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黒き賢者の血脈  作者: うずめ
第三章 王立士官学校
58/129

軍閥

(ネタバレ)今回は主人公不在のパートとなります。


【作中の表記につきまして】


士官学校のパートでは、主人公の表記を変名である「マルクス・ヘンリッシュ」で統一します。


物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。

・距離や長さの表現はメートル法

・重量はキログラム(メートル)法


また、時間の長さも現実世界のものとしております。

・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日 


但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。

・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年

・4年に1回、閏年として12月31日を導入


作中世界で出回っている貨幣は三種類で

・主要通貨は銀貨

・補助貨幣として金貨と銅貨が存在

・銅貨1000枚=銀貨10枚=金貨1枚


平均的な物価の指標としては

・一般的な労働者階級の日収が銀貨2枚程度。年収換算で金貨60枚前後。

・平均的な外食での一人前の価格が銅貨20枚。屋台の売り物が銅貨10枚前後。


以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくお願いします。

 自治会長フォウラ・ネルとその弟であるダンドー・ネルの父、アーガス・ネルが二人の逮捕を知ったのは事件発生から四日が経過した9月15日早朝であった。


ネル少将は今年49歳。46歳で少将に進級して第四師団隷下の第二旅団長に就任した。士官学校教頭のハイネル・アガサが55歳で大佐という事を考えると地方部隊とは言え驚くべき出世スピードだ。


この両者の違いは何なのかと言うと、まずアガサ教頭の場合は軍務省内という軍部内でも屈指の競争著しい官僚世界である為に「順番待ち」が多く発生している為である。


 そして、それ以上にアーガス・ネルとはスタート地点が違っていた。

ハイネル・アガサは王国歴3012年度卒業生で軍務科という学級内で席次二位、卒業生全体としては九位で「短刀組」に辛うじて滑り込んでいたが、アーガスは3017年に陸軍歩兵科を卒業した際、卒業生全体で首席となって金時計を授与されるという栄典に沐している。


アーガスが二回生の時、父であるメルサド・ネルが陸軍少将に進級し、勲爵士へ叙任された。父メルサドは最終的に中将にまで進級して西部方面軍参謀長として引退したが、その際に西部方面軍内部に大きな影響力を残した。


息子であるアーガスは金時計授受者として王都周辺部隊での任官が望まれたが、本人は父が影響力を持つ西部方面軍へあえて任官して、当時はまだ現役であった父の影響下で出世街道を邁進した。


父が参謀長の職を最後に引退した頃には既に32歳で少佐にまで進級しており、父子二代に渡る西部方面軍での地位獲得を求めて38歳で中佐、42歳で大佐となって第四師団第一旅団第一連隊長に進んだ。地方部隊の中とは言え、やはり金時計授受者としての看板は非常に効果的で、またアーガス自身も軍人として優れた資質を見せたと言えよう。


 三年前に46歳で少将となり、そのまま第一旅団長に就任。この辺りから父同様に西部方面軍、その中でも第四師団の中で影響力を発揮し始めた。

現在の西部方面軍の上層部は嘗て参謀長であった父メルサドの部下によって占められており、年少の旅団長であるアーガスでも十分に「顔が利いた」のである。


そして昨年……3047年11月にそれは起こった。


アーガスの直接の上司で第四師団長であったランデルク中将が急死するという出来事が起きた。その死には特に事件性は無く、普段から不摂生を重ねていた59歳の中将は管轄地域の視察中に倒れた。死因は高血糖から来る虚血性心疾患、つまり心筋梗塞で、彼は糖尿病により徐々に体が蝕まれていたと思われる。


ランデルク中将急死を受けて、少将の階級でアーガスは第四師団長代理に抜擢された。そして3048年の今年、8月に行われる「夏の除目」において正式に師団長へと就任し、10月の進級人事で中将へと昇進する事が内定していた。


それだけに王都の士官学校で順調に学年首席として学業に励んでいたはずの長女と、更に長男までもが同時に「学校内における殺人未遂」で憲兵隊に拘束されたという急使に衝撃を受けたのは当然であろう。


 王都内に配置された「信頼できる筋」からの情報であったので、この報せを受けたアーガス・ネル少将は眩暈を覚えながらも取り急ぎ王都へ急行する為の行動を起こした。

報せを受けた9月15日午前には西部方面軍参謀長に取次を要請して午後には司令官であるメンティウス陸軍大将と会談の約束を取り付ける事に成功した。


同じ西部方面軍の中でも第四師団が駐屯している場所と、司令部があるサイデル南部とは距離にして70キロ以上離れており、更に当日の会談要請は異例中の異例で、メンティウス司令官は当初、第四師団が展開している大陸南西部のメタダ海峡側で何か変事が発生したのかと警戒したのだが、実際に第四師団長との会見で要請されたのは師団長自身の一時的な師団離脱と上京への許可であった。


 この時点でアーガスが受けていた王都における娘と息子の憲兵拘束という報告は密使のような状態で受けており、西部方面軍そのものには伝わっていなかった。

アーガスは司令官に対して「家庭の変事」という内容を暈した理由付けで師団離脱要請を出し、父の元部下で引退前からの付き合いがあったメンティウス司令官も、それをあっさりと了承してしまった。


師団からの一時離脱と上京の許可を取り付けたアーガスは急ぎ自隊に戻って、身の回りの整理と師団長代理として腹心の部下を任命し、15日夜には先触れを先行させて翌16日早朝に第四師団駐屯地から東へ1100キロ離れた王都目指して僅かな供だけを連れて出発した。


途中の宿駅には前夜に先行させていた先触れの者からの要請で替えの馬が用意されており、この中継地を利用しての強行軍で1100キロを六日で走り切った。

王都へは9月23日……つまり本日午前に到着し、その足で休息も摂らずに軍務省庁舎内にある憲兵本部に出頭、拘束中の長女フォウラ、長男ダンドーと面会した。


 姉弟は共々マルクス……ルゥテウスに一本背負い投げを受けて右腕を負傷していたが、地面に叩き付けられた衝撃からはある程度回復しており、一応は会話が出来たが……特に娘の方が錯乱気味で父に対しても要を得ない説明振りで心身共に疲労困憊のアーガスを困惑させた。


息子に至っては姉にくっ着いて行って左手を潰され、そして姉が地べたに這い蹲る様子を見て激高した挙句に投げ飛ばされたので事情そのものが良く解っていない状況であったようだ。


第三憲兵隊長であるベルガ・オーガス憲兵中尉の説明では事件当時の現場には大勢の目撃者がおり、特にダンドーに関してはこの憲兵隊長の目の前で起きた現行犯であったと言う。


