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黒き賢者の血脈  作者: うずめ
第三章 王立士官学校
60/129

思い出の色

【作中の表記につきまして】


士官学校のパートでは、主人公の表記を変名「マルクス・ヘンリッシュ」で統一します。


物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。

・距離や長さの表現はメートル法

・重量はキログラム(メートル)法


また、時間の長さも現実世界のものとしております。

・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日 


但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。

・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年

・4年に1回、閏年として12月31日を導入


作中世界で出回っている貨幣は三種類で

・主要通貨は銀貨

・補助貨幣として金貨と銅貨が存在

・銅貨1000枚=銀貨10枚=金貨1枚


平均的な物価の指標としては

・一般的な労働者階級の日収が銀貨2枚程度。年収換算で金貨60枚前後。

・平均的な外食での一人前の価格が銅貨20枚。屋台の売り物が銅貨10枚前後。


以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくお願いします。

 ルゥテウスによる瞬間移動で運ばれたノンは突然、白色灯の照明だった地下錬金室から、薄緑色の光に満たされた周囲の光景に驚いた。

どうやら自分達を瞬間移動で運んだ彼女の主が到着と共に「いつもの結界」を展開したようだ。


これが昼間の空の下や照明の効いた明るい室内であれば、結界の中を満たす薄緑の光越しに結界の外の光景も透かし見えるのだが、結界の周囲はどうやら夜の暗闇の方が強いようでその光景を確認するのは困難であった。

少なくとも主はどこか別の建物では無く、屋外に転送したのではないかと彼女は直感した。


「よし。いいか?これから結界を解くから静かにしろよ?驚いて大声なんか出したら『()()の皆さん』に気付かれてしまうからな?」


そう注意を促す主の顔は何故かニヤニヤしている。いつもの人を驚かす時に浮かべる悪戯っぽい笑顔だ。

彼の場合、その「驚かせる内容」が普通とは違って心臓が止まる程とんでもない事であることが多々あるので困るのだが……。


 この移動に同行してきたノンを始めとしてソンマとサナ夫妻、《赤の民》の双子が自分の警告を受け入れた事をその態度で確認したルゥテウスは、右手を振って結界を解いた。


すると、まだ結界の外の暗さに慣れない一同の耳に、遠くの方から何となく街の喧騒のような雑音が「さざめき」のように聞こえて来た。

更に目が慣れて来ると自分達の周囲に広がるキャンプやサクロ程ではないが点々とした光の海の中にいるようで、風も少し強いように思えた。どうもここは周囲よりも高い場所のようだ。


「いいか?話す時は声を落として話せ。気付かれたら厄介だからな」


点々とした光は見えるのだが、総じてこの場所は暗い。声の大きさを落として話す店主の顔もはっきりとは見えないくらいだ。


「こ、ここは……どこなのですか?サクロ……でも無さそうですよね?」


サナがヒソヒソ声に近い音量で不安そうに尋ねる。どうやら温帯と亜熱帯の境目にあるサクロ特有の軽い熱気を感じないようなので、自分達の住む町とは違う場所であると直感で判別したようだ。


「ここか?どこだと思う?」


店主は尚も謎掛けをするように聞き返して来た。その声音から、何か凄く楽しそうに聞こえる。


「ど、どこなのでしょう?私の知らない場所……ですよね?」


ノンが恐る恐る小声で尋ねると


「いや……『今居るこの位置』には来たことが無いが、お前は『ここ』の近くには来たことがあるぞ。

そうだな……ここに来た事が無いのはサナと双子かな」


ルゥテウスが尚も謎掛けを続けていると、突然ソンマが息を飲み、そのまま息を押し殺すような声で


「て、てっ、店主様……まっ、まさかここは……」


彼は少し震えているようだ。


「店長は気付いたか。まぁ、お前が一番『ここ』には馴染み深いだろうからな」


ルゥテウスは「くくく……」と笑いながら


「そうだ。店長もどうやら気付いたようなのでいい加減教えてやろう。ここはお前らにとっても『怖い人達の巣窟』でお馴染みの灰色の塔(魔法ギルド本部)の屋上だ」


「ええっ!?」

「えっ!?」


ノンとサナが同時に声を上げたので


「静かにしろって言っただろうが」


 店主からの理不尽なお叱りを受けて女性二人は慌てて自分の口を手で押えた。しかし、周囲の僅かな光に照らされた二人の両目はキョロキョロと落ち着きなく動いている。


「ここは今も言ったが灰色の塔の最上階、七層目の更に上にある『陸屋根(ろくやね)部分』だ。俺はさっき『屋上』と表現したが、ここは『屋上階』と言うわけでは無い。

七層目の屋根であって、屋内からここに階段なんかで上がって来れるような構造にはなっていない。つまりここは普段から人は来ない……梯子なんか掛けられるような高さじゃないしな。

空でも飛んで来ない限りここには来れないはずだ」


「てっ、店主様はどうやってここに来たのですか?」


「俺か?……だから空を飛んで来たんだよ。昨日の夜中にな」


「そ、空を飛んでって……つまり『飛翔』の魔導を使ったわけですよね……?このような魔法ギルドの至近距離……というか魔法ギルドそのものの場所で魔導を使ったら……ギルドの『偉い人』に気付かれてしまうのでは……?」


サナも自分で聞きながら頭が混乱しそうな感じだ。


「心配するな。俺は移動中も結界を張っている。ちょっと難しいが、『移動する結界』も存在するんだぞ。どうだノン。勉強になっただろう?」


「えっ……あっ、はい……」


ノンは既に混乱中だ。そして双子はと言うと……


「どうしたアト。お前……ひょっとして高い場所が苦手か?」


 ルゥテウスの言葉を聞いて一同が双子の男の子の方に目を向けると、彼はしゃがみ込んで目を固く閉じ耳を両手で塞いでいる。明らかに恐怖を感じて居る様子だ。


一方の姉は、そんな弟には「お構い無し」と言った感じで、この直径10メートル程の扁平な屋根部分の縁の方まで、そっと歩いて行って屈み込み、下の様子や周囲の夜景を楽しんでいる様子だ。


