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黒き賢者の血脈  作者: うずめ
第三章 王立士官学校
61/129

接見

【作中の表記につきまして】


士官学校のパートでは、主人公の表記を変名「マルクス・ヘンリッシュ」で統一します。


物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。

・距離や長さの表現はメートル法

・重量はキログラム(メートル)法


また、時間の長さも現実世界のものとしております。

・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日 


但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。

・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年

・4年に1回、閏年として12月31日を導入


作中世界で出回っている貨幣は三種類で

・主要通貨は銀貨

・補助貨幣として金貨と銅貨が存在

・銅貨1000枚=銀貨10枚=金貨1枚


平均的な物価の指標としては

・一般的な労働者階級の日収が銀貨2枚程度。年収換算で金貨60枚前後。

・平均的な外食での一人前の価格が銅貨20枚。屋台の売り物が銅貨10枚前後。


以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくお願いします。

 自分の「領域」を造り出す事に成功したノンはその後、ルゥテウスに渡された紙片に領域術を付与させる事にも成功した。


あの空から降り注ぐような不思議な色が使用する者によって違うと聞いたチラは「自分もやりたい」とノンにせがみ、ノンに出来上がった導符を渡されると先程結界導符を出した要領で領域も展開してみた。


「うわぁぁ」


チラの作り出した領域は薄い夕焼けのような赤色で、彼女の作った魔法陣の色も真っ赤な光を発していた事から、どうやらこれが「チラの色」という事が判り、本人は満足していた。


代わりにアトもまた領域導符を欲しがり、ルゥテウスが出す「薄緑色」以外の結界を見たソンマ夫妻も「自分の色」に興味を示したので


「ノン……もう面倒臭いから練習がてら、三枚造ってこいつらにも試させてやれ」


と紙片を渡しながら苦笑交じりに命じた。


「は、はい」


 ノンは渡された紙片に領域術を込める。どうやらこれまでの付与練習と、この場所に来てからの練習が功を奏して錬金魔導そのものが上達しているようだ。

ものの数秒で、先程の結界導符を同じようにピンク色をした領域導符が完成し、まずはアトに渡す。


「あ、ありがとうございます」


高所への恐怖もすっかり忘れたようにアトはノンに礼を述べて、早速姉がやった事を手順を見様見真似で行い、右手で導符を丸めて握り込んだ。


アトの作る領域の色は姉の作る夕焼け空とは対照的に、朝焼けのように黄金色に近い黄色の空が広がり、姉の作る「空」よりも明るく感じた。


「アトの色は黄色のようだな。こればっかりは『お前の頭の中がそういう色なんだ』としか言い様が無い」


「つまり店主様のりょ……領域でしたっけ?……があのような色をされているのも、やはり店主様の頭の中の色が反映されていると?」


サナが疑問を口にする。


「いや、俺の場合は頭の中の色が反映されているわけでは無い。あれは『魔素』の色だ」


「あっ、そういえば……あの色は私にも見える魔素の色ですね……。ただ、実際に見える魔素はもっと薄っすらしてますが、確かに魔素の色をもう少し濃くすると、いつも見ているルゥテウス様の結界の色です」


ノンも証言する。


「『俺の色』ってのはな……おいアト。ちょっとこの領域を引っ込めろ」


店主に命じられて、アトが領域を解く。先程、姉が説明を受けていた結界導符の解き方を彼も横でちゃんと聞いていたのだ。


 ルゥテウスはアトの領域が消えると、右手を振って「自分本来の領域」を作り出した。


「うっ」

「ううっ」


双子はいきなり「何かに押しつぶされそうな重圧感」を感じた。目を開けると空は昼間の「青空」とは違うもう少し濃い目の青に見え、それでも光が自分達に降り注いでいた。

しかし自分達を圧し潰すような感覚は続いていて、自分の身体が思うように動かなくなっていた。


「これが俺の『本来の領域』だ。俺の場合、そのまま領域を作り出すとこのように魔素の濃度が著しく上がってしまうので、普段は意識的に濃度を下げているんだ。

そうなると領域に込められた俺の波動も薄くなるから領域内で可視化される色が『魔素そのものの色』に近くなるのさ」


「こっ、これは……おっかあ……母の病気を治療してくれた時の……」


「私がギルドから装着を命じられた指輪を毀して下さった時もこの色でしたね」


 ルゥテウスは双子の様子が辛そうに見えたので魔素の濃度を下げて、いつもの薄い緑色の空にした。魔素の重圧から解放された双子がホッとしたような顔になる。


「込める波動をコントロールする事で魔素の濃度を上げる事が出来る。魔素の濃度を上げる事によって、領域自体が強化されるし領域の中で使用する魔導の質も上がる。

本来、『領域』とは使用者に対して最適な環境空間を作り出すという魔導だからな。

俺にとっては本気を出す時には今のような本来の領域で行った方が結果も出しやすい」


「あぁ……それであの時はさっきのような結界……いや、領域にしたのですね」


サナの問いに


「おっかあの病の治療は、ちょっと細かい調整が必要だったからな。肺の病は強引に扱うと患者の呼吸止めてしまう恐れがある。

だから精密な治療を行う為にあの時は魔素を濃くしたのだ」


「そういえば……あの時もそのように仰ってましたね。病の原因だけを肺から取り去ったって」


「そうだな。店長の指輪の時も同じだ。あの時は店長の精神に組み付けられていた『(しゅ)』と、指輪の破壊を同時に行う必要があったからな。

領域を本来の力にして俺の魔導の精度を上げると同時に外に漏れないようにする必要があった」


話を聞いたソンマは驚いて


「えっ!?私に呪が入っていたのですか?」


「あぁ。そうだ。お前が装着を強制されていたあの指輪には『状態探知』の付与がされていて、更にお前自身には『あの指輪を離すことが出来ない』という呪術が入っていた。あの指輪を毀そうとしたり強引に外そうとか……指ごと切り離すとかな。

そういう行為に対してお前自身が無意識に拒絶するという内容の呪だった」


「だから俺はあの時、指輪の破壊とお前に入っていた呪の解除を同時に行ったんだ。そうしないと指輪を毀す際にお前に抵抗されるからな」


 ルゥテウスは笑いながら説明しているが、十年来知り得なかった事実を知ったソンマは今更ながらに顔を青くしていた。


「そ、そんな……呪を入れられていたなんて……」


「まぁ、解呪そのものは完璧に成功しているから後遺症も無いと思うが?」


「え、えぇ……私自身にはそういう心当たりはありませんが……」


ソンマは妻の顔をチラリと見た。夫の視線に気付いたサナは


「え?呪術ですか……?私も先生に何か怪しい術の影響があるようには見えませんよ」


「そ、そうですか……」


ソンマは心底安心したという顔をしている。ルゥテウスは笑いながら


「じゃ、そんなソンマ店長の頭の中の色を発表して貰おうか」


と、右手を振って領域を解除した。


 指名されたソンマはノンから渡された導符を使うと、すぐに彼の領域が展開され、その空の色は先程まで店主が見せていた薄い緑よりもハッキリとした、そして黄色に近い黄緑色の光に溢れていた。


