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黒き賢者の血脈  作者: うずめ
第三章 王立士官学校
55/129

剣技の時代

【作中の表記につきまして】


物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。

・距離や長さの表現はメートル法

・重量はキログラム(メートル)法


また、時間の長さも現実世界のものとしております。

・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日 


但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。

・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年

・4年に1回、閏年として12月31日を導入


作中世界で出回っている貨幣は三種類で

・主要通貨は銀貨

・補助貨幣として金貨と銅貨が存在

・銅貨1000枚=銀貨10枚=金貨1枚


平均的な物価の指標としては

・一般的な労働者階級の日収が銀貨2枚程度。年収換算で金貨60枚前後。

・平均的な外食での一人前の価格が銅貨20枚。屋台の売り物が銅貨10枚前後。


以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくお願いします。

 一班の体力測定は会場を移して細かい運動測定をする事になった。

会場を移す……と言っても、先程の第一室内演習場のもう半分のスペースである。移動式の支柱を立て、それを鎖で繋ぐだけの「仕切り」の向うでは、ルゥテウス達とは違う班……4班が筋力測定に入っていた。


一班の測定は体前屈やうつ伏せからの上体反らし、懸垂や反復横跳び等の小さなスペースを使って何人かが一緒に行うもので、ここでもルゥテウスは模範を示した教官の記録に合わせるように行い、本人は全く本気を出している気配を感じさせる事無く、結果的には再び全項目で他の者達と比べて突出した数値を出していた。


しかし教官が最初の数回だけ模範だけ示して、後はそれを基にして自分自身が行う種目……例えば腕立て伏せや懸垂、反復横跳び等は自分の感覚だけで記録を「作る」必要があったので、加減を考えつつ常識の範疇に収めるのに苦労した。


それでも幸いな事に、彼の隣で一斉に行うメンバーの中には常に席次2位のジョアン・マルコスが居たので、測定中に彼の様子を観察して「これくらいが限度」というところで一緒にやめるようにしたので数値はそれなりに常識の範囲に納まった。


そこまでしても総合的に見て、その測定結果は席次上位者が集まる一班の中でも突出している事には変わらず、その様子を目にする一班の学生は勿論、後々に皆の数値を一覧で確認するイメル・シーガ教官の度肝を抜いた。


イメル教官も、実際にルゥテウスが測定している場に立ち会って、その様子をこの目で確認したいのだが、彼女は一回生全体の測定進行を管理する立場なので、一班を測定開始会場まで案内した後は他の班の進行を確認しに行ったりと多忙であったので、終ぞその「首席生徒」の測定の様子を窺い知る事は出来なかった。


 再び休憩を挟んだ次の時間は、屋外演習場で主に走力の測定となった。短距離と長距離……制服よりは動きやすい演習着姿とは言え、半長靴を履いた実戦さながらの状態で50メートルの短距離を走り抜ける時間を計る。


その計測方法は、定められた規格の漏斗の径から「開始」の合図と同時に砂を落とし、走り切った時点で落ちた砂の重量を計るという随分と原始的なやり方だ。


最初の組でルゥテウスは模範として一緒に走った教官の常に真横を走って同時にゴールに飛び込むというやり方で、息一つ乱す事無く休憩中もその場にずっと立ったまま待機していた。


短距離走に自信があるが故にこの種目の担当となった陸軍歩兵科の教官は、自分の真横に終始ピッタリと着けて走られて驚愕していたが、それはこの測定を一部始終見ていた一班の他の生徒も同じ気持ちであった。


特に一緒の組で走って50メートルを走破するのにゴールで5メートルも差を開けられたジョアンは、もう何を言う気も失せて座り込んでいた。


 一回生一班の短距離走測定が終わる頃には他の班、他の学年の生徒がこの野外演習場にあちこちから集まり始め、最後は全校生徒が一斉に演習場の外周を5周……約8キロの長距離を走る。


落ちる砂を受ける容器に繋がれたバネ量りの目盛りで時間を計る巨大な砂時計にも見える測定器が据え付けられた指揮台の前に測定参加者277人が集合し、指揮台に上がった男性教官が


「ではそろそろ始めるぞっ!三点鐘までには全員完走するようにっ!全員絶対に完走して貰うからなっ!」


最後は多少の恫喝の混じった言葉の後、教官は測定器の砂を保持している金属製の板に手を掛けて


「始めぇいっ!」


という気合の入った声を合図に測定器の小さな板を引き抜くと、上部の大きな漏斗型の器から砂が、バネ量りに吊り下げられた容器に落ち始めて、生徒達も一斉に走り始めた。


 走り出す前、組別の班で固まっていたのでルゥテウスの後ろに居た一年一組の女子が


「みんな一緒になって走ろうね!」

「本当か?そんな事を言う奴が一人で先に行ってしまうんだぞ」

「一人でどんどん行っちゃ嫌だからね?」

「置いて行かないでよっ」


と、不毛な談合を行っており、前で聞いていたルゥテウスは苦笑した。

生徒達の中には何人か教官が混じっており、ルゥテウスも近くに混じっていたヨーグ教官を見付けて、何故わざわざこんな長距離走に教官殿が付き合うのか尋ねたところ


「毎年、途中で校舎の裏とかに隠れながら近道をしたりする不正を働く輩が出て来るので伴走して監視するのさ」


教官も苦笑しながら説明してくれた。尤も……ヨーグ教官は長距離走が苦手らしく、教官同士のくじ引きで当たってしまい、5人の同僚教官と一緒に伴走を担当するのだと言う。


「もし何なら俺と最後まで一緒に走ろうなっ!」


この教官も後ろの女子と同じような事を言い出したので


「後ろの四人とご一緒にどうぞ」


とルゥテウスはヨーグを突き放した。


 ルゥテウスはするすると前を走る生徒の間をすり抜けるように抜き去り、先頭を走る三回生の生徒の横に並んだ。その生徒はチラリと一度ルゥテウスに視線を送ったがすぐに前へ向き直って走り続ける。


その男子生徒は、横で息一つ乱さず自分と同じ速度で走るこの長身で真新しい演習着の新入生と思わしき者に気を取られ始めてペースを上げるが、「彼」は全く変わらず自分の横を走り続けている。


ムキになって速度を上げ続けてバテてしまったその男子生徒のペースが落ち始めると、驚いた事に横を走る新入生も一緒になってペースを落とす。

とにかく彼は常に横に居るのだ。


ついに力尽きた男子生徒が後ろから来た集団に吸収されると、新入生はその集団の先頭を走る別の男子生徒の横に付いた。

そしてまた彼を気にしたその生徒が速度を上げると一緒になって横に着いて行き、その生徒がまた自滅してペースを落としてくると一緒になって落ちて来る……。


まるで先頭を走る男子生徒達の集中力を乱して次々と脱落させるように、常に先頭に立った者の横を走りながら、ルゥテウスの息は全く乱れていない。


 生徒達の集団が周回を終えて測定器のある指揮台のある位置に戻ってくるたびに先頭が入れ替わる……いや、その「横」の長身の新入生だけは変わらず足取り軽く走っているので、測定器の横に立ってこの様子を見ている教官は


「一体どうなっているんだ……」


と、その一行が通過する光景を茫然と見送っていた。


次の周回を終えた時は、先頭集団を形成していた……普段から「走りに自信があったり評価が高かった生徒達」が、軒並みペースを乱して潰れかかっている中で、フラフラになりつつある先頭を走る生徒の顔を、横から覗き込むように顔色一つ変える事無く並走している新入生という……どうも違和感溢れる状況となり……。


最後の周回となって、一人だけこの異常なペースに巻き込まれる事無く力を温存していた陸軍歩兵科の男子生徒が、満を持した状態で前に出てきたが……それでもこの新入生は再びこの生徒の横に並んで、顔を覗き込むように走り続けた。


一人……作戦勝ちを確信して勢い込んでいたその生徒も結局は半周程で息が上がってしまい


「おいっ……お前……行くなら一人で先に行ってくれ……頼む……そんなに俺を苦しめないでくれ……」


後ろを走る先頭集団の者達で、最早ペースを上げられる者は誰一人居ない。


いや……居るとしたらこの終始先頭に立つ生徒の真横を並走している新入生なのだが、彼はそういった事には全く興味が無いのか、最早全員フラフラになってお互い前を譲り合っている連中の、それでも先頭に「立たされた」者を真横から息を全く乱す事無く覗き込む行為をやめる事は無かった。


 自らのペースをひたすら潰され続けた先頭集団が、その後ろを走っていた女子生徒のトップ集団に呑み込まれながら……足を引き摺るようにまとめてゴールに駆け込み、全員その場で倒れ込む中で先頭の女子生徒と同時にゴールした長身の新入生だけが、全く疲れた様子も無く立ち尽くしている光景は、流石にそれを見ていた教官達の目にも奇異に映った。


後続の生徒もヨロヨロになりながら次々とゴールしたが、一年一組一班の女子で最初にゴールしたのは席次11番のカタリヌで、次がケーナ、そして席次16番のアン・ポーラ、最後にリイナと、「私達いつまでも一緒だよ!」という約束は反故にされて全員バラバラの入着だった。


