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黒き賢者の血脈  作者: うずめ
第三章 王立士官学校
56/129

錬金導師

【作中の表記につきまして】


物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。

・距離や長さの表現はメートル法

・重量はキログラム(メートル)法


また、時間の長さも現実世界のものとしております。

・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日 


但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。

・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年

・4年に1回、閏年として12月31日を導入


作中世界で出回っている貨幣は三種類で

・主要通貨は銀貨

・補助貨幣として金貨と銅貨が存在

・銅貨1000枚=銀貨10枚=金貨1枚


平均的な物価の指標としては

・一般的な労働者階級の日収が銀貨2枚程度。年収換算で金貨60枚前後。

・平均的な外食での一人前の価格が銅貨20枚。屋台の売り物が銅貨10枚前後。


以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくお願いします。

 ルゥテウスがキャンプの藍玉堂に帰ると、一階の作業場にはサナが来ていてノンの弟子である三人娘と共に何やら薬品の中間処理をしていた。


「店主様、お帰りなさいませ」


サナは地下から上がってきたルゥテウスに気付いて挨拶をしてきた。


「お帰りなさいっ!」

「あっ!おっかえりいいっ!」

「よくぞっ!よくぞっ!帰られたっ!」


 三人娘は午後になってもそのテンションは変わらない……と言うよりも日中は怖い師に見張られながら、課業をこなしているだけなので疲労はそれ程感じて無いのだろう。

彼女達は12歳の時に尊敬する女薬剤師であるノンに弟子入りを許されてから、毎日が楽しくて仕方が無いらしく、その日常には屈託などまるで感じられない。

若く美しい師に毎日怒られ呆れられながらもしっかりと薬学知識は吸収しているようだ。


「うむ。ただいま。サナはもう来ていたのか」


「はい。あちらの店はもう終わっておりますので」


サクロにある藍玉堂本店は既に現地時間の18時に店を閉めており、サナは夕飯を食べてからキャンプに転送陣で飛んできた。

サナがやって来た頃のキャンプは時差の関係でまだ14時前であったのだ。


「ノンはどうした?」


「ノン様は、二階で姉様と新作の香水についてお話をしているようです」


「姉様……?サビオネか?」


「はい。『香りの調合』について姉様がご相談したいと、一緒にこちらに渡って来ております」


「なるほど。そういうことか」


 サナの兄であるキッタの妻となったサビオネは、その後も夫が監督する藍玉堂の工場で働いているのだが、数年前からノンと共同で香水の製作を始めていた。

サビオネの役割は工場に勤める女性達から「どんな香りが好きか」という意見を集めて、その香りについて具体的な案をノンに持って来る。

彼女はそういう「皆の好きな香り」を具体的に説明できるという特殊な才能に目覚めていて、それをノンに説明し実際の香料調整をノンが行うことでサンプルを作り上げる。


近年はこのコンビによって作られた香水がサクロの女性に大人気となっており、量産品の一部は領都オーデルやドレフェス、アッタスにある藍玉堂の支店でも売り出され、ドレフェスでも爆発的な流行となった物さえある。


サビオネが相談にやって来ると、香料の調合試験は二階で行われるようになった。

一階の作業場では他の薬材や作業で生じた臭いによって香りが解らなくなってしまうからだ。


「まぁ、精がでるな……。俺は香水なんぞに興味が無いから奴らがあれ程の情熱を傾けているのが不思議でならんが」


ルゥテウスが苦笑すると


「香水なんて私も最初は何に使うのかと思ってましたが……今ではあちらの国中の女性が欲しがっておりますね」


錬金術使用時の集中力を削ぎたく無いので自身は香水を使わないサナが香水ブームを店主に説明する。

夫のソンマも同様の理由で香水を錬金部屋に持ち込まないように妻へ申し渡している。


 大半の難民達がまだキャンプで暮らしていた頃、香水などという贅沢品は彼らの生活とは無縁の物であったが、ノンが薬学を学ぶ過程でアリシアのノートに書かれていた石鹸を自作した際、その製作レシピに載っていた「香り付けの香料」という項目が、この「香りブーム」の契機となった。


その後、アリシアのノートの中から探し出したレシピ通りに香料を自作したノンがその効果に驚いて石鹸に練り込み、これを量産化する為に工場に持ち込んだ時に生産を担当する事になったのが、当時はまだキッタ工場長と結ばれる前のサビオネであった。


サビオネ自身も素朴な生活を送る旧サクロ村出身だっただけに、「香りの良い石鹸」……そもそも石鹸すら人生で初めて見たわけだが、その香りに魅了されてしまい……以降は香料を取り扱う製品の量産と普及に情熱を傾ける事になった。


 ルゥテウスが二階に上がって行くと、ノンとサビオネの二人はコンロが置かれている場所で窓を開け放って何か作業をしていた。

窓が開いてはいるが、部屋には様々な匂いが混ざった状態で立ち込めていて、一体どんな香りを作ろうとしているか全く想像が出来ない。


「凄い臭いだな……」


ルゥテウスが顔を顰めながら声を上げると、その声に驚いた二人が振り返り


「あっ……お帰りなさいませ」

「お、お邪魔しております。店主様」


とそれぞれ挨拶をしてきた。


「お前達、この状況で自分達の作業進捗が把握出来ているのか……?」


ルゥテウスが苦笑を浮かべると


「はい……先程漸く候補が三つにまで絞れたのですが……使用する薬材が全く違うので嗅ぎ比べているうちに……匂いが混ざってしまいまして……」


 ノンも困惑気味になっている。どうやらいつもより候補の選定に紛糾してしまい、何度も嗅ぎ比べて二人で検討しているうちに収拾がつかなくなったようだ。

コンロの横の作業台には、彼女が書いた香料調合の薬材とその調合式が幾つか記された紙が置かれている。


「て、店主様はこの三つのうち……どれがお好みですか!?」


サビオネが香料が入っている三つの小皿を盆に乗せてルゥテウスの前に差し出して来た。その目は真剣で情熱を感じる。


「え……?俺の……?」


ルゥテウスは多少その目に引き気味になりながら盆の上に載った小皿を順に鼻先に近付けて


「うーん……どれも同じように思えるがなぁ……」


小皿を盆に戻して感想を述べると


「ど、どこが同じなのですか!?全く違いますよっ!もう一度っ!もう一度比べてみて下さい!」


敏腕香水プロデューサーが険しい顔で詰め寄って来た。ルゥテウスは困惑しながらも再度小皿の中の液体を順に嗅ぎ比べてみたが、やはり良く解らず


「うーん……済まんが『これ』と言うのは……俺はそもそも香水には興味が……」


「んっもうっ!全くっ!そんな事ではノン様がお気の毒ですわっ!」


いきなり憤慨し始めたサビオネを


「さ、サビオネさん。そんな……別に怒ることじゃ無いでしょう」


と、ノンが狼狽しながら宥める。


「ひとまず、候補がその三つまで絞れているのだろう?そしてそこから一つに選び切れないと。つまり三者三様で良い所も悪い所もあるのではないか?ならば三つ共量産化して同時に売り出せばいいではないか」


