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黒き賢者の血脈  作者: うずめ
第四章 戦乱の大陸
74/129

大空へ

【作中の表記につきまして】


アラビア数字と漢数字の表記揺れについて……今後は可能な限りアラビア数字による表記を優先します。但し四字熟語等に含まれる漢数字表記についてはその限りではありません。


士官学校のパートでは、主人公の表記を変名「マルクス・ヘンリッシュ」で統一します。


物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。

・距離や長さの表現はメートル法

・重量はキログラム(メートル)法


また、時間の長さも現実世界のものとしております。

・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日 


但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。

・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年

・4年に1回、閏年として12月31日を導入


作中世界で出回っている貨幣は三種類で

・主要通貨は銀貨

・補助貨幣として金貨と銅貨が存在

・銅貨1000枚=銀貨10枚=金貨1枚


平均的な物価の指標としては

・一般的な労働者階級の日収が銀貨2枚程度。年収換算で金貨60枚前後。

・平均的な外食での一人前の価格が銅貨20枚。屋台の売り物が銅貨10枚前後。


以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくお願いします。

 3048年の11月も下旬に入り、王都レイドスもすっかりと秋から冬の移り変わりを感じる季節となってきた。

これが更に北方の公爵領オーデルともなれば、木々の落葉も盛んとなり住民もそろそろ暖房設備の点検を始める……煙突掃除を請け負う者や暖房設備の点検を生業にしている者達が忙しくなる季節でもあるのだ。


しかし……難民達によって建てられたトーンズ国。その首都であるサクロとその周辺は北サラドス大陸よりも赤道寄りである亜熱帯から熱帯に掛かる気候帯に属する為に、嘗て住民達が寒さに肩を寄せ合って暮らしていた「領都のキャンプ」に比べると温暖なままの晩秋……と言ったような風情であって、市民の大半はこの季節になっても二の腕までしか無い袖の長さの服を着ているし、市内中心部の公園の中央噴水広場では多くの子供が水遊びを楽しんでいる。


この季節、キャンプとサクロを頻繁に往来している者……例えばサナのような者は双方の気温差で毎年のように驚きもし、同時にそれによって体調を崩さぬように服装などにも気を遣っているようだ。


 ルゥテウスとノンも、最近は薬屋(藍玉堂)と隣の大陸を往来する事が多くなった。しかし「隣の大陸」と言ってもそれはサクロ市内では無く、市内から西に150キロ程離れた藍玉堂の工場群、その東側に立つ「飛行船製造工場」との往来であった。


ルゥテウスはノンに、もっと見聞を広げて欲しいと飛行船の試作機製作を手伝わせる事にしたのだ。


普段は外に出ないノンも、店主からの誘いならば死の海にある魔物の巣窟にさえ着いて来る。二人は夜の配給を集会場で食べた後、双子の鍛錬はサナに任せて連日のように大工場にやって来てはソンマ店長と実験や検証を繰り返していた。


工場の天井から吊るしていた大型飛行船の骨組みを、素材の改良を機に降ろして解体し、様々な実験の結果として先日もルゥテウスが指摘した


「アルミニウム由来の合金であるジュラルミンの骨心を更にアルミニウムで覆う」


という、ラロカが聞けば「何のこっちゃ?」というような組み合わせが最も強度と軽量性、耐腐食性に優れていると結論付けられ、改めて小型の試作機を作って試そうという事になった。


また、新たに構造を見直す段になってソンマ店長の提案で気嚢部分全体を複数の「気室」に分割し、ある部分が損傷を受けて内部のヘリウムが漏出しても、他の気室が保持される事で墜落を防ぐという構造に変更となった。


この場合、仕切り壁部分が全体の重量増に繋がるのだが、後述のように気嚢全体の浮力がルゥテウスが当初計算したものを大幅に上回ったので、それ程問題は無いと判断された。


 そしてこの気嚢部分の仕切りというアイデアをソンマ店長から出されたルゥテウスは、更なる改良によって飛行船全体の運動能力の向上を思い付いた。


「気嚢を二層構造に?」


ソンマ店長の疑問に対して店主は


「そうだ。外側の層にはお前の案に沿ってこのように……8分割して、外装の破損によるリスクの分散を図るようにすると同時に、内側の層……気嚢の中心部は基本、空洞にして、その中は更に複数の袋状の気嚢を使用してヘリウムの量を加減出来るようにする」


「加減……?操縦動作の一つとして中心部のヘリウム量を可変出来るようにするのですか?」


「そういう事だな」


「どう言った理由で?」


「気嚢部分の一部のヘリウム量を増減出来れば……浮力の調整に繋がるだろう?」


「あっ……!つまり船体の上昇と下降をその機構で操作しようと?」


「そうだ。全体的にはこのような構造に造り変える」


 ルゥテウスはそう言うと、新しい紙面に船体の全体図を簡単に描いた。これまでの形状と違い、気嚢部分の横断面が真円に近いものでは無く楕円形で、全体的に平べったい印象の形状になっており、気嚢部分の左右に各1機、後方下部に2機、計4機の内燃機関を動力としたプロペラを設置した全く新しい船体がそこには描かれていた。


「これは……?随分と形状に変更が加えられているようですが……」


「ふむ。俺もあれからな……お前の話を聞いたりしてから色々と考えたんだ。何しろ俺にとってはこの飛行船というのは『古い技術』なんでな……基本知識や運用の記憶に対しての蓄積が乏しいんだ」


「えっ……?古い技術……?どう言う事でしょう」


「最初に飛行船の話をした時の事を憶えているか?この『気嚢に空気よりも軽い気体を詰めて空を飛ぶ』という技術自体は超古代文明の『人類の飛行史』からしてみればごく初期のものだったんだ」


「はい。そのようにお伺いしました。なので私も前文明の技術復興の足掛かりとして飛行船の復刻から取り組んでみようと思ったのですが……」


「そうだったよな。実際に超古代文明……第一紀の3000年くらいから高度な物質文明社会が実現したのだが、この飛行船というのはそれよりもずっと前……第一紀の1000年前後の頃の技術思想であって、その後すぐに学問分野において様々な新機軸が打ち立てられた為に、実際に活躍した時期は意外に短かった。

あっちの工場で工場長が取り組んでいる蒸気機関と左程変わらない期間しか使われる事が無かったんだ」


「え……そうなのですか?そこまでは想像出来ませんでした」


「人類はその後……まぁ、俺の先祖が魔導による検証から持ち込んだ技術などもあって、気嚢による『浮上』では無く、物体に働く『揚力』による飛行へと学術理論と技術の重心がシフトして行った。その結果として音速に近い速度で飛行が可能となる機体が主流となって、飛行船技術は一気に『過去の遺物』になってしまったんだ」


「そ、そうだったのですか……飛行船が……古い技術……なるほど……」


「だから俺も実は飛行船の構造知識はそれ程持っていなかった。『飛行船はこういう原理で空を飛んでいた』という、魔法ギルドに残されているような文献によくある表現のされ方のような知識しか持ち合わせて無かったのだ」


ルゥテウスは苦笑しながら説明する。


「しかしこうして、飛行船を復刻しようと言うお前と共にこの数年間、改めてその後の技術発展の成果をこれに当て嵌めながら考察してみると、飛行船の形状や構造も自ずとその後の技術レベルに沿った『進化』を遂げられるのではないかと思ったのさ」


「つまり……この研究を開始した当初と現在では店主様の中で飛行船に対する技術的な進化が起こっている……と?」


「そういうことになるな」


 ソンマ店長の指摘を受けた店主は笑いながらそれを認める。


「では改めてこの店主様ご提案の方式で試験機体を作ってみましょう」


「そうだな。まずはこの気嚢の形状でどれだけ安定するのか縮小試作機を作って試してみよう。但し、気嚢を小さくすると言う事は浮揚重量も小さくなるから金属製の外板は使えないな。紙でやってみよう」


 この店主の提案を受けて、ノンも手伝ってその日から煌々と照らされた夜の大工場の中で最大幅20メートル、長さ60メートル、高さ10メートル程の楕円体形状の気嚢が木製の骨格と紙を貼った素材で造られ、気嚢内部も2層構造とした。

中心部の1層目(内層)をぐるりと包み込むように2層目(外層)が構成され、2層目の内部に仕切壁を設けて8分割構造とするところまではルゥテウスの描いた図面通りの出来となった。


