魔女の真実
【作中の表記につきまして】
士官学校のパートでは、主人公の表記を変名「マルクス・ヘンリッシュ」で統一します。
物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。
・距離や長さの表現はメートル法
・重量はキログラム(メートル)法
また、時間の長さも現実世界のものとしております。
・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日
但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。
・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年
・4年に1回、閏年として12月31日を導入
作中世界で出回っている貨幣は三種類で
・主要通貨は銀貨
・補助貨幣として金貨と銅貨が存在
・銅貨1000枚=銀貨10枚=金貨1枚
平均的な物価の指標としては
・一般的な労働者階級の日収が銀貨2枚程度。年収換算で金貨60枚前後。
・平均的な外食での一人前の価格が銅貨20枚。屋台の売り物が銅貨10枚前後。
以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくお願いします。
王都の憲兵本部にて大人達が様々な暑苦しい駆け引きを演じていた頃、さっさと下校したルゥテウスはキャンプの藍玉堂に戻っていた。
彼が二階から階段で下りて来ると、相変わらず作業場では三人娘がギャアギャア騒ぎながら課業となる薬材の処理を行っており、作業机で辛抱強く処方薬を調合していたノンが
「もう!いい加減に静かにしなさいっ!何であなた達は毎度言っても言っても聞けないのですっ!?」
と怒りを爆発させたところで店主が帰って来たので
「あら……おかえりなさいませ」
と少し照れながら主を迎えた。
「おっかえりなさいぃぃぃ!」
「お疲れさまでっすぅぅ」
「よくぞっ!よくぞ戻られたっ!」
続いて三人娘もそれぞれ挨拶を交わす。
「あぁ……ただいま」
店主は力なく笑い、挨拶を返した。
「双子は……サナと地下に居るのか?」
「はい。そのようです」
「そうか。まぁ、チラの方もまだマナ制御の初期段階だからアトと一緒に学べるわけだな」
「なるほど」
「それでもまだ始めて一ヵ月もしない間に形にはなって来ていると思う。9歳で始めるには少し早いかもしれないと思ったのだがな」
「早いのですか?」
「いや、素養が見い出せるのであれば早いに越した事は無いと思う。しかし魔法の仕組みを先天的な感覚で理解できる魔導師とは違って、訓練が必要な魔術師や錬金術師は、その最初の『マナの制御』の部分でどうしても教える側の言葉の意味を理解出来ないと実践に移すのは難しいからな」
「なるほど……子供に難しい事を言っても解らないものですからね……」
「その点、魔導師は簡単だ。お前にも見える『魔素』がどういう物であって『これで何が出来るのか』という本質に気付く『きっかけ』さえ与えれば後は己の中で『やり方』を理解できるからな。
その後は人生経験を積むことで『アレも出来るかもしれない』、『コレならどうすれば出来るのか』の試行錯誤をするだけだ。
まぁ、そのせいか魔導師は自分の知的好奇心を満たす事に夢中になって事象の善悪に拘らなくなってしまう奴らが多いわけだが……」
ルゥテウスは苦笑した。
「もちろんこれはお前にも言えるのだぞ、ノン。お前は人生における体験が単調過ぎて事象の可能性について全く思考が及んでいない。『アレコレできる』の『アレコレ』というもの自体に発想が向いて無いだろう?」
「そ……それは……そうですね……」
何度も言及されているが、ノンの生活行動範囲は非常に狭い。普段の生活も藍玉堂の作業場で大半を過ごすインドア派だ。
毎日処方箋を処理するだけの単調な作業とやかましい三人娘の面倒を見て、外出はと言えば……以前は薬学習得の一環でキャンプの中を回って薬材採取を自分で行っていたが、最早薬材への知識を究め尽してしまった今は採取も三人の弟子に任せ切りとなって、せいぜい店主と二人で隣の役場か集会場に食事を摂りに行くくらいだ。
これでは人生経験の蓄積は望めない。ノンに対する「錬金導師」の訓練を始めてからルゥテウスが驚いたのは、ノンはその人生において「竈の火」を超えるような「大きな炎」という物を見た事が無いのだ。
人生を既に25年も送って来ていれば一度くらいは火災現場にでも出くわして家屋を焼き尽くすような巨大な炎を見る経験などありそうなものだが、あいにくと各棟に調理場等の「火を扱うような設備」など備わっていない長屋暮らしで少女時代を過ごし、その後は同じく調理設備の無い、しかも更に「燃えなく」なったコンクリート造りの長屋に囲まれたキャンプはイモールが創設してから35年間、実は火災が一件も発生していない。
なのでノンは「大きな炎」というものの「大きな」という部分がどれだけ大きいのか知らないのだ。
よって、彼女の錬金魔導で作り出せる「火」はせいぜいロウソクの先端を燃やす小さなもの……或いはルゥテウスが持ち込んだコンロの火程度の大きさで、辛うじて「高温の炎」のイメージは子供の頃の彼と一緒によく見に行った鍛冶工房の炉で燃え盛るやや白っぽい炎程度だ。
ノンの人生経験の貧しさを知ったルゥテウスは驚愕し、機会があれば彼女をキャンプの外に連れ出して世の中をもっと見聞させる事を密かに考えている程だ。
しかし彼女の不思議な「錬金導師」としての才能は素晴らしく、「知っている物」であれば錬金術師と違って触媒の消費とは無縁の状態で、しかも無詠唱でポンポン作り出せるようだ。
初めのうちは「イメージを投影」の部分でやはり手こずっていたようだが、そもそも彼女は他の魔導師や魔術師、錬金術師が共通して苦労している「魔素の制御」をそれごと「イメージ」によってあっさりと実現させてしまう。
つまり彼女に足りないのは「イメージする種」だけなのだ。
この日もキャンプは平和で、せいぜい藍玉堂一階の作業場がやかましいくらいだ。
最近は初歩的な処方薬の注文が入った時は三人娘に作らせる事を始めているようで、一つの処方箋に対して三人にそれぞれ作らせてみて、一番出来の良い物を店に訪れる患者に渡している。
更に三人娘は夕飯を終えてサクロの自宅に戻って行く菓子売りのご婦人方に渡す回復薬を造りながら午後を過ごす。
既に全体の人口が数百人程度にまで減っている現在のキャンプにおいては、残留している者達の半数を占めているのが殺しても死なないような鍛錬を続けている《青の子》の訓練生なので、裏の病院の入院患者も含めて傷病人の絶対数が少ない。
時折訓練中に木から転落して骨折した者や野営訓練などで三人娘のように間違っておかしなキノコや毒草を拾い食いしてしまって、中毒症状で搬送されて来る者が居るが、キャンプ周辺で採れるキノコ類には即死するような強力な成分を含んだもの自体が存在しないので、これまで大事に至るような事は起きていない。