 目撃者四人の目撃証言と被害者からの調書も既に受理されて起訴も済んでおり、9月25日……つまり休日明けの明後日に軍法会議が開かれる予定であると聞かされたアーガスは目の前が真っ暗になった。


「こっ、こんな事……信じられんっ!何かの陰謀だっ!」


つい感情的になって喚き散らしてしまったが、ベルガは努めて事務的に


「先程もご説明申し上げましたが、本件は衆目監視の中で起きた事件でありその一部については本職も目撃しております」


「しっ、しかしっ!姉弟が……娘と息子が同時に……何かよっぽどの事情があったはずだっ!特にダンドーについてはフォウラの状態を見て逆上とあるではないかっ!」


「確かに御子息殿の『犯行』は御令嬢が制圧された状態を見ての逆上とありますし、確かにそのような言行を犯行直前に認められました。『よくも姉さんを!』と」


「そうだろうっ?ダンドーは姉を思ってこの『被害者』と称している『慮外者』に報復を行ったのではないか?」


「少将閣下。誠に恐縮ではございますが、そもそもこの被害者に対して最初に後方からの不意打ちを仕掛けたのは御令嬢でございますぞ。

これは多数の目撃証言から明らかでございます。軍施設である士官学校の構内において後方から標的の後頭部を狙った不意打ちです。

殺意ある行動に対する被害者の正当防衛が認定されるわけですが?」


ベルガは憲兵特有の「冷たい態度」で敢えて少将閣下に説明を繰り返す。


「だっ、だ・か・ら・だっ!そもそも何故娘がその被害者とやらを攻撃するに及んだのか調べはついているのかねっ?」


 ベルガの態度を見たアーガスは益々興奮した態で問い質す。


「勿論でございます。閣下。御令嬢が犯行に及んだ動機も既に調査済みでございます」


「それを早く言わぬかっ!馬鹿者っ!」


アーガスはついに激昂してベルガに悪態をついた。ベルガは呆れ顔で


「誠に恐縮ではございますが、御令嬢の犯行動機に繋がる一件は『別件』であり、現時点では起訴状に含まれる内容ではございません。

よって本職の一存にて閣下のご要請には応じかねます」


「何だとっ!?別件であると申すかっ!」


「左様でございます。本件……つまり御令嬢及び御子息が起訴されている件につきましては、『殺人未遂事件』であります。

先程申し上げた『別件』につきましては、被害者からの意向により現時点で立件しておりません。

しかし被害者は軍法会議の内容によっては先の件も追加で立件させるとしております。既にこの件に関しましても被害調書と目撃証言を得ておりますので……」


「そ、それはつまり……娘がその被害者を襲撃したという動機に関しても『こちら側』に落ち度があると言う事なのか……」


 アーガスはベルガの説明を聞いて青褪めた。二人の子供が引き起こした事件は多数の目撃者を擁する現行犯容疑であり、更にそれを補強する「二の矢」まで用意されていると言うのだ。


(この「被害者」となっている者が何故……フォウラの動機を別件としているのか……。我ら一族を恐れて手を緩めているのか……それとも……。解らん……。「こ奴」の考えが解らん……)


ここまで完全に外堀を固められていると、最早自分としては施せる手立てが無い。アーガスが次に考えたのは……


「その『被害者』とやらに面会させて貰えないだろうか?貴官がその『別件』について詳細を漏らせないと言うならば本人から直接事情を聞きたい」


「閣下……。御冗談でしょう?このような状況において被告人の御身内である閣下に本職の口から被害者の情報を渡せるわけがありませんし、面会など論外でございます。

本件は既に起訴されております。当方にて『起訴が妥当』と判断されたからです。これは本職の一存では無く、憲兵本部にて法務官の判断によるものなのです。

お気持ちは重々承知しておりますが、最早この段階で本職……いえ憲兵本部においてお助け出来る事はございません」


キッパリと言い切ったベルガに対してアーガスは恨めしそうな上目遣いで睨み付けながら


「で、ではせめて……せめて学校関係者から話を聞きたい。これでは……これでは余りにもこちら側に……親として得られる情報が少な過ぎる……頼む……どうか学校側に『渡り』を付けて貰えないだろうか。

私もこれ以上無様に振る舞いたくないのだ……」


アーガスは急に大人しくなり、今にも泣きそうな様子でベルガに頼み込んで来た。

ベルガも流石にこの気鋭の将官を相手にする事に疲れを感じてきたので


「承知しました。本職の一存では判断致しかねますので、上司と相談して参ります」


そう言ってベルガは席を立って応接室から廊下に出た。応接室は憲兵本部の二階にあって、同じフロアには彼の上司に当たる憲兵課長の部屋もある。彼はそこに「お伺い」を立てた。


 憲兵課長であるサムス・エラ憲兵中佐はベルガからの相談に対し


「まぁ……事件の概要も明確にされているし、有罪は免れないからせめて関係者からの話を聞かせてもいいのではないか」


などと悠長な返答を返してきたので、ベルガは一応


「それでは私がこれから士官学校に伺った上で要請して参りますが、宜しいのですね?」


と責任の所在を確認した上で、それでもエラ課長から「いいのではないか」との返答を得たので、応接室に戻り


「上司から許可が出ましたので、今から本職が士官学校に関係者の派遣を要請して参ります」


アーガスに告げると「いや、私が直接学校に行きたい」と言い出したので


「閣下と言えど学校側の許可が無い限り構内に立ち入る事は出来ません。ここは本職が然るべき手続きの下に要請を行って参りますので、この場にてお待ち下さい」


と、アーガスの返事も聞かずに椅子から立ち上がり、廊下に出た。

そのまま憲兵本部……軍務省庁舎の門を出て向かいにある士官学校へと歩を進めて、学校の正門に立つ警衛当番の生徒に事情を話して構内への立入許可を貰い、本校舎へと向かった。


 その後、学校運営の実質的責任者である教頭へと話を繋げようと思い、教頭室を訪れると、偶然にも教頭の他にタレンも居たので、彼が事情を説明するとこの学年主任が同行してくれる事になったのだ。