「おぉ!これは……!」


「どっかで見た色だな……あ、そうだ。ショテルの着ていたローブの色だな。そっくりだ」


「あっ、そうですね。これは漆黒の魔女様のお召し物の色に似てます……」


「お前は普段から緑色のローブを着ているが、それとは違うな」


「はい。実は元々私は修養中に毎日見ていた漆黒の魔女様の像を見て……おこがましいとは思いながらも、それに似た色のローブを注文したのですが……あの色はどうしても染められないと仕立屋に言われまして……」


「なるほど。そういう事か。ショテルのローブにはミスリルの糸が織り込まれていたからな。普通の染色ではあの色は出せないと思うぞ。

あれはショテルの着ていたローブの色をヴェサリオが忠実に再現したものだからな」


「えっ……そ、そうだったのですか……道理で……私も独立してから色々と研究したのです。あの漆黒の魔女様のお召し物の色が作れないかと。

色々な植物や鉱物から染料を抽出したりしてみたのですがね……」


「なるほど。そんな事ばっかりやってたから、未だに頭の中がこんな色なんじゃないか?」


ルゥテウスが大笑いすると、サナとノンも笑い出した。ソンマは照れ笑いをしながら頭を掻いた。


 最後にサナが領域導符を試してみると、一転して暗めの赤……いや、ごく薄い茶色の空が広がり、一同はまた驚いた。


「これはちょっと……俺も解らんな」


「な、何でこんな色になるのでしょう……」


自分でこの色を出しておいてサナは困惑している。


「これ……サナちゃんが炭を作る時に使う草の色じゃ……」


ノンの指摘を聞いて


「あっ!そうだ!そうですっ!これは『マシタゼリ』の色ですっ!」


思い出したようにサナが声を上げたので夫や双子までがびっくりした。


「雑草の色かよ……いや、まぁ……『遅燃強化』の触媒だが……」


ルゥテウスが何か拍子抜けしたとでも言うような声で話すと


「す、炭の色じゃないだけ良かったじゃないですか……」


ノンもあまり上手ではない慰めの言葉をかけた。


「そ、そうですね……一応明るいですしね……」


サナは幾分顔を引き攣らせながら応えた。


「よし。みんな満足したか?」


ルゥテウスが笑いながら聞くと


「はーい」

「うん」


「いやぁ、漆黒の魔女様のお召し物の色を出せただけ大満足ですよ」


「まさかあの色が頭に染みついていたなんて……」


「ではここから引き揚げる前に最後の実験をやるぞ。いいか?この後は音を発てるなよ?」


 そう言うとルゥテウスは右手を振った。サナが展開していた薄い茶色の空の領域が消えて薄緑色の空……ルゥテウスの領域に上書きされたようだ。


「よし。これからやる事の説明をするぞ。俺はこれから、この結界と共にさっき床に張った『魔力障壁』も解く」


「えっ?」


「そうして、下の連中との間に何も無い状態でノンに領域を展開して貰う。ノンの直接投影が下の者達に気付かれなければ、この実験は成功だ」


「そっ、そんな!いくらなんでもそれは危険なのでは?」


ソンマが驚いて声を上げる。


「いや、『領域術』は通常の結界術よりも魔素の動きが見えにくい。何故かと言うと、結界術とは違って領域術は魔導師が持つ『波動』によって展開するものだからだ。下にわんさか居る魔法ギルドの連中の中で、ノンの領域を感知でき得るのは恐らく総帥と導師長……魔導師の二人だけだと思う。

そしてその二人にしても、『自分達の真上の辺りに何か居る』という意識を持って探らない限り他の魔導師の領域の存在を感じる……というのは難しいのではないかと思うのだ」


「ほぅ……そのようなものなのですか?」


「うむ。これが通常の結界術であるならば受動的(パッシブ)な状況でも感知される可能性があるんだが、領域の場合は今言った通り……その存在を意識して探らないと感じる事は出来ない……とされている」


「されている……って、店主様には判らないのですか?」


「俺の場合は受動的な状態でも世界中に散ってる魔導師の波動は常に感じている。こう言ってしまうのもアレだが、奴らと俺とでは力の差がありすぎるからな」


 ルゥテウスは苦笑したが、それを聞くソンマからしてみれば雲の上の存在である「魔導師」という存在に対して「奴等の力が下過ぎるから何もしなくても感じられる」と言われても、どうリアクションしていいのか困ってしまう。


「とにかく、そういうわけでノンの領域を試してみる。本来ならば下の二人……他の二人も含めて世界中に散っている魔導師とノンの力量を直接比べる事が出来れば良いのだが……ノンからは魔法の素質がそもそも全く感じられない。

だから比較が不可能だ。こうして直接試すしかあるまい」


「なるほど……」


「よし。結界と障壁を解くぞ。大きな音は発てるなよ?下の二人がおかしな動きを見せたらすぐに逃げるから、そのつもりでいろ。

ノン。準備はいいか?」


「はっ……はい……。あの……大丈夫なのでしょうか?」


「それが判らんから試すんじゃねぇか。準備をしろ」


「わ、分かりました……」


 ノンが了解したようなので、ルゥテウスは右手を振った。すると薄緑色に明るかった彼の領域が消えて周囲は再び暗くなった。

時刻はそろそろ21時を過ぎる頃で、彼らが居る王城エリアの外側にある官庁街でも業務が終了しているのだろうか、ぼちぼちと照明が落ち始めて暗くなりつつある。


「よし、ノン。始めろ」


ルゥテウスは辺りを警戒しつつ、ノンに領域術を展開するように指示した。


「は、はい」


 ノンは目を閉じて投影を開始すると、数秒後に一同の周囲は再び薄いピンク色の空に変わって明るさを取り戻した。

しかし一同はそのままルゥテウスの様子を窺っている。そしてそのルゥテウスは真下に居る二人の魔導師の動向を探っているようだ。


「ふむ。どうやら総帥と導師長の波動に動きは見られないな。特に総帥の方はこの屋根一枚隔てた最上層で、恐らく瞑想に入っているようだが、精神を集中している状態でも、ノンの領域展開に対して何か心が動かされた様子は見受けられない。