夜の鐘が聞こえて来て、店を閉めると三人娘は最後の力を振り絞るかのようにギャアギャア騒ぎながら階段を降りて隣の役場の食堂に向かう。
食堂でもやはり騒ぐのだが、食事を終えて帰って来るとそれぞれ自室に閉じ籠り、適当に入浴を済ませて静かになる。
アトはこの様子を見て、山で暮らして居た頃に秋の草原で見られる「昼は鳴き喚いて日が暮れると静かになる」という「アイバンバッタ」に似ていると評していた。
夕飯時になると、三人娘とは入れ違いでサナに連れられて双子も階段を上ってくるので最近は五人で集会場に向かう事が多くなった。
集会場の食事スペースには、毎日王国中の都市で菓子を売りまくったご婦人方が集結しており、今日はどこそこで何があったとガハハ笑いと共に各地の話題を提供してくれる。
また、帰って来る時に様々な食材を買ってくる者も居り、そのままそれが翌日の食事となって出て来る事がある。
特にキャンプ育ちの彼女達にとって食用魚はとても贅沢なものという認識があるらしく、毎日何かしらの魚が調理場に持ち込まれているようだ。
ルゥテウスも時折西海岸側の都市や街で海産物を大量に仕入れて来る事があるが、ダイレムだけは近寄らないようにしている。
彼の面影は母であるアリシアに瓜二つと言われる程に酷似しているので、彼女の記憶が残る者達と遭遇して騒ぎになるのを避けるためである。
また、ご婦人方の中には双子にお土産を買って来る者も居る。日当で銀貨2、3枚を貰っている彼女達は思った以上に裕福なのだ。
何しろ菓子工場と菓子屋と集会所を回ってサクロに帰っている限りは食費や住居費、光熱費や交通費すら不要なので受け取った賃金は使わないとどんどん貯まって行く。
最近は成人した子供達や夫もトーンズ側で職を持っている者が多いので、オバちゃん達だけでは貰ったお金を使い切れないのだ。
ルゥテウスがキャンプに現われる前は逆に遣うお金すら無い生活だったので、その逆転振りは時折集会場の夕飯時に昔の貧乏自慢大会になるくらいだ。
夕飯を済ませた五人は藍玉堂地下の錬金部屋に入る。この時間からルゥテウスとノンが合同鍛錬に加わる形だ。
ルゥテウスはまず、双子にマナ制御をやらせてみてその日の修養の成果を見る。どうやらチラは魔導具を使わずに独自の『呪文』でマナを操るタイプらしく、その内容もよく聞いてみると「あっちあっち」「そこからよこに」など、子供ならではの詠唱振りだ。
サナに言わせると「これでいい」のだそうで、彼女も初めて炭作りで錬金術を成功させた時には似たような感じで薪材に向かって話し掛けていたらしい。
アトは逆に無言で棒を操るタイプのようだ。その棒も、ノンが練習で作った長さ20センチ、直径5ミリ程のミスリルで作られた物で、どうやらアトはこの棒のサイズやバランス感を気に入って愛用している。
二人共、全体的には当然ながらまだまだ未熟で、サナが机の上に並べた様々な形の木片を加工した積み木のような物に対してマナを潜らせたり、尖った部分に球状に纏めたマナを留まらせてみたりしている。ゆっくりではあるが毎日確実に進歩している。
サナが言うには、二人共集中力が15歳で始めた自分の時よりも凄いのだそうだ。
「恐らくだが……双子であるだけに無意識にお互い競い合っているのでは無いかな。
サナの時はただひたすら一人で炭作りだっただろう?他人と比べる事が出来なかったから成長が実感出来なかったのではないか?」
「なるほど……確かに言われてみればそうかもしれませんね」
ルゥテウスの指摘をサナも認めた。
マナ制御の基本動作を覚えたので、暫くはその精度を自身の修練でひたすら高める段階に入ったことから、双子の修練に対してサナの手が掛からなくなった。
なので、サナも双子の横で自身の研究……無煙炭の精製を行っている。師が取り組む高度な錬金技術を真横で見るだけでも双子にとっては良い経験になるはずだ。
「よし。ノンも始めるか」
「はい」
「今日はちょっとまた実験的な物を作ってみるぞ」
「じっ、実験ですね!」
薬学を修めた「理系女子」であるノンは意外にも「実験」という甘美な言葉に弱い。これはルゥテウスの亡き母アリシアも同様であった。
「まぁ……うん。今日は試しに魔法陣を作成してみる。魔法陣そのものは何も効果を生み出さないのだが、その陣に対し効果を後付けで付与するというのが普通のスタイルだな」
「魔法陣……後付け……ですか?」
「ちょっとややこしいのだが、さっきも言った通り『魔法陣』という物体そのものには何の効果も無い。あくまでも『魔法効果を範囲的に及ばせる』というフィールドを可視化した上で『目当て』とするものだ。まずはこの定義を頭で理解する必要がある」
「定義……目当て……この前のお話しにも出て来ましたが、つまり魔法陣とは魔法使いの皆様が使用される『呪文』や『魔道具』みたいなものという事でよろしいのでしょうか?」
ノンは眉間に皺を寄せながら考え込む表情で答えた。
「おっ。なかなか良いぞ。その考え方で間違っていない。いきなりそのように理解できるとは……やはりお前は本質的に聡い頭を持っているんだと思うぞ」
ルゥテウスに褒められてノンは照れた顔で俯いた。最近また多くなってきた少女時代の仕草だ。
「お前の知っている範囲でよく目にしているのが、そこの向かいの小部屋にある『転送陣』だな。
あれは魔法陣に『転送』の魔導が仕込まれているもので、あの魔法陣の上に物や人が置いたり乗ったりする事で魔法陣自体に込められた転送魔導が発動して、別の転送陣に対して対象物体……つまり上に乗った『もの』を投射する仕組みだ」
「あぁ!なるほど。転送陣は魔法陣を使用しているのですね」
転送陣は難民関係者の一部において最早お馴染みのものだが、以前のソンマが語ったようにキャンプの外の世界においては魔法社会も含めて「伝説上」の存在だ。
「魔法陣を描く」という行為そのものは、魔法に携わる者としては実際それほど難易度が高いわけでは無い。
嘗て……ルゥテウスを産んだアリシアが、封印魔術の失敗を重ねた挙句……最後に『自分の魂を触媒として捧げる封印奥義』を使用する際に自身の産血を使って魔法陣を描いたが、あれはリューンが伝授した即席の魔術訓練によって歪な形でその習得を行った為に、魔法陣をマナを使って描けなかったからだ。
そもそも、投射位置の違いはあれど魔法陣は魔術師、錬金術師双方が利用出来るものであり、特に錬金術師の場合はこの魔法陣を使用する事でほぼ唯一と言っていい「直接投射された超自然現象」、つまり魔術が使える。
「まずは魔法陣だけを作るというイメージで始めてみようか。俺が手本を見せる」
そう言うと、ルゥテウスの目の前の作業机に直径30センチ程度の青く光る無地の円盤が出現した。
ノンだけで無く、大きな作業机の反対側のスペースでマナ制御の練習をしていた双子も驚いている。円盤は暫くその場に留まっていたが、やがて「フッ」という感じで消えた。
「今のが魔法陣だ。転送陣みたいに円盤の中には何も描かれていなかっただろう?」
「はい……」
「本来ならば、今作り出した円盤に対して変質した魔素やマナを投影することで紋様が描かれて効果を発揮するわけだ。よし、次は円盤に魔導を入れてみるぞ」