「よし。ここまでは俺の想像通りの出来だな。形状も図面通りだ」


木の骨組みと紙の外殻だが、紙の内側に「パラノア」という南サラドス大陸原産の常葉樹の樹液を塗布してあり、耐久性を向上させている。


 パラノアは本来であれば錬金術や魔術ではその樹皮が触媒として利用されており、ソンマ店長も「パラノア樹皮」は知っていたが、建材としての「パラノア樹液」の事は知らなかったと言う。


「パラノア自体は赤道付近の熱帯に生育する樹木なんだが、旧ノーア大陸で「資源」として植林されていたものはさきの大戦争で絶滅してしまった。今では原産地の南サラドスにのみ生育していて、一応は船や家屋の建材として現地では活用されているな」


「ほぅ。そうだったのですか」


触媒以外の用途を知らなかったソンマ店長が目を瞠る。外層の内側部分に樹液を塗布したことで、外側から触れてみてもハッキリと紙製の外殻が強化されているのが判る。


「南サラドスではな、この樹液を船の外板の隙間を埋める建材として活用しているんだ」


「なるほど。北サラドス大陸ではあまり見ませんよね?」


「原産国が海に面してないからな。前文明時代には運搬方法や保存技術もちゃんと確立していたので世界中で使われていたんだがなぁ」


「あぁ、なるほど。運んでいるうちに固まってしまうのですね」


「そういう事だ。元々、この樹液は加熱すると凝固を促進してしまうんだ。パラノアの木自体が傷付けられたり、樹皮を引っぺがされた時にそれを自己補修保護する為に分泌するものだからな。気温が高い地域ですぐに固まるように出来ているのさ」


「木もちゃんと考えているのですねぇ」


ノンが心底感心したように言うと、それを聞いた他の3人は笑い出してしまった。


 笑いが収まらない店主がそれでも


「そういうわけで、これを内層に詰める気嚢の材料にもしよう。これで大きな袋を作る。さっきも言ったが、この液体は熱で凝固もするんだが凝固体同士は熱で接着も出来る。更にショテルがこの木の樹皮を触媒として特定した時に、ちょっと興味が湧いて研究していた事があってな」


「えっ!?漆黒の魔女様がですか!?」


ショテルを心から尊敬しているソンマ店長が驚いた顔で反応すると


「うむ。現代には産出地にも伝わっていないのだが、この樹液に塩と硫黄、それに石灰を混ぜた『添加剤』を一定量加えると伸縮性が増して10倍くらいにまで伸びるようになる。更に言うと、硫黄では無くアンモニアを添加すると凝固を遅らせる事が出来るので広範囲に輸出も可能となるんだがな」


「えっ!?10倍?」


「そうだ。この模型機体の内層だと膨張時に直径5メートル程度の気嚢が4個収められるな。なので安全強度も考えて直径1メートル程度、厚さ1センチ程度の袋を作ってみるか。そうだな……こんな感じでシートを作って……これを熱で接着して……」


簡単な図面を書いている店主に対して


「ルゥテウス様。私がこれをやってはいけませんでしょうか?」


珍しくノンが手を挙げて来たので


「ほぅ。お前にしては珍しいではないか。良かろう。これも経験だからな」


するとサナも


「あの……私もノン様をお手伝いします。いつもお世話になりっぱなしなので」


結局、気嚢部分は女性陣が担当する事になった。試作機体の完成に目途が付いたので、ソンマはヘリウムの生産を続ける事になり飛行船試作計画は佳境に入ったのである。


****


 11月24日。ルゥテウスは学校が休みなので、朝から西側の工場を訪れた。ノンは午前中に三人娘へ課業を言い渡してから来ると言う。サナとの気嚢作りと素材研究はまだ続いており、意外にも楽しんでやっているようだ。


ルゥテウスが3棟並んだ大きな工場群でキッタ工場長が機械製作に使用している西側の工場に入ると、レール敷設を待つ蒸気機関とその台車が置かれた奥のスペースに、彼の姿と前回よりも一回り程小さくなった内燃機関、更に別の機器が並べて置かれていた。


「いらっしゃいませ。漸く組み上がりましたが……」


 キッタの工作技術は素晴らしく、ルゥテウスが太古の記憶を基にして描く細かな図面通りに精密な加工を行い、まだ理解が及んでいない点火装置だけは店主の力を借りたが、ほぼ独力で内燃機関の小型化を達成し、液化装置まで製作してしまった。


「おお。よくやったな工場長。早速試験をしてみよう」


 店主は笑いながら右手を振ると、何か赤っぽい色をした皮のような材質で透明感のある大きな袋が現われた。


「これは……何です……?」


袋を恐々とした仕草で(つつ)きながらキッタが尋ねると


「これがパラノアの樹液から作った気嚢だ。お前の妹とノンが素材の開発を担っている」


「ほぅ……あの二人が?」


「うむ。素材の分量をちょっと変えただけで性質が大きく変わるものだからな。片っ端から色々な材料を混ぜたりして試料を大量に造っている。今日はその中から一番良さそうに見えたやつを使ってみよう」


「あの……店主様……。そもそもこの機械はどのように動くのですか?こちらから吸い込んで……こちらから吐き出しているのは判るのですが……」


「おい……。お前はこの機械が何をするのか……理解出来ていないのか!?」


 珍しく店主が驚愕している。この目の前に居る眼鏡を掛けた中年の男は、店主から渡された図面に沿って精密に部品を再現し、精巧に組み立てたのはいいが、どうやら肝心の機械としての用途が解っていないようだ。


「お前は……本当に昔から俺を驚かせるのが上手いな」


明らかに他の難民首脳とは異質の感性と能力を持つこの男の事を思うと可笑しくなって、ルゥテウスは腹を抱えて笑い出した。


「済みません……まだまだ勉強不足でして……。この内燃機関については多少理解が進んできたのですが……」


キッタは申し訳なさそうな顔で頭を掻いていた。


「まぁ、いい。気にするな。お前とは長い付き合いだからな。とりあえず見ていろ」


 店主は大きな風船状の気嚢の口を液化装置から出ている金属管に被せて固定し、更に機械の反対側の管に直径20センチ、高さ40センチ程度の小さなタンクを取り付けると内燃機関を始動させ、管が機械に接続されている根元の部分にあるバルブを開いた。


―――シュウゥゥゥゥゥ パリパリパリパリッ


途端に気嚢の中に気体が流れ込み、何やら異音を発てながら膨らみ始めた。


「うわっ!」


本能的にそれを見て後ずさったキッタを見て


「お前も逃げるのか……」


 苦笑したルゥテウスは気嚢の直径が2メートル程度まで膨らんで宙に「持ち上がった状態」になると、バルブのハンドルを反対側に捻って気体の流出を止めた。

そしてキッタが見たところ「パンパン」に膨らんでいるように見える気嚢を指で突いてみたり撫で回したりしながら、素材の評価をしているようだ。


「うーん。これだと復元力が弱いか……?元の形に戻るのか……?」


「あ、あのっ!今……これはどういう状況なのでしょうか?」


キッタはどういうわけか自分の手を顔の前にかざしながら……本能的に「何か」から顔を守るような姿勢で聞いて来る。明らかに何かに怯えている様子だ。


「おお。すまんな工場長。今説明してやるから、そんな面白い姿勢を採らなくてもいいぞ」


笑いながら店主は装置の仕組みと働きについて説明を始めた。装置は内燃機関と、そこから得られる動力を利用した圧縮装置(コンプレッサー)と真空シリンダーが内臓された液化装置、そして店主が今取り付けた液化されたヘリウムを収納するタンクで構成されていた。


その動作を分かり易く説明した店主は


「要はこのタンクの中の液化しているヘリウムを、ここのバルブで解放してやると常温下においてヘリウムは一気に気化し、それをこの機械で気嚢に圧し込んで膨らませる。そして今度は……」


そう言うと店主は内燃機関を始動させて、液化装置のスイッチを入れた。すると気嚢は時間を掛けながらどんどんと萎んでいき、元の薄っぺらい畳まれた丸い袋のような形に戻った。


 内燃機関を停止させたルゥテウスは


「今、こっちの機械を使って気嚢の中を満たしていた気体のヘリウムを真空のシリンダーに回収しながら、元の液体に戻したんだ。原理は解らなくてもいい。とにかく『そういう機械』をお前は製作したと言う事だけ理解しておけ。老後まで時間はいくらでもある。後で好きなだけ研究するが良い」