ノンの領域展開は奴らには感知できないレベルのもののようだな」


「すっ……すごい……」


ソンマが驚く。


「まぁ、俺は何となく予感はしていた。ノンの『錬金魔導』は元々、俺の力の一部が移った事によって芽生えた力だろうから、ある程度俺の資質を反映しているのではないかと思っていた。

そしてこの世界に存在する四人の魔導師や他の有象無象の魔術師や錬金術師は俺の存在を知らないはずであるから、その波動の形を引き継いでいると思われるノンの力も当然ながら奴らにとっては『未知なる力』であると言える。

そんな、何も取っ掛かりの無い対象を『意識して感じろ』って言う方が無理があるって事さ」


店主の説明を聞いて漸く納得したソンマは


「なるほど。そのように考えると確かに頷ける部分はありますね。現に私は先程からずっとノンさんが結界を張ったり領域を展開されても全くその力を感じる事が出来ませんし。

やはり私の知る力とは全く違う性質の力……波動……でしたっけ?その作用が働いているのでしょう」


「もしかして、ノン様は今後……地下の錬金部屋じゃなくても、その……領域を展開する事で店主様と同じように魔法ギルドからの感知を心配する事無く、錬金魔導?が使えるようになるのではないでしょうか?」


サナが疑問を口にする。


「まぁ……そうだな。よしノン。今後は領域展開下という条件でお前が錬金部屋以外で力を使う事を許可しよう」


ルゥテウスが笑いながらノンの錬金魔導解禁を許可した。


「えっ……あ、はい……ありがとうございます……」


 そう言われても本人にはピンと来ない。そもそも錬金魔導の力に目覚めてから、ノン本人にとって何か実用的な力の使い方をした事が無い。

せいぜい、ロウソクやアルコールランプの先端に小さな火を点ける付け木を製作した程度だ。


「あの……どう使えばいいのでしょうか……」


困惑したノンに対して


「そこはお前自身が考えろよ。お前がこれから色々と人生経験を重ねる事でお前自身の力の『可能性』を考える事だ。

お前の本当の意味での『修業』は始まったばかりなんだからな」


主の言い様は随分と無責任である。


「サナは自分の研究をノンに手伝って貰いたいんだろ?だったらお前がノンに『何をやって欲しい』のかちゃんと教えてやればいいじゃないか。

今まで自分では難しいと思っていた事でも、案外ノンならあっさりやれてしまうかもしれないぞ?」


「なっ、なるほど。では私もノン様の修業?にご協力させて頂きます」


「いいか。お前達は魔法ギルドに属さない魔法集団としてお互い協力し合って己を高め合うようにしろ。俺も相談に乗ってやるから」


「ありがとうございます」


ソンマが頭を下げる。サナも夫に倣って頭を下げた。それを見てノンも頭を下げ返す。


「よし。今夜は帰ろう。また結界の練習がしたくなったら連れて来てやる」


そう言ってルゥテウスは一同に対して自分の周りに集まるように言って、キャンプの藍玉堂地下に戻った。


 錬金部屋に戻ると、ソンマはホッとしたのか


「いやぁ、それにしてもあんな場所に飛ばされるとは思いもよりませんでした」


と苦笑する。妻であるサナも


「私はまさか……生まれて初めての王都があのような場所なんて……」


これも苦笑いだ。


「この前……ルゥテウス様に連れて行って頂いた時は、見上げた時にひっくり返りそうなくらい高いと思いましたが……」


ノンだけは暢気な感想を述べている。


「すごいながめだった。ノタリのがけからのながめと同じくらい」


「崖?」


「うん。まえの……そのまえかな?夏に行ったばしょの近くにあったがけ……崖の上から見たながめと同じくらい」


「一昨年の夏の遊牧地で見た景色って事か。今でも毎年違う場所を回っているんだったな。

いい加減、『仲の良いお隣さん』も出来たんだから定住すりゃいいんだけどな。その方が転送陣を置いて行き来も楽になるから」


ルゥテウスの言葉にソンマが笑い出す。


「あの人達は2500年も遊牧生活を続けているのでしょう?そうそう簡単には生活を改める事は出来ないんじゃないですかね」


「うーん。羊の飼育事業だけを遊牧から定置飼育に切り替える工夫をすればいいんじゃないか?

あいつらが東の山地の中を動き回っているのは、そもそもが周辺の部族から存在を晦ます為に行っている事なんだから……。

あれだけ山の中に入り込んでいる奴らを征服したり略奪しようなんて考える奴らが今の時代に残っているのかな?現実的に考えて相当に面倒臭いはずだぞ?」


「そうなのですか?」


「考えても見ろ。仮に征服したとして、得られる物なんて羊と羊毛だけだぞ?遊牧しているくらいだから食糧の備蓄や財産だって高が知れている。

そもそもあいつらは、その備蓄が乏しいのと羊由来以外の生活必需品を得る為の対価として暗殺業を営んでいるんだ」


「今後は羊毛をトーンズ国で売り捌けるわけだし、それと引き換えにこれまでとは比べ物にならない量と品質の生活必需品が得られるんだぞ?

羊の飼育さえ目途が立つなら遊牧したり暗殺業をやらなくても十分に豊かな暮らしが送れるはずだ」


「それでも、暮らしの安全を脅かすようなバカが来たら、トーンズ軍に追っ払って貰えばいい。定住出来て交通網が発達すれば防衛軍を送るのもそれほど大変じゃ無くなるんだ。

転送陣を使ってもいいし、サナの研究している無煙炭の目途がつけば鉄道を敷く事も出来るようになる」


「なるほど。そのようなやり方もあるのですね」


「まぁ、そこら辺は政治の話になるから俺からはこれ以上何も言わんけどな。下手にまた何か背負わされるのも面倒臭いし」


ルゥテウスが苦笑するとソンマとサナは笑い出した。ノンも口を押えて笑っている。この店主は口では面倒事を嫌うような態度を見せるのだが……結局はこの大陸で苦労していた大半の難民を救って故郷に国まで創らせた。


 翌日は学校も休みなので店主は一日中店に居た。ノンが早速自分で考え出した「自分の領域にやかましい三人を閉じ込める」という彼女曰く「素晴らしい思い付き(アイデア)」を実行に移したが、見た事も無い「薄いピンク色の空間」に三人は大興奮して、はしゃぎ回り……。


厄介な事に、自分で作り出した領域なのでノン本人には展開された領域の外に出ても、領域の中の様子や音は普通に感じる事が出来るのである。


果たして、横で作業をしていたサナや、それを見物していた双子にとっては静かな作業場になったのだが、ノンや……その力の関係でルゥテウスにも領域内ではしゃぎ回る三人娘の様子が変わらず見えるので不快指数が上がっただけであった。