「お姉ちゃんの方はかなり肝が据わっているようだな……」


ルゥテウスが姉の勇気を評すると、どうやら一望して満足したのか……チラが目を輝かせながら屋根の真ん中部分に戻って来たので


「よし。ではノンの訓練を開始しよう」


と、声を落とした店主が気軽な調子で目的の遂行を宣言したので、ソンマは慌てて


「こっ、こんな場所でやるのですか?幾ら何でも危な過ぎませんか?」


真下に詰めている者達にとって自らが「お尋ね者」であるせいか、流石に小声で突っ込みを入れる。


「だから安心しろって。いいか?ここは魔法ギルドの真上……座標的には六層目の外壁側で部屋を囲むように配置された『感知要員』の更に内側だ。外側に全神経を集中しているあの連中に、却ってこの位置の動きは見えにくい。

問題は、恐らく五層目に居ると思われる導師長と、この屋根一枚隔てた最上層……七層目に居る総帥だが、怖いのはこの二人だけなので……こいつらが何か不審な動きをしたらすぐに逃げればいい。既に俺は奴らの存在を捕捉している。二人だけを見張るくらいなら簡単だ」


そう言うと、ルゥテウスは右手を振って陸屋根全体に魔法陣を展開した。陣は少しの間青い光を放ち、やがてスッと消えた。


「よし。今この屋根一杯に『魔力遮断』を展開した。これは結界とは違うからノンの練習の邪魔にはならない。

これで真下に向かってノンが操る結界の影響や、魔素の動きなども感じなくなるはずだ」


「な、なるほど……ここなら真下に向かってだけ防御壁を張れば良いわけですか……」


漸くソンマは店主がこの場所を選んだ意外な理由について納得出来たようだ。


「ここの連中ってのはな……普段から、入口にある『一対の女神像』の力に揺ぎ無い自信を持っているから、『内側に対する警戒』が甘いんだよ。

それによもや灰色の塔の屋根に誰にも気付かれる事無く、侵入者が飛んで来るなんて事は考えもしていないだろうから、ここはある意味『世界で一番奴等の警戒が甘い場所』なんだ」


「なるほど……言われてみればそうですね……しかも今は夜ですから王城の西塔からも目視で確認するのは困難でしょうし……」


 ソンマは付近の高層建築物である王城西塔が(そび)えているはずの東側の方向に視線を移すが、その西塔ですら視界に入らない程にこの場所は高い位置にあった。

少し目を凝らすと、この灰色の塔の次に王都では高い大聖堂の大鐘楼がうっすらと王城越しに見えるが、それでもこの塔の屋根からは10メートル以上低いだろう。


そもそも、灰色の塔は内部へ立ち入る為に必ず「一対の女神像」の下を通らせる為に塔の躯体には出入口以外に一切窓や開口部を設けていない。

陸屋根部分を屋上階として七層との昇降口を設置していないのも同様の理由だ。


この灰色の塔の屋根部分を隣接する王城にある尖塔部分やその向こうに見える大聖堂の大鐘楼のように傾斜のある屋根にしていないのは尖端部を作らずに平面にする事で落雷を防ぐ為だとされる。


外壁も女神像と同じように、築造者であるヴェサリオを始めとするルゥテウスの先祖が重ねて強化付与を施しているので屋根部分も含めて破壊するのは難しい。

恐らく隣接地で3000年に渡って改築と改良を繰り返している王城よりも強固な建築物であると思われる。


ルゥテウスは右手を振って、再度結界を張った。一同の周囲は再び薄緑色の光に照らし出されたので、皆一様にホッした表情になった。


「ほら。もうだいじょうぶだってば」


チラが、頑なに目を閉じて耳も塞いでいる弟の腕を引っ張った。アトは恐る恐る目を開けて、自分がまた明るい場所の中に戻ったと感じて、漸く安心した顔に戻った。


「大丈夫か?もし怖くて我慢出来ないなら、お前だけ薬屋(藍玉堂)に戻ってもいいんだぞ」


店主が声を掛けると


「だ、だいじょうぶ……だいじょうぶです……」


アトは自分に言い聞かせるように小さな声で送還を拒否した。


「まぁ、そんな極端に狭い場所じゃないからな。落っこちる事は無い。お前はノンの練習を見に来たんだろう?だったら、男の子として我慢しないとな」


店主が再び笑いながら声を掛けると


「は、はい。が、がんばります」


 まるで自分が修行に来たかのように目を吊り上げて決意を新たにした。しかし相変わらずその場に膝を抱えるように座って小さく震えている。


「まぁ……大丈夫だろう。ではノン、練習を始める前に魔法陣についてのちょっとした『おさらい』と結界について予め説明をしておく。覚えておけ」


「は……はい」


「まず、さっき俺がこの屋根一杯に広げて展開した魔法陣……あれは『障壁陣』と言って、様々な要因に対する『壁』を面方向で展開する魔導で結界とは別のものだ。

今展開したのは『魔力の流れを断ち切る』というタイプの障壁で、本来はこんな地面や床に展開するものでは無く、敵対者からの魔法を防いだり、ある方向からの魔法の影響から身を護ったりする為に『垂直方向』に展開するのが一般的だ。

他にも魔力の代わりに衝撃を緩和する魔導や魔術を込めたりして、とにかく『魔法の壁』を作るという性格の魔法陣だ」


「なるほど」


「この障壁陣の特徴は、俺がさっき説明した結界同士の干渉や衝突のような特性を持つ事無く、同時展開が可能で結界の中でもちゃんと展開出来る。

但し……例外もある。なのでこれからそれも含めて『結界』について更に説明をする」


「は、はい」


「まぁ、お前にとって結界は俺と一緒に過ごすようになってからはお馴染みの魔導だな。昔はお前の部屋を作ったりもした」


「そうですね」


「結界とはそもそも、指定した範囲……つまり魔法陣を展開して定義した範囲の空間をその外側から隔離する魔法の総称だ」


「隔離?」


「あぁ、すまん。もうちょっと解り易く言うと『自分だけの部屋』を創り出して外と切り離すという事だ。昔……あの長屋の半分の部屋にお前の部屋を作っただろう?