笑いながら説明する店主にキッタは


「は……はい。なるほど……」


「この気体が液体になるという原理はソンマ店長の方は理解しているのだが、奴は理論的に解っているだけで、実際にそれを実現させる為の装置の仕組みは理解出来ない。

しかしお前は俺の図面だけでそれを製作する事が出来た。人間どうしても得手不得手がある。お前と店長のようにな。だから気にしなくてもいいぞ。

お前が解らない部分はソンマ店長が理解しているし、ソンマ店長の手が及ばない装置の製作はお前が担当すればいいだけなんだ」


液体が気化してガスになるという現象はキッタも街灯の燃料が液化ガスであった頃から知っていたが、逆にその気体……ガスが液体に戻るという原理までは理解出来無いようだ。


「な、なるほど。そういう考え方ですと気が楽になります」


「これで液化装置の目途は立ったが……しかしこの気嚢の素材はまだまだだな」


「今見た限りでは十分に膨らんでいたように見えましたが?」


「いや、まだ弾性が強過ぎるな。あれ以上膨らましていたら破裂していた」


「破裂……?破れるという事ですか?」


「そうだな。破れてしまったら気体が漏れてしまう」


「なるほど。あの飛行船……?でしたっけ?あの大きさの物を浮かすにはもっと大きな袋が必要ですが……あまりにも膨らみが悪いと元から重くて大きな袋を用意しなければならない……そういう事ですか?」


「その通りだ。何だ……お前はそこら辺は理解しているではないか」


「ええ……まあ……今の気嚢?が膨らむ様子を見れば何となくですが……」


「そうか……まぁ、お前は相変わらず面白い男だと言う事だけは分かるよ」


笑う店主から何とも言えない評価を下された工場長は困惑の表情となった。


「まぁ、いい。お前の方はこれで完成だ。よくやった。後は蒸気機関の方だな?そっちはどうなっているんだ?」


「ああ……はい。親方様からレールの敷設に入ったとの念話を頂きました。どうやらレール生産の目途は立ったそうです」


「おお。そうか。まぁ、『あの場所』はマグダラ山脈までとは行かないがそこそこの鉄を産出するからな」


 キャンプや初期のサクロの建設を支えていた鉄鋼材料は基本的にルゥテウスがマグダラ山脈の南西部中腹にある鉄鉱脈から掘り出して調達していたのだが、今後の事もあろうかと、トーンズ国内で新たな鉱脈を探したところ、どうやら湖の向う側にある中央山地に大規模な鉄鉱床が存在する事が判明した。


そこに採掘施設を建設して製鉄所も併設したのが6年前の事である。以来、そこではルゥテウスが時折大規模な採掘を夜間に行い、それを製鉄技術を学んだ者達がひたすら精製して行くという状況で稼働している。


 サナの作る炭の品質が向上したので、相当に質の良い鉄が作れるようになったらしく、それを見たラロカはかねてよりルゥテウスから話を聞いていた「自走する車」の登場を見越して数年前からレールを製造するノウハウを蓄積させていた。


レール自体はキャンプの頃から資材置き場と工場地帯を結ぶ「人力鉄道」に供されていたので、それを基に耐荷重の増加や歪みを減らす技術の研鑽の結果、漸く満足の行く水準のレールが製造出来るようになったので、サクロの西側に新たに造られた工場地帯でも積極的に敷設される事になった。


 今回、いよいよ車両完成の目途が付いたので、レールを増産する為の工場を直接製鉄工場に隣接して建てていた。

そして先日の蒸気機関完成を見て、いよいよ工場の稼働を開始させたらしい。


レールの敷設にはロダル将軍も工兵隊1000名を派遣しており、将来の軍用インフラ敷設の為の技術を学ばせるようだ。彼の話では今後も工兵隊の規模は順次拡大して行くと言う。


レールは、鉱山側から敷設を始めて、湖のほとりに広がる農村地帯を突っ切って、サクロの街の中央、「ランド通り」の中間地点まで通す。


更に工場地帯まで伸ばして、最終的にはその西側にあるソンの村……新国民が暮らす地域まで延伸する。勿論トーンズの国土が更に西に伸びれば、今居るこの工場が建つ場所を突き抜けて、アデン海沿岸地域まで鉄道で行き来出来る環境を整えるのもいいだろう。


そして東側……今回のレール敷設のスタート地点から東側にも線路は伸ばす。その最終目的地は《赤の民》が暮らす地域の手前、もしくは更に山地の東側にある嘗てドロスが赤の民と「繋ぎ」を取る際に滞在した町……「ネダ」と呼ばれている集落まで伸ばしていいかもしれない。


 またサクロの北にある「ルシ」や南の「テト」とも鉄道で繋ぐ事で、防衛の観点からも大きな効果が望める。鉄道交通とは、距離が長ければ長い程その利便性が増大するものなのだ。


「確か農地……あの農村付近にも駅を作るんだろ?農作物の運搬に使いたいって親方が言ってたよな?」


「はい。その駅……停車場ですね。用地も確保されているようです。この前、親方様に路線図を拝見させて頂いたのですが、鉱山とサクロの間に停車場が2ヵ所描かれておりました」


「そうか。ではその農村の駅と鉱山の間にレールが敷設されたら、あの蒸気機関と台車を組み立てて俺が転送してやる」


「ありがとうございます。私は『初号機』の実走試験をしながら次の『2号機』を製作しようと思っております」


「そうだな。そうしてくれ。一応素材はまたあの辺に積んでおく」


 ルゥテウスは工場の隅を指差した。この工場群は言うまでも無く彼が設置した魔導を使用した動力源によって機械は動いており、この工場にもホイスト(天井クレーン)が設置されているので、普段はキッタ一人でも作業が出来るようになっているのだ。


また、ルゥテウスが調達して来る素材、特に金属は総じて純度も品質も極めて高い物なので、精密機械製作にはかなり重宝している。


「ありがとうございます。お手数をお掛けします」


 キッタはこの後、飛行船の動力部となる内燃機関部分を3機製作して……その同調作業に追われる事となった。


****


 ルゥテウスは外に出ると3棟が並んでいる一番東側に建つ超巨大工場の正面側にポツンと設置されている扉から中に入った。

すると、入ってすぐの辺りに「領域結界」が張られており、構わず中に入ると上から薄いピンクの光が降り注いで来たので彼は思わず笑い出してしまった。


その笑い声で彼の来訪に気付いて振り返ったノンとサナに


「さっきのアレな……今、実際にヘリウムを入れてみたら思った以上に膨らまなかった」


どういうわけか笑いが収まらない様子で報告する店主へサナが


「え……?膨らまなかった……?袋状になっていなかったのですか」


「いや、そうでは無く思った以上に『硬かった』と言えるな」


「硬い……店主様が仰っていた『弾性』とか言うやつですか?」


「そうだな。添加材の量を減らしてみるか。それと一度固まったら天日で更に3日程乾燥させつつ素材を落ち着かせた方がいいかもな。俺の知ってる古代文明の頃はそんな事をやっていたような……気がする」


残念な事に、ルゥテウスの偉大なる先祖様の中で超古代文明の頃に化学製品の製造を専門にしていた者は居ない。彼の知識も結局はその頃の書物に書かれていた事を学んだ「発現者」の記憶に頼っているのだ。


「まぁいい。実演してやる」


 店主は右手を振って先程使用した袋を取り出し、魔導で中に空気を送り込み始めた。袋は新品であった先程よりは小さいがそれでも異音を発てながら膨らんでいく。


―――パリパリパリパリッ


「ひいっ!」


袋を作った当人であるノンが慌てて店主の背中に隠れ、サナも一呼吸遅れてそれに続く。


「お前ら……自分達で作ったものだろう……」


呆れながらも、やはり直径2メートル程度まで口を閉じた袋を膨らませた店主が


「恐らくこのくらいが限界だ。判るか?元の袋から2倍程にしか膨らんでおらん。試しにこのまま膨らませてみよう」


そう言うと店主は自分と膨らんだ袋との間に垂直方向の魔法陣を展開した。どうやら衝撃遮断が掛かっているようだ。


 袋はどんどん膨らむかと思ったが一回りも大きくならないうちに


―――パァァァァン!


