力してくれ」


「承知しました」


ソファーから立ち上った法務官は挙手礼を行い、軍務卿執務室を後にした。


(どうやら……あのヘンリッシュ殿が新たに提示してきた『資料』がシエルグ卿のお心を(さいな)む切っ掛けになってしまったようだな……武術に対して全く造詣の薄い私では何も申し上げる事が出来ない……)


 彼は西側昇降階段を降りて自室へと戻りながら2階の廊下をボンヤリ歩いていると、その横にピタリと人影が寄り添い、歩を共にしながら声を掛けてきた。


「ジェック。貴官は見張られているぞ。そのまま気付かないフリをして部屋に入れ。『そいつ』は後方から貴官を探っていたようだぞ」


アラム法務官が驚いて自分の右側を歩く声の主の方を見ると、午前中に面会をしたばかりの先輩法務官である人事部次長のゼダス・ロウ大佐であった。


「なっ、それは本当ですか!?」


「とにかく自室に入れ。そこで説明する」


「はっ……はい」


アラム法務官はロウ大佐の忠告に従い、辺りを見回すような素振りを見せる事もせずに自分の執務室へと入った。ロウ大佐がその後に続く。


 扉を閉めてからロウ大佐は部屋の主に遠慮する様子も見せずに応接ソファーに腰を下ろすと、アラム法務官も向かい側のソファーに座り


「い、一体……私を見張るとは……」


と、早速向かい側に座る先輩法務官へ尋ねた。


「詳細は判らん。私も今し方……1階に用があって、それが終わったから階段を上って帰って来たところだったのだ。すると西階段2階の踊り場から南側の様子を窺っている者を見掛けたのでな。

そいつは階段を上がって来た私の姿を見て少し慌てた様子で3階に上って行った。私は怪しみつつも廊下に出てみたら、君が南側廊下へ曲がって行くところだった。他に誰も歩いて居なかったから……恐らくあいつは君の様子を見ていたと思うぞ」


「そっ、そんな……」


「もしや君が午前中に持ち掛けて来た『会合』に関係しているのでは無いのか?」


 先輩法務官の指摘に対してアラム法務官は顔を引き攣らせながら応えた。


「わ、私は今……軍務卿のお部屋にお伺いしていたのです」


「何っ!?軍務卿……?シエルグ卿の所にか?」


「はい……。あなたが仰る通り……明後日の会合に関係した話です……」


「何だと……貴官の言う会合に軍務卿が関わっているのか?『執行委員会』に関する事では無さそうだな?」


 本日の午前中にアラム法務官がロウ大佐の部屋を訪れて、明後日に会合を開催したいと申し出た際の理由は「例のネル家騒動に関して」と言うものであった。


アラム法務官は相手からの疑念を受けないように同輩の法務官を集める口実に会合開催を提案したのだ。


 実は、ロウ大佐の姪は軍務卿の秘書官の一人で、執務室の前室に控える秘書官の末席に居たシェビー・ロウ中尉である。シェビーは伯父であるゼダスの家に下宿しており、父でありゼダスの弟であるヘルジ・ロウ中佐も参謀本部に所属し、現在は王都方面軍……第10師団付の首席参謀へと出向している。


シェビーの下宿……と言っても、ロウ家は男爵家であり……代々軍人を多く輩出している武門の家柄でもあるので、男爵家当主であるゼダスの屋敷もこの軍務省から程近い……王都北街区4層目にあり、若くして妻を亡くしているヘルジは単身で第10師団の駐屯地がある王都北東の中級都市ラオンで暮らしている。


子供が居ないゼダスは母を亡くしたシェビーを屋敷に住まわせて、本人の希望により士官学校へと通わせたのだ。父であるヘルジよりも伯父であるゼダスに影響を受けたシェビーは軍務科を次席(2位)で卒業して軍官僚となり、昨年から中尉進級に伴って軍務卿の第3秘書官を務めている。


 しかし昨日の今日であったのか、昨晩伯父とも親しいアラム法務官が退勤時間帯になって慌てた様子で軍務卿執務室を訪れた事実をこの第3秘書は伯父に話していなかった。


第一、彼女にも一応は軍務卿秘書官として守秘義務が課せられている為、そう易々と軍務卿周辺の情報を伯父で法務官とは言え、漏らす事は出来ない。


 そういうわけで、昨夕から晩に掛けての軍務省庁舎の最上階と地下層で起こった騒動についてこの人事部次長はまだ何も聞かされていなかったのだ。


「じ、実は……」


アラム法務官は昨日からの一部始終をロウ大佐に説明した。ネル家の騒動を乗り越え、安心するのも束の間……今度は軍務省全体を揺るがす一大事である。

軍官僚としては珍しく豪胆な気性を持つ人事部次長も流石に唖然となり


「あの被害者生徒が……それにマーズ……ヴァルフェリウスか……」


軍中央においても北方の最前線と目されるラーナン砦周辺の三叉境界地帯において匪賊を一掃して、北東領土放棄以来の治安を回復させた言わば……立役者である「北部軍の鬼公子」の言い分は流石に説得力があり過ぎて、軍務省としてもこれまで同様に「施策批判」として片付けるには難しいのではと、まずは感想を述べた。