あれと同じように考えるんだ。

俺の導符で作った空間だったが、導符を使用したのはお前だったから『お前の空間』になったわけだ。お前にとっては快適な場所だっただろう?」


「はい……確かに……。とても良く眠れましたし……寒くも無かったです。それに静かでした……」


「あの時も説明したかな……?あの空間はお前……とまぁ、その魔力を上回る俺だけは干渉出来たが、本来ならば結界を展開したお前自身が許可をしない限り、他の者はあの長屋の中に居ても奥半分のお前の結界には立ち入る事も出来ないし、そもそも認識すら出来なかった。

認識が出来ないと言う事は『見えないし、聞こえない』ことになる。何故ならそこは『お前の次元』だったからだ」


「あぁ……そのようなご説明をされていました。あの時も」


「後はそうだな……、恐らくだが俺がお前の目の前で瞬間移動や何か他の魔導を使う時に……お前から見て俺が姿を消しているように見えているだろう?」


「えぇ。他の場所に瞬間移動されたので消えるのですよね?」


「いや、違う。俺は店の地下室みたいな場所じゃない限り、いきなり瞬間移動を使う事は無い。そんな事をしたら、今まさにこの真下に居ると思われる二人の魔導師や、ロッカや極大陸に居る他の魔導師の感知に引っ掛かる可能性があるからな」


「俺がお前達の前から『消えているように見える』のは、瞬間移動を使う前に必ず結界を張っているからだ。

俺が居る場所に結界を張った瞬間に、お前達からその結界の中が『認識出来無くなる』んだ。『見えなくなる』んじゃなくて『感じなくなる』んだよ」


「えっ……そうだったのですか?」


「そうだ。だから極端な話になるが、お前達の前から姿が見えなくなっても、次の瞬間移動を使用するまで、俺は『その場』に留まっているんだ。

時間にして数秒も無いが……その間、俺からは『俺を感じなくなった』お前達の姿は見えている。ちょっとややこしいがな」


ルゥテウスは笑った。


「店主様。ちょっと宜しいでしょうか?」


ここでソンマが口を挟んできた。


「ん?何だ?」


「はい。今もそうなのですが、店主様の張る結界の中は何故このように明るいのですか?」


 ソンマは以前から……ルゥテウスと知り合って以来の疑問を口にした。

錬金術師である彼自身はこれまで何度か結界術符を作成しているし、修行時代には自作の術符の効果を確認する為に、自身でその術符を使用してみたりしている。


更に今居る灰色の塔で学んでいた頃は、自分が直接投影した結界を張ったり、同窓の見習い達の練習に付き合って彼らの張る結界の中に同席したり、師であった魔術師や錬金術師が実演する結界の中にも入った経験がある。


しかし、それらの者達の結界にはこのように「明るい空のような光」に満たされておらず、感覚的に「見えない半球状の壁の中に居る」という感じでその境界を認識出来る程度であった。


 ソンマが初めてルゥテウスが張った結界の中に入ったのは、恐らく彼が公爵領オーデルの市内に構えていた工房の中から深夜に土竜酒場へ「拉致」された時だと思われるが、その時は今のような「光の中に入る」ような感覚は無かった。


しかしその後、何度か店主の結界の中に入る機会があったが、その際にはこのように不思議な薄い緑色……時折青い……の光が降り注ぐような様子であったので、彼の習得してきたものとは明らかに違うこの結界の正体は彼にとってずっと頭の中に残る「今更聞けない」疑問だったのである。


「ん……?」


ルゥテウスは暫く考え込んで


「あぁ、なるほど。そういう事か」


と、一人で納得するように頷いて説明を始めた。


「そうだな。この説明も必要だな。結界にも幾つか種類がある。

しかし『地点展開型』と、さっきも少し話した『移動追従型』は、『魔法陣を展開してそこに結界魔導や魔術を込める』というやり方には変わりが無い。

この『場所を指定して結界を張る』という手順は普遍的な手法だ」


「えっ?しかし移動型というのは……陣を動かしているのでは無いのですか?そもそも、そんな事が出来るとは思ってもいませんでしたが……」


ソンマが驚いたように尋ねる。彼も「この道」に入ってそこそこ長いが、術者が完成した魔法陣を動かすという話は聞いた事が無いし、その原理も解らなかった。


「あぁ、俺の説明が悪いのかな。『移動追従型』なんて言ってはいるが、実はお前の言う通り、陣を移動させているのでは無い。魔法が込められて完成された魔法陣を動かす……それは恐らくは可能だが、そう簡単な事では無いな」


「でっ、ではどうやって?店主様は『飛翔』を使っている時も結界を張られているのでしょう?」


「そうだな。種明かしをすると陣を動かしているのでは無く、移動中は連続して『自分の居る位置』へ結界の展開を繰り返しているだけだ。

普段のお前や、さっきのノンみたいに投射をゼロにして展開している」


「えっ?」


「俺にとって『飛翔』そのものは大したものでは無い。その気になればこの星を一周するのに三時間もあれば行けるだろう」


「そっ……そんな……」


「しかし、それは『飛翔を感知されることに構わず全力で飛んだ場合』の話であって、実際は飛行中も含めて飛翔使用中は半径5メートル程度の結界を高速で次から次へと展開しながら移動している」


「どういう……事なのですか……?」


 魔術や錬金術に詳しいソンマですら驚きで上手く口が回らなくなっている。どうやらルゥテウスの説明している内容は彼の特級錬金術師としての常識すら超えているらしい。


「俺は自分で限界を試した事が無い(限界を超えると結界の外にハミ出てしまってバレるからな)が、まず半径5メートルの結界を張ってから飛翔を使う。

移動が始まったらすぐに新たな結界を同じ範囲……5メートルでさっきも言ったが自分の位置に展開する」


「新しい結界が展開された瞬間に前の結界と干渉すると『同質』の場合は古い結界が打ち消される。

後はそれをひたすら繰り返すと新しい結界が『張られては消されて』という状態になるわけだな」


「つまり移動中の俺は常にその半径5メートルの中に入っていれば移動していても結界の中に居られるわけで、俺の位置を追っかけるように結界が展開するから、俺はそれを『移動追従型』と表現したんだ」


ソンマはまだ理解出来ていない表情だ。


「もうちょっと具体的に話すと、1秒間に12回から15回程度……多分15回まではやれると思うが、そのくらいの回数で直径5メートル程の結界を繰り返し展開し続ける事によって……秒速にして60から75メートル程度……つまり時速220キロから250キロくらいは出せるんじゃないかな」


「恐らくそれ以上の速度を出すと結界の展開速度を超えてしまうので展開が間に合わずに結界からハミ出してしまう事になり、魔力使用を周囲にダダ漏らしにしながら飛んで行く感じになる……と思われる」


 ソンマには店主の言っている事が一瞬理解出来無かったが、具体的に回数などの数字を挙げられた上で説明をされ、その内容を漸く理解した。


しかし、理解したと同時に感覚がおかしくなり……


「いっ、一秒間に……十何回も結界を張り直している……という事なのですか……?しっ、信じられない……」


当然である。後にルゥテウスから説明されるように、結界にはその効果によって色々別れるが、彼の飛行中の話に限って言えば「魔法使用だけを外部と遮断する結界」の事を言っているものと思われる。