と、大きな音を発てて破裂した。ノンの領域内一杯に響いた大音量であったが、領域の外には音は漏れておらず、離れた場所で飛行船気嚢下部とゴンドラ部分の取り付け金具を点検していたソンマ店長には何も聞こえない。


そしてルゥテウスが展開した障壁陣によって何も飛んで来る事は無かったが、大きな破裂音だけは響いて来たので女性2人は店主の背後ですっかり震え上がっている。


「見たか?こんな感じになってしまうんだ。2メートル50センチも膨らまなかったな。勿論2メートルの時点で既に安全的な意味では基準に満たないように思えた」


「はっ、は、はい……」


ノンはまだ口が上手く回らないようだ。そんな彼女の背中を優しくポンポンと叩きながら店主は


「さっきも言ったが、添加材をもう少し減らしてみてくれ。それと天日干しだ。日光に当てて軽く温めながら空気にもっと触れさせれば組成の結合がもっと安定するかもしれん」


「あ、わわわ……判りました……」


ノン同様にまだ驚きから戻って来ていないサナが小さく頷く。実際は震えているだけかもしれないのだが……。


「では頑張ってくれ。俺はあっちで店長の手伝いをしてくるからな」


そう言って店主はさっさとノンの領域を後にしてソンマが作業している方へ去って行った。


 薄いピンク色の光に溢れた『実験室』では袋の爆発の余韻にまだショックが抜けない二人が残されて


「こ、怖かった……」


「私……あんな大きな音を聞いたのは生まれて初めてですよ……」


お互いに血の気の引いた顔を見合わせていた。


……ノンは嘗て……似たような光景を見たはずだ。彼と初めて会った時。「土竜(モグラ)酒場」に乗り込んで来た「怒れる幼児」は店内に居た同胞達を次々と膨らませていた。自分は途中で気を失ってしまったので記憶は定かで無い。


彼女は幸運だったのかもしれない。あれ以来、彼女と共に過ごして来た店主は滅多に怒らない人になった。あれ程の苛烈な行為を彼女の目の前で行ったのは、あの時だけだ。その様子を彼女自身はあまり憶えていないのだ。


あの一部始終を最後まで目撃していたら、彼女は今でも主に対して従順に寄り添えていただろうか。


今の彼女はもう、あの時の光景を思い出す事も無い。彼女はきっと幸運だったのだ。


****


 どうやら日光に晒して適度に紫外線を浴びせたのが功を奏したのか、気嚢の素材となるパラノアの質が上がり、10倍程度の体積まで膨らませても全く破れなくなった。

膨らむ際の、あの不快な音も発てなくなり気嚢として満足の行く性能を示すようになったので、気嚢の取り付けまで行い漸く試作機製作は全ての工程を終えつつある。


4つの気嚢は、この製作に従事していたノンからの提案があって


「直径1メートル、厚さ1センチの気嚢を5メートルまで膨らませる」


という規格の他に


「直径3メートルで厚さ5ミリの気嚢、直径5メートルで厚さ3ミリの気嚢」


と、3種類の物を用意して、それぞれの試験を行う事にした。ノンが色々とパラノア樹脂の性質を調べて行くうちに、「伸縮」を伴う膨張を繰り返すと気嚢の寿命が落ちるという特性に気付いたからだ。


 改めて3種類の気嚢を製作して比較したところ、直径1メートルの物と5メートルの物とでは重量が若干の増加に留まったので、実装も可能であると店主の判断が下り、今回の実地での比較試験となったのだ。


「ノンが調べてくれたように、実際は予め5メートルの大きさで造られた気嚢が適しているとも思えるのだが、上空は気温が下がるんでな。『急激に冷やされた時』に対する気嚢の挙動が判らない。だから多少重量の負担が大きくなるが直径5メートルで厚さ1センチのやつも試そう」


そういう経緯があって結局内層部に収められた4つの気嚢は全て直径や素材の厚さがまちまちの物となった。


 ゴンドラも当初はただの「大きな箱」状のものが取り付けられたが、この部分が空気の抵抗を大きく受けるとそれに振られて機体全体が不安定になるのではないかとキッタから指摘が出た。


ルゥテウスも色々と古の記憶を整理した結果、二層甲板船の船体のような流線形状にするのが良いのではないかとの結論に達し、こればかりは「船を見た事が無い」他の面々に説明するのが大変なので、店主が結局実物を製作して取り付けし、最終的な船体が完成した。


 外層部にヘリウムが注入され、全体的に軽く浮力を得た船体をノンとサナが驚きの表情を浮かべながら眺める中


「よし。明日は俺も学校が休みだから……いよいよ試験飛行をやってみるか」


と宣言し、この計画(プロジェクト)に参加した他の4人は一様に興奮した面持ちとなり、珍しくキッタ工場長が鼻息を荒くして


「つ、ついに……空を飛べるのですか……」


と、感慨深く語る横でソンマが


「このゴンドラの大きさですと……どれくらいの人数が乗れるんですかね」


長さ20メートル、最大幅5メートル程の大きさとなったゴンドラを眺めて疑問を口にする。


「この前の模型を浮かべた時に改めて算出したが……多分20人はいけるんじゃないか?」


「えっ!?そんなに乗れるのですか?」


「ああ。木と紙だからな。浮力は十分だと思う。但し内側からパラノアを塗って補強したとは言え、やはり紙の外殻では浮いてからの機動性は落ちるだろう。時速100キロは無理だ。せいぜい30キロくらいか……」


「なるほど。浮上重量を採るか機動性を採るかなんですね?」


「恐らくそうなんだろうな。俺も実際に運用していた頃の記憶が定かでは無いからハッキリとは言えない」


「そうですか。全ては試験飛行をしてみてからですね」


「そうだな。もしこれで成功すれば様々なデータが採れる。建造ノウハウや素材技術も蓄積出来たから、正式機なんてすぐ作れるさ」


「なるほど。明日が楽しみです」


一同は翌日の試験飛行に期待を膨らませながら、一旦帰宅する事にした。


****


 翌朝。12月6日の朝。この頃既に……士官学校と軍務省の間では色々と騒動が発生して大きな混乱が起きていたのだが、ここエスター大陸中西部は雲一つ無い快晴に恵まれ、この季節は東側の山地からの風も弱まるので、絶好の「飛行船日和」となった。


キッタとソンマが力を併せてゴンドラとは別に気嚢下後部に取り付けた格納庫に、4つの液体ヘリウムのタンクを運び込んでそれぞれの気嚢に繋がっている液化装置側の管に固定してから、各種計器と操縦設備の点検を行い、ルゥテウスは気嚢側面に取り付けられた内燃機関の取り付け具合や工場の屋根部分の開閉機構を点検していた。


 すると何やら工場の入口辺りが騒がしくなり、宙を浮きながら屋根の開閉装置を見ていた店主がそちらに視線を移すと……何やら工場の中に大勢の人が入って来る。


(ん……?)


何事かと思い彼らの前に降り立つと、巨大な飛行船を見てワイワイと騒いでいた人々はその姿を見て更に驚きの声を上げる。


この騒ぎを聞いた店長と工場長もゴンドラから降りてきて


「えっ……?み、皆さんどうされたのですか……?とっ、統領様まで……」


キッタ工場長まで驚きの声を上げる。


「ふふふ……今日は空を飛べるとお伺いしまして。是非見てみたいと思いましてね」


昔から好奇心旺盛なシニョル大統領が微笑みながら応える。その隣に立つイモール首相も


「空を飛べる……そんな夢のような日が来るとは」


こちらも何やら興奮している様子だ。


 他にもラロカ市長やロダル将軍、そして彼の妻であるシュンも居る。勿論、他の旧サクロの五人娘……この中には工場長の妻であるサビオネも含まれている。

更に彼の母であるアイサまでニコニコしながら立っており、彼らの後ろには困惑した表情のノンとサナ、そして彼女達が連れて来た双子と、喧しい三人娘が飛行船を見上げながら大はしゃぎしている。


「おいおい……随分大勢やって来たな。どういう事だ?」


店主が呆れ顔で問い質す。どうやらサナが昨日の段階で「万が一の事態」に備えて、おっかあにこの試験飛行の話をしたところ、彼女は早速……夜のオヤツを食べに藍玉堂本店に現われたシニョルに事の顛末を伝えたらしい。


そして元々この試験飛行に参加する予定であったラロカがイモールに報告をしたところ、やはりこの首相も大空への欲求に耐え切れず6の日とは言え公務をほっぽり投げてやって来たようだ。