「はぁ、はぁ、はぁ……もう駄目だ……死ぬ……」


と倒れ込んだケーナに、ルゥテウスは


「みんな一緒にゴールするんじゃ無かったのか?」


ニヤニヤしながら尋ねると


「はぁ、はぁ……さ、三周目くらいで……もうそんな事言ってられなくなった……」


「そうか。ヨーグ教官もあそこで倒れているな。あれでは不正の監視どころじゃ無いだろうに」


「はぁ、はぁ……へ、ヘンリッシュ君は全く疲れていなさそうですね……」


「ん?俺か?うーん。そんな事は無いぞ」


「はぁ、はぁ……で、でも……疲れているようには見えない……はぁ、はぁ……」


「まぁ、そう見えないだけだ。俺の事はどうでもいい」


息一つ乱す事無く、何事も無かったかのように一人立っているルゥテウスに、ヨーグ教官がフラフラと立ち上がって近付いて来た。


「き、君は全く消耗して無さそうだな……い、一体どういう……鍛え方をしているんだね……」


「いやいや教官殿。外見ではそう見えてもその実、立っているのがやっとなのですよ」


「そ、そっ、そうなのか……?」


「えぇ。敵に弱味を見せる事無かれ。戦術の基本ではないですか」


相手を思いやって見え透いた嘘をつく、自分のクラスの首席生徒の言葉を鵜呑みにしたヨーグ教官は


「なっ、なるほどな……ヘンリッシュは分かっているではないか」


汗まみれになって答えるのがやっとであった。


 結局、277人の生徒全員の中で最後の一回生の女子生徒が、殆ど歩くようにフラフラになってゴールに入ったのは三点鐘が鳴る五分前で、例年にも増してトップグループを始めとして立てなくなる程に消耗している生徒達の様子を見て、測定器を管理していた教官が指揮台の上から


「お前達大丈夫か……?今年は上級生から新入生までなっとらんなっ!仕方が無いから終わりの号令は免除してやるっ!

午後も演習があるクラスの者は演習着の埃を十分に落としてから食堂に入るようにっ!ではこのまま解散っ!」


慈悲深い言葉を掛けると、指揮台の前でまだ立てなくなっている生徒達の間から「あ、ありがとうございます」とか「は……はい……」というような呻き声にも似た応答が聞こえてきた。


「今、この場に敵襲があったら全滅ね!」


 記録票にそれぞれの生徒の記録を書き入れる作業を担当していたイメル教官も、消耗し切った生徒達と伴走した教官達を眺めて呆れるように言い捨てて食堂に向かって引き上げて行った。


「おい。決められた時間に、決められた場所で、決められた量の食事が大切だからな」


と、全く消耗した様子も見せず、汗すらかいていない首席入学生が戦場の掟を言い残して食堂に去って行くのを……グッタリして見送りながら


「そ、そんな……」


一年一組の生徒達は呟くのであった。


 一回生で午後に屋外授業があるのは白兵戦技が二時間組まれている一組だけで、演習着から制服に着替える必要が無いので時間の短縮にはなったのだが、長距離走の後に倒れ込んだ者達が続出したので、皆埃だらけになっていた。


一年一組の生徒一同が漸く埃を落として第一食堂に入り始めた時には、一人だけ全く埃に汚れていない演習着姿のルゥテウスは食事を終わらせており、食堂から出て来るところであった。


「え……ヘンリッシュ君はもう食べたの?」


 食堂の出口ですれ違ったケーナは驚いた顔で首席入学生に尋ねると


「あぁ。午後の課業開始まであと30分だな。急いだ方がいいぞ」


彼は親切にも残り時間を通告して本校舎の廊下に消えて行った。


食欲の湧かない女子生徒達も、急いで配膳から食事を受け取って空いている席を探して座り、「軍隊飯」と言われる大盛の昼食を懸命に胃に押し込み始めた。

白兵戦技が行われる戦技場は第一室内演習場に隣接しており、構内の配置的にはこの第一食堂とは対角線上にある最も遠い場所だ。


長距離走で疲れ切っている身体が食事によって多少回復するとは言え、足の力もそれほど入らないうちに、再び時間に追われて長距離走をするかと思うと泣きたくなる。


 結局、女子生徒達も残り10分程になってから「急いでっ!」「ほら、走らないとっ!」等と悲痛な叫びを発しながら第一食堂から中庭を突っ切って構内北西方向の隅にある戦技場に向かってバラバラと走る光景が他の教室からも散見された。


白兵戦技の授業は、二時間続けてコマが組まれており、通常の場合でも西校舎の更衣室で着替えが必要になるのと、本校舎から距離がある戦技場での授業となる為に時間割で朝一番か午後丸ごとという形で組まれている。


年に一度の体力測定と日程が被ってしまった一年一組は全校生徒の中で「ついてなかった者達」という事になる。


 一組の一同が剣技台のある戦技場へ駆け込んだ直後に、近くの北校舎と西校舎で鳴らされている手鐘の音が聞こえてきて、彼らは辛うじて遅刻という事態を免れる事が出来た。


しかし、剣技台には先の食事を済ませて時間に余裕を持って移動していた、金髪長身の首席生徒だけが涼しい顔で立っているだけで、この教科を担当するはずの担任教官の姿が見えず、結局彼が現われたのは午後の授業開始から五分後……つまり教官が授業に遅刻して来た事になる。


「いやいや……すまん……さっきの長距離走で少し疲れてしまってな……」


遅刻してきたヨーグ教官も、いつもの高いテンションでは無く若干憔悴したような顔になっており、午前最後の難行によるダメージが抜けていないようだ。


 急いで走って来た為に授業前から消耗した様子見せる生徒一同に


「では……号令を頼むよ……」


ヨーグ教官が低いテンションで命じると、それでも顔を上げて気力を振り絞った級長が


「整列っ!」


と号令を掛けて生徒達は教室での席順と同じ位置関係で隊列を組み


「気を付けっ!教官に対して敬礼っ!」


級長の号令で挙手敬礼を行った。ヨーグ教官もそれに対して何とかしっかりと答礼すると


「直れっ!」


リイナの号令の後に


「あー……その場に座っていいぞ」


と温情を見せて自分もその場で剣技台の床に腰を下ろした。


 戦技場は、高さ50センチ程で30メートル四方の「剣技台」と呼ばれるステージ部分と、それを取り囲むように建つ高さ2メートル程の塀に隔てられた、外に向かって高くなる傾斜の付いた観覧席で構成される。観覧席の奥行きは10メートル程で8段の階段状の席が設けられ、剣技台を取り巻く戦技場全体の収容人数は1500人程と思われる。


正方形となる剣技台と観覧席の最前部の塀の間には幅2メートル程の通路があり、東西方向の観覧席も真ん中で外部と繋がる通路によって分断されていて、これによって観覧席全体が南北方向に分かれているとも言える。


観覧席部分は剣技台とそれを囲む地面の高さ(グラウンドレベル)の通路、それと繋がり東西で外部と接続している観覧席を隔てる通路とは完全に分離されており、観覧席に立ち入る為の入口も戦技場の外側から別に設けられている。


但し、南北側の観覧席の中央最前部に階段付きの鉄製扉が設置されているので、扉が開放されているならば剣技台を囲む通路から観覧席に直接出入りする事は可能だ。


つまりこの戦技場は白兵戦技の授業で使用されると共に、「闘技場」としても使用できるようになっているわけだ。


 このような様式の闘技場は王都にも三ヵ所存在し、この士官学校と王城内、そして市民も入れる環状五号道路と環状六号道路に挟まれた南六層地区にも設置されている。


更に言うと、市内にある闘技場は「小闘技場」と呼ばれており、そこに隣接する70メートル四方の「闘技台」を囲む観客収容数10000人を誇る「大闘技場」の方が主役の建物となっている。


 一組の生徒とヨーグ教官が居るのは剣技台の上で、この場所に集合するように朝礼で伝えられていた。


「いやぁ……俺も体力測定の伴走なんて初めてだったからな……学生時代は毎年走ったけど……あんなに疲れるもんなのだな……」


すっかり消耗し切ってテンションが落ちているヨーグ教官は大柄な身体が少々萎んでしまったかのような印象を与えながら話し始めて


「まぁあれだ。皆も知っての通り、この白兵戦技の授業では様々な武器を使った実戦訓練を行う。俺は『剣技』の担当で、一回生はこの剣技と『槍技』、そして別の『射撃場』で行う『弓技』を全て行う」


教官の説明は続く。


「皆はこの三種の技能から自分に適した武器種を『探し出す』のがこの一回生での大きな課題の一つとなる。

更にこの三種の武器技能を補助するものとして『格闘技』と『短剣技』がある。この二つは全員必修で、二回生に上がっても同様となる」


「剣技は二回生になって陸軍科を選択しても必須となる技能で、その先の歩兵科と騎兵科でも必要となる技能だ。

逆に狭い船上での戦いとなる事が多い海軍科でも剣技は必修だからな」


「槍技は陸軍科……特に騎兵科で必修になるぞ。騎兵科を志望している者は槍が扱えないと実技でかなり厳しくなる。そこのところを考えて自分に合った技能を見極め、そしてそう言った実技を通して来年からの軍科と兵科の選択基準にするのもいいだろう」