「やっ……やはり……あなたもそう思われるのでしょうか……?実は軍務卿閣下もこのお話をお聞きになられて衝撃を受けられたご様子でした。閣下もお若い頃に士官学校で槍技を教えられていたとお伺いし、私も驚きました」


「ははは……そうか。君の頃には……そうなのか。私は学生……二回生と三回生の時にシエルグ卿……当時はシエルグ『教官』の授業を受けた事がある」


「なっ!?ロウ殿が?」


「私は学生時代……元々は騎兵科志望だった。しかし三回生の学科選択時に騎乗技術と槍技の成績が振るわず学科選考に漏れたのだ。なので仕方無く軍務科を選んだのさ。選考には落ちたがな……三回生になっても槍技を受け続けたのだ」


人事部次長は笑い出した。騎兵科に進めなかったのは彼にとって人生で初めての挫折だったと言ってもよい。騎兵科への進級を断念したゼダス・ロウは仕方なく軍務科に進み、3012年度に軍務科2位、総合4位の成績で士官学校を卒業した。

彼にとってマグダル・ヘダレスやハイネル・アガサは1年先輩となる。


 ちなみに、彼の同期生には軍務科首席卒業で現教育部長であるモンテ・デヴォンが居る。

本来であれば軍務科を首席で卒業したにも関わらず、課長昇進までに23年を要した教育課長デヴォンに対して……卒業席次を逆転して任官後の出世競争では圧倒していたロウだったのだが、エルダイスの人事局支配が始まってからは人事上の序列が常道から外れてしまった為に、次長昇進後15年も同職に留まっているロウ大佐に対して、デヴォンは12年目に同じ次長職に追い付き、更に僅か2年で教育部長に昇進した。


この一事を考えただけでも、いかにエルダイス……当時は人事局長によるデヴォンに対する人事が異様であったかを窺い知る事が出来よう。

本来であれば、教育部長の席が空いた時点でその後任になるのは当時の最先任であるロウであった可能性の方が高いのだ。


こういった経緯があるだけに、ゼダス・ロウの「教育族」への憤りは一片ならぬものがあると思われた。


 ロウ大佐はアラム法務官の話を聞き


「そうか……分かった。では私は人事局内の様子を観察することにしよう。今回のメンバーの中では私がどうやら一番『奴等』に近い部署に居るわけだからな。

それと……人事部長であるオトネル閣下にもご協力頂けると思う。あの方は恐らく……わたしよりも次官殿以下の教育族に対する『恨み』は深いはずだ」


ロウ大佐は小さく笑った。人事部長であるテューム・オトネル少将は58歳。アラム法務官の上司である、士官学校同期のエイビル・ホレス法務部長と同様に教育族による人事独占の「被害者」である。


 本来であれば人事局内でエルダイス「副局長」に次ぐ先任順であった彼は、エルダイスが人事局長へとやはり他部署の副局長級の人材を出し抜く形で昇進した後任へ、オトネル人事部長を順送りせずに同期ではあったが彼よりも出世が遅かったオランド教育部長を捻じ込んだ。


この時点で多少の波風は立ったのだが、更にその2年後……次官に就任したエルダイスの後任にオランド副局長を昇進させ、空いた副局長のポストに……オトネル人事部長では無く、アミン教育部長を捻じ込み……そして更にデヴォン教育部次長をその後任に据えるというとんでもない「情実人事」を実施した。


つまりエルダイス次官以下、教育族の4人は……僅か2年で各々1階級昇進を果たした事になる。当然であるがこの人事は更にその下でやはり恩恵を受けたシモン・ユーリカー教育課長はともかく、オトネル人事部長やホレス法務部長、もっと言えば法務局の局長及び副局長……キレアス大将とカノン中将すら飛び越える先任序列を全く無視した上級人事裁定をこの数年間に渡って繰り返して来た事になる。


 そしてこのような「無茶苦茶な人事案」を碌に目を通さずに閣議に回していたシエルグ卿に対する「非教育族」の不信感も本来ならば大きいはずである。


しかし……軍務卿閣下は所詮「軍務省の外から来た人間」なのである。普通の軍隊とはまた違った軍務省の人事に関わる慣習を理解していない「軍人」に、突然本省をも含む高級幹部の親補職の承認判断を行わせる事自体に無理があると言うものだ。