 ロダルも元々、軍関係者としてこの試験飛行に参加する予定だったのだが、サビオネから話を聞いていたシュンが同行を迫り、仲間達と共に夫に着いて来た。


「お前達……まさかこれに乗るつもりで来たのか?」


大空への期待に胸を膨らませたような顔を並べている一同へ困惑気味に店主が尋ねると


「わっ、私は……まぁ、空から見たこの国はどうなのかなと思ってはおりますが……」


遠慮気味だが統領様の表情とその言い様からは明らかに乗りたい気持ちだけしか感じられない。


「お前……お前は身重の身体だろう……」


来年早々の出産予定であるシュンの腹は既にそれと判るくらいに大きくなっており、店主が重ねて懸念を伝えたが


「私は産む寸前まで働くつもりですし!」


腹をさすりながら決意を述べる妻の横でロダルも困惑している。


 そこに入口から


「遅れてしまい申し訳ございません」


と、ドロスが若者を一人従えて入って来た。彼らも《青の子》を束ねる者として元から試乗を予定していた者である。


彼が連れて来たのはラロカの甥のイバンで、今年で26歳になった彼は監督の片腕として、王都の諜報指揮で忙しい監督に代わってトーンズ国内の《青の子》諜報員を指揮している。

この飛行船の話を聞いて、偵察任務に応用出来ないかと思い立って彼も同行して来たのだ。


 ドロスとイバンはまず工場に入ってきた瞬間に目に飛び込んで来た巨大な飛行船に圧倒された後に、自分達の目の前に思っていたよりも大勢の人々が居るので、それにも面食らっていた。


「あの……これ程大勢いらっしゃるとは……あれっ!?お前まで……」


イバンが驚きの声を上げた。シュンの妹であるアイはこのイバンに嫁いだのだ。


「ふふーん。内緒にしてもダメなんだから」


アイは姉と共にニヤニヤしながら答えた。どうやらイバンは今日の事は妻に伏せていたのだが、彼女は姉から話を聞いてやって来ていた。


 どうやらここには総勢で22人が集まっている。ソンマも困惑しながら店主に念話も使わず小声で


「どうされますか?皆さん凄く乗りたがっていらっしゃるようですが……」


「お前はどう思っているんだ?この計画の言い出しっぺはお前だ。お前が決めろ」


「えっ……私がですか……?」


 ソンマは改めて一同を見渡す。皆明らかに空への期待に胸を膨らませている様子で、見たところアトだけが泣きそうな顔になって姉の後ろに隠れている。


「チラとアトは2人で大人1人分として……うーん。昨夜店主様が仰ってた『定員20人』には1人多いですな……この際ですから本当に20人乗れるか試してみたいですがね……」


「うん?俺は乗らないぞ?俺を人数に含めなくていいぞ」


「えっ!?店主様はお乗りにならないのですか?」


「いや、俺は元から一緒に飛んで外からこの機体の飛行中の状態を確認しようと思っているからな」


「あ、そう言えばそのような事を仰られていましたね……では、ここの皆さんを全員乗せて丁度20人分ですか。定員試験にはなりますね」


「お前……簡単に言ってるが、特にその辺に立ってる奴等に万が一の事があったら、この国はヤバくなるんじゃないのか?」


店主が呆れ半分に統領や首相が立ってる辺りを顎でしゃくりながら店長を嗜めるように言うと


「店主様っ!私は空を飛べるのであれば何があっても悔いはありませんわっ!」


統領様が国家元首としてあるまじき発言をしているが、周囲の者達も同じ気持ちであるので誰もそれに対して苦言を呈する者は居ない。


「ほら。あのように仰っていますから……いいのではないでしょうかね。店主様も機体の外から見ていて下さるのでしょう?」


「しょうがねぇな……。おいお前ら。乗るのは構わんが、操縦をするキッタ工場長や計器類とゴンドラ内部の検査をするソンマ店長の邪魔だけはするなよ?」


「もちろんですわっ!」

「承知しました!」

「やったぁ!」


皆、口々に承諾の声を上げて工場内に人々の歓喜の声がこだました。


「では皆さん、足元に気を付けながらゴンドラに乗り込んで下さい。中の装置には手を触れないように願います」


ソンマ店長の声を聞いて、一同はワイワイと楽しそうにゴンドラに乗り込んで行く。1人を除いて皆興奮気味だ。ソンマやキッタですら顔が上気している。


 ゴンドラは二層甲板船の船底のような形状で、船に喩えると舷側には高さ180センチ、幅300センチ程の大きなガラス窓が片側に3枚ずつ、船尾側にも1枚、計7枚取り付けられており、船底に当たる床にも1メートル四方のガラス床が前後で2枚使われていて真下が見えるようになっている。


これは《青の子》が地上偵察に使用する目的で取り付けられている為で、まだゴンドラは工場の床に接地しているせいか、ここがガラスになっている事に大半の乗客は気付いていないようだ。


「よし。一応言っておくが、飛行中は大人しくしてろよ。お前らの人数でこのゴンドラ内をウロウロしたり暴れたりしたら機体ごと落っこちるかもしれないからな」


「わ、わわ、分かりましたっ」


シニョルが慌てて応じる。


「お前らもだぞっ!はしゃいで暴れ回ったらキャンプの薬屋(藍玉堂)に飛ばすからな」


ノンの弟子である三人娘に釘を刺す。


「わかっておりますっ!」

「もちろんですっ!」

「ご安心あれっ!」


既にはしゃいでいる3人も慌て気味に応じる。


「ノン。ちゃんとこいつらを見張っておけよ。それとアトの事もな。ちゃんと見ていてやれ」


「はい」


この中ではノンが一番落ち着いている。彼女は普段……薬屋の中に閉じ籠って暮らしている割に、環境や境遇に対して意外と頓着しない。変に肚が据わっているところがあり、ルゥテウスはそれが可笑しかった。


彼は「じゃ、閉めるぞ」と言い残してゴンドラの出入口となっている引き戸を閉めた。中からソンマがカチャリと錠を掛ける。勝手に開かないようにする為だ。


『よし。内燃機関1番から4番まで始動!』


『承知しました』


 店主と店長、それに工場長は……思わぬ「乗客」の増加によってゴンドラ内が騒がしくなるのと、上空では風の音が大きくなるから中と外では声が届かないと言う理由で三者念話によって意思疎通を図るという取り決めを予めしておいた。勿論、念話の使える乗客には全体念話で店長と工場長の念話を妨害しないように言ってある。


但し、キッタが未だに念話を上手く使えず三者念話の応答が難しいので、念話のやり取り自体はソンマだけが行うようだ。


―――ヴヴヴゥゥゥゥン


ゴンドラとは別に後部に設置されている内層部の気嚢制御の為のものも含めた全ての内燃機関が一斉に動き出して工場内にその爆音が響き渡る。

キッタはまだその理由を厳密に理解出来ていないのだが、店主の説明によると上空では内燃機関の始動性が悪くなるので、浮上前から動かしておく必要があるらしい。


『よし。4機全てがちゃんと始動しているようだぞ。屋根を開ける。浮上準備』


『承知しましたっ』


船体の周囲をクルクルと浮かびながら飛び周る店主からの指示にやや興奮した様子でソンマが応じる。


 ルゥテウスが機体製作中のソンマが使っていた机の辺りにある柱に設置されたボタンを押すと、ガギギギギという軋んだ音を発てながら巨大工場の巨大屋根が縦方向に分割しながら外側に向かって開き始めた。


屋根が開いている様子は気嚢部分が邪魔をしてゴンドラの中からは見えないのだが、雲一つ無い晩秋の晴天から降り注ぐ光が段々と室内に差し込んで来て機体と壁面の隙間から工場の床を照らし出すと、乗客達は「おおっ」と声を上げて「いよいよ何かが始まる」というような期待感にますます盛り上がり始めた。


『屋根の開放を確認。繋留索を外すぞ』


ルゥテウスは気嚢部分に取り付けられた4ヵ所の固定環から、工場側から伸びていたフック付きの繋留索を外し、ゴンドラの前後で2ヵ所から伸びている接地索のフックを工場の床に打ち込まれている固定環から外した。ゴンドラが前後の巻取機(ウインチ)で船舶の碇代わりの接地索を回収すると機体全体が拘束を解かれてゆらゆらと揺れる。