「俺はこの学校に入学する前から実家の近所で剣術を学んでいたので、迷う事無く剣技を選んで陸軍歩兵科に進んだ。

皆の中にも既に何かしらの武術を習っていた者も居ると思う。そういった経験のある武技を更に伸ばすのも良いし、他の武技を選んで手広く武器を扱うようにするかは皆の判断次第だ。

軍の士官とは言え、戦場では自ら武器を取って戦う事も大いに有り得る。三年間、しっかりとそれを学んで欲しい」


テンションが低くなっているとは言え、最初の授業でこのような訓示を垂れるのは流石で、剣技が高く評価されて士官学校教官に抜擢されているだけの事はあると言えよう。


「よし。説明はこれくらいでいいだろう……。まだちょっとダルいが、ぼちぼち始めようではないか」


 観覧席の下が倉庫になっており、練習用の木製の模造武器が各種置かれている。

本日の教官は剣技担当のヨーグ教官なので一同は木剣を持って再度整列した。


「この中で剣術を習っていた者は居るか?」


というヨーグ教官の問いに、何人かの生徒が手を上げた。


「よし。では今手を上げた者は前に出てくれ」


男子生徒3人と女子生徒が1人、整列しているクラスメートの前に出て横列で並ぶ。


「どれぐらいやってるんだ?」


ヨーグから見て左端の男子生徒から


「12歳の時から4年です」

「5年やってます」

「自分も5年です」

「始めてから12年になります」


この四人の中では意外にも4歳から始めて12年やっているという女子生徒が一番長く剣術を習っている事が解り、後ろの隊列から「おおっ……」と声が上がった。


 女子生徒の名はアマリエル・ロイド。今年二回目の受験で入学を果たした16歳で、王都育ちらしい。


そして二番目に答えた5年やっているという、やはり王都育ちのショーン・パーチとは王都で剣術道場を構えるアラン・ディナルの門下で同門らしい。

パーチは二年浪人している17歳なので、アマリエルよりも一歳年上だが、道場では彼女の方が古株であるということだ。


「よし。では順に腕前を見せて貰うか。別に成績に影響するわけじゃないから楽な気持でやってくれ」


そう言うと最初に答えた男子生徒、王都の北にあるオリネロ出身と言うポール・ティネス以外の生徒へ南側の観覧席に上がって見学するように言い、経験者四人と1ラウンド5分という時間制限でヨーグ教官と模擬試合をやることになった。


「よし。始めよう」


 剣技台中央で2メートルの距離を置いて相対した二人は教官の声で立ち合いが始まった。

やはり4年もやっていると、基本的に動作はしっかりと出来上がっており、構えも自分なりに固まりつつ、得意な攻撃が出来上がって来る頃とあってポールはどっしりと構えるヨーグの周囲をグルリと周りながら隙を探しているようだ。


そのような状態が2分程続いた後に、何かを見い出したのかポールが突然フェイントを一度入れながらヨーグの右肩辺りに突きを出して来た。

一度突きを左腰に向かって出し、それを欺瞞として素早く右肩に切っ先を向けたのは見事な動きであったが、ヨーグはそれを読んでいたらしく、その突きをなんと自分の木剣の腹で受けて弾き返した。


まさかそのような返しを受けると思わなかったポールは弾かれた勢いで体勢を少し崩したが、すぐに後方に飛んで体制を立て直そうとした。

しかし、それすら読んでいたヨーグが追い打ちを掛けて、結局は更に体勢を崩されたポールは後ろ向きに転倒してしまい、ヨーグの木剣を胸に突き付けられて


「ま、参りました」と負けを認めた。


ポールに手を差し伸べて立ち上がるのを助けてからヨーグ教官は


「うむ。動きは良かった。あのフェイントもなかなかだ。もう少し下半身を鍛える事で全体の動きがもっと俊敏になって、相手に『考える』時間を与えなくすれば今の方向でもっと伸びるな」


と寸評を与えた。


「ありがとうございますっ!」


と一礼したポールへ観覧席に上がるように指示し


「よし。次!」


 ヨーグ教官は特に休憩も取らずに二番目の男子生徒、ショーン・パーチに台へ上がるように告げた。


ショーンは大柄な体格を生かして、初手から堂々とヨーグと撃ち合ったが、やはり息が続かずに添え手である左腕が下がった所に鋭くヨーグの突きが入り、そこからの変化で左側の首筋に寸止めで木剣が止まり、やはり負けを認めた。


「お願いします」


と言って台に上がって来た三人目は、朝の登校時間にルゥテウスと話をした寮生で、南サラドスにあるアコン王国からの留学生であるインダ・ホリバオである。


彼の父はアコン王国で近衛隊長に任じられている名家の出身で、両手持ちの剣だが……左腕に小さな盾を装着していた。


 北サラドス大陸においてもこのような小盾を装着する剣術は存在するが、剣闘士による闘技場文化が発展している南サラドス大陸では、このような剣闘士スタイルで戦う剣士は多い。


しかし左腕に小さいとは言え盾を装着すると、左右の重量バランスが狂って剣の軌道が狂うとして採用していない流派も多い。


インダも最初のうちは盾を効果的に使ってヨーグの剣を受けていたが、ヨーグは意図的に自分の攻撃をその左腕に集め、彼が盾に頼って左側でヨーグの剣を捌くようになると、不意に右下段からの右脇下への擦り上げで咄嗟に剣を使って防ぎに回ったインダの剣を跳ね上げて、飛ばしてしまった。


「よしよし。まぁまぁだったぞ。しかしやや盾への意識が強いのではないだろうか。俺は南方の剣術にはあまり詳しくないが、盾を使うならあくまでも補助的な程度に止め、可能な限り剣を使って相手の攻撃は止めに行った方がいいと思うぞ」


的確とも言える助言を与えて、いよいよ剣術経験12年というアマリエルへ、台に上がるように命じた。


 アマリエルは体格的にはそれ程特徴は無いが、やはり剣術による鍛錬のせいか全身が引き締まって見え、身体の中心に太い針金が一本通っているような印象を受けた。


「よし。始めよう。遠慮はいらん」


ヨーグの言い様は12年の経験者に対して不遜のようにも聞こえたが、その顔は真剣そのもので、視線を彼女の剣先に合わせて集中しているようだ。


アマリエルは「はあっ!」という気合一声から凄まじい斬撃を左中段から右下段という高低差が狭く「払い」に近い軌道で浴びせた上で、更にヨーグの右腋下に撥ね上げるという高速剣を披露し、ヨーグを初めて後退させた。


観覧席でこれを見守っている一同から「おおっ!」「すげぇ!」「何だあれ!?」というような声が上がり、やはり四人の中で女性ながら一番の手練れであるという印象をクラスメート一同に与えた。


 ヨーグは特に相手を舐めていたわけでは無いが、思った以上に踏み込みが鋭いと判断するや、左手側に重心を移して持ち手を引き付け、利き手である右腕の肩口付近に切っ先を構える、彼なりの「不敗」を求める構えを採り、彼女の斬撃を全て受け切るつもりで距離を詰めた。


ここからは、剣術に対してまだそれ程見識の浅い未経験の生徒から見て、アマリエルの一方的な撃ち込みが続くような展開となり、傍目には彼女の圧倒的優勢に見えたが、結局制限時間の5分が過ぎた事で「分け」という結果となった。


しかし、撃ち込み続けたアマリエルは肩で荒い息をしており、ヨーグには特にそのような様子は見られなかった事から、終わってみると逆にヨーグの方が優勢だったのではという印象を周囲に与える事となった。


「うむっ!四人共しっかり基礎は固めてるなっ!特にロイドは流石に研鑽の積み重ねがあって経験に基いた良い動きをしているぞっ!」


 どうやら剣術経験のある四人の生徒と立ち会って、普段の調子が戻って来たのか、テンションが上がってきたヨーグ教官は


「よしっ!それでは未経験の皆には、俺なりの基本動作を教えるぞっ!もう一度台の上に集合だっ!」


そう言って一同を再び剣技台の上に集合させた。経験者による剣技の立ち合いを見た者達……特に男子生徒もテンションが上がっているようだ。


 ヨーグは剣術の基本動作をいくつか披露して、皆に模倣するように指示し、先程の四人をその為の補助指導員として木剣の握り方や剣の振り方、目線の使い方などをおおまかに練習させた。一通りの動きを繰り返した所で午後の一限目が終わる手鐘が聞こえてきたので、一度休憩を入れた。


本日最後の五時限目も引き続き白兵戦技で、剣術未経験者である一組の生徒達は経験者である四人の同級生を中心に四つのグループに分かれるようになって、剣技台の四隅で輪になって基本姿勢や足の運び方等の初歩的な剣技指導を受けていた。