ベルガとしては現在の士官学校において一番「話し易い」相手であるタレンが同行を請けてくれた事で幾分気が楽になった。


****


「で……、君はネル少将閣下にどこまで事情を説明したんだい?」


ベルガの右足が完治している事に一通り驚いた後でタレンが尋ねた。


「はい。ヘンリッシュ殿と目撃者四名の供述調書に沿って『事件のあらまし』を説明しただけです。

調書そのものは裁判資料となるので、お見せすることは出来ませんからね」


「ふぅん……なるほどな。まぁ私は君よりも先に現場に居たから多少は説明できるとは思うが……」


「主任殿は姉が事件を起こした動機についてヘンリッシュ殿からお聞き及びになられておりますか?」


「ん……?あぁ、『不幸な事故』の事だろう?ヘンリッシュ本人からは聞いていないが、担任のヨーグ教官からは報告を受けている。

それとあの……ダンドーだったっけ?弟の左手を治療した軍医のフィネラ殿からも事情は聞いている」


「左様でしたか。どうやらネル少将閣下はその『不幸な事故』の詳細について聞きたいようなのです。つまり『そもそも何故、娘が犯行に及んだのか』という事情をです。

閣下はどうやら姉弟が同時に検挙された事を陰謀か何かだと思われている節があります」


ベルガは苦笑した。


「陰謀って……そもそもの切っ掛けは弟の監禁未遂だろう?自業自得じゃないかね」


タレンも笑う。笑うというよりも呆れていると言った風情だ。


「まぁ……そうなんですがね」


「それよりも中尉。もう少し考えてみてくれ」


「な、何がですか?」


タレンが真顔になったので、ベルガは不安になり尋ね返した。


「事件が起きたのが11日の午後……今日は23日。さっきも話したが、少将閣下の行動が早過ぎるとは思わんか?」


「え……?」


「私は西部方面軍を直接訪問した事も無いし、生まれてこの方……サイデルまで足を延ばしたことは無いが、私の記憶ではサイデルまで王都からだと西に1000キロ……ネル少将閣下が率いる第四師団は南西沿岸を管轄としているはずだ。

実際にはサイデルよりも更に『向う側』に駐屯していたのだろう。つまり閣下に本件を通報した者と閣下ご自身の移動を考えると往復で約2000キロ以上だ。

それだけの道程に加えて任地での処理や手続きを踏まえて僅か13日で憲兵本部に居るのだぞ?」


「うっ……。そう言えばそうですね……」


「つまりネル閣下はこの事件を急報でき得る『信頼できる手の者』をこの王都に持ち、更に任地において『軍勢の責任者たる師団長』が離脱できる環境を最短期間で整える実力を持っていると言う事だ」


「なっ……なるほど」


「恐らくだが……憲兵本部においても軍法会議を開廷する日程の前に西方の遠隔地から師団長自らが駆け付けるなんて事は想定していなかったのではないか?」


「言われてみれば……そんな気がします」


「君はこの学校の関係者を閣下と接見させるという要請を独断で行っているわけでは無いのだろう?」


「ええ。私は直接の上司に当たる憲兵課長に許可を得て参りました」


「もし私がその憲兵課長であるならば、そのような許可は絶対に出さないがな」


「えっ?何故です?」


「考えてもみたまえ。現時点で起訴は実施されたとは言え軍法会議は開かれていないのだぞ。

このような段階で何の法的根拠も無く重要証人と成り得る学校関係者との接見を被告人側の身内に対して許可して良いと思えるか?

このような行為は後程問題になってもおかしくないと私が思うが?」


「な……。そうですね……。仰る通りです」


ベルガは今更ながらにこの状況の深刻さに気付いた。


「つまりだ。余りにも想定外の早さで少将閣下が王都に参上した為に、憲兵本部もその対応が後手に回っているのだよ。

君が許可を取り付けたと言う憲兵課長もこの状況を理解出来ていないと見た」


「はい……恐らくはそうでしょう。確かに課長は私に対してあまり深く考えずに許可を出したように思えます。私は確認の為に念押しまでしましたが課長の態度は曖昧なものでした」


「どうするのだ?私はこのまま少将閣下と接見してしまってもいいのか?」


タレンの問いに対してベルガは暫く考えて


「しかし、学校側も教頭殿が許可を出されておりますし……」


「確かにな……。恐らくは教頭殿も少将閣下の行動の早さに事態が把握出来ていなかったのだろう。相当に動揺されていたご様子だった」


タレンは苦笑する。


「如何されますか?今更ですが、少将閣下との接見は中止されますか?」


「いや……ここで私が急に出頭を取りやめると却って怪しまれる。今回の動きを見るとまぁ……父親としては当然だが少将閣下の必死さが解るというものだ。

彼の御仁は私が接見を拒んでも『別の手段』を用いて接触を図ってくるはずだ。それならばいっその事、憲兵本部の中で話をしてしまった方が私自身にとっても安全だろう」


「なるほど……先程私との会見でも相当に感情的になっておられました。このまま『あれも駄目、これも駄目』と拒み続けた場合……あの御仁は強硬手段に出るとも考えられますね」


「そういう事だ。まだその矛先が私に向くのであればマシだが……あのヘンリッシュに絡んで行った場合……何が起きるのか私でも予想できん」


真顔になってそう話すタレンを見て、ベルガは身震いした。この二人……大陸北部の無法者相手に散々暴れ回った彼らを以ってしても「あの首席入学生」の持つ力は計り知れない。


 彼の性格からして現役の陸軍少将が相手でも降り掛かる火の粉は容赦なく払うだろう。いくら何でも少将閣下の身に何か起きた場合、その騒動を収めるのは相当に難しいと想像した二人は「最悪の事態は避けねば」と決意を新たにするのであった。


****


「閣下。お待たせ致しました。こちらが士官学校一回生主任教官でいらっしゃいます、タレン・マーズ大尉でございます」


 ベルガの帰りを待ちわびていたアーガスはタレンを連れて彼がが入室すると椅子から勢い良く立ち上がり、学年主任教官の紹介を受けて


「西部方面軍のアーガス・ネルだ。多忙なところを呼び付けるような真似をして本当に申し訳ない」


待っている間に幾分頭が冷えたようで、特に声を荒げるわけでも無く右手を差し出して来た。


「士官学校にて一回生の主任教官を拝命しておりますタレン・マーズでございます」


タレンも務めて落ち着いた態度で名乗り、差し出された手を握った。


「お二人共、お掛けになって下さい」


 ベルガは二人に席を勧めて、二人の着席を見てから自身もタレンの隣に腰を下ろした。


「閣下のご事情につきましては既に学校側には説明させて頂いております。こちらのマーズ主任は先の事件当時、現場に居合わせた方でございます」


「おぉ。そうなのか」


やや声を高めたアーガスに対してタレンは


「今、中尉殿がご説明下さいました通り、私は事件の際に現場に立ち会った者で、憲兵本部へ通報致しましたのも私でございます。

しかし、私が現場に到着した頃には既に御令嬢は犯行に及んだ後でございまして……私が目撃したのは御令息が凶行に及んだ部分だけでございます」


タレンはしれっと「犯行」だの「凶行」だのという単語を使った。それを聞いたアーガスは一瞬「ぐぬっ」と唸ったが、辛うじてそれを堪えて


「貴殿が仰る……我が娘の『犯行に及んだ後』というのは……その……既に被害者に防衛行動を採られていた後……つまり……地に伏していた後だという事なのか?」


「はい。ご賢察の通りでございます」


「今の話の内容によるとこの憲兵本部に通報を実施したのは貴殿であると……。その……貴殿が現場に駆け付けた頃には既に娘は地に伏せていたのだろう?そのような状況を見て何故通報に及んだのかね?