 ルゥテウスが多少焦りながら、妥協案を提示するとサビオネは少し考え込む素振りを見せ


「なるほど……この三つ……それぞれ個性があって優劣付け難い。それならいっそ三つを同時に売り出せば……なるほどっ!」


サビオネは急に満面の笑顔になり


「流石は店主様ですわっ!別に最初から一つに絞らなくても良かったのです。そうですわ……異なる三種類の物を同時に売り出す事で、消費者に選んで貰えばいいのですねっ!」


何やら熱を帯びたような目で納得の声を上げて


「ノン様っ!このまま三つで進めましょう。私は早速これを持ち帰って試験生産してみますわっ!」


ノンは慌てて


「で、では……この調合書を清書しますから……」


大机の椅子に座って三つの香料の調合式を三枚の紙に書き写し


「これが……これで」


とそれぞれの小皿と一緒に置いて


「このような感じでいいですか?」


とサビオネに聞くと


「ありがとうございますっ!それではもうサクロも遅い時間なので私は失礼しますっ!」


 サビオネは店主に頭を下げて挨拶すると、小皿を盆に載せたまま調合書を持って階下に降りて行った。下でどうやら三人娘に捕まったようで何かギャアギャア騒がしくなっている。


「済みません……お騒がせしまして……」


謝罪するノンに


「いや……別にお前が謝る事ではないだろ。あいつの『香り』への情熱が異常なだけだ」


苦笑を浮かべっぱなしのルゥテウスが応えると


「サビオネさん……普段は凄く落ち着いた人なのに……香水の話になると急に人が変わるのです」


「ふむ。以前も工場長がボヤいていたな」


どうやら夫であるキッタも辟易しているらしい。


「ところで……今日は大丈夫でしたか?また襲われたりは……」


 ノンはそれだけが心配だったらしい。今はその美しい顔に不安な表情が浮かんでいる。


「あぁ、今日は大丈夫だった。ただ……」


「ただ……?」


「あの学校は軍指揮官の教育機関としては程度が低過ぎるな。あんな教育を数百年続けているのだとしたら、もし戦争になっても全く役に立たなさそうだ」


ルゥテウスはお粗末過ぎる白兵戦技の授業を思い出して、呆れ気味に語った。


「え……?でもまだ軍人さんにはなってない人を育てる学校なのでしょう?ならばまだその……修行中なだけなのでは……?下に居るあの娘達のように……」


「いや……まぁ確かにお前の言う通りだが、あの娘達は今はあんなでも……やがては知識と技術をお前から受け継いで一人前の薬剤師として人々の役に立つだろう?」


「えぇ……まぁ。少なくとも私はそのつもりで彼女達に教えておりますが……」


「あの娘達にとっては、師であるお前に確かな腕があるから、そこをしっかりと伝えることで将来の見込みがあるわけだ。

実際お前の実力はもう俺が見ても凡そ並び立つ者は居ないだろう」


ルゥテウスから手放しの賞賛を受けてノンは顔を赤らめた。


「だから、あのやかましい三人娘にだって将来の見込みはあるわけだ。師であるお前に対する評価があるからな」


「しかしあの学校においては教員の質が悪過ぎる。質が悪いんじゃないな……この王国の社会が戦争という『生命の奪い合い』に対する認識が甘すぎるんだ。

一部前線で頑張っている者達が生命で贖いながら得ている経験を全く生かせていない」


店主の評価は辛辣である。


「そ……そんなに酷いのですか?」


「まぁ、これは何百年にも渡って蓄積された負の弊害だろう。俺も昔ロダルを鍛えた時には確かに一対一を意識した内容で彼を鍛えたが、それは自警団を結成するに当たって暗殺技能しか持たなかった彼に正面から敵と対峙するというそれまでの教えから反する状況に対しての考え方に立って貰うのが目的だった」


「彼は見事にそれを克服して旧サクロ村を滅ぼした盗賊団の長……後から聞いた話では周辺蛮族の族長一族の生き残りだったらしいが……を奇襲とは言えちゃんと撃ち合って倒している。

そしてその後はトーンズ国軍を率いて何度も白兵戦を体験しているしな。今では後進の指揮官もしっかりと育てている。

彼は見事に軍人として成長し切ったと言える。しかも29歳からその道に入って僅か10年足らずの間にだ」


1000人のキャンプ自警団としてスタートしたトーンズ国防軍は、今や10000人を超えている。

いずれも職業軍人で、歩兵2000人、騎兵2000人、弓兵3000人、工兵1000人という構成だ。


 トーンズ国防軍がレインズ王国軍を含めた他の世界各国の軍隊と違うところは、「工兵」という戦争工務に特化した部隊を所有しており、戦地においてこれまでの常識とは一線を画す短期間での堅牢な城塞建築や軍用道路の整備を実現している。