ただ一人を除いて。


「どうしたヘンリッシュ。君もどこかのグループに入って『剣技』の基礎を教えて貰え」


グループを順番に見回っていたヨーグ教官に声を掛けられたルゥテウスは


「いえ、私は結構です」


と短く答えた。


「何だと?君は確かに『体術』は素晴らしかったが、剣を採っての戦闘は未経験なのだろ?それに確か……君は海軍科を志望しているのであれば剣技は必修だぞ?」


「ええ。そうですね。『剣技』とやらは現代の海軍科には必修であると伺いました」


「ならば君もどこかのグループに入って基本から学ぶべきだ。それとも何か?自尊心が邪魔をしているのか?」


 ヨーグはここぞとばかりにこの首席生徒を挑発するかのように、敢えて煽ってみた。

何しろこの美貌の男子生徒は、入学以来まだ二日という期間だが学業においても、カリスマ性においても、そしてあの……自治会長姉弟相手に戦闘能力においても今まで彼が教えて来た……そして彼が現役学生だった頃にも見た事が無かった程の能力を示している。


本日午前の体力測定においても、あの長距離走をトップでゴールして尚消耗した様子も無い。

ヨーグは彼の担任教官として、ここで自分の専門とする剣技によって、一度彼を凹ませておく必要があると認識し


「それ程に言うのなら、俺が直接指導してやるよ。ほら、中央に出ろ」


そう言うと、教官は右手に木剣を持ったまま剣技台の中央部へ歩き出した。そしてそこでルゥテウスの方を振り向いて


「どうしたっ!来いっ!俺が剣技の厳しさを教えてやるっ!」


 最早あからさまな挑発に聞こえるような言葉でルゥテウスを呼んでいる。

四隅で基本動作を繰り返していた生徒達は、このヨーグの大声を耳にして剣技台中央へ一斉に視線を向けた。担任教官が首席生徒を挑発している。

「これは何か始まりそうだ」と皆ドキドキしなながら様子を窺っていたが、やがてアマリエル・ロイドが


「台の下に降りた方がいい。何か始まりそうだ」


と言って、台から通路に飛び降りたので彼女のグループだった者は次々に彼女に倣って台から飛び降りた。グループの中にはリイナやケーナ、カタリヌなど、先刻の長距離走で不毛で効力の薄かった談合を行っていたメンバーも含まれていた。


 アマリエルのグループがいそいそと台から通路に飛び降りた様子を見た他のグループの者も一斉にそれに倣い、慌ただしく台から飛び降りる。

これによって台上に残ったのはテンションが上がって来たヨーグ教官と木剣を手に所在無さげに立っている金髪長身の首席生徒だけとなった。


(え……ヘンリッシュ君が教官と手合せるの?)

(でも、彼は剣術未経験なんでしょ?)

(しかし一昨日はあの凄い身体が大きかった奴を手玉に取ってたぜ?)

(あれは格闘だろ?剣技じゃないじゃないか!)


剣技台を囲むように通路から状況を見守る生徒達の中で様々な会話が飛び交っている。剣術未経験とは言え、これまでの二日間であらゆる事に対して万能の能力を示して来たこの首席生徒が白兵戦技を得意とする担任教官に対しどこまでやれるのか……特にアマリエルを始めとする剣術経験者は注目していた。


彼らは「経験者」として「剣術であれば自分はあの完璧超人に負けない」という自負のようなものを持っていたからである。


ルゥテウスはこの状況でも殆ど表情を変える事無く


「お言葉ではありますが、このように教官殿と剣技で手合せる必要を感じませんが」


「必要かどうかなど関係無いっ!海軍科を志望する君に剣技の重要性を教えてやるだけだっ!」


ルゥテウスは初めて困惑の表情を浮かべて


「それにしてもこのような、まだ戦技の授業として始まったばかりの段階で私個人にだけそれを教えるというのは明らかにおかしいと思いますが……」


「つべこべ言わずに来いっ!君は口先ばかりの臆病者なのかっ!?」


(おいおい……そこまで言うのか……?)


周囲で見守っていた生徒達はこの担任教官の態度に多少の不安を覚え始めた。

教官の態度は明らかに異常だ。今年度の……いやこの学校における白兵戦技の授業が開始されてからまだ一時間少々で、担当教官が特定の……それも剣術未経験者の生徒に対して「そこまで」やる必要性を感じないからである。何しろ、まだ満足に型や撃ち込みの実技すら教えていないのだ。


ルゥテウス……ヘンリッシュは暫くそのまま剣技台の東端の辺りに立っていたが、やがて苦笑を浮かべて僅かに首を振りながら中央に向かって歩き始めて


「では……お言葉に従って手合せ致しますが、先に忠告しておきます。私は教官殿のような『剣術』とやらには見識がありません。そこのところをご理解賜りますよう……」


ヨーグ教官はヘンリッシュの言った事の意味に対して理解に苦しんだが


「判った。では始めよう」


と剣術経験者として型で構えて相手を睨んだ。

対してヘンリッシュは「始める」と言われても左手に木剣を持って下げたまま特に力を入れている様子も無くその場に立っている。


「どうしたっ!構えろっ!」


教官の叱咤が飛ぶが、それに構う事無く彼は棒立ちの姿勢を崩さない。

その態度に苛立ったヨーグ教官は


「ふざけるなっ!」


と一喝して踏み込んで相手の胸元に向けて突きを放った。剣術に経験の無い者であればこれを見て無様に後ろに避けるか左右に大きく倒れ込むだろうと踏んで、そこから追撃して相手の眼前で切っ先を寸止めして脅かしてやろうという算段だ。


しかし、次の瞬間……空を見ていたのはヨーグの方であった。そして仰向けに倒れた自分の眼前にヘンリッシュが左手にぶら下げていた木剣の切っ先を突き付けている。その距離1センチ。その目は完全に自分を見下ろしている。


「なっ!?」


ヨーグは絶句していたが、辛うじて短く声を上げた。周囲で一部始終を見ていた生徒達も唖然としている。


ヘンリッシュが剣を退いて三歩程後ろに退がったので、ヨーグは全く頭が回らないながらも起き上がったが、今でも自分が何をされたのか解らない。


「あんな……あんなやり方……剣術では無い……」


アマリエルが呟いた。彼女の横でそれを聞いたリイナは彼女を見上げ、そしてもう一度剣技台の中央に目をやった。


「今のは……俺は何をされた……?」


 ヨーグは困惑しながら、ヘンリッシュに聞いた。自分で挑発しておいて、その相手に自分が何をされたのか聞いている。一剣士として……そして白兵戦技の教官として無様ではあるが、そのような事に気が回らないくらいに混乱している。

気付くと自分が突き食らわせたはずの木剣すら握られていなかった。木剣は自分の立っていた位置から7、8メートル離れた場所に転がっている。


「何をされたのか」と問われた相手は


「教官殿を無力化させて頂きました。これは授業であって本物の戦場ではありませんので」


あっさりと答えたが、具体的に何をしたのかは語らない。


ヨーグは咄嗟に振り向いて自分の斜め左後ろ側の通路でこの様子を見ていたであろうアマリエルに視線を向けた。12年という剣術経験を持つ彼女であれば、今の一瞬でヘンリッシュが何をしたのかを見極めていたのでないかと期待したのである。


 アマリエルはヨーグから視線を向けられて、その表情に「教えてくれ」という言葉が浮かんでいるような気がして……自分でも僭越とは思ったが


「教官殿の突きは決まらず……多分……身体を右側に開いて躱し様にヘンリッシュ君の右足による足払いによって教官殿は転倒したのです。

恐らくは突きの為の踏み足が地に着く寸前を払われたと思います……。

更に……教官殿が姿勢を崩して転倒する途中で……多分……多分ですがヘンリッシュ君は教官殿の右手に握られていた剣の……これも多分ですが鍔から柄の辺りに払った右足でそのまま蹴りを入れて木剣を撥ね飛ばしたのだと思います……た、多分ですが……すみません。私の位置からでは教官殿の身体で死角になっていたのではっきりとは……」


自分でも上手く伝えられているのか解らないが、アマリエルは自分が見たままの光景と、自分の経験から考えられる推測を交えて説明した。

しかし自分で言ってる事が本当の事なのかは自分自身でも判らなかった。


ただ一つ言えるのは、相手の首席生徒の動きが「剣術」のそれでは無いと言う事である。


「な……何だと……」


アマリエルの説明を聞いたヨーグは驚愕した。勿論この様子を剣技台の周囲から見ていたクラス一同の面々も同様である。

彼らは剣術という武芸において未経験であった為に、今の一部始終を見ていたが、何が起きたのか全く理解出来無かったのだ。


アマリエルが言語にしてその内容を推測を交えながらではあるが説明してくれたので、漸くにして自分の視覚から入って来た情報とその説明を整合させて状況を把握したのである。