普通であればそのような場面を見れば被害を受けているのは寧ろ『地に伏せている女子生徒』の方だとは思わなかったのかね?」


 アーガスは最前にベルガから受けていた状況説明を基にタレンに問い質した。これを聞いたタレンは苦笑しながら


「なるほど……閣下はどのような状況分析をされているのかは存じませんが、どうやら私の見た事をご説明申し上げる必要ございますな」


「ど、どういう事かね?」


「私が他の生徒からの通報で現場に駆け付けた時まず目に入ったのは被害者が我が校に常駐している憲兵士官……確か一旬交代で警衛本部に詰めていると認識しておりますが……が任務を放棄したかの如くその場に居合わせながら加害者……つまり御令嬢ですな。

加害者の拘束を行わずにそれを傍観していたらしく、その事に危機感を覚えた被害者がその憲兵士官を事件の共犯者として警戒する余りに防衛行動を採っている最中でした」


「何?防衛……?憲兵相手にかね?」


「はい。具体的には……まぁこれは軍法会議で明らかにされるでしょうから隠す事も無いでしょうが、職務を放棄して傍観を続ける憲兵士官の胸倉を掴んで持ち上げながら詰問しておりました」


「被害者が?憲兵を?」


「左様でございます。私が現場に到着してまず行った事は被害者に対して詰問を加えている憲兵士官を解放するように要請する事でした」


ここでベルガが同僚の恥を侘びる意味で口を挟んで来た。


「当日……まぁ、先旬の校内常駐士官はボレス・エンダ憲兵中尉であります。彼は現在、目撃証言によって職務怠慢が判明しておりますので重要参考人としてこの憲兵本部にて拘禁中です」


「何だと……!?その現場に居たのはボレスだったのか!?」


 ベルガの話を聞いてアーガスは驚きの余り思わず声を上げてしまい、直後に「何かに気付いた」かのように口を閉ざした。明らかに何か自身の失言を悔いているような表情だ。


ベルガはその様子を逃さず


「おや……?閣下はエンダ中尉の事を御存知なのですか?お知り合いとか?」


「い、いや……知らん……」


 アーガスはかなり慌てた様子でベルガの質問を否定した。タレンはその様子を見て


(おやおや……これはもしかして……)


と、「ある疑念」を抱いた。その疑念とは


「エンダ憲兵中尉はアーガス……いやネル家の息の掛かった者だった」


という事である。そう考えるとなるほど……あの時のあの「ポンコツ憲兵」の行動に対して全て合点が行く。


つまりエンダはネル姉弟が校内で非合法の権勢を振るう一助としてネル家が潜り込ませた者で、たまたまあの日の常駐当番がエンダに回って来ていた。


タレンの知る限り、士官学校常駐の憲兵士官は一旬交代で三名のローテーションだったので、エンダだけが「ネル家の手の者」なのか、それとも他の二名のいずれかも同類なのかは不明だが……。


とにかくエンダが通報を受けて現場に駆けつけてみると……自身の「主」であるフォウラ・ネルが被害者であるヘンリッシュに組み敷かれており、更に彼からフォウラを「殺人未遂の容疑者」として拘束するように要請されたが、判断に迷ってしまい傍観する破目になったのでないか。


 考えてみれば無理も無い。その瞬間が訪れる前まで……二年間に渡って彼女は学年首席でありながら「自治会の女傑」と言われ、特に二回生に進級してからは最上級生たる前自治会長や他の役員を差し置いて、まるで自分がこの学校の生徒達の「支配者」であるかのように振る舞っていたのである。


そんな「主」が男子生徒に組み伏せられて拘束を受けており、更にその生徒から「こいつは自分を殺そうとした暴漢だから自分に変わって拘束してくれ」と頼まれて、「はいそうですか」と実行に移せるかと言えば、微妙である。


(私の推測通りだとすると……このネル家という輩は相当に色々な所に食い込んでいる。この行動の早さもそうだ。王都から事態を急報出来る者……しかも事件直後にだ。

ネル家……あの姉弟の家族は恐らく当主であるこの少将閣下の任地であるサイデルに居を構えているはずだから、仮に公式な手順における容疑者家族への連絡は相当後になるはずだ。

それを事件発生から13日で、今このように目の前に居られるとなると……この一族には相当数の「協力者」が王都に存在しているな)


図らずもベルガが漏らした「ポンコツ憲兵」の名前によって、「ネル家のカラクリ」の一端が垣間見えてしまったタレンは渋い顔になった。

これは自分がここで色々と暈しても、この男であれば自力で「被害者」にまで届いてしまう。


「あの男」は自分に降り掛かる火の粉に対して断固「払いに行く」だろう。例え相手が師団長たる少将閣下でもだ。

そもそも彼は自身が軍人になるつもりは無いから学校教職員以外の『軍部のお偉いさん』に対して敬意を払うとは思えない。


寧ろネル家のような「小細工を弄する者」には苛烈な態度で当たるのではないか。

タレンは何故か「彼を怒らすと予測も付かない事態に発展する」と直感で理解しており、万が一……これを切っ掛けに発生し得る大混乱を想像して背筋が寒くなった。


アーガスを見ると、自身の発した失言に対する追及を恐れているのか、先程までの態度とは一変して貝のように口を噤んでいる。


(これは……こうなったらむしろこの安全な憲兵本部においてこの少将閣下殿とヘンリッシュの接見を実施してしまい、その「事実」を以ってこれ以上、ネル家の手の者が却ってヘンリッシュに対して手を回せないようにした方がいいのではないか……?)