『よし。拘束解除。内層部の気嚢にヘリウムガスを注入』


『了解です』


 ソンマが注意深く計器類を見ながら4本のレバーを下ろし、横にあるツマミを回した。すると天井の方から「シュウゥゥゥゥ」と後部の内燃機関の動力によって圧送されているヘリウムガスがパラノア樹脂製の気嚢に送り込まれる音が聞こえて来る。


計器を見ていたソンマが


『そろそろ浮上が始まる……はずです』


と言った直後に「ゴクンッ」という音がして足元から「ふわり」という感覚が伝わって来た。


『離床するぞ』


ルゥテウスが機体の浮上を確認し、それを伝えると


「浮上します!手摺りに掴まって下さい」


と、キッタが念話では無くゴンドラ内に直接声を上げて伝えると、それを聞いた「乗客」達は一斉に壁面沿いに渡されている手摺りを掴んだ。先程まで興奮していた一同はどういうわけか静まり返っている。


『よし。浮いてるぞ。どんどん上昇中だ』


『う、動いてます。高度計が動いて……現在10メートル……』


 念話の中でソンマが興奮気味に話す。彼にとっても人生初の「空を飛ぶ」体験だ。この中でルゥテウスの助けを借りて空を飛んだ経験があるのは、シニョル、イモール、ラロカ、ドロスだけで……しかもシニョルは「店主に抱きかかえられて宙に浮いただけ」なのでこのように地面から徐々に上昇するという体験は初めてであった。


「浮いてます……地面が……もうあんなに遠く……」


統領様の呟きを聞いたイモールが


「浮いてますな……こんなに大きなものが……これだけの人を乗せて……」


と……それに応える。


『高度50メートル』


ソンマのカウントは続く。念話での報告と同時にゴンドラ内にも


「高度100メートル。王都の灰色の塔の高さを超えました」


という報告をすると、その実物を見た事のある者達から


「おおっ……あの高い塔よりも……」


と、溜息のような声が聞こえて来る。恐らくイバンだろう。彼は隣に立つまだ新婚の妻の手を握りながら窓の下に目を向けている。既に機体は完全に工場の屋根から外に出ており、店主がその中に飛び込んで行くのが見えた。やがて巨大な屋根が閉まり始め、その光景を見た者達から再び「おおっ」と声が上がる。


『いいぞ。何か俺の記憶にあるのと同じような感じで浮かび上がっているぞ』


 屋根を閉める操作をしてから工場の外に扉から出て来たルゥテウスは、空を見上げながら


『見たところ特に異常は見られないな。何か大きくふら付いている様子も見えない。気嚢の変形も見られないな。これは成功なんじゃないか?』


『本当ですか?ゴンドラの中も特に変な揺れはありません。良かったです』


ソンマの声には安堵の空気が多分に含まれている。


『よし。そのまま高度1000メートルまで浮上してみろ。そこまで浮いたら一旦ヘリウムガスの投入を止めるんだ。俺が外から気嚢の状態を確認する』


『了解です』


 やがて15分くらいだろうか。ソンマは高度計を確認して高度が1000メートルに達したところで先程浮上の際に下ろした4本のレバーを中立位置に戻し、隣のツマミも戻した。途端に天井から聞こえてきていた「シュウゥゥゥゥ」という音が聞こえなくなり、気嚢へのヘリウムガス供給が止まったようだ。


ルゥテウスが機体の外側まで飛び上がってきて、内部を「透視」しながら


『思ったよりも中の気嚢は膨らんでいないな。それぞれが3メートル……くらいか?気圧の影響もそれ程では無いのかな。勿論、外層内部と外装部にも変化は見られない。1000メートルであれば特に問題無くこの人数を乗っけて浮いていられるわけだな』


『本当ですか?つまりこの機体はもっと高く浮けるという事ですか?』


『うーん。どうかな。高度を上げれば、その分空気が薄くなるからな。そうなると当然だが「空気よりも軽い」ヘリウムの特性が失われて行く事になる。

つまり「浮きにくく」なるんだ。多分、限界で2000メートル。効率的な運用であれば今くらいの高さが理想かもしれんな。逆に500メートル以下だと大半の飛行種である魔物の活動高度に入ってしまう』


『なるほど。そういう事ですか……』


『しかし人間20人分乗っけて結構余裕があったな。他にもまぁ、内燃機関を回すアルコールと予備の液体ヘリウムも併せると2トンくらいか。内燃機関やゴンドラなどの「艤装」部分も含めると……5トンくらいを持ち上げているようだな。これは俺が計算し直した数字と近いな』


『よし。ではプロペラ始動。まずは前進するが、いきなり速度を出すな。気嚢が破損する可能性がある。何しろ紙だからな』


店主の笑いを含んだ指示にキッタもソンマも苦笑を浮かべて見合うと


『プロペラ始動』


というソンマの念話応答と


「ではこれから動きますので念の為に手摺から手を離さないで下さい」


というキッタのゴンドラ内への案内が同時に行われ、今度はゴンドラの外から僅かに


―――ブゥゥゥゥン


という風切り音が聞こえて来た。そして飛行船はゆっくりと前進を始めた。


『よし。いいぞ。現在プロペラは4枚共に問題無く回っている。次は右旋回だ』


『了解です』


 キッタがプロペラの回転を調節する。気嚢の後方下部に並べて設置された2枚のプロペラはそのままに、気嚢右側面の物は停止させ、左側だけを回し続けると飛行船は前進しながらその頭を右側に向ける。


更にルゥテウスからの指示で左旋回も無事に行う事が出来、この時点で一応は普通に運行出来ることが判った。


その後も急旋回として曲がる内側のプロペラを反転させることで機体の方向を素早く変えてみたり、逆進も試してみたりと機動操作試験は続けられ、機体の向きが変わるたびに乗客の中から声が上がったりしていた。


 乗客の中には床にガラスが嵌められていることに気付いて悲鳴を上げたりする者も居たが、イバンやドロスは


「これはいいな。真下が見えるのは偵察の時に有り難い」


と二人して満足そうに「床窓」から真下の地上を眺めている。不思議な事に高所が苦手なはずのアトが床にしゃがみ込んでこの窓から一緒になって地上の光景を眺めており、それを見たノンが


「アトちゃんは怖くないの?」


と聞いてみると


「わからないですけど……あまり怖くないです」


「あまりにも高い場所だから感覚が麻痺していて怖く無くなっているのではないですかね」


サナの説明にノンも納得している。アイサや他の女性達も恐怖は全く感じていないようで、むしろシニョルなどは興奮しっぱなしの様子であった。


 飛行時間がそろそろ2時間になろうかという頃


『よし。問題無いようだな。一旦工場に戻って着陸をやるぞ』


店主からの指示を聞いてソンマが乗客達に向かって


「では皆さん、そろそろ工場に戻ります」


と案内をすると、統領様が


「あの……今居る場所はどの辺りなのですか?あの大きな工場が見えなくなっておりますけど……」


「それ程遠くには行っておりませんよ。ほら。後方の窓からご覧下さい。ずっと向こう側……工場が並んでますよ」


シニョルが船尾の窓から目を凝らして見ると、確かに地平線の手前辺りに小さく豆粒のように工場らしき建物が3棟並んでいる。


「ここは出発した工場から西に20キロくらいの場所ですね。まだまだ我が国の勢力範囲内です」


「しかしこれだけ一望できるのは……敵の場所や配置が丸見えですね……」


ロダルが軍人としての実感を口にする。


「そうだな。今、確か1000メートルくらいの高さにいるのだろう?ならば地上から矢も届かないから一方的に観察は出来るな」


ドロスも感想を述べた。


「夜間はどうなのですかね?今だとまだ下から『これ』は見えてますよね。夜だとどうでしょう?」


監督の話を聞いたイバンが疑問を呈する。


「うむ。『これ』を全部黒く塗ってしまえば夜間は見つからないのではないか?地上に展開している敵軍の使う火は見えるだろうから、偵察も何とか出来るな」


 監督はどうやらこの飛行船を大層気に入ったらしい。トーンズ国はこの戦乱のエスター大陸の中にあって「国を鎖している」状態だ。

しかし既にこの先進国の名は周辺地域に広まっていて、蛮族の支配に苦しむ者達が毎日のように国境を越えて逃げ込んで来る。


建国当初はサクロ周辺と、住民の総意で併合となったルシだけを実効支配していたトーンズだったが、今やその国土は東西に伸長し、東は湖の東側から西は藍玉堂の工場群地域までと……200キロ以上の規模にまで拡大し、当然ながら国境線もそれに沿って伸び続けている。