「とても良い思い付きでしたのに……上手く行かないものですね……」


がっかりするノンに対してルゥテウスは苦笑しながら


「あのやかましい三人を封じ込めたいならば、『領域』ではなく『牢房結界』……つまり魔法で作られた牢であれば、作成者であるお前にも……俺も意識しなければ効果が期待出来る。

但し、お前自身が展開するとお前の場合は自分を中心とした範囲に展開する事になるし、仮に導符を造って奴らに使わせても『牢房』は結界術の一つだからな。

領域程に魔法ギルドに対して知覚気配を消せるかは判らない」


「ろ、牢って……」


流石にノンは躊躇う様子を見せた。


「俺が試しにやってみせよう」


ルゥテウスが右手を振ると、ノンの視覚と聴覚から三人娘の気配が消えた。


「今、三人娘の周囲に対して牢房を展開中だ。奴らの声も聞こえないし、存在も分からないだろう?」


「え……?」


ノンは三人娘の存在を感じなくなっているので、ルゥテウスからの説明を受けてもその意味を計りかねている。


「よし。これならどうだ」


ルゥテウスがもう一度右手を振ると、ノンは三人娘の存在に気付いたが


「あっ……え……?声が……あの子達の声が聞こえませんね……」


「今、奴らを取り巻いている牢房の『知覚障壁』だけを取り除いたからな。音だけを遮断している状態だ」


しかし、ノンから見た三人娘は先ほどまでの薄いピンク色の部屋が消えたと思ったら、「見えない何か」に閉じ込められていると気付いて少しパニックに陥っているように見える。


ルゥテウスが右手を振ると、展開していた牢房が解除されてパニックになった彼女達の声がいきなり作業場に響き渡り、驚いたサナは磨り潰しをしていた薬材を薬研ごとひっくり返しそうになった。それを見物していた双子もびっくりしている。


「何っ!?今のは何っ!?」

「怖かったっ!」

「ひどいっ!これはひどいっ!」


解放された三人はまだ喚き散らしている。


「お前ら。騒ぐと先生がまた今の場所に閉じ込めるぞ」


ルゥテウスが真顔で言うと、三人娘は流石にピタリと声を引っ込めた。


ノンは苦笑しながら


「なるほど……結界にも色々な種類があるのですね」


勉強になったと感心している。


「『牢房術』も結界の一つだ。『周囲の空間からの切り取り』という同じ原理を利用している。

要は『隔離している方向』の違いだけだ。原理が同じだから、両者は重ねる事が出来ない。この点にも留意しろよ」


 ここまで説明していたルゥテウスに念話が入った。


『店主様。ドロスでございます。宜しいでしょうか?』


『監督か?もう調べは付いたのか?』


『はい。ご報告にお伺いしても構いませんでしょうか?』


『そうかそうか。済まんな。では頼む。薬屋の二階でいいか?』


『承知しました。それでは二階にお伺いします』


「ノン。俺はちょっと監督と二階で話してるからな」


「え……?あ、監督さんがいらっしゃるのですね。承知しました」


ノンの返事を聞いてルゥテウスが階段を上がって行く。暫くすると転送陣を使って藍玉堂へとやって来たドロスが一階の面々に軽く挨拶をしながら二階に上がって行った。


「忙しいのに済まんな。俺のせいで余計な仕事を増やしちまっただろう?」


「いえいえ、とんでもない。このような時の為に我々は王国中に根を張り巡らせながら手の者を鍛え育てているわけですから。お役に立てて何よりです」


この男にしては珍しくニヤリと笑うのであった。


****


 休みが明けて9月26日。本来であるならばフォウラ、ダンドーのネル姉弟の罪状に対して起訴状に基いた軍法会議が軍務省本庁舎二階の法廷室で開廷する予定であったが、一昨日に提出されたジェック・アラム大佐署名の開廷延期要請が軍務卿に受理されていた為に延期となっていた。


アラム大佐は軍務省法務部次長で、軍務省本省内に職籍を置く法務官の一人である。


 「法務官」とは軍務省に所属する法曹資格を持った軍官僚であり、王都にある軍務省の他にもチュークスにある海軍本部や各地の艦隊司令部、方面軍本部があるような大都市に何人か赴任しており、普段は別の職務に就いている。


しかし軍人や軍属が何か事件を起こした場合、罪状の軽重、被告人の地位等によって各地で軍法会議が開廷される際には、その会議を形成する法曹人事をこの法務官が担当する事になる。


但し、軍法会議を主宰する裁判長とそれを輔ける二人の判事のうちの一人はその拠点に所属する師団長相当以上の将官が担当する事になっており、通常は裁判長が軍司令官や艦隊司令官、判事は副司令官級の将官が就任する。


つまりネル姉弟の父であるアーガス・ネル第四師団長は、そういった「任務」も全て擲って『師団長』という公人の身で『私用』の為に王都に駆けつけて来てしまっているのだ。


 法務官は検事、弁護人、判事の一席を担当するのが通常の軍法会議の形態となる。

アラム大佐は本省の法務部次長であり、法務官としては比較的地位の高い人物である為、憲兵課長のサムス・エラ中佐からの要請を受けてすぐに軍務卿へ開廷延期要請を出すことが出来た。


軍務卿であるヨハン・シエルグ侯爵は元軍人である為、軍内の恥を晒す事にも繋がる軍法会議の開廷には元々消極的な考えを持っている人物であるので、この要請を即時に承認したのであった。


 休み明けの授業も午前中までが終わり、朝から軍学、基礎鍛錬と行進や敬礼の練習、そして身体作りの教練でヘトヘトになった一年一組の生徒は演習着から制服に着替えて第一食堂に昼食を摂りに来た。


マルクス・ヘンリッシュだけは何事も無かったかのように『いつもの場所』である隣室、警衛本部側の隅……北西角の席で既に昼食の半分を食し終わっていた。


「アナタ、ちょっと着替えるのが早過ぎない?」


リイナが、配膳係が頼みもしないのに特盛で盛り付けた「軍隊飯」を盆に載せて向かい側の席に着くと早々にこの首席生徒に疑問をぶつけてきた。


「ん……?お前達が遅いのではないか?軍隊では迅速な地点移動が基本だぞ。女だからってモタモタしてたら上官から目を付けられて出世の裁定に響くぞ」


この首席生徒には珍しく……ニヤニヤとしながら応える。


「女だからって……他の男子だって私達と同じように時間が掛かっているじゃないですか……ほら。オイゲル君なんか今頃食堂に入って来てますよ?」


リイナの隣にこれまた特盛の昼食を盆に載せて座ったケーナも辺りを見回しながらマルクスの言い様に軽く抗議する。


「うわ……エデル豆が入ってる……俺はこれが苦手なんですよ……昨日の昼ご飯にも入ってました……」


マルクスの隣に座ったインダ・ホリバオが渋い顔をした。彼は南サラドス大陸にあるアコン王国からの留学生で、構内にある寮に入っている……留学生は強制的に入寮になる……ので、授業がある日の昼食以外は学生寮の近くにある第五食堂で食事が供される。