また、これとは別に輸送に特化した部隊も2000人抱えているので、周辺の蛮族が支配する未開な小国ではトーンズの領土を寸土たりとも侵すことは出来なくなっていた。


勿論、その作戦行動実施には国防軍とは違う組織編制で存在している《青の子》という情報部隊の存在が強力にサポートしている事は言うまでも無い。


装備も王国軍を超える最新鋭の物を使っており、訓練方法も同様に世界の最先端を行く精鋭部隊だ。

そして何より、彼らはエスター大陸では唯一と言っても良い「決して略奪をしない軍隊」なのである。


そこまでの軍隊を作り上げるのに、勿論ルゥテウスも協力はしたが、実質的にはロダルだけで兵を鍛え上げたと言っても良い。

今の彼は直接指揮は後進の者達に任せて、自身は次世代の兵器や戦闘教義(ドクトリン)の研究を続けている。


「まぁ、あの学校の実戦訓練がどうなろうと俺の知った事では無い。何しろ俺はこの国の軍隊に入るつもりは一切無いからな。

建国からここまでの3000年、まともな外敵らしい外敵も現われぬままに北の不満分子だけを相手にして来たんだ。

そしてそれも450年前に領土ごと切り離しちまっているんだから、あのような道場武術に白兵戦技が侵食されていようが問題無いのだろう」


 ルゥテウスにとって士官学校にわざわざ通う理由は艦船の運用術習得と戸籍の履歴獲得だけであり、彼から見たスッカスカな実戦訓練や学科授業などどうでもいい事であった。


「さて。お前の修養だが……」


「あ、はい」


「お前は昨晩やっていた、あの魔素を棒で集める訓練。自分ではどのようなイメージでやっていたのだ?」


 突然、店主から話題を変えられて問われたノンは


「どう……とは……?」


と、少し困惑気味に応えた。


「いや、お前が棒で魔素を集めている姿を見て思ったのだが、お前は魔素を棒で操っている時……特に何も自意識を制御している様子が見えなかったのでな」


「じ……じいしき……?」


「そうだ。お前も以前に少しくらい聞いたのでは無いかと思うが、魔術師や錬金術師は、マナを制御する際に、その感覚を自分の意識の中に没入させる為に『詠唱』やら『魔導具を使った誘導』……つまり昨晩のように杖や棒などを使って『目当て』を付けたりするものなんだ。

ソンマ店長やサナが錬金術を使う際も何やら独自の詠唱を使用しているのを俺は何度も見ている」


「そうなのですか?」


 これまで実際に目の前でソンマやサナが錬金術で作業する様子を見た事が無いノンにはあまり馴染みの無い話で、彼女にとって「魔法が使われる」というのは目の前に居る自身の主が特に何も口ずさむこと無く、ちょっと手を振ったりしながら魔導を操る光景しか見た事が無かった。


なのでノンにとっては詠唱だの杖による誘導だのと言われても、いまいちピンと来ないのだ。


「お前だって棒を使って魔素の塊を動かしていたのだろう?ならばそれに加えて『こっちに来い』とか『そのまま、そのまま』とか口で言いながらやった方が捗るのではないか?」


「そうでしょうか……私は昨日、ルゥテウス様から教えて頂きながらあの……『魔素』でしたっけ?

あれを動かしておりましたが、多分……あの棒もあまりその……意味が無かったのではないかと……」


「ん?どういう事だ?」


「私は実際……棒であの塊を動かしていたのでは無く、心の中で『こっちに行って』とか『これとくっ付きなさい』という感じでお願いしながら……念話を使うようにすると塊がその通りに動いていたものですから……」


「何だと!?」


 ノンが何か難しそうに自分の感覚を説明する内容を聞いてルゥテウスは仰天した。


「つまりお前は……あの時は棒を使っていなかったのか?」


「すみません。実は最初のご説明に従って棒を使ってみたのですが却って上手く行かなくて……でも、心の中で念じながらやると上手く動き始めたので……」


「で、では……何で棒をずっと使っていたのだ?」


「はい……最初にルゥテウス様からご説明頂いた事なので、私は逆に棒で操れるようにならないといけないと思いまして……ずっと棒を使うつもりで練習を……」


ノンは申し訳ないという顔で白状するように言った。


「いやいやいやいや。お前、それは逆だぞ……」


ルゥテウスは呆れるように言った。


「俺がお前に棒を使って魔素を操るように説明したのは、何も経験の無いお前だから、その方が簡単に出来るだろうと思ったからだ。

逆だ逆!そうやって自分の感覚だけで動かせるなら棒だの詠唱なんていらねぇよ!」


「そ、そういう事でしたか……済みません……何か無駄にお手数をお掛けしたようで……」


美しい顔に明らかな困惑を浮かべてノンは謝罪した。


「いや……謝る事では無いんだ。寧ろ……うーん。つまりお前は詠唱や魔導具は不要なのか……?」


 今……藍玉堂の二階はルゥテウスとノンしか居ない。ルゥテウスはその場で結界を張った。この二階の大部屋の一角に即席で練習場を造ったのだ。


ノンはこの様子に驚きながら


「ど、どうされたのですか?」


「いや、お前がさっき話した事を……ちょっと実際に見せて欲しくてな」


そう言うと、ルゥテウスは机の上に小石大の魔素の塊を十個程作り出し、更にそれぞれに色を付けた。


「まぁ……綺麗ですね。これも魔素ですか?」


「そうだ。解り易くするために色を付けた。これを使ってみよう」


「はい。ではどのようにすれば?」


「よし。では赤の塊を青の塊まで動かして一纏めにしてみろ。

……うーん。そうだな。纏めた後の塊の色は青になるようにしてみようか。それを棒を使わずにやってみろ」


「え……はい。やってみます」


 ノンはそう言うと、赤い魔素の塊に視線を移し、何やら念じるように見つめ続けた。

すると赤の塊が、他の色の塊の間を這うように避けながら青い塊に向かって動き始めた。

ルゥテウスは驚きの目でそれを見守る。


やがて赤い塊は青い塊とくっ付いて消えてしまった。そして赤の塊の分だけ体積を増したように見える青い塊だけが残った。


「ふぅ……」


ノンは軽く息を吐いた。額には少し汗が浮き上がっている。この間、わずか五秒程である。


「お前……」


ルゥテウスが言葉を失っている。ノンから魔素が見えると告白されてから、ノンの才能に対して彼は驚きっぱなしだ。


「ど、どうでしょうか……?恐らくルゥテウス様が仰られた通りに出来たとは思うのですが……」


ノンが不安そうに顔を上げて主に報告する。


「俺から見て……お前が何か能動的に魔素を制御している様子は見受けられなかった……いや、俺には未だにお前の中にそれを行える『素養』が感じられないのだ……」


「え……ではやはり私には魔法は使えないと……?」


「いや、違う。そうじゃない。お前は現にこうして魔素を制御できている。しかも恐らくだが俺以外の……ソンマ店長達のような一般的な魔術師や錬金術師が言うところの『無詠唱』でお前はそれを行っている。ちょっと前例が無いんだ。俺の記憶の中にも、お前のような特徴を持った『遣い手』は居ないのでな」