効果をそれだけに絞って展開するならば、「魔法陣への結界付与」としては比較的難易度が低いものと考えられるのだが……。

しかしそれにしても……その程度の結界を展開するのに、今のソンマ自身であっても7秒から10秒程度の詠唱を必要とするだろう。


 更に言うと、これが同じ「飛翔」が使える魔術師だとしても、まず飛翔魔術を投影する時点で「サカツキの葉」という触媒が反応する。

飛翔の魔術に対する「触媒の投影反応」は術の使用を開始する時だけであるが、飛行中は自身を「移動したい方向」へ投射し続ける形になるので、それなりに集中していないと墜落してしまう可能性すらある。


そんな継続的な精神集中が必要な状況で、重ねて低難度のものとは言え結界……「魔力遮断型」を展開し続ける……それも1秒間に十数回である。

恐らく「大魔術師」とでも言える、その道何十年も修養した術師でも完璧なマナ制御は難しいと思われるので、結界を連続で展開するたびに湯水のように結界付与の触媒……「オリ藻」を消費し続ける事になると思われる。


そもそも……大前提として1秒間に十数回にも及ぶ結界の展開……魔法の行使など、無詠唱で無ければ不可能だ。


あらゆる意味でソンマが従来見て来た魔法ギルドの術師には不可能だろうし、恐らくは触媒を必要としないトップ2である両魔導師でも不可能だろう。

ルゥテウスから口頭で具体的な数字を出されて「理論的には可能である」と理解しても、実際にそれを実現するのは不可能であると思われた。


彼がルゥテウスに出会う前に不可能だと思っていた「転送陣」と同じ類の芸当である。


(なっ……何を言っているんだ……この方は……)


 他の四人とは違って、理論的に「それが可能」である事が理解出来てしまったソンマは却って茫然となって口を開けたまま返事も出来なくなってしまった。


「おい店長。どうした?大丈夫か?話を続けるぞ?」


どうやら頭の中がパンクしてしまい放心状態になっている夫を見て、「そういうものなんだ。店主様ですしね……」と簡単に受け入れてしまったサナが、「先生!どうしたのですか?」と腕を掴んで揺すっている。


妻のおかげで何とか我に返ったソンマは


「すっ、すみません。せ、せっかくご説明を頂いておきながら……」


瞼を(しばた)かせながらソンマはようやく現世に戻って来た。


「うむ。しっかりしろよ?ここはお前にとって『敵の本拠地』の真上なんだぞ?」


店主の言い様はとても理不尽だ。


「で……店長の質問に答えるが、俺が使うこの『明るい空間』はお前達の認識している『結界術』とは別のものだ」


「えっ?」


「いや、俺はこれも結界の一種だと勝手に思っているが、厳密には結界では無く『領域付与』とでも呼んだ方がいいな」


「りょ……領域……?」


「そうだ。俺が自分で魔導を使う時に隠匿を目的に使用する『結界』とは明らかに違う魔素の組成をしている。

俺はこの領域術と結界術を一応は使い分けているつもりだ」


「ど、どういう事なのでしょう……?『明るい』と言う事以外にも何か違いがあるのですか?」


 どうやらルゥテウスの言う「結界」と「領域」の違いについては、魔法ギルドで魔法の基礎を学んだソンマにも判らないらしい。

しかしルゥテウスはこの両者を「似たようなもの」として認識していたので、これまで特に説明はしてこなかったのだろう。


「『領域』というのは、俺の知る限り魔術師や錬金術師には使えない……と思う。結界で使う『オリ藻』で起こす反応とは違う組成だからな。

そして領域術に対応する触媒は発見されていない……と思う。少なくとも俺が知る700年前の時点で発見されていなかった」


「何と……!そうなのですか?」


「領域は魔素を使って展開する。通常、結界を展開する際には付与効果を織り込んでマナ制御を行うだろう?『魔力遮断』、『知覚遮断』、『内部隔離』など色々あるが、それを組み合わせる事で最終的には結界が展開されるはずだ。

これは術符を造る時も同じだよな?予め付与効果を練り込むという意味でだ」


「はい。そうですね」


「領域術の場合はそこに『魔導師の波動』を更に練り込むんだ。結界術のように展開するたびに、展開難度や展開時間……錬金術の場合は対象物への投影時間だな……付与効果を考えたりするのだろうが、領域術の場合はそんな必要は無い。

ただ単に魔導師の波動を入れるだけだ。それだけで魔導師自身の持つ力が魔法陣に反映されるので、あたかもお前達の使う結界と同じような効果が生まれているだけだ」


「え……?そうなのですか」


「但し、領域術は使用する際にさっきも言ったが『波動』を込める必要があるから、使用者にとって多少リソースを取られる事になる。

だから俺は、領域を使わずに通常の結界だけで済ませる事が多い。さっきから言っているように自分だけに効果を及ぼせばいいのであれば結界で済ます事が多いな」


 ルゥテウスはそう言うと、右手を振った。すると今まで昼のように明るかった彼の結界が急に暗くなって一同は驚いた。


「解るか?これが『結界』だ。今は「魔力遮断」と「知覚遮断」だけを展開させている」


「あっ……風が……」


チラが突然、自分の顔を撫でるように吹いて来た風に驚いて声を上げた。


「あ……そう言えば風を感じますね……それに街の喧騒も……」


ノンも不思議そうに辺りを見回した。


「そうだな。今展開している結界には『内部隔離』を付与していない。だから『外からの情報』は入って来る。ここはやたらと高い場所にあるので風も強く吹いているし、王都のど真ん中だからこの時間はまだ住民が起こす騒音が、何の遮蔽もされる事無く届いて来る。

しかし、魔力遮断と知覚遮断が俺の魔力によって付与されているので、俺の魔力を超える力を持つ者で無い限り、この結界からの魔力を感知出来無いし、その存在すらも認識出来ない。俺が魔導を使う時に手早く展開するのが、このタイプの結界だ」