「そうして頂けると助かります」


アラム法務官は頭を下げた。そもそも法務部でキャリアを送って来た彼にとって今回の一件は他部署の話であり、しかも専門外である人事に関する事であるので荷が重い感が否めないのだ。

その点で同じ法務官ではあるが人事の本流である人事部一筋という経歴を持つロウ大佐の協力は非常に頼もしい存在であった。


****


 11月28日。軍務省本省内に配属されている法務官と、特別に参加を打診された憲兵課長が勤務時間終了後となる18時……5点鐘の音を合図に法務部内の会議室に集合した。法務局長や副局長を含めた7人全員の本省内の法務官が一同に会するのは、これが初めての事であった。


この7人の中で最も階級が高いのは法務局長のドレン・キレアス大将だが、彼は同期の盟友であるアレイテス・カノン法務局副局長と共に静かに席に着き、出しゃばる気配は無い。

今回の会合を主宰するのはあくまでも法務局法務部次長であるジェック・アラム大佐であり、会合の冒頭……彼はここ数日間に起こった「新たな騒動」について集まった法務官6人と憲兵課長に詳細な事情説明を行った。


 先月……収まったはずのネル家騒動の切っ掛けとなったネル少将の長女と長男による士官学校内での暴力事件の被害者学生が、締結された和解の破棄を宣告して来た事。


和解の破棄を宣告されるに至った原因として、この件についての情報が与えられていなかった情報部の暴走が和解条件の約定違反であるとされた事。


軍務卿の力を借りて情報部の行動を停止させた事によって最悪の事態は回避出来た事。


 ここまで説明すると、事情を予め話してあったホレス法務部長とロウ人事部次長を除く4人の法務官が一様に驚きの声を上げた。同席していた憲兵課長も衝撃を受けた表情を見せている。


「情報部には……何も情報を与えていなかったのか?」


キレアス法務局長が疑問を口にすると


「はい……。軍務卿閣下のご意向もありましたので、今ここにお集まりの皆様の他にはロウ次長殿からオトネル人事部長殿にそれとなくご説明頂くようにお願いした程度であります」


「人事部長にも知らせたのだな?」


「はい。人事局内で処分対象者が6名おりましたから……幸いにして部長以上となる親補職の皆様が処分対象者には含まれておりませんでしたので、人事部長殿の権限だけで……処分の実施は可能でした」


「そう言えばそうであったな」


「しかし処分の方は粛々と進めておりますから、情報部においても何か察するだろうと……私は個人的には思っておりました。どうやら、そうでは無かったようですが……」


 アラム法務官が失笑を漏らす。人事局の中で6人の中級官僚が一斉に処分を受け、更には士官学校や王都方面軍にも同時期に処分者が出ている。ましてや西部方面軍内においては二桁に及ぶ士官が次々と免職されているのだ。情報部が何も察していなかったと言う方がおかしい。


あのデヴォン教育部長ですら、自身の配下であった主任が処分を受けた事に対して、結果的には頓挫したが人事局長に問い合わせているのにだ……。


上の方から何も情報が流れて来なくても、軍部内の情報を司る者として何らかの内偵を実施していてもおかしくは無いはずだが……彼らはどうやら全く動いていなかったようだ。軍務卿が呆れて上から下まで一括りに怒鳴り付けるのも当然であると言える。


「皆様には多大なるご心配をお掛け致しましたが、情報部への対処は粗方終わっております」


「そもそも何故……情報部のナラ課長でしたっけ?彼はその学生の動向を探ろうとしたのです?その学生にも何か捜査を受けるような……問題があったのではないですか?」


 今度は前回の騒動の際に法曹官として、「和解成立に伴う開廷中止」となった軍法会議に全く関与していなかったトカラ施設整備部長が疑問を述べた。彼女は被害者学生であるマルクス・ヘンリッシュの為人(ひととなり)を殆ど知らない。


「はい。実は今回皆様にお集まり頂いたのは、この被害者生徒であるヘンリッシュ殿が新たに我ら軍務省に突き付けて来た『要求』に対して……皆様のお知恵を拝借したいと思いまして」


「え!?あのヘンリッシュ殿がまた何か?」


この会合に参加している者の中で唯一、法務官では無いサムス・エラ憲兵課長が声を上げたので、他の一同は一斉に彼に視線を向けた。


「し、失礼しました……」


法務官達の視線を集めてしまった憲兵課長は首を竦めた。彼にしてみれば前回の騒動で当時第四師団長であったアーガス・ネルを崖っぷちに追い詰め、結果的に本省や憲兵側からも大量の処分者を出して軍務省は深刻な人材的損害を受けた。

彼は憲兵課長として只でさえ激務の中に居るのだが、「執行委員会」のメンバーとして未だに西部方面軍内におけるネル家に加担していた者の調査と処分に追われているのだ。


 その切っ掛けとなったあの士官学校生徒……憲兵課長の知る魔法ギルドの連中ですら及ばないような不思議な力を持つ若者……あの時はまだ、彼は『軍務省の敵』と言うわけではなかった。彼の出して来た「3つの条件」は中々に厳しいものであったが……結果的に本省や憲兵本部の不祥事がそれ以上拡がる事は無かったのである。