ルゥテウスは先程と同じ場所に今度は紋様の入った同じ大きさの魔法陣を出現させた。
「これは……どのような効果を持つ魔法陣なのですか?」
ノンの問いに対して、ルゥテウスはニヤニヤしながら魔法陣の上に水の入ったビーカーを置いた。
するとたちまちビーカーの中の水がポコポコと泡を立てて沸騰し始めた。ノンも驚くが、双子も驚いている。
「やはり店主様は投影の加減が巧いですね……私は魔法陣があまり得意では無いので熱加減が高過ぎたり低過ぎたり安定しないです……」
木炭をいじくり回していたサナも感心している。
「くくく……そうか。ノン。これはさっきの魔法陣に加熱の魔導を組み込んだものだ。魔法陣にこのような魔導や魔術を投影させた状態が完成形となる。これは『加熱陣』だ」
「加熱の魔導を組み込んだから加熱陣。転送の魔導を組み込んだから転送陣……組み込んだ魔導や魔術の名前が付くんですね?」
「そうだな。便宜上そのように言ってるな。だから『魔法陣』という呼称も本来非常に曖昧な呼び方だ。敢えて言うならば『投影範囲を可視化した力場』というのが正しいと思う。
その力場を活用する魔法全般を魔法陣もしくは『〇〇陣』と便宜上呼称していると理解すればいいのではないだろうか」
「なるほど……魔法陣……その何も書かれていない円盤自体は魔術師さんも錬金術師さんも関係無く、その……と、投射?出来るわけなんですね?」
「そうだな。本来ならばそのはずだが、中には上手く出せないという奴も居るようだ。つまりは魔法を『範囲』で投影する才能に乏しい奴だな」
「あの……先程見せて頂いた魔法陣は随分と小さかったですよね。転送陣と比べますと」
「うむ。さっきも言ったが、魔法陣は所詮『効果の及ぶ範囲を可視化させた』だけのものなんだ。だから、投影する魔法……俺の場合は魔導だが、魔法陣の大きさを調整する事で効果範囲を絞ったり広げたりする事が可能だ。
そして一般的には小さな魔法陣である程投影する魔法のコントロールがしやすいと言われている」
「では、その気になればこの部屋よりも大きな魔法陣も作れると?」
「そうだ。しかしそのように範囲を大きくし過ぎると弊害がいくつか発生する。まずは今も言ったように投影のコントロールが難しくなり、魔法陣の中の効果に『ムラ』が生じるようになる。
そしてもう一つが、使用者が投影する魔法の効果というものは普遍的……つまり一定なんだ。
だから範囲を広げて投影すると、その分効果も薄まってしまう。薬瓶の中を水増しすると効果が薄れるだろう?それと同じような事が魔法陣にも言えるわけだ」
「あっ、そういう事ですか」
「サナがさっき言ってた『加減が難しい』と言うのは多分そういう事だと思う。俺が昔から見ているサナは魔法陣の直径が50センチ辺りを超えると、どうも投影するマナの形質が安定しなくなってたな」
指摘されたサナは苦笑いしながら
「仰る通りです……。どうもこれくらいの大きさより広げてしまうと、上手く調整出来無くなりますね……」
サナは両手の拇指と食指を広げてやはり幅50センチ程度の範囲を作って示した。
「サナちゃんも魔法陣を使っているの?」
ノンが尋ねると
「私が魔法陣を使う時は主に炭を一気に造る時ですね。炭造りを始めた頃は一本の薪だけを使って炭を一個ずつ造っていたのですが、段々と慣れて来て品質も安定するようになったので、先生からの教えで魔法陣を使って一度に何個も作れるようになりました」
「あの頃のサナはキャンプ中で使う炭を一人で造らされていたからな」
ルゥテウスが笑うと
「店主様……。今でも一人で造っていますよ……」
今のサナは床の上に薪を井桁のように組置いて、自分の身長よりも高い180センチくらいまで積み上げてから、床に「遅燃強化」の魔法陣を作り出して一気に炭を作り出す。
最初は二段に重ねて作るのが精一杯だったが、段々とコツを覚えてからは高く積み上げて一度の生産数を大幅に増やすことが出来るようになっていた。
そして魔法陣の直径50センチ、高さ180センチ程度が自身の制御できる限界である事を突き止めて、以後は数量では無く質を高める方向に鍛錬をシフトした。
現在のサナはは鍛冶屋でも使える程に超高火力で数ヵ月は燃え続ける恐るべき品質の錬金炭を一度に20キロ以上作り出す事が可能だ。
彼女は今でも人口が急増しているサクロやキャンプで使われている炭を毎日300キロ程度を上限に作り続けている。
駆け出しの頃は半日掛かっていたが、今では300キロの超高品質錬金炭を作り出すのに一時間も掛からない。
キャンプ創設当時から建てられていた木造長屋がルゥテウスの登場によって鉄筋コンクリート造りに建て替えられた際に取り壊した解体木材を片っ端から炭に換えていたのは良い思い出である。
「今後はお前が小遣い稼ぎで作っていた『看板娘の炭』の製造はアトが引き継ぐ事になるな。娘じゃないから『小坊主の炭』なんていうのはどうだ?」
ルゥテウスが笑い出すとサナとノンも吹き出した。炭造り職人の後継者に指名されたアトは何の事か解らずに首を傾げる。
「魔法陣はこのように直接投影するやり方と、いつもの錬金術のように紙片なんかに付与して術符や導符にするやり方もある。
俺が過去に作ったのはシニョルに渡した転送導符や監督に渡した結界導符だな。シニョルは俺から渡された転送導符を公爵屋敷の自分の部屋の中で使ってクローゼットの中に転送陣を設置している。
監督は各都市に《青の子》の拠点の出入口を結界で固めている。そしてノン、お前にも昔、結界導符を渡した事があったな。憶えているか?」
「昔、ルゥテウス様がお部屋を造って下さったあの導符ですね?」
「そうだ。よく憶えていたな」
「はい……ルゥテウス様にお仕えするようになった翌日ですもの……」
「結界という魔法は魔法陣と非常に相性が良いんだ。さっきも説明したが、魔法陣は範囲を広げてしまうと効果が薄れる。
俺がノンに導符を渡してお前自身に結界を張らしたあの出来事を例に挙げると……」
「俺がまず結界の魔導を紙片に込める。これによって結界導符が製造されるのだが、俺自身は導符に魔導を込める時点では『魔法陣の大きさ』を設定していない。
大きさを設定するのは、実際に導符を使うお前だった。お前はあの時、長屋の部屋の半分を結界陣の範囲として頭の中で念じただろ?」
「はい。ルゥテウス様に言われて……大変でした」
「お前が部屋の半分を『自分の領域』として頭の中で念じて確定することで、あの時長屋の室内の半分を範囲として結界陣が展開した。
ここで注意したいのは、あの結界導符は俺が造った物だったから範囲に対する結界の強度はそれほど差が出ないが……」
「一般的な魔力を持つ錬金術師が作った結界術符の場合、部屋の半分を指定する分には実用的な結界強度を発揮出来るところを、部屋の広さ一杯に指定しまうと面積当たりの結界強度は当然半分になる。
場合によっては自分よりも力の弱い術師や一般の人間にすら見破られたり侵入されるような事態になるかもしれない」
「そんな事になるのですね……」
「ソンマ店長が《赤の民》に結界術符を渡して俺を襲撃した時、襲撃者は店長の術符を使って俺の親戚が経営するレストランの裏庭を含めた敷地一杯の範囲に結界を張ったがかなり強い効果を保ったままだった。