「なるほど……店主様はいつもこの結界を使って私達の前から消えたようになっていたのですね」


サナが辺りを見回しながら感心している。いつもは外からなので魔力や知覚が遮断されて判らないのだが、実際に結界の内側に居るとその「境界」を感じる事が出来る。


「まぁ、俺も気分によって結界と領域の使い分けをしているんだがな……領域を使う時はお前達のように同行者が居る時くらいだ」


ルゥテウスは苦笑する。


「ちなみに、空を飛ぶ時なんかに『追従型』を使う場合は、やはり『魔力遮断』くらいしか付与出来無い。『知覚遮断』まで入れてしまうと展開速度が落ちるから飛翔で出せる速度も落ちてしまう。

俺が飛ぶ時は夜間である事が多いのはそれが理由だ。昼だと高度によっては地上から丸見えになるからな」


笑いながら話す店主の言葉を聞いて


「なるほど……そういう事だったのですね」


ノンは過去の主の行動を思い出して、色々と得心したようだ。


「『領域』というのを使用しながら飛ぶのは難しいのですか?」


ソンマの問いに


「不可能という事は無いが、かなり速度は落ちる……と思う。『ハミ出す』と言う意味では無く、飛翔魔導そのものに制限が掛かる。

以前に試した時は時速30キロくらいしか出せなかったし、飛行制御も甘くなった。やはり領域の連続展開は俺でも難度が高いようだな。まぁ、何度も繰り返して使う事でコツを掴んで性能を向上させる事は可能だろうが……」


店主は苦笑して答えた。


「こ、向上の余地はあるのですか……」


ソンマはそれを聞いて呟く。


「魔法ギルドの外に居る魔導師……どうやら俺から見て二人居るようだが、こいつらは二人共それぞれの巣で『領域』を使用して魔法ギルドも含めて周囲からの遮断を図っているようだな」


「あ……私も聞いた事があります。ロッカ大陸のネサリクス導師と極大陸のドーレス導師ですよね?」


「ネサリクスとドーレスって言うのか。俺が『見た』感じではネサリクスって奴の力は相当に強いな。ドーレス……こいつは女か?ドーレスは多分、ここの総帥と同じか少し下くらいだ。

俺は何度かロッカ大陸に資源を採掘に行っているが、ネサリクスか……奴の領域にはなるべく近付かないようにしている。俺自身が感知される恐れがあるからな」


「ネサリクス師はそんなに強いのですか……私が聞いた話ですが、ネサリクス師は生きているなら、既に100歳を超えているらしいのです。

彼の存在は先代の総帥様が50年程前までは認識されていたのですが、今のヴェムハ総帥になられてからは、その動向が全く判らなくなったそうで……しかし『波動の昇華』でしたっけ?あれが感知されて居ないので、魔法ギルドにとって『まだ生きている』という認識の存在なのです」


「なるほどな。本人を認識することは出来ていないが、波動の変質を感じないから辛うじて生存は確認出来ている……そんなところか」


「やはり魔導師様がこの世を去られる時に、何か感じるものなのですか?」


「うむ。俺自身は実際に感じた事が無いが魔導師の生命が尽きる時に魔導師だけが共有している『魔素の気配』に変化を感じるらしい。

どうやらそれを魔法ギルドでは『波動の昇華』と呼んでいるらしいな」


「ネサリクスはまだ生存しているし、俺が見たところまだ力は衰えていない……いや、奴の全盛期が何時なのかは知らんが……少なくともこの真下に居る二人の魔導師を併せても、奴の方が力は上だろうな」


「そっ、そんなに強い御方なのですか?」


「そうだな。あくまでも現時点での話だ。それに対してドーレス……魔女だな。こいつの力はそれ程でも無い。総帥と同じか……やや下か。多分、総帥ならば頑張って彼女を認識する事は出来ているんじゃないかな?」


「では……店主様……今はノンさんもですか。お二人を除く四人の魔導師の中では導師長様の力が一番下だと?」


「そうだな。導師長の場合は、『魔導の道』そのものにそもそも重心を置いて居ないようだぞ。

多分、こいつは魔導師にとってよくある『知的好奇心に目が眩む』という性格じゃないのだろう。

自身の研鑽よりも魔法ギルドの経営に力を尽くしているという印象を受ける」


「あぁ、やはりそうなのですか。私が抱いている導師長様の印象もそのような感じです」


「まぁ、いずれにしてもここまで近くに居ると真下の二人の力量が手に取るように解るのだが、二人の実力差は結構有りそうに『見える』な」


 その生い立ちによって形成された幼少時の性格によって「混沌派」に近いアンディオ・ヴェムハは、魔法ギルドの運営をラル・クリースに押し付けて、自身は灰色の塔の最上層である「総帥の間」で日々、知的探求心を追求する生活を送っている。


魔導師にとって「研鑽」という要素が存在するならば、それを繰り返して来たアンディオとラルとの間に埋められない差が生じているのは当然と言えよう。


「まぁ、あんな年寄どもの話はもういいだろう。せっかくの機会だ。お前達も結界の練習をしてみるか?」


 ルゥテウスは右手を振ると、その場に小さな革袋が現われた。それを渡されたソンマが袋の中を見てみると、中には結界術の触媒である「オリ藻」が乾燥された状態で入っていた。


「宜しいのですか?」


ソンマは驚いて尋ねると、横で袋を覗き込んだサナも驚いている。


「お前達、いつも錬金部屋の中に居るから結界術を使えないだろ?付与だって出来ないはずだ。

せっかくの機会だからここで練習して行け」


「あ、ありがとうございます」


「わ、私もいいのですか?」


今まで結界術を使用した事の無いサナも嬉しそうだ。


「あぁ、夫に教えて貰え。俺はこっちでノンの練習の面倒を見るからな。チラとアトはそうだな……ソンマ店長の方で見学した方がいいな。触媒を使用した術だから、そっちの方がお前達にとっても参考になる」