 このままマルクス・ヘンリッシュという「被害者」について、殊更隠し立てをした場合……ネル家は自身が持つ王都でのネットワークを使って被害者の特定を進めてしまうだろう。


あれだけの目撃者が居た事件である。逆に言えば「被害者が誰か」を探ることも容易であり、ネル家さえその気になれば本日中にもヘンリッシュの居住先へ彼らの手の者が届いてしまう事は必至だろう。


タレン自身は、「あのヘンリッシュ」がネル家の手の者に対して遅れを取るとは思えない。彼自身、あの事件で首席入学生の戦闘能力を目の当たりにしたし、その後も何度か彼の白兵戦技の授業を視察している。


はっきり言って、歴戦の指揮官であるタレンの目から見ても「あのヘンリッシュ」の戦闘能力は尋常では無い。

大袈裟では無く、士官学校の白兵戦技担当の教官が全員束になって掛かってもあの若者を抑える事は難しいだろう。例えその中に自分自身が含まれていようとだ。


そんな彼に対し、この少将閣下が早まって「口を封じる」などという愚かな手段に出た場合……最悪、少々閣下ご自身の首と胴が離れる事になる。

もちろん「あのヘンリッシュ」の事だ……それら一切の行動を「合法的」に進めるだろう。


もしそのような事態になった場合、この王都では士官学校と憲兵本部を中心に大混乱になる。

そうなってしまうと……士官学校としては彼をどこまで庇う事が出来るのか……。彼がもし学校を去るような事になってしまったら、自分が進めようとしている「白兵戦技の授業改革」も恐らく頓挫してしまうだろう。


 タレンは突然


「申し訳ございません。学校に忘れ物が……すぐに戻りますので……」


と言いながら席を立って廊下に出た。応接室の前で扉を挟むように立番をしていた二人の憲兵に対して


「済まんが……憲兵課長はどちらにおいでか?」


と尋ねた。


「は……?課長殿……ですか?」


事情が飲み込めていないその憲兵に


「そうだ。憲兵課長殿の所在だ。大至急課長殿に申し上げたい事がある。頼む、教えてくれ」


タレンの真剣な表情に押されて、その憲兵は


「りょ、了解です。こ、こちらになります」


もう一人の立番にその場を任せて、自らタレンを案内するように憲兵本部二階の廊下を歩き出した。タレンはそれに続く。


二人は廊下を暫く歩き、やがて向かって右側に見えて来た扉を指して


「こちらが憲兵課長殿の部屋でございます。少々お待ち下さい」


憲兵は扉をノックした。すると中から「どうぞ」と声が聞こえたので


「失礼致しますっ!課長殿に御用があるとの事でお客様をお連れ致しましたっ!緊急の御用だそうですっ!」


開いた扉から室内に向けて声を高めて報告すると、室内から


「何だと?よし、お通ししろ」


という声が返ってきたので、憲兵からの案内を待ち切れずにタレンが室内に入り込んで


「失礼致します。緊急時に付き、ご無礼をお許し下さい」


後ろで困惑する憲兵に


「済まなかった。案内感謝する。元の場所に戻って結構だ」


と伝えて返した。そして扉を閉めると憲兵課長に対して向き直り


「私は王立士官学校一回生主任教官を拝命しておりますタレン・マーズ大尉であります。憲兵課長殿におきましては失礼の段、重ねてお詫び申し上げます。

先程も申し上げました……。緊急時につきご容赦願えれば幸いにございます」


手短に無礼を謝罪して憲兵課長の机の前に歩み寄った。


「マーズ大尉ですか。何事でしょう。もしや……先程オーガス隊長が言っていた『士官学校関係者』とは貴官の事でしょうか?」


「はい。その通りかと思われます。私は先程、ネル少将閣下の要請を受けて士官学校より派遣されました。『例の事件』で現場に居合わせた者であります」


「ほぅ……貴官が……」


 憲兵課長は目を細めた。彼もあの後、ベルガからの要請に許可を与えてしまった事に対して、些か軽率だったのではないかと後悔していたのだ。


「手短に用件を申し上げます。私はつい先程……実を申しますと現在もですが、オーガス隊長からの要請を受けてネル少将閣下と接見しておりました」


「そうですか。ふむ。」


「ところが、その会話の中から『たまたま』ですが、ネル閣下がこの王都において相当数の『手の者』を配置している事実に気付かされました」


「ん……?ネル閣下の手の者……?」


「はい。恐らくですが、あの事件の被疑者二名と同時にこの本部に移送した士官学校常駐憲兵士官の当番であったエンダ中尉……彼はどうやらネル閣下の手の者のようです」


「何ですと!?」


タレンの指摘に対して憲兵課長……サムス・エラ憲兵中佐は仰天した。


「ど、どういう事でしょうか?」


「ネル閣下は『たまたま』話の中に出て来たエンダ中尉の名前を聞いて驚いておりました。エンダ中尉が職務怠慢の証言を受けて憲兵本部で拘留中であると……この事実に相当な衝撃を受けている印象を受けました」


「そ、そうなのですか?」


「はい。本件の被疑者二名……特に姉の方は一生徒でありながら『自治会』という法的根拠の無い任意団体の長として校内……特に生徒の間において一種の権力を持つに至っておりました。弟の方がどうやら姉の行動を『実力面』で支えていたと思われます」


「その姉弟の行動を補強する為に……あのエンダ憲兵中尉が常駐憲兵士官として『潜り込まされていた』という可能性があります。課長殿、エンダ中尉の経歴資料を確認させては頂けませんでしょうか?」


「エンダ中尉の経歴……ちょ、ちょっと待って下さい」


 憲兵課長は席から立ち上がると、入口とは別に室内に設けられた憲兵事務所に通じる扉から隣室に入り扉からすぐの場所にある書棚の中を探して一冊のファイルを取り出して来た。


どうやらそのファイルはエンダ中尉の経歴が記載された書類らしく、一憲兵の身上資料である為、外部の人間であるタレンにいきなり見せるというわけにも行かないようで、憲兵課長はまず自身の目で内容を確認し始めた。


やがてなにやら記載内容の一部に目が留まったらしく


「あっ……!こっ、これは……」


と声を上げ、ファイルを開いたまま向きを逆さにして机に置き、内容をタレンにも見えるようにして、ある一点を指で差し示した。


「こ……これです。エンダ中尉は一昨年に憲兵本部付となって赴任しておりますが……その前の所属が……第四師団付憲兵隊ですね……」


「やはり……」


タレンは大きな溜息をついた。どうやら自分の立てた推理は的を得ていたらしい。


 憲兵課長は別の書類に目を通して


「これが士官学校常駐憲兵士官任命の経緯書ですね……『自薦』となっておりまして、更に軍務省内からの推薦もあります。

恐らくはこれが決め手となって昨年の初めから当番に加わっておりますね……」


「うーむ……軍務省内にも『協力者』を持っているのか……」


予想以上の「ネル家の手の長さ」に驚いたタレンは


「然して、私が申し上げたいのはネル閣下に対してこの場で『被害者』についての情報提供を拒絶しても、これら『手の者』によって閣下ご自身による「被害者の特定」が容易に行えてしまうのではないかという危惧です」