「いえ、エラ課長が驚かれるのも無理はありません。私とあなたは実際に彼と直接会ってその力量を見せ付けられていますしね……」


アラム法務官が憲兵課長を庇うかのような言い様に、今度は再び一同の視線が彼に戻される。


「実は既に軍務卿閣下にはご覧頂いておりますが……この資料をお読み下さい」


 そう言って、アラム法務官は用意してきた件の……マルクスから渡された新任官少尉の戦死数に関する資料の写しを配布した。他の職員に見せる事もままならず……カーボン紙を使って自らの手で人数分の資料を複写したアラム法務官の指はまだ少し痛みが残っている。


「何だねこれは……?700年前……?100年間……?」


資料の数値を見て訝しむ法務局長が口にする再度の疑問に応えるかのように、アラム法務官は今回の会合召集の「肝」となる部分を説明し始めた。


 説明が始まるや、この法務部の会議室には資料の内容を事細かに説明するアラム次長の声だけが響き渡り、参加者一同は黙って耳を傾けるような形になった。

その実態は……内容があまりに衝撃的過ぎて、声を発する事すら出来無くなっているのである。


それだけ……この資料に記された「北や西で磨り潰された若者の生命の数」が多過ぎたのだ。


数値の説明を終えて、アラム次長が一同を見渡すとやはり皆一様にショックを隠し切れていない様子だ。無理も無い。自身もあの士官学校生から最初に説明を受けた時も同じように衝撃を受けたし、嘗て若い頃に士官学校にて戦技教官職に就いていたという……あの巨体で剛直な軍務卿閣下ですら言葉を失っていたのである。


 会議室の中に暫くの間、沈黙が横たわった。100年間でこの数字なのだ……。そしてアラム次長の説明によると、実際には450年程前から同様の状況が続いていると言う。

もう……そこまで考えが及んでしまうと、「無駄死にさせてきた若者の総数」を考えるだけでトカラ少将は震えが止まらなくなっていた。


なぜなら……トカラ少将は一昨年に北部方面で次男を喪っている。やはり士官学校を卒業して最初の年であった。夫である王都方面軍第6師団長であるフォレル・トカラ中将は、余程ショックが大きかったのか……息子の死後、憔悴した姿で葬儀を終えて任地に戻ってからは、一度も王都に帰って来ていない。手紙による音信も途絶えて、夫婦の仲は完全に冷え切ってしまったと言える。


 トカラ師団長は高潔な指揮官として有名な人物で、軍人となった次男を敢えて実戦が存在する北部方面軍に志願させたのだ。結果的に息子を死地へと追いやった事に対して彼は未だに悔やんでいると思われ、「妻に会わせる顔が無い」と思っているのだろう。


ちなみに、少将夫妻の長男は軍人にはならずに財務省に勤めている。厳格な軍人である父に反発したのか、彼は士官学校では無く官僚学校へと進んだのだ。


弟の死を知った時、兄は葬儀の席で


『それ見たことかっ!あんた達の……下らない見栄によってヴェルは……まだ19なのに逝っちまったっ!ぐぅぅっ……』


と人目も憚らず号泣し、そのまま家を出てしまった。長男とも母は同じ王都の中で没交渉になってしまっているのだ。


 その息子の生命を奪ったのが……士官学校で嘗て自分も教えられていたあの白兵戦技……自分は近接武術は向いて居ないと……他の軍務科同期生の多くと同様に弓術を選択したのだが……その内容の低劣さが原因だと聞かされ、更にそれを裏付けるかのような数字の載った資料を突き付けられ、涙で紙面の数字が滲んだ。


「そっ、そんな……」


沈黙が続く会議室の中で、トカラ少将の涙声が小さく洩れ聞こえてアラム次長は、ハッとなった。


「もっ、申し訳ございません……!少将閣下は先年、ご子息を北で……!」


自身も葬儀に参加した記憶が甦ってアラム次長は慌てて謝罪した。この会議室に集まっている者達……他の法務官も当然その葬儀には参加している。彼らも一様にその「若者の死」を思い出して、このアラム次長の話が非常な現実感を伴ったものであると認識するに至った。


「ばっ……馬鹿な……。こっ、このような記録が……数字として出ているのか……」


 漸く言葉を取り戻したかのように法務局長が言葉を吐く。その顔色は真っ青になっている。無理も無い。隣の席で同輩であるトカラ少将が肩を震わせて資料を両手で掴んだまま俯いて小さく嗚咽を漏らしているのである。