投射力がほぼゼロのソンマ店長が作った結界術符だったから高い効果を保てたのだな」
「なるほど……やはり店長さんは錬金術師として優秀なのですね」
「そうだな。ちなみにさっきのサナが自分でコントロールできる魔法陣の範囲が直径50センチ程度だと言っていたけどな、術符として造って自分自身で使う事で範囲を拡大させる事は可能だ」
「え……?50センチ以上で使えるという事ですか?ではそうすれば良いのではないですか?」
「いや、サナがそれでも魔法陣の直接投影に拘るのは、恐らくその方が効果を高める事出来るからだろう。恐らく『遅燃強化』の術符で作る炭には品質に限界があるのではないか?」
「はい。仰る通りです。私も何度か術符による炭の大量生産を試したのですが、どうしても一定以上の品質を得られる事が出来ませんでした」
「そうなのですか……なかなか都合良く行かないのですね……」
「それと錬金術師が魔法陣による直接投影を使用する際に注意しなければならないのは、錬金術師は元々投射力が弱い。なので自分が居る位置からあまり離れた場所に魔法陣を設置することが出来ないんだ」
「えっ?そうなのですか?」
「そうだ。例えば投射力がほぼ無いソンマ店長の場合、魔法陣は自分の足下の周囲にしか展開出来無い。つまり展開した魔法陣には必ず自分の身体が入ってしまう。
サナの場合は店長よりもまだ投射力が少しだけあるから魔法陣の範囲から自分自身の身体を外す事が辛うじて出来るという感じだ」
「はい。私も本当にギリギリです。炭を作る場合は自分の身体から数十センチくらいしか離れていない場所にしか『遅燃強化陣』を出せませんね」
「だからソンマ店長は使用できる魔法陣に制限がある。サナが使える炭作りの魔法陣を店長は使う事が出来ない」
「え……。何故です?」
「魔法陣の中にソンマ店長自身の身体が入ってしまうからな。自分の身体が魔法陣に入ってしまうと自己防衛が働いて遅燃強化が投影出来ない」
「そんな……それではソンマ店長は魔法陣が使えないのですか?」
「いや、そんな事は無い。魔法陣の中でも『回復陣』や『結界陣』のような自分の身体にも掛けられるものは問題無く使用出来る。それに店長くらいの投射力の少なさであれば直接投影ではなくて術符に込めても効果をそれ程落とす事も無いし、魔法陣の展開地点もある程度は幅を持たす事が出来る」
「そうですね。先生は滅多に魔法陣を使いませんが、お使いになる時はいつも一旦術符にしてから使われてますね」
「ノン。お前も他人事では無いぞ。お前は元々投射力がゼロだからソンマ店長よりも条件は厳しい。直接投影で魔法陣を使用する場合、恐らく魔法陣はお前の真下にしか展開出来無いはずだ」
ルゥテウスは笑い出した。
「え……」
ノンは困惑の表情を浮かべた。
「試しにやってみろ。魔素を制御する時に魔素で『何かを作る』のでは無く、効果を及ぼす範囲をイメージ……円形の効果範囲をイメージするんだ。まずは直径10センチくらいで始めてみよう。イメージだ。イメージ……」
ノンは目を閉じた。直径10センチの円をイメージする……。大気に漂う魔素を使って……イメージする……「魔導の力が及ぶ範囲」として……。
やがて、ノンの座る椅子の下に直径10センチ程の紫色に近いピンクの円盤が現われた。なかなか強い光を放っている。
「よし。魔法陣は出ているぞ。それを目の前の机の上に出すようにイメージしてみろ」
机の下を覗き込んで向かいに座るノンの椅子の下を見たルゥテウスは笑いながら指示する。
ノンは目の前の机の上に魔法陣を出そうとイメージするが……魔法陣は現われなかった。
ノンは大きく息を吐き出して
「駄目です……一生懸命イメージしているのですが……」
「そうだな。お前は必死にイメージしていたようだが、魔法陣はずっとお前の座る椅子の下にしか出てなかった。やはり俺の仮説は正しいようだな……」
ルゥテウスは苦笑した。ノンはションボリした様子だ。
「しかしこれでお前が扱える魔法陣の特性が分かっただろう?お前も店長と同じで魔法陣を取り扱う時は直接投影よりも魔導符として一旦造った方が使い勝手は良いだろうな」
「なるほど……」
「いいか?いつも言っているが、魔導師……そして錬金導師であるお前は触媒という『縛り』が無い代わりに『手掛かり』を自分で探さないといけないんだ」
「触媒が無いと力を行使できない錬金術師は逆に言えば『これに対応した触媒が存在するならこれは可能なのかという導き』が存在する。
両者はそれぞれ長所にもなるし短所にもなる。お前は自分が出来る事、出来る範囲を常に追求しながら手探りで自分の可能性を突き詰めて行くしか無いんだぞ」
厳しく言っているように聞こえるルゥテウスの表情は優しげだ。まるでノンを応援しているかのようなその言い様にノンは感動した。
「よし。お前の使用できる魔法陣の特性も分かったところで……次はいよいよ魔法陣に魔導を込めてみるか。やはり魔法陣と相性の良い結界が一番簡単そうだな」
「そうなのですね」
「但し……この地下室は既に俺の魔導で結界が張られている。なのでこの部屋の中で同系統の結界魔法を使用すると、俺の魔導と衝突してしまうので場所を移す」
「えっ?この部屋では出来無いのですか?」
「この部屋の結界を一度消してから試すという方法もあるが、お前が作る結界が魔法ギルドに感知されてしまう可能性もある。
お前達も知っていると思うが、このキャンプは以前に一度魔法ギルドに目を付けられているから、そこで再び魔法……ノンの場合は魔導……魔素が動かされた形跡を感知されると今度はちょっと面倒な事になる」
「店主様。私はいつも店主様が魔導を使われたり、ノン様が魔導符を造られる場合にもその気配を全く感じないのですが、何か秘密があるのでしょうか?」
サナが以前から気になっていたという疑問を口にする。
「ふむ。お前達やソンマ店長、そして魔法ギルドに多く詰めている魔術師達というのはマナを操る者達だな」
「はい」
「それに対して、俺はともかくとしてノンは魔素を操って導符を造ったりしている。ここに決定的な差があるのだ」
「この星の中における存在としては圧倒的に魔素の方が古い。
魔素は推定数十億年前に、この天体に何らかの原因でもたらされ、その後天体が『この星』として生成される過程で大気と混ざり合い、物質として安定したものだ。
その起源には諸説あるが、とにかく人類がこの星に出現するずっと前から魔素は存在していたわけだ」
「上古の昔、人類がこの星に出現してから……時折、偶然にも魔素の変質よって発生する『超自然現象』が人々の間で『神の奇跡』などと伝承されていた事はあった。
しかしその『偶然』の仕組みを解き明かした者によってこの世界に『魔導』が誕生した。
この『解き明かした者』の事を現代では『大導師』などと呼んで魔法ギルドの入口にも像が残されているな」
「あっ、この前見たルゥテウス様のご先祖様ですよね?確か赤い……服を着ていた……物凄く昔の人でしたよね……」
ノンが声を上げると、ルゥテウスは苦笑しながら