「はーい」

「は……はい……」


アトはまだ高所による恐怖心が抜け切れていないらしい。


「よし、結界を解除するぞ。いいか?下とは障壁で魔力を遮断しているだけだから大きな音や声は発てるなよ?」


「し、承知しました」


ソンマが緊張したように返事をすると、ルゥテウスは右手を振って実演していた結界を解除した。

灰色の塔の屋根の上は再び魔力障壁一枚を挟んで丸裸の状態になる。


 一同はそれぞれ二つのグループに分かれて、魔法陣の範囲が被らないように少し距離を開けて練習を始めた。


ソンマとサナのグループの方では、ソンマが何か小声で妻に結界術の要諦を説明している。

あの二人はこれまでの十年を師弟としても過ごしているから、それ程見ていて違和感は無い。


ルゥテウスはノンに


「よし。ではこっちも始めよう。まずは結界術からやってみるか」


「は、はい。宜しくお願いします」


ノンは緊張した面持ちで応えた。


「まずはさっきの『おさらい』だ。魔法陣を出してみろ」


「は……はい」


ノンは目を閉じて集中する……。すると彼女が座っている尻の下辺りにどうやら30センチ程の紫に近いピンク色の光を放ちながら無地と思われる魔法陣が出現した。


「うーん。ちょっと小さいな。もうちょい大き目のやつをイメージしてみろ。俺も含めるくらいだ」


ノンとは1メートル程隔てて座っているルゥテウスは笑いながら言った。


「は、はい」


ノンは再び目を閉じて念じると、今度はしっかりと彼女を中心に半径1.5メートル程の同じように紫に近いピンク色の魔法陣が現われた。

どうやらルゥテウスの魔導が「青く」なる傾向であるように、この「ピンク色」のような色がノンの魔導の色であるようだ。


「よし。いいぞ。しかし……お前は相変わらずこの色なのか……」


 ルゥテウスは吹き出しそうになりながらノンの「色」を評した。しかし実はこの「魔導の色」と言うのは文字通り魔素を使用した魔導師が使う魔法陣にのみに備わる特徴で、ソンマやサナ、そして将来のチラやアトのような魔術師や錬金術師の場合、余程強いマナの投影を行わないと魔法陣に発色は起きない。

そしてその色は総じてマナと同じ「薄い黄色」になる。


「す、すみません……」


「いや、別に謝る事では無いさ。面白いだけの話だ」


大声で笑うと周囲……真下に知られる。自分で他の者達に警告を与えた手前、大っぴらに笑えないルゥテウスは、ノンの「色」を見て堪えた。


 向う側の錬金術師夫婦の方では、どうやらソンマが結界を展開したようで何やら説明が続いている。


魔力で上回るルゥテウスには相変わらず彼らの様子が見えているが、どうやらマナの流れを見ると、ソンマは「魔力遮断」、「知覚遮断」、「内部隔離」と見事に三種類の付与を成功させているようだ。


嘗て、イモールに依頼されて術符を作成していた頃に比べると、上級錬金術師……それも更に上の「特級」に片足を踏み入れているソンマの投影時間は格段に短縮されているようだ。


 暫くするとソンマは一通りの説明を終えたのか、自分の展開した結界を引っ込めた。そして今度はサナが目を閉じて何やらブツブツ唱え始めた。彼女の実践が始まったようだ。


「よし。こっちもいよいよ結界を張ってみよう。俺の張った結界はさっき見たな?あんな感じでイメージだ。お前の場合はイメージ……イメージしろ……。

俺を含めた範囲で……外に漏らさない……何もかも……お椀を被せたような範囲の中で……外に知られないように……見えない……聞こえない……」


ノンは主の言葉を聞きながら……イメージする……半球状の壁の中から……外に何も漏らさない……そこだけを周りから切り取ったように……。


 ルゥテウスが念じ続けるノンを見守っていると、やがて二分程して先程と同様の範囲で魔法陣が光り出した。


「お。よしよし。結界になっているな。やるじゃないか。ノン」


ノンが目を開けると、ピンク色の光る魔法陣の上で主が笑っている。


「よし。試しにあいつらを呼んでみろ」


「えっ?」


「結界が展開しているから、お前が大声で呼んでも聞こえないはずだ。試してみろ」


「さ、サナちゃーん!」


ノンにしては大きな声でサナを呼んだ。やかましい三人娘を叱る時に出すのと同じくらいの声量だが、客観的に迫力に欠けるので叱責の効果は期待出来ないいつもの声の大きさだ。


しかし普通ならば、五メートルも離れて居ないサナには届いているはずであろう、その呼び声にもサナは応じずに彼女は結界陣を展開する為の詠唱を続けているようだ。

その横に居るソンマや双子もノンの声に反応する事は無い。どうやら聞こえていないらしい。

それどころか、こちらの二人の存在を全く気にしていないようだ。


「ほらな。もうあいつらの頭の中から、俺達の存在は認識出来無くなっているんだ。結界が展開されている証拠だ。店長の意識からも隠れられていると言う事は相当に強い結界になっているようだぞ」


ルゥテウスは相変わらず愉快そうに笑っている。


「あ、あの……この結界は消えないのですか?」


「あぁ。お前が念じない限り消える事は無い。お前の場合はな。店長やサナが作る結界も基本的には同じだが、あっちの場合は触媒に対して投影された力によって時間制限はある。店長くらいの手練れなら年単位で持続するかもしれんが、サナだと……そうだな……半年くらいは保てるんじゃないか?」


「こればっかりは奴らの場合、修養の問題だ。俺が昔、店長の術符を使った襲撃を受けた時は……多分数時間くらいしか持続しない程度のものだったと思う。

それを考えれば、この十年で店長は長足の進歩を遂げたと思うぞ」


「そうなのですね……やはり店長さんは凄い人なのですね」


「まぁ、お前の結界はその店長さんをも欺いているようだがな」


ルゥテウスは大笑いした。


「よし。ではこの結界を解除してみろ。同じようにイメージするんだ……今作り出したものを消す……お前が作ったものだ……お前だけが消せる……消せる……」


再びノンは目を閉じて念じると、結界陣はあっさりと消えた。


「よし。消すのは簡単のようだな。また同じように結界を出してみろ。出したら消す。何度か繰り返してみよう」


「は……はい」


 それから暫く、ノンとルゥテウスの居る場所にはノンが展開する魔法陣が出たり消えたりしている。

そしてその過程でルゥテウスは気付いたのだが、ノンが展開する魔法陣にはやはり自分のものとは違って術式が描かれていない。


全く無地……というわけでは無いが、何か彼にすら判読出来ないような紋様が浮かんでいる。恐らくノンが自分なりにイメージした内容が顕れているのだろう。

ルゥテウスにとってはそれすらも面白く、必死に目を閉じて結界の出し入れを繰り返す「弟子」の様子を笑いを堪えながら見守っている。


どうやら彼の背後ではサナも初歩的な魔法遮断だけだが、結界陣を展開する事に成功したようで、大きく息をつきながら笑顔になっている。

そもそも彼女自身は夫には及ばないが既に上級錬金術師の域に達しているので、マナの形質さえ掴んでしまえば制御自体は容易なはずなのである。


ノンは最初のうち、結界陣を展開するのに二分程掛かっていたのだが、どうやら繰り返し出し入れを練習しているうちに、ものの数秒で展開できるようになったようだ。


「よし。結界の展開自体には慣れてきたようだな」


「は、はい……」


大きく息を吐き出してノンは練習を中断させた。


「次はその展開する結界に対しての制御を行う」


「制御?」


「つまり、結界使用者の設定だ。お前の展開した結界は、原則『お前の結界』だから、お前よりも力の強い俺ならばともかく、店長ですら見破れないお前の結界に出入り出来るのはお前自身だけとなる。

それだと色々と面倒だろ?だからこの結界を『認識できて出入りも出来る』者を後から指定するんだ」


「地下の錬金部屋は俺が結界を張っているのに、お前達は自由に出入り出来るだろ?