「な、なるほど……」


「彼自身によって被害者との接触を持たせては危険です。最悪の場合、被害者への口封じ、それでなくても被害届の取り下げの強要などを行う可能性が考えられます」


「何!?そうか……その可能性は十分考えられますね」


「今の時点でその考えの下で彼に掣肘を加える事は不可能でしょう。まだ彼が『それをやる』という証拠が得られませんので」


「た、確かに……ではどうされる?」


 憲兵課長はかなり狼狽している。彼は既に目の前に居る士官学校主任教官を含めた学校関係者とアーガス・ネルとの接見に対して許可を下してしまっている。

仮にこの「閣下」が自力で被害者を探し出して何かしらの危害を加えた場合、責任問題の槍玉に真っ先に挙げられるのは自分だろう……彼はそう直感したのだ。


「これは……あくまでも私からの『提案』です。この案を採用されるかは憲兵本部の皆様のご判断にお任せします。

私が思うに、このまま被害者の情報を与えずともネル閣下はご自身で突き止めてしまうでしょう。

特に本件の場合、余りにも目撃者が多過ぎます。そして被害者は首席入学生……現在我が校内において極めて知名度が高い人物です……。そう、あの被疑者の一人である『自治会長』と同じくらいにです」


「なるほど。確かに……」


「先程も申し上げました通り、ネル閣下ご自身によって被害者の特定が成されてしまった場合、『被害者の事は何も知らない』と見せかけた被害者に対する実力行使が危惧されます」


「ええ……」


「そこで、いっその事……この憲兵本部の中において第三者の立ち合いの下でネル閣下と被害者の接見を実現させてしまえばいいのです」


「な、何ですって!?」


エラ憲兵課長は目を見開いて驚いている。彼ら司法執行機関において、裁判の被告側関係者に対して、被害者を保護するのは常識であり、彼らから加えられる危害からいかに被害者を護るかが司法機関の最重要任務となる。


それを逆に「この憲兵本部の中で会見させてしまえ」と言うのは……。


「憲兵本部の中という安全な場所でネル閣下と被害者であるマルクス・ヘンリッシュを接見させてしまえば、以後却ってネル家の側から被害者に対して危害を与えにくくなります。

接見が実現する事によって『被害者の事は知らない』という言い分が通らなくなる。被害者に『もしもの事』があった場合、真っ先に疑われるのはネル家という事になりますからな」


「あっ……そうか……なるほど」


 やはり憲兵課長という役職に就いているだけあってエラ中佐は頭の回転が早い人らしい。

タレンの言っている事をすぐに理解して、大きく頷いた。


「いかがでしょうか。この提案を受け入れて頂けるか否かは憲兵本部側にお任せします。私は現在もネル閣下をお待たせしている最中でございます。

オーガス隊長が場をもたせてくれていればいいのですが……」


「承知しました。大至急、私の更に上の者……今回の件で軍法会議において検察として公判を担当します法務官のアラム大佐にマーズ大尉の提案を諮ってみます。

取り急ぎ行いますので、恐縮ではありますが大尉は接見にお戻りになってネル閣下に対して時間を稼いで頂けませんでしょうか?」


「了解です。それでは宜しくお願い致します」


 そう言うとタレンは席を立って憲兵課長室から廊下に戻り、速足で応接室に戻った。

部屋の中では重苦しい雰囲気の中、アーガス・ネル少将とベルガ・オーガス憲兵中尉が応接セットに向かい合って座っており、お互い無言のままでいた。


どうやら彼らは中座したタレンの帰りを待っていたようだ。


「大変失礼致しました。実はこちらに赴く前に学校内で重要な要件を残していた事を思い出しまして……」


タレンの「言い訳」を聞いたベルガは何かに気付いたらしく


「おや……。左様でございましたか。突然押し掛けてお連れしたのは私の方でございます。お忙しいにもかかわらず無理を申し上げてしまった事をお許し下さい」


ベルガはわざとらしく頭を下げた。


「いやいや。お陰様で要件そのものは片付きましたので……」


タレンは時間を稼ぐ為に、先程の「ポンコツ憲兵」ことエンダ憲兵中尉についてもう少しアーガスを突いてみる事にした。


「そう言えば……先程の話で少し思い出しました。エンダ中尉とは先日少し話をする機会がありましてね……」


 エンダの話を持ち出した途端に、またしてもアーガスの顔色に変化が見て取れた。


「実は私……今年度から士官学校主任教官として抜擢を受ける前は北部方面軍に所属しておりましてね……どうも地方部隊から士官学校勤務へと転任するのは非常に珍しいのだそうです」


「ほぅ……」


アーガスは落ち着かない表情でこちらを見ている。エンダの事に話を振ったタレンが何を言い出すのか判らないのだろう。


「私がその話をするとエンダ中尉も『実は自分もつい先年に西部方面軍からの異動で憲兵本部付になったのですよ』と仰っておりましたなぁ」


「なんと!?そうなのですか!?」


ベルガが殊更大袈裟に驚く素振りをする。


「えぇ……先程学校に戻って用事を済ませている時に思い出しましてな。そして今ここに戻って来てから最前の話題にもエンダ中尉殿の話が出ていたなと……」


 アーガスの顔を見ると、明らかに動揺しているのが窺える。どうやらエンダはネル家の関係者と見て間違い無いのだろう。

そうなると今度は……彼を士官学校内常駐憲兵として推薦した「軍務省内の者」への懸念が生じて来る。


こうなってくると、「ネル家」とは最早「二代に渡って将官を輩出した名門」という話では無くなる。


「二代に渡って西部方面軍で勢力を築いて軍閥化を目指している家」


という表現の方が的を得ているような気がするのであった。


(そう言えば……姉の方は史上初の女性による軍務卿就任を目指しているとか……そんな噂を聞いたな。「自治会の女傑」だったか……。

と言う事は姉を軍務省に送り込んで省内に自家の勢力を根付かせて、弟の方を西部方面軍内における自分の後継者とするつもりか……)


 軍務省と王国軍は他の政府機関と比べて貴族閥や特定の家に私物化される事が少ないと言われている。


理由としては軍の最高司令官が国王自身であると言う事が挙げられる他に、やはりヴァルフェリウス公爵家の存在が大きいからである。


つまり王国軍は言い換えると「国王並びに公爵家の縄張り」と言えなくも無いのだ。


その証拠に、ヴァルフェリウス公爵家の当主は代々……士官学校に入る事無く軍の要職を歴任しており、現当主のジヨームも軍内において全く功績が無いにも関わらず陸軍大将という階級を与えられて王都方面軍司令官という要職に就いている。


彼は30代の前半に一時期近衛師団の大隊長を務めていた事もあって、「特定の家系に対する忖度など存在しない」という建前の王国軍においては例外とも言える厚遇を受けている。


やはり王都の八大門に一族関係者からその半数の四門……しかも東西南北の門にその名を刻んでいるヴァルフェリウス公爵家は王国内において藩屏の筆頭に挙げられる特別な家柄なのだ。