「よく憶えていたな……そうだ。あれが大導師リューン。俺の先祖で約33000年前の人間だ」
ルゥテウスの説明を聞いて驚いたサナが
「だ、大導師様……私も先生からお話は聞いてましたがそんなに昔の方なのですか!?」
「現代の歴史学における時代区分では、この大導師が魔素の存在と制御投影の仕組みを解き明かして魔導を『発見』した時を以って『第一紀』、つまり超古代文明の始まりと定義しているそうだぞ。精確に今から何年前なのかは不明としているがな」
笑いながら話すルゥテウスに対してサナは茫然としている。
「そんな……ルゥテウス様のご先祖様はやはりとても偉い御方なのですね……」
ノンも驚いている。この手の話はソンマが聞けば喜びそうだ。
「それに対してマナは随分と『新しい』物質だ。マナが『誕生』した経緯はともかく、その年代は特定できている。俺の記憶では第二紀229年。今から10879年前だ。ちなみに日付も解っている。6月15日の満月の夜だ。
そしてこの星にマナがもたらされたのは翌230年の6月15日。丁度一年後だ」
「そこまで詳しく特定出来ているのですか?」
サナが尋ねると
「何しろこのマナを作ったのは『漆黒の魔女』ショテルだからな」
「あっ、大導師様の反対側に置かれていた黄緑色の服を着た像の人ですよね?ルゥテウス様のご先祖様の」
「ははは……そうだな」
「漆黒の魔女様が魔術や錬金術を創られたという話は聞いています。細かい事までは解らないのですが……」
「そうか。お前の夫はこの世界にどういう経緯でマナがもたらされたのかまでは知らないのかな?」
「分かりません。私が先生から教わったのは漆黒の魔女様のおかげで私達が錬金術を使えるのだとしか……」
「そうか。魔法ギルドにはマナ生成と魔術や錬金術誕生の経緯までは記録に残っていないのかもしれんな」
「先程のお話しですと店主様は御存知でいらっしゃるように見受けられましたが……」
「そりゃ俺の先祖がやった事だからな。そこそこは知っているさ」
「や、やっぱり……」
サナは急に態度を改めて
「て、店主様っ!お願いがありますっ!」
「なんだ?サナが願い事なんて珍しいじゃないか」
ルゥテウスがニヤニヤしながら言うと、サナは顔を赤らめて
「もし宜しければ、そのお話を先生にも聞かせてあげたいのです。先生を連れて来てもいいでしょうか?」
「ん?店長をか?……まぁ、構わんが……」
「あっ、ありがとうございます。すぐに連れてきますのでっ!」
そう言い残してサナは錬金部屋の扉を開けて廊下へ駆け去った。どうやら転送陣を使ってサクロの藍玉堂に飛んだらしい。
「サナちゃん……凄い勢いで行ってしまいましたね……」
「そうだな……」
やがて五分もしないうちに、サナが夫のソンマを連れてあたふたと錬金部屋に戻ってきた。後から部屋に滑り込んで来た夫は妻よりも興奮した面持ちだ。
「てっ、店主様はマナの起源を御存知だとか!?」
滅多に驚かないと定評のあったこの錬金術師は最近驚いたり興奮したりすることが続いている。
「なんだ店長。随分と慌てた様子ではないか」
ルゥテウスが笑うと、ノンも吹き出していた。
「いや……サナが急に帰って来たと思ったら『店主様がマナの起源についてお話しして下さる』と申しましたので……」
「お前とは付き合いが長いのにどうして今更になって聞きたがるんだ?」
「い、いや……これまでも何度かお伺いしようかと迷いましたが……やはり店主様のご先祖様のお話なのであまり立ち入った事は聞き辛かったと言うか……」
「ふぅん……お前にしては珍しく気を遣っていたと言う事か……」
ルゥテウスは感心したような顔をして
「まぁ、良い。話してもいいが、魔法ギルドの文献には載って無かったのか?」
「はい。私も錬金術を修養していた頃にマナの起源について灰色の塔の地下にある大書庫を隅から隅まで探しましたが、閲覧が許されている文献の中にはその事について詳細に記されたものはございませんでした」
「閲覧が許されている……?あぁ、『禁書』以外のってことか」
「はい。マナの起源に関する記録等は特に禁書になるような内容では無いでしょうから、恐らくは記録そのものが存在しないのでしょう。
私が結局、あの塔に居た頃に得られたマナの起源に関する知識は『マナの力を引き出したのは漆黒の魔女である』というギルドで魔法を学ぶ者ならば誰でも最初に覚えさせられる話だけです」
「なるほど。魔法ギルドは結局、マナについてはその程度の認識しか持ってないのか……相変わらずしょっぱい知識だなぁ……」
ルゥテウスが呆れるように言うと、ソンマは苦笑した。この店主が魔法ギルドの知識量について失笑混じりに呆れるのは毎度の事である。
「まぁ、それでは話してやろう。今年は王国歴……いや第三紀3048年。俺の先祖である漆黒の魔女ショテルが生まれたのは第二紀197年。第二期8060年は第三期元年でもあるから……今から10910年前だな」
「そ、そんな細かい年数まで……」
ソンマは驚いている。
「ちなみに、俺が王都の士官学校で偽名として拝借しているマルクス……大戦争の混乱期を月面で過ごして乗り切った尊敬すべき男は、ショテルの五代前の先祖だ」
「えっ!?マルクス……様という方は実在されていたのですか?」
今度はノンが驚く。
「あぁ、お前にはマルクス氏について話して無かったな。ははは」
「話をショテルに戻すか。ショテルは30歳を前にした頃……まぁ、ノンと同じくらいの歳の頃かな……。当時地上を我が物顔で荒らし回っていた魔物に、『大戦争』を生き残った人類が対抗できる方法を本格的に考え始めたようだ。
当時、魔物が地上に現われてから既に200年以上……まぁ、大戦争でこの星の表面が徹底的に破壊された日が第二紀の始まりだからな……」
「魔物は大戦争の影響で既存の魔素が変質した結果、それを吸収した人間以外に生き残った小動物……ネズミだのトカゲだのコウモリだの洞窟深くに住んでいて戦禍を免れた者が大半だったようだが、彼ら小動物は人間に対して閾値も低いから魔素の影響を大きく受けてしまったのだろうな。
魔素を採り込む器官が急速に発達して、それと並行するかのように身体も巨きくなって行ったのだと推測される」
「第二紀が始まって50年も経つと地表の温度も下がり切って再び人間が生身の状態で外を出歩けるようになったのだが、その頃にはもう何世代も重ねて急激に進化した魔物が地上を支配していたようだ」
ルゥテウスの話に耳を傾ける一同……赤の民の双子までが顔色を変えている。
「ショテルが生まれたのはロッカ大陸の北部……と言ってもあの大陸はバカでかいからな……そこで成人するまで暮らした後に魔物を狩りながら世界中を回り、さっきも言ったがノンと同じくらいの歳の頃に『これじゃキリが無い』と思ったのだろうな」
ルゥテウスが笑うと
「え?そんな理由なのですか?」
話を聞いて困惑したノンが尋ね返す。
「その頃、人類は既に一人では魔物に太刀打ち出来なくなっていた。何しろお前達の身体より大きいネズミだの空を飛ぶトカゲだの、海には今でも棲息しているが差し渡し30メートル以上もある巨大なサメのような怪魚まで居るんだぞ?