 エデル豆は北サラドス大陸で多く栽培されている豆で、特に王都を含む大陸南部では割とポピュラーな食材である。

どうやら王都周辺の地域では、この豆を下茹でして甘く味付けをした物を更に別のシチューやサラダ、場合によってはパンに練り込んで焼き上げられたりしている。


南サラドス出身のインダにとっては、この「豆に甘い味付けをする事」が馴染みの無いものらしく、この国に来てから何度か食卓に出て来て苦戦しているようだ。


「ホリバオ君、残さず食べないと駄目よ!」


級長のリイナが優等生ヅラでこの留学生に注意を与える。


「エデル豆はな、植物性たんぱく質が非常に多く含まれているのは勿論、豆類には珍しく炭水化物も豊富に含まれている。この二つの栄養が等しく含まれている豆はこの大陸では珍しいんだ。

軍隊としては非常に効率的に両栄養素が摂れる食材として、軍隊飯にはお馴染みのものだ。今後も当然嫌と言う程出て来るから諦めて食い続けるしか無いぞ」


「ヘンリッシュ君は食べ物の事にも詳しいんですね……」


ケーナが驚きの声を上げると


「食い物に詳しいのでは無い。『栄養学』という学術分野は歴として存在している。この給食だって、そういった栄養学に基いて献立が作られているんだぞ……。

ただ大量に食い物を詰め込んでいるわけじゃないんだからな」


マルクスが苦笑する。


「ホリバオ君には偉そうな事を言っちゃったけど、私だってこの量は厳しいわ……」


リイナは溜息をついた。入学初日の頃と比べれば彼女も随分と砕けた感じになってきた。


「ロイツェルさんはその……貴族様の家の人なんですよね?」


ケーナが恐る恐る聞くと


「貴族様って……まぁ、確かに私の家は男爵家だけど、この学校の中ではそんな事は関係無いでしょう?皆等しく『士官学校生徒』だわ」


「え、えぇ……そうですけど……ロイツェルさんはやっぱり貴族様ご出身だからこんな山盛りの食事なんて今まで食べてなかったんじゃないかなって……ロイツェルさんはスマートですし……」


「確かに今までこのような量の食事なんて家では出て来なかったけど、軍人になるんだもの。仕方ないわよ……。

それとイクルさん。私達は同じクラスで学んでいるのだから敬語はやめましょう。私の事はリイナと呼んで下さっていいから」


「え……それじゃあ……リイナ……さん。私の事もケーナって呼んで下さい」


どうやら長距離走での約束は破綻した二人だが、それなりに距離は縮めているようだ。


「ロイツェルはやはり実家の家督相続とは縁遠い感じなのか?兄が居るとか姉が居るとか」


 珍しくマルクスから質問が来て、リイナは多少緊張しながら


「そうね。私は長女だけど四人兄妹の末子なのよ。上には兄が三人居て、そのうち二番目の兄は官僚学校を出て財務省へ、すぐ上の兄は二年前にこの学校を卒業して軍務省で働いているわ」


「なるほど。お前自身は士官学校入学を自分で選んだのか?」


「そうね。母上は学校なんか行かなくてもいいって言っていたのだけど……私は大人しくどこかの貴族家に嫁に出されるのは嫌でしたの」


「凄い……リイナさんかっこいい!」


ケーナが憧れの眼差しで隣に居るやっと「友達」になれた級長を見つめる。


「うむ。大したものではないか。しかしこう言っては何だが……お前は士官学校よりも官僚学校に進んだ方が良かったのではないか?

あっちの方が貴族出身者の数も多いだろうし、将来の相手なんか探すのだって軍隊に入るよりは官僚になった方が有利なような気がするが?」


「うーん。私も最初は迷いましたわ。でも……財務省に入った兄上を見ていたら……どうも官僚の方は私の性に合わない気がしましてね」


数学が苦手な為に官僚学校の入試に敷居の高さを感じていた事は隠しつつリイナは答えた。


「ほぅ。そんなもんか」


「ヘンリッシュ君は官僚学校を選んでたとしても、きっと首席だったと思いますよ」


「うん。俺もそう思う。ヘンリッシュ君だったら財務卿も夢ではないんじゃないかな?」


 ケーナの言葉にインダも同意する。アコン王国からは今年、官僚学校側にも入学合格者を二人出していて、インダを含めて三人もの留学生を輩出して王国上層部ではちょっとした話題になったくらいだった。


「俺は軍隊もそうだが、官僚にも興味が無い」


マルクスはあっさりと官僚への進路を否定した。


「任官しないで何を目指すの?」


リイナがここぞとばかりに疑問をぶつけてくる。


「目指す……?特に何も目指していないが?」


「え……?じゃ何の為にこの学校に入ったの?」


「ふむ……強いて言うならば船だな」


「あっ。ヘンリッシュ君は海軍科を希望しているってヨーグ教官殿が言ってましたよね」


「そうだな。海軍自体はどうでもいいが、大型艦艇の管理運用には興味がある。ついでに操船法なんかを学べたら満足だな」


「船の事なんか学んでどうするの?海軍士官になるわけでも無いのでしょう?」


「いや、興味があるだけだ。いずれにしても俺はこの学校を卒業したら故郷に戻るつもりだしな」


「ヘンリッシュ君はどこの出身なんでしたっけ?」


「ダイレムだ。知ってるか?俺の評価では田舎の港町と言ったところだ」


「ダイレム……どの辺りにあるのですか?」


 マルクスの出身地であるせいか、興味を抱いたケーナの問いに


「場所は王国西部、マグダラ山脈の向う側だ。山脈が海に出っ張っている場所のちょっと北側にある。

海と山に囲まれているという、袋小路の場所だな。そのせいか『陸の孤島』などと言われている」


マルクスは笑いながらダイレムの位置を説明する。


「陸の孤島……?」


「うむ。バルク海に面しているんで漁業の町ではあるのだが、何しろ南側と東側……王国直轄領の方向は全て山脈に塞がれているから、せっかく水揚げした魚を売り捌く相手が居ない。