周辺蛮族の侵入を阻止する為の国境警備も段々と大変になってきていたので、このような空からの警備は将来非常に有効ではないかと監督は判断したようだ。


 ドロスからの提案を聞いたイモールとラロカもその意見に大きく頷き


「後で店主様と店長に相談してみよう」


という意見で一致した。


 そうこうしているうちに機体はゆっくりと、東に向かって飛び続け、豆粒程に見えていた3棟の工場群は30分程すると上空からでもハッキリと見える位置まで近付いて来た。


どうも陸から徒歩や馬で接近するのと、こうして空から接近するのとではその距離感覚が違うようでイバンとロダルは揃って感嘆の声を上げていた。


『よし。工場の屋根を開けてくる。降下しながら屋根の真上に着けてくれ』


ルゥテウスからの指示を受けてソンマは『了解』と応じ、キッタは機体を工場の真上の位置に向けた。


「これから着陸準備に入ります」


ソンマはゴンドラ内に一声掛けながら上昇時に操作した内層気嚢のヘリウムガス量を操作する4本のレバーを上に上げ、ツマミを回した。ゴンドラの天井の方から音が聞こえ始め、気嚢に入ったヘリウムガスの液化回収が始まったようだ。


 飛行船はヘリウム気化による上昇時よりも液化回収による下降の方が時間が掛かるようで、乗員乗客にもあまり感じないレベルで少しずつ高度を下げて行き、30分程でようやく高度100メートル程度にまで降りて来た。


乗客達の感想も「何時の間にか地面が近付いて来ていた」と言うようなものだろう。

彼等の目には出発時同様にポッカリと屋根が開いた大工場の姿が間近に映っていた。


『高度、そろそろ100メートルです』


『よし。一旦下降停止』


ルゥテウスの指示でソンマはレバーの横にあるツマミを元に戻した。ヘリウムの液化が止まり、間もなく飛行船は下降を止めてその高度に留まった。


『屋根の真上まで移動して姿勢も戻してくれ』


『了解です』


ソンマは応答すると、自分の真後ろにある前方側の床ガラスを覗き込み、操縦者のキッタに指示を送る。


「左に回頭……もう少し……もう少し……そろそろ停止!」


『店主様、いかがでしょうか?』


『うむ。そうだな。大丈夫だと思う。接地索が多少は引っ張ってくれるから3メートル以下の細かい誤差は気にしなくてもいいと思うぞ。今のこの位置を覚えておいてくれ』


『了解しました』


『では再度下降。ゆっくりとだぞ』


「これから工場の中に機体を入れます。機体がロープに引っ張られて小さく揺れる場合もあるので、念の為に手摺りにお掴まり下さい」


 キッタがゴンドラ内へ声を上げて注意を促すと乗客達は一斉に手摺に掴まった。何しろポッカリと屋根が開いている工場建物の中に向かって機体がどんどん下がっているのだ。


特にこの機体を浮かせている気嚢が紙製であると知っている者達は「気嚢の接触」を想像して緊張の面持ちになった。


『高度50メートル。接地索下ろします』


『よし。いいぞ。位置取りも悪くない。そのままゆっくり下降継続』


ゴンドラの前後に巻き取られて収納されていた先端にフックが付いたロープが降りて来た。ルゥテウスはフックを工場の床にある鉄環に引っ掛ける。


飛行船の機体をある程度の高さまで降ろし、工場の建物に納まる位置になった後は、この接地索で着陸地点と繋ぎ、後はゴンドラ側でそれを巻き取る事で最後の下降と位置固定を行おうという仕組みである。


『よし。接地索固定完了。巻き取り始め』


『了解です』


 ソンマはヘリウム液化装置のレバーとツマミを戻してヘリウム操作を止め、ツマミの下にある、既に下ろした位置にあったレバーを引き上げた。

するとゴンドラの前後2ヵ所に装着されている巻上機(ウインチ)が接地索を巻き上げ始め、ガクンとゴンドラがやや後方に引っ張られ小さな悲鳴が上がった。


『1メートルくらい前だったな。でも初めてにしては中々だったんじゃないか?』


『なるほど。今よりも1メートル後ろでしたか。何か目当てになるような物を取り付けた方がいいかもしれませんね』


『そうだな。よし。地上まであと5メートルくらいだ……気嚢の繋留索を取り付けるぞ』


 ルゥテウスは気嚢部に付いている固定環に、倉庫側から繋留索を伸ばしてフックを掛ける。彼は宙に飛んで直接フックを掛けているが、実際は竿の先にフックを引っ掛けて取り付ける方式だ。


『繋留完了。内層の気嚢から全てのヘリウムを回収しろ』


ソンマのレバー操作によって内層に設置された4つの気嚢からヘリウムガスが全て抜き取られ、機体は最初のプラットホームに無事固定された。


「皆様お疲れ様でした。当機は無事に最初の位置へ固定されました」


ソンマが無事の帰還を告げると、ゴンドラの中では一斉に歓声と拍手が起こった。彼は出入口の扉に掛かった錠を外すと、引き戸を開けた。


「では足元に気を付けてお降り下さい」


 プラットホームの下には既に店主が何事も無かったかのように立っており


「気を付けろ。長時間空を飛んでいると地面に降りた時に振らつく事があるぞ」


実際、何人かの者がゴンドラからホームに降りた時に転びそうになっていた。


「地面から離れて空を飛ぶという経験をした事が無い奴は、頭の中もそういう状況を知らないから感覚が狂う時があるんだ」


 漸く無事に全員が地面に降り立ち、皆それぞれホッと息を吐く者も居れば興奮醒めやらずといった者も居る。


「まぁ、結果的に良い試験になった。お前らを全員乗っけてあれだけ動けるのであれば、当初の要求性能は十分に満たしている。そのうちサクロの街の空に、『これ』があちこち行き交う時代が訪れるかもな」


「本当に……空を飛べるなんて。ありがとうございました」


シニョルが頭を下げると、他の者達もそれに倣うかのように店主に頭を下げた。


「これを考え付いたのは俺じゃない。ソンマ店長がやってみたいと言い出して、俺や工場長を巻き込んだだけだ」


笑いながら言う店主と同様にキッタも笑いながら頷いている。


「いやいや……店主様が私にお話し下さった太古の文明時代の事や『空気よりも軽い』気体の存在を知ったからこそ取り組んでみようと思ったまでです。

店主様がいらしたからこそ……我々同胞はここまで来れたのです。本当にありがとうございました」


ソンマが珍しく涙を零しながら礼を述べている。「空を飛んでみたい」と思い付いてから6年。仕事や他の研究の合間に取り組んで来た事が一応の形となって実現した事で感極まっているようだ。


「店主様……この飛行船を国境警備で利用したいのですが、やはり量産は難しいのでしょうか?」


 ドロスが申し出る。彼は他の乗客達と違って「空を飛びたい」という欲求に関しては往時から店主に抱えられて何度も叶っているので、その感動よりも一歩進んで「この機械」に対する実用的な運用を既に考えていた。


「うーん。この試作機も含めて……普通に造ろうと思ったらかなりの日数を要するんじゃないのかな……。内燃機関の事もあるしな」


ここでイモールが口を挟んで来た。


「国の事業として始めてみるのはどうでしょう。新しく工場を建てて、人員も集めましょう。ソン村で仕事を探している者達に話してみてはいかがでしょう」


「ああ、なるほどな。ソン村の連中ならばこういう新しい事に挑戦しようと考えている者も居そうだ。機体製造所と内燃機関を量産する工場も増やそうか。工場長は暫くそっちの工場で人材育成を担当して貰えるか?」


「えっ……私がですか?」


キッタが驚いた顔で応える。


「今のところ、内燃機関の製造技術を持っているのはお前だけだ。このままでは……また受け持ちが多くなり過ぎて手が回らなくなるぞ。後継者を育てる意味でも、そろそろお前は『育てる側』に回るべきだ」


「はぁ……そういうものなのですかね……?」


どうやら本人はいまいちピンと来ていないようだが、今後の事を考えると彼一人だけでは限界があるので、それを助ける人材を育てる必要はあるのだ。


「よし。では首相の提案を受け入れよう。飛行船の機体を製造する工場、内燃機関と蒸気機関を製造する工場、そしてその人材を育てる場所。これらを1つの場所に固めて建てるようにしよう」