「よっ、450年……本当に……そのような事が……」


法務副局長もそこまで言うのがやっとである。この法務局の二大巨頭は世代的にはアラム次長とは逆に自分達の同期である3007年度卒業生が士官学校を巣立った直後にヨハン・シエルグ「新教官」が赴任して来たので、やはりすれ違いとなっている。


 本日この席に参加している者達の中で、士官学生時代に軍務卿から槍技の授業を受けたのはロウ大佐の他には、今その場で泣き濡れているトカラ少将と、ホレス法務部長の2人だけである。この2人はロウ大佐とは違い、シエルグ教官が一回生の戦技授業を担当していた頃に授業を受けた者達で、トカラ少将に至っては一回生時……彼女が1年2組に所属していた時の担任が若きヨハン・シエルグ教官であった。


「ぐっ、軍務卿閣下も……この資料を……もうご欄になられて……いらっしゃるのですね?」


 手巾で涙を拭いながら、歯を食いしばるようにトカラ女史がアラム次長に尋ねると


「は、はい……。先程も冒頭でご説明申し上げましたが、軍務卿閣下もこの資料に記された数値をご覧になられて、かなりのショックを受けておられました……」


「そっ、そうでしょうね……そうですか……シエルグ『教官殿』も……」


「あの御方は……本当に怖かった……。あのお身体の大きさだ。声も大きくてな……」


ホレス少将が呟く。ロウ大佐も


「そうですな……私も二回生、三回生と……シエルグ教官殿に槍を教わりましたが……他の教官方の中でも格別に怖い方でした」


苦笑と共に学生当時の思い出を語った。それを聞いて漸くトカラ少将も小さく笑いながら


「私は声が大きかった事だけはとにかく憶えています。朝礼や終礼の時はいつも緊張しておりましたわ」


 3人はひとしきり学生時代の軍務卿への思い出を語って笑い合った。


「しかし……この数字は深刻だな。今の貴官の話ではその……ヘンリッシュだったか?その生徒はこの資料を侍従長殿を通して陛下にお見せすると言っておるのだろう?」


キレアス大将……法務局長が溜息と共に当然の如く湧いた懸念を吐き出す。アラム次長の説明だけを聞いているのであればそれは「長きに渡ってこの状況を放置してきた教育部の責任」であると言えなくも無いが……ここまで数字が大きいのであれば、この事実を知った今上陛下がどのように思われるか……考えるだに恐ろしい。


「今も申し上げましたが……『彼』の要求は、この事態を放置してきた教育部……つまり我々が『教育族』と呼んでいるあの方々……いやそれだけで無く、恐らくは教育指導要領に携わっている現役の教育部関係者全ての処分です。我々が彼らを処分出来るのか……それとも今上陛下からの勅勘を蒙るのか。残された未来はこのどちらかになります」


アラム次官が断言すると、再び会議室は静寂が支配する。元々、軍務省内においても「静かな部署」と言われている法務部の中にある会議室には扉の向こうから雑音すら全く漏れ聞こえて来ない。


「実は……軍務卿閣下がマーズ主任教官殿と件の生徒、マルクス・ヘンリッシュ殿との対面……面談を希望されております」


 静まり返った会合の席へアラム次長が新たな話を投下した。一同は一斉に顔を上げる。


「なっ……何ですって!?」


声を上げたのはやはり……憲兵課長であった。先述したが、この中でアラム次長の他に件の士官学校生徒と実際に面識があるのは彼だけである。


「また、今から申し上げる事はご内密に願いたいのですが……マーズ主任教官殿を北部方面軍から士官学校の主任教官へと転籍させたのは……今上陛下の御叡慮であるとの事です……。軍務卿閣下が先日、私に打ち明けられました」


「何だとっ!?」

「えっ!」

「へっ……陛下がっ!?」


「マーズ主任教官殿は、皆様も既にご存知かとは思いますがヴァルフェリウス王都方面軍司令官……公爵閣下の御曹司でございます」


「なっ……あっ……そうか……。今上陛下が思し召しになられたのは……それが理由か……?」


察しの良いホレス法務部長の言葉にアラム次長は頷く。


「どうやらそのようです。勅命を受けた軍務卿閣下が人事局長に指示された結果としてマーズ殿は、北部方面軍から異例の抜擢を受けて士官学校主任教官へと転籍された模様です」


「その……マーズ殿とも閣下はお会いしたいと?」


「はい……。先程のお話です。閣下は嘗て士官学校白兵戦技教官として赴任された経験をお持ちでして……今回の資料に目を通され、数字の意味を知って非常に衝撃を受けておられます」


「北部方面軍でのマーズ殿のお働き……『北部軍の()公子』の威名は皆様もご存知の事と思います。そのマーズ殿が『現代の士官学校における白兵戦技は役に立たない』と明言され、ご覧頂いた数字まで示されているのです」