「い、今の彼女の説明は……本当なのかね……?」


ヨーグ教官がヘンリッシュに対して尋ねる。


「まぁ、間違ってはいませんな。あの角度からそこまで見えていたのは大したものですね」


「あ、あの一瞬で……」


「『剣術の動きでは無い』という彼女の指摘も間違ってはいないのでしょう。『剣術の動き』というのがどういうものなのかは、生憎私には判りませんが」


ヘンリッシュは苦笑した。


「ど、どういう事なんだ?」


「先程も申し上げました。教官殿が私に対して攻撃して来た為に無力化させて頂いただけです」


「私はその……誠に申し上げ難いのですが……」


珍しくこの首席生徒が口籠ったのでヨーグも不審に思い


「な、何だ?何が言いたいんだ?」


「はい……実を申しますと、私は「剣技」だの「剣術」、「槍術」というものにはあまり……その……興味がありませんもので……」


「な……興味が無い……だと?」


ヨーグの驚きは止まらない。剣技を専門とする白兵戦技教官として「剣術に興味が無い」と言うのは残念でならないが、剣術どころか槍術にも興味が無いとは……。

士官学校生としていずれの武技を選択する必要がある。「興味が無い」と言われても仕方が無い……のだが。


「しかし……士官学校生は何らかの武術を学んで考査で一定の成績を修めないと……ら、落第して学校に居られなくなるではないか……」


「そういう意味で言っているのでは無いのですよ。私の知る『士官学校における白兵戦技』とは、あなた方の仰る「剣技」や「槍技」というものとは異なるのですよ」


「え……?何を言ってる……?」


「どういうわけかは知りませんが……いつの間にか士官学校における『白兵戦技』という科目の内容が捻じ曲げられて……剣技だの槍技だのと言うものにすり替わっていますな」


「なんだと?」


「失礼ですが教官殿、あなたは実際の戦場に赴かれた事はございますか?実戦を経験する部隊への配属は?」


「い、いや……俺は初任官からずっと王都周辺の部隊……王都方面軍所属だったが」


「なるほど。それでは無理も無いですかね。恐らくはこの学校で勤務されている教官方は皆さん同じような経歴なんですかね」


「うーん……どうかな。確かに、士官学校教官の職は王都周辺の部隊から補充される事が多いと思うが……」


 士官学校職員は、現代においては栄職であり士官の出世コースの一つだと言う事は前にも書いた。

このような人事採用となっているのは、そもそもが士官学校を優秀な成績で卒業している「短刀組」の者達が軍内でも昇進が早い王都周辺の部隊……王都方面軍や王都防衛軍、そして軍務省への任官が多く、更に短刀組の中でも貴族階級の子弟においては近衛師団からの引き抜きを受ける事が多い。


そのようなエリート士官が更に組織の中で進級して行くに連れて、士官学校の教官職も自然とそういった者達の中から選ばれる事が多くなる。


そして……偏った人事になるにも理由があるわけで、更に軍務省人事局の言い分によると、遠隔地の赴任先で既に所帯を持ったり生活基盤を築いてしまう者達をわざわざ王都に呼び寄せるよりも、王都周辺の部隊で勤務していた者達を採用する方が土地勘を持ったまま王都での勤務となって、有事の際にもそのまま王都防衛軍の一部となるので、原隊と比較的近い場所での勤務にはそれなりに意味があると言うのが彼らの主張なのである。


しかし時折例外のような存在も居て、好例となるのが北部方面軍から抜擢を受けたタレン・マーズのように軍務省から実家への忖度を受けたり、婿入りによって生活の基盤が王都在住の年金貴族となることで、士官学校教官への赴任となった者達だ。


「この王国においては、450年前の北東領土の放棄によって大規模な内戦が発生する事が無くなり、その後の軍事的衝突も北方の匪賊討伐程度のものになった為に、実戦を経験する陸軍部隊も少なくなってしまったのでしょう」


「なるほど。そういう風にも考えられるな」


「その結果……誠に申し上げにくいですが実際の戦場ではあまり役に立たない『道場武術』のようなものが平和な国内で流行り出して、何時の間にやら士官学校にも取り入れられてしまったと思われます」


 首席生徒は言葉では申し訳無さそうなにしているが、その実淡々と現代の士官学校における白兵戦技の授業への批判を言い放った。


「な、何だと!?今の白兵戦技が……実戦で役に立たないだとっ!?」


ヨーグ教官は流石に聞き捨てならないと言う態度で声を荒げた。剣術の経験を何年にも渡って積んで来た四人も気色ばむ。自分達の研鑽を否定されれば腹が立つのも当然だ。


 他の生徒達の中にも剣術では無いが武術の経験を持つ者が何人か居り、それらの者もこの首席生徒の批判が「武術全体」に及んでいるように感じて


「な、何を言っている!そんなわけが無いだろうっ!」


と怒声を放っている。


「現在、白兵戦技と呼ばれているのは先程教官のご説明にもあった……『剣技』、『槍技』、そしてその補助技能として『格闘技』と『短剣技』があるそうですが……私が知っている昔の『白兵戦技』とはそのような区別無く、定義されていたのは『多人数相手の乱戦で敵勢と戦う為の技能』であって、剣や槍というものはその定義を満たす為の道具に過ぎなかったのですよ」


「そ、そんな……」


ヘンリッシュの言葉を聞いたヨーグ教官は返す言葉を失った。


「恐らくは内戦も無くなり、国内の治安が回復するにつれて出世の『(ネタ)』が減少した『武闘派』の軍人が、今度は飯の『種』を稼ぐ為に白兵戦技を教える道場を国内のあちこちで開くようになったのでしょう。

しかし戦場が無くなった平和な社会での道場鍛錬で人死にを出すわけにも行かない為に、型や見た目の良さを重視した『一対一の試合形式』として道場武術が発展して行ったのではないでしょうか。

貴族階級の馬鹿げた『決闘』と言う悪しき慣習が流行したことで、上流階級でも一対一の『武術』を嗜むという風潮になったようですし。

本来の白兵戦技とは先程私が教官相手に使ったようなものでして……」


「何だと!?あれが……あれが本来の戦技だと!?」


「はい。多対一の状況では必要最小限の動きで相手の行動力を次々と奪って行く必要があります。先程教官殿や剣術経験があると言う皆がやっていたような『立ち合い』などしていたらあっと言う間に周りを囲まれて、あっさりと命を失いますな。

現代においても時折発生する匪賊や海賊の集団は戦場においてはバカ正直に一対一では掛かって来てくれませんよ……『三人一組で一人を相手にしろ』が彼らにとっての『白兵戦術』ですからな」


 淡々と話すヘンリッシュの話の内容は恐るべき事である……と言うよりも、ヨーグ教官やアマリエル達のような「剣術」を続けて来た者達にとっては到底信じられないような事であった。


「そういった理由で私は剣技やら槍技というものに興味が無いのです」


「では君があの……自治会長の姉弟を投げ飛ばしたのも、その『本物の白兵戦技』だと言うのか?」


「あれを白兵戦技と言うならば……まぁ、そうだとも言えます……あの時も先程同様に手加減はしましたが」


「あっ、あれで手加減だと!?」


「はい。本来ならば相手の腕を『極めながら』投げる。そしてその際には腕を捕ったまま投げ下ろさず、腕を放すことで相手を頭から地面に叩き付けて頭を割るか首を折りますね……戦場であればあんなに面倒な事はしませんが……」


「先程の教官殿との立ち合いも、足を払って……倒れたところでこめかみを爪先で蹴り抜けば教官殿も行動不能になるでしょう。

王国軍が長年に渡って対峙してきた、北方部族の反乱集団や組織化された匪賊の集団というのは戦力的にはいつの時代も常に劣勢の状態だったのです」


「そう言った彼らの常套手段としては奇襲による『指揮官排除』というもので、建国序盤の時代から、そのような被害を受けては敗北を重ねた王国軍では状況分析を蓄積して行った結果、士官学校において将来の指揮官となる学生達に『戦場における乱戦』を想定した白兵戦技を身に着けさせる事を必修とした……これが白兵戦技科目の成り立ちです」


「そんな話……聞いた事……」


「教官殿。私が今説明させて頂いた事に関しては図書館にも文献が残っております。そのような資料をご覧になった事はございますか?」


ヘンリッシュは少々呆れ顔で言った。


「歴史の経過と共に、その世相に即した『形質』に物事は変化して行くというのは理解出来ます。しかし(こと)この白兵戦技においては士官自らの生命を守る重要な教科であると認識しております。

北東領土放棄後の平和な世と変わった事でこの学校の白兵戦技も変質してしまったのでしょうか」


「私が気になったのは、本日午前に体力測定を実施した際に……この学校の白兵戦技教官は全て『陸軍出身者』である事でした。

実戦経験の無い陸軍士官だけを白兵戦技教官として採用し続けている事がこのような状況になっている原因かもしれませんな」


ヘンリッシュの白兵戦技授業への評価は辛辣である。


「せめて現役海軍士官で海賊討伐を行っている沿岸警備隊出身者ならば実際の戦闘経験もあるでしょうから、多少は違った考え方をされていると思われますが……」


 ヘンリッシュの発言を受けたヨーグ教官には「思い当たる節」が有り過ぎて全く反論できる余地が無かった。

確かに自分が幼少時から習い覚えた「剣技」においては「目の前の相手」を注視して、その僅かな動きや剣尖の向く位置、足の運び、太陽に対する位置取り等を徹底的に学び鍛えて来た。