そして皮肉な事にタレン自身がその家に繋がる者としてその家名に「呪い」の如く付き纏われていると言った状況であった。


 とにかく……今この時になって目の前に座る人物は長年に渡って「王国の禁忌(タブー)」とされてきた王国軍内において自家の派閥を築こうとしている事実が見えて来た事にタレンは戦慄を覚えた。


(この国は腐っている……「聖域」だと思っていた軍部さえも……クソっ……)


タレンは公爵家というこの国の貴族の中でも筆頭とも言える家に生まれ、それでも次男という立場から家の中で兄との取扱いの差に苦しんだ。

そして自身の中で「特権階級」に対する憎悪とも言える感情が芽生えて行き、ついには士官学校から陸軍士官として進むことで実家である公爵家と距離を置く事に成功した。

しかし皮肉な事に「公爵家の次男」という「看板」によってマーズ子爵家の入り婿に選ばれることになり、実際に養子となって家督を継ぐ事が出来た。


その際に「公爵家の威勢を嵩にマーズ子爵家を乗っ取った」という心無い中傷を一部で受けたが、タレンは努めてそれを無視したし、自身を迎え入れてくれた先代のマーズ子爵や妻となった先代の娘を心から愛して「マーズ家の大黒柱たれ」という思いを胸にこれまで軍に仕えて来た。


名実ともに公爵家の「(くびき)」から逃れ出たと思った途端に……このような腐敗の萌芽を目にして、タレンは怒りを覚えた。


(いっそ「あのヘンリッシュ」をぶつけてしまおうか……)


 そのような危険な想念がタレンの中にムクムクと湧き上がって来たその時、応接室の扉がノックされ、ベルガの「どうぞ」という声と共に先程までネル家への対抗策を話し合っていた憲兵課長が直々に入室して来た。


突然入って来た上司の姿に驚いたのはベルガである。この上司は自分が学校関係者に出頭を要請する際に「考え無し」に許可を出したという印象を持っていたからである。


(何のつもりだろうか?)


ベルガが不審に思っていると、憲兵課長はあっさりと


「ネル閣下。ご多忙の折にこのような遠方までお越し頂き誠にお疲れ様でございます。私、憲兵課長を拝命しておりますエラと申します」


と、ニコニコした顔でアーガスへ挨拶をした。「憲兵課長」という役職を聞いたアーガスも


「これはこれは。こちらから無理に押し掛けておきながら挨拶が遅れて大変失礼した。現在、第四師団を預かっているネルです。どうかお見知りおきを」


 アーガスからの答礼を受けたエラ憲兵課長は


「この度の件につきましては心中お察し申し上げます。ご自慢の御令嬢と御子息がこのような形で当方と関わりを持つとは……」


わざとらしく嘆息してみせた後に


「遠方からお越しの閣下におかれましては寝耳に水の出来事であり、さぞかしお疲れのところ御不安でございましょう。

我らも重ねて閣下のご心中を察しますところ、慚愧に耐えません。只今上司と相談致しました結果、閣下が当初からお望みであった『被害者』との面談、条件付きということで許可しても良いとの裁可を受けて参りました」


これを聞いたアーガスとベルガは驚愕した。通常の司法の場において、被害者の身を危険に晒すこのような措置など考えられない。


「ま、誠でございますか!?」


「はい。但し先程も申し上げました通り、接見には当方より条件を設定させて頂きます」


「ど、どんな条件でしょうか?」


「まず、面談場所はこの部屋。憲兵本部の応接室とする事です」


「な……なるほど。それで構いません」


「次に、接見は閣下お一人のみ。同席者は認められません。その代わり被害者側にも同席者を付けさせません」


「いいでしょう」


「最後に……まぁ、お察し頂いているとは思いますが面談の際には当方より立会人を二名指名させて頂きます」


「つまりこの部屋で私と被害者、そして憲兵本部からの『監視人』が二名加わって合計四人での接見となるわけですな?」


アーガスは敢えて「監視人」という言葉を使った。


「まぁ……当方からの立会人としてはこのオーガス中尉と……マーズ大尉、お願い出来ますでしょうか?」


 薄々自分が指名されるのではないかと思っていたタレンは


「構いません。私とオーガス中尉はあの場に居合わせた者同士。目撃者として立ち会うのであれば被害者も無暗に虚偽の証言は出来ないでしょう」


立会人を請け合うと返答して


「しかし私からも一つだけ条件を提示させて頂いて宜しいでしょうか?」


「何でしょう?」

「何か?」


憲兵課長とアーガスが同時に尋ね返す。まさかタレンから別途の条件を提示されるとは思っていなかったようだ。


「被害者への説得も私が請け合います。その代わり……日時は被害者の希望を尊重して頂きたい。まだ閣下にははっきりと申し上げておりませんでしたが、被害者は我が校の生徒です。彼にも学業がありますしそれ以外にも都合というものがあるでしょう」


「なるほど。そういう事でしたら問題ございません。課長殿と大尉殿からの条件を全て承諾致しましょう」


 アーガスとしてはいきなり降って湧いたような好機である。ひとまず被害者の「学生」に対して有形無形の圧力を掛けて今回の件を可能な限り穏便に片付けようという魂胆のようだ。


「ご理解感謝致します。それでは「被害者の生徒」には私が一両日中に説得を致しまして本人の都合の良い日取りを聞き出した上で憲兵課長殿にご連絡申し上げます」


「承知しました。それではこの接見の実現について目途が立つまで軍法会議の開廷は延期とさせて頂きます。

既に延期に関しては我が上司である法務官に許可を頂いております」


憲兵課長の説明に


「そ……、そうか……。それは……ありがたい……」


ひとまず山を越えたとばかりにアーガスはソファーの背に体を預けて大きく息をついた。休み明けの明後日に軍法会議が開廷してしまう事が彼にとって一番憂慮すべき事態だったのだろう。


(まだ何とかなる……)


 アーガスは緊張が解けて眩暈を覚え、この一旬の間……遠く西方から強行軍で寝る間も惜しんで駆け付けてきた疲労がドッと自身に圧し掛かって来たのを実感した。

彼は不意に「ある事」を思い出して憲兵課長に尋ねた。


「それでその……開廷延期中についてですが……」


「何でしょう?」


「娘と息子には面会させて頂けませんでしょうか……特に娘の方は精神的にも大分参っている様子でしたので……」


ここでタレンが口を挟んだ。


「今回の件、奥方様はもうご存知なのでしょうか?」


何とは無い口調である。


「今頃は連絡を受けて余程心配していると思われますが、私自身は妻に事を伝える暇も無く駆けつけてしまいましたよ……はは、は……」


アーガスは力なく笑った。


「左様でございましたか。奥方様のご心中お察し申し上げます」


(やはり公式なルートからの情報では無く「密使」のような私的な情報経路を使ったのか……)