「う、うーむ……確かに……。これは説得力があるな……」


 ロウ大佐が唸る。彼も学生時代は槍技の習得に熱を入れていたが、それに対して疑念を持っているのはよりによって北部軍随一の驍将である。マーズ主任教官の言い様に反論することすら難しいと思わざるを得ない。


「それでも閣下はマーズ殿との会見をお望みになられまして……また、ヘンリッシュ殿が体現する『本来の白兵戦技』についても非常なるご興味をお持ちです」


「しかし……その閣下のご要望を叶えるには、閣下ご自身による士官学校への訪問……という形を採らざるを得ないだろうが?」


 ホレス部長の疑問は、この場に居る全ての者……この話を切り出したアラム次長ですら抱いている事である。タレン、もしくはマルクスも含めて「話を聞く」だけであるならばどうにかして校外のどこか……本省の庁舎内では情報部による監視の目があるかもしれないのでリスクがある……別の場所に会見の場を作れば実現は左程難しいとは思えない。


しかしシエルグ卿は「ヘンリッシュの(わざ)が見たい」とご所望なのだ。そうなってくると、話は随分と難しいものになる。本来であれば軍務卿閣下すら望むのであれば「士官学校への視察」は容易く実施できるだろう。


しかし現在は情報局長によって「教育族」側に、今回の計画が通報されている可能性がある。そうした状況下で軍務卿本人が士官学校を訪れるのは如何なものか……。


 アラム次長は自分でこのような話を切り出しておきながら、具体的な方法が思い浮かばず腕を組んで考え込んでしまった。ここに来てまさかの「手詰まり」である。


会合の机を囲む者達も難しい表情で思案に耽るように沈黙してしまった。先程とはまた違った雰囲気の「静寂」がそのまま訪れるかと思われたその時……


「方法はあります。要は軍務卿閣下が教育族に感付かれる事無く士官学校内に入り、且つその……ヘンリッシュ殿の業さえご覧になれれば良いわけでしょう?」


 これまで会合が始まって以来、殆ど意見を口にする事無くその経過を見守っていた最年少の法務官……オリク・イルエス中佐が言葉を発したので、アラム次長は驚いて隣に座るこの年少の法務官の方へ振り向いた。


「何っ!?オリクっ!方法があるのですか?」


 オリク・イルエス中佐は兵器局の工廠整備課長という役職に就いている法務官で、このまま人事変動が無ければ……再来年のホレス法務部長の定年に伴う順送り人事でアラム次長が後任になった際の、更にその後任として法務部次長への昇進が確実視されている人物である。


何しろ、「法務部長及び次長は法務官を以ってその任に充てる」という内規が存在する以上、アラム次長の後任となる資格を有するのは同じ次長職で大佐であるゼダス・ロウ人事部次長か、このイルエス中佐しか存在しない。


本省の外にその人材を求めるのであれば、各方面軍に散っている他の下位法務官は居るが……タレンのような「異例中の異例」のような場合で無い限り、「外から本省へ転籍」は法務官と言えども難しい。


そのような「異例」が発生するのは何等かの事情によって「本省内に該当法務官が存在しない」という、ちょっと考えにくい状況が発生しない限り望めないだろう。

少なくとも、ロウ大佐とイルエス中佐という候補該当者が存在している現在の軍務省では考慮される事は無いと思われる。


そしてロウ大佐の場合はアラム次長よりも年長である為に「職位の横滑り(スライド)」もほぼ有り得ない話であるので、事実上……ジェック・アラムの後継者はこのオリク・イルエスだけと言う事になる。


 アラム大佐やイルエス中佐も当然ながらそのような状況で認識しているので、二人は部署が違えど法務官としての「先輩と後輩」という間柄で親密な関係であった。


イルエス中佐は、階級としては「中佐」、職位は「課長」職であるが……法務官として勅任を受けているので、本省内の全ての課長職に対して最先任の地位にあり、既に勲爵士の叙任も受けている。アラム次長も同年代では「出世頭」ではあるが、彼の一世代下においてはこの少壮の法務官が間違いなくエリート中のエリートと呼ばれる存在であろう。


 その年少の法務官がこの行き詰った事態を打開する「妙計」を会合の面々に対して開陳した。


「確かに……このまま軍務卿閣下のご希望を叶えようと、閣下をそのまま士官学校の視察に赴かせては当然ながら校内を管理している……その教頭ですか?彼に気付かれてしまいますし、彼からの注進を受けずとも教育族の連中に『その動き』は筒抜けとなり、余計に警戒されてしまいますな」


「そうですね。現段階で教育族のお歴々に対して余計な警戒心を与えるのは得策では無いでしょう。しかし軍務卿閣下が動くとなれば、何をするにも目立ったものになってしまう。