北に向かって売りに行っても、北の町だって魚は獲れるわけだからな」


彼の笑い声は大きくなった。生まれ故郷の港町の田舎っぷりを自虐したが、案外おかしかったらしい。


「え……?それじゃダイレムの漁師さんはどうやって生活しているのですか?」


「まぁ、捕れた魚は街で消費されるか……そもそもがダイレムで水揚げにしないでそのまま南側……突き出た山脈の向う側にあるトウラで水揚げしている奴らも居る。

山脈の突端部を境に北側と南側の沿岸では海流の影響もあって、捕れる魚が違うからな。ダイレム沖で捕れた魚もそれなりに売れるって話を聞いた事があるぞ」


「なるほどね。マグダラ山脈の向う側と言う事はダイレムは公爵領なのかしら?」


 マルクスの話を聞いている者達の中では比較的王国内の地理に明るいリイナが尋ねる。


「ああ。ダイレムは公爵領だ。公爵領の端っこだな。何度も言うが田舎町だ」


尚も笑いながらマルクスは答える。


「そう言えば公爵領って……あの主任教官殿もヴァルフェリウス家の人って言ってなかった?今はマーズって姓になっているみたいだけど」


「そうだな。今更隠しても仕方ないし、その理由も無いだろうが……マーズ主任教官殿は今のヴァルフェリウス公爵の次男……つまり俺にとっては『ご領主様の御子息』という関係になるな」


マルクスは何故かまだ笑っている。


「きょ、教官と生徒としての関係だけじゃなくて、領主様の息子さんって事なんですか?」


インダが驚いた顔を見せる。彼の国では貴族の息子は働く事もせずに領民から搾り取った年貢や税金で悠々と暮らしているのが一般的だからだ。


「ご本人は公爵家の名前を出される事を嫌っていらっしゃるようだがな。しかし教官殿が家を継がれたマーズ子爵家も17代前かな……確か350年くらい前の112代オリノラ王の王弟殿下から始まる一代公爵家の直系だけどな」


「おやおや。私の家の事に詳しいじゃないか」


 広い第一食堂の隅っこの方で固まっている一年一組の面々の中に突然、盆を持ったタレン・マーズ主任教官が現われたので、マルクスを除く一同は驚いて立ち上がった。


「こ、これは主任教官殿っ!しっ、失礼しましたっ!」


ケーナが慌てて謝罪する。タレンはインダに詰めてもらってマルクスの隣の長椅子に腰掛けて


「別に謝ることじゃないさ。ヘンリッシュの言う通り、隠しても仕方無い事だしな」


苦笑しながらケーナの謝罪を受け流す。彼の突然の登場に対して唯一平然としているマルクスは


「主任教官殿は随分と耳が良いようですな」


と軽く笑った。


「君の方だって随分と耳聡いようだが?確かに私の家は昔は公爵だったようだが、君の家だって同じだろう?500年ちょっと前までは公爵家だったじゃないか」


「ええっ!?ヘンリッシュ君のご先祖様は公爵様だったのですか!?」


ヘンリッシュ家が嘗ては一代公爵家であった事を知った一同は驚いた。


「主任教官殿も仰っていただろう?もう500年以上も昔の話だ。今は田舎の港町でレストランをやっている。なかなか繁盛しているんだぞ」


マルクスは笑いながら


「ところで主任教官殿がわざわざこのような場所に……我々に何かご用でしょうか?」


「いや……用があるのは君だけだ。済まんが昼飯を食い終わったら話をさせてくれないか?」


「私はご覧の通り、もう食べ終えてますので……構いませんが」


「ならば少し待っててくれ。私もすぐに食べるとしよう」


そう言うと、タレンはせっせと軍隊飯を腹に詰め込み始めた。公爵家の次男……今は子爵家の当主とは思えないような手付きで大盛りの昼飯を平らげた。

周囲の生徒達が呆気にとられている間に彼は席を立ち、待っていたマルクスと共に食器を返却してさっさと食堂を後にして行った。


 タレンの案内で二人が向かったのは本校舎二階の面談室……三番面談室だ。一月ちょっと前にマルクスがタレンを試験官として入学考査の面談試験を受けた四番面談室の隣の部屋である。


「入ってくれ」


タレンは一般廊下側の扉を開けてマルクスを中に招き入れた。


「堅苦しい挨拶はいらん。そこに座ってくれないか」


入って手前側の椅子にマルクスを座らせて、自分は机で隔てた奥側の椅子に座った。


「早速だが……君はもしかして私が今から話そうとしている事にもう気付いているのではないか?」


小さく笑いながら尋ねて来る主任教官に対して


「やはり少将閣下は私との接見を希望してきましたか?」


あっさりと応える首席入学生に内心驚きつつも


「ふむ。よく分かったな。流石だ……君なら気付いているのでは無いかと思ったがね」


「あの一件から今日で丁度半月ですからね。あの姉弟の親が憲兵本部に怒鳴り込んで来る頃かと予想はしてましたよ」


「ほぅ……しかし『まだ』半月だ。この王都と少将閣下の任地とは1000キロ以上離れている。彼が駆け付けて来るには早くはないかね?」


「十分でしょう。彼の持つ『人脈』を以ってすればですがね」


マルクスは苦笑する。


「何?君はそこまで知っているのか?」


「さぁ……?どうでしょうかね」


またしても肝心な部分ですっとぼけられたタレンも苦笑して


「君の言う通り……アーガス・ネル少将閣下が君との直接面会を求めている。そして憲兵課長が……いや、厳密には彼の上位者だな。

その方が君と少将閣下が接見を行う事に対して許可を出した。但しそれを進言したのは私だ。君には悪いと思ったが、この方が君にとって安全だと思ってね。勝手な事をしてしまった。許してくれ給え」


「いやいや。構いませんよ。少将閣下がそれを望んでいるのであれば検察側がそれを拒否しても彼は非公式・非合法なやり方で私への接触を図るでしょうしね。

本来ならば、そういう無礼な輩は片っ端から消えて貰ってもいいのですが、少将閣下まで『行方不明』になられたら皆さんもお困りになるでしょう?」


 マルクスはニヤニヤしている。タレンは流石にそこまで聞かされると


(やはり全て読み切っている上で対策済か……)


と、目の前の生徒に対して薄気味悪ささえ覚える。


「で、何か条件でも飲ませましたか?司法当局がよりによって殺人未遂事件の被害者と加害者の関係者との接見を許可したわけですから、『ただ』でやらせるわけには行きませんよね?」


「あ、ああ。憲兵課長……その上司か。そちらから出された条件は三つ。

接見場所は憲兵本部内の……あそこは応接室かな。そこが指定された。

次に、少将閣下と君の双方に同席者は認めないこと。

最後に、私とこの前……君が右足を治療してやったオーガス憲兵中尉の二名のみを『立会人』として同席させること。

これだけだ。そして私からも条件を出させて貰った」


「ほぅ……主任教官殿からもですか?」


「接見日時は君が一方的に決めて良いという内容だ」


「なるほど。それはありがたいですなぁ」


まるでタレンからのものも含めて……出される条件を全て予想していたとでも言わんばかりの口調に


「君はどうなのかね?どうも抵抗無く接見そのものを受け入れているように見えるが?」


「先程も申し上げましたが、遅かれ早かれ、そのようにしないとあの少将閣下は勝手に私との接触を図るでしょうから、主任教官殿のご判断も正しかったと思いますし、憲兵課長からの具申を受けた本件の担当法務官、軍務省法務部次長のジェック・アラム氏だって承認を下したのでしょうからな。