 こうしてソンマ店長が数年に渡って取り組んで来た飛行船製作は一応の成功を収め、トーンズ国の事業へと引き継がれて行く事になった。


****


「錬金術の高貴薬には『暗視薬』という暗闇でも見えるようになる目薬がありますよ」


サナが高貴薬を紹介すると


「そんなものがあるのか!?」


珍しく監督が驚く。飛行船の運用開始後に空からの偵察についてラロカやイバンと話しているうちに「夜間の国境警備は上空からだと難しいのでは」と言うイバンの意見を聞いたラロカがルゥテウスに相談すると


「そう言う悩みはサナに聞け」


と言われたのだ。


「でも……あの高さから暗視薬で見ても詳しく見えないかもしれませんね。なので一緒に視力を上げるような薬を飲むとか……」


「そんな事が可能なのか……錬金術とは凄いな」


 監督は感心しきりだ。錬金術師が一般的に市中で工房を開いて取り扱う「高貴薬」とはこのように医療行為に伴って使用される物では無く、超常的な効果をもたらす薬品を総称したものだ。


嘗てエスター大陸の戦乱から逃避中に寄生虫に身体を冒されて病に倒れたオルト医師をルゥテウスが治療した際に、イモールの疑問に店主が


「医師による『医療』と魔法による『治療術』は全く違う」


と説明したものと同じで、薬剤師が作成する「治療薬」と錬金術師がその技術を用いて作成する「高貴薬」はまるで違うものなのだ。


 解りやすい例としては、前述のサナがドロスに紹介したような「身体の一部分の機能」を強化する、もしくは「超能力」を一時的に付与すると言ったもので、ともすれば大きな効果を得る事が出来るが、それに伴う「副作用」というリスクも付き纏う。


錬金術師個人の研鑽によって、その副作用をある程度は減らす事が出来る為……幅広い種類の高貴薬を取り扱う者も居る一方で、取り扱う薬種を絞って効能向上や副作用を減らす方向に品質を高めるというような、術師によって取り組み方はまちまちである。


 魔法ギルドからの独立後に公爵領の領都オーデルで工房を開いていた頃のソンマは前者のタイプで、修行時代に読み漁った書籍文献から得た知識で幅広い高貴薬の注文に対応するような経営をしていたらしい。


しかしルゥテウスと出会い……キャンプに藍玉堂を構えた後は、高貴薬作成の依頼が無くなった代わりに処方薬を製造するようになり、その後はその役割を薬学を修めたノンに任せて、自らは物質転換や形質変化などの「本来の錬金術」に傾倒するようなった為、高貴薬作成分野に対する研鑽も個人的にはそれ以上行う事は無かった。


 その分野を引き継いだのは後に妻となるサナで、彼女はソンマから錬金術を学び、ノンから薬学を学ぶ事で高貴薬作成を得意とするようになり、現在では夫であり師でもあるソンマよりも、その分野に関する見識は深い。


つまり、一般の人々が思い描く「町の錬金術師」とはサナのような者を指すが、「本来の意味」である「石ころを純金に変える」ような錬金術師は、むしろソンマのような者を指す。


 錬金術には他にもルゥテウスが難民幹部に対して施した念話のような、特定の魔法効果を物品に込める「術式付与(封入)」や、同様に魔法効果を紙片に込めて使い捨てにする「術符製作」も一分野として分類される。


下世話な話として、工房を経営する独立した錬金術師にとって、「商売となる」のは高貴薬作成であり、世界に散らばる錬金術師の大半はこの高貴薬の作成依頼によって生活の糧を得ている。


物品への魔法付与や術符製作はその報酬も大きいのだが、魔法ギルドによる登録申請や管理が厳しいので、ギルド出身の錬金術師では製作以外の「手間」が掛かり過ぎるし、ソンマが《赤の民》支部長当時のイモールへ術符を提供した時のように、顧客側がその品を犯罪行為に使用した場合、作成者である錬金術師も連座して罪に問われてしまうという大きなリスクを伴う。


なので「町の錬金術師」とは、一般的に高貴薬を専門に取り扱う事が多いのだ。


 サナがドロスに紹介していたような「超人化系」の薬品よりも、ルゥテウスが海鳥亭一家に配ったものや、フレッチャー元第一師団長に与えたような、薬師が調剤する一般的な処方薬とは一線を画す超効能を発揮する薬品の方がその製作依頼も入りやすい。


錬金術師へ高貴薬を注文するのは、大抵の場合は魔法ギルドに認められた医師による処方箋なのだが……彼らからすると「医師として手が施せない」という状況での発注である事が多い。つまり……


「あなたの病は一般の医療技術では最早……手の施し様が無いのですが、高貴薬であればまだ回復の可能性があるかもしれません」


というようなニュアンスで患者に説明がなされ、患者側に高貴薬を注文出来る経済力があれば、知り合いの錬金術師に依頼を出す……というような流れが一般的だ。


場合によっては錬金術師による高貴薬では無く、大都市の聖堂で活動する救世主教の治療術師を紹介する場合もあるが、副作用の心配がほぼ無い代わりに費用が桁違いになるので通常は高貴薬を奨めることが多いようだ。


 ルゥテウスの故郷であるダイレムにも市街の中心部で共同資本によって工房を構えている錬金術師が2人居る。彼らもやはり主な受注先は市内の医療関係者からだったが、「名医」と名高いヴィル・モートン医師は優れた医療手腕と、それを支えていた《藍滴堂》の天才薬剤師ローレン・ランドが健在だった時代は高貴薬の需要はそれほど伸びなかったらしい。


ローレン亡き後は、モートン医師の医療技術に応えられるだけの薬剤師が不在となってしまったので、元より高貴薬の起こす副作用を嫌っていた彼も、最近は高貴薬に頼る事が多くなってしまったようだ。


当然ながら患者に対しても経済的負担が大きくなるので、ローレン・ランドの死はダイレムの医療体制にとってどれだけ大きな損失になったのか解るだろう。


「しかし偵察任務でしたっけ……?その度に高貴薬を服用するのはお奨め出来ませんね。副作用の危険もありますので……」


「なるほど。そういうものなのか。世の中そう上手くは行かないものなのだな」


苦笑する監督に対してサナは


「もしかしたら……上手く行く方法があるかもしれませんよ……」


「何?副作用の無い高貴薬があるのか?」


「いえ……ノン様です。ノン様であれば解決して頂けるかもしれません」


 サナは早速、工場の隅の方で騒ぐ三人娘に説教をしていたノンを見付けて「ノン様!」と大声で呼び掛けた。


説教をしていたノンは背後からいきなり大声で自分の名前を呼ばれたのでビックリしながら振り向いて


「え……何……?」


と、恐々と返事をする。その様子を見た三人娘が笑い出す。


錬金導師としてのノンに、「初めての依頼」が入ろうとしていた。


【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ


ルゥテウス・ランド

主人公。15歳。黒き賢者の血脈を完全発現させた賢者。

戦時難民の国「トーンズ」の発展に力を尽くすことになる。

難民幹部からは《店主》と呼ばれ、シニョルには《青の子》とも呼ばれる。


ノン

25歳。キャンプに残った《藍玉堂》の女主人を務め、主人公の偽装上の姉となる美貌の女性。主人公から薬学を学び、現在では自分の弟子にその技術を教える。

肉眼で魔素が目視できる事が判明した為、「錬金導師」として修行を始める。


キッタ

42歳。アイサの息子で三兄妹の長兄。難民関係者の中で随一の事務処理能力を持つが、同時に工学的素養も持ち合わせており、藍玉堂の製薬工場で工場長を務める。

サクロの先住五人娘の一人、サビオネと結婚して子供を二人儲ける。

主人公から与えられる未知の技術を図面を見ただけで理屈が解らないままに再現できる特殊な能力を持つ。


ソンマ・リジ

35歳。サクロの《藍玉堂本店》の店長で上級錬金術師。

「物質変換」や「形質変化」の錬金術を得意としており、最近はもっぱら軽量元素についての研究を重ねている。

主人公から古の話を聞いて飛行船製造を思い付き、数年前から取り組み始める。


サナ・リジ

25歳。ソンマの弟子で妻でもある。上級錬金術師。錬金術の修養と絡めてエネルギー工学を研究している。

最近はノンに薬学を学びながら、高貴薬作成を得意としているが最近はもっぱら夫であるソンマの手伝いをしている事が多い。

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