特に……『士官学校に軍務卿が視察に訪れる』という事案は余りにも今回の件に対して直截的過ぎます。情報局長は『あちら側の人間』と見做して考えないと危険でしょうね」


アラム次長が応じる。


「それならば……最早軍務卿閣下の『視察』という手は使えないでしょう。でしたら……もうこれは『偽装』するしか無いのでは?」


「偽装……?」


「申し訳ございません。少し言い過ぎました。偽装と言うよりも……『お忍びで』という表現の方が適切でしょうか」


イルエス中佐が笑いながら前言を訂正した。


「軍務卿閣下がそれ程までにヘンリッシュ殿の業……ですか?つまりは白兵戦技の授業をご覧になりたいのであれば、『軍務卿閣下の視察』では無く……そうですな……『構内設備の点検』……この辺りが妥当ですかね」


「何ですって……?て……点検?一体何を……点検するのです?」


アラム次長はイルエス中佐の話が上手く理解出来ず尚も問い掛ける。


「そうですな……今回の場合でしたら白兵戦技の授業ですから、確か……北西の隅にある闘技場……剣技台でしたか?その施設を点検すると称して、人を派遣する。そして派遣された者は施設の点検をしつつ……授業を参観すれば宜しいのでは?」


 ここまで説明されて、漸くアラム次長も話が呑み込めたようだ。


「あっ、なるほど……その派遣される職員の中に軍務卿閣下を潜り込ませると?」


「はい。どうでしょうかね。設備の点検というのはどれくらいの期間で行われているのでしょうか?トカラ部長」


イルエス中佐は、まさに王都の軍施設の維持を統括する責任者であるトカラ部長に施設点検の事情を尋ねた。聞かれたトカラ女史は困惑の表情で応える。


「残念ですが……士官学校内の施設については施設局では無く、教育部施設課の管轄になるわね……」


「いえ……教育施設としての士官学校では無く、『王城防衛施設』としての点検であれば教育部の管轄の外になるのではないでしょうか?」


 イルエス中佐の指摘に対してトカラ女史は少し驚いた顔をして


「まぁ……!確かに……。そう考える事が出来るのであれば、あそこは立派な『防衛施設』の一つと見做せますわね。但し私自身はこれまで士官学校構内の施設を担当した事がありませんけど……」


「トカラ部長のご記憶には無い……と?」


「そうですわね。記録を調べる必要があると思います。私自身も施設部の業務を全て把握していたわけではありませんので。この後すぐにでも調査してみましょう」


「ではお手数ですが、お願い致します。もしもその結果として施設部の権限で士官学校内の設備点検が可能であるならば……オリクの出した案で試みてみましょう」


 アラム次長が話を纏めた。更に付け加えるように


「あとはこの事をどうやって『彼等』に伝えるかです。軍務卿閣下を士官学校内に人知れず送り込む事が出来たとして、その日にヘンリッシュ殿の白兵戦技授業が無ければ、その努力は無駄になるわけですが……」


それに対してはエラ憲兵課長が


「そういう事でしたら、常駐憲兵士官のオーガス中尉が使えます。彼は先月の騒動の際にマーズ少佐とも面識が……いや、どうやら彼はそもそも北部方面軍時代のマーズ少佐の部下であったようです。彼ならば連絡役として適任でしょう。オーガス中尉を使ってマーズ少佐と『繋ぎ』を付けて、ヘンリッシュ殿の授業日程等を聞き出せば宜しいのではないでしょうか」


「なるほど。そのようなルートがありましたか。では来旬……12月の初旬から2旬目辺りを目途に『決行日』を……」


「待てジェック。私の記憶では12月のその頃は……席次考査の日程と近過ぎないか?」


ロウ大佐が意見を挟む。


「あっ……そう言えば席次考査がありましたね……」


 それを聞いてアラム次長は苦笑いした。エラ憲兵課長を除く、この場の法務官達は当然ながら全員士官学校の卒業生であり……2ヵ月に一度実施される席次考査は今では良い思い出だが……学生時代であれば、既にこの時期にはその考査の内容で頭が一杯になっていたはずだ。


士官学生……いや、これはエラ課長のような官僚学校出身者にとっても当時の席次考査とは、それだけ学生生活の大部分を占める重要な行事だったのである。


「では……軍務卿の視察に関しては次の考査終了後……年末休暇に入る前を目安に考える事にしましょう。まずはトカラ部長殿の記録調査次第となりますが……一応そのつもりで私は軍務卿閣下に提案させて頂きたいと思います」