不安を口にするノンに対して苦笑しながらルゥテウスは答えた。


「よし。もうちょっと具体的な方法でやってみよう」


 そう言うと、ルゥテウスは右手を振って机の上に小さなロウソクを二本立てた。そして更に片方に火を灯した。

更に右手を振って付け木となりそうな細長い木片を取り出してノンに渡した。


「よし。まずはその木を使って、こっちのロウソクに点いている火をもう一本のロウソクに移してみろ」


「え……?あ、はい」


ノンは火が点いているロウソクに付け木を近付けて、木に火を移すとそのまま隣のロウソクにその火を移した。

ノンに火を灯されたロウソクの先端は赤々と燃え始めて結界の中に居る二人の間を少し明るくした。


「これで……よろしいでしょうか?」


ノンは自分が何の為にこのような事をさせられているのか理解出来ていない。ロウソクからロウソクに火を移すのはそれこそ5歳の幼児でも出来る。


ルゥテウスは最初から火が灯っていた方のロウソクの火を吹き消して


「よし。今度は逆だ。同じようにこっちの火を隣に移してみろ」


「は、はい……」


 言われるがままにノンは火を移した。何が何だかさっぱり解らないという表情で、首を傾げながらである。


「これでよろしいのですか?」


「うむ。いいぞ。よし……今、ロウソクからロウソクへ『火を移した』という感覚は覚えたな?」


「え……?はい……火を移しました」


ルゥテウスはまた一本のロウソクだけ火を吹き消して


「よし。いよいよ実践だ。今、お前は……

『片方の火が点いたロウソクから付け木に火を移して、その付け木に点いた火を使ってもう一本のロウソクに火を点けた』

……という行動を採った。そして今、再び一本だけロウソクに火が灯っている。今度はこの火を付け木を使わずに隣のロウソクに移すのだ」


「え……?どういう事ですか……?どうやって……?」


主の指示する事が理解できずにノンは混乱した。


「お前は既に火が移る様子を見て、そして自分自身で火を移す体験をした。そのイメージを持ったまま魔素を操作するんだ。

やり方はいくらでもある。魔素が火に変わるイメージ……そしてその火が隣のロウソクに点くイメージ……今点いている火を見ろ……魔素が……火に変わって……隣のロウソクに……想像しろ……そしてそうなるように魔素が動いて行く……」


 ノンはルゥテウスの言われるがままにロウソクの火をまず見てその後、隣のロウソクの先端を見つめた。

ノンの目の前で魔素が火に変わって行くように見える……しかしルゥテウスにはそれが見えない。

あくまでもノンの頭の中……イメージの中でそうなっているからだ。


ノンには感じられなかったが、数分の時が流れた。ロウソクには火が点いていない。

ノンは必死になって自分のイメージの中で魔素から変化させた火を隣のロウソクに点けようとしたが上手く出来なかった。


不意に集中が途切れて、「ふぅぅ」と息を吐き出すと点いていた方のロウソクの火も消えてしまった。


主からの指示に沿うことが出来ず、泣きそうな顔になったノンが


「す、済みません……火……火は出来ていたのに……」


と力無く言葉を発すると


「そうか。火は点かなかったんだな?」


ルゥテウスは確認するように言った。


「はい……仰られたように魔素……が火に変わるように想像して……実際に火になったように見えたのです。

でも……どうしてもその火がロウソクに点いてくれなくて……」


「ふむ。そういう事か」


 ノンは主の期待に応えられず、また自分には魔法は使えないのかと絶望感すら持っているのに、ルゥテウスの態度は特に何か失望したようでは無く、寧ろ淡々としている。


「あの……やっぱり私には無理なのでしょうか……」


しょんぼりしたノンが尋ねると


「ん……?あ、いや違う。違うぞノン。むしろ逆だ」


「逆……?」


「あぁ、今やっていた事は俺なりに確認をしたかっただけなんだ。

つまりお前には俺が見込んだ通り『投射力が全く無い』という事であって、寧ろ『火に変わったように見えた』というお前の言葉通りならば実験は成功だ」


ルゥテウスは笑い出した。ノンにはその笑いの意味が全く理解出来無い。


「つまりお前は、今初めて魔素の変質と投影に成功したのだ。まだ二日目なのにな……そこのところだけは俺にも信じられないのだが……」


「え……?」


「お前は今、恐らくだが『火を作り出す』事には成功していたんだ。しかしお前にはいかんせん投射力が全く無い。だから作り出した火をロウソクの先に『投射出来無かった』のだ」


「ど、どういう事なのですか?」


「ふむ。これを見ろ」


ルゥテウスがノンが消してしまったロウソクに再び火を灯した。


「今俺は、消えてしまったロウソクの先端にまた火を灯したな?」


「はい……。今のは魔法ですよね?」


「そうだ。魔法……俺のは魔導だな。俺が火を点けた方法は、今のお前がやっていた事と同じだ。

目の前の魔素から火を作って、それをロウソクの先端に点ける。『火を作り出した』というところまではお前と同じ事をしているんだ」


「え?そうなのですか?」


「そうだ。火を作り出したところまではお前と同じだが……俺はお前と違ってその火をロウソクの先端に点ける……つまり『投射する』事が出来たわけだ」


「しかし、お前には投射力が無いからそれが出来ない。ならばどうする?」


ルゥテウスは何故かニヤニヤしている。


「ど、どうしましょうか……?」


主の質問に釣られるようにノンが逆に尋ねると


「いやいや。聞いているのは俺の方なのだが……まぁ、ここはしょうがねぇか」


再びルゥテウスが笑い出す。


「投射が出来ないお前が、その作り出した火を現実化させる為には、『物の中に火を作り出す』しか無いわけだ。

つまり、火そのものを作り出すのでは無く、物の中に『火が点くように変質した魔素を仕込む』つまり投影するわけだ」


「……?」


 最早ノンの頭の中はパンクしそうだ。彼女は今、本来ならば生まれ付いた感覚(センス)によって理解出来てしまう魔導師の脳内動作を、全くその素養が無い「普通の人」の感覚で理解しよう……いやさせられている。理解出来無くて当然なのだ。


しかし、ここがノンにとっては正念場なのである。この感覚を、仕組みを理論的にでも理解できないと、彼女の魔素が見えるという能力はただの『そういう特技』だけで終わってしまう。


普通の人間、素養の無い人間として彼女の中には投射力が存在していない事だけはもう確定しているのだ。

しかし彼女はそれでも先程、魔素を見事に制御して自分の中で「ロウソクの火」として変質させる事には成功したのである。

それを「現実の火」として投射出来無いのであれば、残った手段はその火に変質させた状態として何か「別の物」に「投影」するしか無いのである。


ルゥテウスは先程火を移すのに使った付け木である小さな木片を示して


「よし。それでは今度はちょっと違う方向からやってみるぞ。その付け木を持て」


「はい……」


 最早ノンの顔には不安しか無い。一度火を点けるのに失敗している分、彼女は自分のの能力に見切りを付け始めている。


「大切なのはイメージだ……いいかノン。ロウソクに火を点けるのはその付け木だ。今度は……

『今点いているロウソクの火をこの付け木を使って隣のロウソクに火を点ける。この付け木には既にロウソクの火が込められていて、いつでもその隣のロウソクに火を点けられる』