しかし「後ろ」から攻撃を受けると言う状況に対する想定はそれほど意識は無く、更には「包囲された」状況に対する確固たる戦術が確立しているとは言い難い。

せいぜい、ルゥテウスが昔のロダルに与えた「壁を背にしろ」とか「囲まれないような位置取りを意識して」くらいの教えしか継承されていないのである。

恐らくは道場武術が発展していく過程でそのような想定は不必要であるとして淘汰されて行ったのかもしれない。


何しろ、こういった道場における「敵に囲まれた際」という想定が「決闘の場に相手が卑怯にも助勢を引き連れて来た場合」という戦場とは凡そかけ離れた話をを基にしているのだ。


そしてやはりルゥテウスも指摘したようにこの「王都に設置された」王立士官学校においては、「海軍の最前線」で戦っている現役士官による白兵戦技教官への採用が、ほぼ存在しないと言うのも授業内容の変質を加速させた原因なのでは無いだろうか。


 彼ら海軍、それも海賊や密輸団の取り締まり、そして海棲の魔物を駆逐する為に大陸沿岸を守備する任務を負っている者達は、年に数度の割合で「生命を張ったやり取り」を経験している。


彼らにしてみれば、いざ戦闘が始まってみると学校で習った「道場武術」はまるで役に立たない事に愕然とするだろう。


何しろ相手は見栄えも何も無く、ただ相手を殺して金品を奪う……もしくは自分達を滅ぼしに来た国家の正規軍相手に手段を選ばず抵抗する者達なのであり、そんな連中でも、経験を重ねていくうちに「相手を倒して自分達が生き残る確率を上げる方法」くらいは考え付くことが出来、その最も簡単な方法として「多過ぎず少な過ぎない味方の数で一人の敵を攻める」という発想に辿り着くには大した時間を要さない。


そして同士討ちを防ぐ為にも、「相手一人に味方三人」が適当、多くても五人組で互いを護り合いつつ一人の敵に対するという経験が「生命を張りながら」蓄積されて行く。


しかし、困った事に海軍が拠点にしている場所というのは概して内陸にある王都からは離れている事、そして士官学校教職員を採用している軍務省は元々が「陸軍科出身者」の組織である事から、王都の士官学校へそのような「生命のやり取りがされている」現場を知った海軍士官の採用が極めて少ない。


 また、海軍という組織……特に艦隊勤務の者達は「同じ船で一蓮托生」の生活を送るせいか、陸軍よりも個々の将兵達による繋がりが強い。

遠く王都への士官学校教官転任に対して難色を示す本人や上官が多く、首尾良く教官として赴任させる事が出来ても、陸軍出身者に囲まれての勤務を嫌って短期間で元の艦隊や所属艦への復職願いを出す者が多い傾向にあった。


つまるところ、王都にある王立士官学校というのは「陸軍の牙城」であり、創設以来辛うじて「陸海軍互任」という学校長任命制度は残っているが、その他の部分では海軍系教職員は教科を維持し得る最低限度の人員しか採用されていないというのが現状で、その為に「白兵戦技」もルゥテウスが言うところの「道場武術」が幅を利かせている。


そして何時の間にかこれが常態化してしまった現代においては教官たる現役陸軍士官ですら昔の形を忘れてしまい、一対一しか想定していないような「剣技」や「槍技」と呼ばれるものを重視するようになってしまったのだ。


 しかし……こんな士官学校にも唯一の「例外」とも言うべき場所が存在している。それが「海軍戦闘科」である。

二回生になると選択が可能となる海軍科が、三回生になると専科となって「航海科」と「戦闘科」に分れる。


この戦闘科は、それまでの白兵戦技の授業とは違って「剣技」を必修専門とはしているが……船上での戦闘技術を含む、海上戦闘指揮官を養成する専科であり、二回生までに学んで来た一対一の「行儀の良い」戦闘訓練は「戦闘の基礎を学び修めている」という名目で行われなくなる。


 ただ惜しいかな……海軍科の三回生生徒は新年度が始まって一カ月程度で学習拠点を王都の士官学校から、王都の南東にある港湾都市チュークスに本拠を構える「王国海軍本部」の中にある「士官学校分校舎」に移して、本物の練習艦船に乗り組んでの洋上航海訓練を行う為に、結局は王都にある「本校」では海軍式の船上戦を想定した戦技訓練は行われない。


「分校」には王都の「本校」では見られない現役海軍士官が多数勤務しており、彼らの教官任命人事は軍務省からの委任を受けた海軍本部にて行われる為、チュークスを母港とする第一、第三、第七艦隊に所属する現役バリバリの戦闘指揮官が王都の「本校」よりも短期間のサイクルで任命される。


そう言う事もあって……その「分校」で学んだ海軍科の生徒が卒業後に任官して艦上勤務へと赴任すると、学生時代に自分の担当教官だった人物がそのまま赴任先の先任士官であったり、場合によっては副長に昇進して「恩師と弟子」の関係で同時着任するという事も多々ある。


 ルゥテウスは午前中の体力測定の際に、こういった最前線を経験した現役の海軍士官が士官学校戦技教官として全く在籍していない事に気付いた上で、先程の教官と剣術経験者の立ち合いを見て、「今の時代の白兵戦技授業」に見切りを付けてしまったのだろう。


彼からすると、この授業は彼が創設に関わったトーンズ国軍の訓練と比べて格段に質が劣ったものであり、恐らく彼の予想では同数の兵力であるならば創設間も無いトーンズ国軍が伝統あるレインズ王国軍を圧倒できると分析している。


また、29歳という年齢で本格的に武術の鍛錬を始めたロダルでさえも、このヨーグ教官程度ならば一対一で立ち会って瞬時に戦闘力を奪う事は可能であると見ていた。

ロダル率いるトーンズ国軍は周辺の蛮族相手に現在でも防衛戦争を続けており、その全ての戦いにおいて勝利を重ね、軍規の遵守についても非常に厳しい態度で臨んでいる事から、他国や……場合によっては自国の軍から略奪の悲劇を味わって来た難民出身の国民からの人気と信頼は極めて高い。


それほどの精鋭軍をこの目で見て来た彼にしてみると、はっきり言ってこの二日間で見た「名門」と名高い王立士官学校は全体的に「ヌルい」のだ。

やはりこれも祖法絶対主義の中で、古い法に縛られて時代の流れに沿って法体系の改良を伴う制度の変更を行わずに、捻れた解釈による「変質」に任せているというこの王国の姿をそのまま体現しているかのような有様にルゥテウスは失望しているのであろう。


 彼が従来の「黒い公爵さま」として王国に出現していたならば、王国政府に巣食う貴族閥諸共、このような旧弊は一掃するのだろうが……あいにくと周知の通りこの史上最強の賢者は王国内部の堕落に対しては一切救済の手を差し伸べようとはせず、自分の周りに降り掛かる火の粉を払い落す程度の行動しかとっていない。


そしてそのような思考で動く彼にしてみれば、「こんなヌルい授業を真面目に付き合う」気にもならないのは仕方の無い事であろう。


 本来の「戦場における白兵戦技」についての理解に乏しい白兵戦技教官の見識に対して、すっかり呆れてしまったルゥテウス……ヘンリッシュは、面倒臭くなり


「そうですな……。では今の私の言葉を端的にご理解頂く為に、教官殿と……先程その『腕前』を披露してくれた者達全員で私を包囲して貰いましょうか」


もうこうなると実体験で解ってもらうしかないと恐ろしい事を言い始めた。


「何だとっ!?俺を含めたさっきの四人……併せて五人を同時に相手にすると言うのか?お前はっ!」


「ええ。混戦となった戦場ではそのような状況になる事も多々ありますからな。何なら、他の『武術』なるものを経験している者も、それぞれ得意の得物を持って包囲に加わっても構いませんよ。

私が文献で確認した『昔の白兵戦技』の授業ではそのような形態で行われていた……本来はその為にこの台も「この広さ」で作られているわけですからな」


 ヘンリッシュのこの発言で、周りの通路で見ていた生徒達の中で剣術以外の武術経験者もすっかり憤り、ヨーグ教官の許可を得ずに観覧席部分の下側にある倉庫から各々得意とする穂の部分まで木製の槍や棒を木剣と交換して戻り、台上に上がり始めた。