「分かった。ではそうしてくれ。私達に何か出来る事があるならば遠慮無く言うがいい」


キレアス局長が話を引き取って協力を約束した。アラム次長は立ち上がって一同に向かって頭を下げ


「本日はお忙しい中をお集まり頂きまして、ありがとうございました。法務官の皆様にご協力頂ける事で私も肩の荷が下りた思いです。今後とも宜しくお願い致します」


「ジェック。貴官は暫く法曹官から外れて良いぞ。その間は私とロウ、イルエスで担当を回すようにする。貴官とトカラ部長はそちらの『計画』に専念してくれ」


「ありがとうございます」

「承知しました」


 先日のネル家騒動……フォウラとダンドーが起こした殺人未遂については開廷が取り下げられたが、軍法会議そのものは中央や地方に因らず頻繁に開廷していて、特に王都周辺を含めた軍中央管轄地域では毎旬のように開かれている。


その内容は酔った兵士による狼藉から喧嘩、営内における窃盗など様々で微罪ながらも罰金刑以上の罰則が定められた法律違反者に対しては軍法会議の対象となるので、法務部は毎旬「1の日」に集中的に軍法会議を開いて、そのような微罪に対する公判を一気に処理している。


ネル姉弟の裁判もそのような流れの中で実施される予定であったが、周知のように「被害者」との和解が成立したので取り下げとなったが、当初の開廷日であった9月25日には他にも3件の軍事法廷が開かれていた。


 法務部は毎旬1の日……休日明けの最初の日に開かれる多くの軍法会議に対して、その他の日に一件一件の裁判資料の整理や手続きを実施している部署である。

ホレス部長やアラム次長はその部署の責任者であり、また「法務官である」事が必須である激務の職位なのだ。


ホレス部長は自身も忙しいのだが、部下であるアラム次長の分もその職務を引き受けると言っているのである。


アラム次長の挨拶で会合は散会となった。今後も7人の法務官と憲兵課長が団結して行くという事で話が纏まった。


(やはり法務官の皆様に協力を仰いで正解であったな……)


マルクスに脅され、軍務卿からは協力と引き換えに「無茶な要望」を押し付けられたアラム法務官は漸く一息付く事が出来た。

【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ


ジェック・アラム

51歳。勲爵士。軍務省(法務局)法務部次長。陸軍大佐。法務官。

軍務省に所属する勅任法務官の一人で、ネル姉弟の軍法会議の際には検察官を担当する予定であった。事件の和解後には粛清人事を実施する「執行委員会」の中心となる。

主人公から、ネル家騒動の和解約定違反を問われる。


ヨハン・シエルグ

65歳。第377代軍務卿(軍務卿就任に伴って侯爵叙任)。元陸軍大将。元王都防衛軍司令官。

軍務省の頂点に居る人物であるが、軍務省を動かしている軍官僚達を嫌悪している。自らが与り知らぬところで起きる騒動に対して頭を痛めている。身長190センチを超える長身。


ドレン・キレアス

59歳。軍務省法務局長。陸軍大将。勲爵士。法務官。

「教育族」の人事的暗躍によって本来であればほぼ前例の無かった法務局内でも順送り人事で局長にまで棚上げされてしまった。


アレイテス・カノン

59歳。軍務省法務局副局長。陸軍中将。勲爵士。法務官。

同期であるキレアス法務局長と共に、本来では考えられない法務局内での順送り人事によってこれ以上の昇進を断たれた形になっている。


エイビル・ホレス

58歳。軍務省法務局法務部長。陸軍少将。勲爵士。法務官。

ジェック・アラム法務官の直接の上司。「教育族」の本省内上層人事独占の弊害を受けて人事の停滞によって部長職に留まっている。


アミ・トカラ

56歳。女性。軍務省施設局施設整備部長。陸軍少将。勲爵士。法務官。

王国陸海軍の中では最上位の女性軍人であり法務官。本職が激務である為に法務官としての公務機会が少ない。

北部方面軍の新任仕官であった次男を匪賊討伐の実戦で喪くしている。


ゼダス・ロウ

54歳。男爵。軍務省人事局人事部次長。陸軍大佐。法務官。

軍務省に所属する法務官のうちの一人で、ネル姉弟の軍法会議の際には判事の一人を担当する予定であった。


オリク・イルエス

48歳。軍務省兵器局工廠整備課長。陸軍中佐。勲爵士。法務官。

軍務省に所属する法務官のうちの一人で、ネル姉弟の軍法会議の際には被告側弁護人を担当する予定であった。本省内で最年少の法務官。


サムス・エラ

45歳。軍務省憲兵本部憲兵課長。陸軍中佐。3021年度官僚学校卒業。既婚。席次三位で「指輪組」。元内務省警保局警務部所属。

王都において実質的に憲兵の実働を采配する軍務官僚でベルガの直接の上司に当たる。何かと小役人気質を見せるが職務に忠実。


ヘルン・カンタス

59歳。軍務省情報局長。陸軍大将。勲爵士。

定年間近の小柄な老人。髪も既に脱け切っている。主人公との和解約定を破る不始末を起こした情報部を監督する者として、その穴埋めの為にアラム法務官への協力を申し出る。

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