……このイメージを頭の中で作るのだ。そして魔素を使って『そうなる』という風に念じてみろ……付け木に火がいつでも点けられる力を与えるイメージだ……付け木だけあればいつでも火を……」


まるで催眠術のようにゆっくりとルゥテウスは言葉を紡ぐ。ノンはそれを聞きながら今度は目を閉じて念じる。


(こっちで点いている火は……もうこの木に移っていて……この火が無くても木だけあれば……隣のロウソクに火が点く……火が点く……)


暫くそのまま目を閉じて、瞼の向う側で漂っている魔素が付け木に火を点ける力が宿るように念じる。

ノンは再び額に汗を浮かべながら目を閉じて念じ続けた。


「おいっ!ノンっ!」


ルゥテウスのいつもとは違う調子の声を聞いて、ハッと目を開けたノンの前には、手に握られた付け木となる木の破片があり……しかしその付け木の色は何故か火と同じような色をしていた。


「これは……上手く行ったかもしれんな。ちょっと貸してみろ」


「え……はい」


 ノンはルゥテウスにその不思議な火の色に染まった木片を渡した。それを手に取ったルゥテウスは丹念に観察しながら


「うむ。込められている。この付け木には火の力が籠っているぞ。やるなノン!」


ルゥテウスはまた笑い出した。ノンはまたもや意味が解らず


「ど、どういう事なのですか……?火が籠る……?」


首を傾げるノンに見せるかのように、ルゥテウスがその「木」を消えているロウソクの方にかざして、少し念じるとロウソクに火が灯った。


ノンが不思議そうにそれを見ていると


「解ったか?俺は今魔導は使ってないぞ」


とニヤニヤするルゥテウスに


「え?それはどういう……?」


「解らないか?今、このロウソクに火が点いたのは、お前が作ったこの「木」に宿る火が移ったのだ。つまりお前はたった今、この『木』に『火』を込める事に成功したんだ」


説明を聞いて尚もキョトンとしているノンに


「うーん。俺がやっても説得力が無いか。しょうがねぇ。下に降りるぞ」


笑い続けるルゥテウスは、右手を振って結界を解き椅子から立ち上がって階段に向かった。ノンも慌てて後に続く。


 一階ではまだ営業中である薬屋の作業場にサナと赤の民の双子、そして相変わらず薬材の中間処理の課業を続けている三人娘が居て、二階から下りて来た二人を見るや


「あれ?上で何をされていたのですか?」


とサナが尋ねると、三人娘のパテルも


「先生っ!おやつっ!さっき持って来てくれたっ!食べてもいいですかっ?」


どうやら、菓子工場からオヤツが届けられたらしく、彼女はそれが入った箱を頭の上に掲げながらクルクルと回って踊っている。隣で一緒に踊るモニも「今っ!今っ!今食わねばいつ食うのだっ!」と騒がしい。


「そ、そう……じゃ手をちゃんと洗って食べなさい」


階段を降りて来た先生はちょっと当惑気味だ。二階で何かあったのか。


「お前ら、それを食う前に実験をやるぞ」


店主がニヤニヤしながら言うと


「何っ!?店主様っ!何の実験!?」


エヌが興味津々に尋ねる。


「お前はその鍋を掻き回していろ。焦がすんじゃねぇぞ」


店主に命じられて「ほーいっ」と壁際のコンロで鍋の中身を温め続けている。


「お。丁度いい物があるな」


ルゥテウスは作業机の上に置いてあったアルコールランプの蓋を外すと


「よしモニ。こっちに来い」


「小生にっ!何用ですかっ!?」


 相変わらずどこで覚えてくるのか判らない珍奇な言葉遣いで寄って来たモニに、ルゥテウスは先程ノンが作った火の色をした木片を渡して、「何っ!?この色っ!かっこいいっ!」と騒ぐパテルを無視しながら


「モニ、その木をそこのランプに近付けて『火が点け』と念じてみろ」


「合点ですっ!」


モニが木片をアルコールランプの燃芯に近付けて暫くすると……ランプの先端に火が点いた。


その様子を見た一同は驚いている。それを作ったノンですら驚いている。


「サナ。今、火が点いた瞬間……お前は何か感じたか?」


「な、何かとは?」


サナは状況がよく飲み込めていないのか、首を傾げながら聞き返してきた。


「何か……そうだな……魔法が働いたとでも言うような感覚だ」


「い、いえ……私には特に……」


「ふむ、そうか……やはり俺の推測は正しいようだな」


 ルゥテウスは火が点いているランプに蓋を被せて消火させると、モニが握っている付け木を眺めた。


「あっ!これっ!色が……あれ……?普通の木だ……」


モニも自分の持っている木を眺めて、その変容を口にした。


「ふむ。効果は……俺が使ったのを含めて二回か。まぁ最初はそんなもんか」


「ど、どういう事なのです?」


サナがまだ事情が分からないという顔で尋ねる。

ルゥテウスの後ろに居るノンも事態が解らないとでも言うような顔をしており、先程まで二階で一緒に居たはずの彼女の反応も余計にその状況把握を鈍らせる原因となっている。


「さて。今起きた事。そしてこれから話す事は一切他言無用だ。まぁそうだな……事情をある程度は知っているお前の夫には話しても良いが、ちゃんと口止めをしておけよ?分かったか?」


「は……はい。承知しました」


サナは店主の言い方がいつもと違う雰囲気を持っているので緊張の面持ちで応じた。


「お前らもだ。いいか?約束できないのであれば二階に行っていろ。聞く事は許さん」


何時に無い店主の厳しさに三人娘も流石に緊張して「はいっ」としっかり応える。


「それでは説明しよう。今、モニが持っていた……今はもう普通の木片に戻っているが、さっきの『火の色』をしていた木片は、つい先程ノンが初めて作り出した付術品……術式封入品だ」