今更私が『嫌だ』と言ったところで『やっぱり止める』とは言えないでしょう?」


マルクスは相変わらずニヤニヤしている。


「なっ……本件の担当法務官は本省の法務部の次長……つまり憲兵課長の言う『上司』とはそのアラム氏なのか……?なぜそこまで君は知っているんだ?」


「そりゃ当然でしょう。私はあの姉弟を憲兵本部に送った直後から、今回のような展開は予想済です。世襲貴族への陞爵を狙っていたはずのネル家が最短時間で動いてくるのは織り込み済です」


「し、しかし……起訴担当の法務官の名前まで……どうやって調べたのだ?」


「さぁ……どうでしょうかね……」


またいつもの「おとぼけ」振りにタレンは多少困惑しながらも


「まぁ……いい。そこまで判っているのであれば、もう私からはこれ以上何も言うまい。

で……君の希望としては接見は何時がいいんだね?」


「本当に私の希望通りで構わないのですか?」


「あぁ。憲兵本部としては部屋を用意してオーガス中尉と私の予定を刷り合わせるだけだからな。少将閣下に関しては君の希望を聞かないわけにはいかないだろうし」


「分かりました。それでは本日の15時30分。下校後に直接憲兵本部にお伺いしましょう。その時間で調整願えますか?」


タレンは驚いて


「今日か!?今話を聞いて今日のうちに?」


「ええ。これ以上少将閣下に時間を与える事も無いでしょう。私も面倒臭いので今日中に終わらせておきたいです」


「そうか……今日か……」


「おや?主任教官殿には何か御予定が?」


「いや、私は別に何の予定も無い。それにこの騒動が早く収まるのであれば私も何も言う事は無い。むしろありがたいくらいだ」


「では本日の15時30分という時間で調整願えますか?」


「分かった。ではそのように伝えてこよう……ところで君は……」


「何でしょう?」


「少将閣下にお会いする事に際して何か考えでもあるのか?少将閣下にも何か仕掛けるとか?」


タレンは真面目な顔で尋ねた。


「私が?少将閣下に対して?とんでもない!私自身は被害者ですよ?今回の件に関しては最早司直の手に一旦は委ねているのです。

これ以上、あの家の者に報復を加えるとか、そんな下らない事は考えてませんよ」


マルクスは相変わらずニヤニヤしている。


「そうか……それならばいいのだがな……私としては、これ以上この件で君に『ケチ』が付いて欲しくないんだ。『例の』実戦訓練授業の改革の件もあるしな。

君にはこの学校に見切りを付けて去られて欲しく無いんだ」


タレンも相変わらず真剣な面持ちで言うと


「ははは。私が自発的にこの学校から去る事はありませんよ。私はとにかくこの学校を卒業する事だけが目的ですからね。席次なんて正直全く興味はありません。

この『王立士官学校を卒業しました』という経歴を就職先の面談で虚偽では無く申告できれば満足なのです」


 実際、マルクスが目指しているのは自身の戸籍の証明なのだが、そんな事をわざわざタレンに語る義理も無いので面接の時と同じように「故郷で就職を希望している」というような態度を改めて示す。


「そうか。まぁいい。では私はこれから憲兵本部に出向いて君の意向を伝えてこよう。終礼が終わったら教室で待って居てくれ。私が迎えに行く」


「そうですか。了解致しました。ではそろそろ午後の授業が始まりますので失礼します」


 そう言ってマルクスは席を立った。タレンも教員用の廊下を通って一旦職員室に戻り、簡単な準備をしてから校務の職員に


「ネル姉弟の件で憲兵本部に行ってくる」


と言い残して職員室を後にした。本校舎から出る間際に午後の授業……四時限目の始まり5分前を報せる手鐘の予鈴がチリンチリンと鳴っていた……。


****


「ヘンリッシュはこの後の下校後……本日の15時30分からであるならば接見に応じると返答したよ。随分と急な話だと私も驚いたがね」


タレンが苦笑しながら言うと、それを聞いたベルガは驚いて


「え!?本日ですか?15時30分……もう二時間くらいしか残されてませんね……」


「そうだな。そういうわけだから君も予定を空けておいてくれ。それと少将閣下に連絡をな。どうせ市中の高級旅館にでも滞在しているんだろ?」


 ここ王都には環状四号道路のすぐ外側……五層目の大通り沿いに創業数百年単位の老舗高級旅館が軒を連ねる。

特に四号道路とアリストス通りの交差点付近、そして王城を挟んだ反対側のケイノクス通りとやはり四号道路の交差点付近にそれが顕著だ。


アーガス・ネル少将は軍関係者であるにも関わらずケイノクス通り側では無く、アリストス通り側にある創業1200年と号する高級旅館「ホテル・ド・ノイタル」に逗留していた。

高級旅館ではあるが、その隣には冒険者ギルドの王都南支部が建っているので、ギルドに所属するランクの高い冒険者の一部もこの老舗を滞在拠点にしている。


そもそも、旅館の名に冠されている「ノイタル」とは、創業当時に冒険者ギルドの総帥を勤めていた「伝説の冒険者ノイタル」の事で、彼が総帥を引退して南支部の隣地で開業したのがこの歴史ある老舗旅館なのである。


「分かりました。それでは憲兵課長の裁可を貰いまして少将閣下の滞在先へ本日15時30分からの接見開始を通知しましょう」


「いいか?くれぐれも時間厳守で釘を刺しておけよ?あのヘンリッシュの性格だと少将閣下が勿体ぶって一分でも遅れて到着したら、その場で接見を拒否して帰ってしまうかもしれないからな」


「そ、そうですね……あの方ならばやりかねません……伝令には重ねて言い含めておきましょう」


「では私は一度戻って校内の雑務を済ませてから、改めてヘンリッシュを連れて来る。場所はこの前の部屋でいいのだな?」


「はい。二階の第二応接室です。受付の者にお申し付け下されば案内させるように手配しておきます」


「そうか。済まんな。では宜しく頼む」


タレンは士官学校に帰って行った。


(まさか……今日この後の時間を指定して来るとは……やはりあの方は只者では無い……)