勿論先程剣技を披露した剣術経験者四人も既に台上に上がっている。


ヨーグ教官は、この事態を受けて収拾を付けるのが難しくなり、自身が受けた授業への批判もあって


「マルクス・ヘンリッシュっ!そこまで言うならお前の言う通り……『本当の白兵戦技』と言うものを見せてもらおうかっ!」


と、台上に上がって来た他の生徒達の行動をも追認してしまった。


「ではいつでもどうぞ」


この期に及んでまだ涼しい顔をしているこの首席生徒に対して、教官自らが


「よしっ!ではかかれっ!」


 本来ならば授業中の教官として有り得ない命令を発した。

一人の生徒を教官を含む合計九人の武術経験者で包囲攻撃に入ったのだ。


この事態を先程来、ハラハラしながら見ていたリイナは


「ちょ、ちょっと……!アイツっ!幾ら何でも無謀過ぎるわっ!頭がどうかしているっ!」


といつもの「思っている事を安易に口にしない」という慎重冷静な性格もどこ吹く風となって絶叫に近い声で外に漏らすと、隣に居たケーナも


「ヘンリッシュ君っ!何をバカな事を言ってるのっ!?」


目の前の「有り得ない」光景に対して率直な気持ちをこれまた本来目立つ事の無い内気な性格をどこかに吹き飛ばして叫んでいた。


(ふむ……この連中には一度目を覚まして貰って、このようなヌルいチャンバラ戦技を改めさせることで、未来の王国軍を変えて頂こうではないか。

俺は軍には入らないし、こんな面倒な事を何度もやりたく無いしな)


包囲攻撃の的になっているにもかかわらず今後の面倒な事態を少しでも減らそうと考える首席生徒は身を躍らせた。


数秒後……剣技台の上には持っていた武器を全て叩き落された上に台上に転がされた九人の中央で、一人変わらず左手に木剣を引っ下げたヘンリッシュが何事も無かったかのように立っていた。

周囲で見ていた者達……そして彼に襲い掛かった者達からすると何が起きたのか解らない、目を疑う光景であった。


「ひとまずこうして行動力を奪います。場合によってはこの時点で手足を潰しておくのもいいでしょう。相手も自分同様に、その辺に落ちている物で再度抵抗を試みる可能性がゼロでは無いからです。

生命を奪う必要はありません。このようにして動けなくしてから順次トドメを刺すか、拘束して捕虜とするか決めればいいのです。

多分、それまでに自軍や自隊が健在であれば、部下である兵士がそれを代行してくれるでしょう。

まずは無力化する事を考える。変に欲張らずこれだけを心掛ける事が肝要かと思います」


 先程の教官のように、一瞬にして武器を飛ばされ台上に転がされて……茫然としている者達を含めた、周囲で固まっている生徒達に言い聞かせるように、息一つ乱す事無く首席生徒は淡々と説明する。


「これは授業なので勿論本当に怪我をさせる必要もありません。そして皆さんの主張される『剣技』なるものを使う事もありません。

今回はたまたまこうして木剣を持っているので剣を使っただけであり、これが戦場に落ちている他の武器や、携帯している短剣でもいいですし……極端な話としてはその辺の木から折り採った適度な長さの棒切れでも使っていいでしょう。

とにかく、囲まれた状況で自身の生命を奪われないようにする。

指揮官として隊の統制を維持する為に自らが『最低でも討たれない』ようにする為の技術を習い覚えるのが士官学校における『本来の白兵戦技』となります」


そして少しだけ声色を強くして


「宜しいか?もう一度言うが、君達士官候補生は将来の部隊指揮官として部下より先に討たれちゃいけないんだ。

その為には手段選ばず自分を狙って来る敵性集団から自身の身を護る。これが肝心で、『目の前の敵だけを華麗に討ち取る』のが目的では無い事を覚えておいた方がいいと思うぞ。

俺は軍人になるつもりは無いからどうでもいいけどな」


 最後に士官学校生らしからぬ言葉で締めてヘンリッシュは剣技台の東端……元々ヨーグ教官に立ち会いを強要される前の位置に戻って、そのまま転がされた者達が起き上がる光景を見守った。


漸く起き上がったヨーグ教官は、先程に続いて二度目の敗退……それも今度は他の生徒の力も借りて一斉に撃ち掛かったのに同じ結果となった事で最早この首席生徒に突っ張る気も失せて


「その……ヘンリッシュ君……君だってその若さで実戦なんて経験した事が無いだろう?いくら図書館の文献で「本来の」白兵戦技の何たるかを知ったと言えども、どうやってこのような技術を身に着けたんだい……?」


 彼の声はすっかりこの授業が始まった頃のテンションに戻っている。恐らくは長距離走の疲労に加えて、二度も地面に転がされたという事実に精神的にも疲れてしまったのだろう。


彼に問われたルゥテウスは、自分の記憶の中に居る先祖の一人をモデルにして、自分の「師匠像」を作り上げた。勿論その内容は口からでまかせである。


「私にこの『技術』を伝えた師は既に亡くなっておりますが、実戦経験を持っていた者で、『道場武術』とは全く違う思想で『修行』という言葉も当て嵌まらない程の『経験』を学ばされました。

常に多人数から襲われるという想定の中で、その場にある様々な武具、それすら無く徒手空拳で自身の身を護るだけでは無くその場の『征圧』を完遂する為のあらゆる方法を『生き延びる為』に考えさせられました」


「私の士官……指揮官に対する思想もその師から受け継いでいます。彼は戦場において可能な限り部下の損耗を抑え、そして自身も生き延びる事に心を砕く事を優先して考えておりましたな」


「そんな……そんな人物が……君よりもその……」


「私と師の比較ですか?それは故人である師には敵わないでしょう……と言っておきます」


ルゥテウスはニヤニヤしながら答えた。


 結局、この首席生徒から受けた衝撃を忘れる事が出来ぬままに五時限目の終了を知らせる四点鐘が鳴り響いてきたので、そのまま何となく曖昧な終わり方になってしまい、すっかり意気消沈してしまったヨーグ教官と武術経験のある生徒達、そして何が起きたか解らないままのその他の生徒達は、リイナの鋭い号令を済ませると、担任教官であるヨーグによって、その場で終礼も行われて解散・下校となった。


彼らに大きな衝撃と困惑を与えた首席生徒は終礼が終わるとそのままスタスタと西校舎に向かって歩き始め……いつの間に着替えたのか、制服姿に戻ってそのまま下校して行ってしまった。


ヨーグ教官も、彼からもう少し話を聞きたかったのだが、引き留め損ねたのである。


 ヨーグが職員室に戻ると、学年主任の席には北部方面軍では名高い騎兵指揮官だったと言う一回生主任教官のタレン・マーズが座っており、なにやら今日の体力測定の記録票を見て唸っていた。


「あの……マーズ主任殿」


ヨーグは歴戦の驍将たるタレンの顔色を窺いながら声を掛けた。タレンは記録票のファイルから視線を上げて


「ん……?ヨーグ教官か。何だね?」


特に何か身を入れて調べものをしていたわけでも無さそうな様子で応えて来たので


「実はその……例のマルクス・ヘンリッシュの事なのですが……」


「ん?ヘンリッシュだと?彼が何か?」


 主任教官の驚いた顔を見て、ヨーグも


「あ、あの……主任殿こそヘンリッシュが何か?」


「ん?あぁ、いや……な。先程、午前中に行われた本年度の体力測定の結果がこうして届いているのだが……彼……ヘンリッシュの運動能力の高さが際立っていてな……」


「そ、そうなのですか……」


「それで君の話は?」


「はい……。実は本日午後の白兵戦技の授業で……」


ヨーグは先程までの授業での体験と衝撃をタレンに説明すると


「ふーむ……私の個人的な意見を述べていいかね?」


「え、ええ……じつはそれをお聞きしたくて主任殿にご相談申し上げたのです」


ヨーグは恐縮したように頭を掻きながら苦笑した。


「ならば……まぁ、本当は今の私の立場でこんな事を言ってはいけないと思うのだが……」


タレンも苦笑を浮かべながら


「実戦下での話で言えばヘンリッシュの主張が100%正しい」


「え……そうなのですか……」


 何となく予感していたとは言え、ヨーグにとってはショックを受ける意見であった。


「私はまぁ、二浪でここに入ったから三年間を通してそれ程成績は良くなったのだが……」


「卒業してすぐに赴任したのがドレフェスの北部方面軍本部で、そこで新考期間(新士官考査期間)を過ごした後、更に北方の国境線上にあるラーナン砦に赴任した。そこは王国直轄領と公爵領、そして大北東地方との丁度三叉境界線に近い場所でな……三者で管轄が違うせいか……不法活動を行う者達が逃走潜伏するには打って付けの場所だったのだよ」


「な、なるほど……」


ヨーグはこの歴戦の名指揮官の話に聞き入っている。


「赴任してからすぐに騎兵隊の見習い士官として10騎の配下を付けられて、分隊長に任じられた。21歳の若造がだ……」


タレンは小さく笑った。当時の事を思い出しているのか。


「初陣はすぐだった。赴任して……そう……半月くらいかな。公爵領側……まぁ、当時は私の実家があった領域だな……。そこから公爵領兵に追われた100人ちょっとのゴロツキ集団がこちらの直轄領側に向かって逃走していると烽火(のろし)による通報が入ってな。公爵領に縁のある私にも出撃させろとの師団長閣下から直々に冗談めいた命令が下って、私は部下を率いて出撃した。