彼以外の者……サナを含めて一同は店主の発した言葉の意味を理解しかねている。あの付け木にロウソクの火を込めた当人であるノンですら眉間に眉を寄せて考え込んでいる。


 やがてその意味を他の者より早く理解して驚愕の表情を浮かべたのは、やはり自身が上級錬金術師級の力を持ったサナであった。


「えっ……つまり……ノン様は錬金術を使われたと……?」


サナの「錬金術を使った」という言葉を聞いてノン本人が仰天する。


「えっ!?わ、私がですか!?」


 他の者達……赤の民の双子や三人娘には「錬金術」と聞いても、その意味をそのまますぐに理解する事は出来ないのだろう。

何しろ、双子は素養があると言ってもまだ修養を始めたばかりであるし、ましてや三人娘は薬学を学んではいるが魔法に対しては全くの門外漢である。


「そうだ。ノンは先程、俺の目の前でその木片にロウソクの火を投影させることに成功した。

その付術品を今、モニが可燃物であるアルコールランプの燃芯に対して使用して、火を点ける事に成功したというわけだ」


ルゥテウスの説明によって、元々は頭の回転が早い三人娘も事情を多少は把握できたのだろう。


「えっ!?先生は魔法を使ったのっ!?」


と鍋の中を掻き回す手を止める事無くエヌが声を上げた。


「いや、魔法……うーん。魔法というか……そうだな。『魔法を使った』のでは無いな。『その付け木に魔法を掛けた』という表現が正しいな」


ルゥテウスは笑いながら説明する。三人娘は再び、「魔法を使った」と「付け木に魔法を掛けた」の違いについて考え込み始めて、静かになった。


「お前達の先生は、そのランプの先端に直接自分で火を点ける事は出来ないんだ。しかし、その代わりにそういう木や他の物に対して『火が点くように』魔法を掛けることは出来る……解るか?」


「あっ!さっきのっ!木の色がかっこ良かったやつですか!?」


オヤツの箱を持ったままのパテルが思い出したように声を上げる。


「そうだ。さっきの色が変わっていたのは、その付け木に『火が点くように』という魔法が掛かっていたからなんだ」


 ルゥテウスは更に双子に目を移して


「いいか。今のような『力』がアトの持つ素養だ。チラの持つ『力』は昨日も俺が見せた、ランプの先に直接『火を点ける』というようなものなのだが、アトの場合は、自分で火を点ける事は難しいのだが、代わりに『火を点ける事が出来る物』を作る事が出来ると言うわけだ」


「えーと……自分では火がつけられないのに?火をつけるものがつくれるのですか?」


アトはやや混乱気味に聞いてきた。


「そうだ。お前がもしランプに火を点けようとするのならば、一度その『火が点けられる物』を自分で作って、それを自分で使う必要がある」


「あの……それでは……あまり意味がないのでは……」


アトはまだ理解出来ていないようだ。


「違うぞ。アト。いいか?『火を点ける物』を作れるという『力』は決して無意味では無い。お前は今、それを自分で目にしたはずだ」


「え……?」


困惑するアトに


「いいか?お前が作る『火を点けられる物』はお前以外でも『使える』のだ。今見ただろう?モニが使ってランプに火を点けた『木』はノンが作った物なんだぞ?

火を起こしていないのに火が点く不思議な木だ。お前は見た事あるか?火を起こさずに済むんだぞ?」


ルゥテウスが笑いながら説明すると、アトも漸くその言葉の意味を理解したのか「あっ!」と声を上げた。


 山に居た頃、テントの中のかまどへ火を起こすようにオバちゃんに頼まれた時に、友達と火起こし競争をして手をマメだらけにした経験を持つ彼は、「念じるだけで火が点く」という不思議な付け木の力を理解して、今更ながらに驚愕していた。


「いいか?『火が点く』という事に関してはどうでもいいんだ。それならチラは直接出来るようになる力を持っているんだからな。

お前の場合は、その『力が宿る』物を作って、他の人でも使えるようにするという事に意味があるんだ。解るか?」


「うん……そうか……。ぼくがもっとべんきょうして今のみたいな木がつくれたら、山のオバちゃんでもすぐに火がつけられるの?」


「そうだな。オバちゃんでもオッちゃんでも点けられるだろうなぁ」


「すごいっ!」


笑うルゥテウスの答えを聞いて、アトは突然叫んだ。隣に居たパテルは驚いてオヤツの入った箱を落としそうになった。


 どうやら、ここに来て漸くアトは自分が持つ「素養」の意味を理解したのである。昨日の地下室でルゥテウスがロウソクに火を点けたのを見せられ、それを「姉が持つ素養」と説明された時は、それが羨ましくて仕方無く……代わりに自分の素養については曖昧に説明されて、実は少しがっかりしていたのだ。


それが今……目の前でその『力』を実際に目にして、その意味を理解した瞬間に彼は自分の持つ可能性を想像して震えが起こった。


「いいか?朝飯の時にも言ったが、その力の事は他言無用だぞ。そうじゃないと怖い人がお前達を攫いに来るからな」


ルゥテウスが真顔に戻って言うと、アトだけで無くチラも


「は、はい」


と震えながら、何度も首を縦に振っている。


「よし。オヤツを食ったらお前達二人はサナ先生と地下で修養を始めていいぞ。サナ、店番を変わってやる」


「あ、はい。ありがとうございます」


「ノンも一緒に行っていいぞ。いいか?さっきの感覚……あれを忘れるな。イメージだ……イメージ。

さっきのような木に対して付与を行うよりも、紙……俺がいつも付与で使うような紙片に向かってやってみろ。その方が扱いが簡単なはずだ。

錬金部屋にはその為の紙片が置いてあるからな。晩飯が終わったら改めて俺がまた指導してやる。まずはさっきの「おさらい」をしてみろ」


「は……はい」


ノンは多少混乱が残ったまま、サナと……オヤツを持った双子に続いて地下に降りて行った。サナはどうやら昨日ルゥテウスがノンに対して行っていた棒を使ったマナ制御を双子に続けさせるつもりらしい。


作業部屋に残ったルゥテウスは


「よし、お前ら。オヤツを食ったらその処理を続けろ。夕飯の鐘が鳴るまでには終わらせろよ」


「は、はーい……」


 滅多に無い店主だけが残った作業部屋で店主直々に命じられた三人娘は、一気に大人しくなってオヤツとして届けられた季節物である栗を潰したパテが塗られたケーキをわざとゆっくり食べるのであった。