あれは俺があの部屋の結界に対して、お前や店長夫妻、そして双子に対して『使用者指定』をしているからなんだ。

だからその設定をしていない三人娘は、あの錬金部屋の存在自体を認識できていないのさ」


「あっ、なるほど。そういう事なのですね」


三人娘は地下……特に役場と繋がっている通路は頻繁に利用している。そもそも地下には浴室もあるし、転送陣も存在する。


 ルゥテウスは、彼女達に対しては転送陣の部屋と地下通路の結界に対しては使用者指定をしているが、錬金部屋の使用者は限られた者に対してのみ設定をしている。


シニョルやイモールすら錬金部屋の使用者には含まれていないのだ。

これはサクロにある藍玉堂本店の地下も同様で、ソンマの身を護る為でもあった。


「結界を展開したら、それを消す時みたいに頭の中で『この結界を通ってもいい者』を念じてみろ。

そうだな……今回はチラにするか。チラの事を念じながら彼女がこの結界を通れるようにイメージするんだ」


「はい。やってみます」


ノンは結界を展開し、「チラちゃんだけ通れる……」と繰り返し念じた。


「よし。入ったみたいだぞ。チラを呼んでみろ」


ルゥテウスが笑いながら指示する。


「はい……。ち、チラちゃーん!」


 魔法陣が展開している状態でノンが再び、彼女としては大きな声でチラを呼ぶと、チラは普通に振り向いて


「ノンさま、なんですか?」


と応えた。彼女の周りに居る他の三人はいきなりノンに対して返事をしたチラを不思議そうに見ている。

彼らからはノンの展開している結界が認識出来ないので、いきなりノンの名前を出して声を上げたチラに対して驚いているのだ。


ルゥテウスは笑いながら


「チラ、こっちに来い」


「はい」


 チラは立ち上がってノンの展開したピンク色の魔法陣に驚きながら、その中に入って来た。

チラが魔法陣に入って来ると、彼女を見ていた三人は急に関心を失ったようにまたサナの練習が再開されている。


ノンの結界の力が強過ぎて、その中に消えたチラの存在さえも認識出来無くなっているのだ。

双子の弟であるアトですらその影響を受けているので、余程強い知覚遮断が起きているのだろう。


「よし。チラだけを使用者に指定出来たな。成功だ」


「良かった……」


ノンはまた大きく息を吐き出した。


「どうしたの?」


チラがノンの顔を覗き込む。


「チラ。ここからアトを呼んでみろ。大声でな」


「え?おおきな声でいいの?こわい人は?」


「大丈夫だ。この魔法陣の中なら大声を出しても外には聞こえない」


「そう……わかった。アトぉぉぉ!」


チラは大きく息を吸い込むと大声で弟を呼んだ。しかしアトは相変わらず膝を抱えて座ったまま姉の呼び掛けに応じる事無くサナの練習を見物している。


「あれぇ?アトってばぁ!」


チラの声は弟に届いていないようだ。


「どうだ?聞こえて無いだろ?」


「うん。すごい……」


「よし。このままちょっと静かにしてろよ?ノン、結界を解除しろ」


「はい」


 ノンが目を閉じると魔法陣は消えて、元の暗い屋根に戻った。途端にアトはチラが自分のそばを離れて店主の下に移動している事に気付いて、こちらを見ながら驚きの表情を浮かべている。


結界が解除された事で、チラの存在に対する知覚が戻ったアトはいつも側にいるはずの姉が居なくなっている事に気付いたのだ。

アトも四つん這いの姿勢で恐々としながらこちらに来て、店主のすぐ横に膝を抱えて座った。どうやら、店主の横に居る方がこの場においては一番安心出来るらしい。


「ついでに導符を造ってみろ」


ルゥテウスは隣に座ったアトを特に咎める事無く懐から紙片を採り出した。この為に地下の錬金部屋から持って来たようだ。


「今、繰り返し結界を展開した事を踏まえて、そのイメージを今度はこの紙切れに焼き付けるイメージだ……イメージ……」


「やってみます」


 紙片を渡されたノンはをそれを両手で持って再び目を閉じた。すると十数秒程して紙片がピンク色に変わった。


「わぁ、綺麗」


「チラ。声が大きい。今は結界が張られて居ないんだ。怖い人に聞こえるぞ」


ルゥテウスがニヤニヤしながら言うと、チラは「あっ」と言いながら両手で口を押えた。何故かアトも一緒になって口を押えている。


「よし。ではその導符をチラに使わせてみよう。チラに導符を渡せ」


「はい」


ノンはチラが「綺麗」と讃えたその導符を彼女に渡した。チラはそれを受け取ると「どうするのか」と言わんばかりに店主を見上げている。


「よし。チラ。まずは今俺達四人が居るこの位置を覚えて、俺達四人が収まるくらいの『丸い枠』を思い浮かべるんだ。俺達四人がすっぽり入るくらいだけでいい……いいか……?」


「う、うん……」


チラは店主やノン、そして店主を挟むように座っている弟を眺め回しながら目をクルクルさせて円形の範囲を想像しているようだ。


「よし。ちゃんと丸い枠を思い浮かべる事が出来たら、その紙をこの前ロウソクの火を点けた時のように右手で握り込むんだ。

そして頭の中で「出ろ」と念じろ……」


 チラは店主の指示に応える事無く、そのまま導符を右手で握り込んで目を閉じた。するといきなり、屋根の上に彼ら四人を包み込むように直径2メートル程の真っ赤な魔法陣が出現して双子は思わず「うわっ」と驚いて声を上げた。