もう、それこそあちこち点在していた人類の生き残り集団の中で力を併せて数十人単位で一匹の魔物に対していたという有様だった。
まぁ、それによって連帯感が生まれた事で後に『部族』という集団になったんだろうがな」
「そ、そんなに……魔物とは恐ろしいのですね……」
「私はおっかあ……母に聞きましたが、隣の大陸の東側にある『死の海』の辺りには、まだそういう恐ろしい魔物が棲んでいるのですよね?」
「そうだな。あの時代、魔物に対してまともに立ち向かえるのはショテルを始めとする僅かな……本当に僅かしか存在しない魔導師だけであった。
魔導師と言うのはな……どんな時代でも一世代でせいぜい五人くらいしか現れない。
そんな奴らだけが何とか魔物に対抗出来ていたんだ」
「ご、五人しか居ないんじゃ……」
「だからこそショテルはもっと効率的に魔物を減らす手段は無いか考えたわけだ。
彼女は世界中を回って各地の様相を調べた結果、『ある事』に気付いた」
「え?ある事?」
「さっきサナが言ってただろう?サナはおっかあから『東の死の海には魔物が棲んでる』って。
その『死の海』というのは前も話したが、大戦争で超兵器が大量に直撃して元あった『ノーア』という大陸の南西部が割れて分離した……つまり現在のエスター大陸とロッカ大陸の境界、トル、サンダナ、ハシロダの三つの海峡で構成された場所を指すが、元は海峡では無く谷……つまり割れた後に抉られた巨大な溝だったわけだ。
その場所は大量の超兵器が発した超エネルギーによって、付近の魔素が超高圧、高熱で変質してしまい、土壌まで汚染された。
魔物はどうやらこの地域を発祥としている事実にショテルは気付いたってわけさ」
「そんな……だから今でも『死の海』には魔物が棲んでいるのですか?」
「まぁ、そうとも言えるな。他の地域でもやはり超兵器の着弾地点付近で似たような現象は起きたようだが、死の海……当時は谷だったが……の付近での魔物発生が一番酷かった。そして進化によって巨大化、凶暴化したのもそこで発生したグループだ」
「ショテルはこの事実を突き止めた後、彼女なりに考えた結果……まぁ……『とんでもない解決法』を思い付いたわけだな……」
「え?」
「いいか……。予め言っておくぞ。聞くとガッカリするかもしれんが、ショテルは最初から魔術を創り出そうとは思っていなかった。
魔術や……更にその副産物として錬金術が誕生したのは、この『とんでもない解決法』によって偶然に生み出された結果だ」
ルゥテウスは嘗て、リューンからショテルが魔術を編み出した経緯を聞いた事があったが、リューン自身はどうやらショテルは当初から「魔術という『技術』を創出しようとしていた」と考えていたようだが、それは誤りである。
リューンはショテルの先祖であり、当時は《血脈の管理者》として彼女に寄り添っていたが、決してショテル本人の心情を全て理解していたわけでは無い。
ショテルが最初に考えていたのはあくまでも「ラーの大気全体を撹拌してエスターとロッカ(当時はまだそんな大陸の名も付けられていない)の境界地帯に出来た『溝部分』の変質魔素濃度を下げよう」という試みである。
リューンは誤解していたようだが、ショテルの子孫であるルゥテウスには記憶の継承によって、その当時のショテルの心情を正確に記憶していた。
「そ、そうなのですか……ではどうやって漆黒の魔女様は魔術を?」
ソンマの疑問は当然である。彼が10年もの長きに渡って学んだ魔法ギルドでは、ショテルが魔術と錬金術を創出したその叡知を殊更讃える文献の記載が多く、マナの起源を調べていた彼の脳味噌にはその賛美の言葉がこれでもかと刻み込まれたのである。
「ショテルの考えた『解決法』は二つの過程で成り立っていて、最初のアプローチは
『魔物の発生源であった超兵器の着弾によって出来た谷周辺から高濃度の変質した魔素だけを抽出し、月面付近に転送させて叩き付ける』
という荒業だった」
ルゥテウスは自分で話していながら笑い出した。よくもまぁ……そんな考えに至ったなと我が先祖ながら感心するが、それを本当に実行した行動力を思っておかしくなったのだ。
当然ながら、この笑いながら話す店主の説明を理解できる者は……話を聞いている一同の中には居ない。
藍玉堂の地下錬金室では美貌の店主が笑い転げるのを周囲の者達が茫然と見つめるおかしな光景が展開されていた。
「そ……それは本当なのですか……?冗談では無く……?」
あれだけ多くの賞賛と共に各文献に記されていた「詳細ははっきりしないが漆黒の魔女が創りだした魔術と錬金術」について、自分なりに憧れていた古代の謎……その直系の子孫から語られる『感動の秘話』が信じ難い行為だったと知ってソンマは混乱している。
「まぁ、お前の気持ちも解らんでも無いが……この話の内容は事実だ。恐らく本人もこんな話、こっ恥ずかしくて弟子に語れなかったのだろう。だから文献に残って無いんじゃないかな」
店主は尚も笑い続けながら語る。
「そ、そんな……」
「まぁ、とにかくこの冗談みたいな『解決法』は実行された。これによって当時の地表上の大気に含まれていた全魔素の三割程度が月に向かって転送・照射されて月の公転軌道が僅かにズレた。
後にショテル本人の観測によって1500キロ程度、近地点と遠地点の差に換算して3000キロの軌道変更に繋がったようだ。
そうだな……元々照射する前から月の軌道は近遠差25000キロ程度の楕円軌道だったので、逆にそれが少しだけ真円側に戻されたと理解すればいい」
『月を撃つ』という話の後に一人の人間の力によって『月の軌道』まで変えたというとてつもないスケールの話にソンマですら口を開けたままになっている。
「あ、あの……つまり漆黒の魔女様はそれによって『おかしな魔素』を薄める事に成功したんですよね……?」
サナが尋ねる。彼女も彼女なりに必死になって店主の説明を理解しようとしているらしい。
「まぁ、三割もの量を放出したからな。当然のように薄める事には成功した。一応はショテルの狙い通りの展開になり……二つ目の過程である『大気の撹拌』も起きた」
「か……撹拌……?混ぜる……?」
製薬用語に反応したノンが思わず声を出す。
「そうだ。月の軌道が変化した事でこの星との磁場のバランス点が移動した為、海水の潮位にも変動が起きて大戦争で破壊し尽されたこの星は再び海水ごと大気が掻き回される事になったんだ。数ヵ月の間な」
「そ、そんな事して大丈夫だったのですか?生き残っていた人達は……?」
「あぁ、別に大地震が起きたとか……そういう類の変動じゃないからな。主に大雨と高潮の被害だ。
地下シェルターで暮らしていた連中はそれほど大きな被害を受けなかったし、一部の家畜もシェルターで飼われていたりしたから、ドン底まで落ちた人類社会がそれ以上沈み込む事は無かった……と思う」
「ただ、このショテルの行いには尾鰭が付いた。同時代の魔導師がな……この『災害』の原因がショテルである事を看破して、彼女を『悪魔』と呼んだ」
「えっ……漆黒の魔女様をですか!?」
「うむ。その魔導師はショテルの真意も知らず、天変に翻弄される人々を救済しながら世界各地を回り、同時にこの天災に際して自分が察知した事実だけを、あちらこちらに広めて回った。
そんな『聖人』のような彼は……ショテルの行いを糾弾しながら人々を救い続けて、その死後……『救世主』として遺された人々によって神格化されたのだ」
「救世主……あっ!?も、もしかしてそれって……」
サナが何かに気付いたようだ。
「救世主教はその成立当初から長きに渡って『黒は不吉な悪魔の色』という教義を掲げていたなぁ。
それから8000年近く後になって今度は『黒き福音』によって吹っ飛ばされたが」
ルゥテウスはニヤニヤしている。
「そんな……救世主教の成り立ちは漆黒の魔女様に関係していたなんて……」
当然ながら公式には残っていない大きな歴史の謎を打ち明けられたソンマは驚きっぱなしだ。