****


 夜の鐘が鳴り、藍玉堂の営業が終わると三人娘達はすぐに階段を降りて隣の役場一階にある食堂に行ってしまう。


営業時間の終了は、彼女達への課業終了でもあり以後は翌朝まで自由時間となる。

彼女達は真っ先に隣で夕飯を済ませた後は、各々自室に籠って今日の課業の復習をしたり、自分の好きな本を読みながら過ごす。


彼女達の場合は三人揃うと(かしま)しくなるわけで、各人が自室に入ってしまうと藍玉堂の中は意外な程静かになる。

恐らくは早朝から夕方まで三人で散々にはしゃぐ事で、夕飯後は「燃料切れ」になるのではないかと彼女達の師は推測している。


 彼女達とは違って夕飯は必ず集会所で配給を貰う習慣のあるルゥテウスとノンは今夜も赤の民の双子と、サナを連れて集会所で夕飯を摂った。

集会所の喫食コーナーには王国各地の菓子屋を閉めて帰って来たご婦人方が集まって来ており、滅多に見かける事の無い赤の民の双子を見て


「あらぁ。双子ちゃんね。しかもこんなに真っ赤な肌をして」

「かわいいわねぇ」

「ほら。こちらにお座りなさい。空いているわよ」

「店主様も昔はかわいかったわねぇ」


と、ルゥテウスにまで飛び火しそうな感じになって本人は苦笑していた。


エスター大陸からの難民、もしくはその子孫である彼女達、そして集会所で配膳を行う者達からすると《赤の民》は子供の頃に散々と聞かされた「恐ろしい存在」である。エスター大陸の大きな街では彼らの姿も多少は見る事ができたが、得てして難民になるような者達というのは、辺境の……他国との境界線近くにあるそれほど大きくない町や村で暮らしていた者達が多いのである。


 そしてそのような辺境に住んでいた者達というのは都市部からの情報も入って来ない中で迷信が蔓延る事が多く、《赤の民》に対する「怖い印象」は殊更大きい。

それはキャンプで生まれ育った者達にも口伝えで受け継がれていた為、ノンは当初双子を集会所に連れて行く事に難色を示した。


「この子達を多くの人達の面前に連れて行って大丈夫でしょうか……私も子供の頃に亡くなった母から《赤の民》について散々聞かされていましたから……」


自らはその《赤の民》という組織で事務員までやっていた彼女ですら不安を感じたのである。


「今のこのキャンプで、そんな迷信を本気で信じている奴なんて居るのか?もう連中にとってはそんな迷信がぶっ飛ぶ程の生活をしているんだけどな。

毎日転送陣を使ってこの国中を飛び回っている奴らなんだぞ?」


店主が苦笑すると


「た、確かに……そうですよね。ルゥテウス様がお連れになられるなら彼女達もそれ程不安にはならないでしょうかね」


ノンも漸く合点がいったようで、嘗てルゥテウスにしていたように手を繋いで双子を集会所に連れて行ったのであった。


 集会所に集まる菓子屋の御婦人方から王国内各都市の様子を聞いた後、一行は藍玉堂に戻って、今度はルゥテウスも参加しての地下錬金部屋でノンと双子の修養が始まる。


ノンはあの後、錬金部屋にあった術札を使って「(ロウソクの)火の導符」を4枚作る事に成功していた。木片自体を炎の色に変えていた先程と同様に導符の色は「火の色」をしており、ルゥテウスが作る導符とは違って何も紋様は描かれていなかった。


試験的に作られた四枚の導符をノン以外の四人が一枚ずつ机の上にルゥテウスが出したロウソクに向かって使用し、灯る事を確認して導符自体はちゃんと機能している事が改めて証明された。


双子の姉弟もサナから導符の使い方を教わって、順番に利き手の掌の中に握り込んで火が消えているロウソクの上で念じると火が灯るという体験をして、改めて驚くと同時に自分達が「山」で経験した事の無い不思議な力が、自分達にも宿っているという事に戸惑いを覚える事になった。


「あの……なぜ私の作った……導符……ですか?あれには何も書かれて無いのでしょう……?」


 ノンはこれまでルゥテウスが導符を作って、難民首脳の持ち物に対して付与を施している現場を何度も目撃している。

勿論自分の髪飾りにそれが施された際も立ち会っており、その際に店主が作った導符には自分では何が書いてあるのか解らないような文字に似た紋様がびっしりと描かれていた事を憶えていた。


「うーん。恐らくお前は魔導や錬金術について全く知識の無い状態で、いきなり導符やさっきの木片のような付術品を作ったから、直感的に火を表すような色だけが出てしまって、本来の施術で使われる『術式』が対象物に転写されていないのではないか?」


「どういう事でしょう?」


「つまり、お前の場合はあの『色』が術式代わりなんだと思う。お前の魔法に対するアプローチが他の……まぁ、これは俺も含まれるが……魔導師や魔術師、錬金術師とはちょっと違うのだろう。小難しい事を考えないで変容した魔素を対象物に込めているのが原因なのではないか?」


 説明しているルゥテウスにも全く確証が持てていない。何しろ彼女は今でも「普通の人」なのである。普通の人がよりによって魔素を可視化することが出来、更にそれを脳内のイメージだけで制御出来ている時点で、賢者の知識の範疇を超えてしまっているのである。


「恐らくだが……お前には『魔素を見分ける力』と『魔素を操る力』、そして『魔素の形質を変える力』がお前自身の素養とは無関係に俺から移ってしまった事で、『色々な条件や順番』をすっ飛ばして付与を実現してしまっているのだろう」


言われたノン本人は勿論、傍で聞いているサナにもチンプンカンプンだ。


「まぁ……あれだ。とりあえずお前は『ロウソクの火』をあちこちに作り出す事には成功したようだが、他の物となると……恐らくだが、また自分自身で体験して脳内に具体的なイメージとして留められないと作り出せ無いんじゃないか?」


 確かに言われてみると、今のところ自分には「ロウソクの火」しか作り出せ無いようであることはノン本人も何となく認識していた。

先刻、ルゥテウスに言われた通りにロウソクの火を付け木を使って何度も移してみて初めてそのイメージを頭の中に思い描けたのだ。

果たして他のものはあの小さな炎と同様に作り出すことが出来るのか。


実はノンには全く自信が無かった。それは恐らく彼女のこれまでの生活における行動範囲が異常に狭く、何か目を瞠る多様性に富んだ体験に乏しかった事が原因であった。

そのような経験値が低い割に、いつも近くに居る彼女の主が次々と常軌を逸する行動や事象を起こすので、彼女自身の感覚が麻痺してしまっているのではないだろうか。


 これは昨日の「ランプに火を点けるには?」というルゥテウスの質問に対して「そこのボタンを押す」という彼女の答えが顕著な例である。


「ボタンを押すだけで照明器具に火が灯る」というような経験をしている者はこの世界においては非常に限られており、キャンプの外で暮らす一般的……いや王侯貴族でさえもそのような経験が得られる暮らしはしていない。


 しかしそのせいでここ十年程の彼女の暮らしには「自分の手でどこかから持って来た火をランプに移して照明を得る」という経験が欠落してしまっていた。

「火を使う」という体験自体は製薬作業で時折行ってはいるが、その際に使用するコンロやアルコールランプですらルゥテウス特製の自動点火式の物である。


「水を使う」事も同様で、彼女にとって「水を得る」と言う事は蛇口を捻って出て来る水を使うだけの話であり、川の流れを作る水、池に溜まっている水、井戸から汲み上げた水……という「水」という物質に対する多様な経験が欠如していたのである。