タレンは益々この「生まれつつある軍閥」に対して不審を新たにした。


 タレンは椅子から立ち上がり


「それでは私はこの辺りで失礼致します。上司への報告もありますれば……」


「では玄関までお送り致しましょう」


ベルガも立ち上がった。アーガスに対して「それでは誠に失礼とは存じますが」と挨拶をする。

アーガスも「オーガス中尉。本日は突然押し掛けて色々面倒をお掛けした。お許しあれ」と応じる。


 再度タレンと共に少将閣下に室内礼を行ってから、二人は応接室から廊下に出た。そのまま一階出口への階段を目指す。


歩き始めてからベルガは早速タレンに尋ねた。


「主任殿。ヘンリッシュ殿との接見を課長殿に具申されたのですか?」


「まぁな……。あのエンダ中尉の話が出た際にこれはいっその事この場所で面談させてしまった方が彼にとって安全だと思ったのさ」


「やはりエンダ中尉は『ネル家の手の者』であると?」


「うむ。状況証拠はある。課長殿の部屋でエンダ中尉の経歴を確認させて貰ったが、彼はやはりこの憲兵本部に来る前は第四師団付だった」


「むぅ……やはりそうでしたか……。彼は確か……一昨年の今頃でしたかね。この本部へ転入してきまして。その後すぐに士官学校常駐憲兵に配属されたのですよ」


「どうやらそのようだな。本人の自薦もあったのだが、軍務省の内部からも彼を名指しで推薦した者が居るらしい」


「な、なんですって!?」


「そりゃ驚くわな。私だって驚いた。まさか軍務省の内部にもあの少将閣下のシンパが居るとは思わなかった。どうやらあの閣下は既にこの王都で相当に枝を伸ばしているらしい。

最終的な目標は……西部方面軍を軍閥化させて自ら……いや自身の家で思い通りに操ることだろう。大貴族が政府機関を私物化しているのに似ている」


タレンは吐き捨てるように言った。


「私が士官学校の中で聞いたのは、あの姉の方……彼女は初の女性による軍務卿就任を目指していたそうだ。姉を軍務省に送り込んで内部からコントロールし、弟を自らの後継者として西部方面軍を掌握させるつもりなのだろう。

あの家は少将閣下のお父上も中将にまで進級されていらっしゃるからな。現在のところ二代続けて将官を輩出している。将来有望……だった娘がそれに続けば三代に渡る勲爵士輩出……娘の代で准男爵へ陞爵して以後は世襲貴族として『御家は安泰』さ。

もちろん……自分の家による軍閥となった西部方面軍を率いてな……」


「な、なるほど……」


ベルガはあの少将閣下に対する印象が急激に怪物じみてくるのを感じた。


「そんな下らない野心を持った将官が、たかが『一人の士官学校生』によって計画を狂わされているのだ。このままでは自力でヘンリッシュの存在を調べ上げた『手の者』がどんな卑怯な手を使って彼の口を封じ込めに行くか知れたもんじゃない」


「あっ……だから急にあの方と面談させる方向に持って行ったわけですか」


「そうだな。あの離席中に課長殿の部屋を訪れてな。手短に状況を説明したところ、課長殿も理解してくれたようだ」


タレンは苦笑した。


「しかしいくら何でも……大丈夫でしょうか」


「どうだろうな。私はこれが今回一番の『最善策』だと思っている。しかし問題は残っている。それも特大のな」


「な、なんでしょう……?」


「私からの話を聞いて、『あのヘンリッシュ』がどう思うかだ。彼は相手が少将閣下だろうが気にしないだろう。

そして恐らくだが……少将閣下が短慮を起こしてあの青年に手を出した時……彼の家はとてつもない『しっぺ返し』……それこそ父親すらも返り討ちになる気がするのさ」


そう言うとタレンは大笑いし始めた。


(あのヘンリッシュだって得体の知れない男だ……今回の件で普段は見れない彼の「別の顔」が見れるかもしれないぞ……)


 タレンはいつの間にかこの状況を楽しんでいる自分に気付いて驚くのであった。

【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ


タレン・マーズ

35歳。マーズ子爵家当主で王国陸軍大尉。ジヨーム・ヴァルフェリウスの次男。母はエルダ。

士官学校卒業後、マーズ子爵家の一人娘と結婚して子爵家に養子入りし、後に家督を相続して子爵となる。

主人公の士官学校入学と同じくして一回生主任教官として士官学校へ赴任となる。

実戦経験者としてヨーグからの要請を奇貨とし、白兵戦技授業の改革を思い付く。


ベルガ・オーガス

30歳。軍務省憲兵本部所属の王都第三憲兵隊長。陸軍中尉。

元北部方面軍第一師団所属でタレンの元部下。騎兵隊の小隊長であったが、乗馬の転倒事故の際に右足が馬体の下敷きとなって騎乗が困難となった為、上司であったタレンの計らいで憲兵へ転属。

ネル姉弟に襲撃を受けた主人公からの告訴を受けて公訴状の作成を担当する。

憲兵に転身した原因でもあった後遺症の残る右足の古傷を治療して貰い完治した事を契機に主人公に対して下にも置かない態度で接する。


フォウラ・ネル

17歳。王立士官学校三回生。(陸軍)軍務科。二回生修了時点で陸軍科首席。学生自治会長。

学生の間では「自治会の女傑」として恐れられる。

弟に起きた「不幸な事故」が原因で逆上し主人公を急襲するが返り討ちに遭い、殺人未遂の現行犯で憲兵隊に拘束される。


ダンドー・ネル

17歳。王立士官学校三回生。陸軍科三組。一回生修了時の席次は78位。学生自治会所属。

自治会長フォウラ・ネルの弟。身長190センチ強、体重120キロ以上と言われる巨漢。学年の席次は低いが姉の護衛役として自治会に所属している。

「不幸な事故」によって左手を主人公に潰され、更に制圧された姉を見て逆上し主人公に襲い掛かるも姉同様に返り討ちに遭って殺人未遂の現行犯で憲兵隊に拘束される。


サムス・エラ

45歳。軍務省憲兵本部憲兵課長。陸軍中佐。

王都において実質的に憲兵の実働を采配する軍務官僚でベルガの直接の上司に当たる。タレンからの進言を受けてアーガスを抑え込みに掛かる


アーガス・ネル

49歳。王国西部方面軍第四師団長。陸軍少将。3017年度士官学校陸軍歩兵科卒業。首席で金時計授受者。勲爵士。

フォウラ、ダンドー姉弟の父。娘達の憲兵隊拘束の急報を受けて任地から職務を放り投げて上京する。

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