「後にショテルによって育てられた魔術師達は、そんな救世主教の教義を小馬鹿にして数千年間に渡って対立していたけどな。今では王城を挟んでご近所さん同士じゃないか」
店主様は実に愉快そうに笑った。何故かノンも一緒になって笑う。彼女は先日、店主と連れ立って王城広場の威容をその目で確認してきたばかりだ。
「ちなみに星が掻き混ぜられた時にさっきの『溝』に海水が入り込んで『二つの大陸』が三つの海峡によって隔てられた。
『ロッカ大陸』と『エスター大陸』、そしてついでに『死の海』の誕生だ。
しかし残念ながら死の海周辺は大気以外にも地中深くまで土壌が汚染されていたので魔物の発生は殆ど減らす事が出来なかった。
『世界中の魔物を発生源から減らす』というショテルの試みは結果的に失敗したと言える」
「そんな……月まで動かしたのに……」
「しかし、結果的にこの『月撃ち』がその後の人類にとって功を奏した。ショテルもある意味で救世主だったわけだな」
「え……?」
「お前らは大事な事を忘れているぞ。ショテルは結果的に魔術と錬金術を生み出している。各地の魔法ギルドの入口には『これを見よがし』に彼女の像が飾られているだろう?」
「あっ、そうでした。漆黒の魔女様はどうやって魔術や錬金術を生み出したのですか?」
茫然としていたソンマが我に返って尋ねた。
「第二紀229年6月15日。今から10878年前、ショテルは死の海の上空から月を撃った。変質した魔素でな。まぁ……月撃ちそのものには成功したが、結果としてショテルが計算した通りにはならなかった」
「しかし月撃ちによってこの星が掻き回された影響が漸く収まってきたその年の年末……彼女はこの計画が失敗した事に気落ちしていたのだが、またしても『ある事』に気付いたんだ」
「え……?また何か悪い事ですか?」
ノンが不安な顔をする。どうやら11000年程前に、この星は人間によってとんでもない目に遭わされ続けたと知り、これ以上何をやらかしたのかという不安に駆られているようだ。
「いや……これはまぁ……悪い事では無かったと思うぞ」
ルゥテウスの表情も曖昧だ。
「ショテルはまぁ……その後の月を観察しているうちに、月に叩き付けた『変質した魔素』が大気が存在しないはずの月面で安定して留まっている事に気付いたんだ。
彼女は不思議に思って更に観察を続け、どうやらその魔素が再度変質している事を突き止めた」
実際に月面の魔素の再変質に気付いたのはリューンであったのだが、ルゥテウスはこの《血脈の管理者》の存在を伏せて説明をした。
「つ、月の表面……ですか?」
「うむ。そして観察を続けた翌年の6月15日の満月の夜……つまり月を撃った丁度一年後、彼女は再度行動を起こした」
「こ、今度は何をされたのですか……?」
案の定、漆黒の魔女様はまた何かやらかしたらしい……とノンは益々不安になった。
ソンマも今まで「錬金術を生み出してくれた事」への感謝と尊敬で一杯になっていた漆黒の魔女様……灰色の塔の入口に飾られている美しい姿の像を見上げて抱いていたイメージがその「破天荒なお転婆ぶり」によって崩れて行くのを感じていた。
「ショテルは月面に安定した状態で集まり始めていた『再変質した魔素』を今度は月面からこの星に戻す……つまり『還元』したのだ」
「えっ!?戻したのですか!?では益々魔物が増えたのでは……」
「おいおい。今の話で気付かないのか?」
「え……?」
「ショテルが再変質した魔素をほぼ全てこの星に還元してから暫くして、この星で生き延びていた人々に変化が現われた」
「ま、まさか……人間も魔物に……?」
ノンは泣きそうな顔になっている。そんなノンの顔を見てルゥテウスは笑いながら
「いやいや……そんな事になったら、それこそショテルは救世主教のバカな連中が言うような『黒い悪魔』になっちまうだろ。彼女は『漆黒の魔女』として名を残した。
彼女が月から再変質した魔素を還元した直後から、生き残った人々の中に『黄色いゆらゆら』が見えるようになった者が現われ始めたんだよ」
「あっ!?それって!」
サナが声を上げた。
「まっ……まさか……」
ソンマも信じられないという顔で呟く。
「そうだ。ショテルが月撃ちから一年後に、その月から回収した物質。それが『マナ』だ。
俺の先祖はな……『この星に存在する魔素は隕石か何かに含まれた状態で星の外……つまり宇宙から飛来したんじゃないか』という仮説を立てているんだ。
この星の大気の外で強い紫外線や宇宙線を浴びたり星間物質なんかと混じるなど、何らかの作用によって『魔素』という物質が生成されたんじゃないかと考えているんだ。
マナも恐らくだが……月面を漂っているうちに同じように紫外線や宇宙線を浴びて再度変質したのでは無いかというのがショテルの立てた新しい仮説で、俺の一族は他に考え様も無いので仕方無く代々その説を支持している」
ルゥテウスは苦笑した。
「とにかく魔物化を起こさない、そして魔導師にとっての魔素のように特定の人々に可視化するようなった『マナという物質を使っても魔導が使える』という事を自らの体験によって確認したショテルは……
『それならば魔素と同じでマナが見える者なら魔導が使えるのではないか?』
という当然の疑問を抱いたわけだ。マナは魔導師にとってむしろ魔素より制御が容易だからな」
「なっ、なるほど!凄い。流石は漆黒の魔女様だ!」
先程までのイメージ崩壊とは打って変わってソンマは漆黒の魔女様を賞賛した。
「しかし、マナが見えるようになったとは言え、その『素養』がある人々には魔導は使えなかった。
それでもショテルは諦めず、素養のある者を集めて実験と試行錯誤を繰り返して、遂に『触媒』を使う事で魔導で行っていた、『制御によって形質を変えて投影したマナの具現化』を自動化させる事に成功し、第二紀237年8月2日……彼女の最初の弟子であったスターツという若者が史上初めて2メートル先の薪に火を点ける事に成功した。10870年前に『魔術』は誕生したのさ」
「スターツ……『スターツ派』の由来になった……漆黒の魔女様の16人の弟子の筆頭ですよね……?」
「あぁ……魔法ギルドにはスターツの名前が伝わっているのか。ショテルは生涯で16人の魔術師を弟子として育てた。彼女の娘……当然俺の先祖だな……も魔術師になった。
更に魔術を飛ばす事が出来ない代わりに手近な物に魔術を込められる奴まで現われた。錬金術師だな」
「実はショテルの下には『マナが見える』という者達が40人程集まっていた。結局、その中で16人だけが魔物に対抗出来るような魔術師に育った。
しかし素養が足りない者も居て、中にはさっき言った魔術が使えない代わりに紙やら服やら武器に魔術を込められる連中が居たのだが、ショテル自身はその連中を『魔術を飛ばせない落ちこぼれ』として見ていたようで、16人の弟子の中には含めて居ないのだ……ソンマやサナには悪いのだがな……」
ルゥテウスは苦笑した。
「そんな……錬金術師が落ちこぼれだなんて……」
サナが悲しそうな顔をした。
「いや、仕方が無いんだ。自身が魔導師であるショテルには『投射力』という概念までは思い付かなかったんだ。だから彼女自身は錬金術の仕組みがよく解って無かったようだな。
錬金術と付与術が『そういう特性を持った者が使える魔術とは別の技術』として確立するのは、彼女の死後に彼女の娘が引き継いだ研究によるものだ」
「なるほど……漆黒の魔女様のお嬢様ですから、結局は店主様のご先祖様が錬金術を確立されたわけですね?」
ソンマが気を取り直した表情で尋ねる。
「まぁ……結果的にはそうなるな。俺の記憶の中ではそうなっているが、実際には判らない。俺はショテルの娘の業績を知らないからな。
俺の記憶ではその後の時代の記憶で『そういう事になっている』という話を聞いた内容なんだ。ちょっとややこしいけどな」