ベルガは焦りつつも二階にある憲兵課長の部屋へと急いだ。


****


「何っ!?今日……こ、この後15時30分……今日会うと言っているのか?その『被害者の学生なる者』は……!」


 憲兵本部から逗留先として申告しておいた「ホテル・ド・ノイタル」に赴いた伝令の内容にアーガス・ネルは絶句した。


彼はこれからまさに憲兵本部へ拘留中の長女フォウラ、長男ダンドーとの面会に向かおうとしていたのだ。実際、面会願いも『14時30分から各15分間』で受理されている。

彼は二日前に王都に到着してから、一昨日、昨日と連続で娘と息子に面会をしているが、二人との会話は相変わらず……特に姉の方とは全く以って疎通が困難なままであった。


過去の二年間を首席で通し、自治会を掌握していよいよ最後の一年を迎えようとしていた矢先にそのプライドを粉々に砕かれたのだ。

そしてこの後待ち受けるのは「罪人」として士官学校を放校となる運命と、任官への挫折、そして50年にも及ぶ祖父の代からの悲願とされてきた世襲貴族への望みを絶たれたのだ。


任務を放り出して来てまで1000キロ彼方から駆け付けて来た父の苦渋に満ち、憔悴した顔を見て、幼少の頃から一身に浴びて来た期待を裏切ってしまった事でフォウラ・ネルの精神の均衡は崩れてしまったようだ。


 アーガスはひとまず本日開廷予定だった軍法会議が延期された事に対して安心すると共に、取り急ぎの裁判対策を執り計ろうと王都に居る『協力者』達への面談機会を窺っていたのだが、まさか被害者が『本日会う』と返答するとは……。


(読まれている……私が裁判対策を行う事を……それともあの教官……主任教官とか言ってたな……奴が入れ知恵したのか……?いずれにしろ、私に時を与えないつもりか……)


少将閣下は顔を引き攣らせながらも伝令に対して


「承った。私もこの後すぐに、そちらへ伺う予定であったのだ。そのままご指定下された部屋に向かおう。憲兵課長殿には宜しくお伝え願いたい」


そのように返答して伝令を帰した。


(しかし……今日この後……おのれ……これでは何も対策無しで会う破目になるではないか……)


 イライラしながら歩き回るアーガスの部屋に


「閣下、馬車のご支度が整いました」


と旅館のポーターが呼びに来た。


(クソっ……相手は「たかが」学生では無いか。何を恐れる……)


相手の思いも掛けない心理的奇襲に不安を覚えるアーガスであった。


【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ


ルゥテウス・ランド(マルクス・ヘンリッシュ)

主人公。15歳。黒き賢者の血脈を完全発現させた賢者。

戦時難民の国「トーンズ」の発展に力を尽くすことになる。

難民幹部からは《店主》と呼ばれ、シニョルには《青の子》とも呼ばれる。

王立士官学校入学に際し変名を使う。一年一組所属で入試順位首席。


ノン

25歳。キャンプに残った《藍玉堂》の女主人を務める。

主人公の偽装上の姉となる美貌の女性。

主人公から薬学を学び、現在では自分の弟子にその技術を教える。

肉眼で魔素が目視できる事が判明した為、「錬金導師」として修行を始める。

生活行動範囲が著しく狭い為に「世間知らず化」が著しい。


ソンマ・リジ

35歳。サクロの《藍玉堂本店》の店長で上級錬金術師。

「物質変換」や「形質変化」の錬金術を得意としており、最近はもっぱら軽量元素についての研究を重ねている。


サナ・リジ

25歳。ソンマの弟子で妻でもある。上級錬金術師。

錬金術の修養と絡めてエネルギー工学を研究している。

最近はノンに薬学を学びながら、魔法の素養を見出された赤の民の双子の初期教育も担当する。


チラ

9歳。《赤の民》の子でアトとは一卵性双生児で彼女が姉とされる。

不思議な力を感じた最長老の相談を受けた後、サクロに連れて来られて魔術の素養を見い出されたので、弟と共に《藍玉堂》で修行を始める事となる。


アト

9歳。《赤の民》の子でチラとは一卵性双生児。彼は弟として育つ。

姉同様に術師の素養を持ち、主人公から錬金術の素養を見い出され、姉と共にキャンプに通って来るサナの下で修行を始める。高い場所が苦手。


****


タレン・マーズ

35歳。マーズ子爵家当主で王国陸軍大尉。ジヨーム・ヴァルフェリウスの次男。母はエルダ。

士官学校卒業後、マーズ子爵家の一人娘と結婚して子爵家に養子入りし、後に家督を相続して子爵となる。

主人公の士官学校入学と同じくして一回生主任教官として士官学校へ赴任となる。

実戦経験者としてヨーグからの要請を奇貨とし、白兵戦技授業の改革を思い付く。


リイナ・ロイツェル

15歳。王立士官学校一年一組の生徒で主人公の同級生。入学考査順位6位。

ロイツェル男爵家長女。《賢者の黒》程ではないが黒髪を持つ女性。身長はやや低め。瞳の色は紫。主人公が辞退した一年一組の級長を拝命する。


ケーナ・イクル

15歳。王立士官学校一年一組の生徒で主人公の同級生。入学考査順位は21位。

濃い茶色の短い髪にクリっとした目が特徴だが、ちょっと目立たない女子生徒。

主人公とは筆記試験でイント率いる案内係に連行されそうになったところに彼が無実であるという証人となった事で顔見知りとなる。面接試験でも主人公の後に同じ部屋での受験となった。


インダ・ボリバオ

15歳。王立士官学校一年一組の生徒で主人公の同級生。入学考査順位は26位。

南サラドス大陸にあるアコン王国からの留学生で、留学生としては最上位での入学となる。母国では名家の出身。左腕に小盾を装備して両手持ちの剣を使う剣闘士スタイルの剣術を身に着けている。


ベルガ・オーガス

30歳。軍務省憲兵本部所属の王都第三憲兵隊長。陸軍中尉。

元北部方面軍第一師団所属でタレンの元部下。騎兵隊の小隊長であったが、乗馬の転倒事故の際に右足が馬体の下敷きとなって騎乗が困難となった為、上司であったタレンの計らいで憲兵へ転属。

ネル姉弟に襲撃を受けた主人公からの告訴を受けて公訴状の作成を担当する。

憲兵に転身した原因でもあった後遺症の残る右足の古傷を治療して貰い完治した事を契機に主人公に対して下にも置かない態度で接する。


アーガス・ネル

49歳。王国西部方面軍第四師団長。陸軍少将。3017年度士官学校陸軍歩兵科卒業。首席で金時計授受者。勲爵士。

フォウラ、ダンドー姉弟の父。娘達の憲兵隊拘束の急報を受けて任地から職務を放り投げて上京する。


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