そんな便利な機器に囲まれた生活を十年送って来ている割に、他の場所に出向く事も殆どしていないノンはある意味で「世間知らずのお嬢様」どころでは無い状況に置かれていたのかもしれない。


そのような事を考察しながら、ルゥテウスはノンに


「恐らくお前には社会経験が決定的に少ない。これは……お前を十年もここに留めて暮らす事を強いてしまった俺にも責任がある……済まなかったな」


先日の王都観光の後に、ノンが余りにも狭い範囲で暮らして居た事に気付いたルゥテウスは改めてノンに謝罪した。自分の都合だけで言わば彼女の青春時代を奪ってしまっていたのである。


 ノンは主が頭を下げたの見て、慌てて


「この前も申し上げましたように、私は全く後悔しておりません。むしろこのようにあなた様にお仕え出来ている事に無上の喜びを感じているのです。

ルゥテウス様はよくセデス様に仰られているではないですか……。『お前達の行動によって難民達は救われたのだ』と。

私も同様でございます。あなた様と出会えたからこそ、家族を亡くして孤独だった心が癒され、そして素晴らしい薬の知識を与えられ、今はまたこうして不思議な力を授かる事になったのです……」


と、主に対して逆に弁明するかのように語った。彼女にとっては薬学の知識や今回のような魔法の力などよりも主に家族として扱われ、側に置いて貰うだけで十分に報われているのである。


ルゥテウスは何とも言えない表情になり


「まぁ……そう思ってくれているなら……俺としてもありがたい……。しかしともかくお前は今後、もう少し社会経験を積むべきだ。

この前も言ったが、暇な時にもう少し外の世界を見るがいい。そうする事でお前の発想力や感性にも磨きが掛かり、お前の為にもなる。

そう言った『外での経験』はお前にとって必ずや良い方向に作用するだろう」


「は……はい」


ノンは俯きながら小さな声で応えた。


 この様子を見ていたサナは、漸くといった感じで口を挟んできた。


「ところで店主様。私は先程からノン様があの……導符を作成している様子を拝見していたのですが……ノン様は詠唱をされたり昨日のように棒を使用しているようには見受けられませんでした……まるで店主様のように……その……無詠唱で……」


最後の方は「恐る恐る」と言った感じで、彼女自身にもその様子を説明出来無いと言った様子だ。


ルゥテウスはそれを聞いて、ニヤリと笑い


「そうだな。どうやらノンは俺と同様に無詠唱で魔素を操る事が出来るようだ。そもそも俺自身が詠唱や魔導具を使って魔素やマナを制御するという感覚が解らないので、これは却って教えやすいし、もしかするとそう言った事まで俺から移った力の中に含まれているのかもしれないな」


「そんな事って……有り得るのですか?」


サナは信じられないというような顔をしている。彼女自身は錬金術使用時に詠唱によるマナ制御を不可欠なものであると認識している。

そして夫程では無いが、それを必要としない「無詠唱」という存在に対して、理解の外にあるようで、ノンが魔導符を無言で作っている様子を見て不審と驚きが入り混じった感情で観察していたのである。


「ノンはどうやら俺が教えた『イメージを大切にしろ』という言葉の意味をそのまま捉えて頭の中の映像だけで魔素を制御しているように見える。

そこにはお前達のような理論に基くマナの制御などとは違って、俺から受けた影響だけで力が行使できてしまう環境が作られてしまったのではないだろうか……」


 ルゥテウス自身にも何を言っているのか解らない謎理論によってノンの力は強引に説明がなされた。

いずれにしろ、彼女の力は発見されたばかりであり今後長い時間を掛けて少しずつその内容が解って行くのかもしれない……ルゥテウスはそう考えることで自分を納得させたのである。


「変質させた魔素を投射出来無い能力……まるで錬金術のようだな。だからこの『力』を今後は『錬金魔導』と呼ぶ事にしよう。つまりノンは『錬金導師』と言う事になる」


「れ、錬金導師……ですか?」


命名された本人は全く実感が湧いていないらしく、やはり首を傾げざるを得ない。


「いいかノン。お前はさっきも言ったが、社会に対する見聞が薄いんだ。これからはもっと色々な場所で色々な物を見ろ。そして色々な物を知れ。それがお前の……お前だけの修養と心得よ」


「わ……分かりました……」


 どうせ彼女自身にはそのような積極的な発想など浮かばない。それならばいっその事命じてしまえば良いと思ったルゥテウスはその後、昔の薬草摘みに彼女を連れ出したように、今度はこの国の様々な場所に彼女を連れて行ってやろうと思った。


彼女の青春を奪ってしまったという小さな負い目が彼の中に芽生えていた。

【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ


ルゥテウス・ランド(マルクス・ヘンリッシュ)

主人公。15歳。黒き賢者の血脈を完全発現させた賢者。

戦時難民の国「トーンズ」の発展に力を尽くすことになる。

難民幹部からは《店主》と呼ばれ、シニョルには《青の子》とも呼ばれる。

王立士官学校入学に際し変名を使う。一年一組所属で入試順位首席。


ノン

25歳。キャンプに残った《藍玉堂》の女主人を務める。

主人公の偽装上の姉となる美貌の女性。

主人公から薬学を学び、現在では自分の弟子にその技術を教える。

肉眼で魔素が目視できる事が判明した為、新たにその制御を学び始める。


チラ

9歳。《赤の民》の子でアトとは一卵性双生児で彼女が姉とされる。

不思議な力を感じた最長老の相談を受けてサクロに連れて来られる。

魔術の素養を見い出され、主人公の下で修行を始めることとなる。


アト

9歳。《赤の民》の子でチラとは一卵性双生児。彼は弟として育つ。

姉同様に術師の素養を持ち、主人公から錬金術の素養を見い出される。

キャンプに通って来るサナの下で修行を始める。


サナ・リジ

25歳。ソンマの弟子で妻でもある。上級錬金術師。

錬金術の修養と絡めてエネルギー工学を研究している。

最近はノンに薬学を学びながら、魔法の素養を見出された赤の民の双子の初期教育も担当する。


サビオネ

28歳。キッタの妻で二児の母。旧サクロ村で生き残った五人娘の内の一人。

夫が監督する藍玉堂サクロ工場で働きながら香水の研究に情熱を傾ける。


パテル、エヌ、モニ

キャンプ藍玉堂に住み込んでいるノンの弟子。

いつも騒がしい。

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