ルゥテウスの言う記憶はショテルの死後約2200年後に現われた「賢者の武」を持つデイルという者の記憶だ。
デイルは世界各地を回ってショテルの遺した魔術師の系統を受け継ぐ者達のかなりの数と接触したらしく、その中には錬金術師も混じっていて、その『伝承』を教えられたようだ。
「それでもやはり漆黒の魔女様の伝説は本当であったという事だけで私は満足ですよ。おかげで他に何の取り得もない私が錬金術という技を使って同胞のお役に立てたわけですし」
魔法ギルドでは教わる事が出来なかった「魔術と錬金術誕生の謎」の詳細が判ったことでソンマは結局スッキリとした思いであるようだ。
サナやノンも途中はハラハラさせられたが、最後はちゃんと人類の役に立ったショテルの偉業に対して感動している。
このような上古の話を聞いて、それが後の世界に大きな影響を及ぼしているという歴史のロマンを実感しているようである。
赤の民の双子も、ルゥテウスの語る内容の半分も理解出来なかったが、それでもこの世にこれまで知らなかった不思議な力は『神様』のものでは無く、人間の行いによる結果が産んだ『言葉で説明出来る』ものである事だけは何となく分かったようだ。
「俺が話した内容でサナは理解できたか?『魔素』と『マナ』はもうその分子構成も違う別の物質なんだ。
お前達錬金術師……魔術師もそうだが、魔素を感覚で捉える事ができない。勿論これは『目で見えない』という事も含める。
他人の使う魔導や魔術を『感じる』というのは、その相手が魔法を使う際に動かされる魔素やマナを感じているのだ」
「なので俺が魔導を使う時……そしてノンが錬金魔導を使う時に動かしている魔素を感じる事が出来ないのは仕方の無い事なのだ」
ルゥテウスは、この魔術と錬金術の成り立ち……マナの誕生に関する話をする切っ掛けとなったサナの疑問に対する解答を示した。
「しかし店主様はご自身で魔導をお使いになられる場合も、先に結界を張って魔導の使用が外に漏れないようにされてますよね?」
「そうだな……お前達は時々忘れているようだが、魔法ギルドは常に世界中で魔法が使われる『気配』を探っている。
奴らは術者が魔素や魔導を動かす気配で術者を識別しており、『自分達の知らない未知の術者』がその力を振るうと、即座にそれを確認しに来る。
彼らは1900年前に受けた『沈黙の旬』の教訓から今でも世界中の魔導師や魔術師、錬金術師を監視しているんだ。
魔法ギルドは王都の他にもロッカ大陸中西部にある超大国ダハン王国の首都エザリア、南サラドス大陸最大の都市サラン、そしてエスター大陸の北方にあるジッパ島にある支部でも同様に魔法探知は絶え間なく行われている」
「俺も含めてサナとノン、そして今では双子もそうだな。この五人は魔法ギルドからは認識されていない『未知の術者』だ。
一方でソンマ店長は灰色の塔で学んだ後に独立した者としてマナの『制御痕』は登録されているが、『錬金術を犯罪に使用した疑いを持たれて失踪中』という状況だ。
俺達が奴らに魔法を使用している事を知られるのは好ましくない……特にソンマ店長はその命が懸かっていると言っても過言では無い」
「そうですね……私はこれからも彼らに気付かれないように生きて行かねばなりません」
ソンマは苦笑する。彼の覚悟は今でも揺ぎ無いもので、自分が生きているうちに祖国であるトーンズ国に魔法ギルドとは別の『学派』を築く事を残された人生の目標としている。
彼が「物質転換」や「形質変化」と言った錬金分野を突き詰めながら自然科学にそれを重ねて行く姿勢は、嘗て超古代文明の頃に自身の持つ「大いなる叡知」で文明の先端を牽引した何人もの《賢者の発現者》に似ている。
「しかしそれでも店主様ならば……そのまま魔導をお使いになられても魔法ギルドに気付かれる事は無いのでは?私達では魔素の動きが感じられないのでしょうから……」
「おいおい……魔法ギルドには魔導師が二人も居るんだぞ?奴らからは魔素の動きが見えるはずだ。
しかも、『未知の術師』という事であるならば、今まで見た事も無い錬金術師が一人引っ掛かるのと、魔導師が引っかかるのとではその意味合いが違う。
奴らにとってはどっちが自分達への脅威となるか……修行を始めたばかりの半人前魔術師でも解る道理だ」
ルゥテウスは笑いながら説明する。サナも漸くそこに気付いたようで
「あっ……なるほど……」
と、絶句してしまった。
「俺ならば、まだそれでもマシだ。いざとなったら奴らから逃げるのは簡単に出来るし、あまりにしつこいなら『追えなくしてやる』事もそれほど難しいことじゃないしな」
ルゥテウスはニヤニヤしながら
「しかしノンは違う。奴らがノンの存在を知ったら確実に捕えに来る。何しろ魔導を使って錬金術と同じ真似が出来るのだからな。
恐らくそんな真似は総帥も導師長も不可能なはずだ」
「なっ……そうですね……確かに……ノン様は危ないですね……」
「と、言うわけでこれからこの部屋の外に出てノンの結界の練習を行う」
「でも……店主様の結界から出て練習なんて……危ないのではないですか?」
たった今、魔法ギルドに察知される恐ろしさを改めて聞かされたサナが心配そうに話す。
ルゥテウスは「いつもの」悪そうな顔をしながら
「くくく……心配するな。俺がとっておきの場所をマークしてある。恐らく奴らにバレる事無くノンの練習が可能だと……思う」
なんだかあやふやな言い様だが、彼がそう言うのならば大丈夫なのだろうと常に主を信頼しているノンが
「承知しました」
あっさり承諾してしまったので
「わ、私もご一緒させて貰っても宜しいでしょうか?店主様の仰り様にちょっと興味が……」
ソンマが同行を申し入れて来た。
「私もいいでしょうか?」
夫の申し出に驚きながらサナも希望してきた。
「あぁ、構わんぞ。お前達も来るか?」
ルゥテウスが双子に尋ねると
「いきたい!」
「いいのですか?」
と好奇心に目を輝かせながら応えて来たので
「よし。それでは出発しよう」
ルゥテウスは「集まって固まれ」と指示し、集まった一同を纏めて抱えるようにして「その場所」へと瞬間移動した。
【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ
ルゥテウス・ランド(マルクス・ヘンリッシュ)
主人公。15歳。黒き賢者の血脈を完全発現させた賢者。
戦時難民の国「トーンズ」の発展に力を尽くすことになる。
難民幹部からは《店主》と呼ばれ、シニョルには《青の子》とも呼ばれる。
王立士官学校入学に際し変名を使う。一年一組所属で入試順位首席。
ノン
25歳。キャンプに残った《藍玉堂》の女主人を務める。
主人公の偽装上の姉となる美貌の女性。
主人公から薬学を学び、現在では自分の弟子にその技術を教える。
肉眼で魔素が目視できる事が判明した為、「錬金導師」として修行を始める。
生活行動範囲が著しく狭い為に「世間知らず化」が著しい。
ソンマ・リジ
35歳。サクロの《藍玉堂本店》の店長で上級錬金術師。
「物質変換」や「形質変化」の錬金術を得意としており、最近はもっぱら軽量元素についての研究を重ねている。
サナ・リジ
25歳。ソンマの弟子で妻でもある。上級錬金術師。
錬金術の修養と絡めてエネルギー工学を研究している。
最近はノンに薬学を学びながら、魔法の素養を見出された赤の民の双子の初期教育も担当する。
チラ
9歳。《赤の民》の子でアトとは一卵性双生児で彼女が姉とされる。
不思議な力を感じた最長老の相談を受けてサクロに連れて来られる。
魔術の素養を見い出され、主人公の下で修行を始めることとなる。
アト
9歳。《赤の民》の子でチラとは一卵性双生児。彼は弟として育つ。
姉同様に術師の素養を持ち、主人公から錬金術の素養を見い出される。
キャンプに通って来るサナの下で修行を始める。
パテル、エヌ、モニ
キャンプ藍玉堂に住み込んでいるノンの弟子。
いつも騒がしい。