その当時の私はこの士官学校で学んだ槍技を活かそうと2メートル程の軽馬上槍を獲物にしていたのだがな……結果的にあまり役に立たなかった。私の初陣は散々なものだったのだよ」


苦笑するタレンに


「えっ!?主任殿がですか?」


驚くヨーグ。


「うん。結論から言うと私が士官学校で学んだ騎兵術との組合せた槍技は殆ど通用しなかった。私は何度も徒士で散開して包囲してくるたかだか50人程度のゴロツキ共に袋叩きにされてな……最後は馬から引き落とされて無我夢中で槍を振り回すしか無かった。

気付くと後発の別動隊に助けられてな……面目丸潰れだったさ」


 タレンはついに笑い始めた。いつの間にか彼ら二人の周りには他の教官も集まってきており、耳を傾けていたので彼は困惑し


「なんだ。どうした?何故こんなに集まって来ている?」


と周りを見回すと


「いや……お噂に聞く主任殿の戦場時代のお話しを是非拝聴したく……」

「私もお伺いしたかったのです」


などと、皆一様に目を輝かせている。よく見ると戦場にはあまり縁の無さそうな理科担当教官まで輪に加わっている。


「そうか……本当はあまりこんな場所では話せないような内容なんだけどな……」


「ヨーグ君の話にあった通り、この学校の白兵戦技の時間に学んだ槍技は実際あまり役立たなかった。私が相手にしていたゴロツキや匪賊の類である連中は戦場で正々堂々と名乗ってくるわけ無いし、追い詰められたネズミの如く必死の形相で抵抗してきた。

私の部下で頬の一部を噛み千切られた者も居たくらいだ」


「なんと……」


「三ヵ月もすると10人居た私の部下も4人が殉職していた。皆、腕の悪いこの新人指揮官を庇ったり、奇襲を受けたりして死んで行った。私は彼らに済まない気持ちで一杯になり、とにかく自分だけで無く、部下の無駄死にを減らす工夫を独自に始めた。そしてそれまで学んで来た事を一度全て捨て去ったのだ」


 このタレンの告白に聞いていた一同は驚きを隠せなかった。それはつまり今自分達が生徒に白兵戦技として教えている内容を、よりによってこの学年主任教官に否定されたという事だったからである。


「いや、誤解しないでくれ。これは私の能力が足りなかったせいでもあるんだ。そして相手はこの学校で学んだ戦術には当て嵌らないような単純で原始的な……目の前の敵をあらゆる手段を用いて殺そうとしてくるような者達だったからと言える」


「まず私は学生時代から愛用していた軽槍と背に負っていた長剣を捨てた。その代わりに長さ150センチ程の『長鞭(チョウベン)』と呼ばれる武器を使うようになった」


「長鞭……ですか?」


「そうだ。鉄芯の入った樫の棒にな……更に鉄環を嵌め込んだ物で、相手の防具の上から殴りつけたり急所を突くように使う獲物だ」


「棍棒のようにですか?」


「いや、棍棒とは違うな。戦棍(メイス)に近い形状だが、柄が更に長いのだ。片手でも両手でも使えるもので、とにかくその長さによる遠心力も使って相手を打撃によって行動力を奪うのが目的だ。剣で切り裂いたり槍で突き刺すのとは違い、相手に致命傷を与えるのは難しいが、とにかく包囲してくる敵の行動力を奪う事だけを重視した武器だ」


「私が真っ先に考えたのは『自分が足手まといにならない事』だった。

匪賊に囲まれて嬲り殺しに遭いそうになった私を必死に庇って死んで行った部下に申し訳なくてな……まずは『頭』である私を狙ってくる敵から自力で身を護る事から始めたのだ。

相手を殺傷出来無くとも腕を潰したり足を叩き折ってしまえば動けなくなるからな。

後は部下がついでに息の根を止めてくれるってわけさ」


笑いながら言うタレンの体験談に聞いていた者は引き攣ったような笑みを浮かべ、ヨーグは一人衝撃を受けていた。


(同じだ……ヘンリッシュの主張と同じだ……「指揮官」としての役割……自らの身を自らが護る事を優先させて……敵の殺傷は部下に任せる……指揮官は死んではいけない……)


「剣も……槍も捨て去って……ですか?」


「そうだな。『捨て去る』というのは語弊のある表現だな。『自分の身を護る』という目的に即した獲物の形状を考えて、考え抜いた挙句に私は『鞭』という武器に出会った。鞭にも色々とあって、100センチ弱の長さの物を二本、両手に持って振り回すというスタイルの者も居た。

私は騎兵隊なので騎馬の突進力を最大限に生かせるように柄を長く両手持ちにも出来るようにすることで、騎馬で突入しつつ手当たり次第周囲の敵……徒士で足元に迫って来る者、騎馬で突っ込んで来る者などを片っ端から殴りつけて、怯んだり転倒した者を後続の部下や他の部隊の者がトドメを刺すという戦法を採るようになっていた。

まぁ、指揮官が先頭で突っ込む事で何度も上官から叱責を浴びたがな。ははは」


笑い続けるタレンに対して、聞いていた者の中には「すごい……」「よくそんな考えになるな……」と顔色を変えている者も居る。


「とにかく。ヨーグ君の話に出ていたヘンリッシュの考え方を私は否定できない。自分自身がそのように発想を変えた事で北の戦場を生き延びる事が出来たからだ。彼が午後の授業でその事を実例を以って示してくれた事は、この学校の白兵戦技教育にとって、とても有益な事であると……個人的には思うね」


「しかし……あのような技……どうやって身に着ける……いや、教えればいいのでしょうか?」


「うーん……率直に言わせて貰うならば、現状では『無理』だ。あればかりは、実戦の場に放り出されて自分なりに生命の危険を感じたり……私の場合は部下を失ったりだ……そういう体験をしないと身に着かない気がする……」


「そ……そ、そんな……」


「しかし、ヘンリッシュは確かにその『技』を君に……その生徒達にも示したのだろう?彼だって多分……実戦は経験していないはずだ」


「そ、そりゃそうでしょう。彼はまだ15歳の……大人にちょっと足先を掛けたばかりのヒヨっ子です」


「まぁ、そうだろうな。私も面接試験で本人から直接聞いただけだが、彼は西部の田舎町であるダイレムの出身、レストランの息子だ」


「は、はい……私も『調査票』からそのように認識しております」


「と、言う事はだ……。逆に言えば彼はその戦場を必要としない『鍛錬法』を知っているのでは無いかな?」


タレンの言葉に


「あっ……そうか。なるほどっ!」


ヨーグが突然大声で得心したような声を上げたのでタレンの武勇伝を聞きに来ていた他の教官達は一様に驚いた。


「なるほどっ!そういう事ですかっ!」


ヨーグは一人大きく頷きながら


「では、本人から今一度その事を聞いてみる事にしますよっ!」


 彼はすっかりと悩みが晴れたかの様子で自分の席に戻って行った。この様子を見て他の教官達も自席に散って行く。


(そうか……その歳で私と同じような……いやもっと徹底したリアリズムに基いた考え方を……そして古き時代の戦技を識る者か……)


「彼は一体……何者なんだろうな……」


タレンは自分の椅子に深く腰を落とし込んで考えに耽るのだった。

【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ


ルゥテウス・ランド(マルクス・ヘンリッシュ)

主人公。15歳。黒き賢者の血脈を完全発現させた賢者。

戦時難民の国「トーンズ」の発展に力を尽くすことになる。

難民幹部からは《店主》と呼ばれ、シニョルには《青の子》とも呼ばれる。

王立士官学校入学に際し変名を使う。一年一組所属で入試順位首席。


リイナ・ロイツェル

15歳。王立士官学校一年一組の生徒で主人公の同級生。入学考査順位6位。

《賢者の黒》程ではないが黒髪を持つ女性。身長はやや低め。瞳の色は紫。

貴族の出身かと思われる外見に冷静沈着な性格。主人公が辞退した一年一組の級長を拝命する。


ケーナ・イクル

15歳。王立士官学校一年一組の生徒で主人公の同級生。入学考査順位は21位。

濃い茶色の短い髪にクリっとした目が特徴だが、ちょっと目立たない女子生徒。

主人公とは筆記試験でイント率いる案内係に連行されそうになったところに彼が無実であるという証人となった事で顔見知りとなる。面接試験でも主人公の後に同じ部屋での受験となった。


ドライト・ヨーグ

28歳。王立士官学校教官。陸軍中尉。担当科目は白兵戦技で専門は剣技。一年一組担任。

若き熱血系教官。剣技においては卓越した技量を持つが長距離走は苦手な模様。


タレン・マーズ

35歳。マーズ子爵家当主で王国陸軍大尉。ジヨーム・ヴァルフェリウスの次男。母はエルダ。

士官学校卒業後、マーズ子爵家の一人娘と結婚して子爵家に養子入りし、後に家督を相続して子爵となる。

王国士官学校入試考査の面接試験において北部方面軍から異例の抜擢で面接官を勤め、そのまま一回生主任教官として士官学校へ赴任となる。

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