暗闇に突然現れた真っ赤に光る魔法陣は目に刺さるような色をしている。


「これがチラの展開した導符による結界だ。チラ、サナをさっきのように大声で呼んでみろ。アトも一緒にそこからサナを呼んでみろ」


「サナせんせぇぇぇ」

「サナせんせーっ!」


二人は口々にサナを呼んだが、どうやら結界の除去に成功してソンマと何か会話を交わしているサナには全く届いていないらしい。


「きこえてないのですか?」


アトが不思議そうに店主に聞く。


「そうだな。今我々が居るこの赤い魔法陣の上にはノンが導符に仕込んだ付与によって外に声が漏れないどころか、あの二人からは俺達が全く見えていない。

これが結界というやつだ」


「そうなのですか……すごい……」


 まだ幼い双子達にとっては、このように言葉では無く実際に効果を見せた方が理解を深めるのだろう。

今まで店主の言葉だけの説明でチンプンカンプンだった双子は、この一連の「実演」で初めて「結界」という存在を理解したのである。


「まぁ……お前達も勉強すれば同じような事は出来るようになるぞ」


店主はニヤニヤしながら、いつものように双子を言い包める。双子が目を輝かせながら「わぁぁ……」という表情を見せたのでノンは吹き出した。

自分の作り出した導符によって双子が喜んでくれた事が何となく嬉しかったのだ。


「よし。チラ。今度はこの魔法陣を見ながら『消えろ』と念じてみろ」


「はいっ」


 チラがまた目を閉じると、真っ赤な魔法陣は「フッ」という感じで突然消えて、軽い残像を目に焼き付けながら辺りはまた暗い屋上に戻った。

結界魔導が消えると、ちょうど錬金術夫妻の練習も一段落したように見えたので、一同はまた屋根の中央部に戻った。


「どうやらそちらも上手くやれたようだな」


ルゥテウスがソンマに尋ねると


「はい。お陰様で良い修養となりました。ありがとうございました」


「私も初めて結界術を使う事が出来ました。ありがとうございました」


サナも礼を言う。


「ノンもどうやら結界は自在に出せるようになったようだ。一応導符も造って、チラに使わせたが問題無く機能したようだな」


「ほぅ……そこまで行けましたか。やはりノンさんは凄い」


ソンマが感心すると、ノンは「いえいえ……」と俯いている。どうやら照れているようだ。


「よし。では最後にノン。『領域』を造ってみるか」


「え……?あの……ルゥテウス様が出す明るい結界ですか?」


「そうだ。魔素を操れるお前なら多分造れる。お前にも『波動』はあると思うんだ」


「そ、そうなのですか?」


「いや、俺からは相変わらずお前に『素養』が見出せないので確かな事は言えない。しかしこれまでの状況からして波動は存在すると思うんだ」


「ど、どのようにすればいいのですか?……今教わりました結界とは違うのですよね……?」


「そうだな。俺の感覚で話すぞ?俺はいつも『この場所は俺のものだ』というような感じで場所を決めて出している……と思う。

肝心なのはこの場所自体を『自分のもの』と頭の中で主張する事……『自分の過ごしやすい場所』をイメージするんだ。そしてその範囲をこの屋根全体に広げるイメージで……ここはお前の場所だ……お前の場所……お前の過ごしやすい場所……落ち着く場所……力が湧いて来るような……」


いつもの暗示に近いルゥテウスの声を聞きながらノンは目を閉じて想像する。十年前、ルゥテウスと出会って姉として扱って貰い、あの長屋の中に自分の部屋を造って貰った時の記憶……冬だったのに温かい……安らかに眠れるあの場所……。


最初に結界を展開した時と同じように、数分程過ぎた頃に


「うわっ」

「えっ」

「凄い」


というような声が一斉に上がってノンは目を開いた。


 彼女……そしてここに居る者達を含めて、この屋根一杯に広がる……薄いピンク色をした不思議な空から光が降って来るような『彼女の領域』が出現していた。


「こっ、これは……」


他の者達も呆気に取られていたが、この空間を創り出したノン自身も驚いて言葉を失った。


しかし只一人、その中で


「おっ、お前……あの頃と全く同じ色じゃねぇか!あはははは」


店主は一人で笑い転げている。


「凄ぇなお前の頭の中は!変わってねぇよ……はははは」


腹を抱えて笑い転げる店主を見て、ノンも笑い出した。


「そ、そうですね……あなた様とお会いしたあの頃と……あの頃と同じですね……」


 笑いながらノンはいつの間にか涙が頬を伝っていた。家族を亡くして天涯孤独になった自分を姉として扱ってくれる『美しい弟』と出会って、優しくして貰った思い出が甦ったのだ。


(私は……私は独りじゃない。この人が居てくれる……大切なこの人が……)


あの頃の幸せな気持ちが……今でも同じように彼女を包んでいた。

【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ


ルゥテウス・ランド(マルクス・ヘンリッシュ)

主人公。15歳。黒き賢者の血脈を完全発現させた賢者。

戦時難民の国「トーンズ」の発展に力を尽くすことになる。

難民幹部からは《店主》と呼ばれ、シニョルには《青の子》とも呼ばれる。

王立士官学校入学に際し変名を使う。一年一組所属で入試順位首席。


ノン

25歳。キャンプに残った《藍玉堂》の女主人を務める。

主人公の偽装上の姉となる美貌の女性。

主人公から薬学を学び、現在では自分の弟子にその技術を教える。

肉眼で魔素が目視できる事が判明した為、「錬金導師」として修行を始める。

生活行動範囲が著しく狭い為に「世間知らず化」が著しい。


ソンマ・リジ

35歳。サクロの《藍玉堂本店》の店長で上級錬金術師。

「物質変換」や「形質変化」の錬金術を得意としており、最近はもっぱら軽量元素についての研究を重ねている。


サナ・リジ

25歳。ソンマの弟子で妻でもある。上級錬金術師。

錬金術の修養と絡めてエネルギー工学を研究している。

最近はノンに薬学を学びながら、魔法の素養を見出された赤の民の双子の初期教育も担当する。


チラ

9歳。《赤の民》の子でアトとは一卵性双生児で彼女が姉とされる。

不思議な力を感じた最長老の相談を受けてサクロに連れて来られて魔術の素養を見い出された後、弟と共に《藍玉堂》で修行を始めることとなる。


アト

9歳。《赤の民》の子でチラとは一卵性双生児。彼は弟として育つ。

姉同様に術師の素養を持ち、主人公から錬金術の素養を見い出され、姉と共にキャンプに通って来るサナの下で修行を始める。高い場所が苦手。

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